ヨーガ・スートラ第2章第23節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


स्वस्वामिशक्त्योः स्वरूपोपलब्धिहेतुः संयोगः॥२३॥
Svasvāmiśaktyoḥ svarūpopalabdhihetuḥ saṁyogaḥ||23||
スヴァスヴァーミシャクティヨーホ スヴァルーポーパラブディヘートゥフ サンヨーガハ
客体と主体の力と本性を認識する目的で、結合する。

簡単な解説:前節において、解脱した見るものに対して見られるものは消滅するが、見るものは生物の数だけあり、解脱しない見るものがある以上、依然として見られるものは消滅しないと説かれました。本節では、その見るものと見られるものの結合は、両者の本性を認識するためであり、また、両者の力を展開するためであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第22節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


कृतार्थं प्रति नष्टमप्यनष्टं तदन्यसाधारणत्वात्॥२२॥
Kṛtārthaṁ prati naṣṭamapyanaṣṭaṁ tadanyasādhāraṇatvāt||22||
クリタールタン プラティ ナシュタマピヤナシュタン タダニャサーダーラナトヴァート
目的を成就した者に対しては、消滅するが、それは他の者にとっては、共有性のために、消滅しない。

簡単な解説:前節において、見られるもの(プラクリティ)は、見るもの(プルシャ)のためだけに存在していると説かれました。本節では、解脱した見るものに対して見られるものは消滅するが、見るものは生物の数だけあり、解脱しない見るものがある以上、依然として見られるものは消滅しないと説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第21節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदर्थ एव दृश्यस्यात्मा॥२१॥
Tadartha eva dṛśyasyātmā||21||
タダルタ エーヴァ ドリシュヤスヤートマー
その目的だけが、見られるものの本質である。

簡単な解説:前節において、「見るもの」とは、純粋な意識であるにも関わらず、心の働きによって、その影響を介して見ていると説かれました。本節では、その見るもの(プルシャ)のためだけに、見られるもの(プラクリティ)は存在していると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第20節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


द्रष्टा दृशिमात्रः शुद्धोऽपि प्रत्ययानुपश्यः॥२०॥
Draṣṭā dṛśimātraḥ śuddho’pi pratyayānupaśyaḥ||20||
ドラシュター ドリシマートラハ シュッドーピ プラティヤーヌパシュヤハ
見るものは、見る力そのもので、純粋にも関わらず、心の働きを通して見ている。

簡単な解説:前節において、「見られるもの」の三つのグナについて、特性のあるもの(五大、十根、意)、特性のないもの(五唯、我慢)、痕跡だけのもの(覚)、痕跡のないもの(自性)と、4つの展開の段階があると説かれました。本節では、「見るもの」について、それは純粋な意識であるにも関わらず、心の働きによって、その影響を介して見ていると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第19節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


विशेषाविशेषलिङ्गमात्रालिङ्गानि गुणपर्वाणि॥१९॥
Viśeṣāviśeṣaliṅgamātrāliṅgāni guṇaparvāṇi||19||
ヴィシェーシャーヴィシェーシャリンガマートラーリンガーニ グナパルヴァーニ
特性のあるもの、特性のないもの、痕跡だけのもの、痕跡のないものが、グナの展開の段階である。

簡単な解説:前節において、「見られるもの」とは、三つのグナをあらわす、光輝、行動、停止の性格を持ち、それらから展開した、物質元素(五大)、知覚と運動の器官(十根)からなり、自己の本質の経験と解脱を目的とするものであると説かれました。本節では、「見られるもの」の三つのグナについて、特性のあるもの(五大、十根、意)、特性のないもの(五唯、我慢)、痕跡だけのもの(覚)、痕跡のないもの(自性)と、4つの展開の段階があると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第18節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


प्रकाशक्रियास्थितिशीलं भूतेन्द्रियात्मकं भोगापवर्गार्थं दृश्यम्॥१८॥
Prakāśakriyāsthitiśīlaṁ bhūtendriyātmakaṁ bhogāpavargārthaṁ dṛśyam||18||
プラカーシャクリヤースティティシーラン ブーテーンドリヤートマカン ボーガーパヴァルガールタン ドリシュヤム
光輝、行動、停止の性格を持ち、物質元素と知覚、運動の器官からなり、自己の本質の経験と解脱を目的とするものが、見られるものである。

簡単な解説:絶たれるべき苦しみの原因について、例えば、自分の肉体が自分の本質であるかのように思う、見るものと見られるものの結合であると説かれました。本節では、その見られるものについて、三つのグナをあらわす、光輝、行動、停止の性格を持ち、それらから展開した、物質元素(地、水、火、風、空)と知覚(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)、運動の器官(発語・手・足・生殖・排泄)からなり、自己の本質の経験と解脱を目的とするものであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第17節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


द्रष्टृदृश्ययोः संयोगो हेयहेतुः॥१७॥
Draṣṭṛdṛśyayoḥ saṁyogo heyahetuḥ||17||
ドラシュトリドリシュヤヨーホ サンヨーゴー ヘーヤヘートゥフ
見るものと見られるものとの結合が、絶たれるべき苦の原因である。

簡単な解説:前節において、絶たれるべき苦しみとは、未来の苦しみのみであると説かれました。本節では、絶たれるべき苦しみの原因について、例えば、自分の肉体が自分の本質であるかのように思う、見るものと見られるものの結合であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第16節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


हेयं दुःखमनागतम्॥१६॥
Heyaṁ duḥkhamanāgatam||16||
ヘーヤン ドゥフカマナーガタム
絶つべきは、未来の苦しみである。

簡単な解説:前節において、物事の変化、現実の悩み、潜在意識に残った印象、それに、三つのグナの働きが加わり、最後にすべては苦をもたらすことから、それを識別する人にとって、一切は苦であると説かれました。本節では、過去の苦しみはすでになく、現在の苦しみも次の瞬間にはなくなることから、未来の苦しみのみが、絶たれるべきものであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第15節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


परिणामतापसंस्कारदुःखैर्गुणवृत्तिविरोधाच्च दुःखमेव सर्वं विवेकिनः॥१५॥
Pariṇāmatāpasaṁskāraduḥkhairguṇavṛttivirodhācca duḥkhameva sarvaṁ vivekinaḥ||15||
パリナーマターパサンスカーラドゥフカイルグナヴリッティヴィローダーッチャ ドゥフカメーヴァ サルヴァン ヴィヴェーキナハ
変化、苦痛、潜在印象は苦しみであり、また、グナの働きが互いに相反するため、識別力のある人にとって、すべては苦である。

簡単な解説:前節において、業報(出生、寿命、経験)は、その原因となる業が有徳であるか、または不徳であるかによって、喜び、あるいは苦しみをもたらすと説かれました。本節では、物事の変化、現実の悩み、潜在意識に残った印象、それに、三つのグナの働きが加わり、最後にすべては苦をもたらすことから、それを識別する人にとって、一切は苦であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第14節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ते ह्लादपरितापफलाः पुण्यापुण्यहेतुत्वात्॥१४॥
Te hlādaparitāpaphalāḥ puṇyāpuṇyahetutvāt||14||
テー フラーダパリターパパラーハ プンニャープンニャヘートゥトヴァート
これらは、有徳か不徳かによって、喜び、苦しみをもたらす。

簡単な解説:前節において、煩悩という根源がある限り、出生、寿命、経験が生じると説かれ、煩悩という根源を断つことが、輪廻からの解放をもたらすということが説かれました。本節では、それらの業報(出生、寿命、経験)は、その原因となる業が有徳であるか、または不徳であるかによって、喜び、あるいは苦しみをもたらすと説かれます。