秋のナヴァラートリー祭

ナヴァラートリーとは、ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティー女神をお奉りするヒンドゥー教の三大祭典のひとつです。「ナヴァ」はサンスクリット語で9をあらわし、「ラートリー」は夜を意味します。したがって、ナヴァラートリーとは、9日間の夜となります。この祭典は、春と秋の年2回、9日間にわたって行われます。ヒンドゥー教のカレンダーでは、月齢にしたがっているために毎年開催時期が多少前後しますが、2017年は9月21日から9月29日まで行われます。

ナヴァラートリーの9日間は、礼拝する神さまに応じて、3日間ずつに分けられます。はじめの3日間は、わたしたちの心の中に潜む不純物や悪徳、欠点を破壊するため、強力な戦士でもあるドゥルガー女神を礼拝します。次の3日間は、すべての帰依者に尽きることのない富と幸福を授けるといわれるラクシュミー女神を礼拝します。そして、最後の3日間は、創造主ブラフマーの妻であり、学問と芸術、そして叡智を授ける女神であるサラスワティー女神を礼拝します。わたしたちは人生のさまざまな局面で、神々からの祝福を求めて、3つの側面をもつそれぞれの女神さまにお祈りを捧げます。そのために、この祭典には9日間が費やされます。

ナヴァラートリーの期間中、真摯な帰依者の中には、断食をしながら、健康や繁栄を願って祈りを捧げる人々もいます。じぶん自身の日々の生活を見つめ直して、人生の向上につながる新しい習慣をはじめるには、昔からナヴァラートリーはこの上ない吉祥の日であるといわれています。

9月30日に行われるナヴァラートリーの第10日目は、ダシャラー(Dussehra)と呼ばれる吉日です。この日には、ラーヴァナという悪魔をかたどった像が燃やされ、ラーマに主導される善の勢力が、悪に打ち勝った日として盛大に祝われます。

ナヴァラートリーは、自身の内面に潜む不浄な傾向を克服するために、非常に重要な期間とされています。この神聖な期間を活かして、かつてラーマが悪鬼ラーヴァナに勝利したように、わたしたちの内面に潜む悪魔を討ち滅ぼすことができるよう日々を過ごされてみるとよいでしょう。

参照
[1] “Navaratri” from Wikipedia, Free encyclopedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Navratri

スタッフ日記:SEEDS-INDIA支援事業についてのご報告

チャイルド・スポンサーシップ(子どもの教育支援)、フード・サービス・プログラム(食事の配給支援)にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。

チャイルド・スポンサーシップの8月と9月の配給につきまして、ご報告をさせていただきます。8月は、第2週目の土曜日に、通常通り配給が行われました。この後、ケーララ州では一年で一番大きい祝祭であるオーナム祭を9月4日に迎えます。多くの家庭では、祝祭を迎えるために家々を片付けきれいに飾り付けをし、特別な食事や贈り物を準備します。

このため、SEEDS-INDIAでは祝祭の前の土曜日(8月26日)に、祝祭用の物品を含めた9月分の配給を行う予定です。これにより、支援を受ける子どもたちの家族は、足りないものだけを買い足し、祝祭の準備を進めることができます。

8月の配給の様子につきましては、核兵器廃絶に向けた活動を行なっているSEEDS-INDIAの代表が来日し、広島や長崎でスピーチを行なっていたため、代表がインドへ戻り、写真や詳細の確認が取れましたら、改めてご報告をさせていただきたいと思います。

8月10日に長崎で行われたMayors for Peace(平和首長会議)の総会で、インドで集めた10001の署名を広島市長に手渡した時の様子です。SEEDS-INDIAでは、核兵器廃絶の市民意識を国際的な規模で喚起することを目的とした活動も行なっています。

フード・サービスも、毎日変わらずに続いています。今年のケーララ州では、少し足りないくらいのようのですが、程よいモンスーンの雨が降っているようです。まだしばらくは高温多湿の状況が続き、病を煩う人が多くなることから、配給量も増えることが予想されています。

SEEDS-INDIAの代表の来日に際し、私もお会いし、皆様への心よりの感謝をお預かりしています。温かいご支援をいただき、改めまして心より御礼申し上げます。これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

ヴァラーハ・ジャヤンティ

2017年8月24日は、ヴァラーハ・ジャヤンティの吉日です。ヴァラーハ・ジャヤンティは、ヴィシュヌ神の化身であるヴァラーハ神の降誕祭にあたります。

ヴァラーハ神は猪の姿をしたヴィシュヌ神の第3の化身です。悪魔によって沈められた大地を救うために、猪となって大地を持ちあげたと伝えられ、地上を救う犠牲の精神に満ち溢れた神として崇められています。真理を追究する者は、凄まじい勢いで真っ直ぐに突き進む猪のように、あらゆる犠牲を恐れることなく進むべきであることを象徴しているといわれます。

『あらゆる犠牲を楽しむ至高の方は、大地の繁栄を願い猪の姿としての化身を受け入れました。彼はそして、冥土に沈む大地を持ち上げました。』(Srimad Bhagavatam 1.3.7)

『究極の力を持つ至高神が、気晴らしとして猪の姿をとったとき、地球の生命はまさにガルボーダカと呼ばれる宇宙の大海に沈んでいました。大地を沈めた悪魔ヒラニヤークシャが現れたとき、神はその牙で悪魔を突き刺しました。』(Srimad Bhagavatam 2.7.1)

『子が伏しているとき、母は溢れる愛のために、身を投げ出して子を救います。それと同じように、大地が暗黒に伏しているとき、神は猪の姿をとって、キラキラ輝く瞳をもって飛び込み、大地を救うのです。』(Sri Pillan’s Tiruvaymoli 7.5.5)

大地を救うため、至高神はスヴァヤムブヴァの時代では、ブラフマーの鼻の穴から現れ、チャクシュサの時代では、水中から現れました。最上の牙をもつ獣であるヴァラーハ(猪)は、悪魔ヒラニヤークシャを倒し、大地を救うために出現しました。ヴァラーハ(猪)は、時には森に棲む野生動物であり、時には家畜として養われます。そして、時には雨雲のように黒い姿であり、時には月のように白い姿です。スムルティ・シャーストラでは、ヴェーダ的犠牲の象徴であるヴァラーハ神の偉大な姿を、このような2種の姿として記述しています。マイトレーヤ・ムニは、異なる時間になされたヴァラーハの神行を、あたかも同時に行われたかのように記述しました(Srila Rupa Gosvami’s Laghu-bhagavatamrta 1.3.10-12, 17)。

(「シュリー・ヴァラーハ・シュローカ」より )

スタッフ日記:第15回アンナダーナ終了しました!

第15回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。今回は病院にて、滞りなく無事に終えることができました。

病院では、3回目の実施となりました。当日は朝から雨。雨が降ると少し気温が下がりますが、それでも湿気が多く、まだ体にこたえる天候が続いています。調理では熱したギーを使用するため、屋根の下でいつもより慎重に行いました。病院の近くでは、食事を配る場所に屋根がないため、どうにか止んでくれるようにと願っていると、配る間の2〜3時間ほどはぴったりと雨が止みました。

今回も、私たちが実施した時間帯には、周囲で3つのアンナダーナが行われていました。言葉も食文化も異なる遠く離れた地域から、家族の付き添いのために病院を訪れ、かさむ治療費に日々の食事すら得られない人々も多くいます。さまざまな思想や慣習が根づく広大な地で、増え続ける人口を支える社会保障制度の実施は容易ではありません。そんな時、助けになるのは人々の温かい気持ちや繋がりです。古代から受け継がれてきたこうした豊かさが、現代社会にもしっかりと生きるインドには、学ぶことが多くあります。

朝の7時頃、調理の準備が始まります。準備が始まった際には降っていませんでしたが、この後、大雨となりました。

出来た食事はトラックに積み、病院の近くへ運びます。そのまま、トラックの荷台で食事を配ります。

周囲で別のアンナダーナが行われているにも関わらず、列が途絶えることはありません。

順番を待ち、ただただ静かに列に並んでくださいます。

2〜3時間ほどで、用意をした1000食分以上の食事を配り終えることができました。

他を思うことで得られる心の豊かさは、決して廃れることなく、自分自身だけでなく周囲へと大きく広がっていきます。周囲に目を向け、常に全体と繋がり、自分自身と社会の幸せを願いたいと思います。

次回は、寺院でのアンナダーナを予定しています。次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第2章第31節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


जातिदेशकालसमयानवच्छिन्नाः सार्वभौमा महाव्रतम्॥३१॥
Jātideśakālasamayānavacchinnāḥ sārvabhaumā mahāvratam||31||
ジャーティデーシャカーラサマヤーナヴァッチンナーハ サールヴァバウマー マハーヴラタム
身分、地域、時間、状況の制限がなく、普遍的である時、偉大な誓戒となる。

簡単な解説:前節において、ヨーガの8つの部門の最初にあたる禁戒とは、不殺生、正直、不盗、純潔、非所有であると説かれました。本節では、その禁戒について、身分、地域、時間、状況に制限されず、どのような場合においても守られる時、道徳を超えた解脱の要因としての意味を持つ、偉大な誓戒となると説かれます。

シャクティの愛

ヒンドゥー教において、私たちを育む力は、偉大な母を意味する神聖な女性のエネルギーとして崇められます。シャクティと呼ばれるその力は、宇宙全体を動かす根源の力であり、女性の肉体と生殖能力をとってあらわれる一方、男性の内にも潜在的に見えない形で存在しています。シャクティは成長を司るだけでなく、あらゆる変化の源です。それは、スヴァータントラヤとして独立した存在であり、自らの意思に従って世界全体を動かします。

ヒンドゥー教の宗派の1つであるシャクティ派において、シャクティは最高の存在として崇められます。また、ヴィシュヌ派ではヴィシュヌ神の力をあらわし、シヴァ派ではシヴァ神の力をあらわす重要な存在であり、プルシャとプラクリティの関係で崇められます。古代の賢者であるリシ達は、女性原理をシャクティとし、女神として崇めてきました。

シャクティは、有力な男神の配偶神であり、母神として崇められるマートリカーとしても活躍します。マートリカーは、7人(サプタ・マートリカー)や8人(アシュタ・マートリカー)で伝えられる場合があります。「Hindu Goddesses」の著者であるDavid R. Kinsleyは、シャクティについて、神々の王であるインドラ神の妻、シャチー女神に基づいたエネルギーであるといいます。シャチー女神はインドラーニー女神として知られるマートリカーの1人です。

シャクティとして崇められる女神は、南インドのタミル・ナードゥ州やケーララ州、アーンドラ・プラデーシュ州において、広くアンマとして親しみを持って崇められています。南インドの村には、シャクティの化身に捧げる寺院が多く存在します。シャクティは村の守り神であり、悪人を懲らしめ、病気を治し、村に幸せをもたらす存在であり、村人たちは1年に1度、盛大に女神たちを崇める祝祭を執り行います。

インド亜大陸には、シャクティ・ピータと呼ばれる51のシャクティ崇拝の聖地があります。シャクティ・ピータは、シヴァ神が焼身をはかった最愛の妻サティーの身体を抱え、悲しみのあまり破壊の踊りを踊った際、ヴィシュヌ神がその破壊の踊りを止めようと、武器であるスダルシャナ・チャクラでサティーの身体をバラバラにし、そのサティーの身体の一部一部が落ちた場所として知られています。インド、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、チベット、パキスタンにもわたるシャクティ・ピータの多くは、高名な聖地として崇められるようになりました。アマルナート、ジワーラー、マニカルニカー、カーマーキャー、ナイナー・デーヴィーなどがあります。

あらゆる創造に内在する偉大な力である原初のシャクティは、アーディ・シャクティとして、ヒンドゥー教では古代から崇められてきました。ヒンドゥー教に限らず、インドでは母なる存在を深く崇める伝統が受け継がれています。シャクティへの祈りのマントラや賛歌の中でも、ビージャ・マントラ(種子真言)である「MA」は、シャクティを呼び覚まし崇める重要なマントラです。そのマントラを唱える時、偉大なシャクティと繋がり、母なる女神からの恩寵を授かることができるでしょう。

私たちは、常に母なるシャクティの慈愛の力に包まれています。困難に直面したとき、慈愛の源泉であるシャクティに祈りを捧げてみましょう。愛しい我が子たちを救うために、きっと温かい手を差し伸べてくれるに違いありません。

(SitaRama)

意識を内側に向ける

神とつながるために、意識を内側に向けるという作業はとても重要ですし、事実そうおっしゃっている聖賢は多いと思います。
しかしながら、現代は外側からの多様な刺激に溢れ、意識を内側に向けるのは容易ではありません。
意識を内側に向けるために、本来であれば瞑想をするのがもっとも重要ですが、ハタヨーガの訓練を通じて意識を体に向ける習慣をつけ、そこから瞑想を実践するのもたいへんよいことです。

人間は本来、赤ちゃんの時は内側に意識が向いています。
社会生活に適応するために意識を外に向ける訓練が、結果として成長の過程で為されます。
瞑想をするということは、外に向いた意識を再び内側に向ける訓練と言っていいのかもしれません。
しかし、この訓練で得た内側への意識の向け方は、赤ん坊の時とは違い、制御され静寂と至福に満ちたものになるでしょう。

インド占星術的に見て、ホロスコープ上で、10番目の部屋に関係する星の時期や、ラーフという星が関係する時期、場合によっては金星が関係する時など複数のタイミングで、特に強く意識が外に向きがちになることがあります。
一概にそれが悪いわけではありませんが、神とつながりたい方は、留意して意識を内側に向ける訓練をするべきでしょう。
私たちの大部分は、残念ながら聖賢になれないかも知れませんが、神とつながり聖賢に近づくことはできるはずです。
毎日少しの時間でもいいので、瞑想の習慣をつけたいものですね。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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ガネーシャの導き

人は何か強く願望を抱くとき、そのエネルギーは願いの実現に向けた道標としてさまざまにあらわれます。その道標に気づくためには、不断の努力が欠かせません。そんな私たちの人生の歩みに、道標としてふとあらわれる存在の一人がガネーシャ神です。いよいよ近づいてきたガネーシャ降誕祭を前に、インドに伝わるある有名な神話を通じて、ガネーシャ神に近づきたいと思います。

インドで崇められる聖なる7つの川の一つに、南インドを流れるカーヴェーリー川があります。このカーヴェーリー川の誕生には、ガネーシャ神と聖者アガスティアにまつわる神話があります。

アガスティアは、干ばつに苦しんでいた南の大地に水をもたらそうと、長きに渡り努めていました。そして、シヴァ神から聖水の入った壺を授かると、南の適切な場所でその聖水を流すよう伝えられます。アガスティアは、その適切な場所を見つけるために歩み続けるも見つからず、疲れ果てていました。

休息を必要としていたアガスティアのもとへ、小さな男の子が姿をあらわします。疲れ果てていたアガスティアは、大切な聖水の入った壺を男の子に預けると、少しの間だけ休息をとりました。しかし、休息から戻ると壺は地面の上に置かれ、壺の上には一匹の鳥が留まっています。壺が倒れ大切な聖水がこぼれては大変だと、アガスティアは鳥を追い払おうとしました。すると壺が倒れ、そこに聖水がこぼれると大河となり、干ばつに苦しんでいた南の地に豊かな水の流れを生み出したと伝えられます。

疲れ果てていたアガスティアの前にあらわれ、壺を預かった小さな男の子こそ、ガネーシャ神でした。ガネーシャ神は、そこが適切な場所であることを知らせるために、アガスティアの前にあらわれたのでした。

人生を歩む道では、時に疲れ果て、休息が必要になることもあります。しかし、強い願望がある時、道は必ず開けます。その道にあらわれる道標に気づき、学びを深め成長していくことで、アガスティアのように心から望む目的を達成することができるに違いありません。

自分自身の歩みが進んでいく時、そこにはきっと、ガネーシャ神の力が働いていることと思います。どんなにゆっくりであろうと、自分自身が歩めることに感謝をし、道標を見失わないよう、あらゆる出来事を受け入れながら日々を生きることを努めたいと感じます。

2017年のガネーシャ降誕祭は、8月25日です。皆様にもガネーシャ神の大きな祝福がありますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

参照:http://www.speakingtree.in/allslides/beautiful-stories-of-lord-ganesha/35798

98、音楽とパトロン

「パトロン」などと言うと、「援交(援助交際)」という語句が流布される遥か以前から、異性交遊関連の語句のイメージで捕らえる人が少なくありませんでした。それは世界的規模で、第二次世界大戦以前と以後で大きくその意味合いが変化したからに他なりません。 つまり、より正確な意味合いでの「パトロン」は、戦前の「アンシャン・レジューム(旧体制)」の崩壊と共に消失した、言わば「滅んだ概念」ということなのです。

私がすべき仕事ではないのに、黙って見ていても誰もしないので、やむなく説かねばならないことが少なくありませんが。ここで、「パトロン」「スポンサー」「援交(援助交際)」の語句の意味合いを再確認せねばなりません。

簡潔に言えば、「パトロン」は「見返り」の要素が「在っても50%である」と言うことが出来、「スポンサー」は、ほぼ100%でありますが対象者を選びます。「援交」に至っては、その「見返り(目的)」が不埒・不道徳であるばかりでなく、対象者を選ばない(ほぼ誰でも良い)ということが本質、と定義することが可能です。

なので、この三種が、「似たり寄ったり」に解釈されたり、「誤用」されることなど、本来あってはならないことなのです。

尤も、バブル経済期に、世界中から「儲け過ぎだ」と批判された日本経済界と大企業が、こぞって「企業メセナ」を実施しましたが、穿った見方で悪く云えば「売名行為的な宣伝行為」とも言えなくもないかも知れません。何故ならば、その後不景気になれば、簡単に中断してしまうからです。

一方、江戸時代、明治時代迄の「パトロン」は、急に羽振りが悪くなろうとも、密かに慎ましい食事に切り替えて迄も、支援者を支援し続けたという話しは幾つもあります。

勿論、総体的に言えば、「パトロン」も「企業メセナ」も、「見返り」は充分にある訳です。それは「アカラサマな売名行為・宣伝行為」や「余った資金の好評価を得る使い道」から、「人知れず密かに支援する」迄様々であり、言わばグラデーションであり、それらの「何処からがイヤラシい売名・偽善行為」であり、「何処迄が、純粋な社会貢献・文化芸術支援」であるか?は、誰も線引きは出来ない筈です。

「人知れず密かに支援する」といった、明らかに「売名行為ではないだろう」というものでも、その人自身がそれで精神的な満足が得られ、それが或る種の自己実現である以上、「見返り/メリット」が無いとは言えません。

ヴェーダ時代に「古代インド科学音楽」を探究したバラモン僧たちもまた。研究に専念出来るだけの「お布施」を得ていたのでしょう。中世イスラム宮廷音楽、及びヒンドゥー藩王国宮廷音楽もまた、王(シャーやマハラジャ)、太守(ナワーブ)、及び、その下の貴族の「お抱え楽士」となることで、「芸を究める」「伝統を守る」ことに専念出来たのです。

これは、西洋クラッシックのバッハ、モーツァルトからベートーヴェンなどと全く変わりませんし、アラブ、トルコ、北アフリカも同様であり、マレーシア、インドネシア、タイ、ウイグル、ウズベク、そして、アフリカ各地も同様です。

即ち前述で、「パトロン」「スポンサー」「援交」に於ける「見返りの有無と対象者の限定の違い」というのは、厳密に言えば「遠からずとも当たらず」とも言えます。

ところが、「パトロンに於ける自己満足的な見返り」と、「スポンサーや援交の見返り」に、はっきりとした大きな「線引き」を着けることも一方で可能かも知れません。

それは「大衆迎合性の有無」です。

「スポンサー」は、支援対象の社会的な活躍や売れること。つまり「多くの人々に歓迎されること」がなくては、出資の意味を失います。明らかに最も「大衆迎合性が強い」関わり方であると言えます。「援交」に直接的な「大衆迎合性」を見ることは出来ませんが、それが性欲を満たすだけであり、対象者の人格や信念・理念を選ばないのであるならば、極めて俗的であるという意味では「大衆性以下」である訳ですから、言わば「論外」とも言えます。

ところが、「(戦前の本来の意味の)パトロン」の場合は、出資者が「売れるか売れないかは分からない(どうでも良い)」「だが、俺はこの仕事(創作者の創作や研究者の探究)には価値(その国の文化などに於ける価値や人間的・人類滴な価値など)があり、それを支援することには深い意味があると信じるのだ」というような信念があった訳です。結果論として、極めて「非大衆的」であり、極めて「非商業的」だった訳です。

結果として、晩年や死後に、その創作が社会~世界から高く評価された創作者(研究者)はおびただしく存在します。勿論、もしかしたら人間社会、及び自然界や地球にとってより価値の高いものが、遂に「パトロン」を得られないまま、道半ばで潰えたものも無数にあることでしょう。

現実、今日私達が聴くことが出来る「インド古典音楽」もまた、「非商業的なパトロンの支援」と、その後の「メインストリームに於ける成功」によって「生き残ったものだけである」ということも出来る訳です。

最後までご高読下さりありがとうございます。

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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第10回グループ・ホーマ(8月15日)無事終了のお知らせ

第10回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

クリシュナ降誕祭に実施の第10回グループ・ホーマは、8月15日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

※第10回グループ・ホーマ(8月15日)は、クリシュナ降誕祭の祝祭の混雑により、建物内での実施ができませんでしたため、寺院の敷地にて実施されています。以下、昨年の祝祭の様子になりますが、ご参考になりましたら幸いに存じます。

スタッフ日記:クリシュナ降誕祭の様子