ヨーガの歴史

ヨーガの歴史は、文明と同じほど古いといわれます。先史時代に見られる起源と、漸進的な発達と進化が、その事実を証明しています。ヨーガという言葉は、「結ぶ」を意味する√yuj(ユジュ)から派生しました。現代において、心と体を結びつけることを目的として広く実践されるヨーガには、宇宙の本質と個人の本質を結ぶという深い意味が秘められています。

ヨーガという概念は、ヴェーダ、ブラーフマナ、そして、ウパニシャッドにも見ることができます。その後、ヨーガの経典ともいわれるパタンジャリのヨーガ・スートラが成立すると、さまざまな流派を生み出しながら、絶えず進化を続けてきました。しかし、その本質と目的は、今も変わることはありません。

インダス文明のヨーガ:ヨーガの歴史は、紀元前2500年~1800年のインダス文明に起源があるとする説があります。モヘンジョ・ダロとハラッパーの遺跡からは、ヨーガ行者と考えられる図像が発掘されました。

ヴェーダ時代のヨーガ:ヴェーダが発展したヴェーダ時代にも、ヨーガの概念が見られます。紀元前1200年~1000年頃に成立したとされるリグ・ヴェーダにおいては、ヨーガの語源である「ユジュ」という言葉が頻繁に見られ、ヨーガはヴェーダの儀式にとりわけ重要であったことが伺えます。

ウパニシャッドに見られるヨーガ:紀元前350年~300年頃に成立したと見られる「カタ・ウパニシャッド」には、ヨーガについてもっとも古いとされる説明が見られます。また、紀元前500年~200年頃にはバガヴァット・ギーターが成立したとされ、そこではクリシュナ神がヨーガについて説いています。インダス文明に始まり、こうしてウパニシャッドに見られるようになるまでの時代は、原始ヨーガとして理解されています。

ヨーガ・スートラにおけるヨーガ:この時代は、古典ヨーガとして理解されています。紀元後400年~500年頃、仏教思想の影響を大きく受けたヨーガ・スートラが成立します。編纂者とされるパタンジャリは、ヨーガを具体化することを目指しました。それは、ヨーガの八支則と呼ばれるアシュターンガ・ヨーガとして示されています。

ヨーガ・スートラ以降のヨーガ:この時代は、後期ヨーガとして理解されています。ヨーガ・スートラが成立した後は、数多くのヨーガに関する学問が発達し、ラージャ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどが説かれるようになりました。一方で、人間の身体をより重要視した、動的なハタ・ヨーガも広がりを見せます。

近現代におけるヨーガ:1983年のシカゴ宗教会議におけるスワーミー・ヴィヴェーカナンダの講演によって、ヨーガの思想が西洋へ紹介される大きな転機となりました。それ以降、ヨーガは世界中で人気を博し、現在では多くの人々がヨーガを日常に取り入れています。

ヨーガの語源であるユジュは、「馬を車につなぐ」ことを意味するものでした。ヨーガを通じて宇宙の本質に自分自身を結び、まっすぐに人生を歩むことで、究極の幸せの中で生きることができるでしょう。

(SitaRama)

占星術的処方の多様性

インドで占星術鑑定を受けると、宝石処方をされる場合、 ラールキターブのような摩訶不思議な処方をされる場合、神格のマントラの詠唱を勧められる場合など、様々な場合があります。
今回は神格のマントラを勧められた時の話です。
鑑定のとき、ある占星術師にはハヌマーンの礼拝を勧められたりします。
しかし別の占星術師に観てもらったときに、ムルガン神(カールッティケーヤ)を勧められるかもしれません。
またバガラームキー女神や、他の神格を勧められることもあるでしょう。
複数の占星術師に観てもらった場合など、「いったいどの神様を礼拝すればいいのか?」と混乱してしまいます。
しかしこれは、基本的に全部正解なのです。上記の場合は、すべて火星に障りのある場合の処方の一部になります。
もちろん、厳密にはその星の配置や傷つき方、他の星の絡みなどにより、より合う神様というのはあるにはあります。
例えば火星の障りのせいで怒りのエネルギーが強すぎる場合は、よりハヌマーンが合うでしょう。
逆に火星の障りのせいで、気力が出ない場合などは、バガラームキー女神の方がより合うかもしれません。
しかし厳密にはそうであったとしても、処方が逆の場合でも、同じ火星に対するものですので、さほど大きな問題はないのです。
勧められた神格のマントラを熱心に唱えていけば、問題は徐々に解決していくでしょう。
信頼できる占星術師に勧められたのであれば、試してみることが大切だと感じます。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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[ガネーシャ・ギリ 同行]最強厄除開運・インド縦断 – 女神と聖者とガンジス川から力を貰う旅

ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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ナルマダー・ジャヤンティ

マーガ月(1~2月)の新月から7日目にあたる1月24日は、スーリヤ神(太陽神)を讃えるラタ・サプタミーが祝福される一方で、ナルマダー・ジャヤンティが祝福される慣習があります。

ナルマダー・ジャヤンティは、聖河ナルマダー川の誕生した日として崇められます。ナルマダー川は、悪神たちを倒す際に生じた神々の罪を清めるために、シヴァ神の力によって生み出されたと伝えられます。インドの七大聖地のひとつとして、多くの巡礼者が訪れる場所でもあります。

ナルマダー川は、とても神聖な川として崇められ、平安と喜びを授ける母なる川といわれます。魂の浄化のために、ガンジス河で沐浴を行うのに対して、ナルマダー川はひと目見るだけで浄化されるという言い伝えもあります。特に、このナルマダー川で採集されたリンガムは、子孫へと代々受け継がれていく貴重なものとされています。

ナルマダー・シヴァリンガムは、隠微晶質石英からできていますが、数万年前に地球に落ちた隕石からつくられたという説もあります。そして、地上に存在する鉱石の中で、もっとも高尚な波動をもつといわれています。シヴァとその妃シャクティーは、それぞれ男性性と女性性のエネルギーをあらわし、人類の発展に欠かすことのできない神々です。そして、ナルマダー・シヴァリンガムは、そのエネルギーの融合を象徴し、基質は男性(知識)をあらわし、模様は女性(英知)をあらわすといわれます。ナルマダー・シヴァリンガムは、呼吸と身体の気の流れに連動して働き、心身の気流に調和をもたらすといわれます。

ヴェーダ文献によると、ナルマダー・シヴァリンガムは双対性における調和を描いているといわれます。このシヴァリンガムは、ものごとをあるがままに受け入れる神のように広大な容認性のエネルギーをあらわすとされます。そして、この神聖な石をつねに信仰する人々には、吉兆の象徴であるシヴァ神の恩寵が与えられると信じられています。

アルナ神の赤い輝き

インドでは1月24日に、ラタ・サプタミーの祝日を迎えます。ラタ・サプタミーは、マーガ月(1~2月)の新月から7日目にあたり、スーリヤ神(太陽神)を讃える吉日として祝福されます。

スーリヤ神はこの日、7頭の馬に引かれた自身の乗り物(ラタ)の向きを北方へ変えると信じられています。その乗り物の御者が、アルナと呼ばれる暁の神です。アルナとは「赤い」を意味し、暗闇を切り開く太陽が空を赤く染める輝きの神格として崇められます。

このアルナ神の誕生には、興味深い神話が伝わります。アルナ神は、有名な聖仙の1人であるダクシャの娘、ヴィナターの卵から生まれました。しかし、ヴィナターは偉大な息子の誕生を待ちきれず、その卵を自ら割ってしまいます。割れた卵からは閃光としてアルナ神が飛び出すも、時期が早すぎたために、その光は太陽のように明るくなることはなかったといわれます。

そんなアルナ神は、後にスーリヤ神の乗り物の御者となり、7頭の馬を操りながら、その乗り物を導きます。この7頭の馬は、太陽の光から生まれる7つの色を意味しているといわれます。それは、7色とされる虹の色であり、私たちの身体に点在する7つのチャクラの色でもあります。

この7色の光を象徴する7頭の馬は、アルナ神の手綱にしっかりと収まり、まっすぐに走り続けています。毎朝、太陽が昇り真っ赤に染まる朝の空ほど、生きることの美しさを見る瞬間はありません。時を超えて変わることなくその暁をもたらすアルナ神は、太陽の光が万物を支えていることを確信しているようです。

そんな豊かな自然現象の一瞬一瞬を、太古の人々は神として崇めてきました。そのエネルギーは、個々の内にも生きています。アルナ神の手綱に統率された馬のように、太陽を崇めながら、内なるチャクラの調和に努めたいと感じます。

ラタ・サプタミーは、太陽からの光とその恵みを授かる吉兆な時です。皆様にも太陽の大きなお恵みがありますように、心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

117、歴史の理解力を高めることは、心身の健康に最適・最短の手法 (その3)

歴史理解力が即効的である理由

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論理の三次元に欠落している縦軸
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今回の図は、以前に用いた「論理の樹木(ひいては思考回路の理想図・基本形でもある)図に、論理の三大要素「Tri-Nyayshastra」の中の「三つの次元(視野):Tri-Paimana」を表した図です。

「枝葉執着の人々」は、図の横軸に於ける利己的感覚「Ahamkara」と、「実体験:Pratyaksha-Pranama」以外のことの理解が極めて乏しく、それを「認めてもらいたい:承認・肯定願望」が強いがために「共感空間」をSNSに強く求めたり、共感出来る友人たちを懸命に守ろうとします。また「常識・観念・道徳」などに依存する人も少なくなく、「利己的感覚」とセットになっていることも多くあります。

希に、「奥行軸:客観性・洞察力」の二次元目の感覚を持って居る人も居ます。しかし、正確には、縦軸の概念が無い限りには、横軸と奥行の直角性を実感出来る術はないのです。しかも、そもそも「枝葉は揺れてしかるべき(でなくては芸術は成り立たない)」のですから、横軸との角度は、揺れ動いてしかるべきですから、「客観的だ」と過信していても、限りなく角度が小さい「V字」のようなものであるかも知れません。

また、「みんな」という観念や、「グローバリズム」という観念を誤解したまま、過信し依存している人々は、前述の「常識・観念依存」も手伝って、それの正しさを決して自壊しません。しかし、以前にもこのコラムで「枝葉を束ねただけ(自らの根っ子も幹も希薄脆弱な者同士の連帯)」では「薪木に過ぎない(大地とは遊離している=枯れている=死んでいる)」とも言えるのです。
そもそも横軸と奥行は、ぐるりと360度回転してしまえば、いずれも「枝葉領域:Prattiyam-Loka」の平面に過ぎないとも言え、その円盤上に固着していると言えるのです。

しかるに、正しい論理性以前に、正しい客観性を持つ為には、三次元の各直角性も元より、「縦軸:時間・時系列・順番・歴史系思考性:Itihas-Dhayana」が不可欠なのです。そして、三次元の何処にでも自在に意識を転換させることが出来て、初めて「論理を学び思考することが可能になり、やっと「思考力(Vijnanamaya-Kosha)の正常化」の第一歩が踏み出せるのです。

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時間・歴史感覚:Itihas-Prtibhaの大きな欠落
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しかし、現代人の多くに見られる「枝葉依存人間・枝葉感覚人間」の場合、この「時間・時系列・歴史把握力」を取り戻すことは極めて困難な作業となります。

「この問題が全ての元凶である」と判断された私のセラピー・カウンセリング受講者さんの多くに「この三日間の自分の行動を時刻時間を明記した時系列の記録を書いてみて」と、試してみると、まず殆どが出来ないのです。20代から30代の若さにも関わらず、仕事以外の行動の中の細かな行動の記憶が定かでないのです。
勿論これは、かなり重度の方の話しですが、その中でも更に重症だった三名のひとりは、受講が途切れた後に統合失調症を発症しました。また一人は、鬱病になりました。「元々そうした性質だったのだろう」と楽観視したい人も少なくないかも知れませんが、そうではありません。

まず、「生まれも育ちも考え方も価値観も異なる」数名に共通して、「時系列記録」の宿題を出すと、十数時間睡眠を取っていても「振り返り作業を始めて十数分で強烈な睡魔に襲われる」ことで、「書かねば・書きたいと思う!」と口ではおっしゃっても「寝てしまって書けなかった」となるのです。これは、「アパシー/鬱」の基本機序と同じ構造です。
つまり、脳の使っていない部分を使おうとすると、その死に掛けていた機能を補っていた部分が、猛烈に拒否反応を起こすのです。いささか辛辣な喩えで恐縮ですが、母子家庭で、父親替わりの気概で頑張っていた長男か長女が、母親の再婚と共にそのステイタスを失ってグレてしまった。ような感じです。

つまり、そもそも「脳機能がアンバランス」であったことが原因なので、それを是正しないことには何も始らないのです。ところが巷のセラピスト・カウンセラーさんの殆どが、例えば「時系列列記録を書かせる」などということは決してしませんし、「出来ない事・嫌だと言っていることを無理にさせては駄目だ」と「甘やかし」の方向性にしかないのです。

スパルタが良いとは決して言いませんが「出来ない=脳機能アンバランス」という構造を度外視して、先に進める筈が在りません。なので、「慰められた」「分かって貰えた」で、満足し、元気になって、「もう大丈夫だ」と通わなくなる。そして半年一年で状態が再悪化して、また通おうにも「あの先生じゃ駄目なのだろう」と他者の所為にして他を当たる。

上記の重度の三名は、私の講座を受講する迄に、二三年で、同時期に二三、十ヶ所近くをはしごしていました。その感覚の根底には、「本当に解決したい」という想いがあるに違いないのです。それこそ「魂や心のSOS」です。なので、セラピスト・カウンセラーは、当人の表層的気分・感情の奥で泣いている心や魂を見取るべきなのですが、何故かそれをしないのです。

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歴史がつまらない場合の元凶
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学校教科としての「歴史が好きだ」という人の中と「苦手」という人に共通しているのが、年代の記憶です。前者は、呆れるほど良く憶えていますが、後者は全く憶えられない。また、歴史的人物の名前もしかり。つまり「枝葉次元」の歴史教育で、憶えることを強要される「小枝や葉の名前や生じた年」で「学ぼう」というエネルギーの殆どを使い果たしてしまう。それどころか、もっと大切な筈の、「樹木の構造」というものが、全く教えられない。

例えば、インド中世史の場合、丁度私が作成した樹木図のように、太い枝は、「南インド・ドラヴィダ民族の系譜」「中西部ヒンドゥー諸王朝の系譜」「北インド・イスラム宮廷の系譜」となり、その先の中枝~小枝と別れて、それぞれのヒストリーがある。
しかし、その全体像=樹をイメージさせずに、あちこち話しが飛んでマラータ同盟がどうの、アウラングゼーブがどうのという話しを憶えさせる。

逆に、学校教育とは別に、マニアックに「歴史が好きだ」という人の場合でも、基本的に枝葉にこだわり、その幹と樹木全体のイメージが欠落している場合があります。

そもそも論理性の上では「実在しなかったもの」。つまり、中世の太枝から枝分かれした後に「途絶えた系譜」が、もし存続していたならば?というようなイメージや推察力は、全く問われず「無い歴史を語っても意味が無い」と言わんばかりの人が多い。

つまりは、「好きだ・得意だ」という人もまた「合理主義・結果論主義」の「枝葉系」な場合が殆どです。それではせっかくの「歴史」もまた、本当の意味では「縦軸」ではなく、「三次元思考性・思考力」が鍛えられているとは到底言えません。

そのような人々に特徴的に共通するのが「文章や意見の論旨=論幹を理解しない」という奇妙な現象です。結局は「枝葉の記述」に対してあれこれ知識をひけらかすばかり。
もし「枝葉の記述」に対して意見を述べるならば、「幹=論幹=論旨(テーマ・主旨)」を「肯定した」か「仮に肯定した」上であるべきなところ。そこは終始曖昧なままで。枝葉(良くいわれる重箱の隅と同義)をやり玉に上げるばかりです。

学術論文の形式が、冒頭に「論旨」を明記し、本文がたいがい三段論法になっているのも、同じ研究者で、枝葉~幹の立ち位置が異なることで生じる混乱と無益な議論を避ける為でしょう。極端な話し、「論旨」を読んで「ああ、この論文は駄目だ」と分からないようでは、本文の部分を批判する資格は無いのです。音楽もしかりで、冒頭の数十秒で聞く価値が分からないようではプロとしてはアウトです。
ギャラが貰える仕事ならば、「論旨→駄目」の「根拠」を本文の部分を取沙汰して反論することもあるかも知れませんが。

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歴史を自らで面白く理解する訓練
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このように、「歴史がつまらなかった理由」は、「A:教える人間が枝葉系」「B:学ぼうとする者自身も枝葉系」「C:逆に得意だ!と自負する人間も枝葉系」だからに尽きます。

しかし、「AとC」は、今更意識改革をしないでしょうけれど、B=苦手と思っていた人には可能性があるのです。そして、その力を鍛えることは、明らかに脳機能にとって必要必須のテーマなのです。

おそらくこのテーマは、ここ一二年で急速に研究が進んでいる「認知症改善・予防策」のひとつに、数年もすれば挙げられることでしょう。 それどころか、数十年もすれば「認知症の原因」とさえ説かれる日が来るかも知れません。

「歴史を面白く出来るか否か?」は、「自分自身で脳機能のバランスを改善出来るか?」いうことであり、その第一歩は、「三次元的思考」の訓練にあります。
つまり、例えば図のように、幹から三本の太枝が別れた場合、その一本を選択して探求する場合でも、他の二本の存在を常に頭の片隅に入れておく訓練です。

これは、日常の家事でも訓練出来ます。

例えば「鍋を火に掛けたまま、生ゴミを出しに行った」という場合。通常ならば、鍋は焦げ付かない。しかし、ゴミ収集場で、ご近所に捕まって長話につき合わされたら、焦げ付きます。

「枝葉系」の人の改善策は「次回からは生ゴミ出しであろうが、火を止めてからにしよう」という解決策です。勿論実際は、これが正解でしょうが、脳機能訓練としてはアウトです。ご近所の話しを聞きながらも、鍋のことを考える訓練が必要なのです。そして、「あと数分でマズいことになる」という時に、ご近所に「すみません!」と言える訓練です。

ところが、枝葉依存度が進んで 、受講を中断した後に統合失調症を発症した人の場合「自意識過剰」も重度に至っていましたから「ご近所に言い出せない」という別の問題も積み重なってしまう。勿論、そこで「ご近所の話しが頭に入らない」というのもアウトです。言い換えれば、このような日常の出来事によって、御自身の「脳機能バランスの偏り」と「枝葉度」を自己診断出来るとも言えます。

このテーマをクリアーし、明らかに変化が自覚出来るようになれば、次は、歴史に登場する人間の性質と性格を読み解き、結果論的な言動の事実を照らし合わせる訓練です。この段階に至れば、かなり歴史が面白くなって来ると同時に、脳機能バランスも改善され、体調のみならず、人間関係さえも改善されている自覚が得られる筈です。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

12月1月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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沈黙の実践

1月17日は新月です。マーガ月(1月~2月)の新月は、マウニー・アマーヴァスヤーと呼ばれ、1年に訪れる新月の中でもとりわけ重要な新月にあたります。

マウニー・アマーヴァスヤーは沈黙の新月を意味し、霊性修行を行う重要な時となります。沈黙は、マウナと呼ばれるヨーガの修練の一つであり、沈黙を通じて自分自身の本質に気づく大切な術として広く実践されています。

心にふとあらわれる感情や思考から生まれる言葉に自分自身を重ねる私たちは、簡単に自分自身の本質を見失う瞬間にあふれています。沈黙は、いつも変わらずにある自分自身の本質に気づかせ、確かな平安を授けてくれるものです。

マウナとは、単に言葉を発しない沈黙を意味するものではありません。それは、心の動きが静まった、静寂を意味するものです。昨今では、インターネットを通じて溢れる情報に、心を忙しなく動かされる人も多くいます。この日はデジタルデトックスとして、デバイスに触れる時間を減らし、内観する時間を過ごして見るのも良いかもしれません。

この新月を通じて、大きな平安が授けられますよう、心よりお祈り申し上げます。

第15回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第15回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第15回グループ・ホーマは、1月14日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

ヨーガ・スートラ第2章第54節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


स्वविषयासम्प्रयोगे चित्तस्य स्वरूपानुकार इवेन्द्रियाणां प्रत्याहारः॥५४॥
Svaviṣayāsamprayoge cittasya svarūpānukāra ivendriyāṇāṁ pratyāhāraḥ||54||
スヴァヴィシャヤーサムプラヨーゲー チッタスヤ スヴァルーパーヌカーラ イヴェーンドリヤーナーン プラティヤーハーラハ
自らの対象と諸感覚器官が結びつかず、心の自体の模倣のように見えるのが制感である。

簡単な解説:前節において、調気法を通じ、心の集中能力が発達し、さまざまな凝念に堪えられるようになると説かれました。本節では、制感について説かれ、それは、諸感覚器官がその対象に結びつこうとする動きを止められ、心の自体の模倣のようになる状態であると説かれます。

引き寄せの波動

豊かに暮らすために必要なものとは何でしょうか?
昨今では、お金を使わなくても心豊かに暮らすさまざまなアイディアが周囲に溢れています。しかし、社会生活を営む上では、ある程度の金銭的な豊かさが必要不可欠です。実際に、暮らしの中で金銭的な問題を抱えている人は少なくありません。

インドでは古代から、自分自身の潜在的な力を向上させ、豊かさを授かるための神秘の術が伝えられてきました。その一つが、マントラです。聖典ヴェーダから生まれたマントラは、ヒンドゥー教だけでなく、仏教やシク教、ジャイナ教など、宗教を超えて発展し、現代においては瞑想やヨーガの普及により、マントラを生活に取り入れる人々が多くいます。

マントラは、求めるものに対し、自分自身の持つエネルギーを集中させる力を持ちます。実際に、人生が変わるような恩恵があったという報告もされています。このマントラの大きな恩恵は、私たちの心を落ち着かせるということにあります。豊かさを求めても、心が散漫状態にあれば、その創造に集中することはできません。マントラを唱えると、こうした心の忙しなさが落ち着き、豊かさを創造するという重要な課題に集中できるようになります。

マントラを繰り返し唱えると、やがて引き寄せの法則が働くことがわかるでしょう。何度も何度もマントラを唱えることで、求めるものを引き寄せる強い波動が生まれます。マントラは、私たちの思考を整理し、望むものを引き寄せる磁力の働きがあるのです。

豊かさを求めるのであれば、豊かさを引き寄せるマントラを唱えてみましょう。まずは毎日10分間、そのマントラを繰り返し唱えてみて下さい。時間に余裕がなかったり、集中が続かなかったりする場合は、朝に5分間、夕方に5分間など、2回に分けて唱えることも良いでしょう。

豊かさを引き寄せるマントラはさまざまにありますが、伝統的に広く唱えられるのが、豊かさの女神であるラクシュミー女神のマントラです。

・Oṃ śrīm namaḥ
・オーム・シュリーム・ナマハ

このマントラは、ラクシュミー女神を礼拝する挨拶でもあり、瞑想する際に用いられます。ラクシュミー女神は、物質的な豊かさをもたらすだけでなく、精神的な豊かさをもたらす女神でもあります。シュリームの「サ(Sa)」はマハーラクシュミーを、「ラ(Ra)」は富を、「イー(Ee)」は充足感や満足感をあらわしているといわれます。
マントラには、古代の聖者たちが見出した特別で神聖な波動が含まれています。真摯に唱えることで、豊かな日々を過ごす大きな助けとなるでしょう。

(SitaRama)

シヴァ神の息吹

世界の安寧を願い、ヒマラヤで瞑想に耽る慈悲深いシヴァ神。豊かな髪をなびかせるその姿には、静と動の調和を垣間見ることができます。

このシヴァ神の豊かな髪は、ヴァーユを象徴すると伝えられてきました。ヴァーユは「風」を意味し、それは私たちの呼吸としてあらわれます。今この瞬間にも生まれる一つ一つの呼吸は、シヴァ神そのものに変わりありません。

生きとし生けるものの主であるそんなシヴァ神は、「パシュパティ」と呼ばれることがあります。パシュは、神と区別された個人の魂であり、家畜や動物を意味するものとして捉えられてきました。パティは主を意味することから、パシュパティは動物の神としてのシヴァ神をあらわすとされます。

私たちは常日頃、物や状況といった変化を続ける外界の幸せに囚われています。その幸せは揺らぎやすく不安定で、さらなる無知や幻力の中に私たちを束縛します。そうして外界ばかりを見て束縛の中で生きる私たちは、パシュとして存在しています。

そんな束縛から自分自身を解き放つために、私たちは内なる世界に幸せを見出さなければなりません。霊性の道に進み、内なる世界へと向かい始める時、私たちはパシュパティとなります。そこでは、シヴァ神が主となった、光輝の意識となることができるからです。

動物の中でも、人間は高い知性をもつ存在であるといわれます。私たちは、その知性を活かしながら、真摯に生きることを努めなければなりません。そのためには、シヴァ神を主として自分自身を結びつけ、その手綱の下で生きることがもっとも賢明な方法となり得ます。そこで私たちは、生と死から解放された、永遠の至福の中で生きることができるに違いありません。

マハーシヴァラートリーは、シヴァ神を讃えるこの上ない吉祥の夜です。この夜、自らの呼吸と向かい合い、シヴァ神の存在を礼拝したいと感じます。そうして内なる世界を見つめる時、私たちはパシュパティとして、シヴァ神との合一に至ることができるのだと思います。

(文章:ひるま)