カビールの生誕祭

2017年6月9日は満月です。

この満月は、インドの宗教改革者と言われ、神への愛を綴った究極の詩人とも言われるカビールの生誕祭として祝福されます。

カビールはヒンドゥー教徒として生まれるも捨てられ、低カーストのイスラム教徒の織工の夫婦に育てられと言われています。生涯を織工として過ごし、その中でカビールは神への陶酔を美しい詞に綴り、多くの人々を引きつけました。

祭儀や儀式、偶像崇拝の形式主義を批判し、宗教を超えた神への愛を説いた教えは、インドの宗教観にも大きな影響を与えます。シーク教もまた、カビールの思想の影響を受けたものであると言われます。

神は、寺院や聖地ではなく、人々の心の中に、そして日常の一つ一つの行いにあるとカビールは述べています。

この1ヶ月後の満月は、グルに感謝の意を捧げるグル・プールニマーです。これからの1ヶ月が、皆様にとって気づきに満ちた時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Kabir

グル・プールニマー2017

インドでは、グル(師)に対しては、とても大きな尊敬が払われます。家庭にあっては親、学校にあっては先生、会社にあっては上司など、グルの指導のもと、人は大きく成長していくことができます。インドでは、グルは神と同一のものと見なしなさいといわれています。それは、太陽の光が反射して月が輝いて見えるように、グルの英知に照らされて、人々が輝きだすといわれるからです。

2017年7月9日は、グルに感謝の意を捧げるグル・プールニマー(師への満月祭)です。
グル・プールニマーの起源は、聖仙ヴィヤーサの誕生日にあたります。
聖仙ヴィヤーサは、ヴェーダ・ヴィヤーサ(ヴィヤーサは編者の意味)とも呼ばれ、ヴェーダ聖典を編纂したことで知られています。彼は、後の時代に、人々の心が醜くなり、すべてのヴェーダを学ぶ能力がなくなることを見通して、莫大なヴェーダを現在の4部(リグ、ヤジュル、サーマ、アタルヴァ)に編纂したといわれています。
さらに、彼はプラーナを記述し、物語や寓話を通じてヴェーダと同様の霊的英知をやさしく説き、それによって多くの人々がヴェーダの英知に触れることができるようになりました。また彼は、ヴェーダンタの本質をなすブラフマー・スートラの作者としても知られています。このような偉業を残したグル・ヴィヤーサを祝福するため、彼の誕生日がグル・プールニマーとして祝われることになりました[1]。

グル・プールニマーの日には、新しい誓いを立て、それを実行することが慣例的に行われています。
例えば、霊的な師がいれば、師からマントラを授かり、それを毎日唱える誓願を立てます。
あるいは毎日瞑想をする、肉食をしないなど、その他の霊的な誓願を立て、実行するのもよいでしょう。

グルの役割について、スワミ・シヴァーナンダは次のように語っています[2]
「人が成長するために、あなたはグルの重要さと神聖な意義について理解していますか。インドがいままでグルを大切にし、グルの意識の光の中で生き続けているのには理由があります。理由もなく、毎年この古くからの伝統を祝い、度々グルへ敬意を払い、信義と忠誠を再確認しているのではありません。グルは、悲しみと死の束縛から脱却させ、真理を体験させる、人々にとっての唯一の保証人なのです。」

またスワミ・シヴァーナンダは、グル・プールニマーの日に行うべきことについて次のように語っています。
「このもっとも神聖な日は、ブラフマームフルタ(午前4時)に起床しなさい。そして、グルの蓮華の御足を瞑想するのです。心の中で、彼の恩寵を祈りなさい。こうしてはじめて、あなたは成就に至ることができます。早朝には、熱心にジャパや瞑想を行いなさい。」
「沐浴したあと、グルの蓮華の御足を礼拝しなさい。また彼の絵や写真に、花やフルーツを供え、お香や樟脳を焚くのもよいでしょう。この日は、断食をするか、食べても牛乳やフルーツだけにするべきです。午後は、あなたのグルの信奉者たちと一緒になり、彼の栄光や教えについて話し合うとよいでしょう。」
「夜は、信奉者たちが集まり、神の御名やグルの栄光を歌いなさい。グルを礼拝するもっともよい方法は、彼の教えに従うことです。彼の教えの顕現としてあなた自身が輝き、彼の栄光とメッセージを伝えなさい。」

グル・プールニマーの日からは、チャトルマースとよばれる神聖な時期が4ヶ月間続き、インドではこの期間に多くのお祭りが行われます。特に2017年7月10日から2017年8月7日までの期間は、シュラヴァナと呼ばれ、チャトルマースの中でも特に神聖な期間とされています。(地域によって異なります)
この時期は、シュラヴァナ(聞くこと)と呼ばれるように、聴聞等による学習に適した期間です。師の教えを聞き、それを実行に移せるよう努力すれば、きっと大きな実りがあることでしょう。

[1]”Guru Purnima”, http://www.amritapuri.org/cultural/guru/purnima.php
[2]Subhamoy Das, “The Guru Purnima”, http://hinduism.about.com/od/festivalsholidays/a/gurupurnima.htm

ニルジャラ・エーカーダシー2017

大自然の移り変わりと密接に結びついたインドの暦の中に、エーカーダシーという吉日があります。ヴィシュヌ神に捧げられるエーカーダシーは、断食を通じて感覚器官を統制し、自己を清めるための吉日として知られ、この日は完全な断食、もしくは穀物を除いた果物などの食事が行われます。

月の満ち欠けのそれぞれ11日目にあたるこのエーカーダシーは、年間でおよそ24回訪れます。そして、これから迎えようとしているニルジャラ・エーカーダシーは、一年の内でももっとも厳しい断食が行わる時となります。「ニルジャラ」は「水の無い」を意味し、敬虔な人々は水すらも口にしません。ニルジャラ・エーカーダシーにおいて、水すらも飲まずに断食を成し遂げた者は、一年の24回のエーカーダシーを全て達成したことに値するとも伝えられるほどです。

このニルジャラ・エーカーダシーにはある言い伝えがあります。マハーバーラタに登場するパーンダヴァ5兄弟たち(ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ)は、その妻も含め、誰もがこのエーカーダシーの断食を実践していました。しかし、その内のビーマだけは、非常に強いアグニ(消化の火のエネルギー)を持つことから、空腹に耐えることができず、どうしても毎回の断食を実践することができずにいたといわれます。

エーカーダシーの断食は、解脱を得るためには必須の行いと伝えられるほどの行いです。そのため、ビーマは聖仙ヴィヤーサに相談します。そしてヴィヤーサは、一年のすべてのエーカーダシーを行うに等しいこのニルジャラ・エーカーダシーを実践することを勧めたといわれています。

ニルジャラ・エーカーダシーを迎えるジェーシュタ月(5月~6月)は、インドの多くの地域が一番の酷暑期にあたります。この時、水すらも口にしない断食を行うことは大変な苦行を意味し、これを達することにより、肉体だけでなく、精神が深く清められると信じられています。

エーカーダシーの断食の実践により、心身の奥深くにまで行き渡る浄化は、より明瞭な意識を授けてくれることを度々実感してきました。2017年のニルジャラ・エーカーダシーは6月5日です。この日、エーカーダシーに挑戦してみるのも良いかもしれません。

(文章:ひるま)

参照:http://www.iskcondesiretree.com/page/pandava-nirjala-ekadasi

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ガンガー・ダシャラー2017

2017年5月25日の新月(日本時間の新月は26日)より、ガンジス河の生誕を祝福する10日間の祝祭「ガンガー・ダシャラー」が始まります。その10日目となる6月4日は、ガンジス河が地上に現れた日と信じられ、多くの人々がガンジス河で沐浴をし、祈りを捧げます。ヒンドゥー教徒にとって、ガンジス河はあらゆる罪を清め解脱を授ける究極の存在であると共に、女神ガンガーとして多くの恵みを与える母なる存在でもあります。

一説に、天を流れていたガンジス河は、賢者バギーラタの苦行によって、この地に降り注いだと伝えられます。バギーラタは、殺された祖先の霊を清め解放するために、天を流れる純粋なガンジス河の聖水を必要としていました。ガンジス河を地上にもたらすために行ったバギーラタの大変な苦行に神々は喜び、女神ガンガーはシヴァ神にその急流を受け止められながら地上へ降り注いだと言われます。こうして地上にもたらされたガンジス河であるが故に、その聖水に触れることで罪が清められ、解脱を得ることができると、現代でも多くの人々がこの河を崇め、心を委ねています。

ガンジス河だけでなく、インドでは多くの河が神聖なものとして崇められています。大自然が生み出す清らかな流れは、時に荒々しさを見せることがあっても、その静と動の狭間で偉大な存在を気づかせます。人々の深い信仰が捧げられるガンジス河は、ただ見つめるだけで忙しなく生み出される思考が落ち着き、心が洗われる瞬間が幾度となくありました。

バギーラタが苦行によってもっとも純粋なガンジス河の流れを地上にもたらしたことは、私たち自身が日々の中で正しい行いを努め、肉体に清らかな流れをもたらすことに変わりありません。そうして生み出される行いは私たち自身を清め、解脱に向けた道へと導いてくれるものであることを実感します。

ガンジス河の聖水は、それを信じる者の心を清めるものです。清らかな心はより良い行いを生み出し、確実に私たちの歩みを向上させてくれるに違いありません。こうした純粋な存在を抱き続けることは、日々をより清く生きるための何よりもの支えになるものです。インドの人々が心から崇めるこの存在を、自分自身の内にも抱き続けたいと感じています。

(文章:ひるま)

ヴァタ・サヴィトリー・ヴラタ2017

次の新月、主に北インドではヴァタ・サヴィトリー・ヴラタを迎えます。夫の健康と幸せを願う、既婚の女性たちによる祈りです。このヴラタ(誓願)は、死の危機にあった夫のために、妻であるサヴィトリーが大変な苦行を行い、死の神から夫を取り戻したことを祝福するものとして知られています。

この祝福において、女性たちは夫のために祈り、断食をし、プージャーを執り行い、そしてバニヤンの木の下に集います。バニヤンの木はクリシュナが休む神聖な木として崇められる一方、アーユルヴェーダでは薬木ともされ、長寿を授けると信じられる聖木です。

ヴァタ・サヴィトリー・ヴラタが広まるようになった夫を想うサヴィトリーの行いには、その献身的な愛に、死の神すらもひれ伏すという神聖さが象徴されています。家族が何よりも大切な存在であるインドでは、その繋がりの中でまず、自己を捧げる献身愛を深く学ぶことを教えられました。そうして全体と自分自身を強く結び、苦難を生み出す自己中心的な心を滅していきます。

そして、この祝祭にバニヤンの木が欠かせないように、こうしたインドの数々の祝祭は、そのどれもが大自然のサイクルと密接に繋がっています。変化を続けながらも、あるがままに存在する大自然を崇めることは、自分自身を本質へと繋げていきます。インドで過ごす日々において、太陽や月、山や川、その悠々と生き続ける存在に崇高さを見出す時、自分とは何と小さなものなのだろうと、自我が静まり、謙虚さを抱く瞬間が幾度となくありました。そこで得るものは、大きな平安であり至福であるように思います。

家族、そして自然。私たちは常に、多くのものに支えられ、そして生かされているということ、それを決して忘れてはならないのだと気づかされます。全体に育まれていることを意識し生きることは、あらゆる物事一つ一つに感謝の念を抱き、日々をより良いものとしてくれるものです。

物が豊かになり、精神面での繋がりを見失いがちな時だからこそ、自分自身を取り巻く存在をどんな時も忘れずに過ごすことを努めています。そうして自身のあるところを常に胸に抱き、大切な存在に気づいていたいと感じています。

(文章:ひるま)

シャニ・ジャヤンティ2017

ジェーシュタ月(5月〜6月)の新月は、インドの一部の慣習において、土星であるシャニ神の生誕日(シャニ・ジャヤンティ)として崇められています。2017年は5月26日です。

私たちの人生の歩みには惑星の直接的な影響があると強く信じられるインドにおいて、土星であるシャニ神の存在は特に大きなものです。シャニ神が広く崇められる理由には、シャニ神が多くの試練を私たちに授ける惑星であると信じられていることにあります。

人々はシャニ神を礼拝する時、黒い服を身につけ、黒い花や黒ゴマ、マスタード・オイルなどを捧げます。シャニ神自身も、真っ黒な姿で描かれます。しかし、シャニ神はその黒さとはかけ離れた、輝く太陽神スーリヤの子どもであると伝えられています。このシャニ神の誕生にも、さまざまな神話が存在します。

一説に、スーリヤ神と結婚をしたサンジュニャーは、スーリヤ神の強すぎる熱に耐えられず、自分自身の影(チャーヤー)を残し、スーリヤ神のもとを離れました。この影であるチャーヤーとの間にできた子どもがシャニ神であると言われます。

また、チャーヤーはシヴァ神への強い信仰から、シャニ神を身ごもっている間にも厳しい苦行を続け、食事を怠ることもありました。この苦行が、シャニ神を真っ黒にしたと言われています。父親であるスーリヤ神は、シャニ神が輝きを持たずに生まれたことから、チャーヤーを疑いの目で見続けます。チャーヤーの厳しい苦行から、シャニ神は非常に強い力を持っており、母親であるチャーヤーに疑いを持つスーリヤ神と敵対するようになったとも言われています。

シャニ神は、ホロスコープ上の配置によって、さまざまな試練を私たちに与えると信じられる惑星です。愛する者との別れ、大きな損失、身体的な苦痛など、その苦しみは計り知れないとも言われます。しかし、それら物質的な苦難はどれも、私たちを精神的に大きく成長させてくれるものに他ありません。

厳格な師としても崇められるシャニ神は、より良い道を歩むことができるよう私たちを導く存在です。人々が熱心にシャニ神へ祈りを捧げる姿は、心からの祈りによって、どんな苦難も克服できることを物語っているようにも思います。私たち一人一人が崇高な存在と共に生き、世界がどんな時も平安にあるよう心から願っています。

(文章:ひるま)

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Shani
http://www.shanidev.com/

ラタ・ヤートラー2017

神聖な存在をより身近に感じる瞬間が、インドで過ごす日常には溢れています。偉大すぎて掴みがたいその存在も、インドの世界の中では不思議と親しみやすいものとして際立ち、人々を優しく迎え入れます。そんな神様の一人が、これから盛大な祝祭を迎えようとしているジャガンナータ神でした。

極彩色に彩られた姿、真ん丸とした大きな目、そして愛らしい表情が、一目見ただけで心の奥深くまでぐっと入り込み、大きな存在感を放っていたことを思い出します。ジャガンナータ神は、主に東インドで崇拝される、ヴィシュヌ神、もしくはクリシュナ神の化身とされる神様であり、最も盛大な祝祭が、2017年は6月25日~7月3日に迎える「ラタ・ヤートラー」です。

ラタ・ヤートラーは、東インドに位置するオリッサ州の聖地プリーにて、豪華な山車が街を練り歩くお祭りとして知られています。一説に、悪行を働いていたカンサを打ち破ったクリシュナ神が、兄のバララーム神と妹のスバドラー神と共に山車に乗り帰還したことを祝福するお祭りであるといわれ、豪華絢爛な山車と共に進むジャガンナータ神の姿が多くの人々を惹きつけます。

そんな山車は馬車とも捉えられ、精神性を学ぶ上で多くの例えに用いられるものです。カタ・ウパニシャッドにおいては、「真我(アートマン)は車主であり、肉体は馬車、理性が御者、そして意思が手綱である。」(カタ・ウパニシャッド第3章3~4節)と、人の体、心、そして精神のあり方が述べられています。

苦楽を生み出す感覚器官に操られる肉体を、意志と言う手綱を持って導くことは、精神性を向上させるための道において、最も強調される努めるべく行いの一つです。その先にあるものは、体、心、そして精神の統一であり、乱れのないその小さな世界の中において、誰もが偉大な存在に気づくに違いありません。

ジャガンナータ神を乗せた一つの大きな山車が、集まった個々の手によって真っ直ぐに導かれる様子こそ、一人一人が偉大な存在の下に一つであることを物語っています。心が主に定まる時、そこにはいつの時も平安があることを私たち自身が証明しているかのように映ります。

祝祭を通じ、そうした精神性を向上させる教えが、一瞬一瞬に溢れているのがインドでの生活です。ラタ・ヤートラーは9日間に渡る祝祭です。インドの各地から、また世界の多くの場所で、この愛らしい神の下に人々が歩み寄り一体となります。そのエネルギーが生み出す平安が、世界を包み込むことを心から願っています。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Ratha-Yatra

ナーラダ・ジャヤンティ2017

Narada01

2017年5月11日は聖仙ナーラダの降誕日にあたります。このナーラダの降誕日は、多くの慣習でブッダ・プールニマーの次の日に祝福されます。(日本時間では5月12日となります。)

ナーラダはインドにおいて重要な聖仙の一人であり、数々の聖典をこの世に伝えてきた聖者として知られています。ヴィシュヌ神を崇拝し、ヴィシュヌ神の別の姿である「ナーラーヤナ」の御名を常に唱えていると言われます。

ナーラダは楽器のヴィーナを手にして描かれ、このヴィーナと共にヴィシュヌ神を讃えると伝えられ、その敬虔な姿はバクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)にも大きな影響を与えたと伝えられます。ナーラダは常にヴィーナを手にすることから、楽器の師の一人としても崇められています。

ナーラダは賢者として伝えられる一方で、ヴェーダをより親しみやすく伝えるためにいたずら好きな一面も多く描かれます。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Narada

クールマ・ジャヤンティ2017

2017年5月10日はクールマ・ジャヤンティです。

クールマ・ジャヤンティは、ヴィシュヌ神の2番目の化身であり亀神として崇められるクールマ神の降誕祭にあたります。ヴィシュヌ神がこの亀の姿となった理由は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌に秘められています。

大昔、悪魔との戦いに敗れた神々は、力を取り戻すためにアムリタを得なければなりませんでした。そして神々はヴィシュヌ神の働きかけの下、悪魔たちと協力をしながらアムリタを作り出すために乳海撹拌を行うことになります。

あらゆる薬草を海へと投入し、マンダラ山に大蛇ヴァースキを絡ませ引っ張り合うことで海を撹拌しアムリタを生み出します。神々を助けようと働きかけるヴィシュヌ神にとって、この作業は非常に骨の折れるものでした。

マンダラ山が海に沈まぬよう、ヴィシュヌ神は大亀クールマとなりその上に山を乗せます。そして絡ませた大蛇ヴァースキを神々と悪魔引っ張り合いました。

アムリタを含め、多くの物が産出されたこの乳海撹拌において、幸運を運ぶラクシュミー女神もまた誕生し、後にヴィシュヌ神の妻となります。

悪と戦う神として化身することが多いヴィシュヌ神の姿の中で、クールマ神は他を支え救うために姿を現します。亀はヴィシュヌ神の象徴である維持や保護そのものであるとも伝えられ、妃であるラクシュミー女神と共に崇められることも多くあります。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Kurma

ナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティ2017

Narasimha

2017年5月9日はナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティです。

ナラシンハ(ヌリシンハ)・ジャヤンティはヴィシュヌ神の4番目の化身であるナラシンハ(ヌリシンハ)の降誕祭として祝福が執り行われる時です。ナラシンハは一説に、ヴァイシャーカ月(4月~5月)の新月から14日目に降誕したと伝えられます。

ナラシンハは、 魔王ヒラニヤカシプを倒す為にヴィシュヌ神が化身した姿です。人獅子の姿をし、ヴィシュヌ神の最も強い神格と信じられ、帰依者には最高の保護が与えられると信じられています。

ナラシンハの誕生には、一説に以下のようなものが伝えられます。

魔王ヒラニヤカシプは、ヴィシュヌ神の熱心な帰依者である息子のプラフラーダをよく思っていませんでした。息子が父ヒラニヤカシプに、ヴィシュヌ神の偉大さを説くと、三界を征服していた父は非常に腹立たしくなりました。

ヒラニヤカシプは、苦行の賜物として、神、魔神、人間、動物によって殺されることのない肉体を手にしていましたが、ヒラニヤカシプの悪態を見るに見かねたヴィシュヌは、神、魔神、人間、動物でもない人獅子ナラシンハとなって、ヒラニヤカシプを倒しました。

参照:http://www.drikpanchang.com/dashavatara/narasimha/narasimha-jayanti-date-time.html?year=2017