シルディーの聖者サイババ

インドの霊的指導者であるシルディー・サイババ(1838年頃~1918年10月15日没)は、国や宗教を越え、世界中の人々から神の化身として崇められる存在です。サイババは、ヒンドゥーの修行僧を意味するヨーギー、また、イスラームの修行僧を意味するファキールとも呼ばれ、現代においてもヒンドゥー教徒やイスラーム教徒たちから広く崇められています。ヒンディー語で「ドワールカーマイ」と名付けられたモスクに住み、そこでヒンドゥー教とイスラーム教の儀式を行い、両宗教の言葉や様式を用いながら教えを説いたサイババは、彼の人生をもって、争いが絶えなかったヒンドゥー教とイスラーム教の融和を図りました。

自己の本質への気づきを説き続けたサイババは、厳しい霊性修行の道を助ける導師(サットグル、またはムルシド)の重要性を説いています。それは、サイババ自身が日々の行動の中で示しました。数々の奇跡を起こしながら、道徳的な規範を説き、愛すること、助けること、受け入れること、満ち足りることを実践するとともに、神と導師への献身の重要性をその教えの中心で説き続けています。サイババの有名な言葉に「サブ・カー・マリク・エーク」があります。「神はあらゆるところに浸透している」を意味するこの言葉は、宗教や信仰を超え、現代でも人々を結びつけています。

サイババの出生は不明な点が多く、謎に包まれています。一説に、サイババはインド西部に位置するマハーラーシュトラ州パルバニーのパートリーという村で生まれたと伝えられます。その後、シルディーの村に到着し、ニームの木の下で瞑想を始めたのは、16歳の頃であったといわれます。この時、この少年がどこから来て、なぜそこに座っているのか、その理由は知れず、この少年の名前を知る者すらいませんでした。しかし、そこでサイババは人々の不治の病を癒すなど、数々の奇跡を行います。その後、忽然と姿を消したサイババが再びシルディーに戻った時、僧侶のムハーラサーパティが彼を聖者として迎え入れ、「ヤー・サイ!(ようこそ、サイ!)」と挨拶をしました。こうして、彼はサイと呼ばれるようになったといわれます。

「サイ(サーイー)」は、ペルシア語で「聖者」意味します。また、ウルドゥー語では、「巨匠」や「領主」を称えて呼ぶ言葉であり、それは、ペルシア語のSayeから派生した「影」を意味し、比喩的に「支え」や「保護」を意味するともいわれます。サンスクリット語の「サークシャート・イーシュヴァラ(神の現れ)」という言葉を意味しているという説もあります。「ババ(バーバー)」という言葉は、インドや中東において「父」や「老人」を称えて呼ぶ言葉です。つまり、「サイババ(サーイー・バーバー)」とは、「聖なる父」を意味します。

宗教を超えて相互愛を説いたサイババは、まさに聖なる父であり、その教えは、多くの聖者たちの思想に影響を与えました。シルディーにあるカンドーバー寺院の僧侶ムハーラサーパティやウパーサニー・マハーラージなど、サイババの弟子たちは、後に聖者として崇められるようになっています。

「あなたのことはすべて知っている。
わたしはあなたとともに生きているからだ。
わたしはあなたであり、すべてはわたしなのだ」
(シルディー・サイババ)

シルディー・サイババは、肉体を脱ぎ去った現在でも生き続け、彼を拠り所とするすべての帰依者の悲哀を取り除き、喜びと幸せを授けること、そして、寄る辺のない人々に救いの手を差し伸べ、彼らを教え導き、あらゆる面における繁栄と成功を与えることを約束しています。

(SitaRama)

ヴィシュヴァーミトラの修行

無限の力を引き出すガーヤトリー・マントラを発見した聖仙ヴィシュヴァーミトラには、古代から多くの神話が伝えられます。聖仙として崇められるヴィシュヴァーミトラは、かつて、偉大な力を持った一人の王でした。

ある時、聖仙ヴァシシュタのもとを訪れた王のヴィシュヴァーミトラは、もてなされた食事の豪華さに驚きます。ヴィシュヴァーミトラが理由を尋ねると、聖仙ヴァシシュタにはカーマデーヌという、限りない恵みを授ける牛がいることがわかりました。聖仙ヴァシシュタからこの牛を奪おうと戦いを挑むも、聖仙としてのヴァシシュタの神秘の力には敵わず、牛を手にすることができません。すると、ヴィシュヴァーミトラはこの神秘の力を手に入れようと、聖仙になるための厳しいヨーガの修行を始めました。

ヴィシュヴァーミトラの修行には、多くの邪魔が入ります。何度も何度もその修行を阻まれるも、決して諦めることはなく、時を超えて厳しい修行を実践し続けました。そして、その修行が達成された時、ヴィシュヴァーミトラは聖仙ヴァシシュタにも認められる偉大な聖仙となります。この修行の賜物として、ヴィシュヴァーミトラはガーヤトリー・マントラを発見しました。

ヨーガには、聖仙ヴィシュヴァーミトラに捧げるアーサナ(ポーズ)があります。ヴィシュヴァーミトラーサナと呼ばれるこのポーズは、全身の高い柔軟性、確かな安定、そして中心の強さを必要とする、高度なアーサナの一つに数えられます。その練習の過程では、幾度となく前進と後退を経験するも、少しずつ進歩を感じる時、繰り返し努力をすることの意味を学びました。そうして得る心身のしなやかさと安定、そして強さは、何にも勝る大きな喜びです。

ヴィシュヴァーミトラがその修行で経験した苦難は、その名が捧げられたヨーガのアーサナの難しさに映し出されています。私たちは、人生においても前進と後退を繰り返し経験し、その歩みには、時に大きな苦難が待ち受けています。しかし、その苦難が大きければ大きいほど、努力をする価値があり、そうして得る恩恵は、ヴィシュヴァーミトラがガーヤトリー・マントラを発見したように、人生に光をもたらす賜物となるに違いありません。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Vishvamitra

ヴァルーティニー・エーカーダシー

2017年4月22日はエーカーダシーの吉日です。月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。

チャイトラ月(3〜4月)の満月から11日目にあたるこのエーカーダシーは、ヴァルーティニー・エーカーダシーといわれます。ヴァルーティニーには、「軍隊」や「兵士」といった意味があり、このヴァルーティニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を努める者には、強い守りがもたらされると信じられます。

ヴァルーティニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を通じては、数々の王たちが救われ、成功を得たと伝えられます。また、欲望にまみれ驕り高ぶった態度を見せたブラフマー神を罰するために、5つあったブラフマー神の頭の一つを切り落としたシヴァ神は、その際に受けた呪いを、このヴァルーティニー・エーカーダシーの戒行によって払拭したともいわれます。不幸な境遇にある女性たちは、このヴァルーティニー・エーカーダシーを通じ救われると伝えられることもあります。

エーカーダシーでは、ヴィシュヌ神を通じた瞑想や断食を行ったり、寄付や施しを行うことが勧められます。このヴァルーティニー・エーカーダシーを通じた行いは、千年を通じた修行の成果と同じ恩恵を授けるとも伝えられています。

参照:http://www.speakingtree.in/blog/varuthini-ekadashi-fast

ガーヤトリー・マントラの無限の力

ヒンドゥー教において最高峰のマントラといわれ、現代では国や宗教を超えて詠唱されるガーヤトリー・マントラは、かつては儀式や祭祀を執り行う特定の家系の男子のみによって唱えられるものでした。ヒンドゥー改革運動の流れやヨーガの普及もあり、日常的に幅広く世界中で唱えられるようになったこのガーヤトリー・マントラについて、その意味、起源、重要性を詳しく見ていきましょう。

「オーム、地よ、空よ、天よ
我らが、彼(か)の太陽神の愛でたき神の光輝を獲得せんことを
我が為に、彼が知性を鼓舞せんことを 」
(参照:ガーヤトリー・マントラの逐語訳

紀元前12世紀頃に編纂されたリグ・ヴェーダにあらわれるこのガーヤトリー・マントラは、太陽神サヴィトリへの賛歌です。聖仙ヴィシュヴァーミトラは、太陽の中に神(ブラフマン)を見出し、無限の力を引き出すガーヤトリー・マントラを発見しました。ガーヤトリー・マントラには、生きとし生けるものに命を与える太陽という最高の光が、私たちの心を照らし、知識を授け、正しい道へと導いてくれるよう、叡知を司る祈りが込められています。

「ガーヤトリー」とは、もともと韻律の一種であり、8音節の句を3つ重ねた、合計24音節からなる詩形を意味します(参照:ガーヤトリー・マントラについて)。
後に、ガーヤトリーは神格化され、ガーヤトリー女神として崇められるようになりました。ガーヤトリー・マントラが記されたヴェーダは、「知識」を意味し、ヒンドゥー教においてもっとも尊ばれる聖典であり、ガーヤトリー女神は人々の無知を取り除くヴェーダの母として崇められています。

それでは、なぜガーヤトリー女神は、5つの顔を持つのでしょうか。4つの顔は4つのヴェーダをあらわし、残りの1つは最高神をあらわすといわれます。4つのヴェーダには、以下のマハーヴァーキヤ(格言)があり、これらをすべてあわせたものが、ガーヤトリーとなります。

サーマ・ヴェーダ:tat tvam asi(汝はそれである)
リグ・ヴェーダ:prajñānaṁ brahma(意識はブラフマンなり)
アタルヴァ・ヴェーダ:ayam ātmā brahma(自己はブラフマンなり)
ヤジュル・ヴェーダ:ahaṁ brahmāsmi(私はブラフマンである)

このことから、ガーヤトリー・マントラは4つのヴェーダの教えの真髄であり、ガーヤトリー・マントラを唱えることは、4つのヴェーダをすべて唱えることと同じ功徳があるといわれます。またガーヤトリーは、パンチャ・マハー・ブータ(五大元素)をあらわし、宇宙全体の力を通じて、ガーヤトリー・マントラを唱える個人の心と体を守り、偉大な力を授けると伝えられます。また、5つの顔は、生命を司る5つのプラーナ(生気)と、自己の本質を覆い隠す5つの鞘に対応します。すなわち、ガーヤトリー・マントラを唱えることは、生命力を活性化させ、自己の本質を覆い隠す鞘を取り除くために、非常に役立ちます。

太陽神サヴィトリへの賛歌であるガーヤトリー・マントラは、感覚を司るガーヤトリー女神、生命力を司るサーヴィトリー女神、そして叡知を司るサラスヴァティー女神の三女神の象徴です。したがって、ガーヤトリー・マントラを唱えることにより、感覚器官を制御し、真理を語り、思いと言葉と行動の一致をもたらします。ガーヤトリー・マントラは、あらゆるマントラの中で最も恩恵高く、光に満ちた知識を授けるマントラであることから、グル・マントラとして受け継がれることもあります。

ガーヤトリー・マントラを唱える最適な時間は、日の出、正午、日の入りです。こうして1日に3度ガーヤトリー・マントラを唱えることは、サンディヤー礼拝と呼ばれます。マントラは108回唱えることで最大の恩恵が得られると伝えられますが、十分な時間が取れない場合は、3回、9回、11回等の吉祥数回唱えることもよいでしょう。もし食前に唱えるならば、その食事は神聖な波動で満たされた神への捧げ物となり、精神と肉体にとって有益な食事となるでしょう。

賢者や聖人たちは、単にガーヤトリー・マントラの意味を伝えるだけでなく、清らかな知識を授ける正しい力となるように、その言葉を伝えてきました。スワミ・シヴァーナンダ師は、ガーヤトリー・マントラについて、次のように述べています。
『ガーヤトリーは、敬虔深いヒンドゥー教徒すべての生命であり支柱です。
それは、信奉者を守り導く決して破れない霊的な鎧であり、堕ちることのない要塞です。
事実、ガーヤトリーの言葉の真の意味は、「それを歌う人を守るもの」です。
ガーヤトリーは、人間を神へと変え、最高の霊的光輝によって人々を祝福する神の力です。』
(参照:ガーヤトリー・ジャパの日

ガーヤトリー・マントラに秘められた教えと力が、その真義を明らかにしています。詠唱を続けると、真の知識があらわれ始めることを感じるでしょう。神への讃美であり、瞑想であり、祈りでもあるガーヤトリー・マントラは、真理を授ける無限の力を秘めています。

(SitaRama)

仏陀と蓮の花

泥沼から美しい花を咲かせる蓮。インドの国花として人々に広く愛されるその美しさは、純粋さと神聖さの象徴です。ヒンドゥー教の神々は蓮とともに描かれることが多く、その存在は、カマラー女神として神格化され崇められています。

仏陀も、そんな美しい蓮の花に座す一人です。泥沼の環境で美しい花を咲かせる蓮は、仏教において、叡智の開花や慈悲の象徴として崇められてきました。それはまた、悩み苦しみ、厳しい苦行を続け、悟りを得た仏陀の生きる姿を示していると伝えられます。

蓮の花に座し寂静に満ちる仏陀の姿は、苦の先にある果報が唯一無二の美しさを見せることを物語っています。悩みや苦しみは、人々に多くの気づきをもたらします。美しい花を開く蓮が豊かな養分を含んだ泥水を必要とするように、悟りを開くためには、私たちも泥沼のような苦が必要なのかもしれません。

人生とは「苦」であると、仏陀は説いています。泥沼を経験することがあっても、悟りの糧として受け入れると、その苦しみも、有り難き幸せとなり変わります。人生における苦を通じ、より多くの知恵を得ながら慈悲の心を育むことで、私たちは何よりも美しい花を咲かせることができるに違いありません。

仏陀は、「苦」の人生をいかに生きるかという道筋も示しました。基本となるその道筋は八つ、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行動、正しい仕事、正しい努力、正しい気づき、正しい精神統一(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の八正道といわれます。生きることは苦しみと向き合うことである、という事実を理解しながら、この八正道を歩むことで、私たちは涅槃の境地に達するのだといわれます。

インドの地で多大なる苦悩を経験し、悟りを開いた仏陀。自分自身の人生において、美しい花を開くことができるよう、苦を受け入れ、正しい道を歩むことを努力したいと感じます。苦がある時、開く花の美しさは、より真実味を帯びるのかもしれません。

(文章:ひるま)

ハヌマーンの棍棒

正義の象徴としてインド全土で広く崇められるラーマの側には、献身的に仕える猿神ハヌマーンの姿が常にあります。主に北インドでは、4月11日の満月に、このハヌマーンの降誕祭が祝福されます。

いかなる悪をも寄せ付けない、ヒンドゥー教の神格の中でとりわけ強い力を持つハヌマーンは、ガダーと呼ばれる大きな棍棒を手にしています。ハヌマーンのエネルギーの象徴として崇められるガダーは、他の神格も手にして描かれることが多くあり、霊性を育む深い意味が秘められています。

ガダーは、勇気、活力、そして太陽のような輝きの象徴でもあります。大自然の巡る均衡の中で、地球が太陽の周りを回りながらそのエネルギーを私たちに授けるように、ガダーを用いる時、そこから生じるエネルギーは私たちの心身に大きな意味を与えます。

重心が片端に寄るガダーを適切に操るには、体力だけでなく、統制された強い精神力から生まれる安定が必要です。統制すべきものとは、変化に富む心、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の5つの知覚器官、そして、発声・操作・移動・生殖・排泄の5つの行為器官といわれます。時に悪を生み出すこれらを統制することができた時、私たちは初めて、悪のない真の平安を生み出すことが可能となります。

ハヌマーンは、もっとも大きなガダーを操ることができる唯一の存在であると伝えられます。それは、ハヌマーンの心がラーマという正義に強く定まり、その感覚や行為が統制されているからに他ありません。事実、ハヌマーンはラーマの妃であるシーター女神を悪の手から救い出し、王国に平安をもたらしました。

ガダーは、議会や大学などでも秩序を守る権威の象徴として飾られることがあります。人間の心の葛藤が描かれているともいわれるインドの古代叙事詩の戦いにおいても、このガダーが多く登場します。それはまるで、霊的探求の道を歩み抜く術を、このガダーが伝えているようです。ガダーを操る力には、霊的な深い意味が溢れ、その力は世界に平安をもたらすことが明白です。

ハヌマーンのようにどんな悪をも払拭することができるように、正義に心を定めて自分自身を統制し、ガダーを操る力を身につけたいと感じています。皆様にもハヌマーンの大きなお恵みがありますように心よりお祈り申し上げております。

(文章:ひるま)

2017年4月の主な祝祭

2017年4月の主な祝祭日をご紹介いたします。

続いている春のナヴァラートリー祭はラーマ・ナヴァミをもって終わりを迎え、その後は満月にハヌマーン神の降誕日とされるハヌマーン・ジャヤンティ、そして一年の中の大吉日であるアクシャヤ・トリティヤが祝福されます。

4月4日 ドゥルガー・アシュタミー/カンニャ・プージャー
4月5日 ラーマ・ナヴァミ/ナヴァラートリー祭の終わり
4月7日 エーカーダシー
4月9日 マハーヴィーラ・ジャヤンティ(降誕祭)
4月11日 満月/ハヌマーン・ジャヤンティ(降誕祭)
4月14日 メーシャ・サーンクランティ/ヴァイサキ、ヴィシュなどインドの一部地域における新年
4月22日 エーカーダシー
4月25日 シヴァラートリー
4月26日 新月
4月28日 パラシュラーマ・ジャヤンティ
4月29日 アクシャヤ・トリティヤ
4月30日 アーディ・シャンカラーチャリヤ生誕祭

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

瞑想を深めるムドラーの実践

ヨーガの練習では、その始まりや終わりにおいて、手と手を合わせる合掌のポーズを行うことが多くあります。「祈りのポーズ」、または単に「祈り」ともいわれるこの行いは、アンジャリ・ムドラーと呼ばれます。ヨーガの練習の始めにアンジャリ・ムドラーを行うと、心が落ち着き、確かな集中力を感じることができるでしょう。

しかし、ムドラーの本来の意味を理解しないと、このアンジャリ・ムドラーもヨーガの練習の一部としてしか感じられないかもしれません。なぜムドラーが重要視されるのか、その意味を理解すると、ムドラーは日常生活においても大きな意味と目的を持った行いとなります。

「印相」を示すムドラーの本来の意味には、「封印」や「印章」があります。それは、ある意味を象徴的に表現したり、さらにその意味を刻印する動きでもあります。手で示すムドラーに加え、ハタ・ヨーガでは身体で示すムドラーも実践されます。それぞれのムドラーには特定の働きと象徴があり、ムドラーを行うとそれぞれの働きと象徴が持つ意味を封印し、意識に強く働きかけます。私たちは日常生活の中で、自分自身の思考や感情を手や身体の動きで示しますが、ムドラーを学び、自分自身の姿勢、そして身振りや手振りに気づくことで、より意識的に日常生活を過ごすことができます。

基本のムドラーを以下にいくつか挙げてみます。

アンジャリ・ムドラー

アンジャリ・ムドラー:閉じた蓮の花のように両手のひらを合わせます。右手と左手は、相反するものの象徴です。清浄と不浄、陰と陽、男性と女性、自分と他者、梵と我など、相反するものが一つになる感覚は、大きな安らぎをもたらします。アンジャリは感謝や敬意を意味し、ナマステーの挨拶でも実践されるように、自分と世界に平安をもたらすムドラーです。

チン・ムドラー

チン・ムドラー:親指の先と人差し指の先を合わせ輪を作り、他の3本指は真っ直ぐに伸ばしたまま、手のひらを上に向けます。親指は大宇宙である梵、人差し指は小宇宙である我をあらわし、これを結びつけることによって梵我一如を象徴します。このムドラーは、広く瞑想中に実践されます。膝の上でチン・ムドラーを結ぶことで、大きな世界と深くつながることができるでしょう。

プラーナ・ムドラー

プラーナ・ムドラー:薬指の先と小指の先、親指の先を合わせ、人差し指と中指は合わせて真っすぐに伸ばし、手のひらを上に向けます。瞑想中は膝の上で、または腕を上げたままの状態で結んでも良いでしょう。エネルギーの流れを調整し、内なるエネルギーや世界のエネルギーとの結びつきを強めるムドラーです。

安らぎを感じるために、内なるエネルギーへのアクセスのために、敬意をあらわすために、世界と繋がるために、神々との結びつきを深めるために、ムドラーの実践を始めてみると良いかもしれません。まずは1日の始まりと終わりにムドラーを数分間実践し、どんな感覚を得るか見つめてみましょう。瞑想時にはその始まりと終わりにムドラーを実践することで、瞑想状態がより深まることに気がつくでしょう。

(SitaRama)

大吉日を生む自然の暦

ヒンドゥー教の暦には、ムフールタと呼ばれる時間の概念があります。48分単位で刻まれるこのムフールタによれば、1日の中にも吉兆な時間とそうでない時間があり、特定の行為に対して適切な時刻が定められています。しかし、このムフールタに関係なく、一日中吉兆な時間に満ちている時があります。それが、アクシャヤ・トリティヤです。

アクシャヤ・トリティヤは、一年の中で太陽と月の光がもっとも明るくなる時といわれることがあります。それは、このアクシャヤ・トリティヤにおいて、太陽が牡羊座に、そして月が牡牛座にあるためです。太陽は牡羊座で高揚し、月は牡牛座で高揚するといわれますが、惑星は高揚する星座に位置する時、最大限の力を発揮し良い影響を生み出すと信じられています。この時、私たちの心身は、サットヴァ(純質)に満ちたエネルギーを受け取るといわれることもあります。

アクシャヤ・トリティヤは、ヴィシュヌ神に捧げられる日として崇められ、トレーター・ユガが始まった時であると信じられます。トレーター・ユガでは、ヴィシュヌ神の重要な3つの化身であるヴァーマナ(矮人)、パラシュラーマ(賢者)、ラーマ(王子)が生まれ、この地における人類の進化を象徴する重要な時代です。

あらゆる障害を取り除き、世界に幸運をもたらすガネーシャ神は、叙事詩マハーバーラタをこのアクシャヤ・トリティヤに書き始めました。東インドのプリーでは、世界的に有名な祝祭であるラタ・ヤートラー(6月~7月)の山車の製作を、このアクシャヤ・トリティヤより始めます。太陽と月がもっとも輝くアクシャヤ・トリティヤは、成功や幸運をもたらすとりわけ吉兆な時の一つです。

大自然の動きと密接に繋がるインドの生活は、あらゆる物事を、大自然の喜びに従って進めていきます。その動きに調和をしながら、吉兆なエネルギーを受け取り、この時に新しい挑戦を始めてみるのも良いかもしれません。皆様にとっても祝福に満ちた時となりますよう、心よりお祈り申し上げております。

(文章:ひるま)

シヴァリンガムの聖なる形

シヴァリンガムは、ヒンドゥー教においてもっとも広く信仰される聖なる形のひとつです。全身のプラーナとその流れを増大させ、生命力を漲らせる強い力があると信じられ、健康と幸福のためにシヴァリンガムを崇める人々が多くいます。

男根(リンガム)と女陰(ヨーニ)からなるシヴァリンガムは、男性性と女性性のエネルギーの統合、そしてその相対性の調和を秘めています。 リンガムには、シンボル、しるし、象徴、姿という意味があり、シヴァ神の吉兆な印であることがわかります。古代から現代に至るまで、シヴァリンガムは人々の信仰の中心にあり続けています。

さまざまな形や材質が存在するシヴァリンガムの中でも、主要な聖地のひとつであり、インド中部を流れる聖河ナルマダー川で採集されるシヴァリンガムは、もっとも神聖な波動を持つシヴァリンガムとして崇められます。この地域に住む人々によって採集された石は、滑らかな丸い形になるまで磨かれます。黄褐色、茶色、赤色、灰色、縞模様、まだら模様、水玉模様など、ナルマダー・シヴァリンガムはさまざまな色や模様を持ち、石にあらわれた模様には、大いなる存在を見ることができます。ナルマダー・シヴァリンガムは、自分自身の本質とつながる場所である頭頂のチャクラとの直接的な繋がりを促すとも信じられています。

その形に特別な意味があるシヴァリンガムは、自然に生じたものもありますが、人の手で石を磨き形作られたものが一般的です。宇宙創造の源である卵形をしたリンガムもあります。神聖な一つの形の中に男性性と女性性の結合が秘められたシヴァリンガムは、あらゆる創造の源であることがわかります。ヒンドゥー教の寺院には、自然にこの形を成した神妙なシヴァリンガムが祀られていることも多く、帰依者にとって特に聖なるものとして崇められています。

ナルマダー・シヴァリンガムは隠微晶質石英でできており、さまざまな物質を含みながらその形を形成しますが、手に入れるのは難しいことではありまあせん。それでもこの石がこれほどの強力なエネルギーを持つのは、聖なる形を通じ、時を超えて崇拝されてきたという事実があるからでしょう。

今月26日(日)は、シヴァリンガムを礼拝するのに相応しい、毎月訪れるシヴァラートリーの吉日となります。シヴァリンガムを瞑想し、その聖なる形の意義を真に理解することは、宇宙の根本原理を悟り、ヨーガの究極の目的であるブラフマンとの合一を実現することに他なりません。

(SitaRama)