スタッフ日記:チャイルド・スポンサーシップのご報告(2017年4月)

チャイルド・スポンサーシップ(子どもの教育支援)にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。4月の配給時の様子が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

SEEDS-INDIAのあるケララ州では、4月14日に新年であるヴィシュが祝福されました。現在は夏休み中で、お休みや祝祭があったりすると、農作業のお手伝いに行ったり、家族や親類とのお付き合い等で自宅を離れる子もおり、配給時に来られない場合もあります。写真を見ると、少し少ないような気もしますが、来られない場合は、都合の良い時に施設まで取りに来ます。

今年のヴィシュはグッドフライデーに重なり、盛大な祝福だったかもしれません。SEEDS-INDIAの関係者は、デフチャーチ(耳の不自由な方たちが集まる教会)でグッドフライデーをお祝いしたようです。デフチャーチはSEEDS-INDIAが長年支援する教会で、お説教も手話で行われます。絵葉書を描く耳の不自由な女性たちも多く所属しています。

4月〜6月は、一年中でもっとも暑くなる時を迎え、インドの学校の多くは夏休みとなります。子どもたちも夏休みを満喫中で、祝祭のお祝いをする準備の様子です。

子どもたちがいるのはダリット村です。支援をする子どもたちの多くはダリット出身で、2〜3つの村の子どもたちの支援を行なっています。ダリット村の多くは低い地にあるため、雨季や豪雨において冠水することも多くあります。病気が蔓延し、病院配給食も倍の食事を用意することがあります。

ケララの雨季は6月頃に始まります。今はまだ乾燥していて、外で遊ぶ子どもたちも楽しそうです。お休みの間、いろいろな経験をして、いい思い出をたくさん作って欲しいと思います。

(スタッフ:ひるま)

ガンガー・サプタミー2017

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2017年5月2日はガンガー・サプタミーです。

ガンガー・サプタミーは、一部の慣習でガンジス河の生誕日として崇められる日にあたり、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から7日目と信じられています。

ガンジス河の生誕日は、このガンガー・サプタミーや、またガンガー・ダシャラーなどさまざまな日が存在します。

一般的に広く知られているガンジス河の生誕日「ガンガー・ダシャラー」は、天を流れていたガンガーが地上に降りる際、その強すぎる勢いが地上を洗い流してしまわぬように、シヴァ神がその流れを髪で受け止め、地上へと注いだ日として広く崇められています。

「ガンガー・サプタミー」には別の言い伝えがあります。シヴァ神に受け止められていたガンガーがシヴァ神より放たれた後、その勢いで、ある聖者のアシュラムを流してしまいます。聖者は怒り、ガンガーの水を全て飲み干してしまいました。神々がガンガーを解き放つよう懇願すると、聖者はガンガーを解放しました。こうしてまたガンガーが流れるようになったと言われ、この日がガンガー・サプタミーとして崇められています。

参照:http://www.drikpanchang.com/festivals/ganga-saptami/ganga-saptami-date-time.html?year=2017

スタッフ日記:第9回アンナダーナ終了しました!

第9回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。今回は初めて病院での実施となりましたが、無事に終えることができました。

ここのところデリーは4月とは思えない45度近い気温が続き、当日も42度。朝から大汗をかきながら準備が始まりました。実施した病院のAIIMSは政府系の医療機関で、とても大きな病院です。インド中からたくさんの人々が訪れますが、貧しい人も多くいます。デリーに頼れる親類等がいればいいですが、そうでない場合は、付き添いで来た家族たちは道端等に寝る場合も少なくありません。

医療費や旅費などがかかる上、物価が高いデリー。こうした食事は、本当に大きな助けになります。ここはAIIMSの他にも大きな病院があり、毎日たくさんのアンナダーナが行われていますが、私たちが実施した時間帯だけでも、周りで3つのアンナダーナが行われていました。それでもたくさんの人が整然と並んでくださり、2時間半ほどで1000食分以上を、混乱もなく、静かに配り終えることができました。

朝の準備。病院では調理ができないため、いつも通りに寺院の近くで準備し、この後、トラックで運びます。

配り始めたのは12時半過ぎ。少しずつ人が集まり始めます。

そして5分後には大行列。

日陰がなく、こう暑くては、並んでいる皆さんも具合が悪くなってしまうのではと、この後、少し木陰があるところへ移動。

少し木陰のあるところへ。

初めて病院での実施となりましたが、とても胸がいっぱいになりました。寺院の実施では、子どもたちのはしゃぎ回る姿があったりしてほっこりする瞬間がありますが、今回は思った以上に淡々と進んだからかもしれません。病を患っている方はもちろん、支える周りの家族の方々の、とても苦しい思いが伝わります。貧しい人々にとっては尚更。皆様の温かいお気持ちがいっぱいの食事を通じて、少しでも、心が休まることを願ってなりません。

インドは生活が厳しく感じることもありますが、こうした施しがあちこちで実施されています。 ダーナ(布施)は非常に重要視される行いであり、こうした霊的叡智が支える社会には学ぶことばかりです。

次回は、いつもの寺院での実施を予定しています。またご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第2章第15節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


परिणामतापसंस्कारदुःखैर्गुणवृत्तिविरोधाच्च दुःखमेव सर्वं विवेकिनः॥१५॥
Pariṇāmatāpasaṁskāraduḥkhairguṇavṛttivirodhācca duḥkhameva sarvaṁ vivekinaḥ||15||
パリナーマターパサンスカーラドゥフカイルグナヴリッティヴィローダーッチャ ドゥフカメーヴァ サルヴァン ヴィヴェーキナハ
変化、苦痛、潜在印象は苦しみであり、また、グナの働きが互いに相反するため、識別力のある人にとって、すべては苦である。

簡単な解説:前節において、業報(出生、寿命、経験)は、その原因となる業が有徳であるか、または不徳であるかによって、喜び、あるいは苦しみをもたらすと説かれました。本節では、物事の変化、現実の悩み、潜在意識に残った印象、それに、三つのグナの働きが加わり、最後にすべては苦をもたらすことから、それを識別する人にとって、一切は苦であると説かれます。

シルディーの聖者サイババ

インドの霊的指導者であるシルディー・サイババ(1838年頃~1918年10月15日没)は、国や宗教を越え、世界中の人々から神の化身として崇められる存在です。サイババは、ヒンドゥーの修行僧を意味するヨーギー、また、イスラームの修行僧を意味するファキールとも呼ばれ、現代においてもヒンドゥー教徒やイスラーム教徒たちから広く崇められています。ヒンディー語で「ドワールカーマイ」と名付けられたモスクに住み、そこでヒンドゥー教とイスラーム教の儀式を行い、両宗教の言葉や様式を用いながら教えを説いたサイババは、彼の人生をもって、争いが絶えなかったヒンドゥー教とイスラーム教の融和を図りました。

自己の本質への気づきを説き続けたサイババは、厳しい霊性修行の道を助ける導師(サットグル、またはムルシド)の重要性を説いています。それは、サイババ自身が日々の行動の中で示しました。数々の奇跡を起こしながら、道徳的な規範を説き、愛すること、助けること、受け入れること、満ち足りることを実践するとともに、神と導師への献身の重要性をその教えの中心で説き続けています。サイババの有名な言葉に「サブ・カー・マリク・エーク」があります。「神はあらゆるところに浸透している」を意味するこの言葉は、宗教や信仰を超え、現代でも人々を結びつけています。

サイババの出生は不明な点が多く、謎に包まれています。一説に、サイババはインド西部に位置するマハーラーシュトラ州パルバニーのパートリーという村で生まれたと伝えられます。その後、シルディーの村に到着し、ニームの木の下で瞑想を始めたのは、16歳の頃であったといわれます。この時、この少年がどこから来て、なぜそこに座っているのか、その理由は知れず、この少年の名前を知る者すらいませんでした。しかし、そこでサイババは人々の不治の病を癒すなど、数々の奇跡を行います。その後、忽然と姿を消したサイババが再びシルディーに戻った時、僧侶のムハーラサーパティが彼を聖者として迎え入れ、「ヤー・サイ!(ようこそ、サイ!)」と挨拶をしました。こうして、彼はサイと呼ばれるようになったといわれます。

「サイ(サーイー)」は、ペルシア語で「聖者」意味します。また、ウルドゥー語では、「巨匠」や「領主」を称えて呼ぶ言葉であり、それは、ペルシア語のSayeから派生した「影」を意味し、比喩的に「支え」や「保護」を意味するともいわれます。サンスクリット語の「サークシャート・イーシュヴァラ(神の現れ)」という言葉を意味しているという説もあります。「ババ(バーバー)」という言葉は、インドや中東において「父」や「老人」を称えて呼ぶ言葉です。つまり、「サイババ(サーイー・バーバー)」とは、「聖なる父」を意味します。

宗教を超えて相互愛を説いたサイババは、まさに聖なる父であり、その教えは、多くの聖者たちの思想に影響を与えました。シルディーにあるカンドーバー寺院の僧侶ムハーラサーパティやウパーサニー・マハーラージなど、サイババの弟子たちは、後に聖者として崇められるようになっています。

「あなたのことはすべて知っている。
わたしはあなたとともに生きているからだ。
わたしはあなたであり、すべてはわたしなのだ」
(シルディー・サイババ)

シルディー・サイババは、肉体を脱ぎ去った現在でも生き続け、彼を拠り所とするすべての帰依者の悲哀を取り除き、喜びと幸せを授けること、そして、寄る辺のない人々に救いの手を差し伸べ、彼らを教え導き、あらゆる面における繁栄と成功を与えることを約束しています。

(SitaRama)

カンドーバ神の寺院

前回のインドツアーでは、カンドーバ神のお寺にも参拝しました。
日本ではほとんど名前を知られていない神様ですが、シヴァ神(バイラヴァ)の化身とも言われるこの神様は マハーラーシュトラ州では絶大な人気があるそうです。
ツアーにも参加されたインド系アメリカ人の方の提案で、この旅の企画段階から巡礼地に加えていました。
予備知識がない状態で詣でたのですが、結論から申し上げますとこの寺院を訪れたことは大正解でした。
ハルディ(うこん)の粉で、すべてが黄色く染まったこの寺院へは、長い石段を登らなくてはなりません。
ハルディのためつるつる滑り、また手すり等もないため、危険が伴いました。
しかし、寺院に到着した時には、その静謐さに圧倒されました。たくさんの善男善女が集まり、また式を終えたばかりと思われる新郎新婦も何組かいて、かなりの喧騒なのに、「場」が素晴らしく静謐なのです。
数十分並び、撮影禁止の御本尊に参拝しましたが、シヴァリンガムや他の神々の像もありどれがカンドーバ神なのか判別が難しかったのです。
おそらく一番奥の像がそうだと思われました。
個人的な印象ではまるで日本の閻魔大王のような風貌に感じました。
また、いわゆる本堂には馬に乗った神の像もあり、もともとは騎馬民族の礼拝する神だったのかもしれません。
外国人が珍しいのだと思います。僧侶の方には特に親切にしていただき、実はカンドーバ神のご本尊よりもメインに祈られるらしい、シヴァリンガムなどにに触れる許可もいただきました。手で触れ額を着け祈りました。
空中に漂うハルディの粉で最後は服も髪も黄色に染まりましたが、心の芯から癒された感じがしました。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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パラシュラーマ・ジャヤンティ

一年の大吉日といわれるアクシャヤ・トリティヤが、2017年は4月29日に迫っています。

アクシャヤ・トリティヤはパラシュラーマの生誕日であると伝えられています。パラシュラーマはヴィシュヌ神の6番目の化身として、ブラーフミンの家系に生まれました。パラシュは斧を意味し、斧を持つラーマをあらわします。

このパラシュラーマにまつわるさまざまな神話の中に、奢り高ぶった数多くのクシャトリヤを殺害したという言い伝えがあります。武士階級であるクシャトリヤによる尊大さや横柄さが、世の中を混乱に陥れていた時代のことであったと言います。これは、純質なサットヴァであるパラシュラーマが、ラジャス(激質)やタマス(惰質)によって生じた混乱を破壊することを物語っているのだと伝えられます。

この物語は、自分自身の内なる世界においても常に起きていることに変わりありません。ラジャスとタマスによって生み出される怒りや憎しみ、悲しみや憂いといった様々な感情は、自身の内を戦場のように作り上げ、その混乱によって、私たちは自身の本質を見失います。混乱を打ち破り、輝く純粋な質へと自分自身を導くこと、それがこの社会を生きる私たちの日々における修練に他ありません。

より良い作物を育て上げるためには、雑草を引き抜かなければならないように、自身の成長を遂げる中で、破壊は誰もが経験せねばならないということが、このパラシュラーマの歩みに象徴されていると言われます。

そして何より、このパラシュラーマには強い信仰心がありました。手にする斧は、パラシュラーマの苦行に喜んだシヴァ神が授けたものだとも伝えられます。信じる心、それが正しい道を歩むための最大の強みとなることを忘れてはなりません。

維持や保護の神として知られるヴィシュヌ神は、世界が混乱に陥った時、人々を正しい道へと導くためにさまざまに姿を変え現れると信じられています。太陽と月の輝きが最も満ちる時となるアクシャヤ・トリティヤにおいて、こうした神々の象徴を見つめることは、自分自身の内の純質を磨きあげる大切な行いとなることでしょう。皆さまもどうぞこの吉兆な時を大きな喜びと共にお迎えください。

(文章:ひるま)

ヴィシュヴァーミトラの修行

無限の力を引き出すガーヤトリー・マントラを発見した聖仙ヴィシュヴァーミトラには、古代から多くの神話が伝えられます。聖仙として崇められるヴィシュヴァーミトラは、かつて、偉大な力を持った一人の王でした。

ある時、聖仙ヴァシシュタのもとを訪れた王のヴィシュヴァーミトラは、もてなされた食事の豪華さに驚きます。ヴィシュヴァーミトラが理由を尋ねると、聖仙ヴァシシュタにはカーマデーヌという、限りない恵みを授ける牛がいることがわかりました。聖仙ヴァシシュタからこの牛を奪おうと戦いを挑むも、聖仙としてのヴァシシュタの神秘の力には敵わず、牛を手にすることができません。すると、ヴィシュヴァーミトラはこの神秘の力を手に入れようと、聖仙になるための厳しいヨーガの修行を始めました。

ヴィシュヴァーミトラの修行には、多くの邪魔が入ります。何度も何度もその修行を阻まれるも、決して諦めることはなく、時を超えて厳しい修行を実践し続けました。そして、その修行が達成された時、ヴィシュヴァーミトラは聖仙ヴァシシュタにも認められる偉大な聖仙となります。この修行の賜物として、ヴィシュヴァーミトラはガーヤトリー・マントラを発見しました。

ヨーガには、聖仙ヴィシュヴァーミトラに捧げるアーサナ(ポーズ)があります。ヴィシュヴァーミトラーサナと呼ばれるこのポーズは、全身の高い柔軟性、確かな安定、そして中心の強さを必要とする、高度なアーサナの一つに数えられます。その練習の過程では、幾度となく前進と後退を経験するも、少しずつ進歩を感じる時、繰り返し努力をすることの意味を学びました。そうして得る心身のしなやかさと安定、そして強さは、何にも勝る大きな喜びです。

ヴィシュヴァーミトラがその修行で経験した苦難は、その名が捧げられたヨーガのアーサナの難しさに映し出されています。私たちは、人生においても前進と後退を繰り返し経験し、その歩みには、時に大きな苦難が待ち受けています。しかし、その苦難が大きければ大きいほど、努力をする価値があり、そうして得る恩恵は、ヴィシュヴァーミトラがガーヤトリー・マントラを発見したように、人生に光をもたらす賜物となるに違いありません。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Vishvamitra

82、花柳界出身の太鼓:Tabla

シタールの伴奏によって、シタールと共に世界を旅したことで世界的に有名になり、その後、シタールが入ると「如何にもインドの世界」になってしまうのに対し、タブラは世界の様々な音楽にも自然に溶け込み、色を変えないことからシタールよりも普遍的且つユニークな楽器(太鼓)としてより好まれた経緯があります。
シタールの項で述べました「ラーガ・ロック」は恐らくほとんど演奏しなかったエリック・クラプトンも、名曲「ライラ」のアルバムでタブラを起用しています。
この「タブラ」は、前回ご紹介した「ムリダングを左右で二分した、高低二個一組の片面太鼓」ということが出来、正式には「タブラ(右高音太鼓)・バヤン(左低音太鼓)」であると知っている人は、タブラをご存知の方の中でも七割位でしょうか? 「バヤンが単に『左』の意味で、タブラは元々アラビヤ語で『太鼓』である」となってくると五割程度かも知れません。
更に、実は「タブラ・バヤン」に至る迄に、過渡期の同様の太鼓が数種あることは「タブラを持って居る」人や「そこそこ演奏するぞ」という人の中でも殆どご存じないかも知れません。

そもそも何故「ムリダングを二分する必要があったのか?」
ひとつには,西域からインドに来た(つまり移動して)イスラム教徒にとって、移動出来る太鼓は、馬の鞍の両側に取り付けた「二個一組」の太鼓であったからに他なりません。
他方「ムリダングを二分しないと、叩けない」ということは、ある程度はあります。手の甲が上を向くか横を向くかでは重力を利用出来る出来ないの大きな違いがあります。ですが、決定的な問題ではない筈です。

実は、より決定的な理由は「音量と余韻」にありました。前回お話しましたように、ムリダングは、世界有数の音量と余韻を誇る太鼓で、正にヒンドゥー寺院の厳かな儀礼音楽や、宮廷音楽の最高峰ドゥルパドには適しているのですが、花柳界の歌姫の叙情詩には全く不向きです。
もちろん「楽器の格」がありましたから、ムリダングを宮廷や寺院から持ち出して花柳界で用いることなど許されませんでしたが。誰もそれを望みもしなかったということです。

なので、当初花柳界では「馬の鞍の両側」に吊るされた太鼓「ナッカーラ(Naqqara)」を指と掌で叩いて歌姫を伴奏していたのです。本来はスティックで叩きますが、しっとりとした叙情詩では音が大き過ぎです。
この太鼓も大小で音の高低を付けましたが、音色変化は4種類程度でしょう。
そもそも花柳界の歌姫は、宮廷楽師に弟子入りしていました。これは日本の芸者さんも同様で、長唄や浄瑠璃の師匠に昼間稽古を付けてもらうのです。
歌姫の家系は、女子に生まれれば、歌姫と舞姫になり、男子に生まれればタブラ奏者とサーランギー奏者になりますから、恐らく男子もラーガ音楽やターラ技法を学びに行っていた筈です。そこで、ムリダングの「スャヒ」を知り、恐る恐る遠慮がち「どうにかナッカーラにも応用出来ないか?」とチャレンジしたのでしょう。

ところが、その当時も今でもムリダングの左側低音太鼓にはスャヒを貼らず、演奏の度に米粉を捏ねて貼ります。演奏中に渇くと剥がれてしまいますから器の水を用意し常に湿らせます。右のスャヒは汗でも痛むので、むしろ頻繁に手を拭きながらです。「音の高低」のみならず「乾きと湿り」も同時に存在するのです。実に「二元論を象徴している楽器」と言えましょう。
なので、初期の花柳界ナッカーラにはスャヒは全くなく、演奏時に左低音太鼓に米粉(ラヴァ)を塗って演奏していた訳です。
このペア太鼓の名はやはり「ナッカーラ」でしかなく、左右は「サギールとカビール(アラビヤ語の小と大)」かヒンディー語(ウルドゥー語)で「ダヤンとバヤン(右と左)」程度だったと思われます。

次に開発された花柳界太鼓が、左低音太鼓のみ木製にして、ムリダングのラヴァの他に「縁皮」をも取り入れて、音の変化を際立てたものです。それは「ダーマ」と呼ばれます。何故そのような太鼓が必要であったのか? それは、ラヴァを塗った左は手のかかとを鼓面に付け、スライド音を出すからです。もちろん、かかとがラヴァに乗り上げてしまうとぬかるみに足を突っ込んだようになってしまいますから「寸止め」ですが。
なので、断面が三角なナッカーラより円筒形の方が安定するからがその理由です。そして、右側は変わらず小さなナッカーラ。しかし、そもそも「ナッカーラ」はアラビヤ語で複数形ですが、その頃にはアラビヤ語会話者は少なくなっていたのでしょう、それでも「ペア太鼓の一方」を旧名で呼ぶことはしなかったようです。なので、「高音(頂き)」の意味(前回のムリダングのイスラム教徒の呼称と同じ)の「アワジ」を用い「アワジ&ダーマ」だったのです。もちろん単に、アラビヤ語の「太鼓」の意味の「タブラ」の語を用い「タブラ&ダーマ」であったかも知れませんが、後述の同名太鼓と同名異形ですから割愛します。
そして、次に「アワジ」もムリダングを真似た木製片面太鼓に替え今度はスャヒを塗って、今日の右側高音太鼓「タブラ」が出来上がります。そのセットが「タブラ&ダーマ」です。

ところが、楽派によっては「ダーマ」を用いず、ナッカーラの左太鼓をずっと用いていた奏者も居ました。彼らはナッカーラのインド名「ドゥッギ」と称します。その彼らも右高音太鼓にスャヒが着いた「タブラ」は大歓迎。そこで「タブラ&ドゥッギ」が誕生します。倒れにくいように「お椀型」に改良されています。
そのドゥッギのラヴァをスヤヒに替えたのが今日の「バヤン」です。なので、今日の「タブラ・バヤン」を未だに「タブラ・ドゥッギ(ドゥッガ)」と呼ぶ人も少なくありません。 当初左低音の「ドゥッギ」にはラヴァが塗られていたのでしょうが、近年ではもっぱらスャヒが貼られています。一方の「ダーマ」は、未だに鼓面には何もなく、演奏時にラヴァを貼るようになっています。
また、1990年代に日本でも人気となったスーフィー・チシュティー教団の献身歌(神秘詩)カッワーリの歌い手:ヌスラット・ファテ・アリ・カーンの楽団では「タブラ・バヤン」「両面民謡太鼓:ドーラク」の他に、「アワジ・ドゥッギ」をしばしば使っていました。この場合のドゥッギは今日のバヤンと同じ「スャヒ付き」で右側「アワジ」はナッカーラのままです。

「タブラ」もまた、流石にシタールの相棒であるだけあって、シタール同様に波瀾万丈の歴史を経て古典音楽太鼓に至ったのです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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ヴァルーティニー・エーカーダシー

2017年4月22日はエーカーダシーの吉日です。月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。

チャイトラ月(3〜4月)の満月から11日目にあたるこのエーカーダシーは、ヴァルーティニー・エーカーダシーといわれます。ヴァルーティニーには、「軍隊」や「兵士」といった意味があり、このヴァルーティニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を努める者には、強い守りがもたらされると信じられます。

ヴァルーティニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を通じては、数々の王たちが救われ、成功を得たと伝えられます。また、欲望にまみれ驕り高ぶった態度を見せたブラフマー神を罰するために、5つあったブラフマー神の頭の一つを切り落としたシヴァ神は、その際に受けた呪いを、このヴァルーティニー・エーカーダシーの戒行によって払拭したともいわれます。不幸な境遇にある女性たちは、このヴァルーティニー・エーカーダシーを通じ救われると伝えられることもあります。

エーカーダシーでは、ヴィシュヌ神を通じた瞑想や断食を行ったり、寄付や施しを行うことが勧められます。このヴァルーティニー・エーカーダシーを通じた行いは、千年を通じた修行の成果と同じ恩恵を授けるとも伝えられています。

参照:http://www.speakingtree.in/blog/varuthini-ekadashi-fast