ヨーガ・スートラ第3章第14節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


शान्तोदिताव्यपदेश्यधर्मानुपाती धर्मी॥१४॥
Śāntoditāvyapadeśyadharmānupātī dharmī||14||
シャーントーディターヴャパデーシュヤダルマーヌパーティー ダルミー
休止、生起、未決定の現象に共通して存在するのは、実体である。

簡単な解説:前節において、心の止滅転変、心の三昧転変、心の専念性転変の三つについて、物質元素と感覚における現象性、時間相、様態の転変であると説かれました。本節では、実体について、休止(過去)、生起(現在)、未決定(未来)の三つの時間的位相をとって変化し、常にその現象に即して存在していると説かれます。

シーター女神を探す

神秘の国といわれるインドにおいて、人々に愛され、その心に深く刻まれた物語があります。
マハーバーラタと並び、インドの二大叙事詩の一つに数えられるラーマーヤナです。
ラーマ神の行状記が書かれたその壮大な物語には、霊性を育むための教えが諸所に秘められています。
さまざまに解釈されるその物語は、日々を幸せに生きる術を私たちに伝えています。

そんなラーマーヤナにおいて、ヒロインとして描かれるのがシーター女神です。
2018年は4月24日に、シーター女神の降誕祭として知られるシーター・ナヴァミが祝福されます。
シーター女神は一説に、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から9日目に降誕したと信じられます。

ラーマーヤナでは、献身、勇気、自己犠牲、そして、高潔さや純粋さといった特質がシーター女神を通じて映し出されます。
どれも、私たちが日々の生活において見失いがちなものばかりです。
霊性を育む教えでは、豊かな人生を生きるための必要な要素として伝えられてきました。
それらを象徴するシーター女神は、ラーマーヤナの中で悪魔ラーヴァナに誘拐されると、その物語は悪との戦いに突入します。
それはまるで、私たちが欲望という悪魔によって高潔さや純粋さを見失い、苦難に包まれることを象徴しているようです。

そんな中で、ハヌマーン神の助けを借り、シーター女神を救い出したのは、夫であるラーマ神でした。
ラーマ神とシーター女神は、相反する二つの存在のようでありながら、本来は一つとして存在しています。
精神と物質ともとらえられるその二つが結びついた究極の美しさは、私たちの前に、最終的な解脱としてあらわれます。

ラーマ神がシーター女神を探し出したように、私たちは自分自身の内で、常に高潔さや純粋さを見出す必要があります。
そうして生きる日々は、真理の実現された、究極的に美しい人生を築くに違いありません。

シーター女神の姿は、人生という壮大な歩みの中で、私たちを導く指針となるはずです。
そんな女神の降誕祭が近づこうとしている時、ラーマーヤナを開いてみるのも良いかもしれません。
そこには、生きる日々に深い気づきをもたらす多くの教えが溢れていることと思います。

(文章:ひるま)

ガンガー・サプタミー2018

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2018年4月22日はガンガー・サプタミーです。

ガンガー・サプタミーは、一部の慣習でガンジス河の生誕日として崇められる日にあたり、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から7日目と信じられています。

ガンジス河の生誕日は、このガンガー・サプタミーや、またガンガー・ダシャラーなどさまざまな日が存在します。

一般的に広く知られているガンジス河の生誕日「ガンガー・ダシャラー」は、天を流れていたガンガーが地上に降りる際、その強すぎる勢いが地上を洗い流してしまわぬように、シヴァ神がその流れを髪で受け止め、地上へと注いだ日として広く崇められています。

「ガンガー・サプタミー」には別の言い伝えがあります。シヴァ神に受け止められていたガンガーがシヴァ神より放たれた後、その勢いで、ある聖者のアシュラムを流してしまいます。聖者は怒り、ガンガーの水を全て飲み干してしまいました。神々がガンガーを解き放つよう懇願すると、聖者はガンガーを解放しました。こうしてまたガンガーが流れるようになったと言われ、この日がガンガー・サプタミーとして崇められています。

参照:2018 Ganga Saptami

スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(レモンのピクルス)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

インドの各地で、暑く長い夏が始まりました。これからは厳しい暑さや蚊がもたらす病気が増え、病院を訪れる人々も徐々に増えていきます。まだ落ち着いた状況のようですが、それでも長い行列ができています。

本日は配給で配るアチャール(レモンのピクルス)をご紹介いたします。配給では、その日に調理したタンパク質が豊富なお豆のおかずをおかゆと一緒に配りますが、予想以上に患者さんが多い時は、お豆のおかずが足りなくなってしまうことがあります。そんな時、お豆のおかずの代わりに配ることができるよう、配給食にはいつもアチャール(レモンのピクルス)を準備しています。

長期保存が可能なため、作り置きをしておき、配給時に持参しています。お豆のおかずが足りなくなってしまった場合のみ、このアチャールを配ります。

酸っぱく消化に良いため、食欲がない方などはアチャールのみ欲しいという方もいます。なかなか全員の要望に答えることはできませんが、必要とするすべての人に食事が行き渡るよう、また、辛く苦しい思いをしている人々が、少しでも安らげる瞬間を持つことができるように努めています。

皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(スタッフ:ひるま)

129、インド音楽の楽しみ方(2)北インド古典音楽の前奏(前唱)曲

スピリチュアル・インド雑貨のお店シターラーマさんのご支援で、古代インド科学音楽とその音楽療法、およびアーユルヴェーダ音楽療法についてご紹介している連載コラムです。Vol.128からしばらく、Vol.126でご説明しました、古代科学音楽を覆い尽くすように発展・流行したガンダールヴァ音楽の末裔である、今日聴くことが出来るインド古典音楽について述べたいと思います。
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北インド古典音楽と南インド古典音楽双方で、現行する様式の中で最も古く、本来最も重要な様式であったのが「Alap(アーラープ)」です。

ところが、中世後半以降、南北を問わず、「前唱・前奏曲」となってしまいました。

しかし今日でも、選ばれた或るラーガをアーラープだけの演奏で終わらせ、次の曲は異なるラーガであることは可能です。インド古典音楽は、「一曲一旋法」です。
「次(本曲)が続かない前唱・前奏曲」は、あり得ないおかしな話しです。即ちこれは、「アーラープ」が独立した様式であることを示しています。

また、本曲がバラ・カヤール(遅いテンポの重厚な声楽)、チョーター・カヤール(早いテンポの軽快な声楽)、マスィート・カーニ・ガット(遅いテンポの重厚な器楽)、レザ・カーニ・ガット(速いテンポの軽快な器楽)の何であれ、「アーラープ」の内容は変わりません。

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そして、本来は、アーラープこそが「ラーガ音楽」の真骨頂であり、太鼓奏者には失礼ながら(私も太鼓奏者でもありますが)、太鼓(ドゥルパドではパカワージ/ムリダング、南インドではムリダンガム、北インド中世以降の様式ではタブラ・バヤン)を伴う「本曲」は、実は「デザート」のようなもので、アーラープの水準と充実からすれば「同じ話し(ラーガ物語)を太鼓を入れて分かり易く、楽しみ易く」した感じと言うことも出来ます。

更に「アーラープ」は、三部に別れますが、第二部には「二拍子」、第三部には「速い四拍子」の「Laya(ラヤ)/拍節感(ビート感)」がありますが、リズムサイクルとは考えられていないので、ターラではないのです。

そのため、太鼓奏者は、主旋律演奏家(および声楽家)と共にステージに上がりながら、「アーラープ」の最中は隣に座って待っていなければなりません(何時間であろうとも)。当然のことながら、本曲で七拍子であろうと十二拍子であろうと、「アーラープ」のビート感の二拍子、四拍子は変わりません。

このことからも「アーラープは、ラーガ音楽の真骨頂・真髄である」ことが明白ですが、極論すれば、「ラーガ音楽の真骨頂」からすれば、ターラさえも「お楽しみ(簡単で分かり易いデザート感覚)」でしかない、ということです。

写真は、1991年のWOMAD横浜で、招聘された北インド古典音楽弦楽器サロード奏者のタブラ伴奏を務めた私が。アーラープの最中なので、何もせずただ隣に居る様子です。
実は、第一部の後の休憩の楽屋で、彼はものすごく落ち込んでいました。「今の演奏、そんなに悪かったか?」と。彼は日本が初めてで、リアクションの無い聴衆も初体験だったのです。なので、写真の第二部は、私が横から「いいね!」「凄いね!」の掛け声(ヒンディーで)を必死で掛けることになりました。
案の定、主催者には、「あいつのリアクションが邪魔だった」の苦情が二三寄せられたそうです。
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「アーラープ」は、歴とした、むしろ最も崇高な音楽様式であるにも拘わらず、中世以降、カヤールやガットといった「新音楽」が流行し、「アーラープ」は次第に前唱・前奏曲の存在感に追いやられて行きました。

そもそも本曲のスタイルが何であれ、「アーラープ」の構造は同じ、ということは、ドゥルパドとも南インドとも同じということです。

逆に言えば、カヤールやガット、南インドの様々な様式は、「アーラープ」の後に来るものですから、「アーラープ至上主義」とは相反する対峙関係にあるとも言えます。

そのため、カヤールやガットなどを擬人化すれば、横で座って待って居る太鼓奏者と同じ心情「おいおい早く切り上げてくれないかなぁ」ということなのです。

そして、カヤール、ガット、太鼓奏者は、出番となれば堰を切ったように派手に見せようとする。本来これは破廉恥なことですが、時代とともにアカラ様になって行きました。

「アーラープ至上主義」から見たそれは、「破廉恥」であるとともに「大衆煽動」です。そして、「アーラープの深み」を理解出来ない(不勉強であるばかりか、心や魂で聴くことが出来ず、表層的な感情でしか聴くことが出来ないタイプ)聴衆は、本曲ばかりを楽しみ、喝采し、「アーラープ」を「正直退屈」と感じていれば、そのタイプの比率が時代と共に増え、音楽家の方も、「アーラープ」を短めにして、本曲を長くする、という「大衆迎合」に進んでしまうのです。

グラフのような図は、
次回以降、より詳しくご説明しますが、
アーラープの全容をイメージ化したものです。
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私は、50年近くインド音楽をステージで演奏して来ましたので、タブラ奏者であったことも数百回あり、インドの第一線の演奏家の伴奏で伴奏弦楽器タンプーラを担当したりも少なくありませんので、インド音楽独特の「α波を引き出す力」は痛感しておりますし、「あわや失態手前」の思い出も多々あります。

タンプーラは、三本の指で順に弦を弾きますが、だんだんと「今どの指で弾いているのだ?」が分からなくなって来ます。一瞬寝落ちて「あっ!今音止まらなかったか?」とひやっとすることも。後で録画を見てみると気付かないほどの一瞬なのですが、その時は数分寝たか?と思いました。これらの体験も後のアーユルヴェーダ音楽療法を本格的に学ぶきっかけだったかも知れません。

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逆に、哀しい経験もあります。20年近く前のことです。当時、吉祥寺にあった私の店で、年に数回「オールナイト・インド音楽ライブ」をやっていました。十年近く通っていたお弟子数名が入れ替わりでタブラを担当したのですが、ある一人が私のアーラープの最中に寝てしまったのでしょう。本曲に入ってもタブラを叩かないのです。誰かがつついて起こしたのか? しかし、既に主題は十数回演奏され、彼は「もう駄目だ」と勝手に決めたようで、叩こうとしません。なので、私はタブラ無しで即興も含む本曲を短めの30分ほど弾いてステージを降りました。
その後、「恥をかかされた」と同門の弟子に言い残し彼はそれっきり二度と来なくなりました。「俺は寝ていなかった!分かりにくい主題がおかしいから入らなかったのだ」などと言ったとも聞きましたが。十年の付き合いもそんなことで無しになってしまうのが哀しいと思いました。

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インド現地では、そのような話しは聞いたことがありませんが。逆に両雄合い譲らない話しは多々聞きました。
ある古典音楽マニアのベンガル人の友人が、コルカタ(当時はカルカッタ)のコンサート会場で隠し録りをしたライブ録音をくれたのですが。なかなか面白いものでした。

ラヴィ・シャンカル氏の高弟のシタール奏者と、タブラ奏者の名前は失念しましたが、(カセットのラベルにはあると思う)後で聞けば両雄は様々な理由で以前から犬猿の仲だったらしく、シタール奏者は、タブラ奏者を横に置き、一時間以上もアーラープをやってのけたのです。しかも、本曲でやるべき「大衆煽動・大衆迎合のギミック」までアーラープでやってしまう。つまり本曲もタブラも要らない状態にしてまでです。

そうしてやっと本曲の主題に入ったら、なんとタブラ奏者が仕返しを始めたのです。

本曲中はシタール奏者が目配せをしない限り、ソロは回って来ません。別なペアの話しですが。日本公演の途中でモメ、その後のコンサートと日本のレコード会社での録音で、シタール奏者が何度目配せをしても、決して一切ソロを取らなかった例もあります。(今でもレコードで聴けます)

本曲の冒頭、タブラが初めて参加する際には、誰もがある程度の長さ、本曲中のソロよりもやや長いソロを取ってから伴奏を始めるのが19世紀からの習わしです。
カルカッタのコンサートでタブラ奏者は、そこで「終わると見せかけて終わらない」を繰り返し、何と十数分もソロを取ったのです。友人も会場で「とんでもない事態だ」と何時もとは異なる次元で固唾を飲んで見入り聴き入っていたと言います。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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アーディ・シャンカラーチャリヤ・ジャヤンティ2018

FEBRUARY 19, 2014, KALADY, KERALA, INDIA - Sculpture of the great ancient philosopher Shripada Shankaracharya at his birthplace

2018年4月20日は、偉大な師であり、インド最大の哲学者・思想家とも呼ばれるシャンカラ(シャンカラーチャリヤ)の生誕日です。アーディ・シャンカラーチャリヤ・ジャヤンティとして祝福が執り行われます。

シャンカラは、梵我一如の思想、不二一元論(アドヴァイタ)を説いたことで知られています。解脱のためには、私たちの自我(アートマン)と宇宙の根本原理(ブラフマン)が、本来同一であるという知識を得ることが必要であると説きました。

”「生と死というワニが出没する輪廻の大海」から脱する道はただ一つ、我が内なる本来の自己アートマンが宇宙の根本原理ブラフマンと同一であるという真理を悟ることにある”
(ウパデーシャ・サーハスリー―真実の自己の探求 シャンカラ (著), 前田 専学 (翻訳))

シャンカラは8歳の時に世を捨て出家することを望むも、母がそれを許しませんでした。ある時母と河で沐浴をしていると、シャンカラは1匹のワニに噛みつかれ命を落としそうになります。魂だけでも救われるように、出家させてほしいと強く母に乞うと、母はそれを許し、ワニはシャンカラを解放しました。こうしてシャンカラの出家者としての修行が始まったと言われています。

シャンカラの生涯は様々に異なる説が伝えられますが、一説に、ヴァイシャーカ月(4月~5月)のシュクラ・パクシャ(新月から満月へ向かう半月)の5日目に誕生したという説があり、2018年は4月20日にあたります。

参照:Shankaracharya Jayanti

ヨーガ・スートラ第3章第13節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


एतेन भूतेन्द्रियेषु धर्मलक्षणावस्थापरिणामा व्याख्याताः॥१३॥
Etena bhūtendriyeṣu dharmalakṣaṇāvasthāpariṇāmā vyākhyātāḥ||13||
エーテーナ ブーテーンドリイェーシュ ダルマラクシャナーヴァスターパリナーマー ヴャーキャーターハ
これで、物質元素と感覚における現象性、時間相、様態の三つの転変が説明された。

簡単な解説:前節までに、心の止滅転変、心の三昧転変、心の専念性転変について説かれました。本節では、これまでに説かれたその三つの心の転変について、物質元素と感覚における現象性、時間相、様態の三つの転変であると説かれます。

インド縦断ツアー1

3月に、インドを縦断する(主に女神の寺院)巡礼のツアーを行ってきました。
私の主催するツアーは、日本人といいますか外国人がほとんど行かない地域を巡ることが多いため、旅のご報告を兼ねご紹介させていただきます。なお、私の個人ブログとは違った切り口で書かせていただき、ご紹介するする地域も巡礼順ではなく、興味深いものからご紹介させていただきたいと思います。何卒宜しくお願い致します。

初回と2回目ははプラティヤンギラー女神の寺院です。
マイナーな神様ながら、こちらシーターラーマでも、ヤントラや大きな神像の取り扱いがあり、マニアの方には人気なのではないでしょうか?
この寺院の門前まで訪れまず驚かされたのは、門前の店に商品としてプラティヤンギラー女神の神像をおいていないこと。
写真はおいてあるのですが、神像はないのです。
後で、宿泊していたホテルの周辺の売店などでも探しましたが、ありませんでしたし、外国人観光客の多いアルナーチャラの麓の街でも探しましたがありませんでした。(ヤントラは、質素なものが寺院内で販売されていました。)

有名な神様であれば、普通門前の店などに商品として小さなものから大きなものまで神像を置いているのはごく当たり前です。

これは、この女神がインドにおいてもマイナーであることと、ごく普通の地元の庶民たちの信仰によって支えられているからだろう、と感じました。
神像は写真に比べて一般的に高額であるため、地元の貧しい人たちには購入できないことが多く、そのためつくられないのかもしれません。

アタルヴァ・ヴェーダの中心となる神、という話も小耳にはさんだことがありますが、この庶民感には個人的に好感が持てました。

また、写真はヴァーラーヒー・デーヴィーという女神と、サラスヴァティ女神と一緒に写っている物が多くこれに関しても、日本ではあまり知られていない情報だと感じました。

さて、いよいよ寺院内に入ります。
事前情報ではヒンドゥー教徒しか入れない、と聞いていましたが、快く入れていただきました。
さらに、満月の前日だったため参拝客も少なく、ゆっくり回れました。

次回に続きます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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斧を持つラーマの心

2018年は4月18日に、一年の中の大吉日といわれるアクシャヤ・トリティヤを迎えます。
各地でさまざまな祝福が行われるこの日は、ヴィシュヌ神の6番目の化身であるパラシュラーマの降誕日としても崇められる時です。

パラシュラーマのパラシュは斧を意味し、斧を持つラーマをあらわします。
シヴァ神への厳しい苦行を行ったパラシュラーマは、その恩恵として、シヴァ神より斧を授けられたと伝えられます。
パラシュラーマはハヌマーンとともに、7人のチランジーヴィー(不死者)の一人としても崇められる存在です。
彼らはカリユガの時代の最後まで、今もなお、生き続けている唯一の存在であると伝えられます。

そんなパラシュラーマは、奢り高ぶった数多くのクシャトリヤを殺害し、社会に平和をもたらしたと伝えられる存在です。
数多く伝えられるパラシュラーマの神話の中には、自らの母親を斬ったという神話も伝わります。

パラシュラーマの父は、どんな願いも叶える牛を持つ聖仙ジャマダグニでした。
ある時、妻であるレーヌカーの心が乱れたことに怒り、息子たちに母親を斬るよう命令します。
母親を斬った者の願いは、どんな願いでも叶えようと約束をするも、母親であるレーヌカーを斬る者は誰もいません。
最後にパラシュラーマに命令をすると、彼はいさぎよく、手にする斧で母親の首を切り落としました。
そして、叶えて欲しい願いを尋ねられた時、パラシュラーマは母親を生き返らせるよう伝え、父と母を再び調和に導いたのだといわれます。

私たちの内なる世界では、このように混乱した状況が頻繁に生じます。
乱れる心、怒りや憎しみ、愛着や執着、悲しみや憂いといったさまざまな感情によって、自分自身の本質を見失うことも少なくありません。
そんな混乱を打ち破り、純粋な質へと自分自身を導くためには、パラシュラーマのように、時に破壊を経験する必要があります。

パラシュラーマには、シヴァ神への厳しい苦行によってもたらされた、正しい道を歩むための強い心がありました。
そうして手にした斧は、母親を斬るという耐えがたい困難をも正しい道に導き、やがて世界に調和をもたらします。

維持や保護の神として知られるヴィシュヌ神は、世界に危機が生じた時、特別な姿となってあらわれ、世界を救うと信じられます。
アクシャヤ・トリティヤにおいてその姿を見つめることは、自分自身の本質という朽ちない喜びに気づくための、何よりも強い恩恵を与えてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)

マータンギー・ジャヤンティ

2018年は4月18日に、一年の中の大吉日といわれるアクシャヤ・トリティヤを迎えます。
この日は、一部の慣習や宗派において、マータンギー女神の降誕を祝福するマータンギー・ジャヤンティが祝福されます。

マータンギー女神は、ダシャ・マハーヴィディヤー(10人の偉大な知識の女神)の一人として崇められます。
言葉の女神であり、芸術や音楽など内なる知識の表現を体現していると言われます。

マータンギー女神の崇拝を行うことは、学生や教師、研究者など知識を要する分野、また、音楽家や歌手、パフォーマー、ダンサー、俳優、作家、詩人、デザイナー、アーティストなどの芸術的、創造的な分野において多くの恩恵が与えられると信じられています。

彼女は、帰依者たちをその美しさで魅了することにより悪の破壊者となり、そしてあらゆる望みを満たすと信じられます。

シヴァ神は時にマータンガとしても知られることがあります。そして、そのシャクティの力として存在するのがこのマータンギー女神です。

マータンギーは、言語力や創造力、知識などの能力を高めたい人々に恩恵を与えると信じられる偉大な女神です。

参照:Dasha Mahavidya Jayanti