トゥラシー・ヴィヴァーハ 2018

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インドでは7月のグル・プールニマー(師を讃える満月祭)前より、聖なる4カ月間であるチャトゥル・マースが続いています。この間はヴィシュヌ神が眠りにつく時とされ、そして、霊性を高める神聖な時であると言われます。この4カ月間には、クリシュナ降誕祭、ガネーシャ降誕祭、ナヴァラートリ祭、ダシャラー祭、そして先日のディーワーリー祭と、神々を讃える神聖な時が続き、その象徴を見つめながら、自分自身と向き合う瞬間が多くあります。

そしてこのチャトゥル・マースの終わりが、2018年は11月19日のエーカーダシーにあたり、ヴィシュヌ神が目覚める時です。11月20日から23日の満月にかけては、ヴィシュヌ神と女神トゥラシーの結婚を祝福するトゥラシー・ヴィヴァーハの祝福が執り行われます。トゥラシー・ヴァヴァーハについてはさまざまな説がありますが、一説に以下のように伝えられています。

悪神ジャランダーラは、ヴィシュヌ神を心から崇拝する女神ヴリンダーと結婚をしました。ヴリンダーが純潔である限り不滅であるという力を得た悪神ジャランダーラは尊大となり、この世を恐怖に陥れます。
ヴィシュヌ神はこの世を救うため、悪神ジャランダーラになりすまし、ヴリンダーを誘惑します。ヴリンダーが純潔を失ったため、ジャランダーラは戦いによって命を落とし、ヴリンダーはひどく悲しみました。
ヴリンダーはヴィシュヌ神を咎め、ヴィシュヌ神の姿をシャーラグラーマ(アンモナイトの化石とも言われる神聖な黒石)と変え、自ら命を断ちます。しかし、ヴィシュヌ神はヴリンダーの魂を純潔の象徴である聖木トゥラシーとし、各家庭で崇拝される姿を彼女に与えます。そしてヴィシュヌ神はヴリンダーと結婚をする約束をしました。

トゥラシー・ヴィヴァーハは、ヴィシュヌ神とトゥラシーのこの神聖な関係を称えるものであり、ヴィシュヌ神そのものであるとされるシャーラグラーマと、トゥラシーへの礼拝が広く執り行われます。トゥラシーはラクシュミー女神の化身としても崇拝され、時にヴィシュヌ神、もしくはクリシュナ神の妻としても描かれる存在です。

聖木としてのトゥラシーはすっきりとして非常に芳しい香りを放ち、浄化の作用があるとして、インドの家庭の庭先には必ず植えられています。純潔を象徴するトゥラシーは、様々な儀式においても、その葉を捧げることが欠かせません。ヴィシュヌ派の人々にとって、トゥラシーの数珠もまた非常に重要な意味を持つものです。

また、ヴィシュヌ神が眠りにつくチャトゥル・マースの4ヶ月間においては、結婚の儀式は勧められず、インドではこの間、結婚式が執り行われることはありません。しかしこのトゥラシー・ヴィヴァーハを境に結婚シーズンが始まり、各地で盛大な結婚の祝祭が続く時となります。

日々の一瞬一瞬に深い意味が存在するインドの暦、その内にある神々の象徴にそって生きる日々は、全体世界との深い繋がりと共に、大きな平安を授けてくれるものです。皆さまの一日一日もまた、幸せに満ちた大切なものとなりますよう心よりお祈り申し上げております。

(文章:ひるま)

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Tulsi_Vivah

ヨーガ・スートラ第3章第43節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


बहिरकल्पिता वृत्तिर्महाविदेहा ततः प्रकाशावरणक्षयः॥४३॥
Bahirakalpitā vṛttirmahāvidehā tataḥ prakāśāvaraṇakṣayaḥ||43||
バヒラカルピター ヴリッティルマハーヴィデーハー タタハ プラカーシャーヴァラナクシャヤハ
想像上でなく、肉体の外で心の働きがなされている時は、大脱身と呼ばれ、それにより、光明の覆いが消滅する。

簡単な解説:前節において、身体と虚空の結びつきへ綜制を行うことにより、そして、非常に軽く空中に浮かぶ綿に心を集中させることにより、虚空を歩くことができると説かれました。本節では、想像上でなく、心の働きを肉体から解放し、肉体の外で心の働きがなされている時は、大脱身と呼ばれ、それにより、煩悩や業などの心の光明を覆う障害が消滅すると説かれます。

158、アーユルヴェーダ音楽療法入門20(そもそも精神世界とは?-その7-)

日本に於ける精神世界文化の始まり-前編-
1、様々なサブカルチャーが一気に噴出した1970年

私は、中学二年の時にインド弦楽器シタールを始め、中学卒業と共にプロダクションに入りプロになったので、1970年代初頭の様子は、どっぷり当事者として実体験しています。
時は、日本の草分けの方々の時代。まだ純粋な中高生だった私は、ずいぶんと可愛がられ、様々な機会でシタール演奏をさせて貰いました。

しかし、日本語に訳されたヨガ(所謂Body-Yoga)の本は当時一冊しかなく、瞑想センターも東京西荻窪と京都、大阪にひとつずつある程度でした。
それでも、西荻のセンターには何度か呼ばれ、大阪にも一回呼ばれました。「チベット死者の書」の確か日本語の最初の訳者先生の講演会でも十数回演奏しました。しかし、いずれも、聴衆全員がステージの私に向かって瞑想している。高校生の私には「どうしたものか」と思っていたのも正直なところです。

1972年頃になると、街にはジョージ・ハリスンがサポートした「ハレ・クリシュナ教団」が繰り出し、遭遇すれば一時間は追っかけていました。当時の「両面太鼓:Khole(Kirtan-Mridang)」は未だ素焼製でした。私はその太鼓の独学の腕を試し、さらに成長させるために彼らの仲間に入って太鼓担当になろうと思ったのですが、布教にのみ熱心な姿には、やはり取り付く島を見出せませんでした。

所謂「団塊の世代」の先輩音楽家の中には60年代にシタールを弾いていた人も居ますが、インド音楽ではありませんでした。私が独学の最中に少しレッスンを受けた先生は、芸大卒の方で、瞑想やヨガとは距離を持たれ。半年か一年先輩の兄弟子は、決して人前では弾こうとはしませんでした。1970年代初頭、インド音楽としてシタールを弾く者は、東京では、私を含めこの三人(大阪に一人)しか居なかったのです。
結果として、ライブハウスやヨガの集いで弾くのは私だけだったので、インド文化・瞑想・ヨガ関係者の間に次第に知れ渡り、1970年代初頭の日本の「精神世界の最先端」で、イベントのBGMを一手に引き受けていたのです。
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2018年の今、振り返って見て1968年から1972年の四年間は、世界的に大改革・維新の時代だったと思います。もちろん、その後ほどなく訪れた1980年代の「大崩壊の時代の始まり」も後々人類史に語られるでしょうが、後者は、「大切なものが次々と削げ落ちる時代の始まりを象徴する」のに対し、70年代は「始まりを象徴した時代」だったと痛感します。

もちろん世界は、シヴァ神の摂理に反せず「崩壊と新設(終焉と誕生)」を活性的に繰り返していますから、60年代末~70年代初頭に終わったものも多い。とりわけ学園紛争の終焉は、小学三年生で「三里塚大集会」「晴海20万集会」にも自分の意思で参加した私にとっては他人事ではなく、ショックは大きかった。(何処かで予期してもいましたが)
その時期は、「戦後の終わり」も象徴していました。世間は大阪万博に浮かれ、高度成長期の真っ只中でした。

1971年に民族音楽探求を始めた私は当時中学二年の終わり頃。「民族音楽は生涯の学び。生活はどうする?そうだ!ロック・ミュージシャンになろう!」と幼稚な計画を立てます。
(挫折回り道は多けれど、基本的な道はとうとう変更せず生涯を送るのですが)
その矢先に「ハード・ロックの誕生」を見届けます。

同じこの時期に、所謂「ビートルズ・エイジ(団塊の世代)/日本型ヒッピー(フーテン)/学園紛争の挫折者(※)」の残党は、「バック・パッカー」となって世界に旅立って行きました。

(※)「挫折者」と言うと駄目っぽいですが、多くの若者が賢く掌を返したように社会適合者に変貌し「ちゃっかり就職」したのに対し、切り替えが出来なかった真っ正直な人々です。私には、強い影響を受けたそんな先輩が多くいます。

「日本型ヒッピー」は、欧米のそれとはかなり性質と時期が異なりました。欧米では60年代前半に「ドラッグ・ノンアルコール・瞑想・BP旅行・インド・サイケデリック・大ロックフェス」がほぼセットになっていたのに対し、日本ではドラッグの蔓延は次世代・次々世代の方が中心で、アルコールは特に嫌われず、瞑想もインドへの憧れも全体には広がらず、旅行も60年代後半からであり、音楽は学園紛争前からのカレッジ・フォークを引き摺りながら、吉田卓郎、高田渡さんたちにハマっている人が主流でした。ロックフェスは、音楽産業が画策した商業主義的なものが主体となり、かなり後に隆盛します。
70年代後半になると、私の世代(狭間世代)がインド旅行にハマります。この世代は、幼児幼少の頃に「飢え」さえ体験せず、「学校給食」でむしろ腹一杯食べられた世代です。その中でも、突然ドロップアウトしてインドに行ってしまう人は、むしろ良家のエリート少年少女が多かった。

日本では欧米の「セット感覚」などは全く定着せず、人それぞれで、「セットメニューの部分」を、より好んでひとつふたつ選択するような形でした。

そのような、日本に於ける「60年代末~70年代初頭」の「サブ・カルチャーの誕生」は、実際のところ「形骸的」「仏作って魂入れず」だったと言わざるを得ないのです。

逆に言えば、私の座右の銘である、ガンディーの言葉通りの人生を選択したとも言えます。

「貴方がその闘いを(どんなに苦難であろうとも)続けなければならないのは、
貴方が世界を変える為ではありません。
貴方が世界に変えられない為なのです」Mhaatma Gandhi
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学園紛争の終焉を目の当たりにし、ちゃっかり授業に戻って卒業し、企業に就職した大半の仲間を尻目に、元祖フリーターになりつつ、インドに旅をする。そんな彼らは、後に言う「負け組み」であることをむしろ自認していた感さえあります。その選択こそが「自分に正直」ということだったのでしょう。

しかし、そこには将来のヴィジョンはほとんど感じられない。高校生の私がシタールとタブラで参加した(後に有名推理小説家になる)ロック・バンドのメンバーも皆、「音楽で世の中を変える」などとはとうに思っていなかった。唯一社会に名が知れた小説家も、私が出会った当時は美大生だったので、後に美術、音楽とは全く違うジャンルで社会に認められた訳です。

2、日本に於ける「精神世界カルチャー」の曙
1978年に吉祥寺南口駅前に、日本初の民族音楽ライブスポットを開店(1999年まで20年続けました)してからは、当時の日本の精神世界の出版物のほとんどを店の一角で販売していました。
後に事件を起こす教団の書籍も営業に来ましたが、何故かそこだけは直感が抵抗してお断りしました。
その他の「めるくまーる舎(当時の呼称)」「バグワン・シュリ・ラジニーシ」「ヴェーダーンタ文庫」などの書籍などは全巻揃えていました。都心にもう一軒専門書店がある程度の時代、それなりの役割を果たしていた筈です。

日本で「精神世界」という言葉が言われ始めたのは、私がインド音楽から民族音楽探訪の人生を始めた1970年代初頭から暫らく経った1970年代後半。
一説には1977年に平河出版が雑誌「メディテイション」を発刊し、翌年にはあの紀伊国屋書店で「インド・ネパール精神世界の本・ブックフェアー」が開催されたのが発端と言われます。
1970年代には、前述の「めるくまーる舎」「ヴェーダーンタ文庫」が数々の書籍を発刊しており、70年代前半は「より多くの人々に知って欲しい」という思いはあれど「売らんかな」の勢いはなかったと記憶します。それが70年代後半から一気に「ひそかなブーム」「サブカルっぽい流行」的に煽る者もあれば、ちょっと高尚な「先を行く、非凡な感性を自認・自尊する」ような雰囲気も漂い始めていました。

私が日本初の「民族音楽ライブスポット」を都下吉祥寺に開店し(99年初頭迄20年続けました)てからの三年(1978~80年)、これも日本初の試み「ヴェジタリアン・ソサエティー」を立ち上げ、会員募集とともに「協賛店」を都内に数百店目指してチラシを作り数十の駅前商店街を回ったのですが、会員も協賛店も全く得られませんでした。これもまた、日本に於けるインド文化、精神世界文化に「セット感覚が欠如していた」ことの表れなのでしょう。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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パンカジャ・ムドラー

インドの国花として、人々に広く愛される蓮の花。
泥沼から汚れのない花を咲かせるその美しさは、純粋さや神聖さの象徴です。
そんな蓮の花を象徴する、パンカジャ・ムドラーと呼ばれるムドラーがあります。
「パンカジャ」は、泥沼に生じたものを意味し、パドマやカマラのように、蓮の花の呼称です。

パンカジャ・ムドラーでは、両手で蓮の花のような形を作ります。
まず、両手の平を合わせた後、両手の親指と小指を合わせたまま、残りの3本の指はそれぞれ大きく広げます。
まるで蓮の花が大きく開花するようなその手の形を、アナーハタ・チャクラがある胸のあたりで組むのがパンカジャ・ムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指には、それぞれ5元素の象徴があります。
パンカジャ・ムドラーで合わせる親指と小指は、それぞれ、火と水を象徴します。

古来より、儀式では炎が焚かれるように、火は環境を浄化し、悪霊を祓い、罪を浄める力があるとされてきました。
また、沐浴が重要視されるように、水は物理的な汚れを洗い流すだけでなく、穢れを清めるものとして神聖視されています。

その火と水を象徴する親指と小指をしっかりと合わせるこのムドラーでは、私たちの心身において、浄化のエネルギーが高まります。
そうして清められる心身は、苦難が満ち、時に泥沼のように見える人生においても、蓮の花のような美しさを保つための力を与えてくれるはずです。

このムドラーを組むアナーハタ・チャクラは、「心の座」ともいわれるように、愛情や感情が満ちる場所です。
しかし、私たちは時に、複雑な感情にのみ込まれ、ネガティブなエネルギーに包まれることも少なくありません。
このムドラーの実践を通じては、そんな複雑な感情から自分自身が解放されていく感覚を抱くことが幾度となくありました。
そうして生まれる清らかな平安は、より大きな世界を愛することを学ばせてくれるものです。

ムドラーは、自分自身の内なる世界からその周囲まで、取り巻くエネルギーを向上させる術でもあります。
日々の一瞬一瞬において、自分自身の動作や姿勢に意識的になることで、より美しい日々を自ら築き上げることができるに違いありません。

(文章:ひるま)

スタッフ日記:ケーララ豪雨災害の支援状況について

ケーララ豪雨緊急災害支援募金にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。
過去100年間で最悪の被害が報告された豪雨災害から、およそ2ヶ月が過ぎました。
これまでに実施してきた支援の状況を、ご報告させていただきます。

10月は、セカンドモンスーンの時期とも言われ、落ち着いていたモンスーンの雨が再び強まることがあります。
何度か警戒が出されることがあり、大雨が降ることもありましたが、11月に入り、気候は少しずつ落ち着いてきました。
一年中常夏の気温が続くケーララ州でも、これからの時期は雨も少なくなり、気温も少し下がります。

皆様の温かいご支援のおかげで、支援活動は着々と進んでいます。
当初、支援の最初のステップとして計画していた生活必需品の支援は、配給を通じまだ続いていますが、支援を通じて生活の再建に奮闘する人々の姿が見られます。
貧しい人々の多くは、この豪雨災害によって、必死の思いで築き上げてきたものをすべて失いました。
長期的な支援を行う必要がありますが、人々にとって、皆様のご支援はとても大きな支えとなっています。

また、次のステップとして計画していた住居などの清掃や補修も進み、街や村はだいぶきれいになりました。
生活環境は衛生的になり、それだけで、日々の生活には安心が生まれます。
しかし、まだ雨の多い時期が続いていたため、本格的な住居の補修やトイレの建設には至っていません。
また、支援の手が届いていない地域もあるため、必要とする人々へ引き続き支援を行なっています。

最後のステップとして計画していたマイクロビジネスの支援も、他の支援と並行して少しずつ進めています。
NGOでは女性たちが社会で自立できるよう、洋裁訓練などを行なっていますが、豪雨災害によってミシンを失った女性たちに、ミシンを2台寄付することができました。
ミシンは足踏みミシンになりますが、1台およそ15000円〜20000円です。
今後も必要とする女性には、支援をできるように計画をしています。
また、気候にあわせながら、以前のように卵やミルクや野菜を売って収入を得られるように、今後は鶏小屋や家禽などの支援を進められるよう計画しています。

豪雨災害から2ヶ月が過ぎた今、人々や環境は落ち着きを取り戻しつつあります。
現在はケーララ州でも日が暮れるのが少し早くなりましたが、キリスト教徒が多いケーララ州では、宗教を超えてクリスマスが盛大に祝福されます。
これからの時期は喜びに満ちる時期でもあり、人々が少しでも、日々の生活に光を見出せるように、今後も支援を継続していきたいと思います。

皆様の温かいご支援に、心より御礼申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

チャタ・プージャー2018

boat sailors at sunrise sunset in ganga river at allahabad indian asia

今年は11月7日に祝福されるディーワーリー祭。このディーワーリー祭の後、インドの一部地域や慣習において、太陽神への祈りであるチャタ・プージャーが4日間に渡って執り行われます。2018年は11月11日から14日に祝福されますが、主たるプージャーは11月13日です。この祝祭は、チャット・パルヴァ、ダーラー・チャタ、スーリヤ・シャシュティーなどとも呼ばれます。

太陽神に捧げられるこのチャタ・プージャーにおいて、人々は聖なる河において沐浴をして身を清め、断食や太陽神へのプージャーを熱心に執り行います。水すらも摂らない36時間の断食を行う慣習もあると伝えられます。この間に捧げられる太陽神への祈りと断食は、さまざまな病を回復し、健康をもたらすと伝えられます。

こうして食物からのエネルギー摂取を中断することは、私たちに、太陽からの純粋なエネルギーを、直接心身に取り込む機会を与えると信じられています。古い時代、多くの聖仙たちが食物を摂らず、太陽からのエネルギーを受けることで生存していたといわれ、それは、このチャタ・プージャーによるものであったとも伝えられます。

さまざまなエネルギーを受ける私たちの心と体にとって、生命を育む太陽からのエネルギーの影響は計り知れないものです。日照時間が短くなり、太陽の温かさを欲するこれからの季節、このチャタ・プージャーを行うことで、そのエネルギーをより高く享受できるのかもしれません。

チャタ・プージャーにはさまざまな神話が伝えられますが、一説には、ラーマ神が魔王ラーヴァナを倒し、シーター女神と共に王国アヨーディヤへと凱旋した後、王国で断食と共に太陽神への祈り行っていたことに由来があると伝えられます。

人々は、古くから自然の恵みである太陽への祈りを行ってきました。現代でも、不食と太陽がもたらすさまざまな恩恵が、多く話題にされています。自然の恵みに感謝をすると共に、古代から受け継がれてきたこうした行いを、今見つめ直してみるのも良いかもれしません。

(文章:ひるま)

参照:http://www.chhath.org/

第34回グループ・ホーマ(ダンテーラス)無事終了のお知らせ

第34回グループ・ホーマ(ダンテーラス)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

クベーラ神とラクシュミー女神を礼拝する第34回グループ・ホーマは、11月5日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第34回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。

ヴィシュッダ・チャクラを活性化するシヴァ・マントラ

人生は霊的進化のための希有なチャンスであることは、インドの聖者たちが経験的に明かしました。彼らは、霊的観点から人生を総体的に捉えました。そうして彼らは、より高次の意識へとつながる、肉体の精神エネルギーの中心となるチャクラを発見しました。チャクラの調和は、健康と充実した人生をもたらします。

第5のチャクラであるヴィシュッダ・チャクラは、喉に位置します。それは、エーテル(アーカーシャ、虚空)原理の中心であり、聞く力、話す力、創造力などがそれに結びついています。また月の領域として知られます。月は一点の穢れもなく、「偉大な解脱への入り口」を示します。集中力をもってこのチャクラと交流する人は、永遠なる心の平安を謳歌する偉大な聖者となります。このような人の言葉や思考は、霊的エネルギーの原動力となるでしょう。

喉のチャクラが不調和かつ不健康であるならば、他者とのコミュニケーションに大きな障壁となり、また甲状腺、喉、耳に関する障害の原因ともなります。喉のチャクラのバランスが保たれるとき、その人は創造性とひらめきの頂点に達します。

エーテル原理の中心であり、喉のチャクラであるヴィシュッダ・チャクラに対応する神格が、5つの顔を持つパンチャヴァクトラ・シヴァ神です。パンチャヴァクトラ・シヴァ神は、5つの方向や5つの要素など、あらゆる面に働きかける力を持ちます。そして、ヴィシュッダ・チャクラに作用するのがシヴァ・ガーヤトリー・マントラです。

あらゆる物質の根源として存在する、地・水・火・風・空の5つの要素は、宇宙を生み出すと共に、私たちの体の中にも同様に存在します。私たちの体が小宇宙であり、世界にあるものはすべて私たちの体の中にも存在しているといわれます。脊椎を一つの山に見立て、その山の中腹である喉の上方に月が、下腹部に太陽があり、そして、月からはいつも不死の甘露が生み出され、私たちに生命をもたらしているのだと考えられてきました。空の要素を持つヴィシュッダ・チャクラの力によって、その生命の露が穢れのないエネルギーとなり、全身へと行き渡ってゆきます。

チャクラに対応した神々の波動のリズムに乗り、調和と成功に満ちた生活を生み出しましょう。

ヨーガ・スートラ第3章第42節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


कायाकाशयोः सम्बन्धसंयमाल्लघुतूलसमापत्तेश्चाकाशगमनम्॥४२॥
Kāyākāśayoḥ sambandhasaṁyamāllaghutūlasamāpatteścākāśagamanam||42||
カーヤーカーシャヨーホ サムバンダサンヤマーッラグトゥーラサマーパッテーシュチャーカーシャガマナム
身体と虚空の結びつきへの綜制により、そして、軽い綿に合一することにより、虚空を歩くことができる。

簡単な解説:前節において、耳と、音が伝わり耳でその音を聞く媒体である虚空との結びつきへ綜制を行うことにより、神霊の声など、どんな声でも聞くことができる天耳通を獲得すると説かれました。本節では、身体と虚空の結びつきへ綜制を行うことにより、そして、非常に軽く空中に浮かぶ綿に心を集中させることにより、虚空を歩くことができると説かれます。

ヤントラの恩恵に関しての徒然

ヤントラを手に入れ、安置した時に、どのくらいの期間で効果が出始めるかは、皆さまとても気になるところだと思います。
一般的には礼拝を始めて45日くらいで効き始める、という話を聞きます。
これは、確かにその通りでしょう。しかしその方の霊性と関係が深いものですので、ヤントラに表される神様とのご縁に満ちていればすぐにでも効き始めるでしょう。
何年も経ってから効くヤントラももちろん存在しますが、時が満ちて効き始めたヤントラの効果は絶大です。
ある日突然ヤントラが輝き始めることが本当にあるのです。
ところで、ヤントラは大きさと効果には関連がありますので、大きなものがお勧めですが、小さいからと言って効果がないわけではないので、ご自身の状況に合わせたものがいいと思います。

ひとつ不思議なお話を披露させていただきます。
個人的な体験ですが、ある日突然ヤントラの表面に、ナイフで傷つけたような筋が入ってしまったことがあります。
(ヤントラを覆う額のガラスではなく、ヤントラ本体に筋が入りました。)
金属に筋が入るなんて信じられず、驚愕しましたが、北インドと南インドのそれぞれ別の専門家に意見を聞いたところ、お二人とも「これは、ネガティブなエネルギーをあなたの身代わりになって守ってくれた。」という回答でした。
その後アドヴァイスを受け入れ、ヤントラはインドで処分しました。
こんなことに遭遇される方はほとんどおられないとは思いますが、もしこのようなことになった場合は、ヤントラに感謝しお焚き上げしてもらうなどして処分し、新たなヤントラを用意し、新たにご縁を繋げることをお勧め致します。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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