śuklāmbaradharaṁ で始まるマントラ

シュクラーンバラダラムで始まるガネーシャへのマントラ(またはヴィシュヌへのマントラ)についてです。

 

【原文】

 

शुक्लाम्बरधरं विष्णुं शशिवर्णं चतुर्भुजम्।

śuklāmbaradharaṁ viṣṇuṁ śaśivarṇaṁ caturbhujam |

(シュクラーンバララン・ヴィシュヌン・シャシヴァルナン・チャトゥルジャン)

 

प्रसन्नवदनं ध्यायेत् सर्वविघ्नोपशान्तये॥१॥

prasannavadanaṁ dhyāyet sarvavighnopaśāntaye ||

(プラサンナヴァダナン・ィヤーイェート・サルヴァヴィノーパシャーンタイェー)

 

*カタカナ表記は便宜的なものです。太字部分は有気子音を表わします。正確な音はデーヴァナーガリー文字やローマナイズを見て確認ください。

 

このマントラは、ヴィシュヌ神(विष्णु viṣṇu)の千の名前を唱えるマントラ(विष्णुसहस्रनाम :Viṣṇusahasranāmaヴィシュヌ・サラスラナーマ)にも出てきますが、一方で、ガネーシャ神(गणेश gaṇeśa)へのマントラとして唱えられる場合もあります。

 

なぜそのように違った文脈になるのかというと、

一行目に出てくる「ヴィシュヌ」という言葉をそのまま読み取ればヴィシュヌ神へのマントラとも言えるし、

二行目に出てくる「一切の障害を消去するために」という言葉から、障害の支配神(विघ्नेश्वर vighneśvara)=ガネーシャ神へのマントラとも解釈することができるからです。後者の場合は、「ヴィシュヌ」という言葉を一般名詞として「遍在する者」のように解釈しています。

 

【逐語訳】

 

शुक्लाम्बरधरं विष्णुं शशिवर्णं चतुर्भुजम्। śukla-ambara-dharaṁ viṣṇuṁ śaśi-varṇaṁ catur-bhujam |

 

白い衣を身にまとう者を、遍き者(もしくはヴィシュヌ)を、月の色をした者を、四つの腕を持つ者を、

 

प्रसन्नवदनं ध्यायेत् सर्वविघ्नोपशान्तये॥१॥

prasanna-vadanaṁ dhyāyet sarva-vighna-upaśāntaye ||

 

慈愛の尊顔の者を、念想すべし。一切の障害の消去のために。

 

 

【単語の意味と文法の解説】

 

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

शुक्ल <śukla-> 白い (複合語、形容詞)次のambaraにかかる

अम्बर <ambara-> 衣 (複合語、中性名詞)次のdharaの目的語となる

धरं dharaṁ <dhara-> 保持(複合語、男性形、単数、対格)「白い衣をまとう者を」

विष्णुं viṣṇuṁ <viṣṇu-> ヴィシュヌ、遍満する者(男性名詞、単数、対格)「遍満する者を」

शशि śaśi- <śaśain- 兎を持つ者から> 月 (複合語、男性名詞) 次のvarṇaiにかかる

वर्णं varṇaṁ <varṇa-> 色(複合語、男性名詞、単数、対格)「月の色をする者を」

चतुर् <catur-> 4つの(複合語、)次のbhujaにかかる

भुजम् bhujam <bhuja-> 腕(複合語、男性名詞、単数、対格)「四本の腕を持つ者を」

प्रसन्न <prasanna-> 優しい、穏やかな(複合語、pra√sad-、過去受動分詞)

वदनं vadanaṁ <vadana-> 顔(複合語、中性名詞、単数、対格)「優しい顔を持つ者を」

ध्यायेत् dhyāyet <√dhyai-> 念想する(願望法、現在、3人称、単数)「彼は念想すべし」

सर्व <sarva-> 全ての (複合語、代名詞的形容詞)次のvighnaにかかる

विघ्न <vighna-> 障害 (複合語、中性名詞)次のupaśāntiの目的語となる

उपशान्तये upaśāntaye <upaśānti-> 消去 (複合語、本来は女性名詞だが複合語として男性名詞、単数、為格)「消去するために」

 

(文章:pRthivii)

「ヨーガ・ニドラー」の語源と本質

最近、「ヨーガ・ニドラー」という言葉が知られるようになってきました。

一部ではニードラと書かれていますが、ニードラは間違った表記で、正しくは、ニドラー、です。

 

このヨーガ・ニドラーという言葉、「ヨーガ」と「ニドラー」という二つの単語の組み合わせでできています。

 

ヨーガは √yuj (繋ぐ)という動詞からできた派生名詞で、もともとは「くびき」「結合」の意味。ブラフマン(宇宙の根本原理)とアートマン(真我)との結合、心と体の結合、など様々な捉え方ができますが、今日では、心身の修行法として広く使われています。

 

一方、ニドラーは ni√drā(眠る)という動詞からできた派生名詞で、「眠り」という意味があります。

 

「ヨーガ・ニドラー」は、普通は「眠りのヨーガ」「寝ヨーガ」等と説明されています。その方法は様々ですが、おおまかには、体を横たえたシャヴァ・アーサナ(屍のポーズ)をとって、呼吸法や、意識を身体各部位へ向けた後に身体を脱力させる方法などを組み合わせることで、睡眠と瞑想の中間のような深いリラックス状態に入ることと言えるでしょう。心身のリラックス効果があるとされています。

 

「ヨーガ・ニドラー」という言葉は、古代叙事詩『マハーバーラタ』の中にも見出されますし、プラーナ聖典の中にも出てきます。そこでは、「眠りのヨーガ」という意味ではなく、ヴィシュヌ神が原初の海に横たわり眠っている状態を指しています。

 

例えば、「マハーバーラタ」の一節ではこのように出てきます。

 

अध्यात्मयोगनिद्रां च पद्मनाभस्य सेवतः। Mbh.1.19.13a

युगादिकालशयनं विष्णोरमिततेजसः।। Mbh.1.19. 13b

adhyātmayoganidrāṃ ca padmanābhasya sevataḥ। Mbh.1.19.13a

yugādikālaśayanaṃ viṣṇor amitatejasaḥ।। Mbh.1.19. 13b

 

『〔海は〕、蓮のへそを持つ者、計り知れない威力を有するヴィシュヌ神がアートマンと結合する眠りにつくとき、ユガの始まる時の寝床となる。』

 

神々の一日は人間の時間に換算すれば計り知れない長い年月に相当しますが、神も夜を迎えれば眠りにつきます。人が眠ると意識がなくなり外界は存在しないに等しいのと同様に、神が眠るとき、世界のすべてを滅する火や洪水や風が起き、世界は消滅します。しかし神の眠りは単なる「眠り」ではありません。全てが無となったように見えても、世界の一切はヴィシュヌ神のなかに溶融ています。やがて雨が大地に降り注ぎ、大海が生じます。静寂の大海のなかで、無始(アナンタ)という名を持つ大蛇の寝椅子の上で、ヴィシュヌ神が横たわっています。

「ヨーガ」は、世界の終わりと世界の始まりの「繋ぎめ」であり、宇宙と一切存在の「結合」、最高神とアートマンの「結合」です。そして「眠り」は、世界の始まり、再生のためにあります。

このように、「ヨーガ・ニドラー」とは、宇宙あるいは最高神の中に自身をゆだねている状態としてイメージすることができるでしょう。

 

【単語の意味と文法の解説】

 

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

अध्यात्म- <adhyātma-> 真我(中性名詞、複合語、yogaにかかる)

योग- <yoga-> 結合(動詞√yuj-(繋ぐ)からできた男性名詞、複合語、nidrāにかかる)

निद्रां  nidrām <nidrā-> 眠り(動詞ni√drā-(眠る)からできた女性名詞、対格、単数)

「真我と結びついた眠りに」

च  <ca> そして~(接続詞)「そして」

पद्म- <padma-> 蓮 (男性名詞、所有複合語、次のnābha-にかかる)

नाभस्य nābhasya < nābha-> へそ (男性名詞、属格、単数)「蓮のへそを持つ~」

सेवतः sevataḥ < sevat-> 住んでいる(動詞√sev-(定住する)現在分詞、属格、単数)「住んでいる~」

युग- <yuga-> ユガ、神的世紀(中性名詞、複合語)

आदि- <ādi-> 始まり(男性名詞、複合語)

काल- <kāla-> 時間(男性名詞、複合語)

शयनं  śayanam <śayana-> 寝床(中性名詞、主格、単数)「ユガの始まる時の寝床」

विष्णोर् viṣṇor <viṣṇu-> ヴィシュヌ(男性名詞、属格、単数)「ヴィシュヌの」

अमित- <amita-> 計り知れない、無量(否定の接頭辞 a-をつけ√mā-(計る)現在分詞、複合語、次のtejasにかかる)

तेजसः tejasaḥ <tejas-> 威力、力(中性名詞、属格、単数)「計り知れない威力を持つ~」

 

(文章:pRthivii)

アサトー・マー・サッド・ガマヤで始まるパヴァマーナ・マントラ

非真実と真実、闇と光、死と不死、という対比の繰り返しが印象的な「アサトー・マー・サッド・ガマヤ」で始まるマントラの解説です。

 

白ヤジュルヴェーダの祭儀書シャタパタ・ブラーフマナ(शतपथब्राह्मणम् Śatapathabrāhmaṇam)14.4.1.30詩節に出てくるのが最も古い典拠で、最初期のウパニシャッドの一つ、ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド(बृहदारण्यकोपनिषत् Bṛhadāraṇyakopaniṣad*1)1.3.28詩節にも登場し、「パヴァマーナ・マントラ(पवमानमन्त्रः pavamānamantra)」と呼ばれています。

パヴァマーナとは、√पू pū(漉す)という動詞から派生した「精製」「濾過」「浄化」といった意味の語で、それには「ソーマ(सोम soma)*2」という植物が深く関係しています。

 

ヴェーダ時代に行なわれていた重要な祭祀「ソーマ祭」では、ソーマから作られた興奮作用ある飲み物を神にささげる=祭火に注ぐことが祭祀の中心で、祭主や司祭たちは神にささげたソーマ酒の残余を頂き、長寿や吉祥を神に祈りました。ソーマを搾ったり精製したりするときに唱えられるマントラが「パヴァマーナ・マントラ」です。リグ・ヴェーダ第9巻が全てソーマに捧げる讃歌(マントラ)でまとめられているほど、ソーマはヴェーダ時代の重要な神格で、「パヴァマーナ」=「自ら清まるもの」と呼ばれています。

 

混濁した液体が漉し器(パヴィトラ、पवित्र pavitra)を通って精製され滴り落ちる様子を、ヴェーダの詩人達は天界の光景や宇宙の生成と重ね合わせて讃えました。また、ソーマ酒を飲めば不死が得られるとも歌われています。

しかし、人格神としてはあまり発達せず、天体の「月」がソーマの容器と見なされるうちに「月」そのものと同一視されるようにもなりました。

 

現代では、ソーマへの讃歌という意味合いはほとんどありませんが、無知から真実への導きを祈るマントラとして広まっています。

 

【逐語訳】

असतो मा सद्गमय

asato mā sad_gamaya

私を非真実から真実へお導きください。

(アサトー マー サッド ガマヤ)

 

तमसो मा ज्योतिर्गमय ।

tamaso_mā jyotir_gamaya |

私を闇から光へお導きください。

(タマソー マー ジョーティル ガマヤ)

 

मृत्योर्मामृतं गमय ।

mṛtyor_mā_amṛtaṁ gamaya |

私を死から不死へお導きください。

(ムリティヨール マー アムリタン ガマヤ)

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ॥*3

om śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ

オーム、平安あれ、平安あれ、平安あれ

(オーム シャーンティ シャーンティ シャーンティヒ)

 

(Śatapathabrāhmaṇam 14.4.1.30/Bṛhadāraṇyakopaniṣat 1.3.28)

 

【単語の意味と文法の解説】

 

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

असतः asataḥ <a-sat-> 非真実、(sat- はbe動詞√as-(ある)の現在分詞で、「存在する~」「存在」が根本的な意味。それが拡張して「善」「真」「正義」の語となった。冒頭のa-は否定の意味を付け加える。語末の-aḥはサンディのために -oと変化。中性名詞、単数、奪格)「非真実から」

 

मा mā <mat-> 私、(一人称代名詞、単数、対格、附帯形)「私を」

 

सद् sad <sat-> 真実、(asataḥを参照。語末の -tはサンディのために -dと変化。中性名詞、単数、対格)「真実へ」

 

गमय gamaya <√gam- > 行く、(使役、命令、2人称、単数)「行かせてください」

 

तमसः tamasaḥ <tamas-> 闇、(語末の-aḥはサンディのために –oと変化。中性名詞、単数、奪格)「闇から」*無知蒙昧な状態も指す

 

मा mā <mat-> 上のmāを参照。

 

ज्योतिः jyotiḥ <jyotiḥ> 光、(語末の-ḥはサンディのために –rと変化。中性名詞、単数、対格)「光へ」

 

गमय  gamaya <√gam-> 上のgamayaを参照。

 

मृत्योः mṛtyoḥ < mṛtyu-> 死、(語末の-ḥはサンディのために –rと変化。√mṛ-(死ぬ)から作られた中性名詞、単数、奪格)「死から」

 

मा mā 上のmāを参照。

 

अमृतं amṛtaṁ <a-mṛta-> 不死、(√mṛ-(死ぬ)の過去分詞からの中性名詞、単数、対格)「不死へ」

 

गमय gamaya <√gam-> 上のgamayaを参照。

 

ॐ oṃ <a-u-m> 聖音、プラナヴァ「オーム」

 

शान्तिः śāntiḥ <śānti-> 平安、(女性名詞、単数、主格)「平安あれ」

 

(*1 サンスクリット語のサンディ(連声)のルールに従えば語末の-dは-tと発音されるため、「ウパニシャット」と言うのが正しいですが、ローマ字およびカタカナでは従来どおり「ウパニシャッド upaniṣad」と表記しました。)

 

(*2 ソーマ祭の伝統が失われ、ヴェーダ聖典の記述からはソーマが何の植物だったのか判然とせず、麻黄科の植物や、ワライタケのような毒キノコ類との仮説もあります。文化的、言語的に同一起源を持つペルシャのゾロアスター教で用いられていた「ハオマ」という植物は、ソーマと同一だったようです。)

 

(*3 最後の一行 om śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ は原典にはありません

 

(文章:pRthivii)

sarvamaṅgalamāṅgalyeで始まるドゥルガーマントラ

sarvamaṅgalamāṅgalye「サルヴァ・マンガラ・マーンガリェー」ではじまる、ドゥルガー女神へのマントラの解説です。

 

このマントラは、元々は『マールカンデーヤ・プラーナ(मार्कण्डेयपुराणम् MārkaṇḍeyaPurāṇa)』という、聖仙マールカンデーヤにより伝授された聖典のなかの第91章第9詩節(数え方によっては第10詩節)に由来します。しかし『マールカンデーヤ・プラーナ』の一節というよりも、女神による魔族討伐の神話を説く『デーヴィー・マーハートミャ(देवीमाहात्म्यम् devīmāhātmyam)』の11章第9詩節(もしくは第10詩節)として、より知られていることと思います。

 

『デーヴィー・マーハートミャ』は『マールカンデーヤ・プラーナ』81章から93章にあたる全13章分で、シャクティ派、シャクティ信仰の聖典として特に尊重されています。およそ700の韻文詩を含むため、「サプタ・シャティー(700節の詩) सप्तशती  saptaśatī」とも呼ばれ(ドゥルガー・サプタ・シャティー(दुर्गासप्तशती durgāsaptaśatī)、チャンディー・パータ(चण्डीपाठः caṇḍīpāṭhaḥ)とも。)、ドゥルガープージャー、ナヴァラートリにおいて唱えられます。

 

【逐語訳】

सर्वमङ्गलमाङ्गल्ये

sarvamaṅgalamāṅgalye

全ての吉祥なもののなかでも吉祥なる女神よ!

(サルヴァ・マンガラ・マーンガリェー)

 

शिवे सर्वार्थसाधिके ।

śive sarvārthasādhike |

聖なる女神、

全ての目的を成就する女神よ!

(シヴェー・サルヴァールタ・サーディケー)

 

शरण्ये त्र्यम्बके गौरि

śaraṇye tryambake gauri

庇護者たる女神、

三つ目の女神、

輝かしい女神よ!

(シャランニェー・トリャンバケー・ガウリ)

 

नारायणि नमोऽस्तु ते ॥

nārāyaṇi namo‘stu te ||

ナーラーヤニーよ!

汝に帰依いたします。

(ナーラーヤニ・ナモー・ストゥ・テー)

 

【単語の意味と文法の解説】

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

सर्व-  sarva- 全ての(複合語)

मङ्गल-  maṅgala- 吉祥なる(複合語)

माङ्गल्ये  māṅgalye < māṅgalyā- > 吉祥なるもの (女性名詞、呼格、単数) 「吉祥な者よ!」

शिवे  śive < śivā- > 聖なるもの(女性名詞、呼格、単数<śivaの女性形)「聖なる者よ!」

सर्व- sarva- 全ての(複合語、代名詞的形容詞)

अर्थ- artha- 目的(複合語)

साधिके sādhike < sādhikā- > 成就するもの(女性名詞、呼格、単数)「全ての目的を成就する者よ!」

शरन्ये śaranye < śaraṇyā-> 庇護するもの(女性名詞、呼格、単数)「庇護するものよ!」

त्रि tri- 三つの

अम्बके ambake < ambakā- > 目(女性名詞、呼格、単数) 「三つ目を持つ者よ!」

गौरि gauri < gaurī- > 黄色いもの、輝くもの(女性名詞、呼格、単数)「輝く者よ!」

नारायणि nārāyaṇi < nārāyaṇī- > ナーラーヤニー(女性名詞、呼格、単数)「ナーラーヤニーよ!」

नमो namo < namaḥ >  南無、敬礼、帰依(中性名詞、主格、単数)「帰依が」

अस्तु astu < √as- >~である(命令法、能動態、3人称、単数)「あれ!」

ते te < tubhyam > あなたに(二人称代名詞、為格、単数の附帯形)「あなたに」

 

(文章:pRthivii)

gaṇānāṁ tvāではじまるマントラ(ブラフマナスパティ・スークタ)

ガネーシャ神(गणेश gaṇeśa)に対するマントラには様々なものがありますが、

その中でもとくに起源の古いものは、

リグ・ヴェーダ(ऋग्वेद ṛgveda)第2巻、第23章、第1詩節に出てくる

गणानां त्वा गणपतिं हवामहे  gaṇānāṁ tvā gaṇapatiṁ havāmahe

(ガナーナーン・トゥヴァー・ガナパティン・ハヴァーマヘー)

で始まるマントラです。

 

もともとリグ・ヴェーダにおいてこのマントラはブラフマナスパティ(ब्रह्मनस्पति brahmanaspati)直訳すると祈祷主=ブリハスパティ(बृहस्पति bṛhaspati)に対する19詩節からなる讃歌の冒頭の詩節で、神格の名前をとって、ブラフマナスパティ・スークタ(ब्रह्मनस्पतिसूक्त brahmanaspatisūkta)と呼ぶこともあります。

ガネーシャ神の別名「ガナパティ(गणपति gaṇapati)」という語が入っているので、今ではガネーシャ神へのマントラとしてポピュラーになっています。

19詩節の讃歌全体が岩波文庫『リグヴェーダ』(1970年、岩波書店)に訳が入っているので、機会があったらぜひ読んでみてください。

【逐語訳】

 

ॐ गणानां त्वा गणपतिं हवामहे

oṁ gaṇānāṁ tvā gaṇa-patiṁ havāmahe

眷属のなかの眷属長たる汝を、我らは召喚します。

 

कविं कवीनामुपमश्रवस्तमम् ।

kaviṁ kavīnām_upama-śravas-tamam|

詩人達のなかの詩人を。高名なる者を。

 

ज्येष्ठराजं ब्रह्मणां ब्रह्मणस्पत

jyeṣṭha-rājaṁ brahmaṇāṁ brahmaṇas-pata

祈祷者のなかの最高の王を。祈祷主(ブラフマナスパティ)よ!

 

आ नः शृण्वन्नूतिभिः सीद सादनम् ॥ ṛgveda.2.23.1

ā naḥ śṛṇvan_ūtibhiḥ sīda sādanam||

恩恵とともに我らに耳を傾け、この座にお座りください。

 

 

【補足】

1行目を「oṁ gaṇānāṁ tvā gaṇapati gu havāmahe ガナーナーン・トゥヴァー・ガナパティ・グン・ハヴァーマヘー」と唱える場合がありますが、リグ・ヴェーダの詩節は、音節の数が決まっている韻文詩なので、gumが入ると韻律が崩れてしまうため、もともとはgumは入ってなかったと考えられます。

音節とは、単純に言えば一つの母音を含む音の塊のこと。

このマントラの場合は、一行あたり12音節×4行のジャガティー(jagatī)と呼ばれる形式で、つまり、一行あたり母音を12個含みます。

gaānāṁ tvā gaapatiṁ havāmahe (赤字の部分が母音)

 

また、4行目のśṛṇvannūtibhiḥを śṛṇvan – nūtibhiḥ(称賛)と区切って訳しているものも見受けられますが、「称賛」という意味の単語はnuti- でありnūti-ではありません。14世紀の注釈家サーヤナの注釈でも、śṛṇvan – ūtibhiḥ と区切られています。

短母音に続く語末の-nは、次に母音が来ると-nnと重なる、という連声(サンディ)のルールがあるので、śṛṇvan + ūtibhiḥ → śṛṇvannūtibhiḥ と発音されるのです。

 

 

【単語の意味と文法の解説】

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

ॐ oṁ <a-u-m> 聖音「オーン」

गणानाम् gaṇānām <gaṇa-> 眷属(男性名詞、属格、複数)「眷属たちのなかの」

त्वा tvā <tvat-> あなた(二人称、対格、単数)「あなたを」

गण- <gaṇa-> 眷属(男性名詞、複合語)「眷属の」

पतिम् patim <pati-> 主人(男性名詞、対格、単数)「主を」

हवमहे havāmahe <√hū-> 呼ぶ(現在形、反射態、1人称、複数)「私たちは呼びます」

कविम् kavim <kavi-> 詩人(男性名詞、対格、単数)「詩人を」

कवीनाम् kavīnām <kavi-> 詩人(男性名詞、属格、複数)「詩人たちのなかの」

उपमश्रवस्तमम् upama-śravas-tamam <upamaśravastama-> 名高い(形容詞)

ज्येष्ठ <jyeṣṭha-> 最高の(形容詞、複合語)「最高の」

राजम् rājam <rājan-> 王(男性名詞、対格、単数)「王を」

ब्रह्मणाम् brahmaṇām <brahman-> 祈祷者(男性名詞、属格、複数)「祈祷者たちのなかの」

*リグヴェーダでの「ブラフマン」の語は、ウパニシャッドで語られる宇宙原理のことではなく、神の言葉を聞く詩聖や神に祈祷する能力を持った司祭を指すと思われます。

ब्रह्मणस् brahmaṇas- <brahman-> 祈祷者(男性名詞、属格、単数)「祈祷者の」

पते pate <pati-> 主人 (男性名詞、呼格、単数)「主よ!」

आ ā ~に向かって(前置詞)後ろのशृण्वन् śṛṇvanに意味を付け加える

नः naḥ <asmat-> 私たち(一人称、対格、複数)「私たちを」

शृण्वन् śṛṇvan <√śru-> 聞く(現在能動分詞、男性形、主格、単数)「~聞いて」

ऊतिभिः ūtibhiḥ <ūti-> 激励、恩恵(女性名詞、具格、複数)「恩恵とともに」

सीद sīda <sad-> 座る(現在、命令法、能動態、2人称、単数)「座れ!」

सादनम् sādanam <sādana-> 座席、居所(中性名詞、対格、単数)「座席に」

(文章:pRthivii)

 

シャンカラによるsaha nāvavatuマントラの解釈

前回の記事では、सह नावावामवतु(saha nāvavatu)で始まるマントラの文法や逐語訳を紹介しました。

सह नाववत्विति शान्तिमन्त्रः サハナーヴァヴァトゥではじまるシャーンティ・マントラ

それに関連して、ヴェーダーンタ学派の不二一元論(アドヴァイタ)を唱えたことで有名な、8世紀のシャンカラ・アーチャーリヤ(アーチャーリヤとは先生の意味。アーディ・シャンカラ、初代シャンカラとも)が記した注釈に触れたいと思います。

 

注釈、というのは、聖典の内容を詳しく解説すること。ヴェーダ聖典も時代を経るにつれ、使われている単語や文体の意味が分かりにくくなっていたようで、「これはこういう意味ですよ」と、後代の教師が単語ひとつひとつを解説している注釈書が残っているのです。

シャンカラ先生の時代でさえ、ウパニシャッドが編纂された時代とおよそ1000年も隔たりがあるため、伝統的にどのように解釈されてきたのか、という定義と同時に、その注釈を記した教師の考えや当時の価値観が入っている可能性もないわけではないことは、少し注意してください。

 

シャンカラ先生がsaha nāvavatu のマントラについて解説している部分で、一箇所、いま知られている単語の区切り方(tejasvi nāv_adhītam_astu)とは違うところがあって、そこではtejasvināv_adhītam_astu と読まれていました。

しかし、अथवा athavā 「あるいは」の語の後に、今知られている読み方を挙げています。重大な意味の変化をもたらすような違いではありませんが、率直に二通りの読み方を挙げているところに、私はシャンカラ先生の誠実さを感じました。

聖典なのにいくつもの読み取り方がある、というのはいかにもサンスクリット語らしいところでもあり、サンスクリット文を読む難しさでもあります。

 

【原文】

 

कठोपनिषत् kaṭhopaniṣat カタ・ウパニシャッド2.3.19

सह नावावामवतु पालयतु विद्यास्वरुपप्रकाशनेन । कः स एव परमेश्वर उपनिषत्प्रकाशितः । किं च सह नौ भुनक्तु तत्फलप्रकाशनेन नौ पालयतु। सहैवावां विद्याकृतं वीर्यं सामर्थ्यं करवावहै निष्पादयावहै। किं च तेजस्विनौ तेजस्विनोरावयोर्यदधीतं तत्स्वधीतमस्तु। अथवा तेजस्वि नावावाभ्यां यदधीतं तदतीव तेजस्वि वीर्यवदस्तु इत्यर्थः। विद्विषावहै शिष्याचार्यावन्योन्यं प्रमादकृतान्यायाध्ययनाध्यापनदोषनिमित्तं द्वेषं मा करवावहै इत्यर्थः।शान्तिः शान्तिः शान्तिरिति त्रिर्वचनं सर्वदोषोपशमनार्थमित्योमिति॥

 

【原文(ローマナイズ)】

*アンダーバーは独立する単語同士の区切りを指し、ハイフンは複合語内での区切りを指しています。

 

kaṭhopaniṣat カタ・ウパニシャッド2.3.19

saha nāv_āvām_avatu pālayatu vidyā-svarupa-prakāśanena |

kaḥ sa eva parameśvara(ḥ) upaniṣatprakāśitaḥ |

kiṁ ca saha nau bhunaktu tat_phalaprakāśanena nau pālayatu |

saha_eva_āvāṁ vidyākṛtaṁ vīryaṁ sāmarthyaṁ karavāvahai niṣpādayāvahai |

kiṁ ca tejasvinau tejasvinor_āvayor_yad_adhītaṁ tat_sv-adhītam_astu |

athavā tejasvi nāv_āvābhyāṁ yad_adhītaṁ tad_atīva tejasvi vīryavad_astu ity_arthaḥ |

vidviṣāvahai śiṣya-ācāryāv_anyonyaṁ pramāda-kṛta-anyāya-adhyayana-adhyāpana-

doṣa-nimittaṁ dveṣaṁ mā karavāvahai ity_arthaḥ |

śāntiḥ śāntiḥ śāntiriti trir_vacanaṁ sarva-doṣa-upaśamana-artham_ity_om_iti ||

 

【逐語訳】

*注釈文は箇条書きのような独特の文体なので日本語として意味が通じるように訳すのが難しいため、単語ごとに続けて訳を挿入していますが、日本語の部分だけを繋げて読むこともできるように書いてあります。イタリック体字の部分はマントラの本文です。本文の文法解説は前回の記事をご覧ください。 

saha nau我々二人とともに(とはつまり)āvām〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人を(の意味)。avatu守れ(とはつまり)pālayatu〔√pal, 命令法能動態、三人称単数〕守りたまえ(の意味)。vidyā_svarupa_prakāśanena〔複合語、男性名詞具格単数〕学問の本質を明らかにするものによりて。

kaḥ〔疑問詞、男性形主格単数〕sa(ḥ)〔代名詞、男性形主格単数〕 eva(小辞)誰であるかといえば実にparameśvara(ḥ)〔男性名詞主格単数〕最高神、upaniṣat-prakāśitaḥ〔男性名詞主格単数〕ウパニシャッドに明示されたものである。kiṁ〔疑問詞、中性形主格単数〕 ca(=kim caで) さらに、saha nau bhunaktu我々二人とともに満足せよ(とはつまり)、我々二人に満足する(ということ)。tat-phala-prakāśanena〔複合語、男性名詞具格単数〕その成果を明らかにするものによって、nau〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人をpālayatu〔√pal, 命令法能動態、三人称単数〕 守りたまえ(の意味である)。

saha~とともに(とは)eva〔小辞〕まさにāvāṁ〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人を(の意味で)、vidyā-kṛtaṁ〔複合語、中性形対格単数〕学問を行なうvīryaṁ 努力 (とは)sāmarthyaṁ〔中性名詞主格単数〕最善を karavāvahai〔√kṛ, 命令法反射態、一人称両数〕行ないます、(つまり) niṣpādayāvahai〔nis√pad, 命令法反射態、一人称両数〕実行します(の意味である)。

kiṁ(疑問詞、中性形主格単数) ca(=kim caで)さらに、tejasvinau輝かしいふたつのもの (とはつまり)tejasvinoḥ〔形容詞、中性形属格両数〕輝かしいāvayoḥ〔代名詞、一人称属格両数〕私たち二人のyad〔関係代名詞、中性形主格単数〕adhītaṁ学んだことが (つまり)tat〔指示代名詞、中性形主格単数〕su-adhītam〔中性形主格単数〕優れた学びでastuありますように(という意味)。

athavā〔接続詞〕あるいは、 tejasvi nau輝かしいものが我々に(とはつまり)āvābhyāṁ〔代名詞、一人称為格両数〕私たち二人に yad〔関係代名詞、中性形主格単数〕adhītaṁ学んだことが tad〔指示代名詞、中性形主格単数〕atīva〔副詞〕非常にtejasvi〔形容詞、中性形主格単数〕輝かしいもの(つまり)vīryavad〔形容詞、中性形単数主格〕効果的なものでastu あれiti〔引用〕arthaḥ〔男性名詞主格単数〕という意味である。

vidviṣāvahai我ら二人が仲違いする(とはつまり)śiṣya-ācāryāv〔複合語、男性名詞主格両数〕学生と教師(の二人)が anyonyaṁ〔中性形単数主格〕お互いに pramāda-kṛta-不注意な行いやanyāya-adhyayana-間違った勉強やadhyāpana-doṣa-暴力的指導がnimittaṁ〔複合語、男性形対格単数〕原因の dveṣaṁ〔男性名詞対格単数〕ケンカを karavāvahai〔√kṛ, 命令法反射態、一人称両数〕決して行ないませんiti〔引用〕arthaḥ〔男性名詞主格単数〕という意味である。

śāntiḥ śāntiḥ śāntir_itiシャーンティ、シャーンティ、シャーンティというtrir〔数詞、主格複数〕三つのvacanaṁ〔中性名詞主格単数〕 言葉は、sarva-全てのdoṣa-過失のupaśamana-消失のartham〔対格単数=副詞用法〕目的iti〔引用〕ということで_om_iti〔引用〕オーンと同様である。

 

(文章:pRthivii)

सह नाववत्विति शान्तिमन्त्रः サハナーヴァヴァトゥではじまるシャーンティ・マントラ

「サハナーヴァヴァトゥ」で始まる
シャーンティ・マントラについて解説します。

 

最近ではヨーガのクラスでも唱えられていますが、
もともとは、ウパニシャッドの聖典の一節であり、
教師から弟子へ、ウパニシャッドの奥義を
マンツーマンで教える際に唱えるものでした。

 

このマントラは、間違った位置で単語を区切っている
間違ったテキストが広まっているので注意してください。

サンスクリット語には、単語の最後の音と次の単語の最初の音が繋がる
「サンディ」というルールがあります。
別々の単語が繋がって発音され、
繋がって書かれているため、
サンディの知識や、語尾の知識がないと
どこで区切るのか正確には分かりません。

誤った情報を鵜呑みにしたり拡散したりしてしまう危険があります。

 

例:よく見られる間違い

sahanā vavatu ×

saha nāv* avatu ○ → saha nāvavatu

*(本来はnau。「私たち二人を」サンディによってnāvと変化したうえで、次のavatuが繋がっています)

 

次の例:

tejasvi nāvadhī tamastu ×

tejas vināvadhī tamastu ×

tejasvināvadhī tam astu ×

この部分は他にも様々な切り方がネット上に散見しています。

 

正しくは

tejasvi nāv* adhītam astu ○ → tejasvi nāvadhītamastu

*(先と同様、本来はnau)

*(この部分に関して、シャンカラは注釈でtejasvināv adhītam astuという分け方も挙げています)

 

次の例:

mā vid viṣāvahai×

mā vidviṣāvahai○

 

vidを分けて、「知る」という単語であるような説明をしているケースがありますが、
これは間違いです。

vidviṣāvahai は長いので
複数の単語がくっついているのかと思いきや、
これで一つの単語なのです。

語根はvi√dviṣ- 憎み合う、ケンカする

という意味で、直前の mā が強い否定辞、
しかもアートマネーパダ(反射態、自為言)という
自分のために作用する動作を表わす活用で命令法なので、

「私たち二人は決して仲違いしないぞ!」

という意思表明なのです。

 

広い海を航海するときに海図や羅針盤を持っていれば迷わないように、
サンスクリット語の知識は音の世界の中で方向を指し示す光となるものです。
マントラに親しんでいる方は機会があれば
ぜひサンスクリット語を学んでください。

 

【逐語訳】
*アンダーバーはサンディで繋がっている単語の切れ目です

ॐ सह नाववतु ।  * स ह (sa ha) と唱える学派もあるようです

oṁ saha nāvavatu (oṁ saha nāv_avatu)

「オーン、ともに我ら二人(=教師と弟子)をお守りください」

 

सह नौ भुनक्तु ।

saha nau bhunaktu

「ともに我ら二人にご満足ください」

 

सह वीर्यं करवावहै ।

saha vīryaṁ karavāvahai

「ともに我ら二人は精進いたします」

 

तेजस्वि नावधीतमस्तु

tejasvi nāvadhītamastu (tejasvi nāv_adhītam_astu)

「輝かしい学習成果が我ら二人にありますように」

 

मा विद्विषावहै ।

mā vidviṣāvahai

「我ら二人が仲違いすることのありませんように」

 

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ।

oṁ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ

「オーン、平安あれ!平安あれ!平安あれ!」

 

【単語の意味と文法の解説】

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

ॐ oṁ <a-u-m> 聖音 「オーン」

सह saha <saha> (不変化辞) 「~とともに」

*sa ha  と読む場合、「saḥ 彼は、ha ああ!(感嘆詞)」

ただし、シャンカラは注釈においてsahaと読んでいる。

नाव् nāv <サンディで変化する前の単語= नौ nau,> 我ら二人 (1人称、両数、対格、附帯形) 「我ら二人を」

अवतु avatu <√av-> 守る、助ける(命令法、能動態、3人称、単数)「守りたまえ」

*ヴェーダ聖典では「~を喜ぶ」の意味でも使われており、服部正明訳では「我ら二人を嘉したまえ」

(cf. 『世界の名著 バラモン教典・原始仏典』 p.151, 中央公論社, 1969)

सह saha  <saha 不変化> 「~とともに」

नौ nau 我ら二人(1人称、両数、対格、附帯形) 「我ら二人を」

भुनक्तु  bhunaktu <√bhuj-> 食べる、喜ぶ(命令法、能動態、3人称、単数)「喜びたまえ」

सह saha <saha> (不変化辞) 「~とともに」

वीर्यम् vīryam <vīrya->力、気力、努力、活力(中性名詞、対格、単数)

करवावहै karavāvahai <√kṛ-> ~する(命令法、反射態、1人称、両数)

तेजस्वि  tejasvi <tejasvin-> 威光(テージャス)を有する~(形容詞、中性形、主格、単数)「輝かしい」

नाव् nāv <サンディで変化する前の単語= नौ nau,> 我ら二人(1人称、両数、為格、附帯形)「我ら二人に」

*属格とも考えられるが、シャンカラ注に従って為格とする

अधीतम् adhītam <adhi√i-> 学ぶ (過去受動分詞、中性形、主格、単数)「学習が」

अस्तु astu <√as-> ~がある (命令法、能動態、3人称、単数)「あれ!」

मा mā (naよりも意味の強い否定辞)

विद्विषावहै vidviṣāvahai <vi√dviṣ-> 敵対する(命令法、反射態、1人称、両数)

直前のमा mā とともに「我ら二人は決して敵対することなかれ!」

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः oṁ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ 「平和あれ!平和あれ!平和あれ!」

(文章:pRthivii)

शान्तिमन्त्रः śāntimantraḥ シャーンティマントラ

「シャーンティマントラ」として知られる、
世界や生類の安寧を祈るマントラ
lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu
実はこれは一部分で、全体は次のような詩節です。

स्वस्ति प्रजाभ्यः परिपालयन्तां न्यायेन मार्गेण महीं महीशाः ।
svasti prajābhyaḥ paripālayantāṃ nyāyena mārgeṇa mahīṃ mahīśāḥ |
「民に幸あれ。正しい道理に従って地上の王たちは地上を守護したまえ。」

गोब्राह्मणेभ्यः शुभमस्तु नित्यं लोकाः समस्ताः सुखिनो भवन्तु ॥
gobrāhmaṇebhyaḥ śubhamastu nityaṃ lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu ||
「牛や聖者たちに常に恵みがありますように。世界のすべてが幸福でありますように。」

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ॥
oṃ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ ||
「オーン、シャーンティ、シャーンティ、シャーンティ」

 

【単語の意味と文法の解説】

 

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

स्वस्ति svasti <svasti-> 幸い、安寧(格変化せず祝詞として使われる。)「幸あれ!」「安寧あれ!」

प्रजाभ्यः prajābhyaḥ <prajā-> 生類、人類、民、子孫(女性名詞、複数形、為格)「民のために」

परिपालयन्ताम् paripālayantām <pari√pal-> 保護する、守る(能動態、3人称、複数、命令)「保護せよ!」

न्यायेन nyāyena <nyāya-> 正しい(形容詞、単数、具格)→次のmārgaを修飾

मार्गेण mārgeṇa <mārga-> 道(男性名詞、単数、具格)「道に沿って」

महीम् mahīm <mahī-> 大地(女性名詞、単数、対格)「大地を」

महीशाः mahīśāḥ < mahī-īśa- > 大地-支配者(男性名詞、複数、主格)「大地の支配者たちは」

गो go <gau-> 牛(女性(または男性)名詞、複合語:神聖な存在としての)「牛と」

ब्राह्मणेभ्यः brāhmaṇebhyaḥ <brāhmaṇa-> ブラーフマナ(ブラーミン)(男性名詞、複数、為格)「ブラーフマナたちのために」

शुभम् śubham <śubha-> 吉祥、恵み(中性名詞、単数、主格)「吉祥が」

अस्तु astu <√as-> ある、いる(能動態、3人称、単数、命令)「あれ!」

नित्यम् nityam <nitya-> いつも(中性形、単数、主格:副詞的に使われる)「常に」

लोकाः lokāḥ <loka-> 世界 (男性名詞、複数、主格)「世界が」

समस्ताः samastāḥ <sam-√as-> まとまった、全部の(形容詞、男性形、複数、主格)「一切の」

सुखिनः sukhinaḥ <sukhin-> 幸福(男性形、複数、主格)「幸福な~」(loka-を修飾する形容詞として)

भवंतु bhavantu <√bhū- > なる、ある(能動態、3人称、複数、命令)「~になれ!」

ॐ om < a-u-m > 聖なる音「オーン」

शान्तिः śāntiḥ <śānti-> 平安(女性名詞、単数、主格:)「平安」

 

様々な日本語訳、英語訳がありますが、
もともとの意味はとてもシンプルです。
現代の日本では、「王」や「牛」といった言葉は
実感がわきにくいかもしれませんが、
マントラの背景にはインドの文化や社会があります。

「牛と聖者(=ブラーフマナ)」という言葉は神聖なものの代表で、
そういう神聖な存在が正しく敬われる状態を
平和な世の中として表現しています。
律法書『マヌ法典』では
国や人民を守る王の役割が重要視されているのも
古代から戦争が多かったこととは無関係ではないでしょう。
「プラジャー प्रजा prajā」は人民、子孫の意味で使われることが多いですが、
生類、被造物という意味もあるので、
今では地球環境や生き物も含めた平和の祈りとも解釈されています。

このマントラと似たような表現はプラーナ聖典にいくつかあるのですが、
正確な出典は不明です。さらに長いヴァージョンもあるようです。
世界の平和を願う人々の気持ちから自然に広まったのかもしれません。
(文章:pRthivii)

サンスクリット語豆知識 数字とネーミング

sanskrit

サンスクリット語の数字とネーミング

 

インドの祝祭の名前には数字が使われているものが多くあります。

たとえば、

ナヴァラートリनवरात्रि navarātri (=九夜祭)

ジャンマアシュタミー जन्माष्ठमी janmāṣṭamī (新月から八日目の聖誕祭)

ガネーシャチャトゥルティー गणेशचतुर्थी gaṇeśacaturthī (新月から四日目のガネーシャ祭)

といった名前でおなじみでしょう。

 

現代のヒンディー語では、9は「ナォ」、8は「アート」、4は「チャール」

といいますが、祝祭名にはサンスクリット語が使われています。

 

より詳しく説明すると、ナヴァラートリのナヴァnavaは基数詞(*1)なので「九つの夜」という意味であり、九夜続くお祭りであることが分かります。

その翌日にあたるお祭り「ダシャラー」はサンスクリット語ではダシャハラー दशहरा daśaharāで、語源は「十(の罪)を払うもの」。(दशहोरा daśahorā「十日間」が語源という説も)

 

一方、アシュタミー aṣṭamī、チャトゥルティー caturthīは序数詞(*2)なので、それぞれ「八日目」「四日目」の意味です。お祭りは何日か続くとしても、その名称は生誕の日そのものを指しています。

ダシャラーの別名ヴィジャヤダシャミー विजयदशमी vijayadaśamī の意味は「勝利の十日目」です。

 

また、

パンチャーンガ पञ्चाङ्ग pañcāṅga(五部門=インド暦法)

パンチャカルマ पञ्चकर्म pañcakarma(五つの行=アーユルヴェーダの浄化法)

アシュターンガ अष्टाङ्ग aṣṭāṅga(八部門=ヨーガ行法)

のような伝統文化の用語に使われている数字は、

現代語に置き換わらずに

サンスクリット語のまま使われているようです。

 

インドは、近年数学に強いことで知られていますが、

数としての0の概念を発見した国でもあり

古代より数学が発展していました。

そのせいもあるのでしょうか、

様々なネーミングに好んで数字が用いられています。

 

一例を挙げると

文法学者パーニニによる文典は

アシュターディヤーイー अष्टाध्यायी Aṣṭādhyāyī

「八章を持つもの」という名前ですし、

 

サーマヴェーダ所属の二十五章から成る祭儀書(梵書、ブラーフマナ)は

パンチャヴィンシャ・ブラーフマナ पञ्चविंशब्राह्मण Pañcaviṃśa Brāhmaṇa

「二十五章の祭儀書」という名前で呼ばれています。

 

インドは比喩表現にも数字を多用し、

「一音節」という意味の単語

エーカークシャラ एकाक्षर ekākṣara

は聖音「オーム ॐ om」を指しています。

 

「五音節」という意味の

パンチャークシャラ पन्चाक्षर pancākṣara は、

シヴァ神へのマントラ

「ナマ(ハ)シヴァーヤ नमः शिवाय namaḥ śivāya」

を指しています。

 

「一音節」や「五音節」が何を

表わしているのか、文脈を知らない人には

全く意味がわかりません。

逆に、当時の人々にとっては

共通の知識だったといえます。

 

神聖なものを直接的な言葉で表わすことを避けて

言い換えたり、比喩を用いたりすることは

世界中で見られる事象ですが、

そこに「数」を多用するところは

インド文化の特性かもしれません。

基数詞(*1) 物事の個数を表すための数 one, two, three, four …

序数詞(*2) 物事の順序を表すための数 first, second, third, fourth …

(文章:pRthivii)

サンスクリット語のサンディ;ナマス、ナマハ、ナモーは何が違う?

Krper, Geist und Seele

インドでおなじみの挨拶「ナマステー」も
最近の若い人はあまり使わなくなっているとも聞きますが、
この言葉は二つの単語から出来ています。

नमस् ते ナマス・テー
ナマスは「礼拝」「敬意」を、
テーは「あなた」「きみ」を意味しています。

誰に対しても分け隔てなく敬意を示して
「ナマス・テー」と挨拶するのですね。

さてこの「ナマス」という言葉、
日本人には古くから繋がりがあります。
「南無阿弥陀仏」
「南無観世音菩薩」等々の「南無」
密教の真言に出てくる「ノウマク」「ナウマク」も
どちらも「ナマス」が訛ったものです。

よく知られているマントラ
ॐ नमो नारायनाय オーン・ナモー・ナーラーヤナーヤ
ॐ गणेशाय नमः オーン・ガネーシャーヤ・ナマハ
などのなかに出てくる
「ナモー」「ナマハ」も
全て「ナマス」とまったく同じ単語、同じ意味です。

ではなぜ、同じ単語なのに
ナマスだったりナモーだったり
ナマハだったりするのでしょうか?

「ナマス」が訛ったものなのでしょうか?

以前、サンスクリット語の名詞は
格変化がたくさんあるという話を書きましたが、
「ナマス」が格変化しているのでしょうか?

実はナマスという単語は格変化をしない性質があります。
また訛りでもありません。
語中や文中の音が、前後の音との影響で変化する規則
=「サンディ」によるものなのです。

サンディを詳しく説明するには時間がかかるので
今は簡単に説明すると、ナマスが
文の一番最後に来ているときは、ナマハ
後ろにナ行の子音が来ているときは、ナモー
後ろにタ行の子音が来ているときは、ナマス
というふうに、変化しています。

もう一度、三つの文を比べてみましょう。
नमस् ते ナマス・テー
नमो नारायनाय オーン・ナモー・ナーラーヤナーヤ
ॐ गणेशाय नमः オーン・ガネーシャーヤ・ナマハ

日本語でも英語でも、前後の音の連結で
発音が変化することは珍しいことではありませんが、
サンスクリット語では、文字も変わってしまいます。

そのことは以前にも
単語と単語をつなげて書く表記法
のなかで書きましたが、
サンスクリット語を学びはじめた人が
ぶつかる大きな壁がこのサンディだろうと思います。

しかし、サンディを知っていると
マントラを唱えるときにも
単語の区切りや意味が把握できるようになります。

(文章:pRthivii)