アートマンジャリ・ムドラー

平成が終わりに近づき、新しい時代が始まろうとしています。
新元号である令和は、英語で「Beautiful Harmony(美しい調和)」として紹介されました。
これから迎えようとしている新しい時代、美しい調和のために、私たち一人ひとりができることとは何でしょうか。

霊的叡知の宝庫であるインドの教えには、美しい調和を生み出すための術があふれています。
その一つに、瞑想中に実践されるアートマンジャリ・ムドラーと呼ばれるムドラーがあります。
両手を合わせるこのムドラーは、ナマステーの挨拶で手を合わせる、アンジャリ・ムドラーとも同一視されるムドラーです。

アートマンジャリ・ムドラーでは、両手を合わせ、手の平に少しくぼみを作り、空間を生み出します。
このつぼみのような手の形を、アナーハタ・チャクラがある胸のあたりで組むのがアートマンジャリ・ムドラーです。
祈りのムドラーとしても知られ、瞑想中に実践されることが多くあります。

右手と左手は、それぞれ左脳と右脳に繋がる身体の部位として伝えられます。
論理的で現実的な左脳、そして、直感的で空想的な右脳。
それぞれ異なる働きをする左右の脳の均衡が図られる時、私たちの心身は調和し、優れた能力を発揮することができると伝えられてきました。

右手と左手は、相反するものの象徴であり、それは、清浄と不浄、陰と陽、男性と女性、または自分と他者、さらには梵と我とも考えられます。
愛が満ちる場所として知られるアナーハタ・チャクラでその相反するものを合わせる時、とても大きな安らぎを感じる瞬間があります。
そこには、何よりも美しい調和が生まれるからに違いありません。

アートマンジャリのアートマンは「自己」、アンンジャリは「敬意」や「祝福」などの意味があります。
そして、ムドラーは自分自身の内なる世界から、その周囲まで、取り巻くエネルギーを改善し向上させる術として伝えられてきました。
このムドラーの実践を通じて、私たちは自分自身の神聖さを育みながら、その内に美しい調和を生み出すことができるはずです。
そうして一人ひとりの内に調和が満ちる時、世界は何よりも美しい調和に包まれるに違いありません。

新しい時代が幸せに満ちた時となるよう、古来から受け継がれるこうした霊的叡智の実践を意識的に取り入れたいと感じます。
皆様にも美しい調和がありますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

アクシャヤ・トリティヤのプージャー時間(2019年)

2019年は5月7日にアクシャヤ・トリティヤの大吉日を迎えます。

アクシャヤ・トリティヤのティティは、2019年5月7日午前6時47分〜5月8日午前5時47分(東京時間)となります。このアクシャヤ・トリティヤは、惑星のあらゆる悪影響を受けない時とされ、ムフールタに関係なく、吉祥な時間に満ちていると伝えられます。中でも、以下の時間帯は、プージャーに適した時間であるとされています。

・2019年5月7日午前6時48分〜午前11時38分(東京時間)

金などの価値ある品物を買うために適した時間帯は、以下の通りになります。

・2019年5月7日午前6時48分〜5月8日午前5時47分(東京時間)

皆様にとって大きな祝福に満ちた時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

※ヒンドゥー教の暦には、48分単位で刻まれるムフールタと呼ばれる時間の概念があり、このムフールタによれば、1日の中にも吉兆な時間とそうでない時間があり、特定の行為に対して適切な時刻が定められています(ムフールタについて)。

参照:2019 Akshaya Tritiya Date for Tokyo, Japan

罪を破壊する最高神であるヴェーンカテーシュヴァラを讃える千の御名

神の言語であるサンスクリット語による祈りは、精神的・肉体的な問題を癒すヒーリング・サウンドとして作用し、人々の願望や、魂の欲求を満たすことができると信じられています。その一つに、罪を破壊する最高神であるヴェーンカテーシュヴァラを讃える千の御名(ヴェーンカテーシュヴァラ・サハスラナーマ)があります。

ヴェーンカテーシュヴァラという名前は、サンスクリット語の複数のパーツに分かれています。Ven(罪)、kata(破壊者)、ishwara(最高神)。この語源から、ヴェーンカテーシュヴァラは、罪を破壊する最高神とされます。ヴィシュヌは信者への愛から、カリユガの時代における人類の救済と幸福のためにヴェーンカテーシュヴァラへと化身し、姿を現したとされ、この時代のヴィシュヌの最高の形であると考えられています。

ヴェーンカテーシュヴァラは、バラジ、ヴェーンカタチャラパティ、ゴーヴィンダなど、幅広い名前で知られています。シュリー女神(ラクシュミー女神の別名)は、ヴェーンカテーシュヴァラの胸に鎮座しているため、シュリーニヴァーサ(シュリーが宿る者)とも呼ばれています。

ヴェーンカテーシュヴァラには、ある興味深い神話が伝わります。

天で幸せに暮らしていたヴィシュヌ神とラクシュミー女神。ある出来事がきっかけで、怒ったラクシュミー女神が地上に降りてきてしまいます。ヴィシュヌ神はラクシュミー女神を追いかけ地上に舞い降ると、ティルマラの丘で瞑想を始めました。その後、ヴィシュヌ神はヴェーンカテーシュヴァラの姿となり、やがてラクシュミー女神の化身であるパドマーヴァティー女神に出会います。

ヴェーンカテーシュヴァラは、パドマーヴァティー女神と結婚をしようと求婚するも、その結婚には莫大な費用が必要でした。すると、ヴェーンカテーシュヴァラは財宝の神であるクベーラ神に頼み、その費用を借りることにします。しかし、費用は莫大で、ヴェーンカテーシュヴァラは今でも、クベーラ神にその借金を返し続けているのだといわれます。

その借金がどのように返済されるのかといえば、人々から捧げられるお布施です。ヴェーンカテーシュヴァラは、人々からありがたくお布施を受け取ると、代わりにその願いをなんでも叶えてくれるのだといわれます。

祈りや信仰が廃れるといわれるこの時代、ヴェーンカテーシュヴァラの御名を聞くことで、罪は清められ、願いを叶えるための第一歩を踏み出すことができるでしょう。

ヨーガ・スートラ第4章第10節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तासामनादित्वं चाशिषो नित्यत्वात्॥१०॥
Tāsāmanāditvaṁ cāśiṣo nityatvāt||10||
ターサーマナーディトヴァン チャーシショー ニティヤトヴァート
それらが無始であるのは、生への愛着が永遠にあるからである。

簡単な解説:前節において、心の潜在的傾向は、誕生の種類、場所、時間が異なっても、その間に連続性があると説かれ、それは、記憶と潜在印象の間に同一性があるためであると説かれました。本節では、その心の潜在的傾向に始まりがないのは、生きることへの愛着が絶えることなく永遠に存在しているからであると説かれます。

バイラヴァをお勧めした2つの例

日本とインドでは文化の違いが大きいため、インド現地で行うのと同じ占星術的な処方では、対応できない場合もあり得ます。
そのため、インド占星術的に、合う神様がいても、それをお勧めするのが難しい状況もありえます。
その場合は、他の神格や方法を工夫しておすすめすることもあります。

今回はバイラヴァ神の礼拝をお勧めしたケースを2つご紹介いたします。
ある方は、長年ヨーガの修行を積まれた方なのですが、ご自宅の下の階が居酒屋、というなかなか修行には相応しくない環境のお住いです。実際に夜になると下の居酒屋の雰囲気が上の階まで上がってくるそうです。
色々検討した結果、バイラヴァの礼拝をお勧めしました。バイラヴァはヨーガ修行者には向いている神様でもありますし、 飲酒にも比較的寛容性のある神様です(極端なケースではありますが、インドにはバイラヴァ像にアルコールを飲ませる礼拝をする寺院もあります)。

もう一つのケースは、朝は忙しくて礼拝する時間が取れず、夜は毎晩飲酒して帰ってくるため、神様の礼拝ができない、とおっしゃる方です。
同じようにバイラヴァの礼拝をお勧めしました。占星術的にバイラヴァの礼拝に比較的向いているのと、上記のように飲酒に対し比較的寛容性が感じられる神様のためです。
ただ、そうは言っても、酔った状態での礼拝は良くありません。
帰宅した後、入浴等を済ませ身綺麗にしお酒が抜けた後、就寝直前に礼拝するようにお勧めしました。
夜の礼拝が勧められることが多いバイラヴァには、時間帯も合っているかもしれません。

以上二例は、もしかしたらベストの処方とは言えないかもしれません。
敬虔なインド人のヒンドゥー教徒でしたら、眉をひそめるかもしれません。
しかし、インドとは文化が全く違う日本で神様の礼拝を行うとしたら、ベターな方法であることに間違いないと思います。
幸い2つのケースとも、抱えていた問題の軽減など、よい結果に結びついています。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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衆生の叫びを聞く仏陀の耳

インドの地で深い苦悩を経験し、悟りを開いた仏陀。
心の平安がにじみ出るその静謐な表情からは、苦悩を経て得るものの究極の美しさをうかがい知ることができます。
そんな仏陀の姿には、私たちが幸せに生きるための教えが多く秘められています。
その一つが、仏陀の大きな耳かもしれません。

釈迦族の王子として、ネパールの南部に位置するルンビニで生まれたと伝えられる仏陀。
その地では、富の印として、さまざまな貴金属を耳飾りとして身につけていたといわれます。
王子であった仏陀も、多くの貴金属を耳飾りとして身につけていたのかもしれません。
肩にまで届きそうな大きく伸びた耳が、優雅な生活を放棄し、悟りの道を歩む仏陀の姿を際立たせます。

仏陀は、その大きな耳で、衆生の叫びを聞くといわれます。
生きとし生けるものの叫びに耳を傾け、その苦しみを救おうとする仏陀は、私たちに慈悲を説きました。
仏陀が説いたその慈悲は、一切の生命に幸福を与えるとともに、一切の生命の苦しみを取り除くことを意味します。

仏陀の大きな耳は、世界の苦しみに耳を傾け、その苦しみを救おうとする、慈悲そのものです。
その慈しみ憐れむ心は、私たち自身も、他者を思うことで実践することができます。
何よりもその行為は、自分自身への執着心が生み出す煩悩を滅し、心に平安を生み出す術としても伝えられてきました。

他者の幸福を望む心。そして、他者の苦しみを救う心。
他者だけでなく、自分自身の苦しみをも取り除くその慈悲を実践する時、私たちの心は深い平安に包まれていきます。
そうして一人ひとりの心が平安に満ちる時、この世界は大きな幸せに包まれるに違いありません。

人生は苦であると、仏陀は説きました。
自分自身が苦悩を持つように、誰もが、その内に苦悩を抱えています。
その理解の中で、仏陀のようにあらゆる人々の苦しみに耳を傾ける時、私たちは悟りの境地に達した者になれるはずです。
仏陀の姿を見つめ、他者を思うことの大切さに常に気づきながら、世界の平安を築く者でありたいと感じます。

(文章:ひるま)

ブッダ・プールニマー(ウエサク祭)2019

2019年5月19日の満月は、ブッダ・プールニマーです(18日に祝福される地域もあります)。ブッダ・プールニマーは、仏陀降誕の日として世界中で祝われている盛大なお祭りです。

以下に、Wikipediaよりブッダ・プールニマー(ヴェーサーカ)の記事をご紹介します[1]。

ヴェーサーカ(パーリ語;サンスクリット語ではヴァイシャーカ)は、ネパール、シンガポール、ベトナム、タイ、カンボジア、スリランカ、ミャンマー、バングラデシュ、インドネシア、インドなどの南アジア、東南アジアの仏教徒による伝統的な年間行事です。
通常は、仏陀の降誕日とされていますが、実際には仏陀の降誕日、悟りの日(ニルヴァーナ)、成仏を包括する日とされています。
ヴェーサーカの正確な日にちは、各国に伝統的な太陰暦によって変化します。テーラワーダ(上座部仏教)の国々では、満月のウポーサタ日(仏教徒の安息日;不浄な心を清める日)に行われます。中国のヴェーサーカ日は、中国の太陰暦における第4月の8日目に行われます。西洋のグレゴリオ暦では、年によって異なりますが、毎年4月か5月に行われます。

●歴史
ヴェーサーカを仏陀の降誕会とする決議は、1950年にスリランカで行われた第一回世界仏教徒連盟(WFB)の会議で採択されましたが、仏教国における当時の祭典は、各国の古い伝統に基づいて行われていました。
ヴェーサーカにおいては、世界中の仏教徒は、仏陀の誕生日、悟りの日、成仏日を含む重要な行事として祝します。インドから仏教が伝来して、多くの外国文化に同化したように、ヴェーサーカは世界各国において独自の方法で祝されています。

●ヴェーサーカの祭典
ヴェーサーカにおいては、敬虔な仏教徒や信奉者たちは、祝典のために夜明け前に各地の寺院に集合し、仏旗を掲げ、仏・法・僧の三宝を讃える讃歌を歌います。帰依者たちは、師の御御足に捧げるための花、ろうそくや線香を持参します。これらの象徴的な捧げ物は、美しい花はすぐに萎れ、ろうそくや線香はすぐに燃え尽きるように、人生は儚く短いことを意味しています。帰依者たちは、あらゆるものの殺傷を避けるために、特別な努力を行い、この日は精進料理(ベジタリアン・フード)を摂ることが勧められています。特にスリランカなどのいくつかの国では、ヴェーサーカを祝するための2日間は、酒屋や食肉処理施設は、閉店するように政府の法令によって定められています。また、意に反して捕らわれていたおびただしい数の鳥、昆虫、動物が自由の象徴として放たれます。敬虔な仏教徒の中には、簡素な白装束をまとい、八正道に対する新たな決意を胸に、一日中寺院で過ごす人もいます。
敬虔な仏教徒は、教えに基づく五戒を遵守する誓約をし、高潔な日々を過ごしていますが、特に新月と満月の特別な日には、道徳、簡素、謙虚を実践するために八正道を遵守します。
またある寺院では、小さな幼児の仏陀像を祭壇の前にまつり、花で飾りつけられた小さなたらいに水を張り、帰依者が像に水をそそぐことができるようにしています。これは、悪い業(カルマ)を洗い清め、神々や精霊の祝福のもと、仏陀の降誕を再現する象徴的な行為になります。
帰依者たちは、僧侶による説法を聴きます。この日は、国や国民の繁栄と平和を願い、僧侶たちは仏陀によって語られた詩句を詠唱します。仏教徒たちは、仏陀が説いたように、他人を信頼し、他人の信条を尊敬し、調和を持って生活することを思い起こされます。

●他の人々に幸せを運ぶ
ヴェーサーカの祝日は、高齢者、障がい者、病人のような人々に幸せを運ぶ特別な努力をする日を意味します。この日には、仏教徒は贈り物を贈ったり、奉仕活動をしたりします。ヴェーサーカは、大きな幸せや喜びの時であり、自分の欲望を満たすのではなく、寺院での奉仕活動や、仏陀の教えを世間に示すために専念する時でもあります。また、敬虔な仏教徒たちは、仏陀を礼拝するために寺院に足を運んだ信奉者たちに、軽食や精進料理(ベジタリアン・フード)を提供する腕を競い合います。

ブッダ・プールニマー(ヴェーサーカ)は、日本ではウエサク祭(または花祭り、降誕会など)として親しまれています。京都の鞍馬寺では、5月18日にウエサク祭の行事が行われます。興味ある人は、足を運んで、仏陀の教えを学び、瞑想する良い機会にするとよいでしょう。

[1]Ves?kha, http://en.wikipedia.org/wiki/Vesak

175、アーユルヴェーダ音楽療法入門36(Pittaと精神構造-その1-)

「Khapa・Pitta・Vata」の「三っつの生命要素:Tri-Dosha」が、何故か、マイナスイメージを多く強調されていることの原因については、今までにも何度かご説明して来ました。
しかし、前回(Vol.173)でご説明しました「Kapha」や、この後ご説明します「Vata」と比べると、「Pitha」の持つ力は、確かに弊害に繋がり易く、その様子もより分かり易いかも知れません。
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しかし、そこには現代人の深刻な「偏り」が根本的な問題として横たわります。それ故に「生命力と活性化に欠かせない力」である「Pitta」を十分にコントロール出来ない、という事態を招くのです。
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ところが、この問題は、実は紀元前数千年前に始まっています。それは、宗教の歴史が見せる「人間と神」の関係性に明らかに現れています。
このことをお話しするだけで、書籍一冊になってしまいますが、かなり無茶に端的に言えば、それは「和神と荒神のテーマ」に象徴的に現れています。
本来、洋の東西を問わず、神には、「和・優しさ・恵み」と「荒・厳しさ・攻撃・破壊・奪い」の両面がありました。
無心論者的な人々は、「河は恵みの水を与えてくれるが、しばしば氾濫し全てを無にしてしまう」「太陽は、草木・作物を育て人間を暖めてくれるが、しばしば度が過ぎ旱魃で生き物の命を奪う」。などなどの「自然の摂理とその両極性」を古代人が「神」としたのだろう、的な理解をします。
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しかし、無心論者の意見が正しいならば、人間は、神に祈り始めてから数万年であろう歴史の中で「祈ったところでどうせ無駄。自然の摂理には逆らえない」ととっくの数万年前に悟ったはずです。
無論、そう反論したところで、「ただただ、人間は、それが分かっていても祈らざるを得ないのだ」「そして、何かの偶然で、あたかも『聞き入れられた?』かのようなことがあると、再び数千年祈ることを続けてしまうのさ」と返されるかも知れません。
ところが、
科学やテクノロジーが如何に進歩しようとも、人間は、「自分の脳機能・思考回路・心の有様」についてさえも、全く良く分かっていない。(このことこそは、シーターラーマさんのご好意?先見の妙?で続けさせて頂いている、このコラムの最重要テーマですが)
近代医学でも、脳機能・脳科学についてや、臓器間・細胞間伝達機能、腸内環境については、この数年で急速に進歩し、日々「定説」が塗り替えられている有様です。
さすれば、
あと100年もすれば(今の様子で人類と地球が100年保つ?とも思いますが…………..)、「個々の人間の病気」は愚か、それが「集団化する時の何らかの力や波動」ひいては「思考・精神性と念の関係」「それらの集合体と自然・気象・地球・宇宙との関係性」も次々に説かれる時代に至るかも知れません。
そうなれば、
「人間が何故、神に祈り続けたのか?」のみならず。「そもそも神とは何だったのか?」も。物凄い勢いで(科学的に)説かれることでしょう。
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しかし、
前述したように、紀元前数千年前に、人間は、「神の存在」を、自分たちに都合の良いものに変革し始めました。或る意味、極めて不思議なもので、その弊害は、数千年経った現代になって、いよいよ「後戻り出来ない(不可逆的な深刻な事態)」に至りましたが、そうなる迄、数千年もの間、人間は、「地球上のあらゆる生き物の覇者」として、その利己の限りを尽くし続けることが出来たのです。
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洋の東西の「寓話」「昔話」「童話」で、「恐ろしい存在」を「酩酊させて無力にする」話があります。魔物や怪物から、大悪党、狂人に至るまで、ひいては、ひとつの家族の中の「頑固で厳しい親父」に至るまで、酒や眠り薬などで、酩酊させたうちに、まんまと計画を遂行するという話です。
東アジアや南アジアでは、龍、大蛇。西アジア~西洋では、龍・ドラゴンという強大な存在が描かれる一方、鬼を「言葉巧みに騙す:長靴を履いた猫」から、「鬼に呑まれて内側から攻撃する:一寸法師」に至る寓話も、その基本には、「荒神を和神に変革させる願望(欲望?)」がある訳です。

ここで、重要なポイントは、「強敵=目の前の脅威=目の上のたんこぶ」を「弱体化させる」という願望・願い・欲望を、人間は、数千年~(恐らく数万年)もの間「(心正しい善良な)弱者が(間違った考えの)強者を挫く」という「美しい物語」に摩り替えて、問題の本質を誤魔化して来たことです。
何も、ここで、「善悪観念」について述べるつもりは毛頭ありません。大事な話は、「相手が弱体化する」という方向性には「自らも弱体化する」という、極めて大きなリスクが、「落とし穴」としてあることを、人間は数千年もの間、考えないようにして来た、というテーマです。

「長靴を履いた猫」で言うならば、鬼を騙して鼠に変身させ「喰ってしまってめでたしめでたし」ですが、「一寸法師理論」で言うならば、「喰われた鼠が猫の中で暴れ、形成が逆転する」筈なのですが、人間は、これらを全て都合良いように解釈し続けて来た、ということです。
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これらの「或る種の真理=人間が美化しただけで事実は必ずしもその通りではない」ということは、既に現実のものとなっています。
例えば、1928年に(科学製剤としては)世界で始めて抗生剤が発明され、1944年には、スプレプトマイシンが発明されました。私の母は、後者が普及しきらないギリギリの時代に、当時主流の治療法で、片肺を潰して人生の大半を障害者として過ごしました。しかし、それから半世紀も経たないうちに「耐性菌」が現れ、「院内感染(※)」によって、細菌の逆転が顕著になりました。抗ウィルス製剤に関しては、新薬が出ては弊害が報告され、この数ヶ月の間には、耐性ウィルス迄報告され始めました。また、人間本来の免疫機能が暴走するアレルギーの問題も年々深刻になる一方。そして、自らの細胞が癌化する。老化に伴う「コピー精度の劣化」では、最早説明できなくなっている。にも拘わらず、大勢は、相変わらず「発癌性物質」や「ストレスの問題」という犯人探しばかり。

(※)以前もお話しましたが、私の母は、皮肉にもその「院内感染」で死線を彷徨いました。結果「奇跡の快復~退院」を果たしましたが、「何が効奏したのか?」は、未だお医者さんも分かっていない。私は懸命の「音楽療法」と「ヤントラ療法」を試みましたが、もちろん医学的にも科学的にも証明は出来ません。

(Pittaと精神構造ーその2-につづく)

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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福岡市南区の対面Lessonと、全国のSkypeによるLessonの無料体験
毎月、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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論理力育成Mail-Lesson
心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。

貴方の論理力を簡単にチェックする
「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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ヨーガ・スートラ第4章第9節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


जातिदेशकालव्यवहितानामप्यानन्तर्यं स्मृतिसंस्कारयोरेकरूपत्वात्॥९॥
Jātideśakālavyavahitānāmapyānantaryaṁ smṛtisaṁskārayorekarūpatvāt||9||
ジャーティデーシャカーラヴィヤヴァヒターナーマピヤーナンタリヤム スムリティサンスカーラヨーレーカルーパトヴァート
誕生の種類、場所、時間が異なっても、連続性がある。記憶と潜在印象は、同一性を持つためである。

簡単な解説:前節において、人間になれば人間に相応しい習性があらわれるように、行為の結果(業報)に適合する心の潜在的傾向だけが、特定の生において発現すると説かれました。本節では、それらの心の潜在的傾向は、誕生の種類、場所、時間が異なっても、その間に連続性があると説かれ、それは、記憶と潜在印象の間に同一性があるためであると説かれます。

第45回グループ・ホーマ(ラーマ・ナヴァミ)無事終了のお知らせ

第45回グループ・ホーマ(ラーマ・ナヴァミ)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

ラーマ神を礼拝する、第45回グループ・ホーマは、4月14日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第45回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。