クリシュナ神と16,000人の妻

恋人であるラーダーとの愛が色濃く描かれるクリシュナ神には、ラクシュミー女神の化身であるルクミニーの他に、8人の正妻がいたと伝えられます。一方で、16,000人の妻を持ったと伝える神話もあり(16,100人、16,108人と伝えられることもあります)、このクリシュナ神の偉大な愛には、現代でも多くの人々が魅了され続けています。

クリシュナ神が妻とした16,000人の女性たちは、クリシュナ神を熱心に崇めながらも、悪魔であるナラカースラに囚われていました。クリシュナ神は彼女たちを救い出し、解放します。しかし、悪魔に囚われていた女性たちは不浄であると、社会が彼女たちを受け入れることはありませんでした。

彼女たちはクリシュナ神との結婚を望み、愛に満ちるクリシュナ神は一人一人を妻として受け入れます。そうして神聖な結婚を果たした彼女たちは純粋な存在となり、クリシュナ神の妻として社会に受け入れられると、色とりどりの美しい花が咲き乱れる邸宅で、幸せに暮らしたと伝えられます。

クリシュナ神との結びつきを願う者には、どんなに困難な状況にも恩寵が与えられ、喜びと幸せの中で生きることができるということがわかります。そんな彼女たちを、賢者のナーラダが訪ねたことがありました。クリシュナ神はどうやって16,000人もの妻を幸せにしているのだろうと、疑問を抱いていたからです。

ナーラダが一人目の妻を訪れると、そこにはクリシュナ神の姿がありました。そして、二人目の妻を訪れると、そこにもクリシュナ神の姿がありました。その後、三人目の妻を訪れると、そこにもやはり、クリシュナ神の姿がありました。クリシュナ神は、16,000の姿となってあらわれ、彼女たちを平等に愛したのだといわれます。

私たちはこの社会を生きる中で、揺れ動く心の働きからさまざまな悪に飲み込まれ、自らを汚してしまうことも少なくありません。しかし、どんな困難に向き合おうと、遍満する神の愛を求めることでその存在と結ばれ、大きな恩寵を受け取ることができます。

誰しもに行き渡るクリシュナ神の愛。それを認識する時、大きな喜びと幸せの中で生きることができるに違いありません。皆様にもクリシュナ神の大きな恩寵がありますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Junior_wives_of_Krishna

神聖な波動を響かせるマントラ・ヨーガ

マントラを唱える時、そこには特別な音の波動が発生します。繰り返し唱え続けると、その波動は神聖なエネルギーを形成し、唱える者の前に神の姿としてあらわれると信じられるほど、その音は明確な力を持っています。

こうした神聖な音の波動は、私たちの幸福や健康にも影響を与えます。マントラの祈りに加え、発声される母音は、私たちの生命を司る重要な腺を振動させ、心身を浄化します。聖書において、「角笛を吹くと、その巨大なエリコの城壁が崩れた(『ヨシュア記』6章)」と伝えられるように、音の振動は時に壁を壊すほど強い力を持ちます。この音の振動を活用した療法によって、健康を回復する人もいるほどです。

音の波動が心身へ与える強力な影響を発見したヨーガ行者は、マントラ・ヨーガという特別なヨーガを生み出しました。その特別な音は、エーテル体(幽体)に特殊な振動を生み出します。霊的に鋭い洞察力があった古代の人々は、音を通じてエーテル体に形が作られる過程を、直接的に見ることが可能であったといわれます。実際、古代の言語における言葉や音の多くは、実際にそれらがあらわされた印や力であるといわれます。

人々は太古の昔から、慎重かつ効果的に、音を用いる術を習得してきました。古代から受け継がれる神秘的な儀式の言葉や音は、特定の恩恵を生み出すために組み合わせられたものです。古代インドの学匠であるジャイミニは、音が時を超え、あらゆる発展の母体であることを、はっきりと説いた最初の人物でした。その音の科学は、宇宙の謎の鍵をも握っています。思考も音の一つです。音は絶対的な原因であり、単なる振動ではありません。

音のエネルギーは、恩恵を生み出すために適切に構造化され、特定の方法で指示される必要があります。マントラ・ヨーガは、適切な恩恵を享受するために、音のエネルギーを組み立て、チャネリングしようとするものです。こうした音は、耳の不自由な人でも視覚器官に取りこまれ、色彩の思考となり、脳全体に伝達されることが医学で証明されています。

宇宙の中心から発出する音のエネルギーは、私たちの第1チャクラであるムーラーダーラから常に上昇し続けています。しかし、外界の生活に囚われ、感覚の働きとその対象に埋もれる私たちの魂は、その音に気づくことができません。マントラ・ヨーガは、そんな私たちの魂に、幸福や健康をもたらす神聖な波動を響かせる優れた方法の一つとなるでしょう。

(SitaRama)

霊性修行の道のり

霊性修行を実践するための重要な期間であるシュラヴァナ月は、シヴァ神を礼拝する吉兆な時であると伝えられます。それは、シヴァ神がヒンドゥー教の天地創造神話である「乳海撹拌」において、生み出された猛毒ハラーハラを飲み干し、世界を救った時であると信じられているからです。

乳海撹拌は、不死の霊薬であるアムリタを得るために、神々と悪魔が協力し海を撹拌したと伝えられる神話です。この乳海撹拌は、私たちが歩む霊性修行の道のりが記された神話として伝えられることがあります。

クシーラ・サーガラといわれる神々と悪魔が共に撹拌をした乳海は、私たちの心として例えられます。さまざまな思考や感情が大きく波を立てる心という大海において、私たちはその波に飲み込まれ、大きな苦難を経験することも少なくありません。

そんな波立つ大海において内なる幸福を得るためには、ヨーガや瞑想といった、心の集中や欲望の制御を行う霊性修行が必要です。その過程では、乳海撹拌で猛毒ハラーハラが生み出されたように、時に混乱や動揺が生じ、猛毒のような試練が生み出されることもあります。それは、自分自身を破壊するほどの力を持つものかもしれません。

しかし、シヴァ神がその猛毒を飲み込んだように、私たちの内にはその試練を乗り越えるための、純粋な意識としてのシヴァ神の力が内在しています。その存在に身を委ねる時、霊性修行も確固たるものとなると、インドの霊的叡知を通じ幾度となく学ぶ機会がありました。

牛乳を撹拌し続けると豊かなバターが生み出されるように、乳海撹拌を通じては、猛毒だけでなく14の宝石も生み出されます。ラクシュミー女神のその宝石の一つです。14の宝石は14のシッディともいわれ、私たちが霊性修行を通じて得る恩恵であり、幸福です。

牛乳の中に遍在するバターのように、私たちの心という大海には大きな幸福が満ちています。常にその大海を撹拌しながら内なる世界を浄化し、幸福を得られるように、霊性修行を実践し続けたいと感じています。シュラヴァナ月を通じては、猛毒を飲み込むシヴァ神の大きな恩寵の中で、心強くその実践を行うことができるはずです。

(文章:ひるま)

ガーヤトリーの光輝

太陽神サヴィトリへの賛歌として知られるガーヤトリー・マントラは、知性を司るマントラとして唱えられ、数々の霊的な恩恵が伝えられています。「ガーヤトリーは、ガーヤトリーを詠う者を守護する(Gayantam trayate iti Gayatri)」と伝えられ、その最大の恩恵を享受するには、まず、正しい発音が重要です。適切な恩恵をもたらすその神聖な音の波動は、心身に共鳴を生み出し、双方を純粋なエネルギーで満たします。

ガーヤトリー・マントラの詠唱は、最高神であるブラフマンを讃え、ブラフマンに語りかけるものでもあります。その実践は、人々を究極の次元へと導き、やがてその修行が成就した時、超越的なブラフマンの境地に達することができるでしょう。しかし、マントラの恩恵を十分に引き出すためには、弛まぬ継続的な努力が必要不可欠となります。

ヴェーダにおける最高峰のマントラとして伝えられるガーヤトリー・マントラは、シュリーマド・バーガヴァタムにおいても多くの言及がなされています。それは、神聖な世界の始まるところであり、霊的に豊かであった古代の論理が、このマントラにあると信じられています。

古代のインドの聖者たちは、優れた識別力を得るために、内なる精神修行のために、あらゆる霊的目標の成就のために、ガーヤトリー・マントラの修行に人生を捧げてきました。ガーヤトリー・マントラの詠唱は、修行者(サーダカ)としての自信と勇気を高め、その判断力、統率力を啓発し、内なる精神の浄化に影響を与えます。その恩恵は、人間関係や職業といった社会的な面に至るまで向上を促すでしょう。

真摯な気持ちでガーヤトリー・マントラを唱え続けると、潜在能力が刺激され、理想的な思考が生み出され、精神的な面と身体的な面の双方を向上させる門戸を開きます。これらは、ガーヤトリー・マントラの修行を真摯に続けてきた誰もに見られる事実です。

ガーヤトリー・マントラを唱える際に勧められる点は次の通りです。
・ガーヤトリー・マントラの句の意味を学び、暗唱できるようにしましょう。
・マントラを唱える時は、安定した穏やかな呼吸を保ちながら、光り輝く太陽や壮大な自然を思い描くと良いでしょう。
・ガーヤトリー女神の神像や絵を側に置き、マントラの詠唱の支えとするのも良いでしょう。

『まごころと、情熱と、あつい信仰さえあれば、宗教やカーストが違っていても、修行にガーヤトリー・マントラを選んでさしつかえない。あなたの人生は確実に祝福されるだろう。
 神を求める人々よ。偉大なるガーヤトリーの驚くべき可能性に気づくがいい。このマントラのもつ美しい遺産をあざやかに実現するのだ。太古の修行者(リシ)からわれわれに伝えられたこの聖なる力(シャクティ)を無駄にしてはいけない。』(“Sadhana” by Swami Sivananda 1985 p217~p220)

ガーヤトリー・マントラは、人類に授けられた最高の霊的鎧であり、その恩恵は誰もが享受することができます。ガーヤトリー・マントラは、人生という荒野を旅するための必需品であり、太陽の光のように、人々を正しい道に導き、計り知れない果実をもたらしてくれるでしょう。

(SitaRama)

2017年7月の主な祝祭

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2017年7月の主な祝祭をご紹介いたします。

今月の満月は、師を讃えるグル・プールニマーが祝福されます。そして、グル・プールニマー後からは、シヴァ神を讃えるもっとも吉祥なひと月とされるシュラヴァナ月が始まります。

7月4日 エーカーダシー/チャトゥルマースの始まり
7月9日 満月/グル・プールニマー
7月10日 シュラヴァナ月の始まり(主に北インド)
7月16日 カルカ(蟹座)・サンクラーンティ
7月19日 エーカーダシー
7月22日 シヴァラートリー
7月23日 新月
7月24日 シュラヴァナ月の始まり(主に南インド)
7月26日 ハリヤリ・ティージ
7月28日 ナーガ・パンチャミー/カルキ・ジャヤンティ

*地域や慣習によって、祝祭の日にちには差異が生じることがあります。

皆様もどうぞ学びに満ちた神聖な時をお過ごしください。

1年を通じた祝祭、またその詳細について、インド暦カレンダーでご紹介しております。

参照:http://www.drikpanchang.com/panchang/month-panchang.html

聖なる4ヶ月

2017年は7月4日のエーカーダシーより、聖なる4ヶ月間といわれるチャトゥルマースが始まります。この4ヶ月間は、断食や瞑想といった霊性修行を実践するのに適した時となり、神々を讃える大祭が続きます。

チャトゥルマースの4ヶ月間は、インドでは雨季であるモンスーンにあたります。その最初の1ヶ月間であるシュラヴァナ月は、シヴァ神に捧げるとりわけ神聖な月とされ、多くの人々が霊性修行に努めます。モンスーンは、さまざまな病が媒介する季節です。この間、神々への瞑想や断食を実践することで、病から遠ざかり、心を穏やかに、健やかな日々を過ごすことができると伝えられます。

チャトゥルマースは、太陽が北より南へ動く(夏至より冬至に向かう時)ダクシナーヤナにあたり、夜が長くなり、人々の心に大きく作用する冷たい月の影響が出てくる時でもあります。この間は神々の夜ともいわれるように、モンスーンの恵みの雨が降り注ぐ一方で、さまざまなネガティブなエネルギーが満ちる時と信じられてきました。この間に続く大祭は、私たちを神々へ近づけ、その中で実践される善行が、ネガティブなエネルギーを払拭し、ポジティブなエネルギーを生み出すといわれます。

この間には、次のような大祭が続きます。

7月4日:エーカーダシー(チャトゥルマースの始まり)
7月9日:グル・プールニマー
8月7日:ラクシャ・バンダン
8月14、15日:クリシュナ・ジャヤンティ(降誕祭)
8月25日:ガネーシャ・チャトゥルティー(降誕祭)
9月21~29日:秋のナヴァラートリー祭
9月30日:ダシャラー祭
10月17日:ダンテーラス
10月19日:ディーワーリー祭
10月31日:エーカーダシー(チャトゥルマースの終わり)
※上記は2017年の日程です。インドの祝祭の多くは月齢に従うため、毎年日時に差異が生じます。
※チャトゥルマースの始まりは、グル・プールニマーの満月とする慣習もあります。

この間にヴラタ(戒行)を怠ると、私たちはタマスやラジャスのエネルギーに飲み込まれ、さまざまな悪行を生み出すともいわれます。神々を礼拝する行いは、サットヴァなエネルギーを生み出す、何よりも優れた行いです。その実践は、自分自身を神聖に保つとともに、幸せと健康を授けてくれるものとなるに違いありません。

日本でも梅雨に入り、その後は暑い夏を迎えます。この時、食事に気をつけたり、いつもより少し深く瞑想をしたりすることで、心身は健やかに保たれるはずです。皆様にとっても、これからの4ヶ月間が恩寵に満ちた時でありますよう、心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

参照:http://www.drikpanchang.com/calendars/hindu/hinducalendar.html

アシュタヴァクラのアーサナ

心身の解放に引き込まれるヨーガのポーズに、アシュタヴァクラーサナというポーズがあります。賢者アシュタヴァラに捧げられるこのポーズは、体を屈折させながら、両腕で全身を支えて身体を持ち上げるポーズです。アシュタヴァラは、生まれつき体の8つの部分が曲がりながらも、多くの教えを説いた賢者の一人でした。

アシュタは「8」、ヴァクラは「曲がった」を意味します。アシュタヴァクラは、母親のお腹にいた時、いつも父親が詠唱するヴェーダを聞いていました。ある時、父親がヴェーダの詠唱を間違うと、その間違いを笑ってしまいます。怒った父親は、アシュタヴァクラを呪い、その体の8つの部分を変形させてしまいました。そうして生まれたアシュタヴァクラは、さまざまな苦難を経験するも、その身体で多くの教えを示します。その教えは、「アシュタヴァクラ・ギーター」として、現代においても受け継がれています。

「自由だと思えば、自由である。束縛されていると思えば、束縛されている。」

アシュタヴァクラはそう述べています。このポーズを通じ、自らを不自由な状態におきながらも、そこで呼吸ができることに、真の自由の意味を学びました。

病患があったり、ハンディキャップがあったり、私たちは一人一人がさまざまに異なる肉体を持ちます。自分自身のおかれたその状況の中で、さまざまに限界を設け、不自由な境遇を作り出してしまうことも少なくありません。

ヨーガのアーサナは、そうした限界から、自分自身の身体と心を解放してくれるものでもあります。それは、自分自身に与えられた状況の中で、さまざまな気づきを生みだしながら、魂という永遠不変の存在に気づかせてくれるからかもしれません。

どんな出来事も、どんな状態も、最善のために起きているということを、このポーズは教えてくれます。日々の一瞬一瞬において、その事実に気づくことができれば、毎日を自由に、そして幸せに過ごせるに違いありません。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Ashtavakra

月の満ち欠けとヴラタ

大自然の動きと調和をするような風習や信仰が生きるヒンドゥー教の生活では、月の暦が重要視され、祝祭の多くも月の暦に従って祝福されます。

神々と惑星のエネルギーの関連などから、ヒンドゥー教では曜日毎に瞑想や断食をして祈りを捧げる神格がさまざまに異なりますが、月の満ち欠けによる暦に従って、神々への礼拝が行われることもあります。こうした時は、瞑想や断食を実践することが勧められ、これらの行いはヴラタ(戒行)といわれます。

とりわけ重要視されるヴラタを以下にご紹介いたします。

チャトゥルティー(月の満ち欠けの4日目):ガネーシャ神
シャシュティー(月の満ち欠けの6日目):カールッティケーヤ神
アシュタミー(月の満ち欠けの8日目):ドゥルガー女神、バイラヴァ神
エーカーダシー(月の満ち欠けの11日目):ヴィシュヌ神、クリシュナ神
プラドーシャ(月の満ち欠けの13日目):シヴァ神
シヴァラートリー(満月から13日夜/14日目):シヴァ神
プールニマー(満月):サティヤナーラーヤナ・プージャー
アマーヴァシャー(新月):先祖供養

月の満ち欠けのエネルギーは、私たちの心身にとりわけ大きな影響を与えるといわれます。そのエネルギーの象徴である神々を崇め、大自然の動きに調和をしながら、日々を幸せに生きる行いを実践してみるのも良いかもしれません。

参照:http://www.drikpanchang.com/vrats/hindu-vrat-list.html

国際ヨーガの日

2017年6月21日は国際ヨーガの日です。

国際ヨーガの日は、ヨーガの普及を目的としたもので、インドの現首相モーディー氏の提案を受け、2014年12月11日に国連で決定されました。今年が第三回目の国際ヨーガの日となります。

6月21日は、一年の内で昼間の長さが最も長い夏至にあたります(夏至の日にちは前後にずれが生じます)。夏至はさまざまな慣習で重要な意味を持ち、太陽礼拝が重視されるヨーガにおいても、特に重要視される時です。

インドの暦では、夏至の後の最初の満月が師を讃えるグル・プールニマーとして祝福されます。一説に、ヨーガの伝承は、その起源であるとされる偉大なグル、シヴァ神によってこの日(夏至)に始まったと信じる人々もいると伝えられます。

6月21日は世界の各地でヨーガに関するさまざまな催し物が行われるようです。この機会に、インド古代の叡智であるヨーガに触れているものも良いかもしれません。

バクティ・ヨーガの教え

宗教を超えた信仰のあり方に、バクティ・ヨーガの実践があります。中世のヒンドゥー教において盛んとなったバクティ・ヨーガは、献身的な礼拝、絶対神への帰依、信愛や奉仕を特徴とし、近代の代表的聖人であるシュリー・ラーマクリシュナ・パラマンサの生き方にも見ることができます。長きにわたり偉大な信仰の規則に順々と従いバクティ・ヨーガを実践し続けたラーマクリシュナは、そこで完全な悟りの境地に到りました。ラーマクリシュナの人生は、言葉では証明することが難しいバクティ・ヨーガの本質を明らかにし、それがサマーディに近づくための、とりわけ優れた方法であることを伝えています。

ラーマクリシュナは、自己を放棄し、俗なるなものとの繋がりを断ち、願望を捨て、神へ無条件に身を委ねる必要があるバクティ・ヨーガを、あらゆる修行の中でもっとも容易で直接的なものであると考えました。しかし、それが一番難しいと感じる人もいるでしょう。バクティ・ヨーガは、明瞭で定まった心を持つ人にとって実践しやすいものであり、どんな人でも容易に実践できるものではないかもしれません。集中(ダーラナ)、瞑想(ディヤーナ)、三昧(サマーディ)を同時に実践するバクティ・ヨーガやラージャ・ヨーガにおいては、主体は自分でなく、神という全体であり、そこで自我が完全に消え去る、究極の境地に到ります。

バクティ・ヨーガは、思考ではなく感情に働きかけるものであり、私たちの心に深く浸透します。それは、感情を壊すと同時に、感情を育むことでもあります。自己を制しながら欲望を超越しようとする教えは、時に強い反応を生み出しますが、バクティ・ヨーガは、神への愛に夢中になることで苦しみを生み出す欲望が自然と消え去ります。

バクティ・ヨーガは、宗教を持たない人にも、信仰を育むシンプルな方法となるでしょう。バクティ・ヨーガの思想は、他のヨーガに比べ、西洋文化により近いものかもしれません。本質的な部分は同じであり、バクティ・ヨーガに似たライフスタイルが西洋の宗教の慣習にあるためです。

バクティ・ヨーガの教えを説くバガヴァッド・ギーターで、クリシュナは次のように語っています。

「私に意(こころ)を向け、私を信愛せよ。私を供養し、私を礼拝せよ。あなたはまさに私に至るであろう。私は必ずそうなると約束する。あなたは私にとって愛しいから。」
(バガヴァッド・ギーター第18章65節、上村勝彦訳)

職業、性別、年齢にとらわれることのないバクティ・ヨーガの教えは、宗教の枠を超えて、いま世界中に浸透しています。

(SitaRama)