121,ラクシュミ女神のラーガ (1) Raga:Shri

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たくましい女神:ラクシュミ
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インドの飲食店や様々な雑貨屋から煙草屋に至る迄、およそ商店には必ずと言って良いほどそのポスターが飾られている「商売繁盛の女神」でもあるラクシュミ女神。

日本では「弁才天」が「弁財天」となってしまったので、かぶってしまった感があります。また、ラクシュミの日本での姿「吉祥天」は、四天王の一柱「毘沙門天」の妃とされます。しかし、「毘沙門天=クベーラ」は、ヴェーダ・ブラフマン教の中でも比較的後期の経典とされるアタルヴァ・ヴェーダで言及されているとしても、ブラフマン教の神であることには違いはありません。

シヴァと友好関係を結びカイラースにてヤクシャ(夜叉)、ガンダルヴァ(乾闥婆)、ラークシャサ(羅刹天)などの「下級神」と共に暮らすとされます。
仏教でもそれらは下級神ですし、そもそも四天王もしかり。本来は滅ぼされるところ、仏の慈悲を乞い、仏典の守護を誓って武神として存続したとされます。

これらのことから、吉祥天(ラクシュミ)も、かなり古いヴェーダの女神であったであろうことは容易に推測出来ます。サラスワティーも同様ですが、女神は比較的厚遇されているのか、ヴィシュヌの妃という高い地位を得て存続し、むしろ数多の神々の中でも最も庶民に愛される存在になっています。 ちなみに吉祥天の母は、「鬼子母神」とされ、「鬼子母神」は、Yakshini、すなわち「夜叉」の女性形ですから、やはり本来は下級神です。

ラクシュミの別名も多数ある中で、インド古典音楽のラーガ(旋法)の名前に起用されている「Shri」は、ラクシュミの多様な側面を総括したような、女神としてはかなり重たく深い存在感があると思われます。そして、ラーガ:シュリーもまた同様で、かなり修行を積まないと表現し切れない重く重要なラーガのひとつです。

一方意外で面白いと思ってしまったのが、何処の地方の呼び名なのか、「Chanchal」という別名です。「チャンチャル」は、「すばしっこい」「あちこち飛び回る」などのイメージがある言葉で、これをインド古典音楽の太鼓:タブラの腕前に用いる時には、とても良い「褒め言葉」になり、本名かどうか?Chanchal Khanという演奏者もいました。

ところが、チャンチャルには、別な悪い意味もあり、女性に用いる時は公然とは決して言えない陰口・悪口で、はっきり言って「尻軽女」でしかないのです。
まさか、ヴェーダ・ブラフマン時代から、苦労して今日の高い地位に登り詰めたラクシュミのたくましさを褒めつつ、前述しましたような時代時代のトップクラスの神の妃となった遍歴から来ているとしたら凄い話しです。何方かご存知でしたら教えて下さい。

しかし、そのようなことも含めて、パールヴァティー・ドゥルガーなどの圧倒的な神力を誇る女神と比較して、魔神・鬼神を滅ぼすような力は発揮せずとも、ラクシュミも、かなりたくましい女神ではないでしょうか。

別な視点から言いますと、「幸運や金運をもたらす」ということを、ご利益宗教的感覚ではなく、もっと深い意味合いで分かろうとした時、そこには、「運気の乱れ・滞りを正す力」があることに辿り着きます。つまり、「ナーダの流れを潤沢にする」「ナーディーの詰りをクリーンにする」ことも含め、「運気」のみならず、「経絡」そして「思考」に於いても、「体・気・思考」の三位に対してバランス良く「滞りを解除し、乱れを取り除く」ということに他ならないのです。

実際、アーユル・ヴェーダ音楽療法でも「Raga:Shri」の重要な効能にそれが挙げられています。

逆に言えば、自身の「体・気・思考」特に、「思考」についてが無頓着であったり削除されがちですが、自身で出来る努力を惜しみ、ご利益を乞うようでは、果たして如何なものか?と思わざるを得ません。

尤も、このテーマ「自力本願と他力本願(※)」は、インドでも昔から議論されているところです。いずれ近々、しっかりお話し出来たらと思います。(※)本来の仏教用語の意味であり、慣用句の意味ではありません。

「滞り」の最も質の悪い「原因」が、「執着」と「依存」です。だからと言って、近年流行の「断捨離」や「Detox」をすれば良いということではなく、「心と思考」に潜み、こびりついている「執着と依存」をクリーンにせねば何の意味も持たない、ということです。

ところが哀しいことに、むしろ心と思考にその問題を抱えている人に限って、より一層「人間関係」や「身の回り(目の前の物)」を「すっきりさせないと過負荷を強く感じる」ものですから、結果として、内面的な問題をむしろ温存する為かのように、外因を解決させようとしてしまいがちです。勿論、無意識に。

しかしこれは、極めて危険な発想であり行為であることは紛れもないことです。

勿論、様々な物事が「カオス状態」になっていることを由と言っているのではありません。大切なことは「整理整頓」であり、良いものをより深く吸収し、より正しく消化することと、害のあるものを、より初期にその侵入を防ぐこと。そのために、デフォルトの機能を正常に戻すことが大切であり、それが「生命力」であり「体力」であるという考え方です。

その基本をないがしろにして、局所対処的に、表面や気になることだけを解決しても、一時凌ぎとしては有効でも、長く続ければ弊害の方が大きい、ということなのです。

つまり、ラーガ:シュリーの名演奏に運良く巡り合わせたとしても。自らで「滞りと乱れの原因」を温存しているようでは、その「清らかで果てしなく解き放たれた自由な流れ」を感じ取ることは出来ないだろうとも言えます。
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Raga:Shriの素晴らしい構造
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Raga:Shriは、数在るラーガ(一説には34,776種とも)の中でも、格別な地位を持って居る、現存するラーガでは最も古い部類に属するものです。しばしばShri-Ragaとも呼ばれ、その場合は、Raga:Shri-Ragaとは言いませんが、そのようなラーガは、唯一かも知れません。

Raga:Shriがラクシュミに因んだものであることは間違いないのですが、中世前期にヒンドゥー教徒音楽家の間で流行した「Raga-Ragini」という分類法では、なんとShri-Ragaは、「夫ラーガ」なのです。

同分類法では、ラーガ観念が確立する以前からの古いShrti旋法、Grama旋法、Murchchana旋法などの生き残りのラーガを「六大Raga」とした結果、古いShri-Ragaは、それに含まれてしまったのです。

「夫ラーガ」は、それぞれ「六つの妻:Ragini」を持ち、36種が整理されました。その後も増え続け、「息子」のみならず、「息子の嫁」まで至ったのですが、「古い主要ラーガ=六大夫ラーガ」以外は、何故に「Ragini」なのか、息子なのか?嫁なのか?の音楽的・構造的な概念は確立していません。従って、Shri-Ragaが「男性旋法である」という根拠は、論理的にも理論的にも存在しないのです。

図に示しましたように、Raga:Shriは、レとラがフラットし、ファがシャープの「Purvi」という代表音列の引き出しに整理され、主音はフラットの「レ」、副主音は「ソ」です。
上行音列は、ミとシを割愛した五音音階で「ドレファソシ」となり、下行音列は、七音使いますが、かなり複雑に「ジグザグ(Vakra)」進行することが定められています。

例えば、オクターヴ上の「ド(Sa)」は、上行音列で辿り着いたと思ったその音が「Vakra」なので「ドシラソ~」と降りては来れないのです。なので、一歩引いて「上のレ」に行き、「ド」を飛び越えて「レシラ~」とせねばなりません。

下行音列に於ける「ソ」は、このラーガ独特の「半Vakra」のようなもので、その解釈・説明はいささか難解です。

純然たる「Vakra」ですと、「その音にぶち当たったら、一歩引いて(助走を付けるようにして)その音を飛び越して行く」のですが、

このラーガでは、一旦「シラソファ」と普通にソを経由してしまいます。ところが、まるで思い出したように、「ソラ」と戻り二度目には「ソ」を飛び越えて「ラファミレ」と進むのです。

「半Vakra」と述べましたのは、この「半Vakraの壁」が、通常の「Vakraの壁」のように、「助走を付ければ飛び越えられる高さだか、普通に歩くならば、頑強な上にまたぐのは無理」とは異なり、まるで、「ゴムロープ製」かのように、「シラソファ」とファ迄は行けてしまうのです。が、そこでゴムロープの力で「ミ迄は行けない」のです。なので、戻って、ちゃんと「飛び越えて」「ミレド」に行くしかない、というものです。

私たち演奏者は、「シラソー」と弾いた段階で、「しりとり」的に、次のフレイズ「ファソラファミレー」が反射的に出てしまうと言いますか、「そう弾きたくなる」という感じです。

その他にも、「Pakad(特徴的なフレイズ)」では、「ドレファソ」の他に、「シレファソ」と、「ミ」の他に「ド」も飛び越え(割愛)たりします。
また、高音域の「レドレー」のような、「Vakraのド」を越えて「シ」には進んでいないのですが、「Vakraのド」を強調するようなフレイズが幾つかあります。

また、上記の「半Vakra」の超法規的フレイズですが、「ソからの下降」の前に「ソファソラ」のフレイズを弾くと、「半Vakra」も解除され、「ソファミレ」と進むことが可能なのです。また「ファラファミレ」のように、まるで「ソ」を嫌ったかのようなフレイズも頻出します。

「ド」と「ソ」の割愛をよりキツくすると。基音伴奏楽器や、シタールなどに付属の伴奏弦の音が聴こえていても、一瞬「シが基音」のように聴こえる効果が得られます。
すると、「レ・フラット、ファ・シャープ」のおどろおどろしい雰囲気が消え、「短二度、短六度、短七度」の所謂「短調」に聴こえたりするのです。が、そこに「意図的に隠し(Tiro-Bhav)ていた基音(ドやソ)」が突如現れると、「錯覚から現実に戻された」大きなインパクトが与えられるのです。

このように、「Raga:Shri」は、流石の神のラーガ、ラクシュミのラーガだけあって、「単純でシンプルな面」と「複雑で頑固な面」、「畏怖の念を抱かせる面」と「平穏で安心で優しい面」を併せ持ち、それが神出鬼没的に現れるということで、聴くにしても奥が深く、弾くにしても難解で重たい、というラーガ(旋法)であることが分かると思います。

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(文章:若林 忠宏

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120,VedaからRagaへの道のり(1)Sama-Veda

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Vedaの進化
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前回、Vol.119でも少し述べたように、ヴェーダ詠唱は、それぞれ数百年掛けて変遷したのかも知れない、極めて儀礼的な発展を遂げていました。
それは「単音での詠唱」から「二音での詠唱」そして「三音での詠唱」です。

しかし、前回述べたように、僧侶が寺院で経典や讃歌の詠唱を、定められた方式で厳しく地道に実践している間に、街では物売りが歌のように声を上げ、花柳界では艶歌が歌われていたに違いないのです。(その根拠のひとつに、最古のヴェーダであるRig–Vedaに、「女性専用の弦楽器」が幾つか記されていることがあります)

 実際、「音楽の起原はヴェーダである」と説き始めたのは、意外に後世ですから、紀元前のヴェーダ祭官たちは、「一音から二音、そして三音……….やがて七音になり、サレガマ……………….(ドレミファソラシ)が生まれた」とは、誰も考えてはいなかった筈です。

逆に言えば、ヴェーダ詠唱の「音数の限定」には、深い意味と価値があったに違いなく、そもそも経文・経典の詠唱には、音階や旋法に進化する理由も必要性もなく、そもそもそれを「進化」とも考えていなかった筈なのです。ところが後世、何の張り合いか? 威信の誇示か? 「全ての音楽の起原はヴェーダ詠唱である」とせねばならなかったらしいのです。

しかしそれは、むしろ弊害の方が大きかったのです。まず、それによってヴェーダの格や威信が高まったか?というと決してそうではなく、前述のような無意味な張り合いの結果、むしろ威信を傷つけたかも知れないのです。また、日々(年々?)隆盛し巨大化して行った「Gandharva音楽」に対する牽制の意味と目的があったにせよ、同じヴェーダの叡智に基づく、「科学音楽/Shastriya-Sangit」の立場をも危うくするような行為であったとも言えます。

 少なくとも、前回述べましたように「Gandharva音楽は、ヴェーダ詠唱から生まれたヴェーダ音楽を基礎にしている」と言い出した段階で、意図や恣意があろうとなかろうと、それは「Shastriya-Sangit」を黙殺したことに他ならないのです。勿論、「Shastriya-Sangit」の担い手たちにとっては、そんなことは「どうでも良いこと」だったかも知れません。

しかし、事実その数百年、数千年後、「Shastriya-Sangit」の継承が急激に先細ってしまった頃、最早インド音楽・古典音楽を志す者たちにとって、「Shastriya-Sangit」の存在は殆ど形骸化してしまったのですから、「Shastriya-Sangit」の担い手たちも、数百数千年後のことを見据えて、何らかの対抗手段(要するに反論や宣伝ですが)を取っておくべきだったとも言えるのです。

具体的には、常に複数居た「Bharatha」の中で、少なくとも半数は、「Shastriya-Sangit」の純性(Sattva)を堅持しつつ、「Gandharva音楽」を正しい「芸術音楽」に導くことを使命とする「Shastriya-Sangit」側の人間が居てもおかしくなかった筈です。さすれば、一部の「Sama-Veda–Gan」系の司祭の企てを阻止したり、修正したりも出来たのではないでしょうか。

つまり、すでに「Shastriya-Sangit」は、ヴェーダ詠唱が、まだ「一音だ二音だ」と言っている頃から、「オクターブを22の微分音(Shurti)に分割する」という「音律概念」を構築していた筈なので、「ヴェーダ詠唱から七音音階が生まれる」という話しは、或る意味滑稽とさえ言えます。(勿論、この物語は、ヴェーダ詠唱者から出たものではないですし、後世のねつ造ですが、今日未だにこれを説く研究者や音楽家も居ます)

そもそもヴェーダ詠唱/讃歌(Rig-Veda)が、三音に至った段階で、ヴェーダ祭官の側では、その三音の関係性を論理的には説明出来なかったことは、前述の「Shuruti」の記述が、VedangaでもBrahmanaでも決定的に欠如、または不足していることで明らかです。
 勿論、後世には記述がありますが、Rig-Vedaが三音に至り、Sama-Vedaに至っては七音唱法も確立していた後のことです。

 つまり、「Rig-Vedaが三音唱法に至った後の解釈」と、「それからSama-Vedaの歌唱法及び七音唱法」を導くには、「Shastriya-Sangit」の理論の助けを得なければならなかったのです。
 
ところが事実、各種のヴェーダ文献に当時の「Shastriya-Sangit」から学んだ理論を記述したものが皆無に近いのです。同時に、何故か「Shastriya-Sangit」側も文献を残さなかったのです。Upa(副)Vedaのひとつに上げられている「Gandharva-Veda」がそれだと言い張る人も居ますが、とんでもなく。おそらく、紀元後、AD5世紀以前ではないだろう「Gandharva-Veda」は、前述しました「Gandharva-Sangit」自体の有り様といきさつから考えても、かなりの「眉唾もの」と考えて掛かった方が良さそうな代物です。

 勿論、古今東西、そのような「眉唾、嘘だらけ、偽書」の類いに、意外にも「隠せなかった真実」「話しの辻褄合わせでつい本当のことを書いてしまった」を読み取ると、「声も筆も持たない本物や真実」を充分に代弁していたりしますから、むしろ私は「眉唾もの」は、極めて重要な文献と考えています。

 実際のところ、Rig-Vedaの三音も、例えば「シドレ」だとして(ドレミだと説く専門家が未だに居ますが)、慣習・慣例的に「シ♭ドレ♭」で歌いますが、それが「オクターブの22の分割の何なのだ?」は、気にしても居ないかも知れませんし、考える必要もないかも知れないのです。
 その延長線上にあるSama-Vedaもしかりで、言わば「三音が七音に進化」したならば、問題の深刻さも「二倍以上」と言えますが、ヴェーダ詠唱者側からは、何ら問題意識が生じていないのです。

 実際彼らヴェーダ詠唱者にとっては、「どちらを優先、何を優先」という観念はきっと無いのでしょうが、「韻律、語彙の発音、発声法、韻の長短、間の取り方」の方がかなり難解で厳格ですから、それで精一杯となってしまっているのかも知れません。実際、体のあちこちを叩いたり触ったり、指を独特で厳格な決まりに従って用いて憶えるので必死だった? とも思えます。
 勿論、後者は、「ムードラ/アーサナ」の意味合いもありますが。

 言い換えれば、ヴェーダ詠唱者側は、楽理とその論理・概念に関しては「Shastriya-Sangit」にひたすら頼るばかりだった、ということなのでしょう。

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音楽様式の地位の時代変遷の普遍性
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今回の図は、世界的にもかなり画期的なものと自負致します。
奇しくも古代~中世のほぼ同じ時期に、中国宮廷雅楽の内容の変遷と、インド寺院及び宮廷音楽の内容の変遷が、似たような歴史的推移、政治や国際状況の推移の影響を受けながら、同じような、と言うより「普遍的な」二つの摂理のようなものを示しているのです。
 
そのひとつは、何度か述べています「発展・拡大・拡散・多様化」と「整理・収束・収斂・統合化」の、生命体の体の中で行われている「相対する両極が交互に繰り返される法則(恒常性の基本でもある)」と全く矛盾しない作用が、文化・芸術面の大きな流れにも見られることです。

そして、もうひとつが今回のテーマに於いて非常に重要なものです。

まず、図の全てに渡って、「縦軸」は、上が「より高尚・高貴・重要・上格で論理的・理論的・厳格な音楽形態」であり、下に行くに従って「より低俗・大衆的・軽薄・下級で非論理的で理論体系が希薄な音楽形態」です。

ところが、中国でもインドでも、「前時代の下級音楽が、次の時代に格上げされている」ことが明らかなのです。

また、図では、例えば中国の「祭禮楽」は、左から右に一貫して「同じような規模」に見えますが、実際は、例えば秦代に数十曲あったものが、随・唐代では二三曲、のように明らかに大衰退しています。しかし、「先祖廟礼拝音楽」などのような、無くす訳には行かない音楽として、常に最高位に置かれていますが、言わば「儀式化(形骸化)」した音楽なのです。

勿論、インドの場合「Sama-Gan(Sama-Veda詠唱)」が「形骸化」ということはありませんが、担い手の数は、時代毎に激減していることは明らかでしょう。

図で読み取る重要なことは、花柳界音楽や外来音楽は、常に新しいものが生まれていたこと。それを宮廷や寺院の宴楽が遅れて吸収したこと。それに押し上げられるかのように、かつての宴楽は、当然「古臭く」なりますから、一部を残して格上に組み込み、他は遺棄されたのです。

言い換えれば、常に下級音楽は、「多様で豊富」であるのに対し、まるでピラミッド型のように、上級音楽は、曲数も演奏機会も少ないのです。まるで、「年功序列」の「会社組織」のようでもあり、「宮廷・寺院内」が「管理職」で、「城外」が、平社員や派遣のような感じでもあります。

ちなみに、この「置き換え/比喩」によって「普遍的な性格(或る意味Prakriti)」を見出すことも、ヴェーダの叡智ではきわめて重要な「Samanyato-Drishta (普遍性の導き)」であり、これを経ない「枝葉体験・実感至上主義」的な価値観は、決して正しい「Pramana(認識)」を経た、正しい「Vidhya(知識)」とは認められていません。

加えて、図から分かる、或る意味驚愕の事実は、「下級音楽が時代毎に格上げされる」ということは、とりもなおさず「上級音楽の質の低下」に他ならないのです。

これが、シンクロニシティー的にインドと中国で起っていたのです。
西アジアは、基本的に「歌舞音曲好ましからず」の不文律によって、宗教と音楽が完全に切り離されたイスラム教以降、若干の構造の平坦化、簡素化が見られ、時代もかなりずれますが、スーフィー神秘主義音楽との関わりなども含めた全体像を俯瞰しますと、「同じ構造」は、やはり紛れも無く普遍的に見られます。

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(文章:若林 忠宏

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119,科学音楽創成期の危機(Gandharva音楽の台頭)

私がシーターラーマさんからの多大なご支援を得て、この連載コラムを書かせて頂いております、最大の目的は、ネットや書籍では説かれていない、インド音楽のより深い情報をお伝えすることにあります。

そして、願わくば、「インド科学音楽:Shastriya-Sangit」の存在を知って頂くことと、「医食同源」の言葉の元に、私たちの体の心配や、食べ物・飲み物の心配は多くの方が勉強されているのに、「何故『言葉・文字・文章・音・音楽』には、とても無頓着なのだろうか?」の強い疑問と懸念、そして、危惧を抱くが故の、或る種の警告的な性質も、より多くの方々にご理解頂けたら誠に幸いであると存じます。

とは言っても、前回のコラムでも、それ以前にも説きましたが、「人間が神々のことを深く学ぼうとせず、都合の良いように解釈する傾向は、実は、紀元前から始っている」という事実もあります。

とうとう流石に、私たちの宿主である地球も大きな悲鳴を上げるような事態に陥りましたが、言い換えれば、数千年も前から「その徴候(人間の愚かな悪癖)」がありながら、「良くも数千年も保ったものだ」という、哀しい感心も否めません。

人間の歴史の中で、今日の私たちには想像も付かないほどの苦境や、苦難、不条理に苦しんだ人々は数多く居る筈です。しかし、そのような中に於いても、その大きな変換の時代に立ち会った宿命を真摯に享受し立ち向かった人々が居てくれて、今日の私たちがあるのです。

その意味では、おそらく「宿主」であると共に、世界の多くの宗教や、それ以前のアニミズムが強く説いた「母」であり「神」でさえある「地球」が悲鳴を上げていると共に、「人類の叡智と悟性」が、最早瀕死の状態に至ったこの時代に「立ち会った」私たちもまた、その宿命を光栄と受け止め向い合うか、それとも、自らの不遇や不満足に被害者意識を募らせて、利己に走り、「人生をやり切り、逃げ切る」ような生き方で終わるか? が問われているのではないでしょうか。

しかしその選択は、社会的には確かに「当人の自由」かも知れませんし、逆に、「望み」でもないことを、義務や責任でさせても意味も効果も得られないかも知れません。

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古代インド科学音楽が背負った宿命 (1)
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古代インド科学音楽が誕生したのは、おそらく紀元前3千年ほど前のこと。しかし、その当時の記述はもっぱらヴェーダに限られていますので、音楽が語られるようになったのは、紀元前千年前後の、ご存知「Sama-Veda」の頃からとなります。

つまり、「Vedaが先か?Shastriya-Sangitが先か?」は、確定のしようがないのです。しかし、いずれにしても当初、「Veda(Sama–Vedaなど)」と「Shastriya-Sangit」は、ほぼ同源同義であり、同じ祭官や僧侶が取り組んでいたものと考えられます。

ところが、そもそも音楽は、Veda祭官のある一派が「音楽はVedaから生じた」と主張する以前に、巷では「鼻歌」を歩きながら歌っていた庶民も居れば、五音以上音の出る笛も在ったに違いないのです。つまり、「Veda詠唱」が、数百年毎に「一音から二音、二音から三音、それら三つの音が四度転調して」とやっている最中にも、「庶民音楽」は、存在していたし、祭官御自身も、寺では一二音で経を読みつつ、非番の日には、ついつい鼻歌を歌っていたかも知れないのです。

またそれどころか、既に当時のブラフマン教寺院や王宮には、「宴楽」も存在したし、花柳界もあれば、そこでの艶歌も存在していた筈なのです。

そんな中で、既に存在している音楽に「科学(Tantra)(及び音楽療法の効能)」を見た人々が居て、「科学音楽/Shastriya-Sangit」が形作られて行くと共に、祭官の別な派は、前述した「物語」を構築する必要があったのです。尤も、それが「物語」となったのは、それから数千年後のことの可能性もあります。紀元前11世紀頃は、純然たる「Veda詠唱法の推移」を説いた(記録した)だけだったのかも知れません。

しかし、いずれにしてもその後の千年二千年の間に、ブラフマン教の混乱期、仏教やジャイナ教、その他の宗教や思想・哲学の台頭と、様々な戦乱の時期を経て、その著述期間は、未だ今日も不詳ながら、紀元前6世紀から起原6世紀の間の千年の中の数百年」と言われる、残念ながら「現存する(Sama-Veda以外の)音楽の記述がある最古の文献」が、現れます。

当然のことながら、その著者「Bharatha」は、一人の人物ではなく、そもそもその著書「Natya-Shastra」は、このコラムの連載冒頭に述べましたが、「ブラフマン~ヒンドゥー教布教のための音楽劇」の興隆に伴った、その劇の指導書や記録の意味合いのものなのです。

「Bharatha」は、「音楽舞踊演出家」の官職であり、同様に「Narada」は「音楽監督」、「Tandu」は「舞踊演出家」の官職名でもありました。勿論、12世紀の「Narada-Shiksha」:の著者Narada-Muniは、個人と思われます。しかし、「Natya-Shastra」で著わされるNaradaは、それこそ数百年の間の数十人かも知れません。神話の中のNarada-Muniは、そのような音楽賢人の数人の総称的・象徴的存在とも考えられます。
しかし、今日現在でさえ、このことを理解している現地インドの研究者・演奏家は、ほんの一握りであり、多くは、バラタでさえも個人と考え、そう語っています。

その複数のバラタ(舞踊劇監督・演出家)の誰かが、ある程度時代の的を絞って、紀元前2世紀~西暦2世紀の間に、「ブラフマン~ヒンドゥー布教舞踊劇」に於ける音楽を、「Gandharva音楽」と称し、「Veda音楽」との曖昧な線引きを行ったのです。

Gandharvaの存在は、神話では「天上の楽師」とされ、仏教でも「乾闥婆」の表記で語られています。勿論、阿修羅などと同様に、ブラフマン教の中で既に淘汰され「悪神」や「下級神」とされた神々を仏教が、「帰依と仏法の守護の誓約」で職(立場)を与えた「淘汰された神々」及び、「その従者」です。

しかし、実のところ成立時代が不詳な「Taittiriya-Aranyaka(ヴェーダの奥義(森林書)のひとつ)」に著わされるGandharvaは、既に実在する「宴楽楽師」や「花柳界楽士」であった可能性があります。

つまり、紀元前10世紀前後のブラフマン教布教のための音楽舞踊劇と、紀元前4世紀から紀元後の4世紀迄の千年のヒンドゥー教布教のための音楽舞踊劇の音楽・舞踊・演劇の担い手たちは、そもそも寺院の巫女(Deva-Dasi)や花柳界楽士、より上級で宮廷宴楽楽師であり、そのまま、しばしば(~頻繁に)寺院主宰の「布教ステージ」に駆り出されたと考えられるのです。

勿論、そのまま「布教プログラム専属音楽家」になった者も居たでしょうが、要は、その音楽家が、花柳界・寺院供養楽・宮廷宴楽の音楽家であり、Shastriya-Sangitの専門僧侶とは、全く一線を画した、ということです。

そして、彼らに対し、誰が何の目的でか(論理的に考えれば、答えは二三に絞られますが)神話の「天上の楽師たち」の名:Gandharvaを与え、それを契機に「Gandharva-Sangit」が、後づけで確立したことになったのです。

問題は、彼らを指導した前述のBharatha、Narada、Tanduたちは、何処に所属するどのような芸術家であったのか?ということです。演劇の場合は、寺院の僧侶、すなわち、Veda祭官などの中から、布教活動に熱心で、啓蒙活動に対しての興味関心や知識がある者であったでしょうし、舞踊に関しても従来からの巫女供養舞を取り仕切っていた僧侶だったのでしょう。後には、役者や舞踊手のキャリアからも選ばれたかも知れません。

しかし、こと音楽に関しては、Sama-GanからダイレクトにGandharva–Sangitには、到底至りませんから、何らかの助けをShastriya-Sangitの専門家に求めねばならなかった筈です。
その結果Gandharva–Sangitは、古典音楽としての理論のほとんどをShastriya-Sangitに取材することとなり、それを盾に、Bharathaたちは、『Natiya-Shastra』にて、(おそらくその後期に)「Gandharva–Sangitは、要するにMarga-Sangitなのである」という暴言を吐くに至ったということなのでしょう。

ここでの「Marga-Sangit」は、字義では「道の在る音楽」であり、要するに「正統的」という意味合いです。従って、その実態は、時代と、価値観によって変化してしまいました。
結果論で言えば、紀元前後のこの時代では、「極めてヴェーダ寄りの古典音楽」の意味合いで語られています。

しかし、この用語によって、「Veda音楽」と「科学音楽」がごっちゃにされ、しかも「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」と「同じである」とされてしまった訳です。

これが、既に紀元前後に生じていた「科学音楽の一大危機」であり、この禍根は今日迄残り、様々な問題や矛盾、ひいては、科学音楽のみならず、芸術音楽の衰退や大衆化(安直・短絡・低俗化)の元凶にまで至っているのです。

何故ならば、そもそも「Veda音楽」は、極めて孤高な祈祷楽であり、大衆迎合性は全く不要です。「科学音楽」もまたしかりですが、その科学性には、しばしば宗教の存在さえも邪魔になり、ましてや為政者の恣意が加えられた宗教的方針などの干渉は害でしかありません。科学音楽の探求に於いては、宗教とは分離されてしかるべきなのです。

他方「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、それ自体「芸術性と大衆性」の狭間でもがき苦しむものであり、これは古今東西「音楽が普遍的に持つ大きな課題」でもあります。しかし、そもそも「科学音楽」からすれば、そのような「狭間」自体が「不要で無駄であるどころか弊害でしかない」訳ですから、両者の間には、相容れない、同居などあり得ない、性質の異なりがある訳です。

ところで、意外と言いますか、興味深いと言いますか、紀元前6世紀頃に、各種ヴェーダ経典及び、その実践書(Vedanga))祭儀書(Brahmana)に継ぐ、Tantricな要素が濃厚な「森林書(Aranyaka)」は、文字通り「人里離れた森林で」考えられ、祈祷されるものですが、紀元前5~6世紀の時代のことです。TVもネットも無ければ、都会に人も少なく、車も電車も走っていないのに何故その必要があるの? と改めて考えると、改めて驚かされます。

都会であっても、寺院はたっぷりの敷地に豊かな樹々が茂り、動物たちが飛び交っていたことでしょう。 それでも尚、人間社会から遊離せねば得られない境地を求めたという程です。
「科学音楽」もまた、或る面同様だった筈です。

ところが「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、本懐が「布教(ブラフマン教、ヒンドゥー教の理解)」であったとしても、或る意味、神棚に背を向けて、聴衆の方を向き、聴衆を「惹き付けてなんぼ」の領域で腕を振るい知恵を絞る方向性にあった訳です。恣意や作為や勘違いがあろうとなかろうと、基本的な性質が異なる訳です。そられが同居してしまえば、どのようなことになるか?  それに加えて、何時の時代にも、ブラフマンの叡智を学び、教える立場の者の中でさえ、「枝葉感覚・思考」で物事を判断する者も居たことでしょうし、Perfoming-Artに使命感を抱いていた者も居たに違いありません。

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118、シヴァ神のラーガ(2) Raga:Shankara

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ヒンドゥー教に於ける「シヴァ神」の位置づけとは?
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ヒンドゥー教に「三大神」というのがあることは良く知られています。一般に「ブラフマ神」「シヴァ神」「ヴィシュヌ神」は、それぞれ「ヴェーダの叡智」「創造と破壊を司る」「維持を司る」とされます。

しかし、ヒンドゥー教に関心を抱いた当初の方々にとっては、いずれも分かりにくいものがあるのではないでしょうか。 と言っても、ヒンドゥー教をより深く学び、理解しようとする者にとっても「分かった」と思ったら、また分からなくなりをくり返すことが多く、それは「山を越え、また山を越えて行く」かのようです。この意味では初級者と対して変わらない印象を持ち続けているとも言えます。

そもそも「真実」とか「真理」というものは、それを「分かりたい」「理解したい」「探求したい」という者自体の「成長・発展・変化」に応じて段階的に変わって行くものですから、「分かったと思ったのに、また分からなくなった」とか、「段階毎に異なって見える、思える」ということは、道理であると言える。否、道理を越えた摂理であるのかも知れません。

これを、幼稚で恐縮ですが単純明快に説くならば、「○○は、○○である」は、段階毎に逆転し得るということであり、良く言われる「師匠が黒と言えば、白も黒だ」
のような話しです。しかし、より正しく学んでいる(つまり成長・変化している)弟子にとって、より正しく導いている師であるならば、「段階毎に答えが逆転する」というのは、当然の成り行きなのです。言い換えれば「右足の次には左足が出るだろう」ほど、「当たり前のこと」なのです。更に言い換えれば、何年経っても「白は白」「黒は黒」としか思えない弟子や、そう教える師もまた、何か大きな問題、考え違いをしているのだろう、ということでもあります。

例えば前述の「ブラフマ神」が「ヴェーダの叡智を守り、司り、説いている」のであるならば、「三大神」の中で、最も崇高な存在であるはずですが、実際の信仰に於いては、必ずしもそうではありません。極端な場合、三神で、最高神の奪い合いをしているかのようでもあります。勿論、良く良く考えれば、それは、信者が熱心さのあまりに対立しているのであって、果たして神々が争っているのかどうか? しかし、古今東西で、神話は、実際に神々が争っているとも説きますから、ややっこしいとも言えます。

また「世の中の維持」ひいては「平和・平穏」を司どるヴィシュヌ神は、それ自体も、様々な化身も、言わば「人間の守護神」味方的であります。が、古くはシヴァ顔負けの「破壊神」でもあったという説もあります。実際に、ヴェーダの神の一柱:インドラをやり込める辺りは、決して厭戦的な神とは言えないかも知れません。人間並に、私利私欲・妬み恨み・復讐・騙しの世界で奮戦するラーマ王子もしかり。
そのような「分かりにくさ」「理解の段階に応じて変化するイメージ」がブラフマ神、ヴィシュヌ神に少なくないのに対し、シヴァは、端から分かりにくいという点で、比較的単純明快に結論を説いているとも考えられます。そもそも「創造と破壊」は、破壊が「新たな創造の為」であると説かれても「白は黒である」と言っているようなものです。

しかし、その結果、確固たる統計がある訳ではありませんが、歴史的な結果論から言えは、ヴィシュヌ系の信者の数は、おそらくシヴァ系、ブラフマ神に象徴されるヴェーダ系の神々の信者より、数百年前から圧倒的に多いに違いなく。また、大きく括ってヴェーダ~ウパニシャッド~ウパ・ヴェーダ~プラーナへと変遷するに従って、ヴェーダの神々が廃れ、ヴィシュヌ派が亢進し、しばしばアカラ様にヴィシュヌ系がヴェーダ系を淘汰する神話や解説が説かれています。しかし、「厳格で残酷な一面」を感じさせるシヴァは、意外にその「交代劇」には関わっていないかも知れません。

その理由は、もしかしたら、そもそも「創造と破壊=白と黒」の感覚自体が、「善悪」などの「二元論」を逸脱したものであるから、と考えることは自然です。

いずれにしても、これらもまた、当コラムのVol.114、117「歴史の理解力が心身の健康」で説きました「三次元思考力」の大切さを物語っています。
何故ならば、「歴史的変遷」は、言う迄もなく「縦軸=時間軸」であり、「立場・視座(見え方)の変化=横軸」「価値観の変化=奥行き軸」であり、結果論で、ブラフマ神は、この三次元の世界で、あちこちに振り回され、ヴィシュヌ系は、信者や為政者の恣意も加わって、やはりあちこちを縦横無尽に動き回ったに対して、シヴァは、縦軸と横軸を「ブレずに上下、左右に動き」つつ、「世界の秩序」という奥行きには確固たる存在感を貫いている、とも考えられます。

一方、それを理解せんとする私たちにもまた、この三次元のことが大きく関わって来ます。「縦軸=時間(歴史)軸」を如何により多く、より深く理解し、整理して記憶しているか? 「奥行き軸=物事の本懐・本旨・骨子・根幹」が「ブレないか?」が確立した上で、日々の感情や理解・成長の過程に於いて「異なって見える(のが、正常な道理)」である「横軸」(つまり左右に揺れるのは当然であり、間違いではない)という形が「正常(デフォルト的に)整っていれば」良いのですが、縦も横も奥行きも座標がブレまくっているようでは、「一向に理解出来ない」「難しい」「面倒臭い」「都合の良いことだけで良いや」となってしまう訳です。

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「荒神」ということの意味
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何度か述べていますし、特にRaga:Durgaの項 Vol.111では、やや詳しく述べましたが、元来、世界中で神々というものは、常に「優しさ・包容力・ご加護」という側面と同時に「厳しさ・惨忍さ・人間にとっての脅威的存在」の両極端の二面性を持っていました。ところが、紀元前3千年前頃から紀元前千年ほどの間の、今日の時間距離から見れば、かなり近しい時期に、同時的(シンクロニシティー的)に、人間にとって都合の良い神々に変貌しました。

具体的には、「同じ神のニュアンスが変わった場合」「怖い系の神々の存在感が薄まった場合」「怖い系の神々が、優しい系の神々に淘汰された場合」があり、最も極端な例では「怖い系の神々が悪神とされ、善神に滅ぼされたが、地下(地獄)に潜む」などがあります。これはアジアのみならず、地中海東岸から北欧に至るまで広範囲に広がっています。
このことからも、「神々の存在」と「神話」には、人間の都合の良い私意が多く混入していることが伺われます。

日本の神道でも同じことがありました。しかし、それから数千年経った今日でも、日本の神道のある部分では、(明治に政府がいじりましたので、『基本の部分』ではなくなってしまった感があります)その「神の二面性」を今も残しているところがあります。有名なところでは伊勢神宮の別宮などですが、「優しい系」を奉る神社の他に、「荒神」として、同じ神の「厳しい側面」をも祀っているのです。勿論、その主旨は、「厳しい側面」が発揮されないように、頼み込んでいるのですが、「その性質の存在を忘れていない」、という点では、神々に対する人間の「極めて真摯な畏怖の念」が生き残っている証とも言えます。

そして、この次元に於いてインドのシヴァ神信仰は、極めて古いけれど、人間の都合の良さからは遊離した、神本来の姿が残されている、ということが出来る筈なのです。

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Raga:Shankara
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Raga:Shankaraの構造と性格もまた、シヴァの(両極端な)二面性を、良く表しています。と述べましたが、これも正確には「人間本意」の言い方でもあります。そもそもそれは「両極端な二面性」ではなく、「本質的な一元性(の両端の性質)」と言うべきであるからです。乾電池にプラスとマイナス、棒磁石にS極とN極があるように。ヴェーダの時代から変わらず、人間が愚かしい行為をすれば天罰が下るように。その神本来の姿をより強く持ち続けていたかも知れないシヴァに於いては、「両極端な二面性」と言うこと自体恐れ多いことに違いありません。

シヴァの妃神の相のひとつ、ドゥルガーに因んだRaga:Drugaでも紹介しました、図のRaga:Shankaraの構成音は、三段の上段が、用いる「基本音列(より正しくは用いる音を順に並べたもの)」で、中段が、その「上行音列」で、下段が「下行音列」です。
「下行音列」は、普通高い音から低い音の順に左から書きますが、この図では、構成音の性質を色分けし、縦に揃える必要があったので、読む時には下段のみ、右から左に、とご理解頂けると幸いです。

つまり、「下行音列」では、「S、N、D、P、G、R、S」となり、四度の「Ma」は、終始割愛ですが、上行音列で割愛した「Re」は割愛されずに用いられます。

上行音列では、「Re」を割愛し、第六音と第七音は、いささかややっこしい動きをします。PaからSa へは、「P、D、N、S」とストレートに行かず、「P、N、D、N、S」と行くべきとされるのですが、このジグザグな動きは、「Vakra(ジグザグ/字義は曲がった、歪んだ)」と言うよりは「準Vakra」と言った感じです。

純然たるVakraの場合、ふたつめの図の二段目「Normal-Vakra」に示したように、「飛ばす(割愛する)音」がVakraの場合、例えば上行で、DがVakraの場合、「P、D」と来て、「DaのVakra」にぶち当たるので、そのままでは先に進めず、一歩戻って飛び越すしかないので、「P、D、P、N、S」となります。

ところが。Raga:Shankaraに於ける「準Vakara」の場合、「N、D、N、S」の動きが特徴的であることが重要なので、結果的に「NDNS」の動きの中には、「DNS」が含まれますから「DはVakraではない」ということになります。

図の「Vorja」は、「割愛音(Vorjit-Swar)」ですが、第四音「m(ナチュラルのファ)」は、常に割愛音です。敵音ではないですが、用いません。
ところが、上行音列では、「R」も割愛音:Vorjitになりますが、「D」は、その限りではないのです。

また、下行音列では「SNDPGRS」と弾くこともかのうですが、しばしば「SNP」と「D」を割愛します。これも「必ず」ではありません。

即ち、Raga:Shankaraに於ける各音は、
Sa=基音、終止音、
Re=上行で割愛、下行では割愛せず、経過音として巧みに重用。
Ga=主音、開始音、
ma=常に割愛
Pa=属音、終止音、重用、
Da=しばしば割愛、経過音として巧みに重用。
Ni=副主音、極めて特徴的、

というようなことになっています。勿論流派によって、若干の異なりはあります。私自身が所属している最も古いシタール流派でも、極めて特徴的な動きがあります。

また、図で示しました「Raga:BilawalのPakad(特徴的フレイズ)」との共通点で、Raga:Shankaraが、Bilawal-That(タート/分類引き出し)に属している根拠が分かります。二つ目の図の四行目のそれの冒頭の「GRGP」は、Bilawalならではのもので、「上行では五音音階」のRaga:Shankaraでは、まずあり得ません。「P」に行かず「GRG–GRGRS」というBilawal的な動きは重用されます。「GPNDNS」は、どちらのラーガにとっても重要なPakadです。

六行目のBilawaで「NDP」をShankaraで弾くことは、大間違いではありませんが、女性音「D」を極力割愛し、男性音「NからPへの急降下」によって、Raga:Shankara」の独特な個性が醸し出されます。

Bilawalでは、Dを主音とする流派が多いですが、「GMD—-P」と「D」に長く留まりつつも、完全な終止音にならないことが多く。「主音=Pa」の解釈の流派も存在します。
Raga:Shankaraでは、割愛気味の「D」が。「GPDP」や、希に「GDP」のようにして、「PをDから回り込んで取る」ということも効果的に用いられます。これもBIlawal-That所以」ということが出来ます。

シヴァ家のポストカードとヤントラの写真は、当シーターラーマさんで通販されている商品で、ヤントラは「シヴァ・ヤントラ・ペンダント」です。私が、極力「ヤントラ」をご紹介しているのは、ヴェーダの叡智の享受は、脳機能の全てをバランス良く発揮させるべきであるからです。

近年では、「文字を読まない人」「難しい文章が苦手な人」「がんばるが頭に入らない人」「頑張ると気分が悪くなる人」が増えて来ています。それら全て「脳機能障害」が始っている証でもありますが、「タントラ(Vedaの叡智や科学)」を理解する時、「論理的思考力」が豊かになるまでは、「ヤントラを見る、触れる、身につける」や「マントラ(Shiva-Mantraや、ShivaにまつわるRaga)を聴く」ことによって、大きな助けを得ることは実に賢明と言えます。私が、保護猫の看病の間を縫って、仮眠時間を削ってもこのコラム用に図版を作成するのも、この理念に基づくものです。

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117、歴史の理解力を高めることは、心身の健康に最適・最短の手法 (その3)

歴史理解力が即効的である理由

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論理の三次元に欠落している縦軸
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今回の図は、以前に用いた「論理の樹木(ひいては思考回路の理想図・基本形でもある)図に、論理の三大要素「Tri-Nyayshastra」の中の「三つの次元(視野):Tri-Paimana」を表した図です。

「枝葉執着の人々」は、図の横軸に於ける利己的感覚「Ahamkara」と、「実体験:Pratyaksha-Pranama」以外のことの理解が極めて乏しく、それを「認めてもらいたい:承認・肯定願望」が強いがために「共感空間」をSNSに強く求めたり、共感出来る友人たちを懸命に守ろうとします。また「常識・観念・道徳」などに依存する人も少なくなく、「利己的感覚」とセットになっていることも多くあります。

希に、「奥行軸:客観性・洞察力」の二次元目の感覚を持って居る人も居ます。しかし、正確には、縦軸の概念が無い限りには、横軸と奥行の直角性を実感出来る術はないのです。しかも、そもそも「枝葉は揺れてしかるべき(でなくては芸術は成り立たない)」のですから、横軸との角度は、揺れ動いてしかるべきですから、「客観的だ」と過信していても、限りなく角度が小さい「V字」のようなものであるかも知れません。

また、「みんな」という観念や、「グローバリズム」という観念を誤解したまま、過信し依存している人々は、前述の「常識・観念依存」も手伝って、それの正しさを決して自壊しません。しかし、以前にもこのコラムで「枝葉を束ねただけ(自らの根っ子も幹も希薄脆弱な者同士の連帯)」では「薪木に過ぎない(大地とは遊離している=枯れている=死んでいる)」とも言えるのです。
そもそも横軸と奥行は、ぐるりと360度回転してしまえば、いずれも「枝葉領域:Prattiyam-Loka」の平面に過ぎないとも言え、その円盤上に固着していると言えるのです。

しかるに、正しい論理性以前に、正しい客観性を持つ為には、三次元の各直角性も元より、「縦軸:時間・時系列・順番・歴史系思考性:Itihas-Dhayana」が不可欠なのです。そして、三次元の何処にでも自在に意識を転換させることが出来て、初めて「論理を学び思考することが可能になり、やっと「思考力(Vijnanamaya-Kosha)の正常化」の第一歩が踏み出せるのです。

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時間・歴史感覚:Itihas-Prtibhaの大きな欠落
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しかし、現代人の多くに見られる「枝葉依存人間・枝葉感覚人間」の場合、この「時間・時系列・歴史把握力」を取り戻すことは極めて困難な作業となります。

「この問題が全ての元凶である」と判断された私のセラピー・カウンセリング受講者さんの多くに「この三日間の自分の行動を時刻時間を明記した時系列の記録を書いてみて」と、試してみると、まず殆どが出来ないのです。20代から30代の若さにも関わらず、仕事以外の行動の中の細かな行動の記憶が定かでないのです。
勿論これは、かなり重度の方の話しですが、その中でも更に重症だった三名のひとりは、受講が途切れた後に統合失調症を発症しました。また一人は、鬱病になりました。「元々そうした性質だったのだろう」と楽観視したい人も少なくないかも知れませんが、そうではありません。

まず、「生まれも育ちも考え方も価値観も異なる」数名に共通して、「時系列記録」の宿題を出すと、十数時間睡眠を取っていても「振り返り作業を始めて十数分で強烈な睡魔に襲われる」ことで、「書かねば・書きたいと思う!」と口ではおっしゃっても「寝てしまって書けなかった」となるのです。これは、「アパシー/鬱」の基本機序と同じ構造です。
つまり、脳の使っていない部分を使おうとすると、その死に掛けていた機能を補っていた部分が、猛烈に拒否反応を起こすのです。いささか辛辣な喩えで恐縮ですが、母子家庭で、父親替わりの気概で頑張っていた長男か長女が、母親の再婚と共にそのステイタスを失ってグレてしまった。ような感じです。

つまり、そもそも「脳機能がアンバランス」であったことが原因なので、それを是正しないことには何も始らないのです。ところが巷のセラピスト・カウンセラーさんの殆どが、例えば「時系列列記録を書かせる」などということは決してしませんし、「出来ない事・嫌だと言っていることを無理にさせては駄目だ」と「甘やかし」の方向性にしかないのです。

スパルタが良いとは決して言いませんが「出来ない=脳機能アンバランス」という構造を度外視して、先に進める筈が在りません。なので、「慰められた」「分かって貰えた」で、満足し、元気になって、「もう大丈夫だ」と通わなくなる。そして半年一年で状態が再悪化して、また通おうにも「あの先生じゃ駄目なのだろう」と他者の所為にして他を当たる。

上記の重度の三名は、私の講座を受講する迄に、二三年で、同時期に二三、十ヶ所近くをはしごしていました。その感覚の根底には、「本当に解決したい」という想いがあるに違いないのです。それこそ「魂や心のSOS」です。なので、セラピスト・カウンセラーは、当人の表層的気分・感情の奥で泣いている心や魂を見取るべきなのですが、何故かそれをしないのです。

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歴史がつまらない場合の元凶
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学校教科としての「歴史が好きだ」という人の中と「苦手」という人に共通しているのが、年代の記憶です。前者は、呆れるほど良く憶えていますが、後者は全く憶えられない。また、歴史的人物の名前もしかり。つまり「枝葉次元」の歴史教育で、憶えることを強要される「小枝や葉の名前や生じた年」で「学ぼう」というエネルギーの殆どを使い果たしてしまう。それどころか、もっと大切な筈の、「樹木の構造」というものが、全く教えられない。

例えば、インド中世史の場合、丁度私が作成した樹木図のように、太い枝は、「南インド・ドラヴィダ民族の系譜」「中西部ヒンドゥー諸王朝の系譜」「北インド・イスラム宮廷の系譜」となり、その先の中枝~小枝と別れて、それぞれのヒストリーがある。
しかし、その全体像=樹をイメージさせずに、あちこち話しが飛んでマラータ同盟がどうの、アウラングゼーブがどうのという話しを憶えさせる。

逆に、学校教育とは別に、マニアックに「歴史が好きだ」という人の場合でも、基本的に枝葉にこだわり、その幹と樹木全体のイメージが欠落している場合があります。

そもそも論理性の上では「実在しなかったもの」。つまり、中世の太枝から枝分かれした後に「途絶えた系譜」が、もし存続していたならば?というようなイメージや推察力は、全く問われず「無い歴史を語っても意味が無い」と言わんばかりの人が多い。

つまりは、「好きだ・得意だ」という人もまた「合理主義・結果論主義」の「枝葉系」な場合が殆どです。それではせっかくの「歴史」もまた、本当の意味では「縦軸」ではなく、「三次元思考性・思考力」が鍛えられているとは到底言えません。

そのような人々に特徴的に共通するのが「文章や意見の論旨=論幹を理解しない」という奇妙な現象です。結局は「枝葉の記述」に対してあれこれ知識をひけらかすばかり。
もし「枝葉の記述」に対して意見を述べるならば、「幹=論幹=論旨(テーマ・主旨)」を「肯定した」か「仮に肯定した」上であるべきなところ。そこは終始曖昧なままで。枝葉(良くいわれる重箱の隅と同義)をやり玉に上げるばかりです。

学術論文の形式が、冒頭に「論旨」を明記し、本文がたいがい三段論法になっているのも、同じ研究者で、枝葉~幹の立ち位置が異なることで生じる混乱と無益な議論を避ける為でしょう。極端な話し、「論旨」を読んで「ああ、この論文は駄目だ」と分からないようでは、本文の部分を批判する資格は無いのです。音楽もしかりで、冒頭の数十秒で聞く価値が分からないようではプロとしてはアウトです。
ギャラが貰える仕事ならば、「論旨→駄目」の「根拠」を本文の部分を取沙汰して反論することもあるかも知れませんが。

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歴史を自らで面白く理解する訓練
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このように、「歴史がつまらなかった理由」は、「A:教える人間が枝葉系」「B:学ぼうとする者自身も枝葉系」「C:逆に得意だ!と自負する人間も枝葉系」だからに尽きます。

しかし、「AとC」は、今更意識改革をしないでしょうけれど、B=苦手と思っていた人には可能性があるのです。そして、その力を鍛えることは、明らかに脳機能にとって必要必須のテーマなのです。

おそらくこのテーマは、ここ一二年で急速に研究が進んでいる「認知症改善・予防策」のひとつに、数年もすれば挙げられることでしょう。 それどころか、数十年もすれば「認知症の原因」とさえ説かれる日が来るかも知れません。

「歴史を面白く出来るか否か?」は、「自分自身で脳機能のバランスを改善出来るか?」いうことであり、その第一歩は、「三次元的思考」の訓練にあります。
つまり、例えば図のように、幹から三本の太枝が別れた場合、その一本を選択して探求する場合でも、他の二本の存在を常に頭の片隅に入れておく訓練です。

これは、日常の家事でも訓練出来ます。

例えば「鍋を火に掛けたまま、生ゴミを出しに行った」という場合。通常ならば、鍋は焦げ付かない。しかし、ゴミ収集場で、ご近所に捕まって長話につき合わされたら、焦げ付きます。

「枝葉系」の人の改善策は「次回からは生ゴミ出しであろうが、火を止めてからにしよう」という解決策です。勿論実際は、これが正解でしょうが、脳機能訓練としてはアウトです。ご近所の話しを聞きながらも、鍋のことを考える訓練が必要なのです。そして、「あと数分でマズいことになる」という時に、ご近所に「すみません!」と言える訓練です。

ところが、枝葉依存度が進んで 、受講を中断した後に統合失調症を発症した人の場合「自意識過剰」も重度に至っていましたから「ご近所に言い出せない」という別の問題も積み重なってしまう。勿論、そこで「ご近所の話しが頭に入らない」というのもアウトです。言い換えれば、このような日常の出来事によって、御自身の「脳機能バランスの偏り」と「枝葉度」を自己診断出来るとも言えます。

このテーマをクリアーし、明らかに変化が自覚出来るようになれば、次は、歴史に登場する人間の性質と性格を読み解き、結果論的な言動の事実を照らし合わせる訓練です。この段階に至れば、かなり歴史が面白くなって来ると同時に、脳機能バランスも改善され、体調のみならず、人間関係さえも改善されている自覚が得られる筈です。

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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116、サラスワティー女神のラーガ(1)Raga:Saraswati

サラスワティー女神も、Vol.113で因むラーガをご紹介したクリシュナ神と同様に、その、母性的とも言える優しさと、「学問の神」の理知的さで、とても親しまれている神です。

しかし、本来は、ヴェーダどころか、北インドに移住しヴェーダを説いたアーリア人がペルシアに居た頃からの神で、後世(かなり後)に、その宗教を大変革させたゾロアスター教でも同系女神が生き残っています。

また、インド・スピリチュアル・グッズのお店、このSita-RamaさんのBlogでも、何度か詳しく紹介されている同系だが別派の女神「Matangi」などは、むしろ逆のイメージがあります。と言いますより、むしろそちらの方が、本来、より古いサラスワティー女神のイメージであると考えられます。

同じこと。即ち、本来「愛と恐怖/優しさと惨忍さ/包容力とヒステリー」といった、全く相反するイメージが共存した結果、そこには「畏怖の念」しか感じ得ないような有り様が「神々」であったのが、紀元前2~3千年頃、世界各地でほぼ同時に変革され、以後は「人間本意(人間に都合の良い)の優しい神々」に偏る傾向があります。

言い換えれば、そのイメージに反した神。神話的に言うと、「人間に迎合するなどあり得ん!」と叛旗を翻した「古いタイプの神々」は、「悪神」として、むしろ攻撃され、蹂躙され、従属隷属させられた、という歴史もまた、世界の異なる宗教に同時に存在します。

また、インドの場合は、悪神とはされずとも、古い神が、新しい神の配下に置かれたり、力の差が顕著に説かれたりした結果、極めて陰が薄くなった例は沢山あります。
そのような中に於いて、サラスワティー女神は、「優しくなっただけ」で、存在し続けており、ヴェーダ期からの長く根強い信仰のあつさを物語っていると言えます。

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サラスワティーのラーガ(旋法)
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サラスワティーに因んだラーガ(旋法)で、最も有名な、その名も「Raga:Saraswati」は、偶然かも知れませんが、「本来の姿」を彷彿とさせる、形而下的・感覚的な言い方をすれば、「厳しい・おどろおどろしい・迫力がある」イメージを起こさせるラーガと言えます。

Raga:Saraswatiが属する「音階群」は、Khamaj-Thatとされていますが、ファが「ファ#」であることの容認は、同That(タート)ではかなりキビシイ感じもします。つまりそもそも「分類不能(に近い/PP-Raga)」ということなのですが。

好意的且つより高次の解釈をすれば、Khamaj-Thatのラーガ(かなり多い)の殆どに於いて、基音Saに対してテンション性が低い「フラットのシ」を特徴としつつも、テンションがある「ナチュラルのシ」もある意味多用(二つのシの使い分け)します。その「四度五度展開」と考えれば、属音「Pa(ソ)」に対し、「シのナチュラル同様の性質を持つのがファ#」と言えなくもありません。

しかし、Khamaj-Thatが、上行と下行で、このテンションを切り替えるのに対し、Raga:Saraswatiでは終始一貫して「ファ#」ですから、違和感も否めません。

逆に、Khamaj-Thatの根拠が、「シのフラット」であろうと思われますが、「テンションがキツいファ#」を使っておきながら、「シは終始フラット」というのも矛盾です。
勿論、「シのフラット」の、「如何にもKhamaj-Thatらしいフレイズ」も多々見られますが。

しかし、この連載の初期にもお話ししましたが、そもそも「神々のラーガ」は、その他のラーガと比べて、むしろ「アンバランス・不条理」なものが多いのです。
七音音階は、「Sampurna(満たされた/完全な)」と呼ばれますが、神々のラーガの多くは五音音階、言わば不完全なのです。

このRaga:Saraswatiは、上行音列で五音、下行音列で六音です。「Ga(ミ)」は始終割愛です。上行音列の「ド、レ、ファ、ソ、ラ、ド」は、Vol.10でご紹介した「Raga:Druga」と同じですが、ファが#で、全く赴きが異なります。

Raga:Saraswatiの上行音列は「SRMPDS(ドレファ#ソラド)」で、下行音列は「SnDPMRS(ドシ♭ラソファ#レド)」で、主音は「Pa(ソ)」、副主音は「Re(レ)」ですが、「レから始るフレイズが多い」「シラソ」のフレイズが多い、の他、取り立てて強調されている感じでもありません。

と言うのも、「同じ音階だが異なるラーガ」に於いては、前回Vol.113で、クリシュナ神に因むラーガと類似(いささ紛らわしい)ラーガの比較で説いたように、「音の動きの違い=主音の違い」は大きな要素となりますが、このRaga:Saraswatiのように「前半(下のテトラコルド)は「テンション系(ファ#だから)」と「後半(上のテトラコルド)は、非テンション系(シ♭だから)」という、或る意味「ミスマッチ」な異例さ、奇抜さがあるので、「音階だけでラーガが同定されてしまいそう」とも言えます。実際、そのような「初心者レベル」でRaga:Saraswatiを平・Rと演奏しているプロも少なく在りません。言い換えれば「類似のラーガがほぼ無い」ことに助けられているに過ぎません。

が、もし上に挑むならば、第二ステージでは、「テンションと非テンションのバランスの妙」、その上のステージでは、「Khamaj–Thatたる所以」を表現(Avir-Bhav)」してしかるべきでしょうが、残念ながら他者の演奏ではまだ、それを聴いたことがありません。

むしろ、インド音楽ファンなら殆どの人が知っているだろう有名なプロが、スケール的に弾く。つまり、上記の「初歩的な際立つ個性」ばかりを強調していますので、いささか論外な感じです。と言いますか、「流石、売れただけあって、大衆迎合性に長けている」と感心します。

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印日・弁天比較
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今回の図は、言う迄もなく、上段三柱が、インドのサラスワティー女神(系)で、下段三柱が日本に伝わった「弁財(才)天系」の女神たちです。

上段左は、南インド型のヴィーナ。通称「Saraswati-Vina」もしくは「Karnatik-VIna」を持ち、中央は、南インドでは用いない北インドの「Sitar」、右は、北インドのヴィーナ(古楽器)である、通称「Vin」または「Rudra-Vina」を持つ「Matangi女神」です。

南インド型のヴィーナを「より古い」と勘違いをしている人も少なく在りませんが、そもそも「木を刳り貫いたスプーン型(の胴と棹の様子)」は、西域からイスラム教徒が南インドに伝えたもので、今日ではもっぱら伴奏楽器となっている「(南の)Tambura」の形状に倣って「Vin」を改造したものです。よって、中央の、シタールを持たせていることに対し「イスラム宮廷の楽器だと違和感がある」というのも共感しますが、音楽史の理屈では、どっこいどっこいとも言えます。

その点で、南のヴィ―ナやシタールで描かれるマタンギ女神もあるようですが、「二つの干瓢共鳴胴を、その豊かな二つの乳房に充てて響かせた」という神話の故事通りの、上段右図の形状の「Vin」が南北ともに相応しいとも言えます。勿論、胸にあてがう大きさの楽器は、仏跡の石彫に残るだけで、音楽史の中では古くから、絵と同じかより大きな楽器になっています。

下の日本の江戸時代の図版には、実は「弁天様」はいらっしゃりません。下段の左は「妙音天」。中央が「光明王菩薩」で右が「金曜星の象徴図」です。

中国唐代に西域楽器を元にしてこの姿になった、良く知られた形の「琵琶」を持つことから、インドの女神とは風情が大分異なりますが、仏跡の石彫を見れば、変化したのはむしろインドの方とも言えます。つまり、日本図の方が、より古いSaraswatiの風情かも知れないということです。

「妙音天」は、その文字でも分かるように、「弁天様」の幾つかの要素の中の「音楽」が特化したもので、現在執筆中の本でより詳しく説きましたが、戦前から今日に至る、日本の学会の定説に叛旗を翻し、戦前に淘汰された「九州伝来説」を書いていますが。伝来修行僧(琵琶法師)の多くが、この妙音天・妙音菩薩の経文を吟じていました。遡れば、初期ヴェーダ時代、否、ペルシア時代に繋がる「(元祖・原点)Saraswati派」が野に下り、放浪大道芸人としてたくましく生き続けていた姿なのです。

中央の「光明王菩薩」または「光明大菩薩」は、音楽以外の要素を総合した本来のSaraswatiで、むしろ「弁財(才)天」が俗称であることが思い知らされます。

ところが謎は、右の「金曜星の象徴(具現)図」です。「七曜」を同様に具現したもののひとつですが、「金曜=金星」の守護神は、近代インド占星術では「Rama」な筈です。
前述しましたように、ヴェーダの教えの多くが仏教によって、むしろ守られ継承されている(が、残念ながら重要なものの多くが形骸化している)のですから、「Vishnu系のRamaか?Saraswati系か?」は、マタンギ女神の解釈とも合わせて、かなり重要でデリケートなテーマとも言えます。そもそも「近代インド占星術」では、Saraswatiは、殆ど皆無と言ってよいほどオミットされています。

しかし、古代ペルシア、(勿論ゾロアスター教以前)の宗教と占星術は、古代ローマに於いてさえも流行した程の力を持っていました。が、それ故に反対勢力の叛意が高まり、殆ど壊滅させられてしまうのですが。その一旦を垣間見るミトラ教などとの関連も含め、Saraswatiの存在の奥深さを感じてやみません。

ちなみに、下段中央の光明王菩薩は、上段右のMatangiや、ここにはありませんが、多くのSaraswati図同様に「蓮花(Pundarika)」に乗っています。
ところが、上段左のSaraswatiと、下段左の妙音天は、「大樹の切り株」に腰掛けています。

何れも絵画ながらに、細かい重要な点は、しっかり守っているのです。その点、上段中央のシタールを弾かせている図は、後ろの孔雀の羽が、Vishnu系の「多頭蛇(Naga)」の真似のようであり、腰掛けている岩も、何だか適当な感じがします。Matangiが座す蓮花が浮かぶ河は、言う迄もなく、伝説のSaraswati河であり、遠望の山はヒマラヤであり須弥山であり、やはり細かく描かれていることに感心させられます。

ヤントラ(ペンダント)の写真は、ここSita-Ramaさんのネット・ショップで販売しているものです。もしかしたらインド最古の信仰のひとつかも知れないサラスワティー。その波乱万丈の数千年の中で、平安~明治時代、今日に至る日本人さえも支えて来た頼もしい神。びっくりするほどお手軽なお値段ですから、勉学や音楽修行の励ましに良いのではないでしょうか。前回ご紹介したDurga女神や、Shiva神のヤントラとは異なり、蓮華の象徴が落ち着いたバランスを感じさせます。

https://sitarama.jp/?pid=111968228

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12月1月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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115、16世紀の楽聖Tan Senの流派(2)

彼の有名なタージマハルを作らせたムガール帝第六代皇帝:Shah-Jahan(在位:1628~1658)自身も、先代に劣らぬ熾烈な王権・親族争いの末に皇位を継承しましたが、その四人の息子達も同じことを繰り返すという哀しい歴史となりました。シャー・ジャハーンもまた、先代同様晩年は幽閉され、帝位を奪われました。

第七代皇帝:Aurangzeb(1658~1707)は、暴君のイメージがありますが、正しくは、王族の存続どころか、国家の基盤さえ危うくしたシャー・ジャハーンの方が遥かに暴君で、アウラングゼーブは、先代のツケを払う為に、懸命に正しい道を突き進んだとも言えます。

このテーマの前回:Vol.112の図版を見て頂くと分かるように、13世紀、大臣でありながら楽聖であったHazarat Amir Khusraw(1253~1325)が使えたAllauddin Khirj(在位:1296~1316)の時点で、ほぼ全インドを支配しておきながら、Akbar(在位:1556~1605)の時代では、南インドにイスラム王朝が乱立していました。

それをアウラングゼーブは、先代が滅茶苦茶にした財政と政治構造を改革し、再び全インドを掌握するに至ったのです。言い換えれば、極めて敬虔なムスリムであり、覇権主義・権威主義や汚職・腐敗を嫌い、或る意味彼の抱く理想国家を構築せんとした超真面目な皇帝であったということかも知れません。

しかしそのリストラクション政策と皇帝がイスラム教正派:スンニーの信徒であったことから、Seni派のみならず、宮廷楽師は生活の危機を体験するのです。勿論その他にも、全インド平定の際に犠牲になったヒンドゥー教徒や寺院も数知れないことでしょう。

イスラム教には基本的に「歌舞音曲好ましからず」の不文律があります。対してアウラングゼーブに破れた兄ダーラシコーは、ウパニシャッドをペルシア語に翻訳させたと言いますから、彼が皇帝に君臨していたら、インド古典音楽もまた大きく変わっていたかも知れません。

それでもターン・センの孫:Lal Khanの四人の息子は、アウラングゼーブの宮廷で歌い、褒美を授かったとされます。

しかし。この時代と、アウラングゼーブ没後の再三の王権争いで、ムガール帝国自体が大きく揺れたこともあって、1724年宰相アーサフ・シャーがデカン高原ハイデラバードで独立しニザム王朝を興し、北部では大守サーダット・カーンがファイザバードで独立の後に1727年アワド王朝を興し、ベンガル王朝は1740年再び独立し、パンジャブ地方の古都ラホールはシク教国に併合され、1739年以降サファヴィー朝ペルシアのナーディル・シャー軍が度々進攻し、ムガール王朝の領土はデリー周辺直径500Kmの小国(独立王朝では最小の)になってしまいました。

その結果、16世紀後半から18世紀前半に掛けて、Seni派の楽師の多くが、新天地を求めて東方のランプール、ローヒルカンド、ラクナウ、ヴァラナシ、ダルバンガ、南方のインドール、グワリオール、西方のアルワール、ジャイプールに移転します。実際ビハール州のダルバンガ、トリプラのアガルターラを例外的な最東として、他はいずれも、デリーから今日飛行機で一時間程度の言わば近郊ですが、とりわけ東方に移転した音楽家の中に、所謂「中興の祖」のような名人が現れたため。総称して「Purabiya(東方組)」というステイタスを確立しました。

その後、18世紀後半から19世紀に掛けても、ムガール王朝は縮小の一途を辿り、逆に上記の藩王国はイギリスの分割統治の巧妙な策の上での繁栄を欲しいがままに発展していました。

既に移住したPurabiyaが築いた宮廷音楽に於けるSeni派の基盤を頼りに、その後のSeni派の音楽家も、移住したり、デリーとの間を行き来したり、藩王国を渡り歩いたりして、Seni派の門下を広げて行きます。

デリー残ったVinkar派のLal Khanの孫Nirmar Shahとその息子のNiyamat Khan(Sadarang)(1670~1748)は、Seni派の音楽性を保つ以上の功績と名声を博した言われます。

Sadarangは、十四代皇帝:Md.Shah Rangila(在位:1719~1748)の宮廷楽師長としての名声を誇っていましたが、王の粋狂に腹を立てて辞表を叩き付け、東方のJaunpur宮廷に転職し、その後新たな歌謡様式を創案し返り咲いた逸話を、この連載で以前、Vol.46でお話ししました。これが新声楽様式Khayalの原型と言われます。

デリー東方のラーンプールの太守(Nawab)は、代々古典音楽の頼もしいパトロンを越えた音楽マニアで、自身も音楽史残る名演奏家であった人物も少なく在りません。

Sadarangの孫:Umrao Khan(?~1840)が移住した頃のラーンプール太守:Ahmad Ali Khan(在位:1794~1840)は、かなりの音楽マニアで、強力な古典音楽のパトロンでした。Umrao Khanが没した年に太守となった後継:Sayyd Md. Khan(在位:1840~1855)もまた古典音楽の重要な支援者でした。しかし彼ら以上に特筆すべきは、後に太守となった孫のSayyd Kalbe Ali Khan Bahadur(在位;1864~1870)とその弟(太守にはならず)Haidar Ali Khanであると言えます。Kalbe Ali Khanは、Umrao Khanの息子で、Rampur宮廷楽師長を継いだ:Amir Khan(?~1870)の強力な支援者であると共に、彼自身も、Rababとその発展楽器Sur-Singharの名手として知られます。

またこの頃、Lucknowに移住したRababiyaでは、諸説ありますが、一般にBilas Khanから七代目に当たると言われると共に、「中興の祖」でもあった「三兄弟」が特筆されています。その、Pyar Khan(1780頃?)、Zafar Khan(同?)、Basat Khan(1787~1889)は、いずれもDhurupadとRababの巨匠でした。

私の師匠の流派では、曾祖父:Ud.Niyamet Khan(1816~1911)と祖父:Ud.Shafayet Khan(1838~1915)が、Basat Khanの弟子となり、祖父:Ud.Keramatullah Khan(1848~1933)が、Pyar Khanの弟子となり、流派はSeni派の一員となりました。

上記の新楽器Sur-Singharは、三兄弟の長兄:Pyar Khanの創作と言われますが、既にアフガニスタン弦楽器:ルバーブを改造しサロードを用いていた師匠の祖父・曾祖父たちが、その師:Pyar KhanのSur-Singhar創作に多大な影響を与えたことは間違い在りません。

前述のUmrao Khanは、ラーンプールを拠点として、ラクナウやヴァラナシの宮廷からも呼ばれて赴き、音楽指導を積極的に行いました。息子Amir Khanもまた、太守Sayyd Md. Khanの宮廷楽師であると共に、次次代の太守:Kalbe Ali Khanの師を勤めた他、シャージャハンプール派Sarodの中期の名人Fida Hussain Khanを弟子としました。

このAmir Khanの息子のWazir Khan(1851~1926)は、Seni・Vinkar派末期最大の音楽家です。なにしろ前述のシタール奏者Pt.Ravi Shankar氏、Pt.Nikhir Banerji、シャンカル氏の義弟のサロード(シャロッド)奏者Ud.Al Akbar Khan他、百人を越える名人の師匠であったUd.Allauddin Khan。サロード・トラッド派のUd.Amjad Ali Khanの父:Ud.Hafiz Ali Khan。パキスタンを代表するシタール奏者のUd.Md.Sharif Khan Punchwala(Nisba地名)の父:Abdu-l Rahim Khan、他、多くの声楽家も含む相当数の名人の師となった人です。

このWazir Khanの孫が、両Seni派最後の宮廷楽師:Ud.Muhammmad Dabir Khan(1905~1972)で、息子Md.Shabbir Khanも音楽家ですが、音源・映像を拝聴したことはありません。

私の師匠の祖父・曾祖父たちは、ラクナウと隣接するシャージャハーンプールの太守の宮廷楽師を勤めましたが、アワド王朝の最後の皇帝ワジッド・アリ・シャーは、インド音楽史に残る音楽マニアで、自らもランプールの太守の弟、前述のHaydar Ali並ぶ音楽家でもありました。その在位末期には、イギリスの分割統治の罠にはまり、ラクナウを開け渡してベンガル・コルカタに移住。その際に、私の師匠の大叔父:Asadullah Khan(1858~1912/19?)などが太守に同行し、ベンガル地方にSeni派を伝えました。

ラクナウとベンガルの中間点、ビハール州のダルバンガ宮廷には、かなり早い時期の「Purabiya」が移住し、とりわけターン・センの娘と婿の孫のBhupat Khan(Maharang)が宮廷楽士長を勤めたことで、東部で最初に高度な古典音楽を記しました。

前述の膨大な弟子を育てたWazir Khanの母方の叔父で、Vinkarの血筋ながらラクナウ三兄弟のBasat Khan(Rababiya派)の弟子となったKasim Ali Khanは、トリプラ州のAgartalの宮廷楽師になり、ベンガル地方でのSeni派の浸透に勤めた音楽史に残る名手です。師のBasat Khanもまた、晩年はベンガル地方に移住し後のVishnupur派の成長や、コルカタに於ける古典音楽の隆盛に寄与します。

それぞれの音楽家の「拡散」の意図の基本が「より質の高い聴衆(王侯貴族や同業者)の宮廷で充分な収入が得られること」であることは言う迄もありません。
ライバルの存在は、それが音楽的な場合は、むしろ好ましいものですが、嫉妬・怨恨・政治的対立の場合、それが嫌で再移住した音楽家も少なくありません。

ただ、近々にこのコラムでより詳しく説明しますが、単に「Seni派を広めた」とは言っても、「弟子のランク」によって、教えることがかなり変わりますので、今日喜ばれる「敷居を下げてオープンに芸風を共有させること」などは、到底美学に反する「迎合」であり「堕落」と考える時代の人々です。

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114、歴史の理解力を高めることは、心身の健康に最適・最短の手法 (その2)

「人間ナマコ論」の説明
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生命体の「筒 」の構造~例えば血管
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「人間は手足の生えたナマコである」などと言っても、理解されなければ迷言で終わってしまいますが、今回の管と円を描いた図を見て頂けると分かっていただけると思います。

まずその図の右の円は、このテーマの前回の図の「5つの意識(の4つ)」の図の内面と外面を逆転させたものです。しかし、一ヶ所に大きな穴があり、「外的要因」は、その穴から内部に入って、内壁から浸透し、順に、より「奥の層」に伝えられるのです。このようなイメージによって、筒図の構造がより具体的、現実的に分かる訳です。

この右図は、人間が食物を食べる姿を横から見たようでもあり、眼球を横から見た様でもあります。同じように、「言葉、文字、文学、音楽、美術、思想、哲学」などもまた、本図のような「逆位置構造」の中に取込まれ、次の層に順に伝えられると考えられます。

実際の生命体の様々な筒は、左の「筒の図」のようになっており、上記の「逆転構造」が如実に反映されています。

例えば血管の場合、「A」は、悪玉コレステロール、老廃物、リンパや細菌・ウィルスなどの死骸がたむろし、しばしば血栓の原因となり死活問題を生じさせる血管内壁の状態です。血液の性質ばかりを「血をサラサラに」と執着しても、この壁にこびりついたものたちを解決せねばどうにもなりません。

これを「現代人のメンタル面」に置き換えると、奇抜・猥雑でアカラ様な商業主義や、汚い言葉、軽薄な流行言葉、間違った言葉、勝手な解釈の言葉など、氾濫する不純なものや有毒なものが、「心と思考への管」の内壁にドロドロと懲り付いているということです。
またネット依存の人々にとって、「情報」を収集するばかりで「思考しない/吟味しない」ことによる、「情報」も或る種「消化・代謝」には無縁の代物ですから、不要物・老廃物と同じようにしか機能しないばかりか、大切な「(心の)血管壁」に損傷を与えかねません。

「B」は、リンパと細菌・ウィルスの戦場です。勿論、免疫細胞の有名なマクロファージなどは、血管内を縦横無尽に飛び回ります。が、皮肉なことに「A」の「澱み(汚れ)」の代表的な正体も(外敵を食べ過ぎて動けなくなった)マクロファージだったりします。

これも「現代人のメンタル面」に置き換えると、上記の「過剰な情報」を「心の免疫機能」が懸命になって選択を試みている、或る種の「修羅場」であり、そこには、捨てられた情報と徒労に使い果たしたエネルギーや知恵が「不純物・ゴミ」として折り重なっていると考えられます。

「C」と「D」は、医学的に「血管内膜1/血管内膜2」と呼ばれるものです。これらと「E」の血管外膜が、フィルターとなりつつ、「浸透圧の恒常性」が保たれることなどで、栄養素が細胞に行き渡り、老廃物を回収しています。そして「F」の様々な臓器やジャンクションを経て、その最中にも。酵素やホルモンなどが働きながら、必要不可欠なものと変化しながら、細胞や臓器に運ばれます。

これを「現代人のメンタル面」に置き換えると、現代人の多くが、Dの機能が著しく衰えていると考えられます。それによって、Cの領域「気分・感情」とDの領域「論理的思考」の区別がなくなり「○○だと考えた」とは言っても「思った」「感じた」「気がする」の区別が付かないという状態に至ります。

その結果、本来ならば、論理的思考によって「気にならない」「気になるが、それで頭一杯にはならない」「ましてや気分が落ち込むということはない」程度の他人の「一言」や、「感情的な言動」に対して、くよくよ考えたり、不要な発散や癒しを求めたりすることで、逆に正常な思考力が極端に低下してしまいます。結果、正しいフィルターの役目を果たせず、「心・思考力にとっての栄養素」も「不純物」「毒素」も一緒に送り込むことになります。

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生命体の「筒」の構造~例えば腸管
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例えば、やっと最近なって、理解も感心もやや高まって来ました「腸内環境」ですが、腸管の場合、「A」は、粘液状の外堀で、所謂「悪玉菌・寄生虫」の住処でもあります。「B」は、リンパ・善玉菌と細菌・ウィルスの戦場です。当然外敵が腸管を通り抜けたら命に関わる事態となりますから、ここの「粘液と粘膜の折衷のような内壁」は、頻繁に剥げ落ちているようです。

「C」は、善玉菌のみ出入り出来る作業層で、医学界でもまだごく一部の人々しか気付いていないかも知れません。つまり、健康体であれば、この「層(Kosha)」は極めて有効な「防御壁」となっているのです。生命体の驚くべき神秘は、ここで善玉菌のみが自由にこの「第二の粘液と粘膜の折衷のような内壁」をすり抜けて出入りし、担うべき重要な仕事をしてくれているというところにありす。

また、近年食品会社が懸命になって開発・商品化・宣伝している「乳酸菌」の類いも、数年前の「腸迄届く」は、最早時代遅れで、「どうにかあっと言う間に流れ出てしまうことを解決出来ないか」という段階に至って、この「壁」が、「商品開発の壁」にもなっているようです。何故ならば、健康体であれば必要量の善玉菌が数億と存在しているので、後から新参者を投入したとしても、この壁を出入りする力や通行証をもたなければ、数時間で便になってしまうからです。

しかし、実際は、見た目元気な人でも、この層は殆ど機能していない場合が多いと懸念され、悪玉菌が腸壁まで到達しているという危険な状態であり、それを未然防ぐ善玉菌の仕事場も無い、という状況のようです。
ここまでの「ABCの層」が正常に備わって機能していないだけで、「食物アレルギー」は簡単に発症しますし、

この層を痛めつけ、破壊してしまうのは、食品添加物の化学物質であることは勿論ですが、砂糖、とりわけ漂白された上白糖やアルコール、適量を必要なタイミングに摂取する以外の香辛料などであることもまた、言う迄もないことです。

言い換えれば、この「善玉菌専用通過層・作業層・生活層」の修復方法を発見しない限り、乳酸菌を新たに送り込んでも、ほとんど「気休」か、「笊」に近い、ということなのです。

これを「現代人のメンタル面」に置き換えると、現代人の多く、とりわけSNSなどで「共感=認められた」というものを強く求める癖を増長させてしまった人の場合。本来「善玉菌だけが行き来出来る粘液と粘膜の領域」に於いて、「耳に優しい・嬉しい言葉や音楽」「分かり易い幼稚な言葉」を容易に通過させ、「耳に痛いがしっかり思考すべき言葉」「論学寮法的に意味・効果のある音楽」「論理的な文章や漢字」などを逆に拒絶させてしまいます。つまり「悪玉菌を歓迎して善玉菌を閉め出す」というとんでもないことをします。それによって、心の領域迄を・u不純物・毒素」が入り込むだけでなく、この「粘液と粘膜の層」が機能しなくなり、破壊してしまうのです。

「D」は、栄養素を取込むフィルター層であり、細胞によって構築されている腸の内壁です。これは解剖学的に昔から確認されているものです。これに穴が開けば「LGS」という怖い状況になります。「E」は、腸外壁で、まだ殆ど解明されていないようですが、「栄養素・毒素の二次フィルター層」がある筈で、必要に応じて行き先を肝臓、腎臓に振り分けていると考えられます。
「F」肝臓や腎臓などの臓器、及びそれらに運ばれる回路やジャンクションです。

「LGS」の手前で、生命体が必死の「SOS」を出している様子のひとつが「(比較的軽度の)食物アレルギー」ですが、軽度とは言っても、アナフィラキシーを誘発しないということであり、充分重症ではあります。しかし、アレルギーと言うと「花粉」とか「小麦」などを思い浮かべるが為、「そもそも必要では無いからだ」「無くても困らない」と考えがちかも知れません。しかし、そもそも「本来敵ではないものに対する過敏・過剰な反応」であったり、「本来むしろ味方・必要なものなのに敵対する」ということが少なくなく。このこと自体は、決して「正常な状態」ではないのです。

「胃の構造」も、より単純であってもほぼ同じと考えられ、「鼻腔」や「口腔』も勿論同様です。また、これもまだまだ研究が進んでいませんが、「皮膚」は、この構造を「裏返した状態」と言えます。最近では殆ど見掛けないので「知らない!」という人も居るかも知れませんが、幼児に着せた「腹巻き」のような筒・帯状のものを、「血管や腸」と逆に「裏返した状態」であると言えます。つまり「善玉菌と悪玉菌の戦場」が何層かの構造の「皮膚」なのです。

実際、「腸内細菌叢」とは構成がかなり違うようですが、それでも重要な仕事をしている頼もしい善玉菌が存在します。

自称愛猫家さんでも、まさかの「シャンプー」をする人が少なくないようで、特に海外の愛猫家さんのYou-Tubeなどを見ると結構あります。しかし、猫の皮膚は、極めてデリケートで高度なバランスで保たれている考えられ、犬より頻繁に行う「毛づくろい」で、「腹巻きの表裏」の細菌を交換もしていると考えられます。獣医さんでも分かってらっしゃる方は「まだ殆ど解明されていない」とおっしゃります。

人間ももしかしたら数十年後には「入浴しない健康法」が声高に語られるかも知れません。少なくとも「バランスの崩れた部分だけの清拭、緊急時の全身浴に留める」などはあり得そうですが、やっと最近「保湿成分が洗い落とされる」と言われ始めた段階なのでしょうか。

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実際現代人の多くは
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昨今の日本を取り巻く国際情勢の中で、北朝鮮の脅威が高らかに語られていますが、私自身、例に挙げて語りたくもない話しですが、何らかの方法で、現代人にこれを伝えんとすれば、極めて似通った、共通の構造が見られるから致し方がありません。

私たちの「感覚的気分感情」は、柔軟にしなやかに・揺れ動くからこそ、例えば私が親子二代に渡って生業としてきた「音楽」などの芸術が生まれ求められるのですが、その領域に、「体の細胞や臓器の命運」や、「心と思考の命運」までを委ねてしまうことは、極めて危険なことなのです。

しかし、現代人の多くが、「美味しいからこれを良く食べる」を優先し、本当は体に不可欠なのに「苦手だから食べない」としてしまいます。言葉や音楽もしかりで、「耳に優しい・嬉しい言葉」「分かり易い音楽」ばかりを取込み、逆の必要・摂取が必須のものを拒否してしまいます。その結果、バランスが崩壊し、瀕死の重症になれば、その感覚・気分・感情の領域は一層ヒステリックになり、他者の言うことなどには耳を貸しません。

これとそっくりな国家単位の様子を北朝鮮に見ることが出来ます。首都以外では、特に農村などでは前世紀どころか中世の衣食住で、それさえも不足して喘いでいるというのに、官僚と軍部、その頂点に立つ独裁者が、ヒステリックになっている様子と何ら変わりありません。そこに何処かで「戦争をしたい・兵器の在庫を使い果たしたい・新たに売り込みたい」という人間が居たり、漁夫の利を得たいと思っていれば、どうなるでしょうか? 同様に、メンタル面でも、セラピスト、カウンセラーや専門医の中に、「本当に直して上げたい」と思っているのだろうか? 「麻薬患者や依存症」を慰めるばかりの人が少なくない、という構造さえそっくり似通っています。

逆に、(勿論これが本来ですが)健康体の体力と同様に、本来の意味での正しい「国力」が豊かであれば、そうそう攻め込もうという外敵も現れない筈です。

「江戸時代の鎖国」も、スペインの無敵艦隊、それを撃破した英艦隊の力をもってすれば、その時代(江戸幕府成立の十年前)に日本に侵略を仕掛けることも不可能ではなかったとも考えられます。諸説・諸解釈色々ありますが、戦国時代のような武家同士が果てしなく内紛・内戦を繰り返し、商業・農業がずたずたになる状況を終わらせ、国内産業の充実を計り。戦いが無くなった代わりに武家がアイデンティティーを求めて勉学に励んだ(識字率は当時の世界で抜群だったとも)ことなどに加え、秀吉のように隣国に攻め入るなどをしなかったことが、戦争(覇権争・「)の口実を与えなかったことなどが要因と考えても間違いではないのでは?

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何故、口から入る食物だけなのか?
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このように、生命体の心と体は、「必要なものを取込む」「不要なもの・弊害があるものを取込まない」為に、何層にも重ねた「層:Kosha」によって、外因由来のものを分別し活用しているのです。その形は、正に「筒」であり、その「管」は、無数とも思える様々なものがあり、それらを束ねたようなものが生命体とも考えられるのです。

もし、この「人間は無数の筒を束ねたものである」という考え方が浸透すれば、「滞らせることの危険」ということが、どれほど重みを持って来るか? ところが、現代でさえも、西洋医学では、「血流」について考えるばかりにとどまり。便通などは、一般サプリ販売者に遅れを取っています。「運気」「ナーディ」に関しては、東洋医学が数千年も前から説き、やっと最近日本でも関心を寄せる人が増えて来ました。ヨガの基本は言う迄もなく、「空気の出入り」と「気の流れ」です。

しかし、ヨガやアーユルヴェーダに専門的に関わる人でさえ、その多くが「言葉・文字・文章・音・音楽・画像・美術」に関して無頓着なばかりか、今世のあらゆる害のあるものに対しても追認主義的であるのは、何故なのでしょうか? 不思議でなりません。

そして、以前にもご説明し、前回も引用しました、二つの円のある図ですが、左が本来の意識と心の階層で、右が、現代人の階層の危険な状態を示しています。
明らかに「Vidya(叡智・知識)、Bhava(信心)、Pramana(洞察と納得)」などの語彙を含む「Vijnanamaya-Kosha (理知鞘)(ピンク色で示した領域)」の脆弱化・崩壊(青系化)が問題であることが明白になる筈です。

「枝葉=気分・感情(Manomaya-Koshaの領域/ブルーで示した)は、しなやかに大いに揺れるべきである」だからこそ、芸術・文学が意味を持ちます。しかし、「太枝と幹=論理的思考と叡智・知性(Vijnanamaya-Kosha)はブレるべきでは決して無い」のです。
「ブランコの土台が壊れかけている」状態では、楽しいブランコ乗りが出来ないのと同様に、Vijnanamaya-Koshaが脆弱で崩壊寸前の上に、正しく健康ではつらつとしたManomaya-Koshaは成り立たないのです。

では、この「Vijnanamaya-Kosha」を正しい状態戻し、「Vidya(叡智・知識)、Bhava(信心)、Pramana(洞察と納得)」の力を蘇らせ育むにはどうしたらよいのでしょうか?

それは、まず「思考法の改善」であり、「既存の思考癖の改良」であり、その為には、「その必要性を深く実感・納得すること」が不可欠です。
その上で、最も効果的で、即効的な手法が「歴史を楽しく学ぶ術」を身につけることです。

何故ならば、「続編」でより詳しくお話しますが、「Vijnanamaya-Kosha」の正常な機能に欠かせない論理性には、幾つかの象徴的テーマ(要素)がありますが、「三次元的思考感覚」が極めて重要で、現代人に最も欠けているのが「縦軸:時間(歴史)感覚」であるからです。

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113、クリシュナ神のラーガ(1)Raga:Bhupali(Mohanam)

ヴィシュヌ神の8番目(諸説有り)の化身(Avatara)と言われるクリシュナ神は、人間の子どもとして生まれたがためか、ヴィシュヌ派のみならず、ヒンドゥーの神々の中で、最も庶民的とされ、愛されています。

Raga:Bhupaliは、北インド古典音楽の旋法で、一般に南インド古典音楽の旋法:Raga:Mohana(m)とほぼ同一と言われています。Bhupaliの字義は「王」ですが、Mohana(m)は、クリシュナの「108の別名」のひとつです。

「108の別名」の実際は、クリシュナに特化したものだけですと60程度とも言えると同時に、地方の言語や徒名を加えれば108を優に越えるかも知れません。「キリの良い108」で打ち止めした辺りが、流石のヴェーダ関連の文化です。

ちなみに私は「仏教は、新解釈を加えたが、かなりにヴェーダを踏襲している」と考えます。しかし、あまりの難解さを更に複雑に難しくし、数千年の間にあちこちで現れた聖人が、難しくしたり、妙に大衆迎合したりで混乱しているという解釈です。

南インド古典音楽に登場する、一般用語やヴェーダ・ヒンドゥー関連共通語などの多くは、文化の中心がタミール語圏になって以降、末尾に(m)を付けることが極めて多くなりました。

そもそも北インドの言語習慣とサンスクリットは、アーリア系、即ち「インド・ヨーロッパ語属」の言語ですから、「母音が不要な場合が多い」という特性があります。

実際、旋法;ラーガも「Raga」とローマナイズしますが、本来「a」と「i」は長母音(のみである)なので、「ラーガと発音したいが為にRagaと綴る」のであるならば、「ラーガー」となってしまいます。実際は、「Rag」とナーガリーで綴られますから、「ラーグ」しかし「グ」は「gu」ではない。ということなのです。

同様に、サンスクリットの次元で「Mohana」は、本来「Mohan」なのです。北インドの「クリシュナ讃歌(献身歌):Bhajan」に登場する際は、「モーハン」と発音していますし、その語を名前に持つ人は音楽家にも少なくありません。

しかしタミール語は、ドラヴィダ系の言語なので、「Rag」を「Raga」と日本人のように言いたがり、すると「ラーガー」になってしまう(恐れもある)ので、「そうではないぞ」と「ムッ」と口をつむいだ結果、「ラーガム」と言うのが一般的になってしまったのです。
その結果、「ム」を取らないと、同じものであることがしばしば気付かないこともあって。(私だけか?) インド古典音楽を探求し始めた50年近く前からしばらくは、北インド古典声楽様式の「Pada」と、南インドの「Padam」が結び付いていませんでした。

これは、このコラムのVol.109 https://www.facebook.com/sitarama.jp/posts/1571344429620351 でご紹介した「Dhrupad←Dhurva-Pada」に関連します。つまり、同系の音楽は、若干変形しつつも南インドで生き残っているということです。ただ、実際のところ、舞踊の演目に登場する程度で、声楽音楽会では殆ど登場しないようですが。尤も、ここ数年のインドでは、昔の物を(いささか安直に)カバーすることが妙な流行ですから、最近はむしろ多いかも知れません。

「Mohan(na/nam)」は、「魅惑する者」という意味でクリシュナに付けられた「徒名/タイトル/敬称」のひとつですが、より詳しくは、同系の徒名の「Manohar(美しい/魅惑的/魅了される)」と関連付けると良いと思われます。勿論、関連させずとも「クリシュナ=魅惑的で良いじゃないか!」のご意見もありましょうが。
人間の子どもとして生まれ育ったクリシュナは、幼児期は「可愛さとウルトラさ」、少年期は「健気さと天真爛漫さ」、青年期は「魅力的と浮気者」、成人以降は「頼もしさと神々しさ」と変遷し、「Manohar」も「Mohan」も、青年期のイメージにより一層根ざしていると考えられます。

実際「Manohar」関連には、「Mur(a)li-Manohar」すなわち「笛の音で魅了する者」という徒名もあります。夜な夜なヴリンダーヴァンの森の中から、かすかに聴こえる笛の音に、娘たちのみならず、人妻まで落ち着かなくなり、真夜中に家を出て森に行ってしまうのです。

西洋風で喩えるならば、その「笛の音」は、シンデレラにしか聴こえず、まま母や意地悪な姉たちには聴こえないのです。我田引水ですが、「ほらそこ!」と指差しでも、オナガササキリ(小さなキリギリスの一種)の声も、「あっ!今確かに」と言っても、風に乗った母を求める迷い(捨てられ?)子猫の鳴き声も、同行者には聴こえないのに私には聴こえてしまう、という感覚からは、Gopi(乳搾りの娘たち)やRadha(と或る人妻、シータ姫の魂の憑移とも)の感覚がとても良く分かりす。

インドの音楽学者や音楽家が、通説で「MohanaとBhupaliは(ほぼ)同じだ」と言いますが、今回作図しましたもので、その辺りを検証してみたいと思います。

青で囲んだ三つの段の「上段」の「三つのグラフ(風)」は、上から「Raga:Bhupaliの音の動き(緑色)」「Raga:Deshkarの音の動き(ピンク)」「Raga:Mohanaの音の動き(黄色)」を示したものです。これは「必ずこのように動かねばならない」という訳でもなく、これを正しく活用し表現することで、そのラーガの「本質(Prakiriti)」が「出現(Avir–Bhav)」するという「特徴的フレイズ(Pakad)」です。なので、異なる三つのRagaの異なるPakadを弾いてしまっても「終了!」となるほどの過ちではありませんが、かなりマズい場合もあります。そもそもそのよ・、な次元では、「ラーガ音楽になっていない」とも言えます。

Raga:Deshkarは、北インドのラーガで、Bhupaliが「Kalyan-That(音階群のひとつ)」に分類され、主音が「G(ミ)」であるのに対し、Deshkarは「Bilawal-That」で主音は「D(ラ)」ですから、Pakadを間違えては話しにならないとも言えます。

青で囲んだ三つの段の「中段」の「二つ組の2種のグラフ(風)」上は、「Raga:Deshkarの音の動き(ピンク)」と「Raga:Bhupaliの音の動き(緑色)」を重ねたもので、下が「Raga:Mohanaの音の動き(黄色)」と「Raga:Bhupaliの音の動き(緑色)」を重ねたものです。

いずれも「似ているじゃないか!」とお感じになるのは当然で、意図的に「似たモチーフ(動機/目的)」のフレイズを揃えてあります。実際は、それぞれのラーガに於いて、これらのモチーフが、この順に登場(演奏/展開)しないことでもラーガが同定(確定)するか否かが決まる、というところもミソです。

DeshkarとBhupaliは、直ぐに分かるのが、音の高さがズレていることです。これは主音が「ラとミ」の四度差がありますからそれが如実に現れているということです。
また、より顕著に分かるのが、Bhupaliに多い「ジグザグ音(広義のVakra)」がDeshkarでは、「さほどでもない」ことです。狭義のVakra-Swarは、以前にもお話しましたが、「必ずそう動く=垣根にぶち辺り、一歩引いて助走を付けて飛び越える」というものですが、ここでの「広義のVakra」は、単なる「ジグザグに動くことによって、別な目的を果たすというものです。

MohanaとBhupaliの場合は、冒頭のフレイズなどは、全く一致しています。音の動きは、「6:4」で「Bhupaliと共通するがDeshkarにも似る」と言えます。BhupaliよりもMohanaが高い音域で展開しているのは、この差は五度なので、これは前述のような「主音の違い」ではなく、「展開音域(Tessitura)」の異なりです。北インドの理論では「ラーガが異なる」とされてもおかしくないかも知れませんが、完璧に一致する、該当北インド・ラーガは無いようです。

結論を言えば、「Raga:BhupaliとRaga:Mohanaは、ほぼ同じである」というよりは、「六割方共通する」という程度かも知れません。

しかし、あくまでもこれは「レベルの高いPrakiritiのAvir-Bhav」ですから、実際、日本の唱歌「赤とんぼ」や「海」(私がラーガの説明に良く引用する、同じ音階:四七抜調だが全く異なる音の動き)とも共通する「明るい五音音階」を軽んじて、気楽に演奏する人がインドでも多いので、実際「ほぼ同じ」になってしまってはいます。

写真は、Sita-Ramaさんで通販している、クリシュナ神・Gopalaのヤントラ
https://sitarama.jp/?pid=39205961
色々効能がありますが、恐らくご自身の心のバランスを保ってくれるのでしょう。
何しろクリシュナは、山を指一本で持ち上げる他、ブランコ(Swing)が大好き。つまり、感情は大いに自由に揺れ動いても、心は「ブレない」力を活性してくれるに違いありません。

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112、16世紀の楽聖Tan Senの流派(1)

当連載Vol.44でご紹介した北インド中世イスラム宮廷音楽の頂点に君臨したMiyan Tan Sen(Muhammad Ata Ali Khan)とその一族は、第二次大戦後の共和制によって宮廷そのものが終焉する迄、北インド・ムガール帝国の宮廷楽師最高峰の流派として在り続けました。

ミヤン(偉大な)・ターン(旋律)・セン(主)は、皇帝より賜ったタイトル(称号のような)ですが、一族は略して「Seni派(Gharana)」と俗称されます。

しかし実際ムガール帝国自体が最後迄常に北インドで最強のイスラム帝国であった訳でもなければ、歴代皇帝が常に音楽の強力なパトロンであった訳でもないのです。
にも関わらず、Seni一族は、今日現在に至る迄インド音楽史に於いて不動の名誉を保っており、各地に散った一族の後継者は、いずれの土地でも宮廷楽師の頂点に君臨しました。また、18世紀から19世紀に掛けて生まれた、今日私たちが聴くことが出来る北インド古典音楽のほぼ全てのスタイルと流派がSeni派との繋がりをステイタスにしており、実際のSeni一族の後継者は、Muhammad Dabir Khan(1905~1972)とその息子(演奏活動をしていたか?現在のところ不詳です)を最後に途絶えながらも、現行の流派は皆「Seni派の亜流」ということも出来ます。

その音楽的な実態は、かなりの基礎知識が無いと理解が難しいと思われますので、今回は、そのような特別な地位にあった一族に生まれた、各時代の音楽家の様子がイメージ出来るような俯瞰的全体像の総論をお話ししたいと思います。

ターン・センが、インド全土をほぼ統一した著名な皇帝:アクバルの宮廷楽師長になったのは、自身が60歳を過ぎ、アクバルが20歳の頃でした。勿論これには諸説あると共に、かなりいい加減な記述が今日でさえも見られます。

それにしてもインドと中国の現地音楽学者と、音楽史や学理を語る時の音楽家・演奏家の知識の幼稚さと、新たな文献を読まず、昔学んだことを信じ込んでいる杜撰さには呆れを通り越して憤りさえ憶えます。と言うのも、かれこれ47年に及ぶ私のインド音楽探求の歴史の中で、それらの情報に何度翻弄されたことか!

と言いつつ、

「情報の価値など殆ど皆無で、大切なものは、その背景の文化の流れと社会性、そして人間模様であり、情報の多さや貴重さではなく、それを読み取る力である」

と痛感の中で教えてくれたのもまたそれらの偽情報ですから、感謝せねばなりません。

ただ、「餅は餅屋」的に、「インドのことはインド人に訊くのが良い」とばかりの日本人研究者に対しては、文献至上主義に対する憤りも手伝って未だに擁護の気持ちが湧いて来ません。「餅は餅屋」と言われれば返したくなります。「調査対象の家の玄関ベルを押す間抜けな興信所調査員も居ないだろう」と。

新たな情報でも出てはいまいか?と検索してみれば、どれもこれも相変わらず。これが文献至上主義の最たる欠点で、新たな文献が発掘されない限り、テーマを掘り下げたり探求しようと言う者が現れないのです。ターン・センの生没年に関しても、相変わらず十年もずれる諸説が散乱していました。デリー宮廷登官に至る逸話もしかり。
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さて、ターン・センは、40歳の年齢差ですから当然アクバルの治世中に没し(1586)、アクバルによって偉大な芸術家として改めて讃えられ、荘厳な廟が起てられました。従って、ターン・センの息子たちによって大きく二つに別れたSeni派は、まずアクバルの宮廷楽師となり、引き続いて第四代皇帝:ジャハンギール(在位:1605~1627)の宮廷楽師となる訳です。

Seni派二大流派とは、後妻の子Bilas Khanの「Rababiya派」と、ターン・セン自身の師のひとりで、Kshangarh-DhrupadのKhandar-Vaniの家元Vina奏者:Raja Samokhan Singhの孫:Yuvraj Saheb Misri Singhに娘:Hussaini Khanを嫁がせた結果の「Vinkar派」のふたつです。

先妻の三人の息子も卓越した音楽家だった筈で、中にはTan-Tarang(多彩に並ぶ変奏)のタイトルを持つ名手も居たのですが、三兄弟とも一代でほぼ途絶えたがために、多くの弟子たちも二大流派の流れに組み込まれてしまったようです。

Misri Singhは、「ムスリマを娶るならば、改宗せよ」のイスラムの掟に従い改宗し、Naubat Khanとなります。一説には、婚礼に伴ってターン・セン側から「数百の作品」がダウリー(持参金)としてNaubat Khanに与えられたと言います。従ってDhrupad-Khandar-Vaniは、ターン・セン創始のGaurhar-Vaniとこの時点で習合したということです。「Gauhar」は、ターン・センがRamtanu Pandey(Tanna Misra)という名のヒンドゥー教徒だった時代「Goudiya-Brahman(Vishnu派)」に属していたことからの流派名です。

アクバル大帝の息子:第四代皇帝:ジャハンギールは、即位当初から、病弱にも拘らず、ムスリム禁忌の酒に溺れるなど、無茶と失敗が多い人で、アフガン貴族の妃:ヌール・ジャハーンを略奪し、その父親を宰相に据えれば実権を奪われ、晩年の王位継承争いでは幽閉もされています。

不思議と、偉大な人間の二代目に、このような悲運な物語が多いのは、世界的な傾向のようです。しかし、皇帝が政治的に無力であって、放蕩三昧に過ごした御陰で、ターン・センの息子Tan-TarangとBilas Khanは、宮廷楽師の頂点で豊かな人生を送ったと言われます。

在位一年の第五代皇帝の後、その兄で、ヌール・ジャハーンの姪婿の第六代皇帝:シャー・ジャハーン(在位:1628~1658)は、彼の有名なタージ・マハルを、ペルシア人宰相の娘であった先立った妃:アルジュマンド・バノ・ベーガムの為に建てた他、巨大なデリー城、未だに亜大陸最大のモスクであるジャーマ・マスジッドを建てるなど、ムガール王朝全盛期の富を使い放題使いました。

シャー・ジャハーン即位までの王権争いの熾烈さは、その昔のヒンドゥー二大叙事詩やオスマン・トルコ宮廷史に勝る複雑な物語で、インドでも何度も映画になっています。朝鮮・李王朝の物語が、何度も日本語吹き替えで放送されているのですから、インド版やトルコ版もひとつくらいは何時か出来ても良いのではないでしょうか。
去年、宝塚までが取り上げた「Om Shanti Om」が話題になりましたが、どうでも良いストーリーではなく、是非歴史物語で御願いしたいところです。尤も、喜怒哀楽度に、何処からともなく、舞踊団が現れる「踊るマハラジャ」系ではストーリーは二の次かも知れませんが、インドにはけっこう優れたストーリーの映画もあります。(ました、か?)

ムガール王朝史に輝く放蕩皇帝で、王権争いでは実の兄を殺すほどの人物シャー・ジャハーンは、パキスタンのラホールにも同国最大のモスク:シャー・ジャハーン・マスジッドを建てた他、UP州にも都市国家的なシャー・ジャハーン・プールも築きました。私が内弟子として属するサロードのシャー・ジャハーン・プール派も、彼の皇帝の御陰で育まれたという訳です。
おそらく読者の皆さんの多くがご存知だと思いますが、シャー・ジャハーンは、タージマハル建築の為に、相当数のタイル職人をペルシアから呼び寄せ、完成後に殆どを処刑したと言われます。「同じものを他の者に建てさせない」為に。

シャー・ジャハーンは、アクバルに劣らず、文芸対しても湯水のように財宝を使った皇帝でしたから、ターン・センの孫、Lal Khan(Vinkar)も、かなり裕福な生涯を送った筈です。流石に三代目辺りに、音楽の世界でも駄目な家元が現れることが多いので、実力のほどは分かりませんが、Lal Khanは、シャー・ジャハーンより「Guna-e-Samander(海の美)のタイトル(Laqab)を賜りました。 音楽に「海」が登場するのは、その昔、Lal Khanの祖父(ターン・セン)が、皇帝の曾祖父(アクバル)に、音楽を海に例えた逸話からのことと思われます。Lal Khan没後は、息・qのNazir(Khushal)Khanに、皇帝承認の下、タイトルは受け継がれました。

Naubat Khanの息子であるLal Khanの母親は、Rababiya創始者Bilas Khanの娘で、この婚姻よって、Rababiya派とVinkar派また、新たに習合したということなり、ターン・センに学んだNaubat Khanの頃から、二大流派の音楽は、基本的に同一ということになり、「専門楽器が異なるだけ」とも言えます。

しかし、シャー・ジャハーン没後の第七代皇帝:アウラングゼーブ(在位:1658~1707)の時代は、インド宮廷古典音楽と、Seni派にとって、第一回目の「暗黒の時代」となりました。
(つづく)

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