146、アーユルヴェーダ音楽療法入門8(瞑想と音楽療法1)

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瞑想の意味・目的
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インド・スピリチュアルグッズ専門店の「シーターラーマ」さんのファンの方の中では、「瞑想に興味関心がある」どころか、何年も実践されて来た方が少なくないと思われます。

そのような方々には周知のことですが、「瞑想」と言ってもそのスタイル(方法)には幾つかのものがあります。

総論で分類すれば、現代の「瞑想」の多くは、20世紀後半にインドや欧米のYogiたちが苦心して「如何に現代人の意識を覆っている観念と自我を取り除くか?」と試行錯誤の末に辿り着いた方法論が主であると言うことが出来ます。

一方、中世インドでは、YogiやSwami(出家者/解脱者とする人もいますが)が、出家者ならではの「瞑想法とその究極の領域」も探求しました。

が、それは在家(今世に社会人として生きる私たち)には、果たして「有益」なのでしょうか? 実際「実存・自我の喪失=存在の抹消」の危険さえもあります。詳しくは、次回ご説明します。
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Vol.143でも紹介した、今回の図は、まず、図の右側が、本来人間が持って生まれた「意識と心の構造」です。

勿論科学的な証明派不可能ですが、世界中で古来から同じことが言われています。

アジア諸国では日本語の「気分感情~思考~心~魂」の順に奥深いと考えられ、欧米諸国では英語の「Heart~Mind~Spirit~Soul」の順に奥深いと考えられています。

概念としては確定していないがため。時代や説く者によって解釈は巧妙に替えられてしまいますが。

「魂の叫び」などが最上級の深みであることや、「心に響いた」などが、日常的ではない深い意味合いを持って語られることもまた、世界中に共通しています。
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また、「魂」に関しては、「輪廻転生」を信じないアブラハム系3教と東洋思想・哲学では解釈が全くことなりますが、西洋でもキリスト教の浸透(以外に東欧北欧の一部などは数世紀も遅れていたらしい)以前には輪廻転生を信じる宗教もありました。

「輪廻転生」を信じる場合、或る意味「魂は神からの預りもの」である訳ですから、「精神~心」の領域の外側近くでぶらぶら浮遊している筈もありませんし、頻繁に「魂の叫び」が聴こえる様でも困ります。

そして、現代人の多くが「感じた/思った/考えた」が混乱・混同していることから、気分・感情が内面奥深くにある筈も無ければ、論理的思考が外側の筈もないのです。

このようにして、ひとりひとりの人間の中の精神世界の構造は、自ずと図のような配置になるのです。

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古代インドの叡智:VedaとTantraでは、「配置図:Yantra」こそは明確に示されていない(残っていないだけかも)にしても、その名称「Ahamkara~Vidya~Chaitaniya~Prakriti」とその順番(価値)は明確に説かれていました。尤も、後世様々な宗派が異なる解釈を説いてもいますが。

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現代人の瞑想の問題と限界
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問題は、現代人の多くが何故、「感じた/思った/考えた」を混乱・混同しているのか?
ということです。

それは、外的要因(外因)に反応して生じる「気分・感情」に、「思考領域」が破壊され、「心の領域」迄もが浸食されているからに他なりません。

左図の「浅葱色(あさぎ色/薄い青と薄い緑が混ざったような)」の「気分・感情」に「思考領域」が完全に支配され、「心の領域」迄もが、「青色化」している状態です。

昔から言われる「心が荒む」の状態でもあります。
また近年良く言われるのが「心が折れる・折れそう」は、「心を守る城壁=論理思考」が欠如しているからに他なりません。
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逆に、「心が強い」は、昔の人の場合、論理性を自覚せずとも、確固たる伝統的な観念とリンクした信念や理念がありましたから、「心が強い」は「意志の強さ」であり、「志」を持っていたという意味です。

つまり「心が強い・弱い」は今も昔も語彙の誤用です。

「心は弱くデリケートで当たり前(正しい=健康)」な筈です。

従って「伝統的な観念/理念/信念」を持ちにくい現代人は、「論理思考力」を失えば、当然のように所謂「心が弱い(折れ易い)」のですが、

解決方法は「心が強くなる」ことではないのです。
それこそ「心が荒んでしまう」に違いありません。

不思議なことに、左図のような状態の人の多くに「青系の色が好き」「空を眺めると落ち着く」という傾向が強く現れます。

これは、現代人に限ったことではなく、あくまでも「現代はそのような人が急増している」という意味です。

60年代のフォークソングで、一説には小学校の音楽の教科書にも取り上げられたこともあると言われる「遠い世界に」など、あの当時の歌には「空に憧れる」というテーマが多く歌われました。

社会の行く末が不明瞭な上に、団塊の世代は人が多く就職難。学園紛争で社会を変えるという夢も潰えていた時代で、今日に似ているとも言えます。(今日の就職問題は質が違いますが、先行き不透明は同じでしょう)

しかし、逆に言えば、そもそも「気分・感情」は、外因に反応して当たり前でもあります。

むしろ「枝葉は雨・風・陽射しを受けて自由自在に揺れたなびいてしかるべき」だからです。

その変わり「太枝と幹はブレてはならない」筈ですが、ここが現代人の大きな弱点であり、考え落ちであり、問題点です。当然「大地に根を張る」など望めようもありません。

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(文章:若林 忠宏

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145、アーユルヴェーダ音楽療法入門7(意識と音楽療法4)

現代人の深刻な思考性・思考力
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まず始めにひとつめの図、四つの円図で示した「心と体の四種のタイプ」について説明します。

図の右上は、先天的な障害の場合を除いて(※)おそらくほぼ全ての人間が「生まれながらにして持って居る意識~心の構造」です。それに対して左上は、現代人の極めて多くの人々が陥っている状態を示しています。

図の右下は、かつて「高機能自閉症」と呼ばれた分類の代表的なもののひとつ「アスペルガー症候群」の構造です。左下は、同様にかつて「低機能自閉症」と呼ばれた、先天的に知能(思考)障害がある場合の構造です。

まず、この図の根拠を説明します。

左下の「低機能自閉症」の場合、先天的な機能障害で思考力が極めて脆弱です。

左上の「多くの現代人の構造」と似ていますが、左上の場合、「外的要因に反応して気分・感情」が発現するため、一見して「社会との関係性を持っている」即ち「社会性・コミュニケーションは問題ない」とされるのに対し、

左下は、「心と感情の領域と境目が不明瞭」で、その不明瞭な領域から「感情」が発現するため、ほぼ殆ど外因と無関係(勿論、喜怒哀楽の反応はむしろ強くあるでしょうが)であるので「コミュニケーションが取れない、社会性が欠如」とされます。

これに対して「高機能自閉症(アスペルガーなど)」の場合、思考領域は、基本的に「心」に支配されています。ですが、機能が失われていない場合が多いので、療法と指導によって活性化し得ます。

基本では緑色の矢印のように「内発的」に込み上げるものが感情を支配しますから左下図と同様に「コミュニケーションが取れない、社会性が欠如」とされます。

右上の「本来の構造」では、「魂と心」を「論理的思考力」が城壁のように取り囲み守っていますので、純性(Sattva)が保たれます。

思考領域の外側の「気分・感情領域」は、内発の想いも思考の許可を得て発現し得ますし、外因にも自在に反応します。

故に「芸術・文学の創造」も可能ですし、鑑賞による感動も自由自在です。

勿論、人の悪意の行為や、悪意の無い残酷な言葉に傷つくこともあります。が、「論理的思考」によって、「無毒化」されたり「解毒」されます。

そもそも「心と体」は、基本的に同じ様な機能を持って居るのです。

「論理的思考」は、極めてニュートラルで不偏的ですから、正しく「体の恒常性」に一致します。言い換えれば、この「論理的思考」は、感情と心を恒常的にバランスを取っており、それが「守る」の意味合いです。

そして、今日の人間に極めて多い左上図ですが、「論理的思考」が欠落しているという意味では、下段の「精神障害・意識障害・発達障害・人格障害」と殆ど変わらないのです。しかし、前述しましたように、「外因反応」の御陰で「社会性に問題無し」とされるがため「病気ではない」とされているに過ぎません。

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「感じた」「思った」「考えた」の区別をしない人々
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右上図に書かれた英語の名称は、何方も良くご存知と思いますが、日本よりも先に英語圏で既に曖昧になって来ていたことが分かります。
そもそも西洋先進国でさえも、「Soul/Spirit/Mind/Heartの論理的分別(概念)」は存在しないのです。

それでも欧米諸国の昔の人々や日本の昔の人々は「感じた/考えた/思った/想った」を区別して用いていました。しかし、左上図のような現代人の多くが、この区別が出来ません。これこそがこの図の正しさを明確に証明しています。

「感じた/考えた/思った/想ったを区別出来ない」どころか、「感じたを思ったと言いたがる」「思ったを考えたと言いたがる」という無意識の自己美化もこの数十年横行しています。

かと思えば、最近知って愕然としたのですが、まるで「居直った」かのように、全てを「感じた」と(或る意味正直、正しく)表現する人が増えて来たことです。

この左上図のような構造は、様々な問題を内在しています。

赤い矢印の外因の刺戟にくたびれてしまい、「自分の考え」が自覚出来ないことは勿論ですが、「自分の心」さえも分からなくなってしまう。「自分を見失っている」ことに気付いてしまうという問題です。

また、それに疲弊すると、「心と体」は、自然に自己防衛に取り組みます。その結果が「無気力症候群(アパシーなど)」や「鬱病」です。

同様に、左上図の構造の人が、殺人・傷害事件、我が子の虐待、DVなどの事件を起こすことも、構造上極めて自然で容易なことなのです。つまり、「感じた/考えた/思った/想った」を区別出来ない人はほぼ全て、「何時でも犯罪者になり得る」訳です。

それを防いでいるのは「親の教養の御陰の善悪観念」と「刑罰に対する恐怖」でしかないのです。

しかし、この「観念」も極めて危ういものです。
事実「飲酒運転」が減らないのは、外因=雰囲気に呑込まれ「自分に限って事故らないだろう」というような感覚に支配されてしまえば、最早歯止めはありません。

とりわけ「悪気が無かった=悪くない」という観念の人は、自覚しない間に、極めて恐ろしいことをしていることも少なくありません。

便宜上「現代人」としましたが、実際はかなり昔から左上図の人間は多かったのかも知れません。

外からの情報に左右され、反応して「気分・感情」が形成され、またそれに支配される。その結果が戦争中、殆ど全ての人が「鬼畜米英」「欲しがりません勝つ迄は」などのスローガンを心底思い込んで、従わない人が居ればご近所は勿論、親族迄憲兵に密告したり出来たのです。

元々日本人は、欧米人、インド、アフリカ人などと比べると「大勢に流され易い」傾向があったのかも知れません。

その根拠が分かり易く現れているのが「オーケストラ」が有るか否か?です。

欧米には優秀な西洋クラッシック・オーケストラがあることは言う迄もありませんが、同じ欧米系でもラテン諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル)は比較的少なく、世界のトップは、ベルリン・フィル、ウイーン・フィルなどです。アフリカやインドでは殆ど聞きませんが、日本は欧米に迫る程です。

それでも1980年代頃までは、欧米では「自分の意見を言えない人間」は軽蔑されていました。

音楽鑑賞や映画鑑賞の後、日本人お得意の「良かった」「感動した」で済ませることは欧米では「意見」とは認められなかったのです。

「何処かどう、何故良かったのか?」とある程度論理的に語れない人間は、「流される・ブレる人間」として信用さえされなかったのです。

ところが、1980年代以降、欧米も急速に日本的に変化しています。日本製製品の普及やアニメの流行でしょうか?

恐らく今や欧米でも「Heart/Mind/Spirit/Soul」の区別が曖昧な人が増えて来ているのでしょう。

しかし、西洋で最も先進的な文明を誇る国々で「Heart/Mind/Spirit/Soul」という語彙がkろうじてであろうとも今日にも存在し、東洋で最も物質文明が先進した日本でも「感情(感じた)/思考(思った~考えた)/心(想った)/魂(得も言われぬ感覚)」という語彙がかつては普通に存在した以上、人間の「心の領域(残念ながら全体を指す語彙は無い)」は、体の構造と同じように多様で複雑であることを知っていた筈です。

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意識や心にも臓器のような領域と役割がある
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今回のもうひとつの図の縦に二種書かれた「人間の臓器などの器官と心の器官」の図について説明します。

図の左側は、医学・解剖学的に周知の「主な臓器や幾つかの経絡」を現したものです。右は、前述したように「心の領域も同様な筈」に基づいた(現代ではまだ誰も説いていない)「気分感情・思考・心・魂の構造と役割」を現したものです。

恐らく現代人の多くが、「不純物毒物が多いのに『甘くて美味しい』とか『皆が食べている評判が良い』『手軽で便利』などと言って偏った食事をしている」が為に、中央辺りに描いた緑色の消化器がかなり疲弊していると考えられます。

同時に、体では「消化吸収代謝と中和無毒化解毒」を司る「肝臓」に相当する思考(脳機能の或る部分)「論理・分析・消化(理解と納得)」の領域と、それを活性化させる「酵素のような応用力(及び推論力、洞察力)」が全く弱体化していることは明らかです。

また腎臓に相当する領域は「不要物のDetox」ではなく、「有益か無益かを正しく選別・判断出来る『真贋見極め』の力と機能」である筈ですが、「耳に優しい=良い話し/耳が痛い=嫌な(悪い)話し」としてしまったり、よろずに「安直で短絡的で表層的なもの=簡潔で分かり易い」「多くの人が『いいね!』をしている=良い話」のような選択眼では、「腎臓に相当する機能」も全く機能していないと考えられます。

そして、近年「西洋化学医療」の従事者されも見直しつつある「腸内環境」は、「第二の脳」とさえいう専門家も現れていますが、実際「健康な腸壁」は、「悪玉菌や毒素、不純物を吸収しない為の幾層ものバリアーがある」のです。

精神面に於けるそれは、正しく「情報を論理的に整理整頓し分析し「論理領域(思考の肝臓のような領域)」に運ぶ重要な機能領域である筈です。しかし、この領域は、真っ先に「偽の良薬(耳に優しく癒される短絡安直なもの)」で痛めつけられている筈です。

最も分かり易い根拠の例として、
「良薬口に苦し」という言葉や「嫌いなもののでも体の為に食べるべき」や「偏食をせずに様々な栄養素を摂るべき」を、「言葉、文字、文章、音楽などの芸術、娯楽」にも偏り無くより正しく行っているでしょうか? を考えてみて下さい。

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144、アーユルヴェーダ音楽療法入門6(意識と音楽療法3)

「断捨離」や「Detox」流行の問題点
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人間でも猫でも、「良質の食物を摂り」「悪玉菌を減らす」ことが出来れば、便の量は激減します。それが健康のバロメーターでもあります。無論、便秘は何度も毒素を再吸収させ腎臓、肝臓に負担を与えますから言う迄もありません。ところが、この十年二十年、「自然派」を自認する人々の間で「断捨離」や「Detox」が異常な流行です。

体にも心にも、より良質の物を摂り入れるようにするだけでなく、それを享受し消化吸収・代謝する自らの体と心の機能を正常化させる努力を怠り、不必要に「排泄物(断捨離やDetoxを含む)」を増やし、それらの行き先を考えない。そんな身勝手な人間が増える一方では、排泄物、ゴミが自然界に溢れ、やがては「より良質のもの」を得ることさえ難しくなることは明らかです。
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生き物には、その生き物に相応しい「テリトリー」があります。

実のところ、安心で快適であれば、猫などは段ボール箱程度の環境で良く、むしろ落ち着ければずっとそこに居たりします。

昆虫飼育に熱中していた時期っもありますが、賢いクワガタは、
10cmX20cm程度の容器で、充分に安心して健康で居られます。

(正確には、その賢さは「心身ともに健全である」ということで、その「健全さ」は、実は優秀ということではなく、生まれ持った「Defaultの状態」が保たれているに過ぎませんが)、

彼らの自然界での住処が如何に「大樹」であろうと、その「うろ」の大きさなどは飼育容器よりも小さいかも知れません。猫もクワガタも、何らかの必要があって移動したり、気分転換をする時に、ケージや容器から出られれば満足なのです。

人間も同様で、恐らく落ち着いた書斎などは、デスク回りに三畳もあれば充分。

逆に、私が1980年に初渡印した時のデリーのインペリアル・ホテルのトイレが三畳以上もあって、逆に落ち着かず生涯最初で(恐らく最後の)便秘気味になったことがあります。

また、福岡では、窓を開けると遮るビルが一棟しかなく、山を遠望出来ますが、吉祥寺時代は、窓を開けるとほんの1m以下の先に隣のアパートの灰色の壁がありました。確かに、その環境ではおかしくなるのも当然です。

しかし、私が生まれ育った1950年代後半(昭和30年代)はまだ、23区の杉並でさえ近所の雑木林にはクワガタが居て、護岸工事をしていない善福寺川には鮒やザリガニがいました。

生家は借地が広かったですが、近所の家は大体50坪前後で、人間の排泄物は「汲み取り屋さん」が回って回収し肥やしにして畑で活用していました。

ビニールやプラスティックの包装物も殆どありませんでしたから、「生ゴミ」は庭に穴を掘って埋めれば土に還りました。

すなわち、四五人家族でしたら、30坪~50坪の家・土地があれば、充分快適な暮らしであるだけでなく、排泄物もゴミも殆ど「土に還せる」筈だったのです。

ところが、高度成長期の錯覚の中、余計な包装物や使い捨ての消費が台頭し「土に還らないゴミ」が大量に出るようになり、トイレは下水道が完備されました。

これらは「時代の変化」ではなく、明らかに何らかのクレイジーなシステムの暴走です。

確かに水洗トイレは大変ありがたく、衛生上も画期的な改善なのでしょう。しかし石油由来のプラスティックやビニールなどは、今頃になって地球環境を深刻に汚染していることが言われ始めています。

「少子化」が問われる以前から、地方の「過疎化」は言われていました。
何らかの狂った価値観によって、地方都市・都会や大都会に集中し、一方に過疎地を作りながら、他方では川を埋め立て山を削ったのです。

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昭和30年代、四、五人家族ならば、50坪の家土地があれば「自然に戻せない排泄物やゴミ」は殆ど生じなかった。

その状態を今の時代に復元することは不可能なのでしょう。

だからと言って、「摂り込むもの・買い込む物を吟味する」「摂り込み消化吸収する力(食物のみならず、情報や文化芸術も含め)を正常に戻す」「排泄物やゴミを減らす」ということを考えず、実行せずに、

目先の自分の都合の良い・居心地の良さばかりに執着していれば、社会や環境はどんどん悪くなる。私たちひとりひとりは、決して被害者ではなく、むしろ加害者の筈です。

勿論、昔の人々も「水に流す」という常套句があるように、「川や海に捨ててしまえば良い」と考えていたと思います。

しかし、近現代は「自然に還元されない素材が多く用いられている」
「その素材を用いたものを消費・使い捨てることが異常に無駄に多い」
「そもそも社会と人間の価値観が消費文化・消費社会で『当たり前』になってしまっている」

「社会全体のことや環境全体、地球全体のことを考えずに『ゴミは決められた日に出せば許される』としか考えない」などという、

昔では考えられないクレイジーなことが「普通」になっています。

この「地球~社会~個々の人間の狂った意識と行為」を「個々の人間の体と心」に置き換えてみて下さい。共通するテーマは「宿主(環境)のことを考えずに効率の悪い代謝(老廃物が多い)のみならず、毒素まで放出しても『断捨離/Detox=普通の行為』として顧みず、自らの居心地さえ良ければ良いという意識」です。
これは、人間の体内では「悪玉菌と癌細胞」がしていることに他なりません。

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143、アーユルヴェーダ音楽療法入門5(意識と音楽療法2)

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社会(人間集団)の問題点は、個々の人間の心と体の状態に符合する
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社会の状態は、不思議なことに、個々の人間の「心と体の状態」を見事に反映しています。それはまた、「転写している」とも言うことが出来ます。

実はこれは、「不思議」でもなんでもなく、それが道理なのです。

アーユルヴェーダでも中医・漢方弁証論治、指圧、鍼灸でも、人間の「心と体全体の様子」は、耳や足の裏(Reflexology)や口腔(ある程度は舌にも)に見事に現れていると説きます。

そのように、あらゆる物事は、一見何の関連もなさそうな何らかの側面や断面に見事に現れていることがあるのです。

ましてや社会は個々の人間の集合体であり、個々の人間は社会の最小単位(部品)です。関連性がない訳がありません。

しかし、殆どの国民は、社会のクレイジーさや本末転倒な状態や出来事を見ても、それが「自分自身の心と体の狂い」に原因があるとは考えません。

むしろ逆で「自分こそは善良な一市民に過ぎない」「むしろ社会の狂いの被害者だ」としか考えません。

それどころか、自分自身(や限られた周囲の人間=家族など)さえが「健康で長生き」であれば良いというような利己主義がまかり通ります。

しかもそれらの殆どが「心と体」ではなく、「体の健康=良質で安全な食物や水」ばかりと言うのですから、そもそもここにも「クレイジー」が存在します。

「集団の構成員」が、「自分さえ良ければ良い」と考えた時、その「集団」は愚か「環境」までが狂うという、子どもでも分かることが分からないのです。

そして、「環境」や「社会」にクレームを着けて「生き辛い、苦しい」と不平不満ばかり。それで「心」が健全である筈もありません。

個々の人間の「心(正確には思考が先ず狂い、感情・感覚に支配され、心は発言力を奪われ萎縮するのですが)」が狂えば、社会も狂い、それによってまた、個々の人間の「精神性」は悪化し、急速に悪循環を作り出します。

東日本大震災直後から数ヶ月は「助け合い」の風潮が広がりましたが、日本全体で見れば、「自己防衛人間の塊(集団)」に変貌するのに半年も掛かりませんでした。

しかし、TVなどのマスコミが被災地の窮状や他地域の人々の支援を伝えない日はありませんでした。つまり、情報では依然「助け合い」を謳っているにも拘らず、個々の人間は一様に(シンクロニシティー)「自分守り」に転じていたのです。

集団の大勢がある方向に収束して猛進するためには、文字や言葉の情報や煽動が無くても、まるでテレパシーが通じたかのように動き出すことがあるのです。

言い換えれば「個々の人間が変われば社会も変わる」ということでもあり、むしろそれしか即効的で効果的な方法はないのかも知れません。

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142、アーユルヴェーダ音楽療法入門4(意識と音楽療法1)

現代の音楽療法に立ちはだかる大きな壁
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現代人に対する「音楽療法」に「効きにくい」という問題が生じた場合、それは「西洋音楽の理論と楽器を用いているから」の原因に加えて、「現代人が音楽に麻痺している」原因が考えられます。

尤も、現行の「音楽療法」のように「癒せば良い」「リラックスさせれば良い」「楽しませれば良い」のレベルならば、「効いたようだ」で充分なのかも知れませんが、本来のアーユルヴェーダ音楽療法では、「循環器では血圧調整(高血圧を下げるだけでなく、低血圧をも正常にする)」「呼吸器では肺炎・インフルエンザ」「消化器では下痢・便秘」「神経系では頭痛・偏頭痛・リウマチ」さえも治療していたのですからそれが「効かない」場合には、もっと高いレベルの検証が必要になります。

勿論、施術者(音楽療法を施す側)の「音楽の深み」、多くの場合「短絡的で表層的」である、と言う問題も極めて多く見られますが。
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しかし、実際のところ、これらの原因に加えて、最も大きな要因なのが、「被施術者(クライアント)の意識・思考性・感性の問題」が挙げられます。
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ピラミッド図は、「理想的な人間(哺乳類はだいたい同じです)の機能の在り方とバランス」を示しています。

ピラミッドの下に行けば行く程、重要であるとともに基本的で、構成する細胞や組織が多数で複雑になっています。最も上の頂点にある「通常意識」は、ただひたすらに「健全であれば良い」という程度の存在です。

ところが、現代人は、この「通常意識」が「健全でない」がために、ピラミッドの全ての要素のバランスを壊してしまうのです。
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理想的な心と体の状態は、ピラミッド型
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このことは、ピラミッドを「国家」に喩えると子どもでも直ぐに理解出来ます。

一番底辺の緑色の部分は、国土の「豊かな自然」であり、それを守りながらも享受する「農業、漁業、林業」などの産業に当てはまります。

二番目の茶色(オレンジ色)の部分は、「自然から得た素材」と、それによる「製造業」です。三番目のピンクの部分は、それを全国にバランス良く網羅させるための最低限の「インフラ設備」と「運送業」「情報関連業」と言えます。

頂点の直ぐ下の水色の部分は、それらを全てバランス良く、効率良く取り仕切る「行政・官僚、警察、消防、社会福祉、医療」などの組織であり、これらがしっかりしていれば、頂点の「為政者」は、実際「お飾り」でも良いのです。
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ところが、今日の日本の場合はどうでしょうか?

「仮に政治や行政が理想的でも、どの道今の人口はこの国土の資源では賄えない筈だ」という意見や統計もありますが、それ以上に農業も漁業も烈しく衰退しています。

尤も、所謂「食糧自給率」では、全ての事実や実力を知ることは出来ません。自然環境によって「理想的な自給率」は国・地域によって異なるからです。

恐らく日本の場合は、理想的な状態でも60%を越えることはないのでしょう。
しかし、今日の30%程度やそれ以下(統計にはカラクリがあるので良く分かりませんが)は明らかに異常であり、個々の人間に置き換えれば、明らかに「病的」です。

また、二番目の「製造業」も、古代~中世のように、「材木や石を積み上げて道や家を建てる」のではなく、山を削りセメントを用い、石油・石炭を掘り起こして燃やすことを始めた段階で、その悲惨な末路は見えていました。

今日に至っては、自然豊かな地域の海底でさえ、微細なプラスティックの欠片で汚染されていると言います。

しかもこの「製造業」は、「次々に売る為に『壊れるように』作ってあり『使い捨て』を促している」のですから、クレイジーの極みです。

これは世界に先立って日本がその風潮を作りました。

例えば、「無骨だが何十年も仕えるテレフンケンのラジカセ」は、「おしゃれなソニー」に負けてしまい、ソニーに倣うことで生き残るしかない価値観を日本人が作ってしまったのです。ほぼあらゆる商品や業種に於いて。

ピンクの「インフラと輸送業」もクレイジーの極みです。

1970年代までは、国鉄は終電以降、長い貨物車を走らせていましたが、激減し、大型トラックに取って替わられました。
ネット通販が主流になってからは、そのクレイジーさは倍増しています。

官僚や行政、命を預かる医療、消防、警察、そして教育に於ける狂った意識の人間が起こす事件や事故も1980年代から増加の一途です。

このピラミッドを組織単位に見た時の組織(企業など)の上層部の腐敗、組織ぐるみの不正も年々増加し、質が悪くなっています。

そもそも「目先の利己」が最も重要な関心事であり、価値であるような人が「公僕」でしかるべき仕事が出来る筈もありませんが、人間は、ピラミッドの上に存在してしまうと、「位が上」と勘違いしてしまう愚かな生き物なのです。

頂点の「政策の最高決定権」が首相だと言うならば、過去数十年、誰に変わっても「悪くなったとしても良くはならない=同じことの繰り返し」である事実からして、良くも悪くも、やはり「お飾り」に過ぎないのかも知れません。
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独裁権力者のようなAhamkaraで良いのか?
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かつてのナチス・ドイツや今日の北朝鮮のような「独裁国家」の場合はどうでしょうか?

1920年代では、まだ世界中で農業、漁業従事者が圧倒的多数で、国内自給率もその後と比べれば遥かに高い水準でした。

しかし、ナチスが台頭して近隣祖国に次々に侵攻する頃には軍事費が膨大になり、働き手も兵隊に取られます。北朝鮮もしかりです。

すると見た目は理想的なピラミッドと同じですが、お金は愚か、食用さえもピラミッドの中下方に行き渡らないのです。

この状態を人間の「心と体のピラミッド」に当てはめると、
「通常意識(Ahamkara)」が、「国民と国土と国力(軍事力などでは全くなく)=体全体」のことを充分に顧みず「砂糖で甘いもの、刺戟の強いもの、ファスト・フード、化学添加物」や、それに相当する「言葉、音楽」を無作為に摂り込んでしまえば、
「心と体」は、「摂り込まれた毒性」に対応するので精一杯となります。

肝臓などは、無毒化と解毒にほとんど力を費やしてしまいますし、腎臓はその後始末に疲弊します。

臓器や細胞には充分な営養が行き届かず、血管壁には汚れが溜まり、血液も濁り、優良細菌が減り悪玉菌が増え、更に毒素を出すという、極めて深刻な悪循環が出来あがります。

そうなってからDetoxに躍起になっても手遅れか、良くて「気休め・自己満足」に過ぎません。「癒し」もしかり、そのような状態では「癒されている場合」ではないのです。

しかし、今日、極めて多くの人々の「通常意識」は、このような独裁国の最高権力者状態なのです。

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141、アーユルヴェーダ音楽療法入門3(音楽療法とは?3)

「音楽療法」が説かれ始めたのが1970年代で、西洋医学界でも代替医療に於いて「音楽療法」の価値と効果を認める論文が出始めたのが2010年代と述べました。
しかし、
「音楽療法」は、紀元前数千年も前から存在するのです。と言うよりも、そもそも「音楽は療法のためだった」のですから、人類が音楽を発見・創作した時点が「音楽療法」の始まりとも言えるのです。
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太古の音楽療法
地域によっても異なり、当然学者によっても異なりますが、世界中で普遍的に「信心~宗教」というものは、「アニミズム~シャーマニズム~宗教」という順に発展、変化して来たことは紛れも無い事実です。

それぞれを簡単に説明します。

「アニミズム(精霊信仰、物皆神が宿る~天体や大気、大地、山や河、そして天候も神)」という意識は、まだ人間が「宇宙の波動」を良く受け止められていた段階の信仰と言えます。

そして、最も重要な点は、この段階では、人間ひとりひとりの内面に信仰があり、それは他者と合致させる必要もなく、つまり教義も神殿も不要の状態でも、皆が一様に万物に神を感じていた、ということです。

それが「シャーマニズム」に取って替わられるようになったのは、或る意味人間の集団が人間に「安全と安心」を与えた段階に到達したからと言えます。

それまでの人間たちは、或る意味「日々簡単に、あっけなく死んでいた」のです。
獣に喰われるやら、毒蛇に咬まれるやら、転んで怪我をして感染して死ぬやら、です。

言い換えれば、常に「死」が身近にあれば、さしてそれを恐れることもなく、ごくごく普通の感覚で、むしろ「死んで当たり前」と思ったかも知れませんし、獣に喰われることも、食物連鎖の中でごく自然なことだったに違いないのです。

ところが人間が集団を形成し、夜獣に教われないように「松明」を炊き、見張り番を起くようになると、圧倒的に「死亡率」が下がります。

すると人間は「死を恐れるようになる」のです。戦いの場合の死は、また別な意味合いを持ちましたので、「恐るべき死」の殆どが「病気」です。

精神病の類いは、域ながらにして人間性を失ってしまった「意識の死」のように考えられていた形跡が世界に散見出来ます。

この段階でこそ、「特殊な人間=シャーマン」が存在し得る訳です。

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「シャーマン」は、一般に「呪術師」的に理解されますが、「医者」であると同時に、「霊媒者」でもあり、同じ力を権力者が悪用すれば「呪術/呪い」という使われ方もします。
この時に「音楽」が生じたのです。
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尤も私は、拙著「スローミュージックで行こう(岩波書店)」で、「太古人間には二種
あり、それは『森の人』と『火の人』であった」と説きました。

「シャーマン」が現れたのは後者の集団であり、前者の人々は、依然「死を当然と考え恐れず」「闇も夜も恐れず」森に住み続けて居たのです。

ごく近年まで世界の幾つかの地域にはそのような「裸族」と呼ばれる人々が住んでいました。

彼らは前述の「シャーマンの音楽」とは全く異なる音楽を奏でていました。

それは「鳥や昆虫の鳴き声の真似」から発したもので、鳥や昆虫同様に、人間同士の「求愛」などで奏でられました。

当然、発展して「心を和ませる(癒すとは基本的に次元が異なります)」「先祖や万物の神に語る」などもあったことでしょう。
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「シャーマンとその音楽」は、後に集団が社会に発展した頃まで続きます。近年でも世界の幾つかの地域には「シャーマンの伝統」が残っていました。

しかし、ある時期を境に、世界中でシンクロニシティー的に、多くの場所で「宗教」が生まれます。するとシャーマンは、弾圧されたり、上手いこと生延びて「新宗教の神官」になりました。

ちなみに「シャーマン」は、基本的にその特殊な能力を「門外不出の秘技」として、世襲のみに継承すると共に、一般人との交わりを厳しく避けました。ここにも「身分階級、差別~苛め」の原点が見られます。
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シャーマンの秘技と伝統、そして音楽が「宗教」に取り入れられる段階で、社会はかなり発展し、殆どの場合、宗教は「社会の維持=権力者による統治」に利用されます。そして、その頃になると人間が「最も恐れる敵」は、最早獣や闇ではなく、「敵対する人間」となっていました。

必然的に「戦い」が頻発し、音楽は「戦士を鼓舞する」という目的で、ドラッグと共に活用されました。

私は、都下吉祥寺で1978年から99年までの20年間、日本で最初の民族音楽と民族料理のライブスポットを運営していましたが、90年代に南太平洋物産の輸入行者と取引をして「生の椰子の実」をインド式にストローを差してお客さんに出していました。

開店当時は、まだ中央線沿線に「ルーを使わないカレーを出す店」が他に二件位しかなかった時代です。

或る時、その南太平洋物産会社から黒檀(正確には南洋の堅木)の見事な彫りのスプーンと、或る樹木の根から得る「Kava」の粉末を勧められました。

「カヴァ」は、後に言うところの「合法ドラッグ」でした。
お客さんに提供することは勿論、自分もクセになったら「歯が溶けるらしい」と聞いていたので、お断りしました。が、スプーンは一瞬「サラダに使ったら面白そう」と思いましたが、本来の用途を聞いて止めました。

それは、戦争で倒した隣の部族の勇者の「脳味噌の刺し身」を食べるための特別なものだったからです。

「勇者であること」と「死の直前に体中を回る或る種のホルモン」を摂り込むことで、食したものも勇者になれると考えられていたのですが、かなり真実だと思います。古代後期からインドの僧侶が菜食になった理由もそこにもあります。

戦争で死を恐れず、日常では耐えられない様な傷の痛みにも負けずに闘い続ける為に、そのような成分を食べ、ドラッグを用い、そして「軍楽」を奏で、舞って船上に駆り出して行ったのです。その意味では「軍楽」も、或る種の「音楽療法」だったと言えます。
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このように「音楽」は、目的によってその質を替えながらも、いずれも「薬」として用いられていたのです。(前述の「森の人の音楽」は別として)

しかし、その時代、一般庶民の回りには、日常音楽は殆ど存在しません。

勿論、「鼻歌」を歌うことはあったかも知れませんし、「労働歌」もあったかも知れませんが、禁じた社会もあれば、音楽に対して「畏怖の念」を抱いた地域や民族もあれば、「卑しい」と考えた場合もあり、いずれにしても近現代のような「楽しみ目的」「誰もが事由に」ではなかったことは世界中で普遍的なようです。

逆に言えば、そのような時代だからこそ「音楽が薬になり得る」ということでもあり、現代では、「音楽を薬にする為には、かなりの理論と被施術者の受け入れ態勢が求められる」ということでもあります。

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140、アーユルヴェーダ音楽療法入門2(音楽療法とは?2)

音楽療法の問題点
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「音楽療法」は、古くは1970年前後から唱えられ始め、2010年には医学界でも認める人々が現れ始めましたが、今現在も尚、エビデンスが充分に得られていないところに、「真贋入り交じった」状況になっていることもあって、その価値が充分に示されていません。
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そもそも現行の「音楽療法」には、極めて大きな問題点(欠陥と言っても良い)があります。

それは「西洋音楽一辺倒の価値観」と、それによる「西洋音楽を基本に行うことの本末転倒」を第一に挙げることが出来ます。

その一方で、音楽療法士が民族打楽器を用いたり、音叉やSinging Bowlなどを用いることも、「体の医学」に於ける「代替医療」や、不勉強の「中医・漢方生薬の起用」と同様の本質的な問題があります。

そもそも民族音楽を理解出来ていない人が民族楽器を用いることを経口薬に置き換えるならば、中医・漢方生薬を「弁証論治」を理解せずに投与していることと全く同じです。

東洋医学では、「症状が同じ」でも、「証」が異なれば全く逆の処方になりますから、「薬が毒に転じる」こともかなり在り得るのです。

実際、アフリカ太鼓や打楽器によって、クライアント(被施術者/ペイシェント)を過度に興奮させるだけだったり、音叉やSinging Bowl、ハープなどの金属音や長い波長、可聴範囲を越る為に弊害が分かりにくい周波数などによって、脳機能の活性が大きく偏ることも懸念されます。

巷に溢れる「サプリメント」と同様に、そもそも全く考え方が異なる東洋医学・医療の産物を、相変わらずの「局所対処療法」的にしか活用出来ないことも大問題です。

そして、「癒されました」という「クライアントの感想(認識)からだけのモニター」で、「療法」が出来たと考える恐ろしい風潮も蔓延しています。

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このような問題点の中で、最も基本的な元凶は、西洋音楽による療法です。
その理由は、ちゃんと説明すれば小学生でも分かる簡単なことです。

西洋音楽と西洋楽器は、一言で言えば「誰が弾いても同じような美しい音が出ること」が基本にあります。言わば「全体主義(結束主義)音楽」です。

私はこれを「小学校の朝礼や運動会の行進のようだ」と喩えます。

一方の非西洋音楽(アジア、アフリカ、古い北米中南米、太平洋の音楽)の場合、
その素材の自然度と工法によって、「同じ製作者が同時期に作っても音が異なる」のが当たり前で、むしろそれを「良し」としています。

西洋歌唱法のコルラトゥールなどの「喉を不自然に作った無個性の声」は、
「全体主義(結束主義)音楽」の合唱では、極めて重要な不可欠の技法ですが、

非西洋諸国では、「地声が最も美しい」とされ、
「人それぞれで異なる声」は、人それぞれが「神から貰ったもの」という考えです。

私はこの様相を「小学校の昼休みの校庭の様子」と喩えます。

縄飛びをする子たち、鬼ごっこ、缶蹴り、サッカーの練習などなど。
「勝手に自由に」のようで、それぞれのグループの中では「遊びをつまらなくさせないためのルール」が厳しく守られ、異なるグループ間でもルールは厳しく問われます。

この話しが理解出来る人は
「大人と子どものどっちがルールを守りますか?」という問いに、
正しく「子ども!」と答えられる人でしょう。

大人は、内心では「ルールなんて知ったことか!」とか「守らないと批判されるから」と極めて自意識過剰な感覚で捕らえています。
「自分のルール」をやたらに堅持する人も居ますが「社会的ルール・対人ルール」を「自分のルール」に出来ている人は極めて希です。「相手次第」で瞬時に変わる人ばかりです。

一方子どもは、「守らないと遊びがダレる、だらしなくなる、
気持ちが荒れる=遊びがつまらなくなる」から、真面目に守ろうとします。

このことが分からないのに、「民族音楽」や「民族楽器」を「楽しみ・癒しのためだけに」好き勝手に用いる人ももの凄く増えました。現地で学んだとしても
「技」だけでは「仏作って魂入れず」に過ぎません。

そもそも「民族音楽(風)」だったり「民族楽器の起用」であっても、精神性が西洋式であったならば、それは「だらしなく乱れた行進」のようなものかも知れません。
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そもそも「音楽療法」をしようとする人の殆どが「音楽を子どもの頃から習っていた」とか「音楽が好き」という人ばかりです。

私は、三四歳の頃からピアノ教師だった母に強要されましたが、意識では「頑張ろう」としているのですが、腹痛や蕁麻疹などが現れ(心因性ですが)親を諦めさせました。

一族で西洋音楽が出来ない唯一の存在です。
(母が生徒さんに教えるのを『門前の小僧』で聴いて育ちましたが)

「小学校の音楽の時間」は、まず九割廊下に立たされていました。
六年間同じだったあの先生は、後に私が民族音楽の第一人者として紹介されたり、「題名のない音楽会」でオーケストラと共演をした姿を見て下さったならば、さぞや驚いたことでしょう。
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尤も、近年民族音楽を演る人の多くは、西洋音楽の基礎が無い人も多いことでしょう。そのような風潮や、「お気楽・楽しみのためだけ」の風潮を作ったのは、都下吉祥寺で20年日本初の民族音楽ライブスポットをやっていた「お前にも大きな責任・罪がある」と言われれば、反論は出来ません。

「小手先の基本」を終えた段階(入門~初級)で、「そろそろ心や魂の学びだ」という頃に殆どその意味も価値も理解出来ずに止めてしまう人ばかりだったから。
という言い訳もあります。今頃になって、「先に心」「自分との向い合い」を説いていた方が良かったのだろう、と思っても手遅れでしょうが。
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「西洋音楽で療法すること」の大きな音楽理論上の問題のひとつに、「平均率」があります。これはかなり深刻な問題です。

また、そもそも前述のように、西洋音楽は、「社会性の極み」と言っても過言ではありません。しかし、クライアントの多く、例えば幼児の場合、「多動性」「注意欠陥」「アスペルガー」などの自閉系。青少年の場合「無気力」「感情制御の問題」。青年の場合「アパシー」「鬱」、中高年の場合の「認知症」などはいずれも、「社会性の問題」「社会力の低下」と言えます。

先天的な機能障害を除いて、様々な要因から、当人の「心(意識より深いところの)」が、「社会性」を拒否し、抵抗しているのです。

幼少期の私が「意識では母の期待に応えよう」としているのに、「腹痛」や「蕁麻疹」が出るのは、「心の悲鳴」とも言えます。

今日でこそ、それを理解しようという風潮(むしろ過剰になっていますが)も見られますが、当時はすべて「根性問題」とされて来ましたから、母が「親子だから甘えるのだろう」と雇った音大生の家庭教師には、「竹の物差し」でビシビシ手を叩かれました。

普段は上品で優し気なべっぴんさんでしたが、彼女もそうやって学んで来たのです。そんな時代です。

「社会性の極みの音楽」で、「社会性・社会力が弱まったクライアイント」に療法が出来る筈もありません。

逆に言えば、症状によって、そして、療法の進展によって、(もし社会性の取得が目的ならば)西洋楽器の音や西洋音楽を起用することは、むしろ賢明とも言えますが。

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139、アーユルヴェーダ音楽療法入門1(音楽療法とは?1)

音楽療法とは何か?
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「音楽療法」というジャンルが語られるようになったのは、1990年代に入ってからで、医学界の一部で関心を抱く人々が増え始めたきっかけは「代替医療」の先駆者であるバリー・キャシレス(Barrie R.Cassileth)がその著書で語ったことだと言われます。

2010年代のことですから、医学界に於ける理解はまだまだ乏しいと言わざるを得ません。しかもキャシレスの著述では、音楽療法は、あくまでも「補完療法」であり、治療効果は無いが、(従来の西洋医学式の)治療やリハビリの効果を高めることが期待出来る、程度の認識のようです。甚だ残念なことです。
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一方、キャシレスの40余年も前の1973年には、米コロラド大学教授のドロシー・レタラック(Dorothy Retallack)が、その著書で音楽による植物の育成度の違いを説きました。

なんと、彼女は植物に「バッハ」「ビートルズ」「インド音楽」を聴かせ、その発育の違いを実験によって明らかにしたのです。

1973年と言えば、私がインド音楽修行を始めた翌年で、その後二三年の間におそらくレタラックの書と思われるものを洋書屋で見た記憶があります。

しかし当時の私は「何を今更西洋人の学者があれこれ言うまでもないことじゃないか」と真面目に読もうともせず購入しませんでした。

1990年代に本気で「音楽療法」に取り組み始めてから、
「あの本は今にしてみれば貴重な資料だ」と探したのですが見つかりません。
多分レタラック女史のものと思うのですが、

同書の写真では、「土から上の枝葉の様子」でしたが、
高校生の時に見た写真は、ガラス張りの実験装置で「土の下の根の伸び具合」を示していました。

「バッハ」を聴かせた場合は「普通の伸び方かやや良い成長率」で、「ビートルズ」は、普通以下にしか生育せず。「インド音楽」では、驚異的な成長を写真は示していました。

もしその写真がレタラックのものではないこと、本当の著書が何であるか?をご存知の方がいらっしゃったら、是非お教え下さいませ。
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しかし、レタラックの実験は、それから40年以上も経って、やはり2010年代に数多くの植物学者から徹底的に批判されるに至ります。

まず「実験データとして対象が少な過ぎる」に始まり、「そもそも彼女がロック嫌いな恣意が加わり過ぎている」というのです。

しかし、今日も同じですが、誹謗・中傷・批判・非難する人は、「自分が得意とする点のみから突いて、全否定する」ものです。

写真を見ても確かにレタラック女史は昔堅気の気難しいキャリアウーマンに見え、「ロック嫌いなのかも」と思えますが、「インド音楽では良く成長した」とするならば、決して「西洋クラッシック音楽至上主義者」ではない訳です。

しかし、2010年代に、例えばテルアビブ大教授のダニエル・チャモヴィッツ(Daniel Chamovitz)などの研究によれば、「植物は聴覚が皆無」なのだそうで、レタラック女史の研究が全て虚実ではないとしても、「音楽を聴いた」ということではなく、「或る域の周波数」が生育に関係していることはある程度確証的となったようです。

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過小評価される音楽療法
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このように、西洋精神医学の世界では、今だに「音楽療法」は、極めて過小評価されているのが実状なのです。
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私は、2007年に福岡に自宅を移してからも三年間、月二回東京に通って、自分の教室の他に、「東京国際音楽療法学院」で即興演奏の授業を務めました。

学院では、通学生の他に、VTRで全国の通信生が学び、通信生も年に一二回東京での研修があり、直接お教えすることが出来ました。

学院は、1990年代に画期的な指導を始め、音楽療法士を育てて来たのですが、学会はその当時から推進派と慎重派に分裂しており、前者が「今の世の中に絶対必要な分野だ」と説くのに対し後者は、「まだまだエビデンスが不十分」と説いていたのです。

その結果、学会も実は二系統になってしまい、それがまとまらない為に「国家資格」が確立せず、一方の学会の資格試験はある程度信用と権威がありますが、世の中の不理解と、2000年代中頃からの介護保険制度の改悪、リハビリ予算の大巾な削減もあって、「音楽療法士」が現場で正しく評価され、充分な報酬が受けられる状態にはなかなかなっていないのが実状です。
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ところがその一方で、「認定制度」が整っていないが為に、自分で勝手に「音楽療法士」を名乗る人物も少なくないことも問題です。
尤も、そのような根拠の無い人々は、この私も「同類だ」と平然と言いますが。

つまり「音楽療法」の実状は、「(非西洋化学薬品の)生薬」と同じく「医療効果」ではなく「サプリメント」としてしか認知されていないのです。

逆に言えば、サプリ=健康食品として認められるけれど、「医療効果・効能」は謳ってはならない(法律違反)ということになってしまうのです。そのため「玉石混淆」どころか「真贋ごちゃまぜ」の状態を招いているのも実状です。 (つづく)

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138、インド音楽の楽しみ方(11)北インドの準古典叙情詩ガザルの形式

前回Vol.137でご説明しました中世~宮廷終焉までのインド花柳界の二大歌謡のひとつ「Thumri」について述べました。今回は、他方の「Ghazal」ですが、共通項の同じ文章もここに記します。図も共通です。
………………………………………………………………………………………………..
図は、上段がトゥムリの構成で、下段がアラブ・ペルシア様式の叙情詩ガザルの構成です。この二種はいずれも中世インド花柳界で発展した準古典音楽叙情歌ですが、厳密には以下のように分別されます。

トゥムリ
1)主にヒンドゥー教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
ムスリマ(イスラム教徒の女子)の芸姑でも歌う者は居る。
ガザルを歌うヒンドゥー系の芸姑は少なかったと思われるが例外もある。
宮廷文化が終焉した1945年以降は、芸術音楽として宗派階級は問わない。
2)主にヒンドゥー教の神々の物語を、平凡な人間の恋愛叙事詩に見立てて歌う。
イスラム支配下でヒンドゥーイズムを継承する為の策だったとも言われる。
同じ芸姑の舞踊では、全体はペルシア風胡旋舞だが、手首より先のムドラで
ヒンドゥー寺院デーヴァダースィの伝統を継承したとも言われる。
3)基本的に軽いラーガ(旋法)、および混合ラーガを用い、更にしばしば
ラーガに無い音を臨時に加えたりする。
4)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。
5)歌詞は、主題の一二行しかなく、同じ歌詞や、その部分の単語を様々な旋律で
歌う即興歌謡「Neraval」が本領である。

ガザル
1)アラブで生まれペルシアで育った後、インドでインド音楽とも習合して完成した
ペルシア・シルクロード・アラブ・トルコ・北アフリカにもあるが、各地で
各地の伝統音楽のスタイルで歌われる。
2)二行連句で、冒頭の連句が「主題:結論的な内容」で、その後の展開部で
物語の内容を深めて行く。各二行目に韻が踏まれる。
この構造は、中世ヒンドゥー献身歌バジャンに影響を与えた。
3)各展開部の後は主題に戻るが、その度に伴奏楽器は盛り上がる。
序唱歌手が居る場合、主題に戻ると序唱者の合唱が加わる。これはヒンドゥー
讃歌キールターンに影響を与えた。
4)主にイスラム教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
恐らく必須ではないが、大概この種の芸姑はトゥムリ系歌謡も歌う。
5)花柳界の他、富豪の邸宅などで歌う近似の歌唱様式もある。
6)主題はほぼ定型通り歌われるが、展開部は即興の余地が多い。
トゥムリのようなNeravalも含むが多くなく、比較すれば遥かに短い。
7)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。

大雑把に説明するとことようになります。もうお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、見落としがちな重要な点は、元々は両者の音楽カーストは同じだった、ということです。それが10世紀に以降イスラム支配下に於かれた都市で、一方は生き残るためにイスラムに改宗し、一方は、やはり生き残る選択肢として改宗しなかった、ということです。
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トゥムリ歌手の場合、当然のイスラム教徒の客が多い店で歌い踊りますが、ヒンドゥー娘であることの価値がある訳です。逆にムスリマ歌手は、イスラム教徒富豪の邸宅にも出張出来るという事情です。

また古典音楽にとって重要なポイントが二つあります。ひとつは、中世以降この花柳界の音楽文化が古典音楽に大きな影響を与えていたということです。実際弦楽器シタール、太鼓:タブラ、弓奏楽器:サーランギ、そしてカヤール声楽様式などはずべて、この花柳界で生まれたものです。勿論、宮廷古典音楽の末端に加えられ(次第に出世し宮廷文化の最後の時代には主流にまで登り詰める)た後、科学音楽に根差す古い伝統古典音楽の要素も加味されました。

その一方で、もうひとつのポイントは、花柳界の歌姫・舞姫と男兄弟のタブラ、サーランギー奏者たちは、宮廷楽師の貴重な定収入源のお弟子であったことです。宮廷で上位に位置すれば、給料も充分な上に、名演奏を記す度に、聴衆からの「おひねり」や王からの「褒美」が出たりしますが、中下級ですと、給料ではやっとの生活になります。

(以上前回と共通事項)
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ガザルの構成は、トゥムリより遥かに複雑ですが、極めて規則的なので、分かり易い聴き易いと言えます。

まず、歌詞は二行連句で、同時代に発展したヒンドゥー讃歌キールターンや献身歌バジャンにも影響を与えています。

主題と展開部は、いずれも二行連句が「上の句・下の句」の二つの構成になっており、まとめて「バイト」と呼ばれます。冒頭の「主題のバイト」と「最後のバイト」は、特別にそれぞれ「マトゥラー」「マクター」と呼ばれ、マクターは大概四番か、それ以上の場合でも演奏会や録音では割愛して四番に持って来て終わることが多く見られます。

マクターには、作者の名前を雅号のように入れ込むことが風習で、これもヒンドゥー献身歌バジャンどころか、南インド古典声楽のクリティーにも伝わっています。ガザルではこの雅号は「タハッルス」と呼ばれます。

従って、作詞家の名と詩は紛れも無く正確に継承されているということです。しかし、旋律やラーガ、そしてガザルにも多い臨時音は、花柳界での口承伝承に頼る他なく、変化している部分もあるかも知れません。楽器間奏に関しては、伝承と主題の旋律を基に、録音の度に編曲者が作曲しているようです。
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ヒンドゥスタン・ガザルの最大の特徴が、繰り返され主題に戻る毎に次第に盛り上がることです。

図のガザルの一行目では、最初の間奏「サズ(ペルイシア語で「楽器」の意味)は、同じ中庸のテンポのタブラ伴奏で演奏されますが、はじめの展開部の後に初めて戻った主題では、後半にタブラの「ラギー」に替わります。タブラのラギーは、倍速~四倍速で叩きますが、オリジナルのテンポとノリはキープされています。これが最後に主題に戻る時には、戻った頃からラギーに替わって、歌い手は相変わらず淡々と歌うのに対し、伴奏は非常に熱く盛り上げているのです。この構造は、トゥムリと同じです。(トゥムリでは後半にまとめて行いますが)

図の一行目の後半、主題に戻った途中からタブラだけラギーになるのは、実は歌い手ははじめの連句しか歌わないからです。残る下の句は楽器伴奏だけとなります。
そして、間奏は、展開部の二回目の後の戻り以降、撥弦楽器はピッキングを二倍四倍速で弾き、弓奏楽器は運弓を倍にして盛り上げます。
が、次の展開部の直前で、全員「ストン!」と冒頭と同じテンポ・躍動感に戻すのです。

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この手法には、「歌詞を聴き入ること」と「歌詞を理解すること」というガザルの最も重要な基本があります。
まず、何度も聴いたことがある曲(詩)でも、聴衆のみならず伴奏者、歌い手さえもが「初めて」の気分・気持ちで聴き・歌うのです。
これは、ペルシア語やウルドゥー語の詩「シェール」の即興の会の風習から来ているのかも知れません。日本の和歌や川柳の会のように集った愛好者は、車座になり、一人一人皆で決めたテーマで順にその場で即興詩を詠うのです。

単なる詩会と異なる点は、次々隣に回すことと、いささか勝負・腕比べ的であることです。考えている時間は、「しりとり」に近いほど少ないスリリングなものです。日本でも江戸時代に流行った「連歌」があります。

ガザルもトゥムリも、その場その場で即興的に歌うことが主流であったと考えられ、伴奏者もはじめの主題も各展開部も「その時初めて聴いた」という設定です。
従って、伴奏が盛り上がる・派手に弾くことはあり得ないのです。
ところが主題に戻った際は、話しは変わり、二度目に聴く文言ですから、反応せねばならず、ラギーで盛り上げることで反応を示すのです。

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また昔から私は、このガザルを説明する時に「ペッパー警部型」と言って来ましたが、分かり易かろうと思った例えですが、ぼちぼち数年前から、「ペッパー警部って歌を知らない」という人が増えて来て困っています。あの時代ですと、老若男女同じ曲を引き合いに出しても話しが通じましたが、この二十年、皆に通じる曲がないからです。

「ペッパー警部型」の冒頭の歌詞を要約すれば、「ペッパー警部邪魔をするな!私たちはこれから良いところなのだ!」というものですが、「初めて聴いた設定」では、「ペッパー警部って誰?」「私たちって誰?」「良いところって何?」となる訳です。

同様に、パキスタンの「ガザルの帝王」と呼ばれた歌手の名曲では、「もし、恋愛に哲学というものがあるのなら。教えてやって欲しいものだ女性達に」という主題があります。ペッパー警部同様に、これだけでは全く意味が分かりません。なので、展開部でその「理由、事情」を語り、聴衆もそれを聴こうとする訳です。

従って、展開部の直前では伴奏のラギーを止め、聴き入る態勢に切り替えるのです。

逆に主題に再び戻った際は、それが繰り返される度に、
「おお!なるほどね!おっしゃる(主題の)意味が分かって来ましたぞ!」のリアクションの意味を込めてラギーを展開するのです。

このラギーで聴衆も盛り上がるとともに「分かった気分」も充実します。そして、恐らくこのタイミングが「おひねり」の絶好のタイミングとなるのです。

絵のジャケットのLPは、ミルザガリブの作品を歌った往年のガザル歌手のコンピレイション。
写真はパキスタン・カラチで幸運にもインタヴューが出来た「ガザルの帝王」の一人、グーラム・アリ氏と

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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是非ご参考にして下さいませ。

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Vedic Chant入門講座(基本理解編)

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(文章:若林 忠宏

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137、インド音楽の楽しみ方(10)北インドの準古典叙情歌トゥムリの形式

この連載で、古典音楽にしばしば関わる「花柳界の音楽」と述べて来ている音楽の代表的なものが「花柳界の歌姫の叙情詩:Thumri」です。
図は、上段がトゥムリの構成で、下段がアラブ・ペルシア様式の叙情詩ガザルの構成です。この二種はいずれも中世インド花柳界で発展した準古典音楽叙情歌ですが、厳密には以下のように分別されます。

トゥムリ
1)主にヒンドゥー教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
ムスリマ(イスラム教徒の女子)の芸姑でも歌う者は居る。
ガザルを歌うヒンドゥー系の芸姑は少なかったと思われるが例外もある。
宮廷文化が終焉した1945年以降は、芸術音楽として宗派階級は問わない。
2)主にヒンドゥー教の神々の物語を、平凡な人間の恋愛叙事詩に見立てて歌う。
イスラム支配下でヒンドゥーイズムを継承する為の策だったとも言われる。
同じ芸姑の舞踊では、全体はペルシア風胡旋舞だが、手首より先のムドラで
ヒンドゥー寺院デーヴァダースィの伝統を継承したとも言われる。
3)基本的に軽いラーガ(旋法)、および混合ラーガを用い、更にしばしば
ラーガに無い音を臨時に加えたりする。
4)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。
5)歌詞は、主題の一二行しかなく、同じ歌詞や、その部分の単語を様々な旋律で
歌う即興歌謡「Neraval」が本領である。

ガザル
1)アラブで生まれペルシアで育った後、インドでインド音楽とも習合して完成した
ペルシア・シルクロード・アラブ・トルコ・北アフリカにもあるが、各地で
各地の伝統音楽のスタイルで歌われる。
2)二行連句で、冒頭の連句が「主題:結論的な内容」で、その後の展開部で
物語の内容を深めて行く。各二行目に韻が踏まれる。
この構造は、中世ヒンドゥー献身歌バジャンに影響を与えた。
3)各展開部の後は主題に戻るが、その度に伴奏楽器は盛り上がる。
序唱歌手が居る場合、主題に戻ると序唱者の合唱が加わる。これはヒンドゥー
讃歌キールターンに影響を与えた。
4)主にイスラム教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
恐らく必須ではないが、大概この種の芸姑はトゥムリ系歌謡も歌う。
5)花柳界の他、富豪の邸宅などで歌う近似の歌唱様式もある。
6)主題はほぼ定型通り歌われるが、展開部は即興の余地が多い。
トゥムリのようなNeravalも含むが多くなく、比較すれば遥かに短い。
7)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。
………………………………………………………………………………………………..

大雑把に説明するとことようになります。もうお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、見落としがちな重要な点は、元々は両者の音楽カーストは同じだった、ということです。それが10世紀に以降イスラム支配下に於かれた都市で、一方は生き残るためにイスラムに改宗し、一方は、やはり生き残る選択肢として改宗しなかった、ということです。

トゥムリ歌手の場合、当然のイスラム教徒の客が多い店で歌い踊りますが、ヒンドゥー娘であることの価値がある訳です。逆にムスリマ歌手は、イスラム教徒富豪の邸宅にも出張出来るという事情です。

また古典音楽にとって重要なポイントが二つあります。ひとつは、中世以降この花柳界の音楽文化が古典音楽に大きな影響を与えていたということです。実際弦楽器シタール、太鼓:タブラ、弓奏楽器:サーランギ、そしてカヤール声楽様式などは全て、この花柳界で生まれたものです。勿論、宮廷古典音楽の末端に加えられ(次第に出世し宮廷文化の最後の時代には主流にまで登り詰める)た後、科学音楽に根差す古い伝統古典音楽の要素も加味されました。

その一方で、もうひとつのポイントは、花柳界の歌姫・舞姫と男兄弟のタブラ、サーランギー奏者たちは、宮廷楽師の貴重な定収入源のお弟子であったことです。宮廷で上位に位置すれば、給料も充分な上に、名演奏を記す度に、聴衆からの「おひねり」や王からの「褒美」が出たりしますが、中下級ですと、給料ではやっとの生活になります。そんな時、趣味で倣う庶民ではなく、根気良く熱心で長く続くお弟子の存在は掛け替えの無いものだったのです。
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「おひねり」は、日本の花柳界でも良く知られた風習です。
今日でも「全てに都合良くなんて、あれもこれもで価値が薄っぺらい」と批判する際に「総花的」と言いますが、この言葉の語源は、お大尽が、花柳界のお店に着くや、芸姑さんはもとより、番頭、たいこもちから小間使いさんにまで全員に「おひねり」を与えたことを言ったものといいます。

「おひねり」はイスラム文化圏では宗教・宗派を問わず共通しています。
ちなみに「おひねり」は日本独特で、現金を剥き出しは禁忌なので、半紙に包んで小さな巾着のように「ひねる」からです。日本以外ではアカラ様に現金が投げられたり、楽器の何処かに挟まれたりします。

私も何度も経験しましたが、最も忘れ難い体験が、インド料理店開店パーティーと或る年の在日パキスタン人協会の祝賀祭でのことでした。料理店での演奏は、私の演奏会ではなく、中世から続く風習そのものの、「一日中BGMとして弾き続ける」もので、それではワリが合わない交通費込み一万円のギャラでした。

ところが、何かの拍子に、集まった店主の身内のインド人ヒンドゥー教徒たちのスウィッチが入り、誰かが「おひねり」を演奏中の私の弦楽器の糸巻に挟むと「ならば俺も」と次々と下さり、結局数万円もギャラアップしたという経験です。日頃多分に日本人化している彼らは、むしろ異国での生き残り精神で倹約家ですが、私のレパートリーが現地人ウケするものだったので、スウィッチが入ったのでしょう。

パキスタン協会でも「ならば俺も!俺も!」となり、運輸会社社長は、「今度またパキスタンに行った時は、君の荷物は無料で空輸する!」六本木のレストラン社長は、「メンバー全員フルコースご招待だ!」、そして旅行会社社長は、「ならば俺様は、日本~パキスタンの航空券をプレゼントだ!」となったのです。
アラブ・トルコのベリーダンスでは、踊り手の胸の谷間に折った札をねじ込みますし、西アフリカでは、伝統音楽のみならずアフリカンロックの歌手がギターを弾いていればその汗をかいた額に札を貼付けます。
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しかし、宮廷音楽が終焉してからは、インド音楽家の生活は、腕前よりもコネと営業力で雲泥の差が出ます。私も現地で1レッスン100ルピー(当時は多分千円相当)で巨匠からタブラを学んでいましたが、父親のような存在のシタールの師匠から、「こいつにも仕事をやってくれ」と貧しい身なりのタブラ奏者からも学びました。が、なんと1レッスン10ルピーでした。腕前は一回り程度しか変わりませんが、千円と百円です。
勿論花柳界の弟子を得るのも、上位の音楽家の方が有利で裕福に繋がるのですが、「宮廷での音楽では手加減や半端な手助けはしないが」としつつ、花柳界の弟子は、チャンスに恵まれない音楽家にも行き渡るようにしていたとも聞きます。イスラム・ヒンドゥーを通じて、昔の日本以上に、共存互助の精神が豊かなので、在り得る話しだ、と思いました。

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トゥムリは、或る意味でガザル以上に音楽的であり、基本音以外の混入が多いですが「音の動きが命を生む」という点では「ラーガ音楽」の要素も薄くないとも言えます。それに対しガザルは圧倒的に「詩の表現」に重きが置かれています。

ガザルの詩が、主題・展開部のいずれもが二行連句の二連句(計四行)で、展開部は最低でも四つあるのに対し、トゥムリは一二行しかありません。

その為に「同じ歌詞や単語を様々な旋律で歌う:ネラヴァールの技法」が驚異的に発展しているのです。実際、例えば「夕べ」という単語だけで、数十分は即興しています。これは古典声楽:カヤールの中心的な要素であることは勿論、南インド声楽の即興にまで強い影響を与えています。

ちなみに同じトゥムリ歌手のレパートリーである「ダードラ」や、ヴァラナシなどの東部のトゥムリで重要なカジャリー、ホリーでは、歌詞も多く、構成もガザルに近似します。

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トゥムリの構成は、極めてシンプルで、前半は、中庸のテンポの14拍子で歌われ、歌手の目配せでタブラは突然4拍子を非常に細かな手さばきで叩き続け始め、かなり盛り上げます。それに乗って歌手は、ほんの一言二言を、疾走する馬に乗るかのように、しかし全くリラックスして長閑に歌い続けます。

この部分は、聴衆が最も盛り上がるところで、「ラギー」と呼ばれます。そしてエンディングは、僅かな目配せの直後にタブラが、ささやかな終始句で終わり、そのまま叩かない場合もあれば、14拍子を1サイクル叩き、末尾に簡単な終始句を着けて終わるのです。

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1980年代に古典声楽の巨匠の地位に君臨した、カヤールも歌うトゥムリ歌手には、ギリジャ・デーヴィー、ニルマラ・デーヴィー、ヒラ・デーヴィー、ショバー・グルトゥーの他、有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカル氏の親戚で、共に欧米公演でも活躍したラクシュミ・シャンカル女史などが居ますが、20世紀最大のトゥムリ歌手で、トゥムリ系歌謡に徹した伝説の名人が、LPジャケット写真のラスーラム・バイです。

1980年代在京のインド人会、パキスタン人会、バングラデシ人会での演奏が増えた私に、各国の音楽マニアは、「お前日本人とは思えんなぁ」と嬉しそうに話し掛けて来てくれて、「当然、○○の歌は聴き込んでいるよな!?」と異口同音に言うのです。ヒンドゥー教徒はこの○○がラスーラム・バイであり、イスラム教徒は、○○がベガム・アクタールでした。それぞれ十人近い人が同じ名前を挙げるのです。「これは聴かずにおられない」と二三ヶ月掛かって苦労して手に入れてみると、どちらも日本人感覚では美声とは言い難い、晩年の録音であったこともありますが、むしろ当初は、しわがれ声でぶっきらぼうに歌っているとしか感じませんでした。どちらもお若い頃から声域が低いこともありますが。

絵のジャケットは、トゥムリ歌手を集めた名盤で、白黒写真のLPは、ラスーラム・バイの名盤です。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

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(文章:若林 忠宏

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