蛇が宿す毒

7月に入ると、暑季が続いていた広大なインドの大地に、恵みの雨が降り注ぎます。
乾いた大地が潤い始めるこの時は、シュラヴァナ月(7月~8月)と呼ばれ、1年の中でもっとも神聖な月とされています。
一説に、天地創造の神話である「乳海撹拌」は、このシュラヴァナ月に起きたと伝えられます。
そして、その乳海攪拌の過程で生み出された猛毒ハラーハラを飲み、世界を救ったのがシヴァ神でした。

シヴァ神に捧げられるこのシュラヴァナ月において、特に重要な祝祭とされるのが、蛇神を崇めるナーガ・パンチャミーです。
シュラヴァナ月の新月から5日目となるこの祝祭は、2019年は8月5日に祝福されます。
雨季に入り、さ迷い出る蛇の被害を受けないよう、祈りを捧げたことがこの祝祭の始まりだと伝えられます。

古代より、さまざまな文化において畏怖されてきた蛇は、インドでは多産や豊穣、不死の象徴として崇められます。
一方で、毒を持つ蛇の危険性には、恐怖を感じることも少なくありません。
一説に、シヴァ神が飲んだ猛毒ハラーハラの一部はこの地にこぼれ落ち、今でも蛇がその毒を宿しているといわれることがあります。

霊性修行の道のりが記された神話としても伝えられる乳海撹拌。
その攪拌において生み出された猛毒ハラーハラは、強欲や執着、嫉妬や愛憎、怒気や慢心など、私たちの揺れ動く心から生まれるネガティブな質に例えられます。
揺れ動く私たちの心は、まるで、くねくねと動き回る蛇のようです。
この地にこぼれ落ちた猛毒は、私たちの心を通して、面に湧き出てくるのかもしれません。

慈悲深いシヴァ神は、シュラヴァナ月に猛毒ハラーハラを飲み込み、世界を救いました。
夏至を過ぎ、冬至に向かい始める今は、夜が少しずつ長くなり、人々の心に大きく作用する冷たい月の影響が出てくるといわれます。
蛇をぐるりと首に巻きつけるシヴァ神は、揺れ動く心を制御し、自分自身の本質である至福に安住することを示しています。

今この時、慈悲深いシヴァ神に心を定めることで、時に猛毒のような苦悩を生み出す心の働きは静まり、あらゆるネガティブな質を制御することができるはずです。
そうして一人ひとりの心が清らかになる時、シヴァ神が願うように、この世界には平和が満ちるに違いありません。
ナーガ・パンチャミーを通じて、自分自身の心と向き合う時間を過ごしたいと感じます。

(文章:ひるま)

髑髏の首飾り

ヒンドゥー教の神々の中には、ムンダマーラーと呼ばれる複数の髑髏が結びついた首飾りを身につける神格がいます。
シュラヴァナ月において、熱心な祈りが捧げられるシヴァ神もそのひとりです。
シヴァ神が身につける首飾りの髑髏は、いったい誰のものなのでしょうか。
その意味を見つめていくと、シヴァ神の深い愛と、私たちの生きる意味が見えてきます。

シヴァ神の最初の妃であるサティーは、父親であるダクシャの反対を押し切り、シヴァ神と結婚をしました。
ある時、父親のダクシャが重要な祭祀にシヴァ神を招かなかったことに傷ついたサティーは、自らを火に投げ入れ命を断ちます。
シヴァ神はひどく悲しみ、その後、長く深い瞑想に耽るようになりました。

一方で、サティーはシヴァ神と結ばれることを願い続けます。
そして、サティーは再び姿をあらわすも、シヴァ神と結ばれることはなく、何度も何度も生まれ変わりを繰り返しました。
厳しい苦行を続け、やがてパールヴァティー女神の姿となった時、ようやくシヴァ神と結ばれたのだといわれます。
一説に、シヴァ神が身につける髑髏の首飾りは、何度も生まれ変わりを繰り返したこの女神のものであると伝えられます。

サティーが何度も生まれ変わったのは、強欲や執着、嫉妬や愛憎、怒気や慢心といった心の働きが、シヴァ神との結びつきを邪魔したからでした。
何度も生まれ変わり、厳しい苦行を続け、それらを克服した時、ようやくシヴァ神と結ばれることができたと伝えられます。

それは、日々を生きる私たちに重なります。
さまざまに生じる心の働きに揺れ動く私たちは、シヴァ神という自分自身の本質を見失うことが往々にあります。
そうして生まれ変わりを繰り返す私たちは、まるでサティーのようです。

シヴァ神は、生まれ変わりを繰り返す愛しいサティーの髑髏を、ひとつひとつ受け入れ、身にまといました。
死を象徴する髑髏を身につけるシヴァ神は、時を超越した存在です。
そんなシヴァ神が身につける髑髏の首飾りは、サティーのものであり、私たちのものであるに違いありません。

肉体の中でもがき苦しむ私たちを、ありのままに受け入れるシヴァ神。
そんなシヴァ神に心を定めながら生きる時、必ずシヴァ神と結ばれることができるはずです。

(文章:ひるま)

2019年7月の主な祝祭

2019年7月の主な祝祭をご紹介いたします。

恵みの雨が降り注ぐモンスーンを迎えると、聖なる4カ月とされるチャトゥルマースが始まります。大きな祝祭が続くこの期間、最初の祝祭であるグル・プールニマー(師を讃える満月祭)が7月の満月に祝福されます。そして、シヴァ神を讃えるもっとも吉祥なひと月とされるシュラヴァナ月が始まります。

7月1日 シヴァラートリー
7月2日 新月
7月3日 アーシャーダ・グプタ・ナヴァラートリーの始まり
7月4日 ラタ・ヤートラー
7月11日 アーシャーダ・グプタ・ナヴァラートリーの終わり
7月12日 エーカーダシー/チャトゥルマースの始まり
7月14日 プラドーシャ
7月16日 満月/グル・プールニマー/カルカ(蟹座)・サンクラーンティ
7月17日 シュラヴァナ月の始まり(主に北インド)
7月20日 サンカタハラ・チャトゥルティー
7月28日 エーカーダシー
7月29日 プラドーシャ
7月30日 シヴァラートリー

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:Month Panchang

月の鐘の女神

美しく鳴り響く鐘の音に耳を澄ませる時、揺れ動く心が静まるように感じることがあります。
そうして生まれる聖域の中では、一瞬であっても、苦悩が消え、自分自身の本質に気づく機会を与えられるようでした。
そんな響きを象徴する、チャンドラガンターという女神がいます。
ドゥルガー女神の9つの化身である、ナヴァドゥルガーの3番目に崇められる女神です。

チャンドラは月、ガンターは鐘を意味します。
半月を身にまとうチャンドラガンター女神は、常に悪と戦う姿勢にあります。
月の鐘を意味する彼女の叫びは、悪を震え上がらせ、月夜の冷たい風のように、平和を生み出すと信じられてきました。

鐘を鳴らすことは、インドの日常において欠かすことのできない行いです。
朝夕の祈りの時間には、あちこちに美しい鐘の音が響き渡ります。
その音から生み出される波動は、あらゆる悪影響を打ち消すと伝えられてきました。
なぜ鐘の音が悪影響を打ち消すのか、チャンドラガンター女神の存在を通じ、教えられたことがあります。

ひとつの鐘は、ひとつの音を生み出します。
同じように、私たちの心がひとつのものに定まる時、そこからは清らかなエネルギーが生まれていきます。
しかし、揺れ動く心は、不安や恐怖、迷いや疑いといった苦悩を次々に生み出し、自らを悪に導いてしまうことも少なくありません。

変化に富む月は、私たちの揺れ動く心の象徴でもあります。
そんな月を身にまとうチャンドラガンター女神は、変化を超越した存在であることを象徴しているかのようです。
そんな女神が響かせる鐘の音は、あらゆる悪を払拭すると信じられてきました。

チャンドラガンター女神は、揺れ動く心を絶対の存在に定めることを、その姿を通じて私たちに伝えています。
その心から、苦悩が生まれることはないはずです。
そうして生まれる清らかなエネルギーは、あらゆる悪を払拭していくに違いありません。

アーシャーダ月(6月~7月)の新月を過ぎると、主にシャクティ派の人々によって祝福される、アーシャーダ・グプタ・ナヴァラートリー(女神を讃える9日間の夜)が始まります。
2019年は、7月3日から13日です。
女神たちを讃える神聖な時、美しいエネルギーを生み出すことができるように、自分自身の心を定める行いを努めたいと感じます。

(文章:ひるま)

聖仙ナーラダのグル

無知という暗闇を取り払い、知識という光をもたらすグルは、インドでは神の化身として崇められる存在です。
その存在のもとで歩みを続ける多くの人がいる一方で、グルを探し求めて歩み続ける人も多くいます。
数々の聖典をこの世に伝える、重要な聖仙であるナーラダも、その一人でした。

ある時、ナーラダ仙は神々の集いに赴きます。
その集いにおいて、ナーラダ仙が座る場所は、誰よりも低い位置にありました。
その理由をナーラダ仙が問うと、ナーラダ仙にはグルがいないからだといわれます。
ナーラダ仙は、いつも神の名を口にしていましたが、グルから与えられたマントラを持っていないことに気がつきました。
すると、ナーラダ仙は、夜が明け最初に出会った方をグルとしますと告げ、その集いを去って行きます。

次の日の朝、最初に出会ったのは、老いた漁師でした。
ナラーダ仙は漁師に、あなたは私のグルであり、マントラを授けて欲しいと頼みます。
漁師は、私はあなたのグルにはふさわしくないと断るも、ナーラダ仙は懇願します。
漁師が頭の中にあった神の名を口にすると、ナーラダ仙はその神の名をマントラとして受け取りました。
そして、再び集いへ赴き、グルを得たことを報告すると、神々にそのグルを連れてくるよう求められます。

ナーラダ仙は再び漁師のもとへ向かい、集いに出向いてくれるよう頼むも、漁師は足が不自由でうまく歩けません。
ナーラダ仙は腰をかがめて漁師を背負い、集いに赴きました。
そして、その御足に触れました。
すると、漁師はシヴァ神に姿を変えたといわれます。

このナーラダ仙の神話を通じては、自分自身を育む世界のすべてに、敬意を持って生きることの意味を教えられたように思います。
聖仙であるナーラダが老いた漁師を背負ったように、私たちのエゴを取り除くその存在は、どのような姿であろうと、私たちのグルとなるに違いありません。
そのグルは、日々の歩みの中で、エゴが生み出す暗闇を取り除き、真実という光に私たちを導いてくれるはずです。

グルの姿は、必ずしも見えるものではありません。
人生という学びの機会の中で、一つ一つの経験をグルとして崇められるように、謙虚に信愛を持って生きることを努めたいと感じます。
師への満月祭を迎える時、皆様にも大きな光が満ちるよう心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

雄鶏のアーサナ

私たちを取り巻く自然界には、本質を学ぶ多くの機会が溢れています。
インドでは、そうした自然界のあらわれの多くが神格化され、古来より崇められてきました。
そして、世界的に広まったヨーガにも、そんな自然界に見られる動きを真似るポーズが多く伝わります。
その一つに、雄鶏のポーズがあります。

毎朝、輝く太陽を呼び覚ますかのように鳴き始める雄鶏。
夜間や暗所では著しく視力が低下する鶏は、夜の間は不安に包まれ、じっと身を隠すように過ごすといわれます。
そして、太陽が昇る夜明け頃になると、その存在を示すように雄鶏が鳴き始めると伝えられてきました。
一方で、鶏には体内時計が備わっており、光を感じなくとも、時間になれば鳴き始めると伝えられます。

ヨーガで実践される雄鶏のポーズは、クックターサナと呼ばれ、それはまるで二本足で立つ雄鶏のようです。
このポーズでは、まず蓮華座を組み、左右の足のふくらはぎと太ももの間に、それぞれ左右の腕を入れます。
組んだ足を崩さないように肘まで腕を通した後、両手を床につけ、腕の力を使いながら身体を持ち上げます。

このポーズには、膝や股関節の柔軟性を高めたり、腕・肩・手首を強化したり、バランス感覚や集中力を向上させる効果があるとされます。
何よりも、このポーズは脊椎の基底に位置するムーラーダーラ・チャクラを活性化すると伝えられてきました。
ムーラーダーラ・チャクラは、土の要素を持ち、生命エネルギーの拠点となる重要なチャクラです。

ムーラーダーラ・チャクラが滞ると生命エネルギーは妨げられ、人生においては地に足がつかないような大きな不安を感じると伝えられます。
私たちは、日々の中でさまざまな不安を感じることが少なくありません。
その不安の中では、夜の鶏のように、じっと動けないことも往々にあります。

しかし、暗闇を切り開くかのように鳴く雄鶏の姿を真似るこのポーズは、私たちのムーラーダーラ・チャクラを活性化し、生命エネルギーを呼び覚ましていきます。
そうしてエネルギーが生き生きと動き始める時、内なる世界には明るい光とともに安定が生まれ、不安といった暗闇は払拭されていきます。

こうした自然界が見せる動きに調和をするヨーガのポーズは、自分自身の心身と向き合いながら、本質に気づくための大切な機会を与えてくれます。
その貴重な世界へと私たちを誘うヨーガを取り入れながら、心身ともに健やかな日々を過ごしたいと感じます。

(文章:ひるま)

影を拭い去る神

人々を魅了する神秘の国インドには、世界的にも有名となった数多くの巡礼や祝祭があります。
その一つが、ラタ・ヤートラーかもしれません。
ラタ・ヤートラーは、クリシュナ神のあらわれであるジャガンナータ神が熱心に礼拝される祝祭です。
その聖地である東インドのプリーは、各地から訪れる多くの巡礼者で溢れ、歓喜の渦に包まれます。

聖地プリーには、高さが65mにもなるジャガンナータ寺院がそびえ立ちます。
このジャガンナータ寺院は、インドの数ある寺院の中でもとりわけ多くの神秘が伝えられる寺院の一つであり、私たちをその神妙な世界に引き込みます。
その神秘の一つは、この寺院は決して地面に影を作らないと伝えています。

実際に、ジャガンナータ寺院は、いかなる時も、いかなる方向にも、地面に影を落とさないといわれます。
それは、建築上の偉業とも、工学上の功績とも、神の仕業ともいわれることがあります。
そこには、私たちに対するジャガンナータ神のメッセージがあるようにも見ることができます。

大きな目を輝かせ、愛らしい表情を見せるジャガンナータ神。
その姿を見つめると、もっと近くに来るようにと、いざなわれるかのように心を動かされることがあります。
事実、ジャガンナータ神はその大きな目で、常に私たちを見ているのだといわれます。

あまりにも崇高で、時に近寄りがたい神々の存在も、インドでは何よりも愛らしい姿となってあらわれます。
神々の姿が見えず、その存在を遠くに感じ、悩み苦しむことがある私たちにとって、その姿は明確なメッセージのように映ります。

影は、光を遮るものがある時に生まれます。
私たちにとって、光を遮るものとは無知や欲望であり、日々に苦悩という暗い影を生み出します。
しかし、神々に近づきその偉大な存在にただ身を委ねると、影を生み出すものは消え去り、自分自身の本質である明るい光が見えるように感じます。

クリシュナ神は、形に限定されない遍在する神の愛を示すために、ジャガンナータ神の姿となってあらわれたといわれます。
その愛を通じて、光そのものである神と自分自身の存在に絶えず気づきながら歩むことが、私たちの日々の巡礼であるのかもしれません。

(文章:ひるま)

クベーラ・ムドラー

目的意識を高めることは、願望成就のために何よりも重要であるといわれることがあります。
日々の中で、私たちは行動の目的をどれだけ明確に意識することができているでしょうか。
時には目的が見えず、何をすればいいのか、身動きが取れないことも少なくありません。

この目的意識の実現を助けてくれる、クベーラ・ムドラーと呼ばれるムドラーがあります。
財宝の神であるクベーラの名前を持つこのムドラーは、私たちの目的意識を高め、願望成就をもたらし、最終的には大きな財産を授けるムドラーとして知られます。

クベーラ・ムドラーでは、親指、人差し指、中指の先端を合わせ、薬指と小指は手の平に丸めこみます。
瞑想時などにゆったりと座りながら、両手で形作ったこの手を、膝の上や胸のあたりで組むのがクベーラ・ムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指には、それぞれ5元素の象徴があります。
クベーラ・ムドラーで合わせる親指、人差し指、中指は、それぞれ、火と風と空を象徴します。

「火」は、激しさや鋭さをもたらす性質であるピッタの象徴です。
ピッタが適切に活性化すると、集中力が高まり、自信に満ち、勇気に溢れると信じられます。
また、「風」と「空」は、自由に何かを動かし変化をもたらす性質であるヴァータの象徴です。
ヴァータが適切に活性化すると、豊かな創造力、発想力、好奇心が生まれると信じられます。

さらに、それぞれの指は惑星に関連し、それぞれに異なる力を持つとされます。
親指は勇気や強さを象徴する火星、人差し指は学びや成長を象徴する木星、中指は安定や正義を象徴する土星に対応するとされています。
これらを合わせその力が高まるとき、意志が強まり、正しい知識を得ながら、着実に成長する力を得ることができると信じられます。

ムドラーは、自分自身の内なる世界からその周囲まで、取り巻くエネルギーを向上させる術として伝えられます。
このムドラーがクベーラという名前を持つように、こうして明確になる目的意識は、私たちを願望成就に向けて突き動かします。
それはやがて、私たちに大きな財産をもたらしてくれるものとなるでしょう。

(文章:ひるま)

2019年6月の主な祝祭

lotus flower

2019年6月の主な祝祭をご紹介いたします。

5月〜6月の新月は、インドの一部の慣習において、土星であるシャニ神の降誕祭が祝福されます。また、インドの各地で酷暑期となるこの時期、水すらも摂らない一年で一番厳しい断食が実践されるニルジャラ・エーカーダシーが祝福されます。一方で、6月に入ると少しずつモンスーンが北上し、恵みの雨が潤いをもたらします。

6月1日 プラドーシャ/シヴァラートリー
6月3日 新月/シャニ・ジャヤンティ/ヴァタ・サヴィトリー・ヴラタ
6月12日 ガンガー・ダシャラー
6月13日 ニルジャラ・エーカーダシー/ガーヤトリー・ジャヤンティ
6月14日 プラドーシャ
6月15日 ミトゥナ(双子座)・サンクラーンティ
6月17日 満月/カビールの生誕祭
6月20日 サンカタハラ・チャトゥルティー
6月29日 エーカーダシー
6月30日 プラドーシャ

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:Month Panchang

シャニ神とハヌマーン神

行為の善悪に基づいて、私たちにさまざまな試練をもたらしながら、成長を促す惑星と信じられる土星。
その試練のあまりの過酷さに、人々から畏怖される土星は、シャニ神として崇められてきました。

厳格な師として崇められるシャニ神は、時に多くの苦難をもたらす存在です。
そんなシャニ神であっても、ハヌマーン神の帰依者だけには、決して悪影響をもたらさないと信じられることがあります。
このシャニ神とハヌマーン神の関係を見ると、試練を乗り越え成長するための道筋が見えてきます。

たとえば、スーリヤ神(太陽)に関する神話が伝わります。
父親であるスーリヤ神と仲が悪いシャニ神に対し、ハヌマーン神はスーリヤ神を師として学びを得ました。
ハヌマーン神がスーリヤ神にグルダクシナー(謝礼)をしようとした時、スーリヤ神はハヌマーン神の熱心な学びに満足し謝礼を遠慮するも、あることを頼みます。

スーリヤ神は、対話もできないほど仲が悪く、さまざまな試練を生み出す息子であるシャニ神に、その癖を直すように伝えて欲しいとハヌマーン神に依頼しました。
ハヌマーン神がシャニ神を訪れると、シャニ神はハヌマーン神の肩に乗り、ハヌマーン神を支配しようとします。
しかし、身体の大きさを自在に操る力を持っていたハヌマーン神は、突如、身体を大きく拡大しました。
肩に乗っていたシャニ神は、天井に挟まれ、苦痛に耐えられません。
ハヌマーン神の力に驚いたシャニ神は、ハヌマーン神の帰依者にはいかなる悪影響ももたらさないと約束をし、解放されたと伝えられます。

このスーリヤ神との神話以外にも、シャニ神は出会ったハヌマーン神の行動に救われることがありました。
ハヌマーン神は、ラーマ神を主として崇め、すべてを捧げるほどに深い愛と献身に溢れる存在です。
主を思い行動するハヌマーン神の勇敢で犠牲に満ちた精神は、山を動かすほどの大きな力を生み出し、あらゆる苦難を次々に払拭していきます。

物事の多くは、主を見失い、意志が弱まり、我欲にまみれる時、試練として降りかかります。
そんな試練に出会う時、ハヌマーン神のように行動をすることができれば、私たちは試練の意味に気づきながら成長する術を獲得できるはずです。

今年は6月3日の新月に、シャニ神の降誕祭であるシャニ・ジャヤンティが祝福されます。
試練を糧としながら成長できるように、この二人の関係に学びを深めたいと感じます。

(文章:ひるま)