138、インド音楽の楽しみ方(11)北インドの準古典叙情詩ガザルの形式

前回Vol.137でご説明しました中世~宮廷終焉までのインド花柳界の二大歌謡のひとつ「Thumri」について述べました。今回は、他方の「Ghazal」ですが、共通項の同じ文章もここに記します。図も共通です。
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図は、上段がトゥムリの構成で、下段がアラブ・ペルシア様式の叙情詩ガザルの構成です。この二種はいずれも中世インド花柳界で発展した準古典音楽叙情歌ですが、厳密には以下のように分別されます。

トゥムリ
1)主にヒンドゥー教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
ムスリマ(イスラム教徒の女子)の芸姑でも歌う者は居る。
ガザルを歌うヒンドゥー系の芸姑は少なかったと思われるが例外もある。
宮廷文化が終焉した1945年以降は、芸術音楽として宗派階級は問わない。
2)主にヒンドゥー教の神々の物語を、平凡な人間の恋愛叙事詩に見立てて歌う。
イスラム支配下でヒンドゥーイズムを継承する為の策だったとも言われる。
同じ芸姑の舞踊では、全体はペルシア風胡旋舞だが、手首より先のムドラで
ヒンドゥー寺院デーヴァダースィの伝統を継承したとも言われる。
3)基本的に軽いラーガ(旋法)、および混合ラーガを用い、更にしばしば
ラーガに無い音を臨時に加えたりする。
4)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。
5)歌詞は、主題の一二行しかなく、同じ歌詞や、その部分の単語を様々な旋律で
歌う即興歌謡「Neraval」が本領である。

ガザル
1)アラブで生まれペルシアで育った後、インドでインド音楽とも習合して完成した
ペルシア・シルクロード・アラブ・トルコ・北アフリカにもあるが、各地で
各地の伝統音楽のスタイルで歌われる。
2)二行連句で、冒頭の連句が「主題:結論的な内容」で、その後の展開部で
物語の内容を深めて行く。各二行目に韻が踏まれる。
この構造は、中世ヒンドゥー献身歌バジャンに影響を与えた。
3)各展開部の後は主題に戻るが、その度に伴奏楽器は盛り上がる。
序唱歌手が居る場合、主題に戻ると序唱者の合唱が加わる。これはヒンドゥー
讃歌キールターンに影響を与えた。
4)主にイスラム教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
恐らく必須ではないが、大概この種の芸姑はトゥムリ系歌謡も歌う。
5)花柳界の他、富豪の邸宅などで歌う近似の歌唱様式もある。
6)主題はほぼ定型通り歌われるが、展開部は即興の余地が多い。
トゥムリのようなNeravalも含むが多くなく、比較すれば遥かに短い。
7)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。

大雑把に説明するとことようになります。もうお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、見落としがちな重要な点は、元々は両者の音楽カーストは同じだった、ということです。それが10世紀に以降イスラム支配下に於かれた都市で、一方は生き残るためにイスラムに改宗し、一方は、やはり生き残る選択肢として改宗しなかった、ということです。
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トゥムリ歌手の場合、当然のイスラム教徒の客が多い店で歌い踊りますが、ヒンドゥー娘であることの価値がある訳です。逆にムスリマ歌手は、イスラム教徒富豪の邸宅にも出張出来るという事情です。

また古典音楽にとって重要なポイントが二つあります。ひとつは、中世以降この花柳界の音楽文化が古典音楽に大きな影響を与えていたということです。実際弦楽器シタール、太鼓:タブラ、弓奏楽器:サーランギ、そしてカヤール声楽様式などはずべて、この花柳界で生まれたものです。勿論、宮廷古典音楽の末端に加えられ(次第に出世し宮廷文化の最後の時代には主流にまで登り詰める)た後、科学音楽に根差す古い伝統古典音楽の要素も加味されました。

その一方で、もうひとつのポイントは、花柳界の歌姫・舞姫と男兄弟のタブラ、サーランギー奏者たちは、宮廷楽師の貴重な定収入源のお弟子であったことです。宮廷で上位に位置すれば、給料も充分な上に、名演奏を記す度に、聴衆からの「おひねり」や王からの「褒美」が出たりしますが、中下級ですと、給料ではやっとの生活になります。

(以上前回と共通事項)
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ガザルの構成は、トゥムリより遥かに複雑ですが、極めて規則的なので、分かり易い聴き易いと言えます。

まず、歌詞は二行連句で、同時代に発展したヒンドゥー讃歌キールターンや献身歌バジャンにも影響を与えています。

主題と展開部は、いずれも二行連句が「上の句・下の句」の二つの構成になっており、まとめて「バイト」と呼ばれます。冒頭の「主題のバイト」と「最後のバイト」は、特別にそれぞれ「マトゥラー」「マクター」と呼ばれ、マクターは大概四番か、それ以上の場合でも演奏会や録音では割愛して四番に持って来て終わることが多く見られます。

マクターには、作者の名前を雅号のように入れ込むことが風習で、これもヒンドゥー献身歌バジャンどころか、南インド古典声楽のクリティーにも伝わっています。ガザルではこの雅号は「タハッルス」と呼ばれます。

従って、作詞家の名と詩は紛れも無く正確に継承されているということです。しかし、旋律やラーガ、そしてガザルにも多い臨時音は、花柳界での口承伝承に頼る他なく、変化している部分もあるかも知れません。楽器間奏に関しては、伝承と主題の旋律を基に、録音の度に編曲者が作曲しているようです。
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ヒンドゥスタン・ガザルの最大の特徴が、繰り返され主題に戻る毎に次第に盛り上がることです。

図のガザルの一行目では、最初の間奏「サズ(ペルイシア語で「楽器」の意味)は、同じ中庸のテンポのタブラ伴奏で演奏されますが、はじめの展開部の後に初めて戻った主題では、後半にタブラの「ラギー」に替わります。タブラのラギーは、倍速~四倍速で叩きますが、オリジナルのテンポとノリはキープされています。これが最後に主題に戻る時には、戻った頃からラギーに替わって、歌い手は相変わらず淡々と歌うのに対し、伴奏は非常に熱く盛り上げているのです。この構造は、トゥムリと同じです。(トゥムリでは後半にまとめて行いますが)

図の一行目の後半、主題に戻った途中からタブラだけラギーになるのは、実は歌い手ははじめの連句しか歌わないからです。残る下の句は楽器伴奏だけとなります。
そして、間奏は、展開部の二回目の後の戻り以降、撥弦楽器はピッキングを二倍四倍速で弾き、弓奏楽器は運弓を倍にして盛り上げます。
が、次の展開部の直前で、全員「ストン!」と冒頭と同じテンポ・躍動感に戻すのです。

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この手法には、「歌詞を聴き入ること」と「歌詞を理解すること」というガザルの最も重要な基本があります。
まず、何度も聴いたことがある曲(詩)でも、聴衆のみならず伴奏者、歌い手さえもが「初めて」の気分・気持ちで聴き・歌うのです。
これは、ペルシア語やウルドゥー語の詩「シェール」の即興の会の風習から来ているのかも知れません。日本の和歌や川柳の会のように集った愛好者は、車座になり、一人一人皆で決めたテーマで順にその場で即興詩を詠うのです。

単なる詩会と異なる点は、次々隣に回すことと、いささか勝負・腕比べ的であることです。考えている時間は、「しりとり」に近いほど少ないスリリングなものです。日本でも江戸時代に流行った「連歌」があります。

ガザルもトゥムリも、その場その場で即興的に歌うことが主流であったと考えられ、伴奏者もはじめの主題も各展開部も「その時初めて聴いた」という設定です。
従って、伴奏が盛り上がる・派手に弾くことはあり得ないのです。
ところが主題に戻った際は、話しは変わり、二度目に聴く文言ですから、反応せねばならず、ラギーで盛り上げることで反応を示すのです。

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また昔から私は、このガザルを説明する時に「ペッパー警部型」と言って来ましたが、分かり易かろうと思った例えですが、ぼちぼち数年前から、「ペッパー警部って歌を知らない」という人が増えて来て困っています。あの時代ですと、老若男女同じ曲を引き合いに出しても話しが通じましたが、この二十年、皆に通じる曲がないからです。

「ペッパー警部型」の冒頭の歌詞を要約すれば、「ペッパー警部邪魔をするな!私たちはこれから良いところなのだ!」というものですが、「初めて聴いた設定」では、「ペッパー警部って誰?」「私たちって誰?」「良いところって何?」となる訳です。

同様に、パキスタンの「ガザルの帝王」と呼ばれた歌手の名曲では、「もし、恋愛に哲学というものがあるのなら。教えてやって欲しいものだ女性達に」という主題があります。ペッパー警部同様に、これだけでは全く意味が分かりません。なので、展開部でその「理由、事情」を語り、聴衆もそれを聴こうとする訳です。

従って、展開部の直前では伴奏のラギーを止め、聴き入る態勢に切り替えるのです。

逆に主題に再び戻った際は、それが繰り返される度に、
「おお!なるほどね!おっしゃる(主題の)意味が分かって来ましたぞ!」のリアクションの意味を込めてラギーを展開するのです。

このラギーで聴衆も盛り上がるとともに「分かった気分」も充実します。そして、恐らくこのタイミングが「おひねり」の絶好のタイミングとなるのです。

絵のジャケットのLPは、ミルザガリブの作品を歌った往年のガザル歌手のコンピレイション。
写真はパキスタン・カラチで幸運にもインタヴューが出来た「ガザルの帝王」の一人、グーラム・アリ氏と

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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(文章:若林 忠宏

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137、インド音楽の楽しみ方(10)北インドの準古典叙情歌トゥムリの形式

この連載で、古典音楽にしばしば関わる「花柳界の音楽」と述べて来ている音楽の代表的なものが「花柳界の歌姫の叙情詩:Thumri」です。
図は、上段がトゥムリの構成で、下段がアラブ・ペルシア様式の叙情詩ガザルの構成です。この二種はいずれも中世インド花柳界で発展した準古典音楽叙情歌ですが、厳密には以下のように分別されます。

トゥムリ
1)主にヒンドゥー教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
ムスリマ(イスラム教徒の女子)の芸姑でも歌う者は居る。
ガザルを歌うヒンドゥー系の芸姑は少なかったと思われるが例外もある。
宮廷文化が終焉した1945年以降は、芸術音楽として宗派階級は問わない。
2)主にヒンドゥー教の神々の物語を、平凡な人間の恋愛叙事詩に見立てて歌う。
イスラム支配下でヒンドゥーイズムを継承する為の策だったとも言われる。
同じ芸姑の舞踊では、全体はペルシア風胡旋舞だが、手首より先のムドラで
ヒンドゥー寺院デーヴァダースィの伝統を継承したとも言われる。
3)基本的に軽いラーガ(旋法)、および混合ラーガを用い、更にしばしば
ラーガに無い音を臨時に加えたりする。
4)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。
5)歌詞は、主題の一二行しかなく、同じ歌詞や、その部分の単語を様々な旋律で
歌う即興歌謡「Neraval」が本領である。

ガザル
1)アラブで生まれペルシアで育った後、インドでインド音楽とも習合して完成した
ペルシア・シルクロード・アラブ・トルコ・北アフリカにもあるが、各地で
各地の伝統音楽のスタイルで歌われる。
2)二行連句で、冒頭の連句が「主題:結論的な内容」で、その後の展開部で
物語の内容を深めて行く。各二行目に韻が踏まれる。
この構造は、中世ヒンドゥー献身歌バジャンに影響を与えた。
3)各展開部の後は主題に戻るが、その度に伴奏楽器は盛り上がる。
序唱歌手が居る場合、主題に戻ると序唱者の合唱が加わる。これはヒンドゥー
讃歌キールターンに影響を与えた。
4)主にイスラム教徒の下層音楽階級の女子が舞踊と共に身に付ける歌唱様式
恐らく必須ではないが、大概この種の芸姑はトゥムリ系歌謡も歌う。
5)花柳界の他、富豪の邸宅などで歌う近似の歌唱様式もある。
6)主題はほぼ定型通り歌われるが、展開部は即興の余地が多い。
トゥムリのようなNeravalも含むが多くなく、比較すれば遥かに短い。
7)同じ一族・家系に生まれた男子は、太鼓:タブラと弓奏楽器:サーランギー
を身につける。
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大雑把に説明するとことようになります。もうお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、見落としがちな重要な点は、元々は両者の音楽カーストは同じだった、ということです。それが10世紀に以降イスラム支配下に於かれた都市で、一方は生き残るためにイスラムに改宗し、一方は、やはり生き残る選択肢として改宗しなかった、ということです。

トゥムリ歌手の場合、当然のイスラム教徒の客が多い店で歌い踊りますが、ヒンドゥー娘であることの価値がある訳です。逆にムスリマ歌手は、イスラム教徒富豪の邸宅にも出張出来るという事情です。

また古典音楽にとって重要なポイントが二つあります。ひとつは、中世以降この花柳界の音楽文化が古典音楽に大きな影響を与えていたということです。実際弦楽器シタール、太鼓:タブラ、弓奏楽器:サーランギ、そしてカヤール声楽様式などは全て、この花柳界で生まれたものです。勿論、宮廷古典音楽の末端に加えられ(次第に出世し宮廷文化の最後の時代には主流にまで登り詰める)た後、科学音楽に根差す古い伝統古典音楽の要素も加味されました。

その一方で、もうひとつのポイントは、花柳界の歌姫・舞姫と男兄弟のタブラ、サーランギー奏者たちは、宮廷楽師の貴重な定収入源のお弟子であったことです。宮廷で上位に位置すれば、給料も充分な上に、名演奏を記す度に、聴衆からの「おひねり」や王からの「褒美」が出たりしますが、中下級ですと、給料ではやっとの生活になります。そんな時、趣味で倣う庶民ではなく、根気良く熱心で長く続くお弟子の存在は掛け替えの無いものだったのです。
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「おひねり」は、日本の花柳界でも良く知られた風習です。
今日でも「全てに都合良くなんて、あれもこれもで価値が薄っぺらい」と批判する際に「総花的」と言いますが、この言葉の語源は、お大尽が、花柳界のお店に着くや、芸姑さんはもとより、番頭、たいこもちから小間使いさんにまで全員に「おひねり」を与えたことを言ったものといいます。

「おひねり」はイスラム文化圏では宗教・宗派を問わず共通しています。
ちなみに「おひねり」は日本独特で、現金を剥き出しは禁忌なので、半紙に包んで小さな巾着のように「ひねる」からです。日本以外ではアカラ様に現金が投げられたり、楽器の何処かに挟まれたりします。

私も何度も経験しましたが、最も忘れ難い体験が、インド料理店開店パーティーと或る年の在日パキスタン人協会の祝賀祭でのことでした。料理店での演奏は、私の演奏会ではなく、中世から続く風習そのものの、「一日中BGMとして弾き続ける」もので、それではワリが合わない交通費込み一万円のギャラでした。

ところが、何かの拍子に、集まった店主の身内のインド人ヒンドゥー教徒たちのスウィッチが入り、誰かが「おひねり」を演奏中の私の弦楽器の糸巻に挟むと「ならば俺も」と次々と下さり、結局数万円もギャラアップしたという経験です。日頃多分に日本人化している彼らは、むしろ異国での生き残り精神で倹約家ですが、私のレパートリーが現地人ウケするものだったので、スウィッチが入ったのでしょう。

パキスタン協会でも「ならば俺も!俺も!」となり、運輸会社社長は、「今度またパキスタンに行った時は、君の荷物は無料で空輸する!」六本木のレストラン社長は、「メンバー全員フルコースご招待だ!」、そして旅行会社社長は、「ならば俺様は、日本~パキスタンの航空券をプレゼントだ!」となったのです。
アラブ・トルコのベリーダンスでは、踊り手の胸の谷間に折った札をねじ込みますし、西アフリカでは、伝統音楽のみならずアフリカンロックの歌手がギターを弾いていればその汗をかいた額に札を貼付けます。
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しかし、宮廷音楽が終焉してからは、インド音楽家の生活は、腕前よりもコネと営業力で雲泥の差が出ます。私も現地で1レッスン100ルピー(当時は多分千円相当)で巨匠からタブラを学んでいましたが、父親のような存在のシタールの師匠から、「こいつにも仕事をやってくれ」と貧しい身なりのタブラ奏者からも学びました。が、なんと1レッスン10ルピーでした。腕前は一回り程度しか変わりませんが、千円と百円です。
勿論花柳界の弟子を得るのも、上位の音楽家の方が有利で裕福に繋がるのですが、「宮廷での音楽では手加減や半端な手助けはしないが」としつつ、花柳界の弟子は、チャンスに恵まれない音楽家にも行き渡るようにしていたとも聞きます。イスラム・ヒンドゥーを通じて、昔の日本以上に、共存互助の精神が豊かなので、在り得る話しだ、と思いました。

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トゥムリは、或る意味でガザル以上に音楽的であり、基本音以外の混入が多いですが「音の動きが命を生む」という点では「ラーガ音楽」の要素も薄くないとも言えます。それに対しガザルは圧倒的に「詩の表現」に重きが置かれています。

ガザルの詩が、主題・展開部のいずれもが二行連句の二連句(計四行)で、展開部は最低でも四つあるのに対し、トゥムリは一二行しかありません。

その為に「同じ歌詞や単語を様々な旋律で歌う:ネラヴァールの技法」が驚異的に発展しているのです。実際、例えば「夕べ」という単語だけで、数十分は即興しています。これは古典声楽:カヤールの中心的な要素であることは勿論、南インド声楽の即興にまで強い影響を与えています。

ちなみに同じトゥムリ歌手のレパートリーである「ダードラ」や、ヴァラナシなどの東部のトゥムリで重要なカジャリー、ホリーでは、歌詞も多く、構成もガザルに近似します。

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トゥムリの構成は、極めてシンプルで、前半は、中庸のテンポの14拍子で歌われ、歌手の目配せでタブラは突然4拍子を非常に細かな手さばきで叩き続け始め、かなり盛り上げます。それに乗って歌手は、ほんの一言二言を、疾走する馬に乗るかのように、しかし全くリラックスして長閑に歌い続けます。

この部分は、聴衆が最も盛り上がるところで、「ラギー」と呼ばれます。そしてエンディングは、僅かな目配せの直後にタブラが、ささやかな終始句で終わり、そのまま叩かない場合もあれば、14拍子を1サイクル叩き、末尾に簡単な終始句を着けて終わるのです。

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1980年代に古典声楽の巨匠の地位に君臨した、カヤールも歌うトゥムリ歌手には、ギリジャ・デーヴィー、ニルマラ・デーヴィー、ヒラ・デーヴィー、ショバー・グルトゥーの他、有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカル氏の親戚で、共に欧米公演でも活躍したラクシュミ・シャンカル女史などが居ますが、20世紀最大のトゥムリ歌手で、トゥムリ系歌謡に徹した伝説の名人が、LPジャケット写真のラスーラム・バイです。

1980年代在京のインド人会、パキスタン人会、バングラデシ人会での演奏が増えた私に、各国の音楽マニアは、「お前日本人とは思えんなぁ」と嬉しそうに話し掛けて来てくれて、「当然、○○の歌は聴き込んでいるよな!?」と異口同音に言うのです。ヒンドゥー教徒はこの○○がラスーラム・バイであり、イスラム教徒は、○○がベガム・アクタールでした。それぞれ十人近い人が同じ名前を挙げるのです。「これは聴かずにおられない」と二三ヶ月掛かって苦労して手に入れてみると、どちらも日本人感覚では美声とは言い難い、晩年の録音であったこともありますが、むしろ当初は、しわがれ声でぶっきらぼうに歌っているとしか感じませんでした。どちらもお若い頃から声域が低いこともありますが。

絵のジャケットは、トゥムリ歌手を集めた名盤で、白黒写真のLPは、ラスーラム・バイの名盤です。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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136、インド音楽の楽しみ方(9)南インド古典音楽の即興部分

南インド古典音楽に於いても即興音楽は、古典音楽体系が南北に別れる前後の時代では、古代インド音楽/科学音楽の伝統として基本であった筈です。

しかし、何時頃か即興音楽は二の次になり作曲の再現音楽が主体になったのです。

10世紀に北からイスラム勢力が侵攻し、13世紀には南インドまで支配され、その後ヒンドゥー勢力が盛り返すことも多少ありましたが、ヒンドゥー寺院・僧侶・寺院音楽家たちは、辛うじて寺院音楽やヒンドゥー王朝宮廷音楽を維持している小王国を点々とすることになります。

そのような時代に、科学音楽の系譜にある即興音楽を演奏するよりは、ヒンドゥーイズムを強調した讃歌が好まれた可能性は大いにあります。

そして19世紀には、Tyagaraja(1767-1847)、Shyama-Shastri(1762-1827)、Muthuswami-Dikshitar(1775-1835)の三大楽聖が現れ、膨大な数のラーマ讃歌クリティーの名曲を著わすことによって、以後の南インド古典音楽の主流は、それらの再現が基本となってしまうのです。これにはイギリスの統治政策の一環であるヒンドゥーイズムの高揚も大いに関係しました。即ち、数百年も間、南インド古典音楽は、科学音楽の土壌に根差しながらも、その実践よりもヒンドゥーイズムの維持、高揚に努めねばならなかった事情があるのです。

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ところが、この数十年。特にこの十年、南インド古典音楽の潮流は即興演奏に傾きつつあります。或る意味「マノーダルマ・サンギート・ブーム」とも言えます。

「Mano-Dharma-Sangit」は古代音楽の用語で、即興音楽を意味し、作曲の再現である「Ano-Dharma-Sangit」の対峙語です。この言葉を高らかに語ること自体、長年アノーダルマが主体であったことを南インド音楽家自身が認めていることになります。即興音楽が主体の北インドでは数千年、わざわざそんな言い方はして来なかったのですから。
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南インドに於ける即興音楽の再興には、二つの要素が考えられます。ひとつは、「古代音楽への回帰」という精神論であり、もうひとつは「北インド古典音楽の影響」です。
長年、19世紀の楽聖の作品を再現することに至高の喜びを抱いていた南インドの音楽家と聴衆の中から、1970年代に少しずつ「即興演奏」に重きを置く演奏家が現れました。それは主に器楽(撥弦楽器:Vina、竹の横笛:Kural、弓奏楽器:Violinなど)演奏家からでした。

しかし、声楽家のコンサートやレコード発表では相変わらず再現音楽が主体でした。

器楽も基本は歌詞のある音楽の模倣でしたが、そもそも声楽に於いて前唱曲:アーラーパナや、本曲第三部チャラナムの後に展開する即興部分:スワラ・カルパナは「歌詞の無い部分:即興部分」でしたから、器楽にとっても自然に思う存分個人の音楽性を発揮出来る様式だった訳です。

このことからも分かりますが、「即興演奏」は、「科学音楽の具現」という意味合いとは異なる「個人芸の披露、自己実現、営業的要素、大衆迎合的要素」が、分別出来ずに渾沌と混在する危険性があった訳です。

尤も、近年急速に流行している、即興性の極めて高い様式「Ragam-Tanam-Pallavi様式」は、20世紀中盤に既にあり、私が敬愛して止まない女流声楽家スッブーラクシュミ女史もかなり昔に素晴らしい「Ragam-Tanam-Pallavi」の録音を残しています。
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ただ女史位の水準になると、個人芸の披露や決してイヤラシくなく、「彼女自身の才能と芸・技法」の他に、「伝統と様式美」そして「ラーガとターラ」が三位一体となって昇華・昇天するような見事さがありました。

それと比べてしまうと、近年の「Ragam-Tanam-Pallavi」には、ラクシュミ女史などの往年の巨匠がバランス良く表現した「三位」の後二つが決定的に貧相なので、結果「個人芸の披露=自己顕示の塊」のようなことになってしまう訳です。

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「Ragam-Tanam-Pallavi様式」とは

Ragamは、そのままの単語では、旋法ラーガのことになってしまいますが、この様式の語意では、前唱曲:アーラーパナの三部構成の第一部:Ragam-Alapanamの事です。

Tanamも同様、中庸の2拍子(ターラ概念は無い)で展開するアーラーパナの第二部でしばしば演奏される「リズム・ヴァリエイションの妙技」の様式です。

図で示したのがターナムの基本的な概念で、同じフレイズ(図ではSRG:ドレミ)を異なるリズム型で繰り返します。ターラの概念は無い部分ですが、2拍子的なノリの上で演奏していますから、2の倍数から外れることはあまり芳しくないのです。

尤も近年、図のようなことを全て演る人はまず居ません。冒頭だけやって、「あっターナムが始った」と聴衆に分からせた後は、北インド古典音楽アーラープの第二部「ジョール」のように即興を自在に展開します。

Pallaviは、クリティー様式の冒頭に歌われる、最も重要な主題(第一主題)部分です。クリティーの基本は三部構成で、パッラヴィ(第一主題)、アヌパッラヴィ(第二主題)、チャラナム(展開部)となっており、歌詞はそれぞれ、一行、二行、四行となっています。少なくとも百年二百年の伝統があるクリティーの即興部分は、チャラナムの後に付加されます(しなくても良い)。この場合四行ある歌詞の三行目をパッラヴィや、ターラと太鼓を伴う北インド即興音楽の主題「スターイー」のように用いて「主題/即興/主題/即興」と展開します。従って、パッラヴィというよりは、「チャラナムの三行目」ということですが、固有の名称がないためか「主題」の意味合いで「パッラヴィ」と言っているような感じです。

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すなわち、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」の基本となる「伝統曲の即興部分」は、「アーラーパナの自由リズムの第一部」「アーラーパナの2拍子の第二部」「チャラナムの後の即興部:スワラ・カルパナ」ということです。

「伝統曲の即興部分」は、この他に、アーラーパナの第二部で、ターナムとは別に、後の本曲の歌詞を自在な旋律で歌う「Niraval」がありますが、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」では、第三部Pallaviの歌詞を自在に変奏します。
しかし、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」は、ラーガ音楽よりも、ターラの技法や変奏の妙技をより重視しているため、逆に原曲の旋律のまま、拍数構成を替える方が好まれているようです。
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「Ragam-Tanam-Pallavi様式」の流行に見られるスタイルは、意識があろうとなかろうと、北インド古典音楽の模倣の要素が濃厚です。しかし、本来北インド古典音楽の即興性は、古代インド古典音楽に根差しているからであり、南インド古典音楽もそこに回帰する方向性にある、と言うことが出来る筈です。

しかし、実際の時代推移を見ますと、前述しましたように、まず器楽奏者から即興性が高まり、それを受けて声楽家が「Ragam-Tanam-Pallavi様式」を発展させた、という流れがある以上、精神論の「古代音楽への回帰」があったかどうか、は疑われるところです。

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北インド古典音楽の影響は、明らかな事実によって明確です。それは以下のような出来事が下地になっていると考えられます。

1)大元は南インド民族の血を引く、世界的に有名になったシタール奏者:ラヴィ・シャンカル氏の1960年代からの世界的な活躍。氏は、それまで北インド古典音楽音楽家がほとんどしなかった「南インド・ラーガの起用」を多く行いました。

2)南北インド演奏家の共演。これもラヴィ・シャンカル氏が発案者と言えるもので、南北古典太鼓の共演、南インド古典ヴァイオリンの起用を、欧米での音楽活動で積極的に行いました。

3)それによって、本来コテコテの伝統古典派の家柄のL・シャンカル、スブラマニアム兄弟が欧米で活動し注目され、L・シャンカルは、ジャズ・ギタリストでインド音楽に傾倒したジョン・マクラフリンのインド・ジャズ・アンサンブル「シャクティー」で大活躍します。そのコテコテの南インド古典音楽即興演奏の世界的な成功を南インドの若手音楽家たちが触発されない筈もなかったのです。

4)ラヴィ・シャンカル氏と同世代、同時代の南インド撥弦楽器ヴィ―ナの異色な巨匠バラチャンデルの活躍。

正確には活躍と言うより「派手で目立った」に過ぎないかも知れません。氏のヴィ―ナは、極太の象牙を糸巻にふんだんに使い、一般演奏家が、金箔どころか、日本の子どもが使う「折り紙」の「金紙」を貼る装飾部分に純金を施し、(派手なだけで、大した名演奏家でもないのに、何処からお金を得たのか?) 純金縁の眼鏡に、聴衆の眼が嫌でも行く左手には純金の大きな時計をはめて、ヴィ―ナをシタールのように弾いた御仁です。かと思えば、それまで誰も録音しなかった南インド古典音楽の基本ラーガの72を全集で発表したり、後にも先にも居ないような演奏家でした。

流石に温厚で朴訥とした性質の南インド人からは、そんな彼を真似る者は、未だに現れては居ないようですが、彼によって「堰が切られた/タガが外れた」はあると思われます。その他、マンドリンの超絶技巧で古典を演奏した天才少年(当時)、才色兼備の古典声楽三姉妹「ボンベイ・シスターズ」など、しばしば派手な人も現れていました。
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一方の北インド古典音楽も、宮廷音楽が終焉して、「芸術音楽」となった戦後、次第に科学音楽から遠のき、パーフォミング・アーツの方向に邁進しました。

既にアーラープの話しで述べたように、現行の最古の様式:ドゥルパドは、アーラープでも本曲でも、その「ラーガ具現展開」には、「スターイー、アンタラー、サンチャリー、アボーグ」の四節があったのです。従って、シタールなどの器楽:ガットの主題も南インドのクリティーよりひとつ多い、四つの主題(スターイー、アンタラー、サンチャリー、アボーグ)をきちんと演奏してからでないと即興に入れなかったのですが、既に19世紀頃には、サンチャリー、アボーグが割愛され、20世紀末にはアンタラーも冒頭に一回演奏するだけとなり、それも次第にアドリブ的に変化して行きました。

つまり、北インド古典音楽も、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」のパッラヴィのようなことになっていたのです。
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また、北インド古典器楽:ガットでは、エンディング間近に、太鼓:タブラとの掛け合いなどの「見せ場」があります。また、ラヴィ・シャンカル氏は、欧米のコンサートで、「タブラ独奏」の演目を多く見せ、海外の聴衆の大きな興味を掻き立てました。

南インドでも、ある程度昔から、北インドの影響ではなく、「打楽器アンサンブル(ソロ回し):ターラ・ヴァディアム・カチェリ」や、太鼓ソロ「ターニ・アヴァルターナム」がありました。それが、「Ragam-Tanam-Pallavi様式」や「マノーダルマ音楽の流行」の時代になると「聴衆のお楽しみ」として、多用されるようになるのです。「Ragam-Tanam-Pallavi様式」ではしばしばパッラヴィの後に太鼓ソロが加えられます。

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カラー写真は、バラチャンデル氏のLP。三大楽聖のDikshitar作品を集めています。

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135、インド音楽の楽しみ方(8)南インド古典音楽の作品の構造

今迄のこの連載で、「南インド古典音楽を伝統的・古いと言っている人が多いが、それは間違い。現行の例えばクリティー様式などは19世紀に確立したもので、北インド声楽カヤールよりもモダンなもの」と述べ、「南インド古典音楽の宗教性の濃さは科学音楽からやや逸脱する」「南インド古典音楽に於いてクリティーなどの大流行によって淘汰されたより伝統的な様式も少なくない」「クリティーの流行やヒンドゥーイズムの興隆の裏にはイギリスのしたたかな策略があった」「南インド古典音楽のラーガ(旋法)の分類もまた、18世紀末から19世紀に掛けて、音階的に改編させられ、ラーガ(旋法)の真髄を失ったものも少なくない」「そもそも南インド古典音楽では、クリティーなどの讃歌の作品の再現に重きが置かれ、即興が二の次になっている」などとも述べて来ました。

それに対し、北インド古典音楽が、かろうじてであってもより古いドゥルパド様式などを残し、即興によるラーガ音楽の真髄を守る立場であり続けて来た(最近は?が着きますが)などと述べて来ました。

そのために、安直で短絡的な解釈をする人は「ああ、この人は北インド古典音楽至上主義で南インド古典音楽に理解が無いのだ」と決めつけるかも知れません。(そのような人は今の時代もの凄く増えている)
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とんでもございません。上記の検証と判断は、私個人の意見でも感想でも、ましてや好みや価値観の問題でも全くなく、歴とした論理的検証の結果・事実です。言い換えれば、私個人の好み、価値観で言っている訳ではないのです。

この分別が出来ずに、物事をよろず感じたままで決めつけることしか知らない人々は、そもそも分別が出来ませんから、他者が言っていることの論理性と個人的感覚の違いも聞き取れない読み取れないのです。

個人的感想は、この連載では殆ど述べて来ていません。が、ここであえて申し上げさせて頂ければ、個人的には、「近代南インド古典音楽のクリティー」は、50年近く演ってきたシタール音楽以上に好きかも知れません。

なにしろ、中学二年生の時に、ラムナド・クリシュナン氏とナーラーヤナ・スワミ氏の米国盤LPをむさぼるように聴き、後者のクリティーやティッラーナを耳コピーしては中学校の昼休みに窓から校庭に向かって歌って練習していた程です。後で知れば学友たちは遠巻きに「とうとういっちまったか」と語り合っていたそうです。

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今回ご紹介する曲は、そんな思い入れを込めたものです。
50年近く、世界の民族音楽をむさぼって来た中で、今回ご紹介する楽聖ティヤガラージャのクリティー作品の「Bantu Reti Koluviya Vayya Rama」は、「世界で最も好きな曲」のひとつです。

非常に有名であることと、聴き易い音階を用いるラーガ(Hamsa-Nada)であることから、「まぁ素人には好まれるだろうね」のような日本人マニアに多い冷ややかな陰口もあり得そうですが。様々な文化的、政治的、経済的苦境の19世紀にありながら、当時の南インドのヒンドゥー教徒が、このような明るくも力強く、そして深みと重みを併せ持った、何時の時代でもお洒落で格好良い曲・音楽を作り得たということは、メジャーな曲であろうとなかろうと、凄いことと素直に感動すべきとさえ思います。

確かに、あまり知られていない名曲も少なくありませんし、本記事冒頭に記しましたように、淘汰された名曲もありましょう。しかし、もしお時間があって、毎日十時間ほど、五年間、音楽を聴くならば「南インド音楽だけ」に徹して頂いて南インド古典音楽探訪をされるのであるならば、その暁には「南インド古典音楽はBantu Retiに始まりBantu Retiに終わる」という感想が自然に出て来るような気さえします。

また、メジャーついでで述べれば、これもマニアにはけなされそうですが、声楽家は、是非M.S.Subbulakshmi女史でお聞き頂きたい。その想いが強いので、「著作権関係が不明の場合は」の禁を破ってYou-Tube URLを記します。

Bantu-Reethi Kolu
Thyagaraja Kriti – Bantu Reeti by M. S. Subbulakshmi
https://youtu.be/N7PIrQwIR2A

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Kritiの構造

掟破りついでに、記したURLの動画に収録されているものを題材に説明させて頂きます。

まずクリティーは、アーラーパナの後(動画には無い)主題:パッラヴィが歌われ、第二主題:アヌパッラヴィに続き、第三節.・展開部のチャラナムに至ります。その後、即興部分の「Swara-Kalpana」などを演じることもありますが、動画では、ほんの少し、チャラナムの中で(程度)行って、比較的短い時間で完結しています。そもそもこの曲は、或る演奏会の冒頭か、アンコールのような感じもします。

パッラヴィの主題は、その冒頭では、作曲された節回しのまま歌われます(動画では冒頭の二回)。
数え方は、ターラの第一拍目(Sam)に辿り着いた数です。この曲のパッラヴィは、アーディ・ターラ(4+4の8拍子)1サイクル分の一行の歌詞しかありません。
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拍子は、南インド古典音楽の定型・慣習で、声楽家自身が右手で膝を叩いて示しています。動画でも「アーディ・ターラ」の(4+4)は「手を打つ、指で三つ数える」+「手を打つ/返す/打つ/返す」で示しますが、スッブーラクシュミ女史に限らず、倍テンポで打ったり、指を曲げなかったり様々です。北インド・カヤール声楽家の(何も楽器などを触らない)左手の動き(或る種のムードラ)の感情表現、というかラーガ・スワループとプラクリティーの自然な表現に類似します。

動画では、六回繰り返されるパッラヴィは、1回目と2回目を作曲通りに歌い、3回4回めと5回6回めは、それぞれセット感覚で似たようなヴァリエーション(或る種のNiraval)で歌っています。

パッラヴィの最後尾は、サムに至った語の母音が伸ばされます。ここではRamaのRa(もしくはRama)が伸ばされています。その間は、伴奏旋律楽器のヴァイオリンも余計なことをせずにサ音を伸ばしますが、両面太鼓ムリダンガムは、ここで格好良いフレイズを叩き込み、次の展開に見事に繋ぐことに命を注ぎます。

第二主題アヌパッラヴィ以降は、まず冒頭の歌詞の伸ばす部分(サムではない)で伸ばし、アヌパッラヴィに入ることを明示します。アヌパッラヴィは、パッラヴィの結論的詩内容に対して、より説得力の在る文言が多いこともあって、勢いや力の込め方はパッラヴィに勝ることが多くあります。

また、この曲のアヌパッラヴィの歌詞は、言葉がサムとズレています。この辺りが(良い意味で)ティアガラージャがモダンだと言う所以です。
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アヌパッラヴィもその後のチャラナムも、パッラヴィを一回歌うことで冒頭に回帰します。なので、アヌパッラヴィからチャラナム迄の間は、やはり空白が心地良い余韻となります。
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第三節・展開部:チャラナムは、名称からすると「より一層派手か?」と思いますが、「起承転結」の「転」なので、むしろしみじみとしている場合が少なくありません。もちろん派手な場合もあります。動画では前者です。

チャラナムの冒頭は、パッラヴィと同様に、原曲のまま二回(以上)歌われます。パッラヴィ歌詞が一行アヌパッラヴィ歌詞が二行に対し、チャラナムは四行あり、前半の二行と後半では音楽的意味合いが若干異なります。

動画では、後半の冒頭三行目が、より一層「展開部」を印象付ける部分に於ける「主題的な」重きを持たせています(歌詞Rama Namamaneの部分)。また動画では、それを即興演奏の節目の主題としています。

スッブーラクシュミ女史が「サリガム(音階名唱法)」で歌う部分が「スワラ・カルパナ(即興)」部分で、ヴァイオリンが掛け合いしています。
即興の後は、伴奏弦楽器(Tambura)を弾く二人の高弟(女性)も合唱して、盛り上げています。

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そして感動的な一瞬がスッブーラクシュミ女史が突然、歌いながら想いを込めた表情で合掌するところです。

クリティーの歌詞は、チャラナムの四行目に作者の名を絵画の雅号のように織り込みます。これは北インドのバジャンも、イスラム教徒の叙情詩ガザルでも、バウルーの歌でも同じです。

女史が合掌した部分は、Tyagarajaの名が歌われた瞬間です。

LPジャケットの写真は、スッブーラクシュミ女史の名盤三枚のボックスで、数十年宝にして来ました。尤もとっくにCDなどに復刻されているかも知れませんが。もう一枚は、渋い長老:セムマングディー氏のLPです。スッブーラクシュミ女史とセムマングディー氏は仲も良いのか、1960~80年代の南インド古典音楽の双璧だったからか、数千人の聴衆と数百人の音楽家の合唱で繰り広げられるティヤガラージャ・アーラーダナー(慰霊祭)でも仲良く寄り添ってマイクに向かって歌っている映像があります。

また余談ですが、ちょっと感動したのが、スッブーラクシュミ女史がセムマングディー氏のコンサートで客席の最前列に座って鑑賞している映像がありますが、スッブーラクシュミ女史の十八番「ラーマ・ナンヌー・ブロヴァーラ」をセマングディー氏が歌い出した瞬間のスッブーラクシュミ女史の様子をカメラが詳細に捕らえていて感心・感動しました。

客席にスッブーラクシュミ女史を見付けて急遽歌い出したのでしょうか。そんな昔気質のヴィドワン(尊敬に値する巨匠)の様子が、まだ南インドでは残っていたのです。
ちなみにセムマングディー氏のLPでヴァイオリンを弾いているのはまだ古典音楽一筋の頃の若きL・シャンカル氏です。

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134、インド音楽の楽しみ方(7)南インド古典音楽の前奏(前唱)曲




図は、Vol.130でも紹介した、北インド・南インドの様々な古典音楽様式に於けるアーラープの構成図です。いずれも「自由リズム(ビート感が無い)の第一部」→「中庸の2拍子的なビート感の第二部」→「速い4拍子的なビート感の第三部」であることが共通しています。
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長年古典器楽の中心的な楽器、と言いますか、唯一の楽器であった撥弦楽器(ルードラ・ヴィーナ、ターンセン・ラバーブ、スール・スィンガール、スール・バハール、サロード、シタール)にはいずれも「リズム弦」があり、第三部では、それを旋律の合間に掻き鳴らしかなり明確なビート感をかもし出します。その結果、声楽では第二部・第三部の分別は曖昧で、グラデーション的にテンポ・アップした感じであるのに対し、器楽では、ジャーラーの名称が与えられ明確に区分しています。

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ところが、南インド古典音楽の器楽(カルナティク・ヴィーナ、もしくはサワスワティー・ヴィーナ、ゴットゥー・ヴァディアム、チトラ・ヴィーナなどの撥弦楽器の他、竹の横笛クーラル、弓奏楽器ヴァイオリンなど)は、いずれも古典声楽曲を演奏し、北インド古典器楽ガットのような独立した様式(Tantra-Baj)は持っていないのです。

従って、南インド古典音楽では、ほぼ全ての器楽が「歌無し声楽曲」のようなものと考えられます。北インド古典器楽タントラ(ヴェーダ時代のタントラと文字は同じですが、「弦」の意味です。根底では同義かも知れません)・バージが成り立つ所以は、「歌の模倣」ではなく、「歌とは異なる、歌にも真似出来ない技法」を開発したからですが、南インドは逆に、楽器の限界に挑み、如何に肉声に近くするか、が問われて来ました。

なので、南インドのヴァイオリンは、胡座の左足の踵に楽器先端の糸蔵の先の「カタツムリのような渦巻き」を当て、左肩との間でしっかり固定し、左手の指先と、親指と人差し指の間には少し油さえ塗って、自在にスライド出来る左手で演奏します。尤も、南インド古典音楽の場合、音階の音それ自体が装飾されていますので、声楽の模倣を考えずとも、その音を出さんとすれば、結局同じ結果に至るとも言えます。
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南インド古典音楽(本曲)の醍醐味は、次回しっかりお話ししますが、南インド古典音楽のアーラープの醍醐味は、第一部の様々なシラブル(韻)で歌われる自由リズムの部分の説得力と、第二部のリズミカルな部分に於ける拍分割・融合の妙技を見せる「Thanam」、そして、後に歌う作品の重要な歌詞を自由な即興で歌う「Niraval」であると言えるでしょう。
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多くの日本人研究者やマニアが、南インド古典音楽が「北インド古典音楽より伝統的で保守的」と言いますが、全くの逆で、現行のスタイルの殆どがむしろ近代に確立したものですし、良い意味でモダンで格好良いとさえ言えます。

ただ音の装飾とリズム感が、「ブレない」ことは大きな特徴です。

北インドの装飾音は、着けたくない時には付けず、付けるとなったら全てに付くようなところがあります。それに対し南インドの装飾は、ラーガによってどの音にその種類の装飾が付くかが決まっています。その動きは次のイメージ図のように、全く異なるのです。
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この典型的な例が白黒動画ですがインド政府文化庁の映画部「Film Division」の「Music of India」で、トゥムリ系のカヤール歌手と南インドの歌手が音階的には同じラーガを歌って比較しています。

最も現代の北インドの「装飾多用」は、19世紀末頃からの或る意味悪しき風習で、花柳界の歌の真似である「ムルキー(こぶし)」の多用が元凶です。従ってドゥルパドではあり得ないこと。(最近のドゥルパド歌手を自尊する歌手の場合はあやしいですが)、ドゥルパドに根差した器楽でも装飾は必要最小限を定められたところに付けるものです。この点では南インド古典音楽は保守的と言えます。
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この装飾音を料理に喩えると面白いことが分かります。
北インドの装飾は、全体に着け得るが、付かないこともある。つまり北インド料理の「パラオ(ピラフ)」「ビリヤーニ」のような感じです。ご存知のように西洋料理、日本のスナックのメニューでもある「ピラフ」はペルシア~アラビヤの「パラオ(炊き込みご飯)」がルーツですが、西に行くに従ってスパイスの種類は少なくなり、基本的に炊きあがる直前に加えたりします。炊き込みご飯を炒め直す時でもあります。ところが、南インドの場合、数日前から食材をスパイスに浸け込んであるのですから、食卓に運ぶ前にスパイスの加減などあり得ないのです。

また南インドの太鼓ムリダンガムは、堅い木を肉厚に刳り貫いてあるので、6~8kgは優に越えどっしりとしていますが、北インドのタブラは、左低音の金属胴の底に重りを仕込んだものでも左右で3~4kg程度のものです。
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南インドのアーラープの第一部「Akshipthika」では、ラーガの基本を厳格に再現します。ここで声楽家が発音する音は、北インドのような「アー(Akar)」でも「階名唱法(サルガム)」でもないスキャットです。ドゥルパド・アーラープの第二部:Nom-Tomに似ていますが、「ノントン」のような「ノー、ノーン、トー、トーン、デー、デーナ」などの限られた(10種前後)ではなく、南インドでは「ノー、デー、ディーナ」などに始まり、有名な歌のと或る単語や、意味の無いフレイズなどを合わせると数百あります。

第二部の「Ragavardhini」では、北インドと同様に中庸の2拍子のビート感の上で、第一部で語った「ラーガ物語」を再演します。その際、後に歌う本曲の歌詞を借りて来て様々な旋律でラーガを多極的に解明する「Niraval」が歌われるか、それと対極的な性質である、リズム分割でラーガの性質を具現するターラムが歌われます。ターラムと北インド器楽のアーラープ第二部:ジョールは良く似ていますが、南インドの方がやはり堅い感じです。

第三部の「Magarini」は、「総論、全音域」という拡大型で、ラーガ物語の可能性を具現します(北インドのドゥルパド・サーラープの「アボーグ」に相当します)。が、近代では割愛されることがほとんどのようです。

白黒ジャケットは、撥弦楽器ヴィーナの「ターナム」の一大芸系を築いたヴィーナ・ダナムマール氏の愛弟子サヴィトリ・ラジャンさんの「私家盤」です。

私家盤と言えども、親族とお弟子で大金を集めて南インドEMIで録音プレスしたもので、親族、お弟子の他、名だたる音楽関係者に配られた記念盤です。

スッブーラクシュミ女史のアルバム以上の宝として私がこれを持って居るのは、ラジャンさんのひとり娘さんが私の南インド古典音楽の師匠だからです。母娘ともにプロ演奏家にはならず、一介の主婦になったので、私家盤として出したのですが、芸系はむしろ純粋で素晴らしいものがあります。この一枚の御陰で、南インド古典音楽界に於いて、何がギミックで、何が本道からは容易に理解出来ます。

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133、インド音楽の楽しみ方(6)北インド古典器楽の掛け合い

Vol.131でご紹介した「北インド古典音楽の主題と即興の図」でも、器楽の場合、既に或る意味主奏者(Sitar、Sarodなど)と太鼓:タブラの掛け合いではあります。が、この場合、タブラは主奏者が弾いた「旋律の拍節的翻訳」を応えているのではなく、その時のラーガの個性、ラーガ演奏全体の個性、全体の流れ、流れの中のそのタブラ・ソロの瞬間に求められているもの、を感じ取った上ですが、あくまでタブラ奏者の音楽的センスと技量によるソロです。

尤もこの30年ほどの間に、ラーガ全体云々などおかまい無しに、その場その場で最も自分をアピール出来るソロを取る輩ばかりになりました。その証拠にラーガが変われど、主奏者が変われど、毎度お決まりのソロが目立ちます。昔気質のタブラ奏者ですと、それは毎回異なりました。このような節度と理知的なソロを含むタブラ伴奏を「Sangat」と呼びます。

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それに対して、今回ご紹介する「主奏者とタブラの掛け合い」は、主奏者が弾いた「旋律の拍節的翻訳」をタブラが応えるというもので「Sawal(Question)-Jawab(Answer/Reply)」と呼ばれます。

これは、二人以上の主奏者の間でも行われるため、サンガットだけのことではありません。良く知られたところではバングラデシの独立に伴うバングラ難民の問題に対し、ジョージ・ハリスンが提起して師匠ラヴィ・シャンカル氏と義弟アリ・アクバル・カーン氏、タブラのアラ・ラカ氏を招いて行ったチャリティー・コンサート(第二部はロックの大御所を招いた大セッション)でも知られ、シタールとサロードの「Sawal-Jawab」が記録されています。
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「旋律の拍節的翻訳」とは、例えば日本の歌の「静かな湖畔の森影近く」の一節を歌ってサワールされたら、タブラは「ティラキタ・ティダーナ・ディナギナ・テテダー」などと応えるということです。
よって、主奏者も、旋律重視・ラーガ重視のフレイズより、「拍節的翻訳」時に面白いフレイズ(拍節重視の旋律)に努めます。
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図は、器楽の基本ターラである16拍子のトゥリターラで説明しています。
まず一行目は、主奏者が「1サイクルのソロ」を取り、タブラが応えます。

通常の主奏者の即興演奏から突然これに入りますが、前述したように、旋律・ラーガ重視の即興から、聴衆にも分かる「拍節重視」に変わりますし目配せもあるでしょうから、タブラ奏者も気付く訳です。主奏者がピタっと止まってもまだ気付かないタブラ奏者も居ますけど。

また、主奏者のサワールの最中にタブラの基本伴奏パターン(Tekha)を止めて手拍子や太鼓で手拍子を取るタブラ奏者も居れば、基本パターンを伴奏している人も居ます。主奏者の好みもあるでしょうが、基本的にはリハーサルをしないので、初顔合わせの場合、どう出てどうなるかは未知数です。

この掛け合いが「1サイクル→半サイクル→4拍(1小節)」と縮んで行き、最後は1拍にまでなりますが、大概かなりテンポアップしたところで行われる(演奏のラスト直前など)ので1拍の掛け合いはかなりスリリングです。
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四行目がミソで、3拍の掛け合いを4拍子系のターラで行っていますから、3小節か6小節、12小節のところでしかキリが着きません。大概は図のように3小節でキリを付け、そのサイクルの最後の1小節から2拍掛け合いに移行します。

これがズレて居なければ良しと思っている演奏者も近年多いですが、サワール・ジャワーブ全体を俯瞰してみて下さい。図の行数が七行ということは、16拍のサイクル数が奇数なのです。これはトゥリタールの概念に反するのです。

この図で想定したエンディング前の時点では16拍のサイクルが守られていますが、もし全てが八分音符で演奏されているとしたら、奇数(半)サイクルの〆は、第一拍目の「サム」には来ないのです。トゥリタールは、一曲丸々が「四の倍数」であることが必須です。よって、図の第一行目を二回繰り返してこの問題をクリアーします。
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次の図「Larant-Sangat」は、発展した高度なサラール・ジャワーブです。主奏者が「拍節的旋律」と「目配せ」を投げかけたので、タブラ奏者はテカからジャワーブに替えます。ところが、主奏者が、そこで「お休み」をしないのです。タブラ奏者は「えっ!掛け合いじゃなかったの?」と焦るかも知れませんが、「来やがったな!」っと理解して、この「ララント・サンガット」が繰り広げられます。

ララント・サンガットでタブラ奏者は、例えば図の場合、まず主奏者の8拍のフレイズを8拍終わった次からリプレイします。そしてリプレイしながら次の8拍を聴き、記憶して、その後に叩きます。まるで先に比喩で上げた「静かな湖畔」の曲で良く知られる「輪唱」のようなことになるのです。

しかし、このことが理解出来ない聴衆には、タブラが基本伴奏パターン:テカを叩かずに、主奏者も主題ではないことを弾き、二人して勝手な即興を演っているようにしか見えないかも知れませんし、基本のターラを忘れてしまう聴衆も居るかも知れません。

いずれにしても、これらは、「演奏者のターラ理解(即興中でもどれほど分かっているか?)」「リズム的センス」「ラーガのどの音を選ぶか?太鼓のどの音を選ぶか?のセンス」も問われますが、古典音楽の本懐からすれば、あくまでも「余興」に過ぎないのです。

しかし、宮廷音楽の終焉は、そもそも宮廷音楽として発展した古典音楽が無くなったということです。宮廷音楽の場合、「耳の肥えた貴族と同業者」が聴衆でしたが、一般向けのクラッシック・コンサートとなって以降は、聴衆のレベルを求めることは厳しいものになります。勿論、中世から貴族の邸宅などで行われた「愛好者の集い(Mehfil-e-Mosiqui)」の場合は、質を高めることが出来ますが、数百人、千数百人の大ホールでは、掛け合い位演らないと、ウケないのです。

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132、インド音楽の楽しみ方(5)北インド古典音楽のメドレー形式

古今東西の楽曲で、興味深い普遍性が見られます。それは「より古い様式をプログラムのより先に演奏する」ということです。

勿論、コンサートの冒頭は、雑踏の世界から到着したばかりの聴衆を次第に集中させる必要がありますから、前座が無い場合、その日のメイン音楽家は、軽めの曲(つまり比較的後世の様式やラーガ)から始めるでしょう。かつて世界的に有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカル氏は、その自伝の中で「インドの聴衆は、初めの一曲辺りでは『あらまぁ○○さんの奥様!お元気でしたぁ!』などで台無しにする」ようなことを述べていました。
従って、本領発揮されるプログラムは、第二部の冒頭ということで、そこにより古いラーガ、様式を盛って来るのです。

また、「より古い様式はより重く格調高い」と言うことも古今東西に普遍的です。これらはいずれも「昔の人の方がより重厚で深みがあり、後世に従って軽薄で短絡的である」ということを示していますが、その背景には「音楽は科学であり神学であった」が「音楽は芸術である」の時代を経て、「音楽は娯楽である」に至った精神史も見て取れます。

ちなみに、この意味に於いて「芸術」という観念こそは、芸術を軽薄なものに貶めた張本人ということですから皮肉です。科学や神学となれば、ある程度揺らぎない価値観が共有されますが、「芸術」とした段階で、既に「人それぞれの受け止め方」をむしろ許し促しているからです。イメージや雰囲気ばかり「何やら高尚なようだ」とされるだけで、その高尚さを計る根拠が無いので、その実体は極めておぼろげなものです。
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アジアの伝統音楽の雄といったものを上げるならば、インド古典音楽に勝るとも劣らないのが古代ペルシア古典音楽でしょう。奇しくも、インド・ヒンドゥー教の源流であるブラフマン教と、古代ペルシアの宗教(ゾロアスター教以前)は兄弟なのですから、或る意味源流はひとつだとも言えます。

古代ペルシア音楽は、アラブ音楽、トルコ音楽などに枝分かれしました。勿論アラブ文化、トルコ文化の功績も高く評価すべきではあります。これらの音楽はシルクロードにも伝わり、それが13世紀の「インド音楽のバッハ」と称されるアミール・フスロウ、16世紀の「インド音楽のモーツァルトやベートーヴェン」と称されるミヤーン・ターン・センによってインド宮廷に持ち込まれインド音楽と融合したことも既に述べました。従って、大元は同じ源流かも知れない古代ペルシア古典音楽と、古代インド古典音楽は、中世に再び出逢い部分融合したということでもあります。

そして、奇しくも両音楽大系で最も格上で重要で真骨頂と言える様式が「即興演奏」なのです。アラブ・トルコ古典音楽では「タクスィーム」と呼ばれ、インド古典音楽の「アーラープ」と並び称されます。

「歌舞音曲好ましからずの不文律」があるイスラム世界に於いて、「タクスィーム」は、「芸術音楽」として早くから許可された音楽様式ですが、中世には神秘主義の影響も強く受け(と言うか、神秘主義の幾つかの派がこれを表現手段に選択したとも)ています。「アーラープ」は、勿論イスラム系神秘主義が生まれる遥か以前の様式ですが、やはり科学音楽に根差していること、その科学音楽がタントラに根差していることから、必然的に「神秘主義的」ではあります。

アラブ・トルコ古典音楽では「タクスィーム」は前奏曲のようにプログラムの冒頭に演奏されることもあります。神秘主義の儀式音楽でも冒頭に演奏されます。が、その後、しばしばプログラムに挿入され、その晩の「音楽の場」を幾つかの「場面」に分けた節目を記す役割も担います。この感覚「階梯」こそは、神秘主義の本領でもあり、奇しくもインドのヨガにも通じます。

ところが、アラブ・トルコ古典音楽では「タクスィーム」以外の古典音楽は、
当然「作曲の再現」なので、大概合奏音楽なのです。これは現行の南インド古典音楽と同じ様相です。ところが北インド古典音楽は、「タクスィーム」に相当する「アーラープ」の後も旋律は、声楽家独り、器楽ならば器楽奏者独りで、大半を即興演奏で繰り広げるのです。この違いの深い理由は、近代南インド古典音楽の証言も交えて考えると面白いと思われます。

そして、アラブ・トルコ古典音楽の合奏曲もまた、プログラムの中でより古い形式・より重たい形式が先に演奏されます。これは、中世以降のウズベク古典音楽やウイグル古典音楽でも同様です。

そして、北インド古典音楽では、カヤール声楽では、バラ・カヤールをチョーター・カヤールの前に演奏するでしょうし、ガット器楽では、マスィート・カーニー・ガットをレザ・カーニー・ガットの前に演奏ですでしょう。勿論前述したように、舞台芸術として聴衆との関わりで変化もしますが。同じラーガで二曲続ければ「一曲扱い」になりますから、基本の順番は入れ替えられることはまずありません。

このことと、メドレー形式のどちらが先か?は「鶏と卵」ですが。同じラーガで「バラ・カヤール~チョーター・カヤールのメドレー」「マスィート・カーニー・ガット~レザ・カーニー・ガットのメドレー」は、それぞれの様式が全てが出そろった後、18世紀末から19世紀初頭に流行しました。本来これら四つの様式は、時代も出所も異なりますから、メドレーが流行したのはより後世かも知れません。

前述したように、南北を通じてインド古典音楽では「一曲一Raga」なので、メドレーという概念に相当する訳です。結果、マスィート・カーニー・ガットの他のスタイル、例えば、12拍子や10拍子などでゆっくりとしたガットを演奏した後、速い16拍子のレザ・カーニー・ガットをメドレーで繋ぐということもあります。
これ(スローな特殊な拍子から速い四拍子系)はカヤールでは当たり前のことなので、ガットのメドレーは、その模倣とも考えられます。

また、マスィート・カーニー・ガットもレザ・カーニー・ガットも四拍子が四小節の16拍子が基本です。というかそれしか無いとも言えます。この理由を述べるだけでも連載コラム数回分になってしまいますので、ここでは割愛します。

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面白いのは、「マスィート・カーニー・ガット~レザ・カーニー・ガット・メドレー」の繋ぎ方です。このような説明を知らないと、気付かずに聴いて来た方も少なくないかも知れません。

図の一段目は、「マスィート・カーニー・ガット」の一例です。このガットでは、12拍目が歌い出しとなり、次のサム(リズムサイクルの第1拍目)までの6拍のメロディーは導入句です。本曲の冒頭からしばらく「即興展開→主題」が続くと、以後の主題はもっぱらこの6拍のみを弾くようになります。(タブラのソロの伴奏の際は、タブラのソロが終わる迄主題をフルで弾き続けますが。)

つまり主旋律奏者がソロを続けるつもりの場合、合間に主題を挟むことで、即興の最中もターラを把握していることが顕示されると共に、即興の細かな節目とするのです。もし長い節目として、タブラにもソロを取らせようと思えば、主題の歌い出し辺りで目配せをします。それが通じなかった場合、主題をサム以降も弾き続けます。それによってタブラはターラの途中からでもソロを始めます。

インド音楽は「終わりや節目は絶対サム(リズムサイクルの第一拍目)」ですが、始まりは何処でも良いのです。
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二行目の「レザ・カーニー・ガット」の一例では、ターラ(16拍子のトゥリターラ)の後半が導入句です。速くリズム・サイクルが巡るので、歌い出しが弾かれたからといってタブラの出番とは限りません。
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三行目は、「マスィート・カーニー・ガット~レザ・カーニー・ガット・メドレーの繋ぎ方のスタイル1」です。

極めて自然に、かつ単純に、マスィート・カーニー・ガットが(終わる1サイクル前位から)次第にゆっくりになって、落ち着いた主題を一回フルで弾いて、末尾が更に遅くなり(Ritardando/伊語)終わります。

聴衆が拍手をしようと思ったその数秒の間に、レザ・カーニー・ガットが始ります。しばしば拍手をし掛けてしまう聴衆も居ますが、恥ではありません。

この繋ぎ方の利点は
1)タブラ奏者に最も分かり易い。
2)聴衆にも直ぐに理解出来る
3)レザ・カーニー・ガットのテンポを自在に決めることが出来る。

が挙げられます。
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四行目は、「繋ぎ方のスタイル2」です。ある時点で、主奏者が突然「サム」からレザ・カーニー・ガットを弾き始めます。大概テンポを替えるのでタブラ奏者は気付きますが、元来「ラヤカリ(複雑なリズム分割と統合の技)」が巧みな主奏者の場合、タブラ奏者は用腎して、Slowテンポをキープし続けてしまうこともあります。これも恥でも失敗でもないので(Bestではないけれど、リハーサルをしたヤラセで見事に揃う近年のやり方よりは気付かない方がマシとも言える)ライブ盤LPやCDではそのまま収録~発売されます。例えばレザ・カーニー・ガットの1拍(ビート)がマスィート・カーニー・ガットの3倍速の場合、「1.5倍のラヤカリ」を弾いていると勘違いしても全くおかしくないのです。
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五行目は、「繋ぎ方のスタイル3」です。レザ・カーニー・ガットの歌い出しが、マスィート・カーニー・ガットの導入句の末尾に現れ、そのまま同じ「サム」で移行します。従って、繋ぎ周辺のターラは、「Slow~Fast」の場合1拍が四倍に速められたことになり、「Medium~Fast」の場合1拍が二倍に速められたことになります。

有名なシタール奏者:ラヴィ・シャンカルの義弟のサロード奏者:アリ・アクバル・カーンは、その熟年期にもっぱらこの繋ぎ方を演奏しましたが、スローなマスィート・カーニー・ガットの後半~末尾に掛けて次第にテンポをミディアムまで上げてから二倍速で繋いでいました。

この繋ぎ方は、タブラ奏者には分かり易いかも知れません。更に、北インドのビートは、基本的に若干の緩急の揺れが許されているとともに、むしろ味わいとされます(南インドでは決してブレない)から、レザ・カーニー・ガットの歌い出しを微妙に速くすることでタブラ奏者に気付かせることも可能です。

「気付かせずに恥をかかせてやろう」と思う人も思う時もあるかも知れません。前述で「恥ではない」と述べたのは、聴衆には批判されないことであるという意味で、演奏者自同士では「キャッチがイマイチだったね」の無言の評価は下されます。

また「恥をかかせてやろう」というのも、隠見なことではなく、「即興演奏の共演」という北インド古典音楽ならではの「せめぎ合い」のひとつと考えられています。尤も、この繋ぎ方の場合、気付かないのは聴衆にも「みっともない」と思われるかも知れませんが。

ところが、インド音楽以外の音楽からすれば、きっと不思議なことでしょうが、主奏者がレザ・カーニー・ガットに移行したとタブラ奏者が分かったとしても、タブラ奏者は、次のサムまで、即ちそのターラ(この図の場合Slow-Trital)の16拍目までは、同じテンポで引き続けなくてはなりません。ターラはサムでしか終われないので、タブラ奏者はSlow-Tritalを最後迄しっかり弾く義務があるのです。

言い換えれば、この繋ぎ方の場合、「主奏者は、Slowガットのラスト二拍で既にFastガットに移行した」ということであり、主奏者とタブラが「異なるターラで存在した」極めて希な例外的な瞬間と言えます。

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131、インド音楽の楽しみ方(4)北インド古典音楽の主題と即興

北インド古典音楽および南インド古典音楽に共通して、さらに同じ北インド古典音楽でもより古いドゥルパド様式と、18世紀19世紀以降に古典音楽に昇華したカヤール声楽、ガット器楽のいずれにも共通して、後世では前唱・前奏曲とされているアーラープが、実は最も重要で古典音楽の真骨頂であると述べました。

ターラを伴わず、太鼓伴奏も不要で、ラーガの具現に徹するこの様式は「ラーガ音楽」と呼ばれるに相応しい様式でもあります。

また、アーラープには二部三部の構成があることや、基本は皆同じでも、様式によってその呼称や具体的な技法が異なることも述べました。

そして、いずれの様式のいずれの部に於いても、基本的には同じ「流れ/物語」を展開すること。それはドレミのドに相当するSadaj(サ)を地平線と見た山並み(Swarup/字義は外観、形状、表象)のようなものであり、それを図に現したものは、理解ある音楽家にとっては「ヤントラ」に相当するとも述べました。
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更に、その「スワループの山並み」は、ラーガの物語でもあり、ラーガ音楽家は、ラーガの精霊を降臨させ物語を語って貰う、或る種の霊媒師でもあると述べました。一般的な比喩で言うとそれはTV番組のゲストコーナーのようであり、音楽家はその司会者・インタヴューアーでもあるとも述べました。

しかし、アーラープの後、ターラと太鼓を伴う本曲に入ると、前半こそは「ラーガとその物語重視」ですが、後半に向かうに従って、音楽家の技巧やパフォーミング・アーツとしての楽しみの度合いが増して来るのです。

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既に述べましたが、念を押しますと「本曲」というのは、インド古典音楽をパフォーミング・アーツとしての楽しむ感覚の「芸術音楽至上論」からの言い方であると共に、アーラープを前唱・前奏曲とした場合の呼称で、アーラープ(ラーガ音楽)至上論からすれば、大衆迎合的なお楽しみコーナーに過ぎない。ということになります。とは言え、アーラープ至上論は、それに対しての呼称を作りませんでした。

アーラープ至上論からすればアーラープで完成・完結しているにも拘らず、後から雨後の筍のように次々現れた、素性はいずれも科学音楽出身どころか古典音楽出身でさえない輩に対して、呼称を付ける必然も、呼称する義理も無いということでしょう。
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しかしその一方で、ラーガと比較すれば二の次だった拍節法:ターラの理論とその実践も科学音楽時代から継承されているものです。従って、科学音楽の系譜の最後で最新の様式、今日では最古の様式であるドゥルパド音楽家も、アーラープの後にターラと太鼓伴奏を伴う「本曲」を「ドゥルパド」と呼んだ訳ですから、単なる「お楽しみ/オマケ」でもないとも言えます。

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ところが、逆転の発想によって、10世紀以前のより真実に近い形が見えて来ます。それは、「アーラープ~ドゥルパド」という、段階的・時系列の図式ではなく、「アーラープ=ドゥルパド」という或る種の化身的な感覚である可能性です。

ヒンドゥー教でも、ヴィシュヌ神には様々な化身がありますが、例えばその一柱クリシュナは、人間の子どもとして降臨しますが、幼児時代はマッカンチョールと呼ばれます。これはヴィシュヌの化身ですが、クリシュナの化身ではなく、少年になったクリシュナ(ゴパール・クリシュナ)の時代には地上にも天上にも存在しなくなる神です。すなわち「マッカンチョール→ゴパール→クリシュナ」という図式です。しかし、ヴィシュヌはクリシュナの前駆型ではありません。またクリシュナが存在している同じ時代に、ヴィシュヌは勿論、他の化身ラーマもマツヤも存在しているのです。これは日本の神道の神々も、仏教の神々も同様で、化身は変身ではないので、同時に複数存在し得るのです。

つまり、ターラと太鼓を伴うドゥルパドは、アーラープの化身であるということです。
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これはどういうことか?をもう少し説明しますと、山並みの図を「ラーガのヤントラ」とも述べました「アーラープのスワループ」には、いくつかの山並みの段階があります。これを既にアーラープに於いて「Sthay、Antara、Sanchari、Abhog」と呼び概念として確立させていたのです。よって、「ドゥルパドのアーラープ」は、「ターラと太鼓を割愛したドゥルパド」であり、「前唱・前奏曲」という概念ではない、ということなのです。

このより古い理解に於いては、「アーラープは、ラーガに固着した具現であり、第一部は自由リズムでラーガ物語に専念し、第二部ではラヤ(ビート感)を以て表現する」その後(言わば第二場として)「ターラと太鼓を伴って表現する」という概念です。

つまり、当時はあまりにアーラープの重要性と主要性が高かった為と、この二部形式をしてドゥルパドと総称した為に、(後に「本曲」とか「ドゥルパド本体」のように思われてしまった)「第二場固有の名称」を付けなかったことが、後々の混乱とアーラープが前唱・前奏曲扱いになってしまった元凶と言えるのです。

例えば、ドゥルパドがまだ新音楽だった頃の主流のプラバンダ様式やギート様式も同様に、「プラバンダのアーラープ+ターラ太鼓付き第二場」の構成と理解されていたということです。

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話しは一気に今日聴ける古典音楽に飛びますが。従って、シタールのガット(器楽)であろうと、声楽カヤールであろうと、いずれも「ドゥルパドのアーラープ」の後にガットやカヤールを繋げている、ということが出来るのです。

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例えば実際のTV番組のゲストコーナーでも同じことが行われています。どのチャンネルのどんな番組であろうと、まずゲストのプロフィール紹介をかなり不偏的に行います。要するに「生い立ち、両親、故郷、少年少女時代、青年期、今の肩書きになるきっかけと修業時代、云々」です。これが「アーラープ」です。そしてドゥルパドでは、「それでは今伺った物語を、ターラと太鼓を伴ってもう一度お話して貰いましょう」なのです。TV番組ならば、ゲストの親族や友人を呼んでエピソードを聞くような感じです。

ところが、カヤールやガットの場合、後は全く次元が変わります。前半こそは、「それでは今伺った物語を、ターラと太鼓を伴ってもう一度お話して貰いましょう」はありますが、主にバラ・カヤール/マスィート・カーニー・ガットに於いてであり、チョーター・カヤールやレザ・カーニー・ガットでは僅かか全く割愛されます。「Vistar(字義は物語)」がそれです。よって、司会者の言葉は、正しくは、「それでは今伺った物語を、ターラと太鼓を伴ってもう一度【簡単に】お話して貰いましょう」ということなのです。

そして、その後は、シタールは太鼓:タブラと掛け合いをするでしょうし、カヤールでは声楽家は、自身の流派の個性と自身の技量の披露、聴衆を捲き込んで感動させることに専念します。(せずにラーガ音楽家に徹した巨匠も居ました。昔はそのような人の方が尊敬されていましたが、今レコードを聴いても多くのファンが「退屈だ」と言うでしょう) これはTV番組では「ではゲストの方と、タレントの○○さんとで卓球の腕比べをしてもらいましょう」とか「それではゲストの方への視聴者からの質問コーナーです」などなどのバラエティー要素が増す部分が、カヤールやガットの「本曲の中盤以降(Vistar以降)」の様相と言えるのです。

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今回の図の上三段がカヤール声楽で、下がガット器楽です。カヤールでは主題に戻った時に、太鼓:タブラの変奏(見せ場)は、基本的にありません。雲泥の差がある音楽家としての格の違いがあるために、声楽家に伴奏(唱)させるなどあり得ないからです。シタールやサロードでも昔は同様でした。

現実的に、声楽家にとっては何処かで「喉休め」も必要なので、主題に戻ったところで、伴奏旋律楽器サーラーンギーやハルモニヤムとタブラに主題の旋律を任せてしまいます。そこでもタブラは本来変奏はしませんでした。サーランギーは少しソロを取ることもありますが、それも声楽家がそこまでで歌ったことの復唱に留め、「物語の先」を弾くことはありません。

カヤールの一行目は、「歌詞」の他に、「アーで歌う(Akar)」によるラーガの具現が中心的に演じられます。二行目の「Neraval」は、主題の歌詞を様々な旋律で即興的に歌う部分です。三行目の「ターン」は、アカルかサルガム(階名唱法)で歌われ、流派によって偏りがあります。ターンは、「即興変奏」のことで、16世紀の宮廷楽師長ターンセンは、これの主だという呼称です。

カヤールでもガットでも、冒頭では主題は、じっくり丹念に演じられますが、繰り返し戻る毎に割愛したり、繰り返す回数を減らして行き、テンポが上がる(スタイルの場合)に連れ、歌詞の言葉が言えなくなった頃に自然に消えて行きます。

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130、インド音楽の楽しみ方(3)北インド古典音楽の叙事的な展開

図は、前回ご説明したAlapのイメージです。横の直線が、基音Sadaj(サ/ドレミのド)で、ラーガの山並み(Swalup)にとっての地平線のような性格です。まず、それぞれのラーガ(旋法)は、「Sa/サをどう取るか?」によって始ります。
次にじっくりと時間を掛けて中音域前半(Purab-Ang)に在ることが多い「主音(Vadi)」を提示します。続いてSa(基音)と対峙する関係にあるPa(属音)とその周辺の音関係を提示し、一旦音域は下がります。そして、再び展開は上昇し、高音域に一気に向かいます。この時「Sam-Vad(副主音)」も関連付けられます。

再び一旦下がってSaに戻った後は、更に一気に最高域に至って、じっくりと下降しSaに戻って完結します。

これらの山並みは、殆どのラーガに共通ですが、展開する音域はラーガによって異なります。また、細かな山並みは勿論ラーガによって異なります。

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これらは、最短で15分、最長で90分程度で演唱/演奏しますが、それぞれの展開「Varna」を、良く言ってじっくりと、悪く言えば回りくどく展開することで時間は如何様にも伸び縮みするのです。しかし、図のような形(Swarup)はそうそう変わりません。長い場合は、「こまかな山並み」が増えるだけで、大きな山並みまで変わってしまうのは、「迷いの多い下手くそなアーラープ」もしくは、「分かっていないアーラープ」ということになります。けっこうプロでも少なくありません。

このような図の「細かな山並み」は、そのラーガを理解していなければ、書けませんし読めません。逆に言えば、理解している者にとっては楽譜のようでもあり、楽譜以上に全体像と為すべき流れを理解出来る、正に「ヤントラ」なのです。
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次の図は、各様式に於けるアーラープの構成です。
ドゥルパドでは、自由リズム(ビート感が無い)においてラーガの山並み(前図のアーラープの山並みとは別義)を提示した後、中途のテンポの2拍子で「ノントン」と呼ばれる第二部・展開部に進みます。「ノントン」は、意味の無いシラブル「ノン、トン、レー、リー、ノー、ノーム」などを発声することからの呼称です。ここで複雑なリズム展開や、細かな音の展開を見せ、ラーガの奥行きを聴かせます。

カヤールでは、初期のスタイルは、ドゥルパドとの差別化を計ることで特徴を強調しましたが、カヤールが定着して50年100年の後には、改めてドゥルパドの技法や構成を取材し、ドゥルパドに近い形に変化しました。その結果、「アー」で歌われる第一部の後は、ドゥルパドの「ノントン」に似たシラブルによる複雑な技法を聴かせる部分に進みます。流派によって異なりますが、ドゥルパドの「ノー、レー、リー」などの他、13世紀に興ったといわれる神秘主義歌唱法「カッワーリ」のシラブルなども転用しています。

器楽「ガット」では、自由リズムの第一部の後、中庸の2拍子の「ジョール」が第二部に置かれ、その後弦楽器はリズム弦を多用して速い4拍子の第三部「ジョール」を展開します。声楽には「ジョール」はありませんが、第二部がグラデーションで速くなることは少なくありません。このガットの三部作は、ドゥルパド器楽からの転用です。ドゥルパド歌手がヴィーナで演奏したものですが、同じ音楽家がドゥルパドを歌う時には「ジョール、ジャーラー」の区別は曖昧になります。

声楽の伴奏楽器だった弓奏楽器サーランギーの独奏や、近代になって古典音楽楽器となった竹の横笛バンスリなどのロングトーンの楽器の場合、ガットとカヤールの双方および混合のスタイルを演奏するため、しばしば「ジャーラー」のようなことを、(リズム弦が無いにも拘らず)Saの音を細かく旋律に織り交ぜて聴かせたりします。

南インド古典音楽では、「アー」で歌う第一部の後の第二部では、本曲で聴かせる歌詞の主題の言葉を用いた即興「Niraval」が歌われます。これは北インドの叙情歌の真骨頂でもあり、北インドのカヤールでも重要な技法であることから、南北インドが分裂する前の様式と説く研究者が少なくありませんが、これは中世に北インドの模倣をしたものと考えられます。同様に前述のスーフィー神秘主義歌唱「カッワーリ」から派生した「スキャット唱法:Tarana」も南インドでも流行し、今日も「Thillana」の名で重用されています。
南インド古典音楽の第二部では、この他、「Tanam/Thanam」と呼ばれるリズム・ヴァリエーションに重きを置いた様式が展開することも少なくありません。これは北インド古典音楽の器楽アーラープの第二部「ジョール」と極似しますが、リズム展開に固執する点が特徴で、南インドでは声楽でもこれを行います。南インドの第三部は近代殆ど割愛されています。しかし、三部構成であったことから、ドゥルパド器楽と同じ基礎(古代音楽/科学音楽)に根差していることが確認出来ます。
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これらについて極めて重要なテーマがふたつあります。ひとつは、アーラープの構成が二部、三部となった場合、各部それぞれで「ヤントラ」と称した図の山並みを表現するのです。つまり第一部では「自由リズムでヤントラのスワループを具現」、第二部では「中庸の2拍子でヤントラのスワループを具現」、第三部では「速い4拍子でヤントラのスワループを具現」ということです。
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更に、ドゥルパド、カヤール、ガットの本曲の前半でもこの「ヤントラのスワループの具現」を展開するのです。チョーター・カヤール、レザ・カーニー・ガットでは、早々に切り上げて、短い技巧的な即興の展開に移行しますが、バラ・カヤール、マスィート・カーニー・ガットではそれが本懐なので、ゆっくり充分に時間を掛けて、優に一時間以上演奏します。
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この部分は、「Vistar(説明/物語)」と呼ばれます。正に神格化されたラーガそのものの「神格」を物語るのです。

以前にも述べましたが、これはTV番組の「ゲスト・コーナー」のようなものです。

有名なところでは、長寿番組「徹子の部屋」や、一頃人気だった「さんまのまんま」がありますが、黒柳さんや明石屋さんまさんは、ラーガ演奏者としては自分を出し過ぎ、語り過ぎ、ご自身の感覚、価値観や持論に我田引水し過ぎで、はっきり言って失格です。

とは言え、一昔前のNHKアナウンサーのような司会者では、ゲストの人格もストーリーも無味乾燥に感じられるのもまた事実です。アーユルヴェーダ療法音楽としては、むしろそれが正しいのですが、宮廷芸術音楽~今日の古典音楽としては、無味乾燥という訳にはいきません。

(音楽療法に於ける場合は、表層的な感情・感覚・興味関心にとって「無味乾燥」であっても、「体の細胞・臓器・チャクラ・ナーディー・心・魂にとっては、むしろ「濃味湿潤」なのです。むしろ表層的にはピンと来ない類いに本物があり得ます)

その結果、現地インドでも1990年代から、黒柳さん、明石屋さんのような演奏家が大衆迎合して地位を築きました。しかし、それは、全てのラーガの「ラーガのヤントラ」が、黒柳風、明石屋風にデフォルメされたり割愛、消去されているもので、用いる音階が似ていると似たように聴こえるというほど幼稚な過ちさえ散見します。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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129、インド音楽の楽しみ方(2)北インド古典音楽の前奏(前唱)曲

スピリチュアル・インド雑貨のお店シターラーマさんのご支援で、古代インド科学音楽とその音楽療法、およびアーユルヴェーダ音楽療法についてご紹介している連載コラムです。Vol.128からしばらく、Vol.126でご説明しました、古代科学音楽を覆い尽くすように発展・流行したガンダールヴァ音楽の末裔である、今日聴くことが出来るインド古典音楽について述べたいと思います。
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北インド古典音楽と南インド古典音楽双方で、現行する様式の中で最も古く、本来最も重要な様式であったのが「Alap(アーラープ)」です。

ところが、中世後半以降、南北を問わず、「前唱・前奏曲」となってしまいました。

しかし今日でも、選ばれた或るラーガをアーラープだけの演奏で終わらせ、次の曲は異なるラーガであることは可能です。インド古典音楽は、「一曲一旋法」です。
「次(本曲)が続かない前唱・前奏曲」は、あり得ないおかしな話しです。即ちこれは、「アーラープ」が独立した様式であることを示しています。

また、本曲がバラ・カヤール(遅いテンポの重厚な声楽)、チョーター・カヤール(早いテンポの軽快な声楽)、マスィート・カーニ・ガット(遅いテンポの重厚な器楽)、レザ・カーニ・ガット(速いテンポの軽快な器楽)の何であれ、「アーラープ」の内容は変わりません。

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そして、本来は、アーラープこそが「ラーガ音楽」の真骨頂であり、太鼓奏者には失礼ながら(私も太鼓奏者でもありますが)、太鼓(ドゥルパドではパカワージ/ムリダング、南インドではムリダンガム、北インド中世以降の様式ではタブラ・バヤン)を伴う「本曲」は、実は「デザート」のようなもので、アーラープの水準と充実からすれば「同じ話し(ラーガ物語)を太鼓を入れて分かり易く、楽しみ易く」した感じと言うことも出来ます。

更に「アーラープ」は、三部に別れますが、第二部には「二拍子」、第三部には「速い四拍子」の「Laya(ラヤ)/拍節感(ビート感)」がありますが、リズムサイクルとは考えられていないので、ターラではないのです。

そのため、太鼓奏者は、主旋律演奏家(および声楽家)と共にステージに上がりながら、「アーラープ」の最中は隣に座って待っていなければなりません(何時間であろうとも)。当然のことながら、本曲で七拍子であろうと十二拍子であろうと、「アーラープ」のビート感の二拍子、四拍子は変わりません。

このことからも「アーラープは、ラーガ音楽の真骨頂・真髄である」ことが明白ですが、極論すれば、「ラーガ音楽の真骨頂」からすれば、ターラさえも「お楽しみ(簡単で分かり易いデザート感覚)」でしかない、ということです。

写真は、1991年のWOMAD横浜で、招聘された北インド古典音楽弦楽器サロード奏者のタブラ伴奏を務めた私が。アーラープの最中なので、何もせずただ隣に居る様子です。
実は、第一部の後の休憩の楽屋で、彼はものすごく落ち込んでいました。「今の演奏、そんなに悪かったか?」と。彼は日本が初めてで、リアクションの無い聴衆も初体験だったのです。なので、写真の第二部は、私が横から「いいね!」「凄いね!」の掛け声(ヒンディーで)を必死で掛けることになりました。
案の定、主催者には、「あいつのリアクションが邪魔だった」の苦情が二三寄せられたそうです。
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「アーラープ」は、歴とした、むしろ最も崇高な音楽様式であるにも拘わらず、中世以降、カヤールやガットといった「新音楽」が流行し、「アーラープ」は次第に前唱・前奏曲の存在感に追いやられて行きました。

そもそも本曲のスタイルが何であれ、「アーラープ」の構造は同じ、ということは、ドゥルパドとも南インドとも同じということです。

逆に言えば、カヤールやガット、南インドの様々な様式は、「アーラープ」の後に来るものですから、「アーラープ至上主義」とは相反する対峙関係にあるとも言えます。

そのため、カヤールやガットなどを擬人化すれば、横で座って待って居る太鼓奏者と同じ心情「おいおい早く切り上げてくれないかなぁ」ということなのです。

そして、カヤール、ガット、太鼓奏者は、出番となれば堰を切ったように派手に見せようとする。本来これは破廉恥なことですが、時代とともにアカラ様になって行きました。

「アーラープ至上主義」から見たそれは、「破廉恥」であるとともに「大衆煽動」です。そして、「アーラープの深み」を理解出来ない(不勉強であるばかりか、心や魂で聴くことが出来ず、表層的な感情でしか聴くことが出来ないタイプ)聴衆は、本曲ばかりを楽しみ、喝采し、「アーラープ」を「正直退屈」と感じていれば、そのタイプの比率が時代と共に増え、音楽家の方も、「アーラープ」を短めにして、本曲を長くする、という「大衆迎合」に進んでしまうのです。

グラフのような図は、
次回以降、より詳しくご説明しますが、
アーラープの全容をイメージ化したものです。
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私は、50年近くインド音楽をステージで演奏して来ましたので、タブラ奏者であったことも数百回あり、インドの第一線の演奏家の伴奏で伴奏弦楽器タンプーラを担当したりも少なくありませんので、インド音楽独特の「α波を引き出す力」は痛感しておりますし、「あわや失態手前」の思い出も多々あります。

タンプーラは、三本の指で順に弦を弾きますが、だんだんと「今どの指で弾いているのだ?」が分からなくなって来ます。一瞬寝落ちて「あっ!今音止まらなかったか?」とひやっとすることも。後で録画を見てみると気付かないほどの一瞬なのですが、その時は数分寝たか?と思いました。これらの体験も後のアーユルヴェーダ音楽療法を本格的に学ぶきっかけだったかも知れません。

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逆に、哀しい経験もあります。20年近く前のことです。当時、吉祥寺にあった私の店で、年に数回「オールナイト・インド音楽ライブ」をやっていました。十年近く通っていたお弟子数名が入れ替わりでタブラを担当したのですが、ある一人が私のアーラープの最中に寝てしまったのでしょう。本曲に入ってもタブラを叩かないのです。誰かがつついて起こしたのか? しかし、既に主題は十数回演奏され、彼は「もう駄目だ」と勝手に決めたようで、叩こうとしません。なので、私はタブラ無しで即興も含む本曲を短めの30分ほど弾いてステージを降りました。
その後、「恥をかかされた」と同門の弟子に言い残し彼はそれっきり二度と来なくなりました。「俺は寝ていなかった!分かりにくい主題がおかしいから入らなかったのだ」などと言ったとも聞きましたが。十年の付き合いもそんなことで無しになってしまうのが哀しいと思いました。

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インド現地では、そのような話しは聞いたことがありませんが。逆に両雄合い譲らない話しは多々聞きました。
ある古典音楽マニアのベンガル人の友人が、コルカタ(当時はカルカッタ)のコンサート会場で隠し録りをしたライブ録音をくれたのですが。なかなか面白いものでした。

ラヴィ・シャンカル氏の高弟のシタール奏者と、タブラ奏者の名前は失念しましたが、(カセットのラベルにはあると思う)後で聞けば両雄は様々な理由で以前から犬猿の仲だったらしく、シタール奏者は、タブラ奏者を横に置き、一時間以上もアーラープをやってのけたのです。しかも、本曲でやるべき「大衆煽動・大衆迎合のギミック」までアーラープでやってしまう。つまり本曲もタブラも要らない状態にしてまでです。

そうしてやっと本曲の主題に入ったら、なんとタブラ奏者が仕返しを始めたのです。

本曲中はシタール奏者が目配せをしない限り、ソロは回って来ません。別なペアの話しですが。日本公演の途中でモメ、その後のコンサートと日本のレコード会社での録音で、シタール奏者が何度目配せをしても、決して一切ソロを取らなかった例もあります。(今でもレコードで聴けます)

本曲の冒頭、タブラが初めて参加する際には、誰もがある程度の長さ、本曲中のソロよりもやや長いソロを取ってから伴奏を始めるのが19世紀からの習わしです。
カルカッタのコンサートでタブラ奏者は、そこで「終わると見せかけて終わらない」を繰り返し、何と十数分もソロを取ったのです。友人も会場で「とんでもない事態だ」と何時もとは異なる次元で固唾を飲んで見入り聴き入っていたと言います。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
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アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

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(文章:若林 忠宏

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