ヨーガ・スートラ第4章第34節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


पुरुषार्थशून्यानां गुणानां प्रतिप्रसवः कैवल्यं स्वरूपप्रतिष्ठा वा चितिशक्तिरिति॥३४॥
Puruṣārthaśūnyānāṁ guṇānāṁ pratiprasavaḥ kaivalyaṁ svarūpapratiṣṭhā vā citiśaktiriti||34||
プルシャールタシューニャーナーン グナーナーン プラティプラサヴァハ カイヴァリャン スヴァルーパプラティシュター ヴァー チティシャクティリティ
独存とは、プルシャの目的を失ったグナが、自分の源泉へ没入することである。あるいは、プルシャがその本性に安住することである。

簡単な解説:前節において、瞬間と瞬間が断絶なく続く連続について説明され、その事実を真に捉えることができるのは、転変が永久に終わりを告げる瞬間であると説かれました。本節では、独存(解脱)について説明され、それはプルシャの経験と解脱という目的を失ったグナが、転変の運動を捨てて、自分の源泉に没入することである、または、プルシャがグナの転変に関わることをやめ、その本性に安住することであると説かれます。本節で、4章195節からなるヨーガ・スートラが終わります。

ヨーガ・スートラ第4章第33節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


क्षणप्रतियोगी परिणामापरान्तनिर्ग्राह्यः क्रमः॥३३॥
Kṣaṇapratiyogī pariṇāmāparāntanirgrāhyaḥ kramaḥ||33||
クシャナプラティヨーギー パリナーマーパラーンタニルグラーヒャハ クラマハ
各瞬間に関連し、転変の最後に完全に理解されるのが、連続である。

簡単な解説:前節において、プルシャの経験と解脱という三つのグナの目的が達成されると、その三つのグナの転変の連続は終焉すると説かれました。本節では、連続について説明され、それは瞬間と瞬間が断絶なく続くものであり、その事実を真に捉えることができるのは、転変が永久に終わりを告げる瞬間であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第32節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ततः कृतार्थानां परिणामक्रमसमाप्तिर्गुणानाम्॥३२॥
Tataḥ kṛtārthānāṁ pariṇāmakramasamāptirguṇānām||32||
タタハ クリタールターナーン パリナーマクラマサマープティルグナーナーム
それにより、グナは目的を達成したため、転変の連続は終焉する。

簡単な解説:前節において、すべての覆いと汚れが除去された知識は無限となるため、さらに知るべきものはわずかになると説かれました。本節では、それにより、プルシャの経験と解脱という三つのグナの目的は達成されたため、その三つのグナの転変の連続は終焉すると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第31節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदा सर्वावरणमलापेतस्य ज्ञानस्यानन्त्याज्ज्ञेयमल्पम्॥३१॥
Tadā sarvāvaraṇamalāpetasya jñānasyānantyājjñeyamalpam||31||
タダー サルヴァーヴァラナマラーペータスヤ ジュニャーナスヤーナンティヤージジュニェーヤマルパム
かくして、すべての覆いと汚れが除去された知識は無限となるため、さらに知るべきものはわずかとなる。

簡単な解説:前節において、法雲三昧と呼ばれるもっとも純粋な三昧が生じた時、無明から生まれる煩悩と、蓄積されてきた無数の行為は消滅すると説かれました。本節では、そうしてすべての覆いと汚れが除去された知識は無限となるため、さらに知るべきものはわずかになると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第30節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ततः क्लेशकर्मनिवृत्तिः॥३०॥
Tataḥ kleśakarmanivṛttiḥ||30||
タタハ クレーシャカルマニヴリッティヒ
それから、煩悩と業は消滅する。

簡単な解説:前節において、深い瞑想から生じる最高の直観智を得てさえも、期待や興味を抱かずにいる時、法雲三昧と呼ばれるもっとも純粋な三昧が生じると説かれました。本節では、その法雲三昧が生じた時、無明から生まれる煩悩と、蓄積されてきた無数の行為は消滅すると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第29節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


प्रसङ्ख्यानेऽप्यकुसीदस्य सर्वथा विवेकख्यातेर्धर्ममेघः समाधिः॥२९॥
Prasaṅkhyāne’pyakusīdasya sarvathā vivekakhyāterdharmameghaḥ samādhiḥ||29||
プラサンキャーネーピャクシーダスヤ サルヴァター ヴィヴェーカキャーテールダルマメーガハ サマーディヒ
最高の直観智の中でさえも離欲する時、完全な識別知によって、法雲三昧が生じる。

簡単な解説:前節において、独存に向かうようになった心の隙間に入り込む、潜在印象からの他の想念を除去する方法は、前に説いた(2章10−11説)煩悩を除去する方法と同様であると説かれました。本節では、深い瞑想から生じる最高の直観智を得てさえも、期待や興味を抱かずにいる時、法雲三昧と呼ばれるもっとも純粋な三昧が生じると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第28節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


हानमेषां क्लेशवदुक्तम्॥२८॥
Hānameṣāṁ kleśavaduktam||28||
ハーナメーシャーン クレーシャヴァドゥクタム
それらの除去は、煩悩の除去と同様である。

簡単な解説:前節において、心が識別知の方向に傾き、独存に向かうようになっても、その隙間には、これまでに蓄積されてきた潜在印象から他の想念が入り込むと説かれました。本節では、その潜在印象から生じる他の想念を除去する方法は、前に説いた(2章10−11説)煩悩を除去する方法と同様であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第27節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तच्छिद्रेषु प्रत्ययान्तराणि संस्कारेभ्यः॥२७॥
Tacchidreṣu pratyayāntarāṇi saṁskārebhyaḥ||27||
タッチドレーシュ プラティヤヤーンタラーニ サンスカーレービャハ
その隙間に、潜在印象による他の想念が生じる。

簡単な解説:前節において、プルシャと覚の相違を知り、自己の存在に関して思いを巡らすことがなくなると、心は識別知の方向に傾き、プルシャが自分だけで存在する状態である独存に向かうと説かれました。本節では、そのような心であっても、その隙間には、これまでに蓄積されてきた潜在印象から他の想念が入り込むと説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第26節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदा विवेकनिम्नङ्कैवल्यप्राग्भारञ्चित्तम्॥२६॥
Tadā vivekanimnaṅkaivalyaprāgbhārañcittam||26||
タダー ヴィヴェーカニムナンカイヴァリャプラーグバーランチッタム
その時、識別知の方向に傾き、独存に向かう。

簡単な解説:前節において、プルシャと覚の相違を知る人は、自己の存在に関してさまざまに思いを巡らすことがなくなると説かれました。本節では、その時、心は識別知の方向に傾き、プルシャが自分だけで存在する状態である独存に向かうと説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第25節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


विशेषदर्शिन आत्मभावभावनाविनिवृत्तिः॥२५॥
Viśeṣadarśina ātmabhāvabhāvanāvinivṛttiḥ||25||
ヴィシェーシャダルシナ アートマバーヴァバーヴァナーヴィニヴリッティヒ
相違を知る人は、自己の存在に関する思案が消滅する。

簡単な解説:前節において、心は無数の潜在的傾向を保有し、複雑多様であるけれども、それは他者(プルシャ)のために存在していると説かれました。本節では、プルシャと覚の相違を知る人は、自己の存在に関してさまざまに思いを巡らすことがなくなると説かれます。