196、アーユルヴェーダ音楽療法入門58 (今、なぜスピリチュアルか?-1-)

私(若林)は、1990年代初頭から「1980年代に、日本の文化は大きく変革した」と説いてきました。その後、1990年代の後半になって、日本のゲームとアニメが世界的に人気を得た頃、その傾向は世界に伝播したとも説いて来ました。最近では「1980年代は日本の文化革命だった」と言っています。

その主旨は、
1945年の世界大戦終結以前と戦後、そして新しい世界の構築と混乱。物質文明の迷走。などからお話せねばなりません。
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戦後~1960年代は、日本のみならず、世界中で、アンシャン・レジーム(旧体制とその価値観。及びキリスト教至上主義が先進国のステイタスだった時代)と、それから派生した「植民地主義・派生主義・身分格差階級」そして、「隣国との戦争・侵略・支配」を体験した人々が、戦乱や敗戦によって、一気に「物質的繁栄」と「精神的拠り所」を失いながらも、「古い精神性・価値観」を捨て切れずに「復興」に努めた時代でした。

一般に「復興」は、敗戦国日本・ドイツ・イタリアについて語られますが。戦禍によって壊滅状態になったヨーロッパのほとんど。アジア・太平洋もまた、「復興と新体制の建設」を余儀なくされたことは言う迄もありません。アフリカ・中南米の多くは、戦禍を免れたとは言え。戦後10年の間に、次々に植民地から独立し、新たな価値観・社会を構築せねばならなかったことは変わりません。

まず、最も重要で明らかなことは、
世界中で、この時期に「精神性の変革」について、全く取り組まなかった。ということです。
同じ敗戦国のドイツは、新憲法(正確には、未だ準備法:仮)に、「ナチスを妄信し戦争に突進した責任は国民全員にある。その罪は『(本当の)自由(を得る自己との戦い)からの逃走』である」と明記していました。しかし、その後も、幾度か時の首相がこのことを強く語ったことから分かるように。庶民の多くは、この問題を忘れ・考えないようにして、「目先の生活・自分の欲・物質的繁栄と富・安寧安心」をむさぼったのです。憲法に書かれながらも、です。
ドイツでそんな状態ですから、憲法ではもっぱら「自由・権利」が語られている日本で、戦争の過ちを自壊・自戒する人が殆どいないのも無理はありません。

ちなみにインドは、
世界で最も「変わらなかった国」かも知れません。
パキスタンと袂を分かってイギリスから独立し、王政が廃止されたとは言え。私の知る限りでは、首都や大都会でさえ、中世から続く日々の生業が継続され。都会から一時間も車で郊外に行けば、今だに牛が井戸水を汲み上げたりしていました。
強いて言えば、
パキスタンとの分離独立以後、ヒンドゥー至上主義が台頭し、インドに残ることを決意したイスラム教徒が迫害されたということはありましたが、現在のモディー政権下ほどではなかったと認識します。
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1960年代の後半から1970年代の前半は、
前述した「戦中世代」が、社会の主導を握る一方。その次世代。戦争末期・戦直後の世代が大学生・若手労働者の年齢に至って、アンシャン・レジュームを引きずる世代と社会に反旗を翻しました。

最も象徴的な出来事が起こったのが、奇しくもアメリカと日本でした。戦後日本は、世界で最もアメリカに追従し、アメリカナイズ度が最も高かったからでもあります。

アメリカでは、アンシャンレジームの後遺症とも言うべき「ヴェトナム戦争」に若者が借り出され。それに反発した「ヒッピー・ムーブメント/フラワー・チルドレン」などのサブカルな動きが大同化し、同時にアメリカで「第二期スピリチュアル大ブーム」が興ります。
ネット情報が氾濫する現代からは考えられないことですが、それが日本に伝わるには二三年のズレがありました。

以前も少し書きましたが、高校一年生でシタールと民族音楽のプロ(ホリプロ系のプロダクションに所属)になった私は、あちこちのスピリチュアルな集まりで演奏し腕を磨きました。が、「精神世界に興味関心を抱く人々」は、まだまだ少数派でした。
多くの若者は、
1960年代末に、「学生運動」に様々な距離感で関わり。「社会の不条理」に対して大いに反発したのです。しかし、1968年~1970年。学生運動は、幾つかの痛ましい事件と共に一気に収束します。

学生運動に挫折した若者。早々に見切って掌を返すように価値観・人生観を変えた若者。そして、社会の中枢に君臨した戦中世代(元軍国児童)は、高度成長のクライマックスを満喫するのです。象徴的な出来事が「大阪万博」でしょうか。

ところが、
1980年代に入ると。人々の精神性は、奥深いところで、大きく変革し始めるのです。
これが「日本の文化大革命」と、「今日のスピリチュアル・ブームの原点」の要因なのです。
(つづく)

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(文章:若林 忠宏

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195、アーユルヴェーダ音楽療法入門55 (ヤントラ・マンダラと脳機能5:Yantra/MandalaとKosha論-2-)

私の「子供向け・楽器作り教室」の或る時のことです。ペット・ボトルにビーズを入れてマラカスを作ることを教えていました。その際、様々な色のビーズを「各自で好きなブレンドで、自由に!」と言いつつ「その代わり一色はスプーン一杯迄」と言明しました。すると、或る親子が、私が傍に居るのに気づかず「お母さん!一杯迄だよ!駄目だよ!」と母親を諭しているのに、母親が「構わないわヨ!誰も見てやしないから!」と返答していました。その子の哀しそうな顔(悲しいではなく)は、今も脳裏に焼きついています。
「DNAを通して子(胎児)に与える親の経験」「胎教」「Karma」「生後の環境・親の影響」が如何に多かろうと、「魂の傍らに居る心の発想」は、極めて純粋(宇宙原理に近いという意味で)なのだ。と痛感しました。

人間のエゴの犠牲になって「癒されたいとセットになった溺愛」によって、飼い猫の精神状態は大きく阻害され得るものです。また。人間社会の悪しき念が渦巻く裏町の野良社会では、動物本能が剥き出しになる場合もしばしば報告されています。
しかし、
基本的に、猫は、(猫の)乳幼児や、病気や老いで弱った成猫を見事に労わり守ります。棚の上から床に飛び降りたとしても、毛布の中の猫の上には落ちませんし、「ご飯!ご飯!」とケージの中を歩き回る母猫は、まるで「足裏に目が在るの?」と驚くほどに赤ん坊を踏みつけたりしません。その代わり棚の上から飛び降りる猫は、寝ている私の腹部目掛けて飛び降りることはしょっちゅうで、「何時か『睡眠時無呼吸症候群』で死ぬかも知れない」と思わされます。
そんな猫でも、
「体の奥底に病変がある場合」その精神性も悪い方向に変化します。「病は気から」の逆の「気は病から」が極めて顕著に見られます。言う迄もなく人間も同様なのでしょう。
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おそらく「心」は、極めて「非社会的」であり、しばしば結果論「反社会的」なのでしょう。当然ですが、「社会の常識・規範」は、時代や思想・宗教・イデオロギーで変化しますが、「魂」にはそれらはリセットされ、「心」もまた、リセットされ生まれてくるのでしょう。(性善説に似ていますが、全く違います)
その代わり、「Karma」や「胎教」「DNAに影響した親の精神性」は、既に胎児~乳児の頃に「気分感情領域」に刷り込まれてしまうのです。

以前も解説しましたが、
そもそも「動物の脳の進化論」から言えば、「A:まず生きる(生活反応)」「B:次に観察・判断・行動する(身を守るため)」「C:そして考える(より良い条件=すなわち比較と想像)」「D:より深く考える(創造・工夫・解釈・理解・学び)」と進化し、その先に「E:夢や希望、慈愛や正義」というものが生まれます。
AとBは、ご存知のように「延髄・小脳」両生類・爬虫類レベルと一般に解釈されている領域。Cは、「大脳」が発達した哺乳類で、Dは、類人猿とホモサピエンス。Eは、人間、と言われています。

乳幼児の脳機能は、言う迄もなく、この段階順に発育する訳ですが、それは主に「気分感情とそのエリアの思考領域」と、その内側で「心と魂を守る:論理思考領域」についてであり、当然前者が先に発達・成長します。(現代人はそもそもそこで発育が止まることが多い)
しかし、(現代科学・医学では説かれていませんが)「心」は、既に殆ど発育していると考えられます。
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丁度今、或る予期せぬ事態の結果、生まれてしまった子猫が、開眼して未だ数日なのに、私の呼び掛けでケージの前の方まで張って来て、小さな声で返事をしました。以前、乳児の時に感染症で逝ってしまった(保護した猫が身重だった)子の生まれ変わりかも知れません。

或る意味、猫は、(20年で百頭前後世話して来ましたが)人間社会に生きながらも、人間が身につける「社会性=比較意識、自意識や、それから派生する自己顕示欲、承認願望」などは、不要なので(犬はかなり違いますが)。上記の「C」の半分くらいで「思考領域」の発達が止まり(完成し)ますが、「心」は、むしろ、成長と共に(健康ならば)より豊かになり、もしかしたら「魂と心の合意→思考」さえ、するのかも知れません。正に「悟性と叡智の思考」であり、人間には到底真似が出来ない類のものです。

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逆に、言うと人間もかなり純粋であるか、論理思考力が充分である場合、「心」も成長を続けて、「思考する」ようになるのかも知れませんが、実際現実的ではないので、論外とします。
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要は、日本の曼荼羅の「最も中心の如来」の周りに、「心、智、誠、養」の菩薩が従っている、ということです。仏教説法的に言えば「心=菩薩心」「智=智彗=宝」「誠=法」「養=業」となってしまい、前述したように「一般大衆にとっては『へ~』の粋」を出ません。

しかし、「智慧」は、「真実を理解する力」に他ならず。それは「叡智と悟性」の総合作業に他なりません。そして、「法」には、少なくとも「法波羅蜜菩薩の力と任務」には、私たちが社会的(人間の身勝手)に鈍らせ曇らせ歪曲させた智慧の浄化がセットになっています。「業」は、そのままでは、今世の人生には役立ちません。何故ならば、今世に関わる業は前世に作られ、今世の行は、来世の業となるからです。しかし、「来世に於ける救済」に偏った宗派(主流か?)では無い場合(ジャイナ教の一派や、ヴィヴェカナンダ師など)、「来世の為の行は、現世の業を改善する」とも説きますから、総合すれば「育て・養い」と解釈出来るのです。でなくては、「努力の甲斐が無い」とも言えます。
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そして、この「心、智、誠(浄化・改善・復旧)、養(実践・育み)」がセットになって「魂」を取り囲んでいる。これが、「Kosha論の心の領域」であると曼荼羅は説いているのです。

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(文章:若林 忠宏

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194、アーユルヴェーダ音楽療法入門56 (用語辞典:サ2)

サントゥール:
カシミール地方のツィター属の打弦楽器。「Sant」は印欧語族の「100(%のcentと同義)」で「Tur」へ、ペルシア語の「弦」。実際イランのサントゥールは、各音(チェスの駒のような各音ずつの駒に弦を乗せる)は「四復弦(同質・同音の弦をせばめて四本張る)」で25音在り、文字通り「100弦琴」となる。
イスラム教がペルシアを併合する前、カシミールは隣国で独立王国であったこともある。その後、ペルシアで興った神秘主義がカシミールにも伝わり、かなり信仰が厚かった。サントゥールは、その音楽「Sufiana-Q(K)alam」で重要な楽器。第二次世界大戦以降、北インド古典音楽の楽壇に登場して「ラーガ音楽」を演奏するようになったが、本来の演奏様式は全く異なる。

サンチャヤ:
心身の何処かの部分に於ける、何かの「蓄積」の総称。良い意味では「栄養・エネルギー・知識の蓄積」があるが、「代謝・循環」を由とする観念が中心なので、多くの場合「滞り」を意味し。「障害・問題・事件・病変・病原」と解釈される。

サンニャース:
出家修行者のこと。サドゥーと混同されるが、その差異については「サドゥー」の項で詳しく述べた。
ブラフマン教後期に、「反苦行」を掲げて仏教が隆盛したことは良く知られるが、同時期にブラフマン教から現われた新たな「修行スタイル」を実践したものが源流。その時代「聖人:リシ」は、あまりにハイレベルであり、遅れて隆盛した「聖者:ムニ」の多くが「苦行」に偏った。「サンニャース」は、その間を取ったような性質があった。
しかし8c.に、初代シャンカラが、独自(実は、シャンカラ没前後から弟子が分裂対立して後世かなり歪曲して伝えられている面も否めない)な「アドヴァイタ(不二一元論/梵我一如)」思想(理論)を展開し、ヒンドゥー教が黄金時代を終え、権威が失墜し、寺院も腐敗しつつあった時代に知識層に大いに歓迎された。この弊害によって、シャンカラ以前の聖者・聖人の教義・説法は殆ど不詳になってしまったり葬られてしまった。しかも、シャンカラの晩年、シャンカラ自身が理想を思い描いて構築した「東西南北・四寺組織」が、結局は、シャンカラの四人の高弟同士の熾烈な対立に至り、教義・理屈の争いから政治紛争に至るまで複雑化した。またシャンカラが構築した「10の階級」も、「形骸化・権威化」という方向に偏った。同時にシヴァ派との密着や反発も繰り返され、総合してブラフマン教・ヴェーダの叡智は、大きく湾曲して後世に伝えられることとなった。事実、その源流から考察すれば明らかに矛盾する教義の派も少なくない。
無論、単なる批評批判ではなく、その時代、「生き残ること」「対立に負けないこと」などが熾烈であったことを知るべきであろう。奇しくも、西洋哲学が崩壊の一途を辿り始めた18c.後半~19c.のドイツ哲学の様相が、初代シャンカラ以降のインド思想・哲学の姿に極似している。
「サンニャース」は、日本では「サンニャシン」などと読まれることが多い。
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私(若林)事で恐縮ですが、1987年にメジャー・デビューした「ネオ・サイケ・ロックバンド」にシタールとタブラで参加していました。壊れたシタールをソリッド&エレクトリック(当時インドには未だ無かった)に改造してイントロ・間奏でガンガンに弾いています。タブラは全面に鳴っています。


このバンド。デビュー直前迄バンド名が「サニアス」だったのですが、初めて聞いてその場で違和感を伝えました。その後「馴染みがない名称」ということで、結局「七福神」になったというエピソードがあります。高度成長期からバブル絶頂期。1980年代お笑いタレントなども勝手にアジア・アフリカの実在の国名地名などを芸名にしていた(やったもん勝ちの)時代です。それでも当バンドは音楽的にもメッセージ的にも真面目に高みを目指していたところがありました。是非、聴いてみて下さい。

サプタ:
「七」の意味。古典音楽では「サプタ・スワル=ドレミファソラジドの七音」
「サプタク」古典音楽に於ける「オクターヴ(ドから上のド迄)」の意味。(※)
ヴェーダ科学(物質論)では「サプタ・ダートゥ=七要素」などで用いられる。
そもそも西洋の「オクターヴ」は、「ドからドまでの八度(Oct=8)」の意味だが、インド音楽では「サプタク」=「ドからシの七度(Sapt/Sept=7)」の意味なので「サプタク=インド音楽に於けるオクターヴのこと」と言うのは、本来奇妙な表現でもある。

サラジュ:
科学音楽~古典音楽のドレミの「ド」のこと。「基音」であり、「基音持続法(英語でDrone)」が欠かせないインド音楽に於ける「重要伴奏音」でもある。「サラジュのラ」は、「(日本人向けに言うと)ラとダの間の発音」で、ローマナイズでは「Dの下に点」で現すため。「サダジュ」と表記したり、聞こえる日本人も少なくない。

サーランギー:
北インドの民謡~古典音楽の弓奏楽器。「Sau」は、「百」、「Rang(Ranj)」は「彩り」で、「百の音色を出す楽器」の意味。18世紀に、花柳界歌謡だった「Kayal」が宮廷古典音楽の楽壇に登った際に、その伴奏楽器として昇格し、その際に「大型で共鳴弦が増した」。これを現地では「Classic-Sarangi」と呼ぶ。
民謡では、特にラージャスターン地方の世襲大道芸人一族の音楽で重要な楽器で、八種ほどあり、専ら三種を合奏で用いる。

サラスワティー:
インド文化に興味を持ち始めたばかりの人でも知っている「日本の弁才天のルーツ」。ブラフマン教の主要神であっただけでなく、東進したアーリヤンの故郷ペルシアでも、重要な女神であった。一説には、同格の女神との政争に敗れたのが東進の理由とも言われる。神話では、ガンジス河とヤムナー河の間を流れる「伝説の河(の女神)」とされる一方、事実として「伏流水」とも言われ、中国、日本でも「河・川・池・湖・(海)」の畔に祭られる。本来の神格を継承する一派は、弾圧によって地下に潜り、密教化し、様々な異名を持つに至った。日本に於ける別名の「妙音天」は、一般に「絶妙に美しい音楽を奏でる女神」のように説かれるが、「密教系の弁天を意味した」という説もある。この場合、インドやチベットの密教に於ける姿と同様に、むしろ厳しい荒神として捉えられる。
乗り物(ヴァーハナ)は、白鳥のハンスで、その他に孔雀の従者を伴うことは良く知られているが、「川辺の巨岩に座る」ことが極めて重要なことは、あまり語られていない。
筆者は、東日本大震災の後、五年待ってから、長年弁才天を継承して来られた、沿岸の古刹に状況を問い合わせをさせて頂いたが、復旧の見通しも予定も立っていないところが少なくないことに驚くと共に、憂慮した。復興は、人間生活の基本的なものでさえ、まだまだ道半ばなのであろうが、それとは別な次元のような気もする。

サーリンダー:
インド~亜大陸の民謡の弓奏楽器。前述の「サーラーンギー」が民謡用・古典用共に、「胴体と棹が一体化した長方形で、弓道の括れは軽くへこむ程度」であるのに対し「サーリンダー」は、胴体上部が翼を広げた鳥のような形になっていて、下部にだけ山羊皮を張り、翼の内側は大きな響き穴になっている。棹は翼の大きさに対し細く、明らかに「胴と棹」が分離している。ネパールの世襲大道芸人一族ガイネの楽器「サーランギー」は、むしろこの「サーリンダー」の系譜に在る。「サ-ランギー」と「サーリンダー」の胴にシタールの棹を取り付けた新楽器が19c.に創作され、今日も用いられているが、「ディルルバ(主に西~西北インド)」は「サーランギー+シタール」で、「エスラージ(主に東インド)」は、「サーリンダー+シタール」である。「サーリンダー」は、パキスタン領とイラン領に分かれるバルチスターン地方が発祥と思われるが、そこでは「スローゼ」と呼ばれる。

サロード:
18世紀に宮廷古典音楽の楽壇に登った新楽器。アフガニスタンからの帰化傭兵部族が与えられた、首都デリーの西、旧都ラクナウなどの地域ローヒンルカンドでアフガン弦楽器「Rubab」を改造して創作。(奇しくも筆者のシタールとサロードの兄弟師匠の先祖。筆者の師匠迄12代、面々と音楽家が継承されていた)
花柳界・修行僧・大道芸人の楽器であったシタールが宮廷音楽に登るのよりも百年早い。ルバーブは板張り指板でガット(羊腸)弦だが、それを金属指板の金属弦に替え、刻み重視のルバーブ奏法から余韻とその装飾重視のインド音楽に奏法も転換した。その際、デリー宮廷の主流派(16cの楽聖ターンセンの一族)の門下となったことが発展と隆盛を裏付けた。主弦4本に、伴奏弦2本、リズム弦2本、10本前後の共鳴弦がこの伝統スタイルの楽器で、アフガン・ルバーブの「主3、伴奏3、リズム1、共鳴10前後」より音域も広げた。従って、伝統スタイル(Trad-Sarod)は楽器の先端に六つの糸巻が確認出来る。
これに対し、Beatlesの師匠として世界的に有名になったシタール奏者ラヴィ・シャンカル氏の師匠:Ud.Allauddin Khan氏が創案した伴奏弦を4本とし全体的に大型にした「Modern-Sarod」が生まれた。流派がベンガル発祥のために「シャロッド」と発音する演奏者が多い。楽器の先端には糸巻が八本確認出来る。

サルダール:
「貴族」の意味。転じて、シク教徒の目上や名演奏家、師匠に対して敬称として用いる。シク教徒でない場合の音楽の師匠や年配者には「ウスタード(イスラム教)」「パンディット(ヒンドゥー教)」と言えば良いが、それらと一線を画するシク教の場合、言葉が無かったのを、何時の日か誰かが言い始めたのだろう。
街中でもシク教徒と見れば「サルダールジー(お貴族さま)」と呼称すると通りが良い。
サルダール・バイタク:シタールなどの弦楽器を構える際の足の組み方の一種。

サルガム:
インド音楽の階名「ドレミファソラシド」の総称。「S(サラジュ)、R(レシャヴ)、G(ガンダーラ)、M(マディヤム)、P(パンチャム)、D(ダイバタ)、N(ニシャドゥ)、S」を略し「サルガム」と呼ぶ。
古典声楽では、これで歌う部分もあり、それをも「サルガム」と呼ぶ。
ちなみに西洋では同義のものを「ソルファ/ソルフェージュ」と呼ぶが、これも「ソラファ」をもじったもの。

サートグン・ラヤ
「七の律動」に関する「リズム分割」の総称。基本は、「一拍を七等分する=七連符」だが、大概、関連の「サイズ違い」を並べるか、「七で割ったものを四で括る」などで演奏される。(単純に「七連符」が連続して演奏されるような様子はまず見られない)
前者は「2拍七連、1.5拍七連、1拍七連」などで、後者を表すと「1234567/1234567/1234567/1234567」→「1234123/4123412/3412341/2341234」となり
「元=7X4拍=28音」「変=7分の4音X7回=28音」で一致(同じ刻みの同じ拍数)する。「ドレミファソラシド」を四回歌う人の隣で「同じリズムでドレミファを七回歌うと揃う」というもの。

サート・サンガット
北インド古典音楽に於ける主奏者と太鼓の掛け合いの最も複雑なもの。サンガットは、伴奏。
20世紀初頭に隆盛した「掛け合い」は、「数拍の即興的旋律を聴き、それをリズム翻訳して太鼓で応答する=Sawal(問い掛け)-Jawab(返答)」が一般的だが、より高度なものは「(例えば)旋律の8拍フレイズの4拍目まで聴いて太鼓が答える=答えながら後半の4拍を聴き記憶する」で、もし旋律が、太鼓の後半4拍に次の問い掛けを弾けば、「Sawal-Jawab」は、「4拍ずれながら同時演奏」となる。これを「ララント・サンガット」と呼ぶ。「サート・サンガット」は、これを同時に演奏する。つまり、「旋律のフレイズを同時リズム通訳する」形である。
しかし、2000年代から、現地演奏家は、本来「全て即興であるから意味があったもの」を事前にリハーサルや練習をしてステージで大衆迎合するようになった。故に現代の「ララント」も「サート」も嘘臭くイヤラシさが際立つ。

サティヤ・ローカ:
「世界論」に於ける、最高位・普遍神の世界。

サットゥヴァ:
「純正」「神性」の意味。かなり多くの意味で様々なテーマで用いられている。
「属性論(トゥリ・グナ)」では、「ラジャス(動性)、タマス(鈍性/静性)」、と共に語られ「純性」とされる。この場合「動きもしないが止まりもしない=動くが止まる=自在=在るようで無い=無いようで在る」のような解釈である。アーユルヴェーダの「トゥリ・ドーシャ(ダートゥ)論」では、「ラジャスの亢進は、ピッタ(火・熱・消化)とヴァータ(風・運搬・伝達)を過剰にし危険」「タマスの亢進は、(決して動かない訳ではない)カパ(定着・接合・融合)を停滞させて危険」「サットゥヴァ(純性)の活性は、トゥリ・ドーシャのバランスを整える」と説き、その状態の診察を「サットゥヴァ・サーラ」と言う。重要なポイントは、古代のアーユルヴェーダでは、この診察には、「精神性・思考力」の診断(サットゥヴァ・パリークシャ)も必ず伴っていたが、近現代ではそらが形骸化している点である。例えば、「問診」は、現代医学に於いても東洋医学に於いても重要であったが、「自意識・被害者意識・比較意識(優越・劣等感)」などについて問診する現代の医者はまず居ない。ただただ「患者の自己申告=体調や症状の実感」を訊くのみである。これを「サットゥヴァ」と言うことは到底不可能。実践的、具体的には、「サットゥヴァ」は、「生命力、人間力、恒常性力、精神力、思考力、バランス調整力、安定性・不偏性力」の総合「Sattuva力」と解釈すべきであろう。
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また、西洋化学療法に於ける「高血圧治療薬」は、「タマス的」であり「低血圧治療薬」は「ラジャス的」であるが、「生薬(及びHerb)」の幾つかは「高血圧は下げ、低血圧は上げ」と「サットゥヴァ的」である。「タマス:電子」「ラジャス:陽子」「サットゥヴァ:中性子」や、「タマス:無知」「ラジャス:行為」「サットゥヴァ:知識」などと説く派もあるが、基本から外れている感も否めない。

サッチタナンダ
ヨギ、サンニャース、サドゥー、在家信者に共通の理念。三つの言葉を結合された。
それらは、「サット(サットゥヴァ:絶対実在)+チット(純粋意識)+アーナンダ(至福)」の三つと言われる。ブラフマン教以後に加筆されたヒンドゥー時代のウパニシャドに現われるとされるが、現代では様々に都合良く解釈されている。本来のサットゥヴァは、前述(サットゥヴァの項参照)したように、「普遍・不偏・不偏」のきわめて論理的で、バランス恒常能力に長けた要素(力)を言うものであり、チットも同様の論理性にバランス制御されると共に、その根本原理(宇宙原理)が転写(相似)したものであり、アーナンダは、それによって得られる「不偏・不変の安寧」であった。しかし、現代隆盛しているご利益宗教的な説法では、信者の自浄力・恒常的普遍的思考力の問題を無視して、ひたすら祈願すれば得られると説く。
現代的に言えば「サット(サットゥヴァ:不偏性)+チット(論理性)+アーナンダ(恒常性・安定性)」と説いた方がより健全と思われる。

サティヤ・ユガ
ヒンドゥー時代論に於ける、「最初の時代」BC.389万千102年からの172万8千年間。
これを「神々の時代」とする感覚は、世界神話に普遍的にある。その普遍性に於いては、「神々の時代」「神々と純粋な人間の時代」「神々から離れつつある人間が、比較的聡明な時代」「神々に逆らい混迷する人間の時代(悪魔に人間がそそのかされる時代)→世界の崩壊」につながる。「創造=破壊」のヒンドゥー観念に於いては、「世界の崩壊」の後、再び「神々の時代」に至って循環する。
この「普遍的な時代論」は、まさしく個々の人間の人生を転写(相似)している。
「神々の時代」は、「生命の神秘=神々の所業」と言っても誰も反論しないだろう、個々の人間が母胎に存在する前から存在し産まれ出る迄の時期に相当する。
「神々と純粋な人間の時代」は、乳児から幼児。反抗期迄の無垢でいたいけな人間と親の時代に相当する。
「神々から離れつつある人間が、比較的聡明な時代」この時代は、果たして現代人・幼児は、もはや様々な社会的恣意・作為を行使するから、「聡明」の意味合いはだいぶ異なっている。
「神々に逆らい混迷する人間の時代(悪魔に人間がそそのかされる時代)→世界の崩壊」これは正に、反抗期のまま、親や先祖や故郷などよりも自分の目先の問題に執着している多くの現代人の姿に他ならない。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

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(文章:若林 忠宏

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193、アーユルヴェーダ音楽療法入門55 (ヤントラ・マンダラと脳機能5:Yantra/MandalaとKosha論)

前回(Vol.193)で、ご説明した「曼荼羅の神々の配置の意味」は、なんと!と言っても、当然、必然ではありますが、Kosha論と完全に一致するのです。
逆にもし、かなり隔たりがあるように思えた場合、それは「ご利益宗教・大衆向けに歪曲した(ごく一面を過剰に強調した)」結果であることは間違いありません。
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近年、と言ってもヴィヴェカナンダ没後20世紀初頭、或る一方方向に偏ったヴェーダーンタ学派などの「不二一元論(梵我一如)」ではなく、ヴェーダの叡智が説く伝統的解釈に於ける「不二一元論(梵我一如)」の意味は「Pursha(宇宙原理)は、個々の人間の魂(Prakriti)に相似・転写している」ということです。
例えば、
ジョティーシュに於いて、惑星の動きが、個々の人間の運気を大きく左右するのも、この概念が存在するから説明出来るものに他なりません。
とは言っても、
「宇宙の変化→個々の人間の内面に現われる」の逆。すなわち、人間が地球の有様や宇宙の様子を変えることは、超越した聖者が数万人集まっても無理なのでしょう。
ところが、逆に、
「人間の邪悪(悪気が無いものから、悪気を何らかの観念や世相・常識・通念で正当化したものも含む)の念の集合体(自然に寄り集まり縒られてしまう)」は、地球に異変、宇宙にさえも弊害を与えることも事実のようで、故に、私が理解されにくくても、シーターラーマさんのご支援を受けて、こうして説いている(説かねばならない)のですが。
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「輪廻転生」を信じる考え方に於いて「魂」は、前世から引き継がれたものである以上、それは或る意味「神々からの預かり物」として、私たちの内面に保管されている訳ですから、それが中心や奥底以外にある筈はないのです。
その「魂」には、現代医学・科学やようやく(この一二年?)辿り着いた「親の経験が胎児のDNA(Swich)に反映する」ようなことも含め。積み重ねられた多くの前世の記憶やKarmaが凝縮されている訳ですが。同時に、その「魂(Prakriti)」こそは、「宇宙との連絡窓口」に他ならない訳です。

「Kosha論」でも説かれているように、「心」は、逆に「個々の人間のオリジナル」でありますが、「魂」を守る力はありません。むしろ、現代人の多くの場合、「破壊され機能不全に陥った論理思考領域」を通り過ぎた「外因反応の気分感情思考」と「魂」の板ばさみになっていることが多く見受けられます。

例えば。良くある話しですが、
幼い少年少女が学校の帰り道に「捨て子猫」を拾って来た。「助けたい」という無垢な感情は、気分感情と矛盾しないにしても、かなり奥底の「心」が発想したと考えられ、その背後には、「魂」のサジェスチョンも考えられます。逆に、少年少女と言えども「え~!私は嫌だ!汚いし噛むかも知れない」と即座に考えられる子も居ます。(或る意味子供の心理と子供の小社会は『大人社会』の縮図・相似・転写でもあります)。現代社会では、これを「個々の子供の多様な個性・多様な考え方・価値観を認めるべきだ」という方向に猛進していますが。「汚い・噛まれる」は、「親が駄目と言うに決まっている」と同様に、幼いながらも身につけた「経験則」や「親の影響」があることは紛れもありません。
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つまり、
「本来の心」は、デフォルトに於いては恐らく個人差は無く、一様に「子猫=可愛そう・助けなきゃ」と感じ・考えるのでしょう。それを覆い隠し、異なる考えに至らしめるものは、既に「後天的に教育された気分・感情思考」であり、それは既に幼児の頃に見につけてしまっているのです。
近年の西洋医学が発表した「DNAスウィッチは胎児の頃に既に切り替えられて居る」に沿うならば、「後天的な思考回路」は、既に胎児の頃に基礎が得られているということになります。
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そして、
「Kosha論」が説く「論理思考領域」もまた、「個人差」は、さほどないものです。
当然ですが、そもそも「論理性」とは、「樹木の太い枝や幹」のようなものを視座に、「おびただしい個人差の枝葉世界を俯瞰する」ことと言えますから、「普遍的であり、不偏的。そして不変的」に他なりません。「個人差が無い」と言うより「誰にも共通している」ということです。
言い換えれば、
近現代は、あまりに「枝葉感覚=個人・個性」と思い、信じ切ってしまっている訳です。
ある意味で、
「誤った(歪曲した)全体主義(20世紀前半)やグローヴァリズム(20世紀末~21世紀初頭)」の弊害で、世界中の人間が、「本来の太枝や幹の視座を持ち得なかった」とも言えます。
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これは、「人間と神の歴史=人間の信仰心と宗教の歴史」を見れば明白です。
近現代では、「原始宗教」のように説かれ、多分に「未開・無知」的に卑下されていますが、
ブラフマン教・ヴェーダの叡智の多くにその基本が見られる「アニミズム」の時代では、
「もの皆神(及び精霊・聖霊)が宿る」「全ての人間の中に神とのリンクがある」
つまり、「元祖:不二一元論・梵我一如」だった訳ですが、
その時代
「お前の感じている神とは何だ?」と問う者も居なければ、確かめる必要もなかった。
ところが、
宗教の時代になると、全く逆転し、
「お前たちの信じる神は無能だ!嘘だ!」「正しいのは、我々が信じている神だ!」
などとなり、
信仰・信心は、「アニミズム」が淘汰され「宗教」の時代に至ります。

つまり「アニミズム」の時代には、
人間の心・論理思考の中にあり、魂というリンク機能で相似性=一体化=リンクしていた「神」は、
「個人差の無い幹」のような視座・価値観・思考性だった訳ですが。
「枝葉の時代(既に紀元前)」になると、
例えば、
「敵対する部族の神」は、必然的に「悪神」となり、「総体的な悪」の観念も生じます。
逆に言えば、
「アニミズムの時代=幹に視座がある時代」には、
「絶対悪」というものも、しっかり悟って居た。ということです。

これらのことは、
全て「曼荼羅」にも、明確に現われ、描かれ、説かれています。

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(文章:若林 忠宏

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192、アーユルヴェーダ音楽療法入門54 (ヤントラ・マンダラと脳機能4)

今回の図は、先にご紹介した左上の「日本の密教曼荼羅」の部分を取り出したものです。
左下には、二列の回廊(院)の内側にある、中心的な円形の院を取り出しました。
最も中心には、絶対神的な存在がありますが、この連載では、敢えて「Ishvar(普遍的な絶対神)」もしくは「宇宙の真理」としておきましょう。
その上下左右に紫色の円で示した「四如来」が配置されています。それぞれが、やはり上下左右に従神を従えています。同じように、最も中心の如来も上下左右に波羅蜜菩薩を従えていますが、先に述べたように、チベット曼荼羅には無いことがあります。
中心の上下左右の「四如来」の間には、黄色い丸で描かれた「四供養妃」が置かれています。チベット曼荼羅では、後世、チベット独自の女神に置き換えられ、更に発展したようです。
これらの左下の図の「如来と菩薩」の院の外周を囲む四角い城壁は、内側の回廊の内壁と接します。その内側の四角には、書かれている通りの「地神、火神、水神、風神」が守護神として置かれています。
………………………………………………………………………………………………………….
その外側には、二重の回廊(院)が置かれています。内側には八尊、外側には、二重尊が置かれていますが、実は、内側の回廊には、八尊の他に、宗派によっては「十六尊」もしくは「千仏」が置かれていますが、今回は割愛させて頂きました。チベット曼荼羅では、この内側回廊に八尊が見られず、「千仏」が回廊状に置かれているものを多く見ます。チベット曼荼羅では、外側回廊の中心の各一尊が、内側に移動し門(Dwara)に置かれます。
………………………………………………………………………………………………………….
「密教」という言葉を見れば、誰しもが「秘密の宗教」と考えると思いますが、それは二つの意味合いで正解ですが、その二つは全く異なる次元と考えられます。ひとつは、史実として、弾圧を逃れるために地下に潜った経緯があったからでありますが、他方は、奥義が秘密であったからです。私自身は、「今日もその多くは秘密の奥義とされる」という解釈に賛同しています。

しかし、その一方で、ご存知のように、空海自身や門弟(空海が分身の術を使ったのかも知れませんが)は、創始直後から百年の間に、日本全国津々浦々物凄い布教活動をしています。そこでは、多分に「ご利益宗教」的な説法を行っており、今日の「密教曼荼羅の解説」は、「この全く異なる二つの次元」がかなりごちゃ混ぜになっていると思わざるを得ません。
「ご利益宗教」という表現に、違和感・反発心を抱く人が居ると思いますが。やはり多分に「大衆迎合的」であり、その深い意味を説かず。極論的に言えば、「説いてもどうせ分からんだろう」と考えていたとさえ思えるほどに「分かり易く」のみならず「大衆が喜びそうな」教えを説いて来たことは、事実であり反論は無い筈です。
ところが、南西アジア~アフリカの「イスラム系神秘主義」の多くの宗派のように、「大衆化=俗化」を嫌い、出家信者のみで構成され、厳しい奥義を厳格に学ぶ宗教も少なくありません。日本の密教もまた、例外ではなく、前述した「大衆向けの教え」と「出家者向けの教義」には、大きな隔たりがあるということです。問題は、ネット情報では、これが中途半端に混同されている、ということです。

尤も、洋の東西を問わず、時代の変遷(大衆心理の変化)に伴って、一部奥義を公開したり、翻訳して新たに出したりのことは、多くの宗教がしていますから、ネット情報の中には、背後にその意図があるものもあるのかも知れませんが。
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例えば、
前述した、中心の上下左右の「(紫色の)四如来」の間の、黄色い丸で描かれた「四供養妃」は、それぞれ「(時計回りに)隣の如来を供養する為に置かれた」と説かれます。
これを「ご利益宗教的」に解釈すると、例えば、右下で「技」と書いた供養妃は、隣の「安」と書いた如来を供養するために置かれたと大衆には説かれた訳です。
これでは「へ~そうなんだ」以上の理解も学びも気づきも得られません。
しかし、そもそも「如来」が、菩薩の供養を必要とするのでしょうか?
逆に考え、それぞれの如来が、自らの上下左右の従菩薩の他に、特別な使命を与えて「供養妃」を出生させたならば、理解・学び・気づきは深まります。また「供養」を、「誰かが誰かを癒す」という短絡安直敵に理解してしまっては元も子もありません。ヴェーダの叡智では、それは「自浄能力・自己治癒能力」だった筈です。
………………………………………………………..
例えば、四如来の上に置かれ「時」と書いた如来は「阿弥陀如来」で、それを供養するために右に置かれた「歌菩薩」は、「歌で阿弥陀如来を供養する」と説かれるのです。やはりこれでは何も始まりません。そもそも「阿弥陀如来」は、一般大衆には、「寿命を司る」などと説かれ、「祈願して長生きしなさい」では、全く「ご利益宗教」の粋を出ません。

私が「時」と書いたのは、「命=時」であると共に、「時」は、絶対値のようであって、その密度や意味・価値によって、大きく変化し得るものだからです。またヴェーダの叡智は、アインシュタインの数千年も前に「時間」を物質的に捉えてました。つまり、「時の意味や価値」は、「軽い時もあれば重い時もある=質量がある」ということです。
そして、
それを「Yantra/Mandraは、個々の人間の精神領域(脳機能)と深く強い相似性(転写)がある」というヴェーダの叡智に沿って述べるならば。「人間には『時の質量』を感じる能力が(本来)ある」ということです。
更に、「日本の密教曼荼羅(原典ではチベット曼荼羅とほぼ共通します)」に於ける「阿弥陀如来」は、「その能力を活性化させる力を与えてくれる存在(DNAのSwichかも知れません)」であり、それは同時に、如来の上下左右に置かれた「法/剣/言/悟」の菩薩によって細分化されると共に、右の菩薩の「歌」によっても更に活性化される、と解釈出来るのです。
………………………………………
法菩薩の「法」も一般向けには「(守るべき)Dharma」で終わってしまいますが。より深い説明では「清浄・覚醒」を強く伴うと説かれます。つまり、私たちが日常の世知辛さに対応・反応して鈍らせ・曇らせた感覚(論理思考)が、この菩薩を想い・念じることで「覚醒・活性」され、「物事の真の正誤を判断し」始めて「Dharma」の実践に至る訳です。つまり、現代人のように「法で裁かれるからしないでおこう」という「抑止力」の「法」ではなく、それとリンクした「内面的なものさし」としての「Dharma」を覚醒(思い出す・取り返す)する、という意義です。

「剣」は、そのような「正しさ」の実践の為の「勇気・決断」であり、「言(詞・言語・聖音・言霊)」は、言うまでもなく「Mantra(や真言)」の助けであり、「言語化・文章化と読解力の活性化」であり、「悟」は、「論理思考の活性化・叡智と悟性の復活」に他ならないのです。そうした上で初めて、「供養菩薩の歌」、例えば「マントラ」や「キールターン」が命を得、意味を持つ訳です。言い換えれば、この摂理と道理が理解出来ない「論理思考領域が疲弊し、気分感情・感覚でしか理解出来ない現代人」が、歌を歌ったところで「自分を癒す行為」「(同好を集めた集団的な)自己満足」以外の何ものにも至り得ないということなのです。

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191、アーユルヴェーダ音楽療法入門53 (用語辞典:ケ・コ・サ1)

カ行・コ
コーマル:
楽音の♭のこと。字義は「弱々しい/デリケート」

コーシャ:
人間(生命体)の心身を構成する段階・階層的な分類部分。字義は「鞘」
本来は、「体の階層」と「精神の階層」に大別できるが、近現代では混同している。また、「精神の階層」は「不二一元論(梵我一如)」を語るにも、「チャクラ論」「ドーシャ論」を語るにも極めて重要な概念であるにも拘わらず、知識に成り得ていない情報が行きかうばかりで、掘り下げる専門家が極端に少ない。

サ行・サ
「サン」は、日本語52音では「サ行の最後のン」と考えますが、インド語では、「サの上に点(Bindu)」だけで「サン(サム)」と読めてしまう(書けてしまう)ので、ヒンディー辞書では「サ」の次に登場します。本稿では、部分(主にBinduの語=S+.)を「サの前半=サ行サの前半」、部分(主にBindu以外の、例えば「S+N/S+Mの語」)を「後半」を基本に、やや脈絡無く分けざるを得ませんでしたことをお詫びと共に、お許しを請います。

サーダカ・ピッタ:
「Tri-Dosha(Dhatu)」のピッタの派生のひとつ。心臓と脳に働きかけ、気力を生み出すとされる。
現代科学・医学に照らせば、「活動エネルギー」「交感神経」「アドレナリン」などにあたる。
ちなみに「アドレナリン」は、「興奮・モチベイション・怒り」などの側面ばかりが語られるが「注意力・認識力・判断力」と、それが基礎にある「行動力」に欠かせないホルモンであり、バランスの問題である。

サーダナ:
「普遍的神としての宇宙」に対する「献身的修行」のこと。ヒンドゥー教徒の音楽家にとって、「音楽の修行・修練」のこと。後述する「サドゥー(出家・修行者)」にとっては「霊性修行」の意。

サンディー・プラカーシュ:
ものごとの「境界」。及び「線引きが出来ない境界の曖昧領域」。古典音楽に於ける旋法(Raga)の時間(象徴する時間帯、演奏すべき時間帯)の、日の出と日没(陰陽が混在する時間帯)。

サードラ:
1)古典音楽のリズム理論に於ける「10拍子の総称」。
2)現存(実践される)する最古の古典声楽様式「Dhrupad」の派生一様式。10拍子で歌われる。

サドゥー:
修行僧、出家修行者。サンニャースとほぼ同義だが、ブラフマン教~仏教・ジャイナ教~ヒンドゥー教の歴史的変遷の中で、その意味合いは大きく変化し、近現代、サドゥー、サンニャースにヨギをも加えて、その境目、分別をつけることは難しい。それでも「殆どのサドゥー(及びサンニャース)はヨギと言えるが、全てのヨギがサドゥー(及びサンニャース)ではない。殆どのサドゥーはサンニャースと言えるが、全てのサンニャースがサドゥーではない」ということは言える。
……………………………………….
後述するサンニャースとは、「俗世・物質的富・所有・契約の完全放棄」という意味では、全く同義であるが、サドゥーが、その主旨を「サーダナ(霊性修行)」としているのに対し、多くのサンニャースが「アドヴァイタ(不二一元論/梵我一如)に於ける悟り。及び修行階級の向上」を主旨としている(ことに偏る)点で異なる。現代では、ヨギも含め、きわめて多様化しているので、一概には言えないが、サンニャース諸派の中には「輪廻転生を否定する」や、極端なものには「苦行、瞑想も不要」という教義も在り得、事実存在するが、サドゥー諸派では「輪廻転生、苦行的修行」はその多くにとって基本的である。
……………………………………..
その発生の時代。即ちブラフマン教が廃れ仏教が隆盛し、また廃れつつある中で、ヒンドゥー勢力が隆盛し始めたAD1c.~6c.頃。思想・哲学のフィールドから生まれたサンニャースの系譜と、神秘主義・実践主義のフィールドから生まれたサドゥーの系譜には、明確な差異があった。つまり、前者が言わば「理論的/机上で成立する」のに対し、後者は、現世・現代社会に於いて非俗的に存在するという違いである。
また、ヒンドゥー教の隆盛期(4c.~7c.)には、知識層・バラモン階級と寺院・修道院を中心とした権威・権力が絶大であって、それに反発して民衆レベルで神秘主義傾向を強く持ってサドゥーが発展したという性格もある。この点に於いては、サンニャースのほぼ全てがバラモン階級から生じているであろうことに対し、サドゥーは必ずしもそうではないと言える。出家してしまえば、社会的階級から乖離出来るということだ。
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古代~中世に於けるサドゥーの基本は、「真理・真実の追究、穏健、独身、非暴力、非欲、非盗」などが基本にあったが、日本の熊野などにも多く渡来した「ナガ・サドゥー(裸形上人)」の一派やサドゥー化したシヴァ派の教条主義派、教条主義に偏って歪んだタントラ密教から生じたサドゥー様の一派などの中には、格闘技を行とする派も少なくない上に、しばしば武装集団化したものもあった。
一般にとって「サドゥー」は修行僧や裸形上人の総称のようになっていることも事実であろう。
…………………………………………..
個人的なエピソード:或るバラモンの師匠が「もし道の向こうから、腰巻だけで上半身裸で髪・髭伸び放題の男が四人並んで歩いて来たとして。(インド文化に憧れているなどと言う)お前は、果たしてどいつが「聖者・修行僧」で、どいつが「自分だけ自分を聖者と思い込んでいる狂人」で、どいつが「単に貧しい物乞い」で、どいつが「修行僧(サドゥー)に身を隠している逃亡者か分かるんだろうな?」と訊いて来た。私(若林)は、「流石師匠たちは分別出来るのか!」と感動しながら「とんでもありません。全く分かりません!」と答えた。すると、師匠は「俺らにも分からん!」と返答した。

サカー:
ヴェーダ詠唱を教える学校。修行場、修行者の意味もあり、「聖なる」の意味合いで、人名にも用いられる。

サーラ:
物質や精神、元素(Guna)などが不安定で動き回る状態のこと。

サム/サーマ:
極めて多くの語彙を持つ単語。「Sam」「San」の区別がつかない場合が多い。(文字的には『Sの上に点』などのことが多い為)
(1):「真の」「唯一の」「一致」の意味合いで、接頭語的に用いられる。
サム:科学音楽~古典音楽のリスム・サイクル(Tala)の第一拍目。形而下の単純な現象としては、「リズムサイクルの節目(第一拍目=サイクルの終わりであり始まりである)に太鼓のビートや旋律の終止形が一致する場所」。やや、形而上的な意味合いでは、「(人間の演奏の有無に拘わらず、宇宙の波動として無限に繰り返される)リズムサイクルと人間の音楽演奏が一致する拍という意味の第一拍目」。
サムヒター:ヴェーダ経典の本編・本集。
サム・キヤー:精神原理。コーシャ論の最中心部と同義。
サーマ・ヴェーダ:ヴェーダ経典の詠歌典、音楽典。
サーマン:サーマ・ヴェーダ詠唱専門家。
サーマ・ガーン:サーマ・ヴェーダの詠唱。
サマージ:理解・認識・知識(情報の享受のレベルではない)の意。発展して、それを伝授する学校。組織。更に転じて、「研究会・研鑽会」的な意味合いの「協会」。ブラフマ・サマージなど。
ヒンディー語の日常会話でも「サマージ・ガエ(分かりました)」などと用いられている。
サムプラダーヤ:修道院。ヴェーダ時代から存在するが、古代末期(8c.頃)に発展した思想・哲学を研鑽する施設(組織)。ヴェーダの解釈によって様々な派が在り、しばしば互いに対立した。

サム/サーマ(2):「受ける」「承る」「順ずる」「実践する」の意味合いで、接頭語に用いられる。
サム・ヴァーディー:古典音楽の副主音。ヴァーディー(主音)と四度五度関係であることが多い。それは、七音を上下の二つのテトラコルドに分割した際、サム・ヴァーディーが主音ノテトラコルドの他方の中心音となるからである。
サム・ガット:ガット(器楽)を伴奏すること。すなわち、太鼓の演奏法。一般用語では一語とされ「伴」の意味。偶然の一致か、一般用語が音楽用語から来ているのか?は分からない。転じて「サンガティー:組織」という語もある。
サム・キールターン:1)キールターンを詠唱(合唱)すること。2)宗教歌の総称。
サンガム:協会、合流点。
サンギート:音楽。歌(ギート)が基本であることからの語と考えられる。
サンチャリー:古典音楽の展開部。一般では「派生的・展開」の意味。
サンスクリット:一般に古代インド言語のことだが、字義は「文化」。
サンプールナ:全体、全て、総体の意味。転じて「完全な、全て揃った」古典音楽では「サンプールナ・ジャーティー=全在型=七音全て用いる音階型」や「サンプールナ・ヴァディヤム=完全なる楽器=リズムも旋律も演奏出来る楽器(ヴィーナのこと)」

サンスカーラー:1)ヒンドゥー教徒と諸儀礼の総称。2)ア-ユルヴェーダの浄化法の総称。

サマーディー:至福、悟り、恍惚の段階。仏教の「三昧」。
サマーディー・インドリヤ:「感覚論」に於ける「専念」「超越的集中」

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(文章:若林 忠宏

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190、アーユルヴェーダ音楽療法入門52 (ヤントラ・マンダラと脳機能3:チベットの曼荼羅)

今回の図は、前回述べました「或る時期からインド・チベット・(中国)・日本の曼荼羅は主流(好まれ隆盛したもの)大きく変化した」という指摘に於ける「或る時期」よりも古い曼荼羅を解析したものです。
基本的に前回の「日本密教の曼荼羅」と高い共通性を見せています。しかし、前回述べましたように、インドの「Mandala/Yantra」に見られるけれど、日本の曼荼羅には無い「(縦線が短い太い)Tの字のような門」があります。
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城壁は、二重になっており、内壁の門には、神が置かれます。城壁に沿った「白い枡」で示したものにも、おびただしい神々が描かれる場合もあります。

左図が前回ご紹介した「日本密教の曼荼羅」を解析し私が作図したもので、右が今回ご紹介した関連のチベット・曼荼羅を解析し作図したものです。
異なる点は、チベット曼荼羅が、「最中心の如来の周りに神々が置かれていない」こと。
「内壁(内側の城壁)の四隅に風天・地天・火天・水天がチベットには無い」こと、日本の「中心五尊の上下左右の五尊群」の周りに、前述した「歌・技・愛・華の神々」がチベットでは「象徴・意味・担当」が異なること。
「内壁の四門に置かれた神々が、日本曼荼羅では、「外側の回廊(院)」に押し出され「四辺五尊」になっていること。
日本の曼荼羅では、内側の「第二回廊(院)」に独自な八尊を置いていること。などが挙げられます。

逆に、その他の点。すなわち、全体の八割以上は、「完璧に共通している」ことが確認出来ます。
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特に意味深いのは、「(日本の曼荼羅の)中心五尊」の上下左右の「五尊群」の「配置と象徴(意味)」が完全に一致する点です。いずれも、何らかの共通の原典に倣ったものだから、「当然」といわれればそれまでですが、逆に、チベットと日本で異なる点に於いても、何らかの「基本的概念」が存在することが充分に推論出来ます。

つまり、「神々の象徴(意味・特筆される力・効能)」と「置かれるべき位置」には、深い意味合いがある、ということです。
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ここで、前回迄に述べました「相似性のテーマ」について、極めて重要なことをお伝えしたいと思います。私の体験・経験則ですが、かなり本質的であるにも拘わらず、殆ど語られていない話です。

私はこの50年近い期間に、弦楽器や太鼓のレッスンを、世界中数十カ国の師匠から学びましたが、言うまでもなく、師匠と向かい合ってのレッスンでは、「楽器とその左右の手の見え方」が、逆になる訳です。

最近、世界の民族楽器のレッスンYou-Tubeでも、しばしばカメラの位置を工夫してあるものもありますが、「楽器を演奏する師匠の後ろから眺める」でもしない限り、「見えているもの」と「自分目線の自分の左右の手の動き」は、頭の中で翻訳せねばならないのです。
そのことを考えながら真夏の夜遅くのレッスン(師匠は、夜学の音楽院で教えたお疲れの後、寝る時間を惜しんで教えてくれた)に朦朧としながら、ある瞬間、不思議な閃きで気づいたのです。

それは、「師匠の手の動き」を。「見えているあの手は私自身の手だ」と自己暗示に掛ける方法です。
「現実的」に思える度に、より強く暗示に掛ける訓練をした結果。

そう思って見つめながら、自分の手を動かすと。物凄く早く、効率良く師匠の手が、まるで乗り移ったように自分の手にトレースされるのです。
普通「師匠の手を見て、頭で理解し、翻訳して、自分の手を見て同じように動かそうとする」という、膨大なプロセスと時間を要することが、
桁違いに早く・効率良く出来ることに気づいたのです。

これが、後に私が「ヴェーダの叡智」の「相似性」を深く理解することの大きな基礎になったのです。
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しかし、
ここで言う「相似性」とは、厳密な意味では、既存の語彙には当てはまりません。
「相似性」という語彙は、私に言わせれば完全な概念には至っておらず。「似ている」というレベルを完全には超えていません。故に「自己相似性」の方が、より近いとも言えます。「自己相似性」を説く時引用される有名な例が「シダの葉」の細かいひとつひとつが、全体と似ている(同一的、相同的)というものです。しかし、やはりこれも「結果論」「現象論」に陥りがちです。
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一方、数十年前にひともんちゃくあったおかげで、すっかり下火になった感がある「足裏診断」で言われる「Reflexology」は、かなり私が意味する「相似性」に近いものがあります。「体全体の構造」が「足の裏(のツボ)」に現われている、というものです。
しかし、これも完全ではありません。何故ならば、「経絡(Nadi)の理論のツボの理論」から考えれば、必然的に現われる、「そういう仕組みなのだ」という結果論・現象論で終わってしまっていると思えるからです。
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例えば、
大会社の「保安・管理室」に、ビルの細かな各所に設置したカメラの映像が映るとします。同様に、「原発管理室」にも、おびただしい計測器の数値や画像が集められています。これは、その為の「情報伝達組織(Nadi)」が繋がっているのですから「当然」と言える訳です。

しかし、ここで説く「Yantra/Mandalaとそれと向かい合う人間の相似性」の場合、例えば「国立競技場」の「千分の一の模型」の部分の壁に「針で小さな穴を開けたら」。(模型ではない)本物の同じ部位の壁に大きな(千倍の)穴が開くような話です。そこには、「情報伝達ケーブル(Nadi)」は存在しないのです。

私が「自分の手だ」と自己暗示に掛けた師匠の手もまた、私の手とも脳ともケーブルで繋がっていることは一切ありません。しかし現実、明らかに「自己暗示が効奏する」のです。

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(文章:若林 忠宏

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189、アーユルヴェーダ音楽療法入門51 (ヤントラ・マンダラと脳機能2)

前回(Vol.186)で述べましたように、
「第一段階:Yantara(Mandala)を眺めているだけ(薬を飲まないのに貰ってくるだけ)でもBetter than Nothing、効果は何もしないことより数倍はあるけれど。当人の精神性・思考性が増徴させる外因と滞りで相殺されてしまうかも知れない」。
「第二段階:Yantraと向かい合うこと(とにかく薬を飲む)ことで、効果は数十倍に違いない。しかし、同上に、当人の精神性・思考性が増徴させる外因と滞りで相殺されてしまうかも知れない」。
「第三段階:もしYantraをより深く理解し、自らの心・思考性・脳機能を改善(復元)し、呼吸法とアーサナを伴って真摯に向かい合えば。その効果は同じでも、当人の精神性・思考性が増徴させる外因と滞りによる相殺をかなり軽減出来るかも知れない。」
「第四段階:もし、同上の努力によって思考回路と脳機能が改善・復旧・活性化されたならば。Yantraの力によって相似性のレベルに至ることが出来れば、その効果は、数百倍に至るかも知れない」
と、「四段階」のレベルアップについて説きました。

改めて、「Yantraなの?Mandalaなの?」という素朴な疑問に対して申し上げますと。
いずれにも共通しているのが「城壁と上下左右の門」の存在です。日本の密教の曼荼羅には、「(足の短い)T字型の門(鳥居にも似ている点が○○ですが………)」、チベットの曼荼羅にはあります。つまり、インド・チベット・中国・日本のいずれの「曼荼羅」も、「Yantra」と同様に、「城壁と四つの門・方位・そしてその守護神」および「中心の最高位の神(如来)を取り囲むように、さまざまな神々が、極めて重要な定めによって配列されている」ということでは、「YantraもMandalaも全く同じ」ということです。強いて言えば「Yantra」は、図形・幾何学模様・文字に置き換え、「Mandara」は、可視化(他教徒が言う偶像化)された神々で表現されている。ということです。

………………………………………
今回の図を少しご説明します。
左側は、熱心な方々には、既にお馴染みの、日本の密教に於ける「曼荼羅」の重要なもののひとつです。これは特に「心と思考・脳機能の働きに極めて重要」と説かれているものです。

言うまでもなく、仏教は、後期ブラフマン教を或る意味「批判・否定」して隆盛しましたが、逆に見ると、ブラフマン教の叡智を極めて多く受け継いでもいます。無論、それは論理的に詳しく分析して、翻訳しなければ、仏教の説明だけでは分かり得ませんが。
しかし、密教は、ちょっと複雑な事情があります。
それは仏教全体がヒンドゥー教の弾圧を受ける以前に、仏教主流派からも弾圧を受けたり、中国にて大乗仏教の弾圧を受けたりがあったからです。逆に言うと、或る種の神秘主義から主流派と対立し、自ら地下に潜った場合もあるに違いありません。

問題は、それによって、仏教本流(と言っても時代でかなり変化しますが)の教義と異なる部分が、何時の時代に形作られたか?がはっきりしない点です。或る程度は、チベット仏教、モンゴル仏教、中国に於ける密教、日本に於ける密教などの「差異」を、「時差」などと照らし合わせると見えてくるものがありますが、無論、全てが分かる訳ではありません。
………………………………………………….
今回の二図の左は、言うまでもなく、本物の「密教曼荼羅」ですが、右は、それを解析した私の作図です。最も重要なことは、前述したように、この「曼荼羅」が、「心・精神性・思考・脳機能」に深く関わるものだ、ということです。
そして、
ここには極めて興味深い「インド・チベット・(中国)・日本」に共通する要素があります。
それは、「或る時期から、曼荼羅の主流が変わる」ということです。
…………………………………………………….
前にも何度かご説明しましたが、
仏教では、ブラフマン教後期に二分され、対立構造さえ見え始めた神々。いわゆる「デーヴァ神族」と「アスラ神族」の後者が、一旦は、仏法に背き対立するが、仏法側に屈した後、釈迦の慈悲によって、むしろ仏法の守護者(警護)として、下級神(天)として存続を許されたと説きます。密教・チベット仏教も基本これに倣いますが、部分差異はあります。
それに加えて、
ある時期から、チベットはチベット独自の「守護女神」を大量に創案し、日本い伝わった密教もまた、新たな神々を創造するのです。そして、それは「極めて人間に都合の良い神」という共通点が、あり、或る種の「ご利益宗教」の性質を高めるのです。インドでは、同じ時期に「Shri-Yantra」への信心が高まります。
…………………………………………………..
今回ご紹介した「密教曼荼羅」は、そのような時代の前に、「最も重要な曼荼羅」とされたものです。基本的にはそれは今日も変わらないはずなのですが、後世に信心が流行した別な曼荼羅がより際立っていることも事実でしょう。
……………………………………………..
また、この日本の曼荼羅と、相関関係があるチベットの曼荼羅の双方が、配置された神々の「性質」について、実に様々な解釈がなされています。つまり、前述した「ご利益性の強い新曼荼羅が台頭した」時期に、旧来の本流曼荼羅の神々の「解釈」もまた「ご利益性」が強調された、という性質です。
………………………………………….
その点を吟味し。
「曼荼羅」の二次元上の配置の意味を厳密に検証すると。右図のような「象徴的役割・性質」に尽きることが判明します。

例えば、中心の「五尊の円」の上下左右にも、同じような「五尊」の組み合わせがありますが、その間に、「黄色い円」で示した「四方の四尊」があります。その右上から時計回りに「歌」「技」「愛」「華」と書きましたが、「ご利益系」では、「技」は「舞」とされます。
……………………………………………………….
「ご利益系」は、或る種の「大衆迎合」であることは否めません。しかし、「歌の神」「舞の神」「愛の神」「華の神」が居られる。だけでは、何の学びも気づきもありません。
しかし「歌=Mantra」であり、「愛=慈愛(他愛)」であり、「華=元気・健康・精神性」であるならば、それは「見る・祈る・学ぶ・気づく者」にとって、極めて深い示唆に富んだ意味に至ります。
従って、その場合は「舞」ではなく、「Mudra」であり「Asana」である。つまり、「自らの体・手先に印を結び、神々のNadaとのリンク(シンクロ)を為すという意味です。
それを「踊る神をんただ眺めるだけ」では、或る意味何も始まらない(変わらない)であり、良くて「祈願者自身が小躍りした」ところで、根本的にズレている、と言えます。

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188、アーユルヴェーダ音楽療法入門50 (用語辞典:キ・ク)

カ行・キ
キラナ・ガラナ:
北インド近世の新古典声楽「カヤール」の一派。16c.の楽聖ターンセンの娘の系譜「ヴィーンカル・ガラナ」から派生した非ターンセン血統のヴィーンカル(弦楽器ヴィーナ演奏者)のUd.Bande Ali Khanから発したが、主要カヤール流派の中で、最も早く西洋楽器(手ふいごの鍵盤楽器:ハルモニヤム)による伴奏を起用した。(伝統的な微分音を無視することを意味する) 上記創始者がJaypur-Ghatana、Indore-Gharanaの強い影響を受けていることも考慮すべき。

キールターン:
ヒンドゥー讃歌(献身歌)の一種。主唱者と合唱隊の掛け合いによる。「キールターン」の字義は「繰り返し」とも言われる(※)。その起源は、ヴェーダ時代に遡る、という説がいる一方。今日の歌唱様式の原型は、15~16cのヒンドゥー献身運動「バクティー」から発したとされる。同源の「バジャン」が物語性(叙事詩)が強く、楽曲形式も複雑で規則があるのに対し、単純な構造が主である。
元来、インド~ヨーロッパ語族、及びアフリカのバントゥー系には、所謂「Call & Responce(以下C&R)」の歌唱法が古くから発達していた。音楽研究者は語らないが、必然的にメソポタミア、古代エジプトにその原型が見られる筈。その末裔は、「バジャン~キールターン」から遥か西に至ったキューバの「ソン歌謡」にさえ見られる。「ソン」では、「叙事詩:ギア」を歌い、後半に「C & R」部分が来る。それには「主唱(雄鶏と呼ばれる)と合唱隊(コーラス:Coroと呼ばれる)」の他に「旋律楽器や太鼓のアドリブ・ソロ(Solo)とCoroの掛け合い」なども行われる。「ソン」では、この部分(キールターンに相当する)を「Montuno」と呼ぶ、
最も重要なことは、いずれも「リズムサイクル」に厳しく順ずる点である。末裔のひとつでもあるジャズの即興掛け合いも、それゆえに「4-Bars(四小節)」などと呼ばれサイズを揃える。逆に、リズムサイクルの理論を拡大解釈して、主唱者が2サイクルの様々な歌詞を歌い、合唱隊は1サイクルの定型詩だけで返す場合も少なくない。
創始期には、まだ楽曲形式が不定であったバジャンの末尾にキールターンが付加されていたと考えられ、キューバの「ソン」が、次第に「Montuno」が重視され(庶民が加わり盛り上がり易い為:大衆迎合)たことと同じように、「バジャン末尾」から乖離して独立した歌唱様式に至ったと考えることは容易である。インド文化にハマっている人々の中には「キューバの歌など関係ないだろう」と思う感情思考の人が少なくないが、「ものの有様とその源流」を論理思考で理解するには、「異なる派生の比較・類推」、「置き換え」と「二点測量」は不可欠である。
例えば、この先「キールターン・ブーム」が飽きられるとしたら、その単調性に他ならないであろうが、原点回帰し、「前唱歌~バジャン~キールターン」の様式を復活させれば、極めて意味深い説法と音楽が成り立つであろう。(現にUP州の春歌:ホリーやカジャリーには、そのスタイルが残っている)
元来のキールターンの詠唱には、宗派によって「九つの段階(場面)」や「五つの場面」があり、イスラム系神秘主義の中で音楽を重要視する宗派の祈祷システムに類似する。つまり、一般庶民に向けてバクティーを布教した際の「キールターン」の姿と、帰依者・献身者たちの内向的儀礼(秘儀も含む)の姿にはかなり隔たりがある、と見ることが出来る。いずれにしても、日本では後者の検証・学びはもちろん、一般への実践は難しい。
音楽的スタイルは、ベンガル地方のもの、北インドのものが有名であり、その他、シク教には独自なものがある。

しばしば「サン・キールターン」とも呼ばれるが、この場合の「接頭語:サン」は、「サ行」を参照されたい。
(※)また、「キールターン」の字義には「繰り返し」の他に、「語り、説法」の意味があるとされるが、派生的でもある。同源の「Krt」からは近代南インド古典声楽の「Kriti」も生じているが、ここには「繰り返し」や「C&R」の要素はなく、純然たる「ヴィシュヌ讃歌」である。

キルヴァーニ:
南インド古典音楽の旋法(ラーガ)のひとつ。アラブ・トルコのマカームのひとつと類似し、西洋人から「オロエンタル・マイナー」と称されるものと類似するため、1950年代末以降のインド音楽の海外演奏でお飲んで用いられ、やがて北インドの演奏家も起用するようになった。北インドの類似ラーガは、古代に衰退してしまった。

キンナラ:
天上の楽師。ブラフマン教後期に既に「アシュラ神群」に属する下級神の扱いを受け、後の仏教、ヒンドゥー教でも下級神。良くて精霊的な存在とされた。仏教では、他の下級神同様に「釈迦に詫び、懇願し仏法の守護を条件に存続した下級神:天部」とされ、音訳して緊那羅とされる。
本来、下級ではないにしても、上級紙の従者・眷属ではあったと考えられ、「ガンダールヴァ:天上の歌手」「アプサラ:天上の舞踊手」と共に、天上音楽の担い手であった。インドシナにも深く伝わり、後に小乗仏教に支配された後も進行が継承された。「キンナリ」とも言われ、寺院石彫に「キンナリ・ヴィーナ」という干瓢共鳴胴が1~2個の弦楽器が描写され、後の弦楽器ルードラ・ヴィーナの前駆型とされている。

カ行・ク

クッティー・カーラ
身分の低い音楽家を指す差別用語

クトゥ・ターン
旋律の即興的装飾法の一種。ジグザグ進行が激しい。難解なもののひとつ。

クリ:
太鼓変奏法の一種で「対句(掛け合い)の問いかけ部分」

クリヤー:
「機能、働き」のこと。

クリヤー・ヨーガ:
現代ヨガの一派。現代ハタ・ヨガ(Pistural-Yoga/体操ヨガ)とは異なり、精神ヨガ・瞑想ヨガに偏る。属する人々には、古代タントラ・ヨガからの伝統を引いているとされるが、確証はない。そもそも「Tantra」は、密教的な系譜のみではない上に、密教系タントラの中でも、後世広く知られた過激派ばかりではない。中世の「ハタ・ヨガ」の主流派は、その「密教系・過激派タントラ」に根ざしていたとされる。その中心的な教義に、特殊な瞑想法による「クンダリーニ覚醒」があり、現代クリヤー・ヨガは、その伝統を引いていると主張する。

クリシュナ:
ヒンドゥー三大神のひと柱「ヴィシュヌ神」の10の化身(Avatara)の八番目。人間と同じ姿で、色黒で表現される。七番目の「ラーマ王子」と共に、昔から庶民の人気が高い。二大叙事詩「ラーマーヤナ」ではラーマ王子が主人公で、「マハーバーラタ」では、クリシュナが助演(副主人公)。その他、クリシュナは「バガヴァド・ギータ(散文聖典)」で重要な役割を果たす。同聖典に於けるクリシュナは、禅問答のように様々な形で真理を示唆するが、後世にかなり加筆されたことが疑われ、現代、その原典の正しい形を知ることは難しい。
一方、クリシュナは、元来先住民族の神であったものがヒンドゥーに取り込まれたとも言われる。それ故、「肌の色が黒い」とされ、「クリシュナ=黒色」と説く派もある。その一方で、「シャーム=黒色」もまた、クリシュナのおびただしい「別名/徒名」のひとつに数えられる。
また、クリシュナは独自の神で、ヴィシュヌの化身とされる「マツヤ(半人半漁様)、クールマ(亀)、ヴァラーハ(猪)、ナラシンハ(半人半獅子様)」は「クリシュナの化身」と説く派もある。
前述の二大叙事詩と聖典の他にも豊富なクリシュナ神話があるが、大別すると
「生誕の物語」悪政王に苦しむ民衆がヴィシュヌに祈願し、「人間の子」として生まれると予言。それを知った王が、該当夫婦に生まれた新生児をことごとく抹殺。出産の瞬間に運び出されたのがバラ・ラーマ(ヴィシュヌの従者アナンタ竜王/蛇王の化身)と弟クリシュナと言われ、実父、養母も神格化に近い人気がある。
「乳幼児の物語」養母の目を盗んでギー(バターの類)を盗み喰うことから「マッカンチョール(バター泥棒)」の徒名を付けられた赤ん坊のクリシュナ。TV-Radioなどが無い時代、結婚前・出産前後のヒンドゥー女性のアイドルだったとも言われる。
「少年時代の物語」
羊飼いの少年として「ゴパール(ラ)」として、乳搾りの娘たち「ゴピ」との日々の物語。「ブランコ遊び」や「ホリー祭りの色水掛け」などが讃歌、劇、絵画の主題となる。「ゴピ・クリシュナ」の対句がある。
「青年時代の物語」
人妻のゴピ「ラーダ」との恋物語が極めて有名。「ラダ・クリシュナ」の対句が在る。
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「ゴピ・クリシュナ」と「ラダ・クリシュナ」の双方に共通のテーマが「笛吹き童子」である。竹の横笛「バンスリ」の別名「ムラーリ」を持つ男「ムラーリ・ダール」とも言われる。
このテーマは、古今東西に比較的多く散見され、「日本の笛吹き童子(Radio-Dramの原典はかなり古い)」「ハーメルンの笛吹き男(13cのドイツの実話?)」は特に有名。オスマン・トルコで準国境扱いを受けた神秘主義の一派では、縦笛「ネイ」が極めて重要で、「笛の音」は、或る種彼岸との交信器具(神器)とも言われる。トルコでは近代迄「笛は命を取る」と考えられ、「ひさしぶりだが、ずいぶんやつれたね」などの時に「笛吹きのようだね」という常套句があるほど。日本各地の竜蛇伝説では、笛の達人が池・沼に引きずり込まれる話は多い。実際、洋の東西で著名管楽器奏者が呼吸器疾患で早世した例も少なくない。古代インドのバラモンの菜食主義では「根菜」を食べず「竹」もまた「根と一体化(葉や果実ではない)している」として、食べず。「竹笛」も口に当てなかった(だから鼻で吹いた、という記述もある)と言われる。

クレーダカ・カパ:
「Tri-Dosha(Dhatu)」のひとつ「Kapha」の「副五要素」のひとつ。カパの総体は「留め・構築・基盤・安定・保存・接合・代謝」であるが、クレーダカ・カパは、特に「潤滑・潤い・溶解」の側面を似ない、ピッタの力で「分解・燃焼」された栄養素や、ヴァータとピッタで作り出された(副産物)不要物・毒素・老廃物を液化して処理(排出)する。例えば、クレーダカ・カパは、ピッタの「酸」と共同して「胃酸」となると同時に、「胃粘膜を更に保護する粘液」とも考えられている。広義には「唾液・涙」などの「粘膜保護液」や「関節潤滑液」などもクレーダカ・カパの働きによって分泌される。

クシャトリア:
一般に「カースト」と呼ばれる「四ヴァルナ」のひとつで、ブラフマンに次ぐ地位。神々が創作した「原人」の腕から生まれた人間たちとされる。武士階級としても知られ、二大叙事詩の時代に隆盛した。時代の符号からみても、「ブラフマン教・仏教」から「ヒンドゥー教」への流れには、王族・僧侶・貴族の権力から、地方豪族・武士階級への権力の移行が認められる。

クンダリーニ:
第一チャクラにあるとされる「エネルギーの根源」→クリヤー・ヨガ

クンティー:
弦楽器の糸巻

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187、アーユルヴェーダ音楽療法入門49 (Vata気質と精神構造-1-)

トゥリ・ドーシャ(バータ)に於ける「ヴァータ」は、「流れ・運搬・運用」の働きを司ると同時に、過剰に亢進すると、「蓄積を阻害する」という反作用を招くとされます。
何度も申し上げていますが、今日のAyurvedaは、日本のみならず現地でも。「心身」の「体」についてばかり問われ、説かれますが、実際は、「心身」は、極めて強力に関連し合っているのですから、「心の状態=思考回路」についても説かねばなりません。残念ながら、そのような価値観を持っている専門家は、少なくとも日本にはほぼ皆無です。
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何度かご説明しています「ヴァータの図」の左右上半分は、「論理思考領域」が本来の姿で活性されうる「思考性・思考力」を持った人の場合の「右脳左脳」に於ける「Vata気質」の効率良い、効果的な活用例です。
左右下半分は、現代人に極めて多い「気分・感情領域に偏重した思考性・思考力」の人に、残念ながら極めて頻繁に現われてしまう「Vata気質の悪影響・悪癖」の例です。
よって、
日本のAyurveda専門家の多くが、この下半球の話ばかりを都合良く引用し、もっぱら偏った説明や解釈の説得力に利用しているのです。
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つまり、「本来の健康な姿=上半球的な思考性・思考力の活性化」を説き、「Vataの効果的・有益な活用」を説くという観念が、そもそも存在していないのです。
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「Vata気質」の「論理的思考」と「感情思考」の対比の典型的な例が、「上半球(論理思考)の楽観・寛容・協調性」と「下半球(感情思考)の移り気・優柔不断・散漫・混乱」でしょう。
とかく、
人間は、誰しも、自分の関わる事柄を美化したがります。現代人に最も顕著なのは、「他者から被った被害は大袈裟に感じ、自分が与えた損害は軽微に思う」という感覚ですが、
図の
「下半球(感情思考)の移り気・優柔不断」は、見事に「外交的・寛容性」と自認・自称してしまう人が殆どです。
そもそも「外交的・移り気」や「寛容性・優柔不断」の論理的な区別が存在していません。そういう考え方・価値観で物事を理解しないのです。
その結果、
殆どの人が、
「良く言って外交的・悪く言って移り気」「良く言って寛容性・悪く言って優柔不断」などという恐ろしい感覚が「当たり前=普通」だとしてしまう訳です。
「寛容性」は、
『住職に柱に縛り付けられた雪舟が、涙を足の指でなぞって鼠の絵を書いた』
のような、言わば「転んでも徒では起きない」。如何なる状況に置かれても、自分の信念を貫くようなことであり、
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の類であれば、昨今の「暑さ寒さが苦手で、直ぐにエアコンを入れる」という感覚が「寛容性」であろう筈はないのです。
つまり、
「論理思考」に於ける「寛容性」には、
「他者・条件・環境の所為にしない」という側面が必ずセットになっているのです。

従って、現代人の殆どがやりかねない。
「良く言って外交的・悪く言って移り気」「良く言って寛容性・悪く言って優柔不断」の正体は、
「外交的と良く思いたい・言いいたいが、その実は、単なる移り気」
「寛容性と良く思いたい・言いいたいが、その実は、単なる優柔不断」ということです。

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雪舟の逸話は、
図の上半球右側の「発想の転換・想像力」と、下半球右側の「根気・持久力脆弱」の対比にも当てはまります。
現代人は、
「絵を描きたいのにお勤めばかり→逆らったら縛り付けられた→こんな環境・条件では『やりたいこと』など出来る筈がない!」という結論を短絡的・安直に導いていしまいますが。
逆に言えば
「柱に縛り付けられる」などというありがたい状況はないのです。
その間、
「好きに想像・創造・妄想や、論理思考」を自由に繰り広げられる訳ですし、
実際、雪舟は、「涙」を活用して「足で絵を描いた」訳です。

尤も
「涙が出る」ということが「悲しみ」だった場合。そのような思いつきは得られなかったであろうと思われますから、逸話はイマイチ眉唾的ではありますが…………….。
もし、事実、雪舟が「哀しみ」を抱き、それが涙を誘ったならば、幼い少年にあっぱれな「論理思考活性状態」だったのでしょう。
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(文章:若林 忠宏

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