ラクシュマナの心

季節が巡り大きな変化を感じる時、インドでは9日間に渡って女神を讃えるナヴァラートリーが祝福されます。
変化の時に迎えるこの9日間は、自分自身の内面に潜む不浄な傾向を浄化するために、非常に重要な期間とされてきました。
そして、この9日間の終わりに祝福されるのが、悪に対する善の勝利を象徴するダシャラーです。

ダシャラーは、ラーマ神が魔王であるラーヴァナに打ち勝った日と伝えられます。
それは、私たちが自分自身の内面に潜む不浄な傾向を克服したことを祝福する時でもあります。
ラーヴァナを倒すラーマ神の歩みは、叙事詩であるラーマーヤナにおいて壮大に綴られています。
その歩みには多くの支えがありましたが、そのひとりであるラクシュマナの存在を忘れることはできません。

ラーマ神の弟であるラクシュマナは、ラーヴァナの息子であるインドラジットを倒したことで有名です。
インドラジットは魔術に長け、14年間に渡って眠らずにいた者にしか倒されないという恩恵を手にしていました。
そのような者はいないと思えたところに現れたのが、ラクシュマナです。

ラクシュマナは、王国から追放されたラーマ神とシーター女神を守るために、2人の付き添いとなることを自ら志願しました。
その追放は、14年という長きに渡るものでした。
この14年という期間には、ラーマ神を王位に復帰させないための意図があったと伝えられます。

当時、14年の間に音沙汰がない場合、その者は死んだことを意味すると考えられていたとされます。
14年という期間は、人の心と体を変容させる十分な期間であると考えられていたためです。
王としてのラーマ神の心と体も、それを慕う人々の心と体も、14年の間に変容すると考えられていました。

しかし、この14年の間、ラーマ神とシーター女神を守るために、一睡もせずに過ごしたのがラクシュマナでした。
ラクシュマナの代わりに、妻であるウールミラーが14年間を眠って過ごしたともいわれます。
そこには、ラーマ神に対する決して揺らぐことのない思いがありました。

私たち自身、何かに夢中になると、眠ることさえ忘れて過ごすことがあります。
ラクシュマナはその目的が、主であるラーマ神でした。
その思いを14年間に渡って変わらずに持ち続けたラクシュマナの心は、強力な悪魔を倒す偉大な力になり、ラーマ神の王位への復帰を導きました。

私たちもラクシュマナのように主を思う心を変わらずに持ち続けることができれば、どんな強敵にも打ち勝つことができるはずです。
季節の変わり目は心身が不安定になり、とりわけ困難に直面しやすい時でもあります。
この時に、ラクシュマナの姿を思い、その偉大な力を賜りたいと感じます。

(文章:ひるま)

カウシキー女神の力

万物の力の源泉として一切の生類に宿る女神は、大自然の巡りの中で、さまざまに異なる容姿や名前で崇められます。
そんな女神たちを讃えるとりわけ吉祥な時が、季節の変化の時に祝福される、9日間のナヴァラートリーの祝祭です。
その9日間は、女神たちが凶悪な悪魔と戦った時とされ、私たちにとっては、女神の礼拝を通じて、季節の変わり目に生じる心身の不調を祓う大切な時となります。

この凶悪な悪魔との9日間の戦いにおいて生まれた、カウシキーと呼ばれる女神がいます。
悪魔たちとの戦いで苦戦を強いられていた神々が、無敵の女神の力を得るべく、一心に祈りを捧げていた時のことでした。
ガンジス川で沐浴をするためにやってきた、シヴァ神の妃であるパールヴァティー女神の身体のコーシャ(真我を包む鞘)から、非常に美しい女神が生まれます。
その女神は、コーシャから生まれたため、カウシキーと呼ばれるようになりました。

素晴らしく美しい容姿で現れたカウシキー女神に、悪魔の王は心を奪われます。
そして、カウシキー女神を手に入れようと、魔王は悪魔たちを統率するドゥームラローチャナを女神のもとへ送りました。
ドゥームラローチャナは、灰色の目を意味し、幻想に覆われた真実の見えない目を意味します。

魔王の指示のもと、ドゥームラローチャナは意気揚々とカウシキー女神と対顔し戦いに挑みます。
しかし、カウシキー女神の「フーン」という一声で、ドゥームラローチャナは灰になってしまったと伝えられます。
カウシキー女神が発したこの「フーン」は、例えば、シヴァ神を象徴するビージャ・マントラ(種子真言)として唱えられてきたものです。

肉体を持って生まれた私たちは、そこで経験するさまざまな事象に惑わされ、真我でもあるシヴァ神を見失うことが少なくありません。
そうして繰り広げられる人生という舞台で悩み苦しみ、多くの戦いに直面しています。
しかし、コーシャから生まれたカウシキー女神は、シヴァ神を象徴する「フーン」という一声で悪魔を倒したように、常にシヴァ神から離れることはありませんでした。

ナヴァラートリーは、そんな女神の力を呼び覚ます吉祥な時といわれます。
心身ともに乱れがちな季節の変わり目は、道を踏み外し、さまざまな困難に直面する時ともいわれてきました。
この時に女神たちへの祈りを捧げることで、カウシキー女神のように幻想に打ち勝ち、真実の中で生きるための無敵の力が授けられるはずです。

(文章:ひるま)

祖霊の供養

インドでは9月に入ると、続いていた大きな祝祭が落ち着き、凛とした静寂が広がる時間があります。
2週間ほど続くこの時は、ピトリ・パクシャと呼ばれる、先祖供養を行う大切な期間です。
輪廻転生の思想が深く根づくインドでは、私たちは先祖の思いから強い影響を受けていると考えられます。
そんな先祖の思いを清め、魂の解放を願うめに、先祖供養が熱心に執り行われます。

一説に、亡くなった3世代の先祖の魂は、死の神であるヤマが司る天と地の間のピトリ・ローカにいると伝えられます。
ピトリ・パクシャの期間には、その魂が地上に舞い戻ると考えられ、この間に供養を行うことで、先祖の魂は私たちを祝福し、幸せに旅立っていくと信じられてきました。

先祖供養においては、タルパナと呼ばれる儀式が重要視されます。
タルパナは捧げられる供物にあたり、それには、満足する、喜ばせるといった意味があります。

一説に、このタルパナを受けない魂は、この世を彷徨い続けると伝えられてきました。
また、魂に留まる強い欲求は、死後においてもその魂をこの世に閉じ込め、その苦痛は子孫に至るまで、さまざまな影響を与えると伝えられます。
こうした満たされない魂を満足させるために重要視されるのが、タルパナの儀式です。

そして、このタルパナにおいて欠かすことができないものが、水と黒ゴマです。
儀式で唱えられたマントラを通じて、水と黒ゴマから生み出される波動に亡くなった魂は呼び寄せられ、そこで捧げられる供物に満足し、幸せに旅立っていくと伝えられます。

栄養価の高いゴマは、不死の象徴ともされることがあり、生命の科学を意味するアーユルヴェーダにおいては、とりわけ重要な役割を果たしてきました。
特に黒ゴマは、不純物を取り除き、純度を高める優れた力を持つと信じられます。
こうした供物によって先祖の魂は上昇し、私たちは先祖から受け継ぐカルマを解消することができると信じられます。

何よりも、こうした清浄な行為を通じて、私たちは自分自身を清め、より良い道へと進むことができます。
こうして生きる日々は、自分自身をより良い道へと導く大切な機会であることを理解しながら、魂の安寧を願い、今を生きる自分にできることを努めたいと感じます。

(文章:ひるま)

2021年9月の主な祝祭

2021年9月の主な祝祭をご紹介いたします。

聖なる4ヶ月といわれ、大きな祝祭が続くチャトゥルマースを迎えている現在、9月には、待ちに待ったガネーシャ降誕祭が祝福されます。その後、満月を過ぎると、先祖供養の期間がおよそ2週間入り、続いていた大きな祝祭がひと段落する時を迎えますが、先祖供養のための儀式が熱心に執り行われます。

9月3日 エーカーダシー
9月4日 プラドーシャ
9月5日 シヴァラートリー
9月7日 新月/シュラヴァナ月の終わり(主に南インド)
9月9日 ヴァラーハ・ジャヤンティ
9月10日 ガネーシャ降誕祭
9月11日 リシ・パンチャミー
9月14日 マハーラクシュミー・ヴラタの始まり/ラーダー・アシュタミー
9月17日 ヴィシュヴァカルマン・プージャー/カニャー(乙女座)・サンクラーンティ/エーカーダシー
9月18日 ヴァーマナ・ジャヤンティ/ブヴァネーシュワリー・ジャヤンティ/プラドーシャ
9月20日 アナンタ・チャトゥルダシー/ガネーシャ・ヴィサルジャン(ガネーシャ降誕祭最終日)
9月21日 満月/ピトリ・パクシャ(先祖供養の2週間の始まり)
9月24日 サンカタハラ・チャトゥルティー
9月28日 マハーラクシュミー・ヴラタの終わり

*地域や慣習によって、日にちに前後の差異が生じます。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:Month Panchang

マドゥとカイタバ

2021年は8月22日に、神聖なシュラヴァナ月の満月を迎えます。
この満月は、ヴェーダの母であるガーヤトリー女神の降誕祭が祝福される時でもあり、ヴェーダの学習に取り掛かる重要な日として崇められてきました。
それは、悪魔に盗まれた知識の象徴であるヴェーダが取り戻され、暗闇に飲み込まれていた世界が光に包まれた時とされるためです。

ヴェーダを取り戻したのは、馬の頭をしたヴィシュヌ神の化身であるハヤグリーヴァ神でした。
そして、ヴェーダを盗んだとされるのが、マドゥとカイタバと呼ばれる悪魔です。
このマドゥとカイタバは、ヴィシュヌ神の両耳から流れ出た耳垢と伝えられます。

静寂の大海の中で、ヴィシュヌ神が大蛇のアナンタの上に横たわっていた時のことでした。
ヴィシュヌ神の両耳から耳垢が流れ出ると、それはマドゥとカイタバとして、大海を糧に成長していきます。
その過程で、マドゥとカイタバは世界を育む女神を熱心に礼拝すると、自ら死期を選ぶことができるという恩恵を手に入れました。
死という恐怖から解放されたマドゥとカイタバは、その力に酔いしれ、ヴェーダを盗むなど世界を恐怖に陥れたと伝えられます。

ヴィシュヌ神の両耳から流れ出た後、大海を糧に成長していく悪魔のマドゥとカイタバは、人生という大海の中でもがき苦しむ私たちを象徴するといわれることがあります。
それは、ヴィシュヌ神という真実から遠く離れ、進むべき道を誤り、さまざまな困難に直面する私たちの姿です。

魅惑的な甘い言葉に魅了される私たちは、ふとした瞬間に真実を見失うことがとても多くあります。
そうして次第に真実から遠く離れていくと、自我や欲望、疑念や不安が大きく膨れ上がり、正しい道が見えなくなります。
光を失ったその暗闇の中では、大変な苦難に直面することが少なくありません。

そんな私たちは、真実から離れることがないように、常に真実を聞き続ける必要があります。
特に、ガーヤトリー・マントラは私たちを真実に導くとされる偉大なマントラです。
こうした叡智を繰り返し耳にする時、私たちは常に真実とともにあることができるに違いありません。
ガーヤトリー女神の降誕祭が祝福されるこの時に、改めてこの偉大な叡智に耳を傾けたいと感じます。

(文章:ひるま)

ガネーシャ神の一本牙

神々の敵であるエゴを食べ尽くすと信じられるガネーシャ神には、エーカダンタという別名があります。
エーカダンタは一本牙の神を意味し、この姿でガネーシャ神はマダースラ(傲慢の悪魔)を倒すと伝えられてきました。
ガネーシャ神の牙が一本となった理由には、いくつかの有名な神話が伝わります。
その中に、ヴィシュヌ神の第六番目の化身である、パラシュラーマ神にまつわる神話があります。

パラシュラーマ神は、シヴァ神から授けられた斧で戦いに勝利した後、シヴァ神に謁見するべく、シヴァ神の住居があるカイラーサ山を訪ねました。
しかし、シヴァ神は就寝中であったため、息子であるガネーシャ神がパラシュラーマ神の申し出を断ります。

すると、怒ったパラシュラーマ神はガネーシャ神と争いになり、シヴァ神から与えられた斧をガネーシャ神に向かって投げてしまいました。
父を慕うガネーシャ神は、反撃せずにその斧を受け止めると、斧は牙にあたります。
そうして牙は断ち切られ、ガネーシャ神の牙は一本になってしまったと伝えられます。

この犠牲の精神に溢れるガネーシャ神の姿は、私たちに障壁を乗り越える力を与えてくれます。
自分自身を守ろうとする強いエゴを持つ私たちは、時に傲慢になり、崇高な存在にすら心が揺れ動くことが少なくありません。
そこではさまざまな障壁に直面し、困難に陥ることも往々にあります。
しかし、崇高な存在に心が定まったガネーシャ神は、その存在に身を委ね、自らを犠牲にすることも躊躇いませんでした。

そうして一本になってしまったガネーシャ神の牙は、善と悪、光と闇など、二つの相反するものを超越する意味が秘められています。
それは、二元性を打ち破り、一点に定まった心を生み出す象徴でもあります。

二つの眼で見るこの世界には、幸や不幸、喜びや悲しみが溢れ、私たちの心は大きく揺れ動きます。
そんな世界を生きる私たちは、一本牙のガネーシャ神の礼拝を通じて崇高な存在に心を定め、謙虚にただひとつの真実を見る力を育んでいくことが大切です。
その力は、どんな障壁をも乗り越える知識となって、私たちを導いてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)

カルキ神と悪魔のカリ

ヴィシュヌ神の10番目の化身として、カリ・ユガの最後に白馬に乗って現れると信じられるカルキ神。
悪をすべて滅ぼし、新たな世界を築くとされるカルキ神は、シュラヴァナ月(7~8月)の新月から6日目に誕生すると信じられます。
2021年は8月13日がその日にあたり、降誕祭となるカルキ・ジャヤンティが祝福されます。

カルキ神が倒す悪とは、非常に恐ろしい悪魔とされるカリです。
現代は、このカリが頂点に君臨するカリ・ユガにあたります。
カルキ・プラーナに記されたこのカリの生まれを辿ると、恐ろしい悪魔としてのその姿をはっきりと見ることができます。

カリの生まれは、破壊が終わった後、創造神であるブラフマー神から人格化した罪が現れたことに始まります。
現れた罪の名前は、アダルマ(不正)でした。
アダルマはミティヤー(不道徳)という妻を持ち、アダルマとミティヤーからは、ダンバ(虚偽)という息子と、マーヤー(幻想)という娘が生まれます。

ダンバとマーヤーからは、ローバ(貪欲)という息子と、ニクリティ(悪意)という娘が生まれました。
ローバとニクリティからは、クローダ(憤怒)という息子と、ヒンサー(暴力)という娘が生まれます。
そして、クローダとヒンサーから生まれたのが、息子のカリでした。

カリはドゥルクティ(暴言)という妹を持ち、カリとドゥルクティからは、バヤ(恐怖)という息子と、ムリティユ(死)という娘が生まれます。
バヤとムリティユからは、ニラヤ(地獄)という息子と、ヤータナー(苦痛)という娘が生まれました。
そして、ニラヤとヤータナーからは、1万もの子どもが生まれたと伝えられます。

こうしてカリの生まれを辿ると、カリの家族がダルマを破壊するために、どのように振る舞うかを見ることができます。
近親交配によって自らの家族を拡大しながら悪を伝播していくカリの家族は、まさにあらゆる悪が生まれるところです。

カルキ神としてヴィシュヌ神が現れる理由は、世界に蔓延るこうした悪をすべて滅ぼすことにあります。
私たちは、悪を生み出すことがないように、ヴィシュヌ神を崇め自分自身の神性を育みながら、こうした悪の傾向に注意しながら日々を生きることが大切です。
その時、自分自身がカルキ神となって、世界を悪から救うことができるはずです。

(文章:ひるま)

参照:Sri Kalki Purana

ナラクーバラとマニグリーヴァ

神々しい遊戯を通じて私たちを魅了してやまないクリシュナ神。
特に、幼少の頃のクリシュナ神にまつわる神話には、私たちの霊性を育むさまざまな深い教えを学ぶことができます。
ナラクーバラとマニグリーヴァの神話もそのひとつです。

ナラクーバラとマニグリーヴァは、財宝の神として崇められるクベーラ神の子どもでした。
財産に恵まれ、贅沢に溺れる生活を送っていたある日、酩酊していた二人は、聖仙であるナーラダに無礼を働いてしまいます。
ナーラダ仙は反省を促すべく、二人に呪いをかけ、その姿を木にしてしまいました。
身動きが取れなくなった二人は、自分たちの行いを恥じ、深く嘆きます。
しかし、100年後にクリシュナ神に謁見し呪いが解かれるという恩寵を与えられた二人は、それからクリシュナ神を想い続けました。

一方、クリシュナ神は幼少の頃、さまざまないたずらをし、育ての母であるヤショーダーを困らせることがありました。
ヤショーダーはそんなクリシュナ神の安全を守るため、身体をロープで臼に結びつけます。
しかし、クリシュナ神は臼を引きずって歩いてしまうほどでした。

そんなクリシュナ神が二本の木の間を通った時、臼が木の間に引っ掛かります。
木はクリシュナ神の怪力に耐えきれず、二本とも根こそぎ倒れてしまいました。
これにより呪いが解けると、100年の間に偉大な人格となったナラクーバラとマニグリーヴァが、倒れた木から輝く光とともに現れたと伝えられます。

肉体を持って生まれた私たちは、日々を生きる中で、刺激的な喜びを求める欲望に突き動かされることが少なくありません。
そうして道を踏み外し、苦難に直面することも往々にあります。
それはまるでナラクーバラとマニグリーヴァのようです。
ナーラダ仙は、ナラクーバラとマニグリーヴァを木の姿にするも、不変の喜びであるクリシュナ神に心が向かうように彼らに恩寵を与えました。

遍在するクリシュナ神の恩寵は、私たちの周囲に満ちています。
たとえ苦難に直面したとしても、それを学びの糧として、クリシュナ神を想い続ける時、私たちは神性を昂揚させ不変の喜びに至ることができるはずです。
そんな恩寵に恵まれた人生を豊かに生きることができるように、クリシュナ神を想うことを忘れずにいたいと感じます。

(文章:ひるま)

2021年8月の主な祝祭

2021年8月の主な祝祭をご紹介いたします。

8月は1年のうちでとりわけ神聖なシュラヴァナ月が続き、蛇神を讃えるナーガ・パンチャミーなど重要な祝祭が続きます。そのシュラヴァナ月は、満月に行われる兄弟姉妹の絆を祝福するラクシャ・バンダン、ガーヤトリー女神の降誕を祝福するガーヤトリー・ジャヤンティをもって終わりを迎えます(主に北インド)。しかし、その後もクリシュナ降誕祭などが祝福され、吉祥な時が続きます。

8月4日 エーカーダシー
8月6日 シヴァラートリー/プラドーシャ
8月8日 新月/アーディ・アマーヴァシャー
8月9日 シュラヴァナ月の始まり(主に南インド)
8月11日 ハリヤーリー・ティージ
8月12日 ヴィナーヤカ・チャトゥルティー
8月13日 ナーガ・パンチャミー/カルキ・ジャヤンティ
8月15日 独立記念日
8月17日 シンハ(獅子座)・サンクラーンティ
8月18日 エーカーダシー
8月20日 ヴァラ・ラクシュミー・ヴラタ/プラドーシャ
8月21日 オーナム・フェスティバル
8月22日 満月/ラクシャ・バンダン/ガーヤトリー・ジャヤンティ/シュラヴァナ月の終わり(主に北インド)
8月25日 サンカタハラ・チャトゥルティー
8月28日 バララーマ・ジャヤンティ
8月30日 クリシュナ降誕祭/カーリー・ジャヤンティ
8月31日 クリシュナ降誕祭/ダヒー・ハーンディー

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:Month Panchang

ダクシナームールティ神の恩寵

破壊神として崇められるシヴァ神には、ヒマーラヤの地で教えを説く崇高な師としての姿があります。
その姿は知識や悟りの化身として崇められ、ダクシナームールティという名前を持ちます。
誰もがグルとして崇めることができる、偉大な姿です。

ダクシナームールティ神の姿はさまざまに異なって描かれることがありますが、炎を手にし、小鬼である悪魔を踏みつぶした姿で描かれることが多くあります。
この悪魔はアパスマーラと呼ばれ、「忘却」の意味があります。
それは、私たちが自分自身の本質を忘れることによって生まれるものであり、その無知という暗闇を象徴しています。

ダクシナームールティ神には、有名な沈黙の教えがあります。
賢者たちが教えを求めてヒマーラヤにあらわれた時のこと、答えれば答えるほどに生まれる賢者たちの疑問に、ダクシナームールティ神は賢者たちの心に静寂がないことに気がつきます。
そして、ダクシナームールティ神は沈黙を保ちました。
賢者たちは、その静寂の中で深い気づきを得た後、あらゆる疑問が晴れ、解脱に至ったといわれます。

忙しなく動く心からふとあらわれる言葉に自分を重ねる私たちは、簡単に自分自身の本質を忘れ、疑いや迷いに苛まれていきます。
一方で、研ぎ澄まされた静寂は、あるがままの自分に気づきを生み出し、永遠の至福であるその本質に安住する力を授けてくれるものです。
しかし、動き回る性質がある心を持つ私たちにとって、静寂を保つことは容易ではありません。

ダクシナームールティ神は、私たちの動き回る心の動きを止めるかのように、アパスマーラを踏みつぶし、静かに座しています。
その手に握られた炎は、私たちの無知という暗闇を焼き尽くし、気づきという光をもたらすようです。

そんなダクシナームールティ神の姿を礼拝することで生じるエネルギーは、私たちの心を静めてくれるものに他ありません。
そうして神々の存在を中心に生きる時、私たちは自分自身の本質を忘れることなく、光の中で生きることができるはずです。

今年は7月24日の満月に、グルを讃えるグル・プールニマーが祝福されます。
この吉祥な時、皆様にも豊かな恩寵が注がれますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)