第25回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第25回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第25回グループ・ホーマは、6月23日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

ヨーガ・スートラ第3章第23節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


मैत्र्यादिषु बलानि॥२३॥
Maitryādiṣu balāni||23||
マイトリャーディシュ バラーニ
友愛やその他により、それらの力を獲得する。

簡単な解説:前節において、行為には迅速に結実するものと、緩慢に結実するものがあり、それらの行為へ綜制を行うことで、または、さまざまな前兆によって、死期を知ることができると説かれました。本節では、友愛といった慈などの情操に綜制を向けることにより、それらの力を獲得することができると説かれます。

インド縦断ツアー6

州都グワハティので雷雨

そもそも今回のカーマキャー女神への巡礼は、最初から普通ではありませんでした。
参拝の日は朝から土砂降りでした。あちこちで落雷も起こっているようです。雨が多いアッサム州とは言え、乾季です。車の運転手は、「夜まで止みそうにないなぁ。」 と言いながら車を出しました。カーマキャー女神の夫シヴァは暴風神ですから大雨は祝福なのでしょう。

最初はナヴァグラハ寺院の参拝でした。ナヴァグラハ(9惑星)とは言いますが、実際は9色のシヴァリンガムが惑星に見立てて祀られています。
訪れたタイミングはちょうどホーマの終わったところで、暗闇に揺れる9つの炎が幻想的でした。
実は私はこの寺院の入り口付近で、激しく尻餅をついてしまったのです。雨で濡れた寺院の床はつるつるでした。
尻餅とは言え、歯のかみ合わせが一瞬にしてずれ、あれから3か月経つ現在でも左側の歯で固いものが噛めないのですから、かなり衝撃は大きかったと思います。
皆さんが助け起こしてくれようとしていたのですが、私はその時尾てい骨を強打し、クンダリニーが覚醒してしまったのに気づいていました。

クンダリニー覚醒技法は25年ほど修行しておりますし、過去にも2度大きな覚醒を体験しているので、大丈夫と思ったのですが、まずいことに大部分のエネルギーが顎のあたりで止まってしまったのです。
古来よりヨーガ行者が修行の途中で精神に異常をきたしてしまうケースがあるのですが、そのうちの何割かはクンダリニーが頭頂から抜け切れず体内に留まってしまうことが原因と思われます。
人間の身体がスクーターだとすると完全に動き出したクンダリニーのエネルギーはロケットエンジンくらいの威力があるとも考えられます。
シヴァとその妻たちの手荒い祝福なのかもしれませんが、非常に危険な状態であるのは明らかでした。

以前クンダリニーが意図せず覚醒してしまったときに、たまたま近くにいてすぐ気づいてくださった、ヨーガ教師のMさんが今回も気づいたようで、他の方々が過干渉しないように、さりげなくサポートしてくださいました。

また、私のツアー常連参加者の医師S氏が状態をみてくださり「医学的には脳震盪です。頭は打っていないので医学的には危険はないと思います。霊的にはわかりませんが・・・」とおっしゃってくださったのですが、わざわざ「医学的には」とつけたところに、今の状態が尋常ではないことを感じざるを得ませんでした。
このクンダリニーの事故的覚醒に関しては、次回に続きます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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心と身体の調和、環境浄化のためのアグニホートラのマントラ

文明の進歩は、私たちの日常生活に大きな影響を与えてきました。同時に、それは人々を緊張と不安がともなう物質的側面に大きく依存させる結果になっています。
内観を通してこの事実に気がついた人々は、自然の永遠で偉大な力の重要性を感じ、自然のリズムに合わせてすでに歩み始めています。

現代科学は、古代インドの聖者や賢人が発見した事実を今、証明しつつあります。ミクロの元素からマクロな宇宙創造に至るまで、この世界の普遍的真理はすべての個人と深いつながりがあります。

古代のヴェーダによって処方されたあらゆる方法や儀式の中でも、アグニホートラ・シャーンティパータは、平安に達する手法として今日でも他に類を見ないものです。
これらのマントラの純粋な音は、実践者の住処だけでなく、隣家を始め、全ての環境を浄化する作用があるとされます。
しかし言うまでもなく、このマントラや儀式の最も深遠かつ優れた効果は、参加者と聴衆すべての肉体と心、そして魂を調和させ、豊かにさせることに行き着きます。

この強力なヴェーダのマントラの残響が拡大していくことにより、私たちに地、水、火、風、空の生活を潤す自然の元素に対する感謝の念を呼び起こすでしょう。
アグニホートラ(火供)のエネルギーに満ちた音の普遍的な力は、現代生活における緊張と不安を一掃し、すべての人々の魂に、平安、調和、幸福を授けるように組まれています。

バラドヴァージャのアーサナ

2014年より、6月21日はヨーガの普及を目的とした、国際ヨーガの日として祝福されるようになりました。
6月21日は、一年の内で昼間の長さが最も長い夏至にあたります。
インドの暦では、夏至の後の最初の満月において、師を讃えるグル・プールニマーが祝福されるなど、夏至は重要な意味を持ちます。

一説に、ヨーガの伝承は、その起源とされる偉大なグル、シヴァ神によって夏至に始まったと伝えられることがあります。
シヴァ神はこの日、サプタリシ(七聖仙)にヨーガを説き始めたのだと伝えられます。

そのサプタリシの一人に、バラドヴァージャと呼ばれる聖仙がいます。
バラドヴァージャはヴェーダの学びに没頭し、それを達成するために、三度生まれ変わったと伝えられる存在です。
苦労の末にヴェーダの全てを学び、三度目の死が訪れたとき、シヴァ神に解脱を求めるも、シヴァ神はそれを許しませんでした。
バラドヴァージャは、ヴェーダの教えを他と共有することをしていなかったからです。

すると、バラドヴァージャは四度目の生において、ヴェーダを教え、人々を啓発することに喜びを見つけます。
ヴェーダの普及に没頭したバラドヴァージャは、その後、究極の叡智のもとで解脱に至ったと伝えられます。

ヨーガにおいては、そんなバラドヴァージャに捧げられるポーズがあります。
バラドヴァージャのように片足を蓮華座で組み、身体をねじるポーズです。

中心から身体を絞り切るようにねじるこのポーズでは、膝や股関節、腰、背骨の柔軟性を必要とします。
そして、身体を深くねじるために、左右の両端に逆向きの力が働くよう、強く回し曲げなければなりません。
これらの過程において、身体の歪みや消化機能が改善され、心身に浄化が促されると伝えられます。

泥水を吸って生きながら美しい花を咲かせる蓮華は、純粋の象徴として崇められてきました。
このポーズは、社会の荒波の中で生きる私たちが、ヨーガを通じ自分自身を浄化しながら、美しい花を咲かせる過程を物語っているようです。
その先には、苦労を経て究極の境地に至ったバラドヴァージャのように、何よりも美しい果報が待ち受けているはずです。

現在、ヨーガは国際的に認められ、その教えに触れることが容易となりました。
そこには、こうした先人たちの尽きない探求があります。
ヨーガを通じ、それぞれに与えられた道のりを歩むことで、やがて美しい解脱に至ることができるに違いありません。

(文章:ひるま)

138、インド音楽の楽しみ方(11)北インドの準古典叙情詩ガザルの形式

前回Vol.137でご説明しました中世~宮廷終焉までのインド花柳界の二大歌謡のひとつ「Thumri」について述べました。今回は、他方の「Ghazal」ですが、共通項の同じ文章もここに記します。図も共通です。
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図は、上段がトゥムリの構成で、下段がアラブ・ペルシア様式の叙情詩ガザルの構成です。この二種はいずれも中世インド花柳界で発展した準古典音楽叙情歌ですが、厳密には以下のように分別されます。

トゥムリ
1)主にヒンドゥー教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
ムスリマ(イスラム教徒の女子)の芸姑でも歌う者は居る。
ガザルを歌うヒンドゥー系の芸姑は少なかったと思われるが例外もある。
宮廷文化が終焉した1945年以降は、芸術音楽として宗派階級は問わない。
2)主にヒンドゥー教の神々の物語を、平凡な人間の恋愛叙事詩に見立てて歌う。
イスラム支配下でヒンドゥーイズムを継承する為の策だったとも言われる。
同じ芸姑の舞踊では、全体はペルシア風胡旋舞だが、手首より先のムドラで
ヒンドゥー寺院デーヴァダースィの伝統を継承したとも言われる。
3)基本的に軽いラーガ(旋法)、および混合ラーガを用い、更にしばしば
ラーガに無い音を臨時に加えたりする。
4)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。
5)歌詞は、主題の一二行しかなく、同じ歌詞や、その部分の単語を様々な旋律で
歌う即興歌謡「Neraval」が本領である。

ガザル
1)アラブで生まれペルシアで育った後、インドでインド音楽とも習合して完成した
ペルシア・シルクロード・アラブ・トルコ・北アフリカにもあるが、各地で
各地の伝統音楽のスタイルで歌われる。
2)二行連句で、冒頭の連句が「主題:結論的な内容」で、その後の展開部で
物語の内容を深めて行く。各二行目に韻が踏まれる。
この構造は、中世ヒンドゥー献身歌バジャンに影響を与えた。
3)各展開部の後は主題に戻るが、その度に伴奏楽器は盛り上がる。
序唱歌手が居る場合、主題に戻ると序唱者の合唱が加わる。これはヒンドゥー
讃歌キールターンに影響を与えた。
4)主にイスラム教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
恐らく必須ではないが、大概この種の芸姑はトゥムリ系歌謡も歌う。
5)花柳界の他、富豪の邸宅などで歌う近似の歌唱様式もある。
6)主題はほぼ定型通り歌われるが、展開部は即興の余地が多い。
トゥムリのようなNeravalも含むが多くなく、比較すれば遥かに短い。
7)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。

大雑把に説明するとことようになります。もうお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、見落としがちな重要な点は、元々は両者の音楽カーストは同じだった、ということです。それが10世紀に以降イスラム支配下に於かれた都市で、一方は生き残るためにイスラムに改宗し、一方は、やはり生き残る選択肢として改宗しなかった、ということです。
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トゥムリ歌手の場合、当然のイスラム教徒の客が多い店で歌い踊りますが、ヒンドゥー娘であることの価値がある訳です。逆にムスリマ歌手は、イスラム教徒富豪の邸宅にも出張出来るという事情です。

また古典音楽にとって重要なポイントが二つあります。ひとつは、中世以降この花柳界の音楽文化が古典音楽に大きな影響を与えていたということです。実際弦楽器シタール、太鼓:タブラ、弓奏楽器:サーランギ、そしてカヤール声楽様式などはずべて、この花柳界で生まれたものです。勿論、宮廷古典音楽の末端に加えられ(次第に出世し宮廷文化の最後の時代には主流にまで登り詰める)た後、科学音楽に根差す古い伝統古典音楽の要素も加味されました。

その一方で、もうひとつのポイントは、花柳界の歌姫・舞姫と男兄弟のタブラ、サーランギー奏者たちは、宮廷楽師の貴重な定収入源のお弟子であったことです。宮廷で上位に位置すれば、給料も充分な上に、名演奏を記す度に、聴衆からの「おひねり」や王からの「褒美」が出たりしますが、中下級ですと、給料ではやっとの生活になります。

(以上前回と共通事項)
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ガザルの構成は、トゥムリより遥かに複雑ですが、極めて規則的なので、分かり易い聴き易いと言えます。

まず、歌詞は二行連句で、同時代に発展したヒンドゥー讃歌キールターンや献身歌バジャンにも影響を与えています。

主題と展開部は、いずれも二行連句が「上の句・下の句」の二つの構成になっており、まとめて「バイト」と呼ばれます。冒頭の「主題のバイト」と「最後のバイト」は、特別にそれぞれ「マトゥラー」「マクター」と呼ばれ、マクターは大概四番か、それ以上の場合でも演奏会や録音では割愛して四番に持って来て終わることが多く見られます。

マクターには、作者の名前を雅号のように入れ込むことが風習で、これもヒンドゥー献身歌バジャンどころか、南インド古典声楽のクリティーにも伝わっています。ガザルではこの雅号は「タハッルス」と呼ばれます。

従って、作詞家の名と詩は紛れも無く正確に継承されているということです。しかし、旋律やラーガ、そしてガザルにも多い臨時音は、花柳界での口承伝承に頼る他なく、変化している部分もあるかも知れません。楽器間奏に関しては、伝承と主題の旋律を基に、録音の度に編曲者が作曲しているようです。
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ヒンドゥスタン・ガザルの最大の特徴が、繰り返され主題に戻る毎に次第に盛り上がることです。

図のガザルの一行目では、最初の間奏「サズ(ペルイシア語で「楽器」の意味)は、同じ中庸のテンポのタブラ伴奏で演奏されますが、はじめの展開部の後に初めて戻った主題では、後半にタブラの「ラギー」に替わります。タブラのラギーは、倍速~四倍速で叩きますが、オリジナルのテンポとノリはキープされています。これが最後に主題に戻る時には、戻った頃からラギーに替わって、歌い手は相変わらず淡々と歌うのに対し、伴奏は非常に熱く盛り上げているのです。この構造は、トゥムリと同じです。(トゥムリでは後半にまとめて行いますが)

図の一行目の後半、主題に戻った途中からタブラだけラギーになるのは、実は歌い手ははじめの連句しか歌わないからです。残る下の句は楽器伴奏だけとなります。
そして、間奏は、展開部の二回目の後の戻り以降、撥弦楽器はピッキングを二倍四倍速で弾き、弓奏楽器は運弓を倍にして盛り上げます。
が、次の展開部の直前で、全員「ストン!」と冒頭と同じテンポ・躍動感に戻すのです。

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この手法には、「歌詞を聴き入ること」と「歌詞を理解すること」というガザルの最も重要な基本があります。
まず、何度も聴いたことがある曲(詩)でも、聴衆のみならず伴奏者、歌い手さえもが「初めて」の気分・気持ちで聴き・歌うのです。
これは、ペルシア語やウルドゥー語の詩「シェール」の即興の会の風習から来ているのかも知れません。日本の和歌や川柳の会のように集った愛好者は、車座になり、一人一人皆で決めたテーマで順にその場で即興詩を詠うのです。

単なる詩会と異なる点は、次々隣に回すことと、いささか勝負・腕比べ的であることです。考えている時間は、「しりとり」に近いほど少ないスリリングなものです。日本でも江戸時代に流行った「連歌」があります。

ガザルもトゥムリも、その場その場で即興的に歌うことが主流であったと考えられ、伴奏者もはじめの主題も各展開部も「その時初めて聴いた」という設定です。
従って、伴奏が盛り上がる・派手に弾くことはあり得ないのです。
ところが主題に戻った際は、話しは変わり、二度目に聴く文言ですから、反応せねばならず、ラギーで盛り上げることで反応を示すのです。

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また昔から私は、このガザルを説明する時に「ペッパー警部型」と言って来ましたが、分かり易かろうと思った例えですが、ぼちぼち数年前から、「ペッパー警部って歌を知らない」という人が増えて来て困っています。あの時代ですと、老若男女同じ曲を引き合いに出しても話しが通じましたが、この二十年、皆に通じる曲がないからです。

「ペッパー警部型」の冒頭の歌詞を要約すれば、「ペッパー警部邪魔をするな!私たちはこれから良いところなのだ!」というものですが、「初めて聴いた設定」では、「ペッパー警部って誰?」「私たちって誰?」「良いところって何?」となる訳です。

同様に、パキスタンの「ガザルの帝王」と呼ばれた歌手の名曲では、「もし、恋愛に哲学というものがあるのなら。教えてやって欲しいものだ女性達に」という主題があります。ペッパー警部同様に、これだけでは全く意味が分かりません。なので、展開部でその「理由、事情」を語り、聴衆もそれを聴こうとする訳です。

従って、展開部の直前では伴奏のラギーを止め、聴き入る態勢に切り替えるのです。

逆に主題に再び戻った際は、それが繰り返される度に、
「おお!なるほどね!おっしゃる(主題の)意味が分かって来ましたぞ!」のリアクションの意味を込めてラギーを展開するのです。

このラギーで聴衆も盛り上がるとともに「分かった気分」も充実します。そして、恐らくこのタイミングが「おひねり」の絶好のタイミングとなるのです。

絵のジャケットのLPは、ミルザガリブの作品を歌った往年のガザル歌手のコンピレイション。
写真はパキスタン・カラチで幸運にもインタヴューが出来た「ガザルの帝王」の一人、グーラム・アリ氏と

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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2018年のニルジャラ・エーカーダシー

2018年は6月23日にニルジャラ・エーカーダシーが祝福されます(日本時間では24日)。

ヴィシュヌ神に捧げられるエーカーダシーは、断食を通じて感覚器官を統制し、自己を清めるための吉日として知られ、この日は完全な断食、もしくは穀物を除いた果物などの食事が行われます。

月の満ち欠けのそれぞれ11日目にあたるこのエーカーダシーは、年間でおよそ24回訪れます。そして、これから迎えようとしているニルジャラ・エーカーダシーは、一年の内でももっとも厳しい断食が行わる時となります。「ニルジャラ」は「水の無い」を意味し、敬虔な人々は水すらも口にしません。ニルジャラ・エーカーダシーにおいて、水すらも飲まずに断食を成し遂げた者は、一年の24回のエーカーダシーを全て達成したことに値するとも伝えられるほどです。

ニルジャラ・エーカーダシーを迎えるジェーシュタ月(5月~6月)は、インドの多くの地域が一番の酷暑期にあたります。この時、水すらも口にしない断食を行うことは大変な苦行を意味し、これを達することにより、肉体だけでなく、精神が深く清められると信じられています。

断食はウパヴァーサと呼ばれ重要な行いとされますが、エーカーダシーの断食を終える時はパーラナと呼ばれ、これも重要視される時です。パーラナは月の満ち欠けの12日目にあたるドヴァーダシーの日の出後といわれます。2018年のエーカーダシーとパーラナは以下の通りです。

・日本時間
エーカーダシー:6月23日午前6時49分〜6月24日午前7時22分
パーラナ:6月25日午前4時31分〜午前7時24分

・インド時間
エーカーダシー:6月23日午前3時19分〜6月24日午前3時52分
パーラナ:6月24日午後1時46分〜午後4時32分

エーカーダシーの断食の実践により、心身の奥深くにまで行き渡る浄化は、より明瞭な意識を授けてくれます。この日、エーカーダシーの断食に挑戦してみるのも良いかもしれません。

参照:2018 Nirjala Ekadashi fasting date for Tokyo, Japan

スタッフ日記:第27回アンナダーナ終了しました!

第27回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。

病院では、7回目の実施となりました。
まだ40度を超える酷暑期が続いている北インドでは、アンナダーナを実施した日、深刻な大気汚染が起きていました。
デリーの大気汚染は空気が停滞する冬がメインとなりますが、今回はラージャスターン州で発生した砂嵐がデリーまで影響を及ぼし、現在でも注意するよう伝えられています。
周囲が見えないほどの靄がかかり、不必要な外出は控えるように伝えられるほどでした。

しかし、生活を止めることはできません。
仕事を行い、病院に行き、厳しい環境の中でも、人々は日常と変わらない日々を過ごしています。
重たい靄がかかる中、アンナダーナも朝から食事作りが始まります。

酷暑期は清潔な水を得ることが難しくなるデリーでは、今回も調理用の水の確保に苦労しました。
どうにか食事を作り終え、病院へと向かいます。
しかし、いつも配る場所へ到着すると、駐車禁止となっており、トラックを止めることができません。
詳しい理由を尋ねることができなかったのですが、どうやら、前々首相がAIIMS病院に入院し、セキュリティの関係で周辺の駐車が広く禁止されていたようでした。

交通警察の方にスタッフが事情を説明すると、言葉の訛りから警察の方がスタッフと同郷だと分かり、特別に駐車と食事の配給を許してくださいました。
広大な地で、さまざまな思想や文化が入り混じるインドでは、同郷の人と出会うと、自然と仲良くなることが多くあります。
こうした人と人との繋がりがとても重要な意味を持ち、絶妙なバランスでインドの社会を動かしています。

いつもと配る場所は異なりますが、おかげで病院の周囲で食事を配り始めることができました。
通常、病院の周囲ではアンナダーナが複数実施されていますが、今回は他に実施をしている人々がいなかったため、配給時に混乱するほどで、15時前には用意をした1000食分以上を配り終えることができました。

食事作りでは、調理用の清潔な水を得られなかったため、写真係が水を集めに動きました(水色の容器)。

配膳の際は、先にお皿を配り、列に並んでもらいます。

暑く、どんよりとした空の下、皆さん静かに並んでくださいます。

十分なスペースがなかったため、立ち食いの状況になってしまいました。

交通警察の方。定期的に実施していることを伝えると、何かあったら連絡してと、連絡先まで教えてくださいました。

インドには、明日の食事を得られるかも分からない人がまだ多くいます。

今まで、酷暑期にこのような大気汚染が起きることは稀でした。
今年は既に突発的な嵐が頻発し、北インドでは多くの人々が命を落としています。
刻々と変化する自然環境に、真剣に向き合わなければならないと感じます。

次の一瞬に何が起きるかわからないインドの日常。
この日にアンナダーナを実施できたことも、とても大きな意味があると思います。
皆様の温かいお気持ちが生きていることに気づかされています。

次回は、寺院でのアンナダーナを予定しています。
次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第3章第22節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


सोपक्रमं निरुपक्रमं च कर्म तत्संयमादपरान्तज्ञानमरिष्टेभ्यो वा॥२२॥
Sopakramaṁ nirupakramaṁ ca karma tatsaṁyamādaparāntajñānamariṣṭebhyo vā||22||
ソーパクラマン ニルパクラマン チャ カルマ タトサンヤマーダパラーンタジュニャーナマリシュテービョー ヴァー
行為には、迅速に結実するものと、緩慢に結実するものがある。そして、それらの行為への綜制により、死期を知ることができる。または、前兆により。

簡単な解説:前節において、綜制を自分自身の肉体に行うことで、見られる側の形態が持つ見られる能力が抑えられ、その身体は誰にも見えなくなると説かれました。本節では、行為には迅速に結実するものと、緩慢に結実するものがあり、それらの行為へ綜制を行うことで、死期を知ることができると説かれます。また、死期はさまざまな前兆によっても知ることができると説かれます。

第24回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第24回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第24回グループ・ホーマは、6月15日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。