アシュタヴァクラのアーサナ

心身の解放に引き込まれるヨーガのポーズに、アシュタヴァクラーサナというポーズがあります。賢者アシュタヴァラに捧げられるこのポーズは、体を屈折させながら、両腕で全身を支えて身体を持ち上げるポーズです。アシュタヴァラは、生まれつき体の8つの部分が曲がりながらも、多くの教えを説いた賢者の一人でした。

アシュタは「8」、ヴァクラは「曲がった」を意味します。アシュタヴァクラは、母親のお腹にいた時、いつも父親が詠唱するヴェーダを聞いていました。ある時、父親がヴェーダの詠唱を間違うと、その間違いを笑ってしまいます。怒った父親は、アシュタヴァクラを呪い、その体の8つの部分を変形させてしまいました。そうして生まれたアシュタヴァクラは、さまざまな苦難を経験するも、その身体で多くの教えを示します。その教えは、「アシュタヴァクラ・ギーター」として、現代においても受け継がれています。

「自由だと思えば、自由である。束縛されていると思えば、束縛されている。」

アシュタヴァクラはそう述べています。このポーズを通じ、自らを不自由な状態におきながらも、そこで呼吸ができることに、真の自由の意味を学びました。

病患があったり、ハンディキャップがあったり、私たちは一人一人がさまざまに異なる肉体を持ちます。自分自身のおかれたその状況の中で、さまざまに限界を設け、不自由な境遇を作り出してしまうことも少なくありません。

ヨーガのアーサナは、そうした限界から、自分自身の身体と心を解放してくれるものでもあります。それは、自分自身に与えられた状況の中で、さまざまな気づきを生みだしながら、魂という永遠不変の存在に気づかせてくれるからかもしれません。

どんな出来事も、どんな状態も、最善のために起きているということを、このポーズは教えてくれます。日々の一瞬一瞬において、その事実に気づくことができれば、毎日を自由に、そして幸せに過ごせるに違いありません。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Ashtavakra

月の満ち欠けとヴラタ

大自然の動きと調和をするような風習や信仰が生きるヒンドゥー教の生活では、月の暦が重要視され、祝祭の多くも月の暦に従って祝福されます。

神々と惑星のエネルギーの関連などから、ヒンドゥー教では曜日毎に瞑想や断食をして祈りを捧げる神格がさまざまに異なりますが、月の満ち欠けによる暦に従って、神々への礼拝が行われることもあります。こうした時は、瞑想や断食を実践することが勧められ、これらの行いはヴラタ(戒行)といわれます。

とりわけ重要視されるヴラタを以下にご紹介いたします。

チャトゥルティー(月の満ち欠けの4日目):ガネーシャ神
シャシュティー(月の満ち欠けの6日目):カールッティケーヤ神
アシュタミー(月の満ち欠けの8日目):ドゥルガー女神、バイラヴァ神
エーカーダシー(月の満ち欠けの11日目):ヴィシュヌ神、クリシュナ神
プラドーシャ(月の満ち欠けの13日目):シヴァ神
シヴァラートリー(満月から13日夜/14日目):シヴァ神
プールニマー(満月):サティヤナーラーヤナ・プージャー
アマーヴァシャー(新月):先祖供養

月の満ち欠けのエネルギーは、私たちの心身にとりわけ大きな影響を与えるといわれます。そのエネルギーの象徴である神々を崇め、大自然の動きに調和をしながら、日々を幸せに生きる行いを実践してみるのも良いかもしれません。

参照:http://www.drikpanchang.com/vrats/hindu-vrat-list.html

国際ヨーガの日

2017年6月21日は国際ヨーガの日です。

国際ヨーガの日は、ヨーガの普及を目的としたもので、インドの現首相モーディー氏の提案を受け、2014年12月11日に国連で決定されました。今年が第三回目の国際ヨーガの日となります。

6月21日は、一年の内で昼間の長さが最も長い夏至にあたります(夏至の日にちは前後にずれが生じます)。夏至はさまざまな慣習で重要な意味を持ち、太陽礼拝が重視されるヨーガにおいても、特に重要視される時です。

インドの暦では、夏至の後の最初の満月が師を讃えるグル・プールニマーとして祝福されます。一説に、ヨーガの伝承は、その起源であるとされる偉大なグル、シヴァ神によってこの日(夏至)に始まったと信じる人々もいると伝えられます。

6月21日は世界の各地でヨーガに関するさまざまな催し物が行われるようです。この機会に、インド古代の叡智であるヨーガに触れているものも良いかもしれません。

バクティ・ヨーガの教え

宗教を超えた信仰のあり方に、バクティ・ヨーガの実践があります。中世のヒンドゥー教において盛んとなったバクティ・ヨーガは、献身的な礼拝、絶対神への帰依、信愛や奉仕を特徴とし、近代の代表的聖人であるシュリー・ラーマクリシュナ・パラマンサの生き方にも見ることができます。長きにわたり偉大な信仰の規則に順々と従いバクティ・ヨーガを実践し続けたラーマクリシュナは、そこで完全な悟りの境地に到りました。ラーマクリシュナの人生は、言葉では証明することが難しいバクティ・ヨーガの本質を明らかにし、それがサマーディに近づくための、とりわけ優れた方法であることを伝えています。

ラーマクリシュナは、自己を放棄し、俗なるなものとの繋がりを断ち、願望を捨て、神へ無条件に身を委ねる必要があるバクティ・ヨーガを、あらゆる修行の中でもっとも容易で直接的なものであると考えました。しかし、それが一番難しいと感じる人もいるでしょう。バクティ・ヨーガは、明瞭で定まった心を持つ人にとって実践しやすいものであり、どんな人でも容易に実践できるものではないかもしれません。集中(ダーラナ)、瞑想(ディヤーナ)、三昧(サマーディ)を同時に実践するバクティ・ヨーガやラージャ・ヨーガにおいては、主体は自分でなく、神という全体であり、そこで自我が完全に消え去る、究極の境地に到ります。

バクティ・ヨーガは、思考ではなく感情に働きかけるものであり、私たちの心に深く浸透します。それは、感情を壊すと同時に、感情を育むことでもあります。自己を制しながら欲望を超越しようとする教えは、時に強い反応を生み出しますが、バクティ・ヨーガは、神への愛に夢中になることで苦しみを生み出す欲望が自然と消え去ります。

バクティ・ヨーガは、宗教を持たない人にも、信仰を育むシンプルな方法となるでしょう。バクティ・ヨーガの思想は、他のヨーガに比べ、西洋文化により近いものかもしれません。本質的な部分は同じであり、バクティ・ヨーガに似たライフスタイルが西洋の宗教の慣習にあるためです。

バクティ・ヨーガの教えを説くバガヴァッド・ギーターで、クリシュナは次のように語っています。

「私に意(こころ)を向け、私を信愛せよ。私を供養し、私を礼拝せよ。あなたはまさに私に至るであろう。私は必ずそうなると約束する。あなたは私にとって愛しいから。」
(バガヴァッド・ギーター第18章65節、上村勝彦訳)

職業、性別、年齢にとらわれることのないバクティ・ヨーガの教えは、宗教の枠を超えて、いま世界中に浸透しています。

(SitaRama)

ヨーギニー・エーカーダシー

2017年6月20日はエーカーダシーの吉日です。月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れるエーカーダシーは、ヴィシュヌ神に捧げられる日となり、断食や瞑想を行うことが勧められます。

ジェーシュタ月(5〜6月)の満月から11日目にあたるこのエーカーダシーは、ヨーギニー・エーカーダシーといわれます。このヨーギニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を努める者には、病からの回復と健康がもたらされると信じられます。一説に、以下のような神話が伝えられます。

財宝の神であるクベーラ神は、熱心なシヴァ神の信者でした。毎日、シヴァ神へのプージャーを欠かさずに行なっていたため、クベーラ神は庭師のヘーママーリを雇い、プージャーに必要な花を頼んでいました。ある時、ヘーママーリは自分の美しい妻に夢中になり、花の準備を忘れてしまいます。クベーラ神は怒り、ヘーママーリに呪いをかけ、病をもたらしました。

病に苦しんだヘーママーリは、長寿で知られる聖者マールカンデーヤに相談をします。すると、ヨーギニー・エーカーダシーのヴラタ(戒行)を努めることを勧められました。ヘーママーリはこのヨーギニー・エーカーダシーに戒行を努め上げると、その病を克服し、健康な姿を取り戻したと伝えられます。

エーカーダシーは、神々に祈りながら断食によって感覚器官を統制し、体と心を清める吉日です。エーカーダシーを通じ、皆様も充実した時をお過ごしください。

参照:http://www.iskcondesiretree.com/page/yogini-ekadasi

願いを叶える神様

どんな願いも必ず叶えてくれるといわれる、世界最強の神様がインドにいます。ヴィシュヌ神の化身であるヴェーンカテーシュワラ神です。現世的な御利益を求め、多くの人々に崇められるヴェーンカテーシュワラ神は、ティルパティ・バラジ、シュリーニヴァーサ・バラジなど、さまざまな名を持つ神格です。

インド南東部に位置するアーンドラプラデーシュ州のティルマラには、世界でもっとも多くのお布施が集まる寺院の一つとして有名な、ヴェーンカテーシュワラ神を祀る寺院があります。ここで祈願をし、お布施をすると、その願いは必ず叶うのだといわれます。そこには、ある興味深い神話があります。

天で幸せに暮らしていたヴィシュヌ神とラクシュミー女神。ある出来事がきっかけで、怒ったラクシュミー女神が地上に降りてきてしまいます。ヴィシュヌ神はラクシュミー女神を追いかけ地上に舞い降ると、ティルマラの丘で瞑想を始めました。その後、ヴィシュヌ神はヴェーンカテーシュワラ神の姿となり、やがてラクシュミー女神の化身であるパドマーヴァティー女神に出会います。

ヴェーンカテーシュワラ神は、パドマーヴァティー女神と結婚をしようと求婚するも、その結婚には莫大な費用が必要でした。すると、ヴェーンカテーシュワラ神は財宝の神であるクベーラ神に頼み、その費用を借りることにします。しかし、費用は莫大で、ヴェーンカテーシュワラ神は今でも、クベーラ神にその借金を返し続けているのだといわれます。

その借金がどのように返済されるのかといえば、人々から捧げられるお布施です。ヴェーンカテーシュワラ神は、人々からありがたくお布施を受け取ると、代わりにその願いをなんでも叶えてくれるのだといわれます。

ヴェーンカテーシュワラ神は、カリユガに私たちを救う神格です。その名には、人々の罪を清める者という意味があります。祈りや信仰が廃れるといわれるこの時代、何よりもまず、純粋な神々の存在に近づく行いを実践する必要があるのかもしれません。そうした行いは、自分自身をより良い方向に導き、願いを叶えるための第一歩となるはずです。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Venkateswara

神様を礼拝する曜日

2017年6月13日(火)はアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーです。

月の満ち欠けのそれぞれ4日目はチャトゥルティーと呼ばれます。このチャトゥルティーは、ガネーシャ神に捧げられる吉日として知られ、サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーと呼ばれます。特に、ガネーシャ神に捧げられる火曜日にこのチャトゥルティーが重なることはとりわけ吉兆とされ、それはアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーと呼ばれます。この日にガネーシャ神を礼拝することで、困難を抱える人々からは障壁が取り除かれ、幸せや豊かさがもたらされると信じられています。

ヒンドゥー教では、神々と惑星のエネルギーの関連などから、曜日毎に瞑想や断食をして祈りを捧げる神格が異なります。以下に、各曜日に礼拝される神々をご紹介いたします。これらは、地域や慣習によって異なり、また、曜日よりも、月の満ち欠けの暦が優先される場合があります。

日曜日:スーリヤ(太陽)神、ナヴァグラハ(9惑星)、ガーヤトリー女神など
月曜日:シヴァ神など
火曜日:ガネーシャ神、ハヌマーン神、カールッティケーヤ神、カーリー女神、バガラームキー女神など
水曜日:ヴィシュヌ神の化身(ラーマ神、クリシュナ神、スダルシャナ神など)、ガネーシャ神など
木曜日:ヴィシュヌ神の化身、サイババ、グル、クベーラ神など
金曜日:ラクシュミー女神、ドゥルガー女神など
土曜日:シャニ神、カーリー女神など

それぞれの神格が持つ象徴にあわせて、瞑想や断食をしながら自分の抱える問題を見つめ直す人々も多くいます。例えば、ホロスコープ上で強いエネルギーを生み出す火星の影響を受けている人々、自身の内に強い怒りや攻撃的なエネルギーを感じる人々、こうした人々は火曜日に、力と忠誠の象徴であるハヌマーン神を瞑想しながら断食などを執り行います。こうすることで自身が制御され、より安らかな状況が生み出されると信じられています。それぞれが努めるこうした行いはヴラタと呼ばれ現在でも広く執り行われています。

参照:http://www.londonsrimurugan.org/pdf/EachDayoftheWeek.pdf

心がグルとなる時

霊性を育む教えが満ちるインドにおいて、その道を歩む過程では、グル(導師)の存在が欠かせません。グルは、私たちの「無知」という暗闇を取り払い、「知識」という光をもたらす至要たる存在です。インドでは、現代でも多くの人々がグルに寄り添い、人生の探求を続けています。

近代の代表的聖人であり、霊的指導者として広く崇められる、シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの言葉があります。

「心が純粋になると、その心がグルとなる。」

敬虔で熱心なある信仰者が、巡礼に出発しました。しかし、彼はその道を知らず、北に向かわなければならないのに、南に向かってその歩みを進めてしまうほどでした。彼は、出会う人々に、謙虚に、そして熱心に、向かうべき道を尋ね続けます。どうしても神に会いたい。その純粋な存在に定まっていた彼の一途な心は、やがて彼自身を正しい道に導き、神に巡り合わせたといわれます。

例え無知であっても、その心が純粋で真剣であれば、求めるものにたどり着くための道を知ることができます。時には、違う場所に向かってしまったり、道に迷ってしまったり、その道自体が見えなくなることがあるかもしれません。しかし、正しい信仰のもとで、純粋な存在に定まった心がある限り、その道は明るく照らされます。

人生という巡礼の過程では、あらゆる存在がグルとなり、私たちを向かうべき場所へと導きます。グルの姿は、必ずしも見えるものではありません。それは誰しもの内に存在し、さまざまな方法で、私たちを導き続けています。その存在を輝かせるためは、常に全体を見ながら、自分自身を育むあらゆる存在を崇め、謙虚に歩む必要があることを、このインドの地に教えられることが幾度となくありました。

グル・プールニマーの満月において、自分自身の周囲を見つめ直してみるのも良いかもしれません。そこに起こるあらゆる経験を含め、自分自身を育む存在に感謝をする時、進むべく道が見えてくるように思います。皆さまにとっても、光に満ちたグル・プールニマーとなりますよう、心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

参照:https://vedanta.org/2012/monthly-readings/guru-mantra-and-initiation/

ガンガーの聖地

母なるガンガーとして崇められるガンジス川は、インドとバングラデッシュを流路とし、ネパールやブータンにまで流域を持つ大河です。ヒマラヤ山脈のガンゴートリー氷河から湧き出た後、ベンガル湾に注ぐまで、その全長は2500㎞を超えます。ナンダー・デーヴィーやカメット峰といった標高7000mを超える山々からの雪解け水が流れ込むこの大河は、ヒマラヤの峡谷を約250km南下すると、巡礼の聖地であるハリドワールに流れ出ます。ハリドワールでは、ガンジス運河が形成され、周囲に豊富な水を供給しています。

聖地ハリドワールを流れ大平原へと出た後、次なる聖地イラーハーバード(アラーハーバード)で、最大の支流であり、ガンガーと同じように聖なる川として崇められるヤムナー川に合流します。 イラーハーバードは、ガンガーとヤムナー川に加え、地下を流れるサラスヴァティー川の3つが合流していると神話において伝えられ、聖なる川が交わるプラヤーグと呼ばれ崇められています。ガンガーはここで、北部平野の南東方向へと流れを変えます。

インドの地は、遠い昔からこの大河を、マカラという怪魚に乗る母なる女神、ガンガーとして崇めてきました。古代の聖典では、ガンガーはヴィシュヌ神の御足から流れ出ていると伝えられることから、崇高なヴィシュヌ神の御足から流れ出たことを意味する「ヴィシュヌパディー」と呼ばれることもあります。

ヒンドゥー教徒は、死す時、ガンガーの聖水に触れることで、魂が解放されると信じます。ガンガーでの沐浴なしに人生は完結せず、その恩恵を求め、日常的に沐浴を行う人々もいれば、特別な時を選び沐浴を行う人々もいます。ガンガーで肉体を離れる時、その魂は解放され、解脱に到達すると信じられることから、苦しみを生み出す輪廻転生からの解放、そして永遠の至福を求め、家族の遺灰をガンガーに流す人々の姿も見られます。インドの家庭では、神聖さをもたらすガンガーの聖水が入った壺を祀ります。

「クンブ・メーラー」や「チャタ・プージャー」など、ヒンドゥー教における数々の祝祭の儀式は、その多くがガンガーのほとりで行われます。聖地ヴァーラーナシーには、雨季の洪水に耐えながら、ガンガーに沿って数百もの古い寺院が祀られています。数あるガンガーの聖地の中でも、ヴァーラーナシーはヒンドゥー教徒にとって永遠の聖地であり、解脱の地であり、最も重要な巡礼の地としてあり続けています。

(SitaRama)

心身を清める11日目

2017年は6月5日に、とりわけ重要なエーカーダシーを迎えます。エーカーダシーは「11日目」を意味し、月の満ち欠けのそれぞれ11日目に訪れる、ヴィシュヌ神を礼拝する吉日です。次のエーカーダシーは、「ニルジャラ(水の無い)・エーカーダシー」と呼ばれ、断食が重要視されるエーカーダシーの中でも、水すらも飲まない厳しい断食が執り行われる時となります。

毎月2回、一年におよそ24回訪れるエーカーダシーには、それぞれにとても深い神話が伝えられます。その多くは、エーカーダシーが罪を清める吉日であるということを伝えています。

断食や節食が勧められるエーカーダシーでは、特に、穀物を食べてはいけないといわれます。さまざまに伝えられるエーカーダシーの神話には、エーカーダシーにお米を食べると、お腹に虫がわくという、次のような言い伝えもあります。

ある時、ブラフマー神の頭から汗がこぼれ落ちると、その雫が悪魔となり「私に住む場所を与えてください。」といいました。ブラフマー神は、「米の中に住み、エーカーダシーに米を食べた者の中で虫になる。」と述べたと伝えられます。

月の満ち欠けは、私たちの身体と心に大きな影響を与えることが古くから伝えられてきました。食物の消化や吸収は、とりわけ大きな影響力を持ち、エーカーダシーに穀物を食べると、身体や心の働きを妨げるような悪影響が出るといわれることもあります。それは、倦怠感や疲労感であったり、感情の高ぶりや気分の落ち込みであったりするかもしれません。そうした心身の状態は、良からぬ行為を生み出しがちです。

エーカーダシーの断食を通じては、心身の奥深くにまで行き渡る清らかさと、より明瞭になる意識を幾度となく実感してきました。断食は「ウパヴァーサ」と言われ、その言葉には、「神に近づく」という意味があると伝えられます。エーカーダシーは、欲望を制御し、心身を清め、自分自身の本質である崇高な存在に近づく吉日の一つです。

大自然の動きと密接に繋がり、そのリズムの中で幸せに生きる術を伝えてきた古代の叡智。その教えを実践することで、罪深い行為を生み出すことなく、清らかな日々を過ごせるに違いありません。

(文章:ひるま)

参照:https://www.ishtadevata.com/blog/why-cant-we-eat-rice-on-vaikunta-ekadasi.html