gaṇānāṁ tvāではじまるマントラ(ブラフマナスパティ・スークタ)

ガネーシャ神(गणेश gaṇeśa)に対するマントラには様々なものがありますが、

その中でもとくに起源の古いものは、

リグ・ヴェーダ(ऋग्वेद ṛgveda)第2巻、第23章、第1詩節に出てくる

गणानां त्वा गणपतिं हवामहे  gaṇānāṁ tvā gaṇapatiṁ havāmahe

(ガナーナーン・トゥヴァー・ガナパティン・ハヴァーマヘー)

で始まるマントラです。

 

もともとリグ・ヴェーダにおいてこのマントラはブラフマナスパティ(ब्रह्मनस्पति brahmanaspati)直訳すると祈祷主=ブリハスパティ(बृहस्पति bṛhaspati)に対する19詩節からなる讃歌の冒頭の詩節で、神格の名前をとって、ブラフマナスパティ・スークタ(ब्रह्मनस्पतिसूक्त brahmanaspatisūkta)と呼ぶこともあります。

ガネーシャ神の別名「ガナパティ(गणपति gaṇapati)」という語が入っているので、今ではガネーシャ神へのマントラとしてポピュラーになっています。

19詩節の讃歌全体が岩波文庫『リグヴェーダ』(1970年、岩波書店)に訳が入っているので、機会があったらぜひ読んでみてください。

【逐語訳】

 

ॐ गणानां त्वा गणपतिं हवामहे

oṁ gaṇānāṁ tvā gaṇa-patiṁ havāmahe

眷属のなかの眷属長たる汝を、我らは召喚します。

 

कविं कवीनामुपमश्रवस्तमम् ।

kaviṁ kavīnām_upama-śravas-tamam|

詩人達のなかの詩人を。高名なる者を。

 

ज्येष्ठराजं ब्रह्मणां ब्रह्मणस्पत

jyeṣṭha-rājaṁ brahmaṇāṁ brahmaṇas-pata

祈祷者のなかの最高の王を。祈祷主(ブラフマナスパティ)よ!

 

आ नः शृण्वन्नूतिभिः सीद सादनम् ॥ ṛgveda.2.23.1

ā naḥ śṛṇvan_ūtibhiḥ sīda sādanam||

恩恵とともに我らに耳を傾け、この座にお座りください。

 

 

【補足】

1行目を「oṁ gaṇānāṁ tvā gaṇapati gu havāmahe ガナーナーン・トゥヴァー・ガナパティ・グン・ハヴァーマヘー」と唱える場合がありますが、リグ・ヴェーダの詩節は、音節の数が決まっている韻文詩なので、gumが入ると韻律が崩れてしまうため、もともとはgumは入ってなかったと考えられます。

音節とは、単純に言えば一つの母音を含む音の塊のこと。

このマントラの場合は、一行あたり12音節×4行のジャガティー(jagatī)と呼ばれる形式で、つまり、一行あたり母音を12個含みます。

gaānāṁ tvā gaapatiṁ havāmahe (赤字の部分が母音)

 

また、4行目のśṛṇvannūtibhiḥを śṛṇvan – nūtibhiḥ(称賛)と区切って訳しているものも見受けられますが、「称賛」という意味の単語はnuti- でありnūti-ではありません。14世紀の注釈家サーヤナの注釈でも、śṛṇvan – ūtibhiḥ と区切られています。

短母音に続く語末の-nは、次に母音が来ると-nnと重なる、という連声(サンディ)のルールがあるので、śṛṇvan + ūtibhiḥ → śṛṇvannūtibhiḥ と発音されるのです。

 

 

【単語の意味と文法の解説】

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

ॐ oṁ <a-u-m> 聖音「オーン」

गणानाम् gaṇānām <gaṇa-> 眷属(男性名詞、属格、複数)「眷属たちのなかの」

त्वा tvā <tvat-> あなた(二人称、対格、単数)「あなたを」

गण- <gaṇa-> 眷属(男性名詞、複合語)「眷属の」

पतिम् patim <pati-> 主人(男性名詞、対格、単数)「主を」

हवमहे havāmahe <√hū-> 呼ぶ(現在形、反射態、1人称、複数)「私たちは呼びます」

कविम् kavim <kavi-> 詩人(男性名詞、対格、単数)「詩人を」

कवीनाम् kavīnām <kavi-> 詩人(男性名詞、属格、複数)「詩人たちのなかの」

उपमश्रवस्तमम् upama-śravas-tamam <upamaśravastama-> 名高い(形容詞)

ज्येष्ठ <jyeṣṭha-> 最高の(形容詞、複合語)「最高の」

राजम् rājam <rājan-> 王(男性名詞、対格、単数)「王を」

ब्रह्मणाम् brahmaṇām <brahman-> 祈祷者(男性名詞、属格、複数)「祈祷者たちのなかの」

*リグヴェーダでの「ブラフマン」の語は、ウパニシャッドで語られる宇宙原理のことではなく、神の言葉を聞く詩聖や神に祈祷する能力を持った司祭を指すと思われます。

ब्रह्मणस् brahmaṇas- <brahman-> 祈祷者(男性名詞、属格、単数)「祈祷者の」

पते pate <pati-> 主人 (男性名詞、呼格、単数)「主よ!」

आ ā ~に向かって(前置詞)後ろのशृण्वन् śṛṇvanに意味を付け加える

नः naḥ <asmat-> 私たち(一人称、対格、複数)「私たちを」

शृण्वन् śṛṇvan <√śru-> 聞く(現在能動分詞、男性形、主格、単数)「~聞いて」

ऊतिभिः ūtibhiḥ <ūti-> 激励、恩恵(女性名詞、具格、複数)「恩恵とともに」

सीद sīda <sad-> 座る(現在、命令法、能動態、2人称、単数)「座れ!」

सादनम् sādanam <sādana-> 座席、居所(中性名詞、対格、単数)「座席に」

(文章:pRthivii)

 

シャンカラによるsaha nāvavatuマントラの解釈

前回の記事では、सह नावावामवतु(saha nāvavatu)で始まるマントラの文法や逐語訳を紹介しました。

सह नाववत्विति शान्तिमन्त्रः サハナーヴァヴァトゥではじまるシャーンティ・マントラ

それに関連して、ヴェーダーンタ学派の不二一元論(アドヴァイタ)を唱えたことで有名な、8世紀のシャンカラ・アーチャーリヤ(アーチャーリヤとは先生の意味。アーディ・シャンカラ、初代シャンカラとも)が記した注釈に触れたいと思います。

 

注釈、というのは、聖典の内容を詳しく解説すること。ヴェーダ聖典も時代を経るにつれ、使われている単語や文体の意味が分かりにくくなっていたようで、「これはこういう意味ですよ」と、後代の教師が単語ひとつひとつを解説している注釈書が残っているのです。

シャンカラ先生の時代でさえ、ウパニシャッドが編纂された時代とおよそ1000年も隔たりがあるため、伝統的にどのように解釈されてきたのか、という定義と同時に、その注釈を記した教師の考えや当時の価値観が入っている可能性もないわけではないことは、少し注意してください。

 

シャンカラ先生がsaha nāvavatu のマントラについて解説している部分で、一箇所、いま知られている単語の区切り方(tejasvi nāv_adhītam_astu)とは違うところがあって、そこではtejasvināv_adhītam_astu と読まれていました。

しかし、अथवा athavā 「あるいは」の語の後に、今知られている読み方を挙げています。重大な意味の変化をもたらすような違いではありませんが、率直に二通りの読み方を挙げているところに、私はシャンカラ先生の誠実さを感じました。

聖典なのにいくつもの読み取り方がある、というのはいかにもサンスクリット語らしいところでもあり、サンスクリット文を読む難しさでもあります。

 

【原文】

 

कठोपनिषत् kaṭhopaniṣat カタ・ウパニシャッド2.3.19

सह नावावामवतु पालयतु विद्यास्वरुपप्रकाशनेन । कः स एव परमेश्वर उपनिषत्प्रकाशितः । किं च सह नौ भुनक्तु तत्फलप्रकाशनेन नौ पालयतु। सहैवावां विद्याकृतं वीर्यं सामर्थ्यं करवावहै निष्पादयावहै। किं च तेजस्विनौ तेजस्विनोरावयोर्यदधीतं तत्स्वधीतमस्तु। अथवा तेजस्वि नावावाभ्यां यदधीतं तदतीव तेजस्वि वीर्यवदस्तु इत्यर्थः। विद्विषावहै शिष्याचार्यावन्योन्यं प्रमादकृतान्यायाध्ययनाध्यापनदोषनिमित्तं द्वेषं मा करवावहै इत्यर्थः।शान्तिः शान्तिः शान्तिरिति त्रिर्वचनं सर्वदोषोपशमनार्थमित्योमिति॥

 

【原文(ローマナイズ)】

*アンダーバーは独立する単語同士の区切りを指し、ハイフンは複合語内での区切りを指しています。

 

kaṭhopaniṣat カタ・ウパニシャッド2.3.19

saha nāv_āvām_avatu pālayatu vidyā-svarupa-prakāśanena |

kaḥ sa eva parameśvara(ḥ) upaniṣatprakāśitaḥ |

kiṁ ca saha nau bhunaktu tat_phalaprakāśanena nau pālayatu |

saha_eva_āvāṁ vidyākṛtaṁ vīryaṁ sāmarthyaṁ karavāvahai niṣpādayāvahai |

kiṁ ca tejasvinau tejasvinor_āvayor_yad_adhītaṁ tat_sv-adhītam_astu |

athavā tejasvi nāv_āvābhyāṁ yad_adhītaṁ tad_atīva tejasvi vīryavad_astu ity_arthaḥ |

vidviṣāvahai śiṣya-ācāryāv_anyonyaṁ pramāda-kṛta-anyāya-adhyayana-adhyāpana-

doṣa-nimittaṁ dveṣaṁ mā karavāvahai ity_arthaḥ |

śāntiḥ śāntiḥ śāntiriti trir_vacanaṁ sarva-doṣa-upaśamana-artham_ity_om_iti ||

 

【逐語訳】

*注釈文は箇条書きのような独特の文体なので日本語として意味が通じるように訳すのが難しいため、単語ごとに続けて訳を挿入していますが、日本語の部分だけを繋げて読むこともできるように書いてあります。イタリック体字の部分はマントラの本文です。本文の文法解説は前回の記事をご覧ください。 

saha nau我々二人とともに(とはつまり)āvām〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人を(の意味)。avatu守れ(とはつまり)pālayatu〔√pal, 命令法能動態、三人称単数〕守りたまえ(の意味)。vidyā_svarupa_prakāśanena〔複合語、男性名詞具格単数〕学問の本質を明らかにするものによりて。

kaḥ〔疑問詞、男性形主格単数〕sa(ḥ)〔代名詞、男性形主格単数〕 eva(小辞)誰であるかといえば実にparameśvara(ḥ)〔男性名詞主格単数〕最高神、upaniṣat-prakāśitaḥ〔男性名詞主格単数〕ウパニシャッドに明示されたものである。kiṁ〔疑問詞、中性形主格単数〕 ca(=kim caで) さらに、saha nau bhunaktu我々二人とともに満足せよ(とはつまり)、我々二人に満足する(ということ)。tat-phala-prakāśanena〔複合語、男性名詞具格単数〕その成果を明らかにするものによって、nau〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人をpālayatu〔√pal, 命令法能動態、三人称単数〕 守りたまえ(の意味である)。

saha~とともに(とは)eva〔小辞〕まさにāvāṁ〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人を(の意味で)、vidyā-kṛtaṁ〔複合語、中性形対格単数〕学問を行なうvīryaṁ 努力 (とは)sāmarthyaṁ〔中性名詞主格単数〕最善を karavāvahai〔√kṛ, 命令法反射態、一人称両数〕行ないます、(つまり) niṣpādayāvahai〔nis√pad, 命令法反射態、一人称両数〕実行します(の意味である)。

kiṁ(疑問詞、中性形主格単数) ca(=kim caで)さらに、tejasvinau輝かしいふたつのもの (とはつまり)tejasvinoḥ〔形容詞、中性形属格両数〕輝かしいāvayoḥ〔代名詞、一人称属格両数〕私たち二人のyad〔関係代名詞、中性形主格単数〕adhītaṁ学んだことが (つまり)tat〔指示代名詞、中性形主格単数〕su-adhītam〔中性形主格単数〕優れた学びでastuありますように(という意味)。

athavā〔接続詞〕あるいは、 tejasvi nau輝かしいものが我々に(とはつまり)āvābhyāṁ〔代名詞、一人称為格両数〕私たち二人に yad〔関係代名詞、中性形主格単数〕adhītaṁ学んだことが tad〔指示代名詞、中性形主格単数〕atīva〔副詞〕非常にtejasvi〔形容詞、中性形主格単数〕輝かしいもの(つまり)vīryavad〔形容詞、中性形単数主格〕効果的なものでastu あれiti〔引用〕arthaḥ〔男性名詞主格単数〕という意味である。

vidviṣāvahai我ら二人が仲違いする(とはつまり)śiṣya-ācāryāv〔複合語、男性名詞主格両数〕学生と教師(の二人)が anyonyaṁ〔中性形単数主格〕お互いに pramāda-kṛta-不注意な行いやanyāya-adhyayana-間違った勉強やadhyāpana-doṣa-暴力的指導がnimittaṁ〔複合語、男性形対格単数〕原因の dveṣaṁ〔男性名詞対格単数〕ケンカを karavāvahai〔√kṛ, 命令法反射態、一人称両数〕決して行ないませんiti〔引用〕arthaḥ〔男性名詞主格単数〕という意味である。

śāntiḥ śāntiḥ śāntir_itiシャーンティ、シャーンティ、シャーンティというtrir〔数詞、主格複数〕三つのvacanaṁ〔中性名詞主格単数〕 言葉は、sarva-全てのdoṣa-過失のupaśamana-消失のartham〔対格単数=副詞用法〕目的iti〔引用〕ということで_om_iti〔引用〕オーンと同様である。

 

(文章:pRthivii)

सह नाववत्विति शान्तिमन्त्रः サハナーヴァヴァトゥではじまるシャーンティ・マントラ

「サハナーヴァヴァトゥ」で始まる
シャーンティ・マントラについて解説します。

 

最近ではヨーガのクラスでも唱えられていますが、
もともとは、ウパニシャッドの聖典の一節であり、
教師から弟子へ、ウパニシャッドの奥義を
マンツーマンで教える際に唱えるものでした。

 

このマントラは、間違った位置で単語を区切っている
間違ったテキストが広まっているので注意してください。

サンスクリット語には、単語の最後の音と次の単語の最初の音が繋がる
「サンディ」というルールがあります。
別々の単語が繋がって発音され、
繋がって書かれているため、
サンディの知識や、語尾の知識がないと
どこで区切るのか正確には分かりません。

誤った情報を鵜呑みにしたり拡散したりしてしまう危険があります。

 

例:よく見られる間違い

sahanā vavatu ×

saha nāv* avatu ○ → saha nāvavatu

*(本来はnau。「私たち二人を」サンディによってnāvと変化したうえで、次のavatuが繋がっています)

 

次の例:

tejasvi nāvadhī tamastu ×

tejas vināvadhī tamastu ×

tejasvināvadhī tam astu ×

この部分は他にも様々な切り方がネット上に散見しています。

 

正しくは

tejasvi nāv* adhītam astu ○ → tejasvi nāvadhītamastu

*(先と同様、本来はnau)

*(この部分に関して、シャンカラは注釈でtejasvināv adhītam astuという分け方も挙げています)

 

次の例:

mā vid viṣāvahai×

mā vidviṣāvahai○

 

vidを分けて、「知る」という単語であるような説明をしているケースがありますが、
これは間違いです。

vidviṣāvahai は長いので
複数の単語がくっついているのかと思いきや、
これで一つの単語なのです。

語根はvi√dviṣ- 憎み合う、ケンカする

という意味で、直前の mā が強い否定辞、
しかもアートマネーパダ(反射態、自為言)という
自分のために作用する動作を表わす活用で命令法なので、

「私たち二人は決して仲違いしないぞ!」

という意思表明なのです。

 

広い海を航海するときに海図や羅針盤を持っていれば迷わないように、
サンスクリット語の知識は音の世界の中で方向を指し示す光となるものです。
マントラに親しんでいる方は機会があれば
ぜひサンスクリット語を学んでください。

 

【逐語訳】
*アンダーバーはサンディで繋がっている単語の切れ目です

ॐ सह नाववतु ।  * स ह (sa ha) と唱える学派もあるようです

oṁ saha nāvavatu (oṁ saha nāv_avatu)

「オーン、ともに我ら二人(=教師と弟子)をお守りください」

 

सह नौ भुनक्तु ।

saha nau bhunaktu

「ともに我ら二人にご満足ください」

 

सह वीर्यं करवावहै ।

saha vīryaṁ karavāvahai

「ともに我ら二人は精進いたします」

 

तेजस्वि नावधीतमस्तु

tejasvi nāvadhītamastu (tejasvi nāv_adhītam_astu)

「輝かしい学習成果が我ら二人にありますように」

 

मा विद्विषावहै ।

mā vidviṣāvahai

「我ら二人が仲違いすることのありませんように」

 

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ।

oṁ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ

「オーン、平安あれ!平安あれ!平安あれ!」

 

【単語の意味と文法の解説】

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

ॐ oṁ <a-u-m> 聖音 「オーン」

सह saha <saha> (不変化辞) 「~とともに」

*sa ha  と読む場合、「saḥ 彼は、ha ああ!(感嘆詞)」

ただし、シャンカラは注釈においてsahaと読んでいる。

नाव् nāv <サンディで変化する前の単語= नौ nau,> 我ら二人 (1人称、両数、対格、附帯形) 「我ら二人を」

अवतु avatu <√av-> 守る、助ける(命令法、能動態、3人称、単数)「守りたまえ」

*ヴェーダ聖典では「~を喜ぶ」の意味でも使われており、服部正明訳では「我ら二人を嘉したまえ」

(cf. 『世界の名著 バラモン教典・原始仏典』 p.151, 中央公論社, 1969)

सह saha  <saha 不変化> 「~とともに」

नौ nau 我ら二人(1人称、両数、対格、附帯形) 「我ら二人を」

भुनक्तु  bhunaktu <√bhuj-> 食べる、喜ぶ(命令法、能動態、3人称、単数)「喜びたまえ」

सह saha <saha> (不変化辞) 「~とともに」

वीर्यम् vīryam <vīrya->力、気力、努力、活力(中性名詞、対格、単数)

करवावहै karavāvahai <√kṛ-> ~する(命令法、反射態、1人称、両数)

तेजस्वि  tejasvi <tejasvin-> 威光(テージャス)を有する~(形容詞、中性形、主格、単数)「輝かしい」

नाव् nāv <サンディで変化する前の単語= नौ nau,> 我ら二人(1人称、両数、為格、附帯形)「我ら二人に」

*属格とも考えられるが、シャンカラ注に従って為格とする

अधीतम् adhītam <adhi√i-> 学ぶ (過去受動分詞、中性形、主格、単数)「学習が」

अस्तु astu <√as-> ~がある (命令法、能動態、3人称、単数)「あれ!」

मा mā (naよりも意味の強い否定辞)

विद्विषावहै vidviṣāvahai <vi√dviṣ-> 敵対する(命令法、反射態、1人称、両数)

直前のमा mā とともに「我ら二人は決して敵対することなかれ!」

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः oṁ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ 「平和あれ!平和あれ!平和あれ!」

(文章:pRthivii)

शान्तिमन्त्रः śāntimantraḥ シャーンティマントラ

「シャーンティマントラ」として知られる、
世界や生類の安寧を祈るマントラ
lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu
実はこれは一部分で、全体は次のような詩節です。

स्वस्ति प्रजाभ्यः परिपालयन्तां न्यायेन मार्गेण महीं महीशाः ।
svasti prajābhyaḥ paripālayantāṃ nyāyena mārgeṇa mahīṃ mahīśāḥ |
「民に幸あれ。正しい道理に従って地上の王たちは地上を守護したまえ。」

गोब्राह्मणेभ्यः शुभमस्तु नित्यं लोकाः समस्ताः सुखिनो भवन्तु ॥
gobrāhmaṇebhyaḥ śubhamastu nityaṃ lokāḥ samastāḥ sukhino bhavantu ||
「牛や聖者たちに常に恵みがありますように。世界のすべてが幸福でありますように。」

ॐ शान्तिः शान्तिः शान्तिः ॥
oṃ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ ||
「オーン、シャーンティ、シャーンティ、シャーンティ」

 

【単語の意味と文法の解説】

 

左から、デーヴァナガーリー表記、ローマ字表記、<名詞の語幹形、動詞の語根形 >、語意、(文法的説明)、「訳」、という順番で説明しています。

 

स्वस्ति svasti <svasti-> 幸い、安寧(格変化せず祝詞として使われる。)「幸あれ!」「安寧あれ!」

प्रजाभ्यः prajābhyaḥ <prajā-> 生類、人類、民、子孫(女性名詞、複数形、為格)「民のために」

परिपालयन्ताम् paripālayantām <pari√pal-> 保護する、守る(能動態、3人称、複数、命令)「保護せよ!」

न्यायेन nyāyena <nyāya-> 正しい(形容詞、単数、具格)→次のmārgaを修飾

मार्गेण mārgeṇa <mārga-> 道(男性名詞、単数、具格)「道に沿って」

महीम् mahīm <mahī-> 大地(女性名詞、単数、対格)「大地を」

महीशाः mahīśāḥ < mahī-īśa- > 大地-支配者(男性名詞、複数、主格)「大地の支配者たちは」

गो go <gau-> 牛(女性(または男性)名詞、複合語:神聖な存在としての)「牛と」

ब्राह्मणेभ्यः brāhmaṇebhyaḥ <brāhmaṇa-> ブラーフマナ(ブラーミン)(男性名詞、複数、為格)「ブラーフマナたちのために」

शुभम् śubham <śubha-> 吉祥、恵み(中性名詞、単数、主格)「吉祥が」

अस्तु astu <√as-> ある、いる(能動態、3人称、単数、命令)「あれ!」

नित्यम् nityam <nitya-> いつも(中性形、単数、主格:副詞的に使われる)「常に」

लोकाः lokāḥ <loka-> 世界 (男性名詞、複数、主格)「世界が」

समस्ताः samastāḥ <sam-√as-> まとまった、全部の(形容詞、男性形、複数、主格)「一切の」

सुखिनः sukhinaḥ <sukhin-> 幸福(男性形、複数、主格)「幸福な~」(loka-を修飾する形容詞として)

भवंतु bhavantu <√bhū- > なる、ある(能動態、3人称、複数、命令)「~になれ!」

ॐ om < a-u-m > 聖なる音「オーン」

शान्तिः śāntiḥ <śānti-> 平安(女性名詞、単数、主格:)「平安」

 

様々な日本語訳、英語訳がありますが、
もともとの意味はとてもシンプルです。
現代の日本では、「王」や「牛」といった言葉は
実感がわきにくいかもしれませんが、
マントラの背景にはインドの文化や社会があります。

「牛と聖者(=ブラーフマナ)」という言葉は神聖なものの代表で、
そういう神聖な存在が正しく敬われる状態を
平和な世の中として表現しています。
律法書『マヌ法典』では
国や人民を守る王の役割が重要視されているのも
古代から戦争が多かったこととは無関係ではないでしょう。
「プラジャー प्रजा prajā」は人民、子孫の意味で使われることが多いですが、
生類、被造物という意味もあるので、
今では地球環境や生き物も含めた平和の祈りとも解釈されています。

このマントラと似たような表現はプラーナ聖典にいくつかあるのですが、
正確な出典は不明です。さらに長いヴァージョンもあるようです。
世界の平和を願う人々の気持ちから自然に広まったのかもしれません。
(文章:pRthivii)

サンスクリット語豆知識 数字とネーミング

sanskrit

サンスクリット語の数字とネーミング

 

インドの祝祭の名前には数字が使われているものが多くあります。

たとえば、

ナヴァラートリनवरात्रि navarātri (=九夜祭)

ジャンマアシュタミー जन्माष्ठमी janmāṣṭamī (新月から八日目の聖誕祭)

ガネーシャチャトゥルティー गणेशचतुर्थी gaṇeśacaturthī (新月から四日目のガネーシャ祭)

といった名前でおなじみでしょう。

 

現代のヒンディー語では、9は「ナォ」、8は「アート」、4は「チャール」

といいますが、祝祭名にはサンスクリット語が使われています。

 

より詳しく説明すると、ナヴァラートリのナヴァnavaは基数詞(*1)なので「九つの夜」という意味であり、九夜続くお祭りであることが分かります。

その翌日にあたるお祭り「ダシャラー」はサンスクリット語ではダシャハラー दशहरा daśaharāで、語源は「十(の罪)を払うもの」。(दशहोरा daśahorā「十日間」が語源という説も)

 

一方、アシュタミー aṣṭamī、チャトゥルティー caturthīは序数詞(*2)なので、それぞれ「八日目」「四日目」の意味です。お祭りは何日か続くとしても、その名称は生誕の日そのものを指しています。

ダシャラーの別名ヴィジャヤダシャミー विजयदशमी vijayadaśamī の意味は「勝利の十日目」です。

 

また、

パンチャーンガ पञ्चाङ्ग pañcāṅga(五部門=インド暦法)

パンチャカルマ पञ्चकर्म pañcakarma(五つの行=アーユルヴェーダの浄化法)

アシュターンガ अष्टाङ्ग aṣṭāṅga(八部門=ヨーガ行法)

のような伝統文化の用語に使われている数字は、

現代語に置き換わらずに

サンスクリット語のまま使われているようです。

 

インドは、近年数学に強いことで知られていますが、

数としての0の概念を発見した国でもあり

古代より数学が発展していました。

そのせいもあるのでしょうか、

様々なネーミングに好んで数字が用いられています。

 

一例を挙げると

文法学者パーニニによる文典は

アシュターディヤーイー अष्टाध्यायी Aṣṭādhyāyī

「八章を持つもの」という名前ですし、

 

サーマヴェーダ所属の二十五章から成る祭儀書(梵書、ブラーフマナ)は

パンチャヴィンシャ・ブラーフマナ पञ्चविंशब्राह्मण Pañcaviṃśa Brāhmaṇa

「二十五章の祭儀書」という名前で呼ばれています。

 

インドは比喩表現にも数字を多用し、

「一音節」という意味の単語

エーカークシャラ एकाक्षर ekākṣara

は聖音「オーム ॐ om」を指しています。

 

「五音節」という意味の

パンチャークシャラ पन्चाक्षर pancākṣara は、

シヴァ神へのマントラ

「ナマ(ハ)シヴァーヤ नमः शिवाय namaḥ śivāya」

を指しています。

 

「一音節」や「五音節」が何を

表わしているのか、文脈を知らない人には

全く意味がわかりません。

逆に、当時の人々にとっては

共通の知識だったといえます。

 

神聖なものを直接的な言葉で表わすことを避けて

言い換えたり、比喩を用いたりすることは

世界中で見られる事象ですが、

そこに「数」を多用するところは

インド文化の特性かもしれません。

基数詞(*1) 物事の個数を表すための数 one, two, three, four …

序数詞(*2) 物事の順序を表すための数 first, second, third, fourth …

(文章:pRthivii)

サンスクリット語のサンディ;ナマス、ナマハ、ナモーは何が違う?

Krper, Geist und Seele

インドでおなじみの挨拶「ナマステー」も
最近の若い人はあまり使わなくなっているとも聞きますが、
この言葉は二つの単語から出来ています。

नमस् ते ナマス・テー
ナマスは「礼拝」「敬意」を、
テーは「あなた」「きみ」を意味しています。

誰に対しても分け隔てなく敬意を示して
「ナマス・テー」と挨拶するのですね。

さてこの「ナマス」という言葉、
日本人には古くから繋がりがあります。
「南無阿弥陀仏」
「南無観世音菩薩」等々の「南無」
密教の真言に出てくる「ノウマク」「ナウマク」も
どちらも「ナマス」が訛ったものです。

よく知られているマントラ
ॐ नमो नारायनाय オーン・ナモー・ナーラーヤナーヤ
ॐ गणेशाय नमः オーン・ガネーシャーヤ・ナマハ
などのなかに出てくる
「ナモー」「ナマハ」も
全て「ナマス」とまったく同じ単語、同じ意味です。

ではなぜ、同じ単語なのに
ナマスだったりナモーだったり
ナマハだったりするのでしょうか?

「ナマス」が訛ったものなのでしょうか?

以前、サンスクリット語の名詞は
格変化がたくさんあるという話を書きましたが、
「ナマス」が格変化しているのでしょうか?

実はナマスという単語は格変化をしない性質があります。
また訛りでもありません。
語中や文中の音が、前後の音との影響で変化する規則
=「サンディ」によるものなのです。

サンディを詳しく説明するには時間がかかるので
今は簡単に説明すると、ナマスが
文の一番最後に来ているときは、ナマハ
後ろにナ行の子音が来ているときは、ナモー
後ろにタ行の子音が来ているときは、ナマス
というふうに、変化しています。

もう一度、三つの文を比べてみましょう。
नमस् ते ナマス・テー
नमो नारायनाय オーン・ナモー・ナーラーヤナーヤ
ॐ गणेशाय नमः オーン・ガネーシャーヤ・ナマハ

日本語でも英語でも、前後の音の連結で
発音が変化することは珍しいことではありませんが、
サンスクリット語では、文字も変わってしまいます。

そのことは以前にも
単語と単語をつなげて書く表記法
のなかで書きましたが、
サンスクリット語を学びはじめた人が
ぶつかる大きな壁がこのサンディだろうと思います。

しかし、サンディを知っていると
マントラを唱えるときにも
単語の区切りや意味が把握できるようになります。

(文章:pRthivii)

サンスクリット語豆知識 ルピー紙幣と古代インドを繋ぐサンスクリット

2016年11月、インドは500ルピーと1000ルピーの紙幣を突然無効にすることを発表しました。インド在住の方はもちろん、日本でも旅行で残った高額紙幣を持っている人は多いでしょうから驚いた方も多いでしょう。インド国内では混乱が拡大しているようです。

今回はそんなインドのお札とサンスクリット語の繋がりについて。

インドでは触ることすら躊躇するほどかなり汚れたお札が流通していることもあり、お札をじっくりとご覧になる方は少ないかもしれませんが、実はルピー札のなかにサンスクリット語が書かれているのです。

また、インドは多言語、多文字の国だという話を以前しましたが、その証拠もお札に表れています。

500ルピーを例にしてお札を見ると、

お札の表には

पांच सौ रुपये
Five hundred rupees

と、ヒンディー語と英語で「500ルピー」と書いてあります。

お札を裏返すと、左側に15の文字が並んでいます。

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公用語に準ずる22の指定言語のうち、
アッサム語・ベンガル語・グジャラート語・カンナダ語・カシミール語・コンカニ語・マラヤーラム語・マラーティー語・ネパール語・オリヤー語・パンジャーブ語・サンスクリット・タミル語・テルグ語・ウルドゥー語の15です。

これらの文字の下から4つ目、
पाञ्चशतं रूप्यकाणि (pāñcaśataṁ rūpyakāṇi)
と書いてあるのがサンスクリット語による
「500ルピー」表記です。

別の額の紙幣の場合、
たとえば1ルピー紙幣ならサンスクリット語で
एकरूप्यकम्(ekarūpyakam)

2ルピー紙幣なら
द्वे रूप्यके(dve rūpyake)
と書いてあります。

ルピーを意味する単語rūpyakaは
単数、つまり1ルピーのときはrūpyakam
両数、つまり2ルピーのときはrūpyake
複数、つまりそれ以上の数字になるとrūpyakāṇi
というふうに、語尾が変化しています。
そして、これらの語尾から
rūpyakaという単語が中性名詞であることがわかります。

このrūpyakaは、もともと रूप्य rūpya「銀」を意味する単語からできており、「ルピー」の語源でもあります。

インドでは紀元前6世紀ごろからすでに銀貨が使われており、その名残が、現代の通貨の名称として残っているのです。

さらに語源を遡ると

रूप्य rūpyaの語源はरूप rūpa色、形、物質を意味する単語。

この単語は、般若心経の有名な一節

 「色即是空」 रूपं शून्यता  rūpaṁ śūnyatā

の रूप  rūpa 「色」と同じです。

お金や物質的なものに囚われすぎることは空しいけれど、現実の世界で生活する以上、お金も必要。
高額ルピー札の廃止による混乱がおさまってインドの社会が安定することを願っています。

(文章:pRthivii)

サンスクリット語豆知識 サンスクリット語を表わす様々な文字

Close-up of the open Bible

マントラや聖典を今に伝える言語、サンスクリット語。

その文字といえば、すぐに思い浮かぶのが

デーヴァナーガリー文字。

 

たとえばビージャマントラ、

あるいはヴィージャ・アクシャラとして知られる

「オーン・ナマ(ハ)・シヴァーヤ」は

ॐ नमः शिवाय ॥

と表記されます。

 

現代では、デーヴァナーガリー文字で

表わされることが多いサンスクリット語ですが、

もともと固有の文字はなかったので(*1)

南インドではサンスクリット語を

現地の文字を使って書き表すこともあります。

 

たとえばカンナダ文字だと

ಓಂ ನಮಃ ಶಿವಾಯ

マラヤラム文字だと

ഓം നമഃ ശിവായ

タミル文字だと

ஓம் நம சிவாய(またはஓம் நமஃ சிவாய)

 

このように、南インドに行くと

全く別の文字で表わす人々もいます。

 

南インド系の文字は丸っこい字形で

似た印象を持ちますが

デーヴァナーガリー文字も含めて、

これら全ての文字が

同じ古代のブラーフミー文字から

分かれてできた姉妹関係の文字です。

 

最後は、発音記号付きローマ字で表わす方法(IAST方式)

oṃ namaḥ śivāya

 

ローマ字もブラーフミー文字と同じ起源で、

両者とも遡るとフェニキア文字に辿りつく

親戚関係の文字です。

 

 

私はサンスクリット語が好きなので

ヒンドゥー教はサンスクリット語とともに

発達してきたと考えてしまいがちでしたが、

南インドのタミル語も紀元前にまで遡る

古い歴史を持っており、

近年、タミル語の聖典や文献にも脚光が

当たってきており、研究する人が増えています。

 

インドについて知れば知るほど、

インドの文化は広く奥の深い世界だと痛感します。

私たちが知っているインドは

まだまだごく一部なのかもしれません。

 

(*1)「サンスクリット語を書き表すデーヴァナーガリー文字」

サンスクリット語を書き表すデーヴァナーガリー文字

 

(文章:pRthivii)

サンスクリット語豆知識 世界に広がったサンスクリット語とインド文化

Ulun Danu temple Beratan Lake in Bali Indonesia, Temple of the l

個人的な話から始まって恐縮ですが、
筆者は先日旅行でバリ島へ行ってきました。
 
霊峰アグン山を抱き海に囲まれた島は
水が豊富で苔むす深く濃い緑に包まれた空気感と瑞々しさ、
賑やかな観光地を少し離れれば
素朴な景色や静けさと祈りに満ちていました。
スピリチュアルな体験もできるスポットとして
近年人気を得ています。
 
インドネシアはイスラム教徒が90%近くを占める国ですが
バリ島だけはヒンドゥー教が信仰されていて、
土着の宗教観と混交した信仰は
インドのヒンドゥー教と区別して
バリ=ヒンドゥーと呼ばれます。
ヒンドゥーの神々を祀った寺院、
精霊を祀った祠などがそこかしこにありました。
 
一般的にヒンドゥー教は「民族宗教」と言われますが、
現代ではヨーガやインド思想を通して
ヒンドゥー教に惹かれる人は増えていますし、
歴史的にも東南アジアの各地へ伝播して、
それぞれの地域の文化や宗教に大きな影響を与えたことを考えると
準世界宗教といえます。
 
東南アジアへの文化や宗教の伝達を
担っていたのがサンスクリット語で、
そのため、東南アジア各国の単語には
サンスクリット語に由来するものが多数あります。
 
挙げきれないほどの例のなかから
日本でも馴染みのあるところでは、
タレントとして有名なデヴィ夫人。
彼女の名前をサンスクリット語風に言えば
デーヴィー(देवी devī)
つまり「女神」という意味です。
 
その夫、故スカルノ大統領の名前も、
マハーバーラタの登場人物
カルナ(कर्ण karṇa)に由来しますし、
 
バリ島の名そのものも
供物を意味するバリ(बलि bali)に由来します。
 
地名や国名では

シンガポール → シンハ・プラ(獅子の町)सिंह-पुर siṁha-pura
スリランカ → シュリー・ランカー(聖なるランカー島)श्री-लङ्का śrī-laṅkā
アンコール → ナガラ(都)नगर nagara
ジャカルタ → ジャヤ・カルタ(勝利の行為) जयकर्ता jayakarta
アユタヤ → アヨーディヤ(ラーマ神の生誕地) अयोध्य ayodhya
ブルネイ → ヴァルナ(水の神) वरुण varuṇa、
       またはブーミ(大地) भूमि bhūmiという説も
カリマンタン → カーラ・マンタナ(燃えさかる季節・気候) कालमन्थन kāla-manthana
ビルマ → ブラフマー ब्रह्मा brahmā
モルディブ → マーラー・ドゥヴィーパ(島々の首飾り) मालाद्वीप mālādvīpa

など、サンスクリット語に由来するといわれています。

(他の語源説があるものもあります)
 
最近では、ヨーガやインド思想を通して
サンスクリット語が広く使われていますが
もっと一般的な例をあげれば、
ゲームやSNSで自分自身を表わすキャラクターのことを
「アバター」といいますよね。
これもサンスクリット語のアヴァターラ
「化身」(अवतार avatāra)からきている言葉です。
 
日本で昔から使われてきた言葉にも
 
旦那 दान-पति dāna-pati ダーナパティ(布施主、仏教語の「檀那波底」「檀那」)
瓦 कपाल kapāla カパーラ(小皿、頭蓋骨、かわらけ)
シャリ(お寿司の) शालि śāli シャーリ(米)
奈落 नरक naraka ナラカ(地獄)
刹那 क्षण kṣaṇa クシャナ(一瞬)
「カルピス」は、カルシウムのカル + サルピス सर्पिस् sarpis(乳製品の一種、醍醐)
から名付けられました。
 
世界に広まったサンスクリット語から
身近にあるサンスクリット語までの一例でした。
 
(文章:pRthivii)

サンスクリット語豆知識 言霊と呪い

Hindu priest performs the Ganga Aarti ritual

「音声としての言葉」には神秘的な力、呪力が宿っている、
と考える文化は古今東西たくさんあります。

インドでは、リグヴェーダの時代から
「言葉」を意味する単語「ヴァーチュवाच् vāc」は
「言葉をつかさどる女神」そのものでありました。
その後、サラスヴァティー(सरस्वती sarasvatī)がヴァーチュと同一視され、
今日に到るまでサラスヴァティーは言葉をつかさどる女神として人気があります。

日本ではそうした言葉の呪力を「言霊」といいました。
たとえば「忌み言葉」も、忌まわしい言葉(またそれを連想する言葉)が
現実になってしまうことを恐れて、発することを避けるものです。
また、平安時代の貴族女性は、本当の名前を他人に
知られないようにしていたことがよく知られています。
「紫式部」「清少納言」などは父親の冠位や部署にちなんだ「あだな」ですし、
鎌倉時代「蜻蛉(かげろう)日記」を残した貴族女性は
「藤原道綱の母」としか名前が伝わっていません。

名前は本人そのものの象徴であり、
相手の名前を知ることで、相手を支配したり
呪いを掛けたりすることができる、と信じられていたからです。

それはインドでも同様でした。
そうした名前にかかわる呪力をモチーフとする説話が
『マハーバーラタ』第13巻93章に挿入されている「七仙人の名乗り」です。

鬼女に名前を問われた仙人たちは、
名前を知られれば鬼女に殺されてしまう、
偽りの名を名乗れば自分自身が破滅する、というジレンマに悩みます。
そこで仙人たちは、本名を述べながらも、知能の劣った鬼女に
名前を悟られない巧妙な言葉遣いで名乗ることで
危機を脱しました。

この物語の背景には、「名前が持つ呪力」と同時に、
「真実がもたらす呪力」の存在があります。

サティヤ(सत्य satya)は「真実」を意味し、

真実だけを語ったり行なったりすること、誓ったことを守り通すこと、「誓戒」を

サティヤヴラタ(सत्यव्रत satyavrata)

真実の言葉、「真実語」を

サティヤヴァチャナ(सत्यवचन satyavacana)

といいます。

どんな儀式を行なうよりも真実を語ることの方が善果をもたらします。
また、サティヤヴラタは聖人たる証でもあり、
さらには聖仙に具わる神通力の根拠でもあって、
真実の誓いを破ってしまえば、たちまちに
神通力もなくなってしまう恐れがあります。

しばしば、インドの神話や説話では、
願望を叶えるために、神に対して苦行の誓いを立てた登場人物が
誓いを有言実行することによって神の恩寵を得る、
というモチーフが数多くあります。
これとは逆に、登場人物が不注意で聖仙や仙人を怒らせ
呪いの言葉をかけられ、言われた通りの悪い出来事がおきる、
というモチーフも同じくらい多数あります。

一度発せられた「呪いの言葉」は言った本人(聖仙)であっても
決して取り消すことができず、代わりに、
「こうこうこういうことが起きたとき呪いが解ける」という
未来を予言することしかできません。

「嘘をつかない」といった道徳的なレベルを超えて、
インドではそれほどに言葉の持つ真実性、言葉の呪力、
真実の呪力が信じられてきました。

古代に限らず、現代は個人情報保護や防犯意識の高まりもあって
簡単に名前を知られないように注意する人が増えていますが、
全く知らない相手から本名をフルネームで呼びかけられたときに
一瞬で心に隙ができてしまう状況も、
一種の「名前の呪い」といえるでしょう。

参考:

中村 史「『マハーバーラタ』第13巻第93章の説話の考察 : 七仙人の名乗り」
印度學佛教學研究 62(1), p.273-268, 2013

(文章:prthivii)