106、インド音楽に於ける保守主義と改革主義

人間にとって普遍・永遠のテーマ
奇しくも、この原稿を書いている今日。世界では、「保守的で排他的な民族主義」が台頭し、日本では2017年10月の衆議院選挙を控え、「第三(四)の保守勢力とリベラル」が三つ巴の様相を呈しています。

ここで、多くの人々が微妙に誤解したニュアンスの印象を抱いてしまっているのが、「保守=右翼」とか「リベラル=革新」ですが、これらは本来の意味合いでは全くありません。そもそも「右翼」とは、20世紀初頭の「社会主義=左翼」の台頭によって「反左翼」的に輪郭が見えて来たものであって、或る意味アンチテーゼの具現であり、その中身は、団体・組織ごとで様々ですから、概念も定義も存在しません。

そして「リベラル」は、正しくは「自由主義」。確かに欧米で、かれこれ百年前後、公民権や男女平等、人種差別の旧態に対して叛旗を掲げて来ました。その結果、「革新勢力」と似たような行動を取ったことも事実です。確かにそれは、「反権威主義・反君主政治」という意味合いでの「革新」であるため、広義に於いては「社会主義」「社会民主主義」ということは出来ますが、所謂実在した「社会主義=共産主義」もしくは「社会主義→共産主義」という図式のそれではありません。尤も「革新」もまた「=(共産主義系の)社会主義」という解釈も論理的にはおかしいのですが。よろず次元の異なる用語が同一平面上に置かれて論じられたり、飛び交ったりで分かりにくい上に、けっこうその混乱を当て込んだ輩も居たりしますから困りものです。

同様に、戦後長らくインドが「社会主義的」であるとか、「社会主義国」であるとさえ言う人が少なく在りませんでしたが、同じように大きな誤解です。確かに一時期中国や旧ソ連と友好的だったこともありますが、それは、「産油国・欧米・パキスタン」との対峙関係。あくまでも政治と世界情勢からの結果であり、インドの戦後政治は、ここ数年までは、ほぼ一環して、「社会民主主義」ではあっても、所謂上記のニュアンスの「社会主義」ではありませんでした。むしろ、インドこそは、極めて「リベラル」な政治を続けて来た、かなり希少な国なのです。これは、根底に「ヴェーダの叡智」と「ヒンドゥー教の柔軟さ、懐の深さ」があることは言うまでもありません。

しかし、この「豊かさ」が、逆に、海外からの誤解を招くばかりでなく。インドの民衆自体も様々な偏った意識の組織・団体の亢進を許して来てしまったという歴史も生みました。これは、紀元前からのことでもあります。
紀元前、「仏教の台頭を許し」「ヒンドゥー各派の対立を許し」。中世~近世には「国内の分離を許し、イギリスの植民政策に利便を与え」。現代では、「国内と隣国とのヒンドゥー対イスラムの対立を許し」。そして、今日「偏ったヒンドゥー至上主義の台頭を許し」と、或る意味「本末転倒」なことの連なりの歴史をも築き続けてきてしまった、とも言えます。

これは、敢えて幼稚な比喩をすれば、「自己管理をして自分で考えて食べなさい」とお菓子を一週間分与えたら「一日で食べてしまった」ようなもの。つまり、「人間は、本質的に欲望を自己管理出来ない」が故「本当の自由を持ち得ない」「結果として、自由からは不自由しか作り出せない」という哀しい性のテーマでもあり。尚一層、人類史の当初からの永遠の課題とも言えます。

大量のお菓子を一日で食べ、胃腸に大ダメージを与えると共に、その月の残りの29日は、不満、不愉快、不条理、被害者意識を感じて過ごす。果ては、まだ食べ残しを持って居る兄弟から奪おうとする。
実際、人間は、「地下資源」「食材=自然の生き物」「自然環境」を正にこの狂った子どものように、むさぼり続けて来ました。

或る意味西洋諸国が、古代ローマから第二次大戦後の植民支配の終了まで、国の内外で蛮行を続けて来れたのも、その基本に「人間の欲深さと愚かさ」を前提にした「愚民政策(愚民対策)」があったからだ、と言うことが出来ます。勿論事実でもありますから、その「上から目線」的な考え方に反感をもつことは、「叱られ駄目だ!と言われてふてくされ、むくれる子ども」レベルの幼稚の極みです。

つまり「君主(恐慌)政治」の「愚民対策」自体ではなく、君主政治につきものの、権力主義、利権主義、汚職・腐敗、実際の不平等・不条理、人権無視などの「副産物」が問われるべきであるということです。言い換えれば、それが「ついてまわる」以上、民衆を愚民として卑下し、利己に走った為政者もまた、愚かの極みであるということであり。「同じレベル」であるならば、身分階級・貧富の差があるのは、「勝ち負け理論」であり、「不条理」であると言わざるを得ない、というのが論理の展開です。

一方インドは、少なくともこの数年前までは、むしろ「人間の叡智」に常に期待して来た(決して愚民政策ではなかった)。世界的にも希に見る「社会主義(理念的な意味での)」「社会民主主義」であった。しかも紀元前数千年前から。ということが出来るのです。
もちろん、それぞれの時代、細かなそれぞれの現場には、勘違いした人物も居たでしょうが。

或る意味、それは「自由主義=リベラル」でもありました。

と言うと、
「カーストがあるじゃないか!」「ダウリーやサティーはどうなんだ!」とか、「ロヒンギャの問題の原点はどうなんだ?」などなどの反論・反感を買うかもしれません。しかしそもそも、是非(善悪)の判断基準を共有出来るか否か? つまり、「近代合理主義・結果論」と「被害者意識」が融合した感覚に対して、論理的な本質論を説くことが可能なのか?という壁、問題という大きなテーマに話しが逸れてしまいますので、ここでは割愛させて頂きます。

…………………………………………………………………………………………..
インド古典音楽に於ける保守主義と改革主義
…………………………………………………………………………………………..
この今回の本題を考える時、長々と前述しましたことが理解されての上であるか否か?では、話しが大きく異なって来ます。

「保守主義」や「伝統尊重」の考え方から、「現状に対する不満、閉塞感」を取り除くことは極めて困難です。むしろ、それらには「(根拠の無い)被害者意識」が多く入り込んでいるからでもあります。近年とくにそれは顕著です。その結果、音楽文化論に、現在の現実社会に於ける論者の「生き辛さ」閉塞感、不平不満が加わってしまえば、「現実論者/追認主義者」たちに「懐古主義・復古主義」と揶揄されても仕方が在りません。

他方、「改革主義」はより一層、「現状や旧態に対する不平・不満・閉塞感」と、より強い「(根拠の無い)被害者意識」がこびりついている場合が多く見られます。

しかし、以前にも述べましたように「改革・改良・改善」は、生命体、とりわけ人間の本能の中でも重要な要素だからです。これを取り除いてしまうと、人間はおそらく簡単に死んでしまうでしょう。

以前も説きましたように、この「本能的衝動」もまた、「恒常性」の上に成立つ「相反する二つの要素」のバランスが保たれているべきなのです。
それは「寛容、受容、適応、順応」の本応的能力と、「改革、改善、創造、創作」の本能的能力です。

これらは、右脳左脳のバランス、自律神経のバランス、オキシトシンなどとアドレナリンなどの対峙する数多のホルモンのバランスが自然に取れている健康な人間の上では、「現状に慣れる、認める、許す、容認する、」と、「現状に飽き足らない、向上、成長、発展、学習、修行」という良い精神性に発揮されます。

しかし、体と思考と精神のバランスが狂っていると、一方だけが亢進し、前者では、「思考しない、諦める、行動しない」とアパシー、鬱に近づく方向性か、「依存体質」に至り、後者では「反発、苛々、閉塞感、被害者意識、ストレス発散、癒されたい、楽しみたい」という方向ばかりに突き進みます。

インド古典音楽を学ぶ者の場合、「伝統の心、重み、深さ」というものと、「伝統を現代人の感性に訴え生きた音楽として瑞々しい活力を持たせる」ということが求められ、そのバランスが保たれている上でなければ、「ラーガの科学」「ヴェーダの叡智」を学ぶ段階には辿り着けません。

しかし、後者を「今の時代にウケる」という表層的・短絡的・安直で幼稚な感覚と解釈で行うことばかりが先行してしまうと、前者感覚の人間が謙遜と実直さと敬意を持って取り組もうとした「伝統の心、重み、深さ」というものは、いとも簡単に崩壊してしまいます。

つい数年前までは、このようなことを言うと。「そんな簡単に壊されてしまうような伝統などは、元から大したことがない証拠だ」とか、「今に生きる私たちが楽しめない伝統等、既に死んでいるに違いない」などという反論が来たものです。

しかし流石に昨今。例えば、自然豊かで水質が良く魚も微生物も生きている川が、簡単にヘドロが溜まり悪臭を放つドブ川に変わった様を、散々見て来た筈です。
汚水を流さないことで辛うじて見た目の良さを作り上げ、かなり酷い水質でも生きられる「鯉」などを放流して「魚が住めるようになった!」というやり口は、自然公園や、○○緑地も同じです。自然の「原っぱ」には、数百種の植物が自生し、数百種の昆虫が住み、多くの鳥や小動物が住んでいます。ところが、管理された公園には、十種前後の植物しか生えず、昆虫も生態系にさほど寄与せず、「宿主(この場合、公園や地域の自然)の行く末など気にせず利己の為にたくましく生きれる種」ばかりが増えてしまいます。

つまり、「作られた嘘の自然」もまた、「表層的・短絡的・安直で幼稚な感覚と解釈」によるものに他ならないばかりか、それらを平然と作り出した社会に於ける文化芸術もまた、ほんの数パーセントの「たくましいもの」しか生き続けられず、後は淘汰されてしまう「勝ち負け」の世界なのです。

この問題は、「改革だ、復古だ」などという次元で論じては間に合わないことは明らかです。

「ヴェーダ科学音楽」及び「アーユルヴェーダ療法音楽」を学ぶ以前の「インド古典音楽」を理解するための前段階としてさえも、このようなテーマと真摯に向い合い、より深く理解し、多くを自壊することは、明らかに必須です。あらゆる事柄に通じる、基本的な摂理というものを理解せずには、専門的に得たものが表層的・形骸的な「情報」でしかないこともまた、言うまでもありません。

これらのテーマもまた、私たち現代人が、「自覚出来る表層意識(Ahamkara)」ばかりに偏ることからの弊害に他なりません。

今回の写真は、私の写真(手前味噌)で恐縮です。
「伝統派と革新派」というテーマで、他の演奏者の例を挙げて揶揄することは、
本連載にはそぐわないと思いました。宜しくお願いいたします。

恩師であり、父以上の存在だったUstad Ilyas Khansahebとの写真、
残念ながら他者が撮ってくれたので、ピントが悪いです。
師は、インド最古のシタールの流派に学びましたが、家柄はサロード最古(創始)の家柄でした。つまり、「最も保守な師匠に学んだ」ということです。
残念ながら、外国人は、人前では弾かないカナダ人の女性がかなり以前に居た程度で、インド人の弟子も音楽院の生徒が居た程度。卒業後も修行した人は居ないようで、サロード、シタール最古の流派は、サロードに現家元 Ustad Irfan Khan師(私の師匠の息子・甥)が居るだけで、私を入れて世界で二人という状況です。

六本木の有名なビートルズ・ファンが集うクラブで、ジョージ・ハリスン追悼ライブにゲスト出演した際の写真。完全コピーのハウス・バンドのジョージ役の人がシタールを弾かなかったので、その曲だけ参加しました。ジョージ自身が弾いたに違いない「Love you too」のテーマの冒頭を完全コピーで弾いた瞬間、会場全体から「おー!」の歓声が沸きました。同曲がここまでウケたのは、この時限り。流石熱狂的なファンは凄いです。

1990年代に、そのビートルズやストーンズのみならず、トラフィック、ジェスロタル、オレゴンなどのシタールを用いた曲の完コピ・バンド。
生徒さんから貰った「胴体が粉々になったシタール」にソリッドの胴を取り付けピックアップを取り付けた自作「エレキシタール」をストラップで吊って立って弾きました。
1990年代初頭、間違いなくインドにはまだありませんでしたが、その後2015年頃から(?)(何処かで私の写真を見た?)同じソリッド・フラットボディーのエレキシタールがインドでも作られるようになりました。
つまり、当時の私がしていたことは、「新しもの好き」のインドよりも先に行っていた、ということです。

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

10月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

……………………………………………………………………….

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

105、Raga-Chikitsa (アーユルヴェーダ音楽療法)

ラーガをどう説明したら良いか?

「ラーガって何ですか?」とか、「ラーガを『一言』で説明するならば?」と問われる時、私はかれこれ40年近く、四苦八苦しながらより分かり易い説明に苦心して来ました。

しかし、最も重要なことが「説明の分かり易さ」ではなく、「問うた人の思考性の問題」であると分かってからは、その説明の仕方も随分変わって来ました。

初期の頃の説明は、既に存在した文献や、学者先生や音楽評論家氏の言葉に倣ったものでした。1970年代のことです。

その中の極めて大雑把で、或る意味いい加減な説明が「ラーガとはインド古典音楽で用いる音階(Scale)の総称である」です。しかしこれは、「同じ音階を用いて複数のラーガが在る」ということで、いとも簡単に崩れさってしまうのです。
なので、やむなく「旋法」という「せめて音階よりも意味が深そうな」用語を用いる訳ですが、音楽のジャンルや音楽家によっては、音階との区別が曖昧ですから、「旋法」もラーガを充分に示しているとは言い難いのも事実です。

例えば、日本の唱歌で最も良く用いられる「四七抜調(ファとシを省く)」と同じ音階のラーガには、「Raga:Bhupali」と「Raga:Deshkar」がありますが、これらは全く異なる音の動きをします。

また、いささか上級編ですが、叙情的な歌で好まれる「Raga:Bhairavi」は、「レとミとラとシがフラット(半音低い)」音階を用います。「レ」がナチュラルですと、西洋の短調と同じになりますが、これはインドでは「Raga:Asawari」が代表格とされています。勿論、この音階を用いても十種前後異なるラーガがあります。

ところが「Raga:Komal(フラット)-Reshav(インド楽音名のレ)-ki-Asawari」というものがあるのです。「レが半音下がったAsawari」という名前ですから、音階としては「Raga:Bhaitavi」と同じになってしまいます。勿論、音の動きは全く異なります。

私は逆に、「ラーガの視座」から日本の「四七抜調の唱歌」を検証した「Raga:赤とんぼ」と「Raga:海」を説明したものをYouTubeに上げています。唱歌の「赤とんぼ」と「海」は、音の動きが全く異なるから「別なRaga」となる訳です。

これらのことは、「Raga-Lakshan(ラーガの身上書)」によって、基本的なことが分かります。そこでは「属するグループ、基本音列、主音、副主音、重要な音の動き、音域、演奏すべき時間帯(や季節)、関連する感情」などが最低明記されています。

実際、この知識レベルで、あとは好き勝手な即興に興じている演奏家は、日本のみならずインドでも多くなって来ました。尤も、その程度の深みしかない「簡易なラーガ」もけっこう多く存在し、そのようなラーガに限って「一般聴衆のウケが良い」ということもあります。

これらをアーユルヴェーダや中国古代医療・漢方の「生薬や方剤」に喩えると、「ほぼ同じ生薬のブレンドだが、その配分比が異なる」と言うことが出来ます。

「生薬方剤」には、「主薬、主薬を助け(効果を高め)る副薬、主薬の反作用を中和する為の助薬、主薬の反作用をフォローする為の助薬」が、数百年数千年の経験で配合されています。しかし、「方剤」と言えば、古代のものばかりと思いがちですが、アーユルヴェーダでも中国古代医療・漢方でも、意外に近代に「飲み易くする為に改良(改悪?)」したものも少なくありません。

有名な「葛根湯」などは「甘くて飲み易い」と人気が高く、実際喉が一瞬楽になったりしますから、ブラセボの助けもあって効いた気がして来ます。しかし、甘味の正体の「甘草」は、本当は注意深く遣うべき生薬です。ところが、もっと怖い(量によっては毒薬ろしても有名)生薬を用いる方剤でさえ今日ドラッグストアーで簡単に売られ、常駐している薬剤師さんも、実に「対処療法的」に「○○だったら、これが効きますよ」と「売らんかな」です。「一般聴衆のウケが良いラーガ」は、さしずめ「葛根湯」のような感じです。幸いに「ラーガ」の場合は、分かっていない人が弾いても「危険」ということはないようです。そもそも「音自体の力」が薄ければ、「薬効が飛んでしまった」ようなものだからなのでしょう。

……………………………………………………………………………….
アーユルヴェーダ音楽療法では、

上記しました「Raga-Lakshan(ラーガの身上書)」は、「インド古典音楽」即ち、「観賞用芸術音楽」に於ける演奏者が、最低限熟知しておくべき話しですが、これを「音楽療法」に用いるとなると尚一層、数十倍も深く理解していなければならないことは言う迄もありません。

私は、町の獣医さんが「予後不良」とおっしゃった猫たちを助け、お医者さんが「奇跡だね」とおっしゃった数例や、画期的に延命を記した例が多くありますが。(勿論力及ばずの哀しい結果もあります)、その自宅での治療・看病では、「西洋ハーブ・アーユルヴェーダ生薬・中医・漢方生薬と方剤」を適材適所に使い分けています。

前二者は、「単味(単体)」を入手し、同時に飲ませたりずらしたりしていますが、漢方方剤は、「良く出来た方剤」でも、適材適所、タイミング良く、短期間(数日)のみ使用し、慎重に用いるべき方剤は、症状に合わせた「配合比」を漢方屋さんに特注します。ここ数年は、単味(単体)で入手し、自分でブレンドすることが主体になって来ましたが、滅多に使わない生薬は、鮮度を考えると「加減特注」が有難いのです。

「Raga-Chikitsa(ラーガ療法)」でも同じように、否、より自由自在にその「配合比」を変えて対処します。つまり、この段階の「ラーガ(旋法)」は、「同じラーガでも異なる性質を持たせる」という領域なのです。

何故に「より自由自在に」と言えるか? それは、基本が即興演奏だからです。しかし、言い換えれば、「アーユルヴェーダ音楽療法」を施術する者の知識・経験・分析力・把握力によっては「効くものも効かない」ということがあるからです。

かく言う私も、東洋生薬による治療を試み始めた初期の頃は、効果を見極める選択眼も、そもそもその生薬の成分や、それらの働きについて良く理解出来おらず、「○○にはこれが効く!」という話しを真に受けて「あれもこれも」という出鱈目な感じでした。「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」とでも思ったかのような。

結果として、運良く「同じ成分」が多くの生薬に共通し重複した場合は、充分な量が得られたものもありますが、多くは「最低限必要な量」が得られず、様々な生薬を飲まされる苦痛に反比例して「効果が薄い」という有り様だったのです。

ひとつ言い訳をすれば、人間に対してでさえも、漢方薬剤師さんやハーバリストさんによって処方量が異なることも少なくなく、ましてや猫の場合の前例が殆ど無いので、「どれが正しいの?!」と困惑し、控えめ(少なめ)になっていたこともあります。

そもそも方剤によって、その生薬の品質が異なれば、同じ量でも効果は驚く程変わります。その点では、「特定の成分を抽出した化学製剤」の場合、「量と効果は、与える対象の体重で比較的正確に認識出来る」という安定感(故に信頼感を抱くのでしょう)があります。

人間は、自分自身の考えや行いを美化したがる悪い癖があります。その当時の私は「仮に、各生薬の効果効能が弱くとも、沢山集まればなんとかなる筈だ」と正当化していました。その当時のイメージは、(病気によって)天井が徐々に落ちて来る状態を「棒で支える」というもの。その棒が仮にか弱い細いものでも、「沢山あれば大丈夫だろう」という感じでした。

しかし、事実は「棒の太さの問題」ではなかったのです。

その後により深く理解した後のイメージは、「短い橋ならば、幾ら丈夫でも川に掛けることさえ出来ない」というものです。勿論、「多ければ良い」という考えは、「少なくて効かない」よりも重大な危険を招きます。
そもそも「薬は全て毒」と言っても過言ではないからです。

「Raga-Chikitsa(ラーガ療法)」でも全く同様で、「どの音遣い」をどのように配列させ、強調させるか? によって、やはり効果は覿面に異なります。

今回の二枚(3Shot)の写真は、

中医・漢方の生薬をすりつぶす「薬研(やげん)」と、インドの生薬から家庭料理のスパイスまで幅広く活躍する石のすりこぎ&すり鉢。

「薬研」は、茎・根・穂などを切断しながら細かくすることに長けており、乾燥した生薬に特化している感じです。インドの場合は、「生の植物」を摩り下ろすことに長けています。

保護猫の看病・治療のための西洋ハーブの棚。2割ほどがブレンドなので、生薬120種は優に超えています。が、実際頻繁に活躍するのは四割以下です。それを分かるためには、市販されている殆どを入手し試行せねばなりませんでした。

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

10月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。
九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

……………………………………………………………………….

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

104、インド科学音楽の未来 (その1)

未来像のイメージの仕方
欧米人や私たち日本人が、世の中の何かについて「未来を考える」という時、「Positiveなイメージ」と「Negativeなイメージ」のどちらかに偏っている傾向にあります。特に、この十年、二十年、その傾向はより顕著になって来ました。

ところが、流石のインドの場合、「両極端の共存感覚」が旺盛なため、セレブな雑誌「The Illustrated Weekly of India(1980Nov9th)」でさえ、「インド古典音楽は、Arohaか?Avarohaか?」などという洒落たタイトルで今回のテーマと似たことを「取り組み上では平等に」論じていました。

Arohaとはラーガ(旋法)の基本音列の「上行音列」のことで、Avarohaは「下行音列」こと。「インド古典音楽の未来は、右肩上がりか?それとも下がりか?」の比喩であり、少なくとも「特集のテーマ」の上では、「未来は明るい!」に偏った「大衆迎合性」や「追認主義」でもなく。逆に「未来は危うい!」という「啓発」や「危機感を煽る」というやり方で一部のエリートを喜ばせるというような手法でもなかった訳です。

しかし、そのように、何かにつけて「両極端の対峙をまず同一平面上に並列させて論じたがる」インドでさえも、結果としては、「どちらか一方の答え」に近づいてしまうものですし、仮に公平・平等・等分が貫かれたとしても、受け手の方で、一方に偏って読み、理解してしまうものです。

勿論、近年目に余るSNS記事やマスコミ報道のような、「一方をことさらに誇張して、関心を集める手法」のようなことはしていないところは立派だとは言えます。

尤も、SNSやマスコミの情報を受け取る側には、「両極端の意見や情報の両方を渡り歩き、自身の感覚を肯定してくれる意見を広い集める」という人が多いのも事実でしょう。結果として「ネット情報漂流民」のような形になってしまったり、「腸内細菌叢に於ける日和見菌」のように、右往左往してしまう場合も少なくないようです。

私はかなり以前から、このような「日和見的な右往左往」が、思考回路を歪曲させ、偏らせ、様々な「脳・神経系統・ホルモン系統」なども狂わすと警鐘を鳴らし続けて来ましたが。今回ここでは、この懸念に対するひとつの「改善策」の意味も含め、「未来をイメージする時のアイディア」を論じたいと思います。

それは、「現在の状況の分析・理解」から「未来の方向性をイメージする」のではなく、「過去の結果と、そのまた前の過去からの変化」を検証することです。

インド古典音楽の未来は、どのように変化して来たか? (古代と中世の場合)
………………………………………………
まず、古代の「ヴェーダ科学」にとって、仏教の台頭によって蒙った大打撃は、想定も想像も越えたものであったに違いありません。しかし、結果論で言えば、仏教は、信徒にとっては「ヴェーダよりは遥かに優しく分かり易い宗教」ではありましたが、担い手(僧侶)にとっては、極めて難解なものとなっていました。(このテーマは、私の余生最大の重要テーマのひとつですが、そうそうサワリだけを簡略してお話することは難しいです)

僧侶にとって仏典が難解であることは即ち「仏教儀礼音楽」に受け継がれた「ヴェーダ科学音楽」もまた、「演奏者にとっては難解になった」ということですが。実際のところ、僧侶たちは「仏法の理解」に必死で、「音楽の理解」に対してはかなり甘く、おろそかにした感があります。それが恐らく最初の「ヴェーダ科学音楽」の「衰退」という「予期せぬ未来」の到来だった訳です。

ところが、それから千年二千年の後、10世紀にイスラム勢力が侵入した後。インド科学音楽は、思いがけない形で「復興」するのです。

仏教の弾圧を受け、ちりぢりに分裂した「ヴェーダ科学音楽の叡智と理論」は、「仏教に於いて、湾曲されながらもかなり高度で難解なものとして取込まれた(しかし殆ど実践されず、理論も大半が失われた)」ものの他に、「密教(タントラ仏教)に於いて継承され残ったもの」がありました。同時に、「ヒンドゥー教各派に残されたもの」「各地の辺境のヒンドゥー教勢力や寺院、宮廷が継承したもの」などがありました。

そうした各地各派の名音楽家が、その一族の存続を掛けて宮廷楽師にならんとした結果。それらのほぼ全てがイスラム宮廷古典音楽に集合し、次第に統合されたのです。

………………………………………
加えて、イスラム宮廷古典音楽は、13世紀のアミール・フスロウ、16世紀のミヤン・ターン・センといった改革者であり、数百年続く主流派の創設者のいずれもが、イスラム系神秘主義にも傾倒していたことがあり、「論理的かつ理論的な古典音楽体系」は、宗教の違いを越えて好まれかつ重用されたのです。

言い換えれば、統合された音楽環境が「楽しむだけで良い」という価値観であったならば、ヴェーダ科学音楽は勿論、インド古典音楽さえもその時代にほぼ滅んでいて、世界各国の宮廷宴会音楽のレベルに墜落していたに違いありません。逆に、19世紀の南インド古典音楽や、近代のパミール高原タジク音楽のように、偏った宗教上の至上主義・原理主義が台頭すると、極めて強い排他性を持つと同時に、その偏りは著しく論理性に欠けますから、ヴァーダの叡智は、むしろ淘汰される訳です。

近代のインド古典音楽消滅の危機
……………………………………………………………………….
次に(ヴェーダ科学音楽を内在する)インド古典音楽が遭遇した巨大な危機は、1945年のインド・パキスタン分離独立と共和制(宮廷の崩壊)でした。

厳密には、18世紀の末から「新古典音楽」が台頭していました。ヴェーダ科学音楽にとっては、新古典音楽は、「ラーガ(旋法)の深みに欠け、芸術性に偏る=娯楽性の方向性」であり、加えて「より安易で軽いラーガばかりを選ぶ」という性格が濃厚であったことも「危機」のひとつではありましたが、前回の記事でもお話ししましたように、それらを「サブ・カルチャー」とするならば、結果論で言えば、その時点ではまだ「メイン・カルチャー」が元気に健在しており、むしろ触発され一層「理論的」な方向に至っていました。

また「新声楽:Khayal(カヤール)」は、奇しくも「より安易で娯楽性の高い方向」には、進みませんでした。むしろ、「古声楽Dhrupad(ドゥルパド)」をより多く吸収し、より重厚な方向性を各派で競ったのです。

これも或る意味では「想定外」だったかも知れませんし、「危機ではなくなった」とも言える反面、逆に「深刻な状況」とも言えます。が、宮廷音楽の裾野を広げ、ピラミッド型の土台を、より一層強固なものにしたことは事実です。

ところが、共和国独立と共に、インドにも多くのイスラム教徒が残り、むしろ古典音楽演奏家はイスラム教徒の方が圧倒的に多いにも拘らず、「ムスリムはパキスタン」「インドはヒンドゥー」のイメージやプロパガンダが隆盛し、結果として「ターン・セン以降の宮廷古典音楽の伝統」は、急速に崩壊への路を辿るのです。

戦直後の日本でも、クラッシックの名手や音楽論の大家が、「米軍キャンプやキャバレーでの演奏」で喰い繋ぎ生き伸びたのと同様に。インドでも富豪の宴席や映画音楽で、非科学的の極みの「古典音楽風演奏」をせねばなりませんでした。

それでも音楽家・演奏家は、辛酸を味わいながらも、心に伝統音楽や科学音楽をしっかり携えておればどうにか生き伸びられますが。切実にその生命線を断たれたのが、「楽器職人」でした。「売れる売れない」は元より、「明るい未来は来ない」ことが明らかになったのです。その結果、「後継者」が皆無に近いほど居なくなって、急激に衰退してしまったのです。

勿論、宮廷楽師の子息でサラリーマンに転じた者が、「趣味や教養」として「伝統音楽」を継承することは可能です。しかし「楽器職人」は、「買い手も居ないのに、趣味で楽器を作り続ける」ということはあり得ません。

日本の神社が、江戸時代以前から今日に至る迄、二十年前後で、大巾な改築を共なって、敷地内を移動する「式年遷宮」を行うのは、二十年が「特殊工法・特殊技能が絶えないギリギリの期間」だと言います。その間、日々何らかの大工仕事を続けて基本技能を維持している「宮大工職人」でさえ、特別な技能は失われる危険を感じてい訳ですが、「楽器職人」はそうは行きません。

宮廷トップクラスの演奏家に納める最高級の楽器は愚か、趣味の為の普通の楽器を作る後継者も技術も絶えて行く方向性にあったのです。
実際、私の師匠の代(幼少~少年期に共和制を迎えた)迄は、存続していた有名楽器職人の幾つかがこの時期に消えて行きました。トップクラスで半減しているのですから、巷では激減した訳です。

インド古典音楽を救ったのはヒッピー?
…………………………………………………………………………………….
ところが、戦後二十年ほどして状況は一転しました。それは演奏家も楽器職人も、古典音楽ファンも想定も想像もしなかった事態の到来です。古典音楽の流派としていはモダン派に属します彼のPt.ラヴィ・シャンカル氏がビートルズの師匠となったことで、世界的にインド古典音楽が脚光を浴びたのです。言わば「インド大ブーム」のようなものです。

ブームは実に幅広く、層が厚く、しかも十年以上続きました。
ラヴィ・シャンカル氏も、欧米公演の初期の頃は、理解を得ることに苦労したと言いますが、むしろ戦後のインドの聴衆に対する苦言の方が多かったとも言います。

インド古典音楽の演奏家にとって、欧米の聴衆に「ラーガ(旋法)の深み」を理解させることは至難の業。それでも「比較的安易なラーガと超絶技巧」は「ウケた」。ところが、日本の聴衆は、「静か過ぎ」て「海外では最もやりにくい連中」と言われていました。

ところが、戦直後のインドの聴衆は、「ラーガの精霊との出逢い」など求めておらず、セレブな連中が「知的好奇心」と「博学振りの誇示」の為に集まるのが本音で、しかも「インド時間」ですから、開演してからも次々に遅れてやって来ては「あ~ら!○○社長と奥さま!お久しぶり!」を客席のあちこちでやっている。ラヴィ・シャンカル氏は何度もインドの聴衆に対して、演奏を止めて苦言を放ったと言います。
そのような苦労もあって、次第に「より真剣に伝統音楽を愛好する人々」が増え始めたのです。

しかし、一方街では、「(ビートルズなどのロック)+ヴェトナム反戦=ヒッピー」という図式で、欧米各国からバックパッカーが大挙インドを訪れ、真っ昼間から酒やマリファナに興じながら、シタールやタブラを買って、好き勝手に出鱈目に演る姿が、聖地バラナシのガート(沐浴場)でも日常的に見られたと言います。

しかし、上は「知識層の愛好会」から、下は「ヒッピー」に至る迄の「層の厚さ」と、「世界的規模」の幅の広さの御陰で、明らかにインド古典音楽(伝統音楽/旧宮廷音楽文化)は、「世界が興味関心を抱く新鮮な音楽」として、「再スタート」を切った訳です。

これは流石に誰も予想出来なかった。

勿論、そうなっても尚。むしろ「こんな低俗な流行で存続しても未来は知れている」と、僅かな本物の演奏家の楽器の修理などの薄謝で糊口を潤しながら、細々と耐えて来た「名匠・名工」が、「世界的ブーム」の到来を期に店じまい(息子たちに別な職に進ませる)をした実例が幾つかあります。

ところが、1960年代の「ビートルズ、ラヴィシャンカルそしてヒッピー」によるインド古典音楽の想定外の復興も、1980年代には再び危機を迎えます。
しかし1990年代、欧米と日本で「ワールドミュージック・ブーム」が興ります。それまでの10年を乗り切れなかった楽器匠や音楽流派は、決定的な状況となったのです。

2017年の今日。果たしてインド古典音楽の現状は如何に? 今回述べましたような歴史の転換を検証するに、その未来派如何なるものになるのか? 
滅び行く伝統や、ヴェーダ音楽に不可欠の論理的思考を救う、新たな「想定外の出来事」が興るでしょうか。

今回の図版は
「インド古典音楽の未来は?」の記事があるインドのハイソ系雑誌。
その他にも古典音楽の特集が組まれていました。
1980年代、再び一般の関心が低くなり、知識人古典音楽ファンの中からも危機感を訴える声が高まった頃の貴重な特集でした。ボリウッドの「踊るマハラジャ系軽音楽」も台頭していました。

二枚の写真は、
インドのシタール工房(シタール屋)と太鼓工房(タブラ屋)。

シタール工房では、親子代々伝統的な工法でシタールを製作しつつ、壁にはブルースリーのポスターが貼られているところが1980年代の雰囲気を彷彿とさせます。先代の写真や、インド音楽史に輝く楽聖の肖像画などを貼るような店は、ごく一部になっていました。

太鼓屋で、主が自慢気に見せているのは、ドゥルパド音楽の伴奏に用いるパカワージ。珍しく装飾があるので目に留まりましたが、翌年同じ店に行けば未だあるのです。
「おやじさん!一年掛かってもまだ仕上がらないのかい?」と言えば、
「馬鹿言ってるんじゃねえよ!毎年この時期にメンテに来るのさ。お前さんみたいにね」と返されました。

生活が豊かになるにつれ、生活品もモダンになり値が上がる。馴染みのお得意さん(演奏家)の楽器のメンテだけでは楽器匠もやって行けないのです。

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

10月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。
九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。
……………………………………………………………………….

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

103、インド科学音楽の即興演奏(大樹か?あみだか?しりとりか?)

筆者は、保護猫の看病が忙しくなる迄、東京に月二回通い音大付属研究所の社会人講座の他に、音楽療法士を育て、資格も与えていた音楽院で「即興演奏」の講師をしていました。

基本には、中学二年の頃からの50年近いインド音楽修行があり、とりわけ北インド古典音楽が即興演奏が主体であったことが大きく寄与してくれています。更に、「コラボ」などという流行語が出来る遥か以前の1970年代から様々なジャンルの演奏家や音楽以外との共演が、延べで数百回ありますので、音楽人生の大半は「即興」だったとさえ言えるかも知れません。

(とりわけ、精神科医や脳科学者のプロデュースによる、発達障害児童や、統合失調症の大人数人との数回のコラボは、自分のセラピー&カウンセリングの大いなる学びでした。)

むしろ、20代後半になって「はたっ!」と考えれば、「自分は譜面通りの音楽を殆どやって来ていない」とか「自分は同じ旋律を二回以上弾いたことが無いのでは?」と気付き。「果たして、これを音楽家と言って良いのだろうか?」と自壊したのが、インド古典音楽から、インド民謡、叙情歌、宗教歌、更にはインドからパキスタン、アフガニスタン、ウズベク~西アジア~東欧~南欧~アフリカ~カリブ・中南米~太平洋という民族音楽修行に取り組んだきっかけのひとつでした。

逆に、音楽療法学院では、殆どの生徒さんが幼少からピアノなどを習って来ていたり、中学からブラスバンドだったりで、「楽譜があって、楽譜通りに演奏するのが音楽」という常識から、「如何に解き放たれた即興を繰り広げるか?」にかなり苦労しているのを目の当たりにして、自分が極めて珍しい「音楽の道」を歩いて来たことを改めて痛感したのでした。

勿論、音楽療法学院で教える十五年前から、私自身が主宰する民族音楽教室で、インド古典音楽、アラブ・トルコ古典音楽を教えて来ました。しかし、実際延べで数百人に教えて来ましたが、殆どの人がまず楽器の魅力から入り、楽器が弾けるようになった頃には満足してしまい、自在に即興を繰り広げられるところに至る迄レッスンを続けた人は、一人二人居るか居ないか。

途中で、「日本人よりインド人の方が本物だろう」と、インドに行ってしまい、運良く「インド人の生徒より日本人の生徒の方が嬉しい(が本音の)」類いの先生に出逢って、表面的な技術やギミックを学んでセミプロの資格を得たと考えるようになる人がもの凄く増え始めた頃には、アフリカ太鼓やラテン・パーカッションなども教えるようになったので「そんな人にインド音楽を学びたくない」と生徒さんが激減して行ったという侘しいいきさつがあります。

ところが、この私自身、インド音楽修行歴50年弱の30年目あたりから、随分考え方も理解も変わって来ました。上記のように、20代後半で「再現音楽(即興の反対語で、楽譜があり得る音楽)」にも取り組み、世界中の音楽をむさぼるように学んだ後も、相変わらずインド古典音楽では「同じフレイズを殆ど二度以上弾かなかった」のです。

より正確に言うと、同じ時期に平行してインドで師匠と出逢い、実の父親以上の付き合いをさせて頂くようになったのですが。師匠のレッスンでは、「同じフレイズを何度も何度もくり返し弾き、憶えるだけではなく、師匠のニュアンスにどれほど近づけるか?」という修行をしていました。それ迄の独学シタールとは全く逆にです。

しかし、例えば「と或るラーガ」を師匠から学び、日本のライブやコンサートで弾くとなった時、「師匠から学んだ部分(師匠と同じに弾けるように、師匠がそこに居らず聴いていないとしても変化させない)」と「自分勝手な即興の部分(同じフレイズなど二度と出て来ない)」のパッチワークのような音楽を演っていた訳です。これには、後々「我ながら酷いもんだった」と呆れました。

尤も、その当時の録音を今聴いても、むしろ「同じフレイズが二度と出て来ない、その場限り、その時々のあらゆる状況・条件が『弾かせたような』即興演奏」は、(我ながら)実にスリリングであり、研ぎすまされた部分もあります。その片鱗はYouTubeに上げた「インド国営放送出演時の演奏」でも確かめられます。

勿論「全くの出鱈目」ではなく、知識・情報として得られる「ラーガの規則」は、しっかり遵守していました。その意味では日本人のレベル以上であることは勿論、現地の並みのレベルには到達していた筈です。

しかし、私の師匠が継承したレベルの「インド古典音楽の即興」としては、決して充分ではなかったのです。

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
そもそも「即興演奏・音楽」とは?
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
そもそも「即興演奏」や「即興音楽」というものについて、世界的にも「基本的・不偏的な概念」は存在しません。

大まかに大別すると、「何らかの法則(音階やリズムやその他の)を守った上での即興」と「全くのゼロから、何の制約も決めない即興」があり、前者は、ジャズやブルースでお馴染みで、カリブ音楽でも重要視されています。後者は、特に「Free-Music」とか「Free-Improvisation」とも呼ばれます。「Free-Jazz」もこの範疇です。

後者の極端な例では、主に複数の演奏者で共演しますが、誰かが「同じパターン(やフレイズ)をくり返した」とか「在り物のパターン(やフレイズ)を弾いた」とか、「リズム・パターンが生じた」や「スケール感や和声が生じた」途端に、他の演奏者がそれを「壊す」というストイックなものもありました。

これはこれで価値の高いもので、私たちが如何に「習慣的=惰性的=慣れや惚けで音を出している」ということを思い知る意味合いがあります。別な意味では「音楽は楽しむためだけではない」ことを教えてくれる好例でもあります。

また、「即興演奏(音楽)」は、「Adrib」と「Improvisation」の二つで言われますが、単にラテン語系/英語系の違いもありますが、(世界中の音楽を俯瞰した)総論的に言えば、「Improvisation」には「音楽的意識・姿勢・哲学・信念」が基本にあり、しばしば「一曲の冒頭から最後迄」貫かれます。対する「Adrib」は、そのような精神性は求められず、「曲の部分」であることが多く、一曲を通してのアドリブ、ということはあまり言われません。
(勿論英語圏では、全てをImproと呼ぶ人も多いです。上記のように『普遍的な概念』は存在しないので)

また、Jazzやカリブ音楽やインド古典音楽のように「テーマとインプロ」のメリハリで曲が構成されている場合もあります。

更に、トルコ、アラブ音楽や、東南アジアの音楽のように、「作曲されたものの再現演奏」なのですが、各楽器が、それぞれの楽器特性(アーティキュレイション)で「装飾を過分に加える」ことをした結果、「各自が勝手に演っているかのようだ」や「どれが本当の旋律なのだ?」と驚かされるものもあります。しばしば太鼓さえも基本パターンを逸脱する場合があります。この場合、その「装飾」は、極めて「即興的」に着けられますが、全体は、「作曲の再現」であり、故に「各自の勝手」が可能な訳ですから、「即興的な装飾法」ではあっても「即興音楽」とは言い難いところです。
この感覚を言うのであるならば、恐らくショパンやモーツァルトも、生演奏では、しばしば「アドリブ的」なことをしていたのだろう、と思われます。「作曲と再現音楽」が確定したのは、西洋の印刷技術の進歩と「出版産業」の台頭が寄与したところも大きいのです。

また、同じインド古典音楽でも南インド古典音楽は、19世紀イギリスの巧みな分割(植民)統治の技に後押しされた「反イスラム宮廷文化・ヒンドゥー主義文化運動」よって、作曲が主体でインプロは、定められた楽章でのみ演奏されるようになりました。対する北インド古典音楽は、古代科学音楽のまま「即興」が主体で、節目節目に「作曲された主題群」を挟むと言う手法です。

,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
インド音楽修行50年の後半の大きな変化
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
私のインド音楽は、師匠から学ぶようになってもしばらくは、「師匠の教えの部分」と「旧来の好き勝手な部分」が混在していました。
しかし、或る頃から、それらは大きく変化したのです。

昔から、演奏会のMCや教室で「インド音楽の即興演奏は日本の落語にそっくりだ」と言って来ました。

つまり、「大筋のストーリーと、重要な言葉とオチはいじってはならない厳格なもの」であるけれど、「教わった通りを丸暗記して再現」しても、聴衆の感動やウケ(笑い)は得られないという点で全く一致するのです。

この連載の前半でお話ししました、「インド音楽の即興性についての小咄」でも、この点に触れています。

師匠立ち会いの演奏会で免許皆伝の試験でもある演奏をした。ところが演奏後師匠は凄い剣幕で「あれは何だ!、好き勝手な出鱈目を演りやがって!あんなことは教えてない筈だ!」と完全否定。頼み込んでもう一回チャンスを貰い、猛練習で「習ったことのおさらい」をした。「今度こそはOKだろう」と思いきや、演奏後「あれは何だ!教わったことばかりを丸暗記したような音楽で全く駄目だ」となった。という話しです。

この場合のテーマは「何が不変の大事な部分」で「何がその場で(即興で)臨機応変に変化すべき部分」であるかを「分かっていなければインド古典音楽演奏家ではない」というものでした。

つまり、師匠に師事した後の私の演奏は、上記小咄の二種の演奏が、「毎曲毎回入れ替わり立ち替わりちりばめられて組み合わせたようなものだったことに気付いた」、という話しです。故に、「不変であるべき部分」も「即興であるべき部分」も無作為に並んでいたのです。

その結果、古典落語同様に存在すべき「ラーガの物語」の存在も希薄だった訳です。

これに気付いてからは、「ラーガの物語」「ストーリーの全体像」を俯瞰しながらの即興演奏に大きく変化したのです。

「大きく変化した」と自覚出来る根拠は、「かつての自分の有り様がよく見える・分かる」ということに尽きます。以前の即興は「行き当たりばったり」の「あみだクジ」のようなものだったのです。

より具体的にインド音楽ソルフェージュで表すならば、「NRG—-」と弾いた後、「MDP」なのか?「NRS」なのか?を瞬時に選択するような「高速あみだクジ即興演奏」です。「あみだクジ」の、既に線が引かれており、常に択一しか許されていないところが「ラーガの理論を守っている」部分です。例えば「NRG—-」と弾いた後には「NSRG」の選択肢は無いのです。何故ならば、この二つを並べてしまうと、いずれの価値・存在理由が相殺されてしまうからです。

このスタイルは、「しりとり型即興演奏」ということも出来ます。繋がり合うフレイズには何らかの必然性があるからです。しかし、ひとつ隔てたフレイズ同士には脈絡が無くなることが大いにあり得るのです。「思い付き即興」と揶揄することも出来ます。

これに対し「気付いて大改革」をした後の「インド古典音楽即興演奏」は、「あみだクジ」が、「迷路のような細かな路」に変化しました。遠くには「目的地」の「丘の上のお寺」が見えているのです。なので、「ここで右に曲がって、その先の何処かで左に曲がれば」のような「先行き」もイメージ出来、右に曲がった後、しばらく左へ曲がる路が無かろうと、困惑することもないのです。

この頃には、最早「落語に似ている」とはあまり言わなくなりました。強いて言ったならば「碁に似ている」だったかも知れません。

ところが、それから程なくして、別な動機から、「より古い音楽」を探求するようになり、遂に「ヴェーダ時代の科学音楽」の存在を、膨大な文献の懸命な解読の後に辿り着くと。「ラーガは精霊である」という或る種の「擬人化」が理解出来るようになったのです。

そうなってくると、「丘の上のお寺の目印があるから迷わない迷路」でもなくなってしまったのです。15年ほど前の或る時期に突然のことでした。

以後は、お客さんを前にした舞台での演奏であろうと、まずは「ラーガとの対面」が始まり、「ラーガに対してのインタビュー」に発展します。より熟知したラーガの場合、「(気分良くなった)ラーガが勝手に語り始める」という域にも到達しました。

「お寺を目指す迷路の道行き」の段階で既に、「同じフレイズは二度と出て来ない」は180度逆転し、「まずは何時ものフレイズから始まり、既に何度も弾いて来た様々なフレイズの選択」に進化していましたが、その後は、それさえも「随分無駄な道行きだ」「散歩なだまだしも、目的があるなら、一直線に行けば良いじゃないか!」と自壊したものです。

「ラーガに語らせる」という域に至ると、自分自身は、「より良い訊き手」や「司会者」のような存在でラーガと共に舞台に上がり、「それではラーガ○○さんの生い立ちとご家族についてお話下さい」と始まり、「では次に思春期に抱いた夢と挫折について」などに発展して行くのです。

こうなってくると、並のタブラ(インド太鼓)奏者では「むしろ居ない方がありがたい」ということになってしまいます。実際この十年でも、インドからの来日タブラ奏者と演奏することが何回かありましたが、「かつての自分がよく見える」と同じに、彼らが「ああ、あみだクジ的な反応演奏(行き当たりばったり)だ」な様が良く見え、「同じお寺の目標」さえ共有出来ないのです。当然、「ラーガさんに訊く」ようなことは全く望めません。

勿論、タブラ伴奏者は、旋律奏者や声楽を追従する立場ですから、「先導するこちらがしっかりしていれば良い」という考え方もあります。或る意味「漫才」に似ていて、タブラは「つっこみ役」です。 しかし、あまりに意識が異なるのは辛いものですし、こちらの旋律には、前述したような「重要な部分と繋ぎの部分」が或る訳ですが、「意識も目的地も共有出来ないタブラ奏者」の場合、何に対しても「つっこみ」が来たり、逆に何に対しても同じ「つっこみ」だったり、突っ込んで欲しい時に流されたりすれば、「ほんとにこちらの音楽が分かっているのか?そもそも聴いているのか?何を聴いているんだ?」となってしまうのです。

言い換えれば、十代の頃の「ほとばしる即興演奏時代」や、二十代の「パッチワーク時代」は勿論、その後の「目的地がある道行き即興(あみだクジ・しりとり型)」でさえも「何が言いたいのか分からない(物語が見えない)」と振り返るに至ったのです。
ところが、近年のインドに於けるプロの演奏でさえも、今やその感じなのです。

今回の図版のカラー写真は、「バテカンデ国立音楽院器楽科主任教授」だった当時の師匠: Ustad Ilyas Khansaheb。右隣で伴奏弦楽器:Tampuriを弾くのは、今日の家元(Karifa)のUstad Irfan Khansaheb。

グラフの様な図版は、前々回にLPジャケットをご紹介した、Raga-Darbariの「作曲された主題群と即興演奏の入れ替わり立代りの様子」を現したものです。
インドEMI現地盤を直輸入販売していた頃に(未だに在庫がありますが)1989年に作成した特製解説書の一部を今回データに変換したもので。
まずアムジャッド氏の演奏を「完コピ」した後、縦軸が音の高さ、横軸が拍節法ターラで、正確に音程を記しつつ、線の太さで音量、曲線の形でニュアンスなどを記した世界初の表現法です。
「vの字」のようなものは、サロードのみならずシタールにも標準装備の「リズム弦」がはじかれた場所で、声楽の「息継ぎ」を正しく器楽に転写したものです。
太鼓タブラはこの図の時間は、伴奏(基本パターン)に徹していますが、この図の前後でソロを取った時には、「青で表記した音」は、めまぐるしく変化し、逆に旋律弦楽器サロードは、「緑色で記した主題」を繰り返しています。

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

10月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。
九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

102、インド音楽に於けるサブカルチャーとは

インド古典音楽文化論のおさらい
ここ何回か、インド古典音楽のその「文化論」について説かせて頂いていますのは、世界の民族音楽の中でも、最も保守的なインド古典音楽でさえも、この十年二十年で急速に変化して来ているからでもあります。

インド古典音楽に於ける「保守性/保守的」とは、伝統の継承に他なりません。 世界各地でその為に、楽壇の長老や国の文化省などが強く主張・先導して、「意識して守る」や「伝統文化の正しい保護と継承を促す」というものもありますが、かつてのインドの場合、それ以上に自発的な性質や、自然の性質が多く見られていたのです。しかし、近年では、その性質さえも変化して来てしまいました。

詳しくは、おいおいお話するとして、前回と前々回で、インド古典音楽に於ける「メイン・カルチャー」の性格、及び、「その概念は構築し得るか?」について述べました。今回は、インド古典音楽に於ける「サブ・カルチャー」について考えてみたいと思います。

以前、そもそも「サブ・カルチャー」が「メイン・カルチャー」に反抗・対立、及び「メインカルチャーの破壊や敵対的な冒涜」などといった「アンチテーゼ」であること自体が「不自然(或る意味不健康)である」と述べました。ところが、そのような(「間違った」とさえ言いたい)感覚は、戦後70余年の間に、ほぼ定着してしまった感もあり、むしろ近年では、「サブカルに攻撃された対象としてメインカルチャーが浮かび上がる」とさえ言いたいような、或る種の「ていたらく(文化性の崩壊)」が見られるとも述べました。

また、異なる次元の検証も述べました。それは、「生命体のみならず、宇宙の摂理にも通じる=恒常性の為の対峙する二極の共存」こそが「健康・健全・自然・維持」の基本であるという話しです。

インド古典音楽に於いては、奇しくも16世紀から今日に至る間、北インド古典音楽の総本家的存在に君臨し続けている、16世紀の楽聖ミヤン・ターン・センを祖とする巨大流派が、「二極の共存」を見事に果たしたことも述べました。

「二極の共存」を守り通したターン・センとその子孫
ターン・センの音楽をより具体的に言うと、晩年は、宮廷音楽の楽壇を嫌い隠匿生活を送りながら、古代のインド科学音楽の真髄を極めんとしたヒンドゥーの恩師スワミ・ハリダースが継承した音楽を享受し、他方では、13世紀にアミール・フスロウも行った、西アジア(ペルシア、トルコ、アラビヤ、シルクロードの主にタジク族、パミール高原の音楽と、アフガン人の音楽)音楽の導入と、イスラム系神秘主義の師匠からの教えがあり、ターン・センとその一派の音楽は、この「対峙する二極」からなっていると言えるのです。

奇しくも、ターン・センは、前者を、自らの娘とその婿で、若き日のターン・セン同様にグワリオールのヒンドゥー藩王国の楽師出身のナウバット・カーンに継がせ、後者を息子ビラス・カーンに継がせました。ナウバット・カーンは、ターン・センの娘と結婚したことでイスラムに改宗したのですが、なんと娘の名は、サラスワティーなのです。

前者(サラスワティーとナウバット・カーン夫妻の分派)は、古代から伝わる弦楽器「ヴィーナ(Vina/Vin/Rudra-Vina)」を専門とし、後者(息子ビラス・カーンの分派)は、ターン・センが、パミール高原の三味線「Rubab(ルバーブ)」にインド音楽式の「サワリ音」を取り付けた新楽器「ラバーブ(Rabab/TanSen-Rabab)」を専門としました。勿論両者とも、「古典声楽:Dhrupad」をそれら弦楽器よりも格上音楽として継承しました。その結果後世、前者は「Seni-Vinkar(ヴィーン奏者)Gharana(家)」、後者は「Seni-Rababiya(ラバーブ奏者)Gharana」と呼ばれました。

しかし、言い換えれば、両分派は、「Dhrupad声楽と、それを弦楽器で表した音楽(器楽という概念は、弦楽器Sarod音楽の確立以降になり、この時代には、独立した呼称が無いのです)を専門とする、という意味では「全く同じ流派」なのです。 しかも、前者は、プライベート(弟子へのレッスンなど)ではラバーブも弾き、教え。後者もプライベートではヴィーナも弾き、教えました。

奇しくも「ヴィーナ」は、やや広い弦楽器の総称的な性質も持つ呼称ですが、或る種の琵琶のひとつのルーツでもあります。指先に義爪をはめて弾き、駒の下には皮を張りません。「ラバーブ」は明らかに「三味線のルーツの一派」であり、駒の下は山羊皮を張り、小さな撥を持って弾きます。従って、ターン・センは、自らの一族と流派に「インド科学音楽系の琵琶」と「西アジア系・神秘主義系の三味線」を併せ持たせ、娘と婿の分家は、「(表だっては)琵琶」、息子の本家は「(表だっては)三味線」を専門とさせつつ、いずれも「古典声楽」をメインとし、表では弾かない他方の楽器の名手であり名教師であった、ということです。

具体的な例を挙げると、世界的に有名なシタール奏者:ラヴィ・シャンカル氏の師匠:アラウッディン・カーン氏は、ラバービヤ派と関係が深いサロードの名手ですが、そのまた師匠は、ターンセン直系のヴィーンカル派のワズィール・カーンです。つまり、琵琶(系楽器)奏者:ラヴィ・シャンカル氏は、三味線(系楽器)奏者:アラウッディン・カーン氏に学び、アラウッディン・カーン氏は、ターンセン直系の琵琶派のワズィール・カーンに学んだということなのです。

私(筆者)の師匠、Ud.イリヤス・カーン師は、シタール(琵琶系)の最古の流派(Lucknow-Kalphi-Gharana)に学びましたが、家柄はサロード(三味線系)の最古の流派で、元々の先祖はアフガン楽師です。流派(Lucknow-Shahjahanpur-Gharana)の中興の祖は、ターン・セン直系のラバービヤ(三味線系)に指示し「セニ派」の一員となりました。私は同時に、Ud.イリヤス・カーン師の兄で、流派の(前)家元Ud.ウマール・カーン師にサロードも学びました。

シタールは、ドゥルパド声楽の数百年後に生まれた新様式「Khayal(カヤール)」や、花柳界の叙情詩「Thumri(トゥムリ)」の影響を強く受けた流派が少なく在りません(Gayaki(歌の)-ki-Ang(様式)が、弟師匠のシタールは「完璧なDhrupad-Ang/Tantra-Baj」として知られていました。

サロードの音楽もまた、前述のワズィール・カーンの時代には、新様式「Gat」が主流でしたが、それより100年近く古い兄師匠のサロード音楽もまた「Dhrupad-Ang/Tantra-Baj」でした。日本の音楽に喩えると、「Dhrupad-Ang/Tantra-Baj=雅楽、平家琵琶、地歌、古浄瑠璃」であり、「Khayal=長唄」「Thumri=小唄」「Gat=津軽三味線」のような感じです。

そして、ターン・セン系の「Dhrupad-Ang」には、前述の「インド科学音楽と西アジア・神秘主義音楽」が合わせもたされていますが、「Khayal=長唄」「Thumri=小唄」「Gat=津軽三味線」は、その限りではありません。

こもように、ターン・セン系の音楽は、「生命体の基本原理=対峙する二極の共存」を見事に守り、具現し、継承しているのです。そして、注目すべきは、その「摂理」は、古代インド科学音楽の基本原則であり、とりも直さず「ヴェーダの叡智の最重要基本」でもあるばかりか、なんとイスラム系神秘主義の科学と、それが説く摂理と一致するのです。

「生命体の大原則:二極の対峙と共存」を狂わす「合理性と利便性」

ここで、一旦「生命体の恒常性と二極対峙の様子」を振り返ってみましょう。分かり易い例では「血圧が上がり過ぎれば下げる、下がり過ぎれば上げる」「血液や尿のpHが上がり過ぎれば下げる、下がり過ぎれば上げる」もしくは、それぞれ「上げるべき時には上げ、下げるべき時には下げる」というものがあります。

ところが、実際の「神経系統やホルモン系統、及び代謝回路系統や免疫系統」は、もっともっと複雑で、例えば「免疫系」では、仮に上記の(恒常性の基本)対峙を「AグループとBグループ」としますと。先ず「Aグループの免疫細胞が侵入した外敵(細菌やウィルス)を確認しマーキングする」すると、「Bグループの免疫細胞がそのマークを確認して第一次攻撃を行うと共に、或る種の信号を出す」その後、「Aグループの別な免疫細胞がその信号によって臨戦態勢になり第二次攻撃を行う」などの複雑な仕組みがあるのです。

これは極めて複雑であり、現代人間社会の主流の価値観である「合理性」からすれば、極めて「非合理的」「不合理」なシステムです。

しかし(簡略した幾分幼稚な極論ですが)この(非合理的に思える)システムでないと、「誤認逮捕や誤射・誤爆」があり得る訳です。何故ならば「AB各グループ単独」では、その「性質、検証法、価値観、判断力」が偏りってしまうからに他なりません。これも分かり易く言うと、現代社会人に極めて多い(もしくは増加の一途である)「アレルギー」「自己免疫疾患」「鬱」「アパシー」なども皆、この「機能の変調」が基本原因に他なりません。

そもそも「合理化の観念」が確立してから、まだ百数十年。二百年にも至っていないのですが、地球に生命体が生まれてから、哺乳類が生まれてからでさえ、数千万~数億年? であることを考えて下さい。「摂理に則った自然な姿」がどちらにあるか? どちらに見出すべきか? は明らかな筈です。

つまり、今日の私たちは、「合理的」や「便利」というものに如何に洗脳されているか? をしっかり自壊・再検討しないと、とんでもなく「不自然・不健康」なことになるに違いないのです。

極論を言えば、「それが分からない人」は、「アレルギー」「自己免疫疾患」「鬱」「アパシー」などや「依存症」や「様々な心の病」及び「その手前の生き辛さ」などになり易いということは、何方も否定出来ない筈なのです。

何がインド音楽に於ける「サブ・カルチャー」なのか?
これ以降の僅かな文言で、やっと表題について語る本末転倒をお詫びせねばなりません。しかし、これがより真実に近い話しなのです。

結論から言えば、「より正しいメイン・カルチャーとは、自らの内面に、対峙する二つの要素を併せ持っている」と言うことが出来ます。音楽や文化を評する時には、「対峙する二極」の一方を「メイン」とし、他方を「サブ」とすることも全く不可能ではないかも知れませんが、「生命体の自然の摂理」に照らすと、それは正しくないと言えます。

幼稚な比喩で恐縮ですが、「理知的で身も心も健康な規範的な人間像」という定義や概念があったとして、それを説明する場合、「性質が相反する男女」が揃っていてしかるべきで、例えば「正しい人間像=男」「女性はサブ」というのは、自然の摂理に反します。つまり「陰陽の双方を併せ持ち、そのバランスが取れた姿」こそが「メイン・カルチャー」の在るべき姿である、と言える訳です。

この概念にとって、他方の「サブ・カルチャー」は、インド音楽の場合、二つの性質が存在しました。それは、10世紀からターン・センの時代迄では、「西アジア系古典音楽」がそれでした。13世紀のアミール・フスロウが導入した西アジア系・神秘主義系の音楽であり、私の師匠の先祖が持ち込んだアフガン系の音楽です。しかし、当時のそれらもまた「自らの中に対峙する二極の要素を併せ持っていた」立派な「メイン・カルチャー」でもありました。

つまり、「インド古典音楽に於けるサブ・カルチャー」の基本的な姿は、インドという土俵に於ける、「西アジア系音楽」だった訳です。

ところが、早くも18世紀後半から続々と誕生した「新様式」は、「サブカルチャー」の二つ目の性質を持っていました。具体的にそれらは、前述した「Khayal」「Thumri」「Gat」などですが、これら「第二種サブカル」の決定的な特徴は、「繁殖能力が無い」ことです。

自然の摂理に照らせば当然のことですが、「相反する二つの要素を併せ持つ」は、上記で「男女ペアで人間像を語る」ことと同じですが、「第二種サブカル」では、それが一方しか存在しないう、もしくは極端に偏っているが為に、「子孫を残せない」のです。

私は、最初の保護猫との出逢いで「生き物と暮らした幼少期」がリバウンドしてしまい、淡水魚飼育、クワガタ・カブトムシ・直翅目飼育に没頭していた時期(5年程)がありますが、奇しくも「クワガタ・ブーム」と重なりました。

不景気の時代に突入した頃で、一説には通産省が「この時期貴重な成長産業」とクワガタ飼育を高評価し、厚生省にプレッシャーを与えて次々と「輸入解禁種」を増やしたほどです。

私の本音は、もし二者択一ならば「昔懐かしい日本固有種」だけで良かったのですが、「外国産クワガタ」が「主流=メイン・ストリーム」の中では、「国産に執着する」ことは、何だか卑屈な感じもありました。後に思えば、それは、メインストリームが必ずしも「クワガタに於けるメイン・カルチャー」でもないのに、むしろ「国産専門」の方が、正当性があるかも知れないのに「日の目を見ない地味なサブカル」のイメージが濃厚だったのです。勿論、国産でも「オオクワ」はメイン・ストリームでしたが、私は「図体ばかりでかいが臆病なオオクワ」よりも、小さいくせに勇敢な「ヒラタ、コクワ、ノコ」が大好きでした。

程なく、「クワ飼育界」は、エスカレートの一途を突き進み、「貴重種」から「輸入禁止種の密輸」などに走る一方で、「異なる種の交配」や「雌雄同体を作り出す」ことさえもがメイン・ストリームを闊歩するようになりました。その頃には、世界の異なる地域のDNAなども滅茶苦茶になりつつありました。高校教師がネパールの両面太鼓(Madal)の中にクワガタを詰め込んで密輸して逮捕された頃です。

私がそれ以前に昆虫飼育に没頭していた幼少期に、「ライオンと豹のハイブリッド=レオポン」が作り出され話題になったことがあります。ここでいう「ハイブリッド」とは、本来の狭義の、「種を継承出来ない(子どもを作れない)」という意味です。「異なるクワガタのハーフ」や「右半身が♂で左が♀のクワガタ」のようなものを作り出して自慢気な人が増える一方となりましたが、いずれも、それらは「子を作れない」のです。なので、「作り出す」と書きましたが、そのような突然変異を産みやすい「真っ当な親クワガタ」を交配によって作り出すということです。

この話しと全く同じく、前述した「Khayal」「Thumri」「Gat」は、今日迄の200年以上経ても、新たな音楽様式を生み出してはいません。

正確には、「Thumri」は、古代花柳界から存在し、極めて流動的にその様式を変えて来ました。日本の花柳界音楽(端唄・小唄)も同様です。なので、「常に細胞分裂している」ようなもので、「どれが親、何が子」という概念からは外れます。しかし、 「Khayal」と「Gat」は、明らかにターンセンが交流させた「インド系音楽と西アジア系音楽」の交配から生まれたハイブリッドだったのです。そして、見事に「それらの子孫」は、未だ生まれていないのです。

「ハイブリッド」である根拠は、 「Khayal」「Gat」の中には、「相反する二極」が存在していないことです。いずれにも「重い様式と軽い様式」がありますが、「相反する」と言うより、「同じ様式の時代差」のようなレベルとも言えます。

ただ、このような「ハイブリッドなサブ・カルチャー」でも、明らかに「メイン・カルチャー」を良い意味で刺戟します。

クワガタ飼育界では、やがて、そのような奇抜な試みは飽きられ、「自然が良い」「生態系を守ろう」という意識が生まれ始めました。
ところが、不景気が更に進み、都心の各駅に数軒あった「クワガタ屋」はほとんど姿を消し、自然志向に至らなかった人々は、昆虫飼育からさえ離れたようです。

ターン・センの息子の流派に学んだ、私の師匠の先祖は、或る意味で「当時の第一種サブカル(ローヒルカンディー・アフガン楽師)」でしたが、師からセニ・ラバーブを学ぶと共に、自らの楽器アフガン・ルバーブを改造して「インド音楽用のサロード」を発明しました。つまり「子を産んだ」訳であり、「第一種サブカル:ローヒルカンディー・アフガン音楽」は、ハイブリッドではなかったということを証明します。

そして、なんと、セニ一族の師匠が、それを面白がって弾くようになり、やがて、セニ派も新楽器「Sur-Singhar(スル・スィンガール)」を創作するのです。弟子が師匠を触発したということです。

このように「第一種サブカル」は、直接的に「メインカルチャー」を刺戟し、影響を与えると共に、自らも子孫(派生形)を生み出す訳です。

他方の「第二種サブカル」は、そのような直接的な影響力は持ちません。ただ、「危機感」は与えるようで、メインの「伝統派・保守派」は、一層の研鑽・修行を積み、その質を高めた訳です。

これらが、インド古典音楽に於ける「メインカルチャー」と「サブカルチャー」の実際の姿であり、あるべき姿な訳ですが、恐らくインド古典音楽に限らず、あらゆる文化にも通じることではないでしょうか。

ところが、インド古典音楽に限らず、現代は、「(奇抜・奇を衒った第二種)サブカルの存在でメインが想起される」というようなていたらくで、「メイン・カルチャー」は、あたかも「陥落寸前の天守閣」のような有り様となってしまっているものが急増しています。

これはひとえに、連載三編で長々とお話ししましたような「メインカルチャーのより正しい定義(概念)」、及び「サブカルチャーには二種あること」が専門家さえしっかり把握していないことにあると言わざるを得ません。

写真の「絵画」は、ヴィーナを弾くターンセンの娘婿:ナウバット・カーン

白黒写真は、私の師匠の一族(流派)の中興の祖が師事した、ターンセンの末裔:ラバービヤの巨匠ムハマド・アリ・カーン師で、弟子が発明したサロードをセニ・ラバーブ式の縦構えで弾いています。

昆虫をお嫌いな方には申し訳ございませんが、カラー写真は、インドシナの「笙」に止まらせた、我が家で卵から育ったインドシナのクワガタ(♂)とカブト(♀)です。いずれも羽の色は、枯れた葦や竹の色で、背中は、笙の管を音響体に固定する「蜜蝋の黒」と見事に一致します。クワガタの場合、その背の中央は、「音響体の紫檀の濃エンジ」さえ持っています。
葦も紫檀も、いずれも成虫・幼虫の「食草」ではありませんが。「民族楽器は、その土地の自然の素材から多く作られ」「昆虫はその土地の自然の色に擬態して生まれる」ということが見事に表れています。

何時も最後まで、ご高読をありがとうございます。

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

101、Jotisha(インド占星術)とインド科学音楽

インド占星術の混乱
前回、「カルチャー論」に留まらず、近現代の人間社会のありとあらゆることが、「自然の摂理」に反して、渾沌とし、対立し合い、急速に偏重を増大させ、或る種の破滅の方向に向かっていると説きました。

近年、インド・ファンのみならず、むしろ旧来の「占い好き」や「西洋占星術ファン」をインドの魅力の世界に誘っているとも言えるほど関心を呼んでいる「インド占星術(Jyotish)」もまた、決して例外ではない筈です。

しかし、インド占星術の場合、ヴェーダの時代から「渾沌・混乱」を余儀なくされたという事実もあります。

そもそも占星術に限らず、古代ペルシア(ソロアスターより遥か以前)と共有であった「アーリアン科学」に於いて、インド勢がペルシア勢と何らかの理由で決定的な決別をした頃に、既にあらゆる「理論」が渾沌とし、或る種の「確執」と「歪み」が生じたことは否めず、「やむを得ない」とも考えられます。

そして、その後、ペルシア勢は、ミトラ教、ゾロアスター教、その他の新興勢力及びアブラハム系3新興宗教と対峙し更に渾沌とし、インド勢は言う迄もなく、仏教と様々な反仏教勢力、ヒンドゥーの台頭などによって混乱します。

この史実は、或る側面では、「西洋占星術」と「インド占星術」が、同源の分派同士であることをも意味していますが、同時に「各混乱の時代に守られた理論と守られなかった理論」があることをも意味しています。

その結果「同情する」などと言ったら極めて無礼ですが、インド占星術では、様々な「理論」、有名なところでも三四種類を「混在させながら説かねばならない」という、極めて複雑で難解なことが要求されているのです。

インド科学音楽と占星術

しかし、上記しました「渾沌の歴史」や、「様々な勢力の恣意・思惑」の所為だけでもなく、本来「あらゆる物事」は、そもそも複雑な関係性を持って居ることも事実であり、或る種それこそが「最大の基本」かも知れません。
その意味では、否応が無しに「遠隔的(非直接的)である天体・宇宙」との関係性を説く「占星術」ですから、「アーサナや生薬や施術」と言った「直接的」なヨガやアーユルヴェーダよりも「複雑」に思えるのも無理ないことかも知れません。

しかしそれも、何度も申し上げているように、「直接的なものの方が、表面的な認知感覚(表層的・日常的な自我/意識)にとって分かり易い」からに他ならず、実際、ヨガもアーユルヴェーダも、一般に理解されている程単純ではないということでもあります。

インド科学音楽にとっての占星術は (今更言うのも表題と矛盾していますが)、そもそも「占い」が基本にあった訳ではありません。しかし、古今東西で、為政者・権力者が、「占い」で物事を決断しようとしたことが「占星術」の発展及び継承の原動力であったが為に「(所謂)占い」がメインになったということです。本来の「基本」は、あくまでも「神学」です。「神が創りたもうた物事を分かりたい」のひとつに尽きます。

より正確に言えば、「表面的な自我よりも論理的思考を伴って悟った摂理を重視する精神性」にとっては、「全てが天啓に従って決められる」「天啓を知る=占い」という意味では「Jotish」は「占い」以外の何ものでもありません。

しかし、数百年千数百年前のインドの為政者・権力者から今日の私たちに至る、人間の多くが陥る「不安に負けて、占いの助言を欲する」感覚や、「都合の良い肯定的な答えを求める」とか「不遇・苦しみの理由を知り、少しでも心を落ち着かせる」などなどといった、「表層意識の満足」のための「答え探し」という次元に於いての意味の「占い」では断じてないのです。

この違いを端的に言うならば、前者は「絶対的に従うべき答え」であり、後者は「感情にとって都合の良い答えを探す(だけを取込む)」ということです。

ヴェーダやヒンドゥーが「アニミズム的である」などと言うと、誤解や反発を招きかねず、その説明の為に膨大な文言が必要になってしまいますが。仮に「アニミズム的である」とした場合、同様の文化が近年迄根強く残っていたアフリカと日本にも、「絶対服従」的な「天啓/教え」というものが存在しました。

仮にそれらを「真実」とするならば、人間は、その「真実の厳しさ」に対し、負けそうな精神力を高めることこそが、与えられた最重要課題であるということなのではないでしょうか。 しかし洋の東西を問わず、人間はその逆ばかりして来ただけでなく、時代と共に増長し、近年ではその放蕩振りは年々酷くなっています。

インド科学音楽では、オクターブに存在する「楽音(12~22の)」は、先ず「9惑星(Nava-Graha)」と関係します。「9惑星」は、「七曜の七惑星(太陽は恒星ですが)」に「月の軌道の南北の交点」を「惑星」に見立てて加えたものです。

次に「楽音」は、「12星座(12Rasi)」との関係性を持ち、その後、本来は「淘汰(滅ぼされた)された筈」の古い概念(理論)である「27(28)の星宿(Nakshatra)」との関連が説かれ、これは日々及び一日の中で刻々と変化します。

「滅ぼされた筈」と言うのは、紀元前数千年前に、世界的レベルで行われた「太陰系と太陽系の価値観の決戦(主導権争い)」によって、破れた筈の太陰系の理論の名残だからです。

「世界的レベル」と言ったのは、ヴェーダの時代以前の古代ペルシアから地中海、北欧にさえその片鱗が見られ、日本の神道神話にも確かに見られます。

しかし、何故か、世界中で、「太陰系の理論」は、根絶やしにはならず、細々であっても生き続け、更に不思議なことに、「世の中が荒廃する(要するに人間の人間力(精神力と思考力)が衰える・荒廃するということですが)」と、突然、「暗黒の世界(悪い意味ではない)」からその存在感を増し始めるのです。

従って、この「Nakshatra」は、太陽系の概念と理論とは、全く別な概念・理論ですから、「センチメートルで体を計り、布を切り、服を作っていた」ところに、「インチ」で同じことを始め、その双方の答えを無理矢理関係させるというほど複雑なことなのです。しかし、より高度な占星術では、実際この「併用」が、より正確な「占い(答え)」を導いてしまうため、専門家は、この複雑で難解な課題を必死で学ばねばならない訳です。

尤も、言い換えれば「センチもインチも、オクターブの分割も」何れも、本来「無限のように分割出来得ると共に、決して割り切れないもの」を「便宜上分割した一例」に過ぎないのですから、「センチとインチ」「太陽系と太陰系」などの「二点測量」は、、最低限不可欠なのかも知れません。

一方、「インド科学音楽とJyotishの関係性」をより複雑にしているのが、「枝葉のように分岐し伸びる関係性」の存在です。

上記しましたように「楽音→惑星の関係性」が解明されると同時に、「惑星の守護神→楽音の関係性」も説かれます。
更に、「星座」には、「星座の守護星(中心星)」と「星座の守護神」があり、当然「星座の守護星の守護神」が別に(奇しくも同一の場合も)存在し、それと楽音の関係も説かれます。

これらに加えて、実際の「インド科学音楽=そもそも療法音楽の性質が濃厚」では、「単音を聴かせる」のではなく、「科学の真髄であり唯一の具現方法」である「ラーガ(旋法)の即興演奏」によって施術が為されます。

したがって、七音音階の「或る選ばれたラーガ」には、「七つの音の役割」があり、「全体像(Swarup)」と「本質(Prakriti)」があり、それらが、上記の「惑星守護神と関係の深い他の星、星座守護星、星座守護神と関係の深い他の星」との関係性も深く理解しないとならないのです。

加えて、「Jyotish」も同様ですが、「持って生まれた性質(特性)」「後天的な性格」「総論的な人生」「現在現時点の位置づけ」という「占星術からの考察」と、「ラーガ(旋法)とその音が直接的に心と体に作用するテーマ」と、「ラーガとチャクラの関係」「ラーガとドーシャ・バランスの関係」が同時に作用しますから、気が遠くなるほど複雑です。

従って、「ラーガ(インド科学音楽)と天体の関係」は、「クライアントの関心事(学び理解すべきこと)」というよりは、「施術側の絶対的な重要情報」ということが出来るかも知れません。

何故ならば、体質や症状がほぼ同じでも、「星が異なる」場合に、同じラーガで効果が得られない場合があるどころか、反作用、副作用も大いにあり得るからです。

従って、悲しいかな、少なくとも言えることは、「これが貴方の誕生ラーガ(旋法)ですから、これを聴くと元気になりますよ」程度の類いは、殆ど「まゆつば」だろう、ということです。

何時も最後まで、ご高読をありがとうございます。

近いご案内で恐縮ですが、来る9月30日と10月1日、福岡市の自宅スタジオで、「インド太鼓Tabla無料体験」「弦楽器Sitar半額体験」を行います。是非、近郊のお友達にお知らせください。詳しくは、若林の音楽教室のページ「Zindagi-e-Mosiqui」で、

https://www.facebook.com/Zindagi-e-Mosiqui-1239545602790300/

……………………………………………………………………………………

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

100-2、インド音楽に於けるメイン・カルチャーとは (その2)

アンチテーゼのサブカルチャーが及ぼした「心と体」への大きな弊害
前回、メイン・カルチャーとサブ・カルチャーを都市と田舎の文化の異なりを例にあげ、それは「十字路と一本道のような違いであり、必ずしも互いは対峙せず、一方が他方に対するアンチテーゼを原動力として生まれた訳ではない」と説きました。

しかし実際のところ西洋に於いては、或る意味では16世紀の宗教改革以降。本格的、及び世界的な規模では、第二次世界大戦以降。「サブ・カルチャー」=「メインカルチャーに対するアンチテーゼ」のようなものになってしまい、その結果、極めて多くの人間が、そう誤解していると考えます。

「そういうもんだろ?」「mそうならそれで良いじゃないか」とおっしゃる人も少なくないかも知れませんが。
「人間の心と体の健康」のテーマに於いて、これは極めて危険であり、残念なことです。

そう言う理由は、今日の多くの人々の「心と体の変調の元凶」の多くに、「恒常性の重大な変調」が見られることと深く関連します。

このコラムで何度も申し上げていますが、「恒常性」の基本は、「相反するものの対峙・拮抗」です。それは(例えば)「血圧が上がり過ぎ」の非常時(極めて不健康で危険な)に「血圧を下げる」為には「相反する要素(機能)」が紛れも無く不可欠であるからです。

「対峙・拮抗」の次元に於いては、それらは互いに「敵対的/アンチテーゼ的」とも言えなくはありませんが、どちらがメインということではありません。しかも、「一個の生命体」の中に「共に必要不可欠なものとして対等に共存・常在」されているのです。この有り様を「カルチャー論」に利用するのであるならば、「個々の人間の中で、二つのカルチャー観が対等に共存」していなければなりません。

しかし実際、近代以降の人間は、洋の東西を問わず極めて「我が儘・身勝手」になって来ており、「百害あって一利無し」であるばかりか、或る意味幻想(錯覚)の「被害者意識」を増長させ、「対峙構造」を「敵対構造」のような短絡的・感情的にしか理解しない傾向にあります。

加えて現代社会は、確かに多くの「クレイジーなシステム」「本末転倒なシステム」を増大させ溢れ返っています。「使い活用する為に作り売る」のではなく「売るために作り売る」などが、その最たるものです。

その結果「ストレス」は、常に「悪性的」なものとなり、享受する「心と体」も「悪性のもの」として処理しようとし、更に、その処理能力がオーバーヒート気味になり、様々な悪因になって行きます。すると実際の「心と体の自然な機能」も、問題を「中和・解毒」させることばかりが優先され、結果として「癒される・慰められる・労られる」という「機能(例えば、もっぱら副交感神経系をサポートするような)」ばかりが重用されがちになります。

その一方で、或る意味「冷遇された他方の機能」は、例えば「交感神経系、アドレナリン・ドーパミン系の機能」などは、「楽しみ・盛り上がり・興奮」を強く求めるようになり、多くの場合コントロールの利かない「依存状態」に陥らせます。極端な場合(意外に多いかも知れません)「癒され依存症」「楽しみ依存症」的な様相も見られるようになって来ました。

現代人の多くは同時に、「癒される・和む」と逆の性質の「外因」に対しての「過剰防衛」と「自らを過保護すること」が進み、例えば「暑ければ直ぐにエアコン」「寒ければヒーター」と自ら自律神経の力を衰えさせることを、何の疑いも無く行います。「心と精神」に対してもしかりで、「耳に痛い言葉」などは、享受する以前にシャットアウトされてしまい、「見なかった、聞かなかった、読まなかったこと」にされてしまいます。

当然「思考回路」は、脆弱になり、狂って行きます。

「相反する要素」に対して、「均等・対等に反応」していた「自然の機能」が、一方を敵対し、過保護し過剰防衛し、他方ばかりを歓迎したり求めたりすれば、狂わない筈はありません。

つまり、「サブカルチャーのアンチテーゼ性」は、人間の二つの感情=「容認・慣れ」と「改革・進歩」という根源的に対峙する本質的構造を破壊しながら、「不平不満を擁護し増長させた社会風潮」の現れであると言うことが出来ます。
しかもそれらは時と共に更に増長し、「社会風潮が個々の精神を病ませ」「個々の人間の病んだ精神が社会を更に病ませる」という「悪循環」を作っている訳です。

次に、実際の「インド音楽の歴史」を振り返り、「何時何処で異常な解釈が台頭したのか?」を探ってみたいと思います。
結論から言えば、それは紀元前数千年前から、常に生じていたものとも言えます。

インド音楽に於けるメイン・カルチャーとは

ヴェーダの時代、ヴェーダが説いた物事の解釈と説明は、極めて「二元論的」です。しかしその「二元論」は、正に「陰陽論」であり、「地球が求心力と遠心力によって、太陽の回りを回り続ける」にさえ至る、「自然の摂理」に基づいた「相反する作用の拮抗」を宇宙から地球の大自然、そして、個々の生命体の体に見出したものに他なりません。

しかし、仏教の反ヴェーダ宗教改革によって、それは大きく変化を余儀なくされ、或る意味「反仏教派」的に発展したとも言える様々なヒンドゥー勢力の統合の際に、極めて複雑な説明を余儀なくされ、「単純(良い意味ではSimple)な陰陽論」は淘汰されてしまいました。

従って、ヴェーダの時代までは、「科学音楽と非科学音楽」は、「寺院伝統古典音楽と大衆音楽(所謂民謡)」と同義であり、それは「理論的音楽と無教養な音楽」などとも呼ばれ、基本的な矛盾も間違いもなかったのです。
ところが、ヒンドゥーの時代になると、前者にも「亜流」や「異端」が多く現れた結果、「何が本道=メインか?」「何が亜流=サブか?」を総論的に言える立場の人間が居なくなってしまったのです。

従って、例えば「シヴァ派の音楽家」にとっては、自らが信じ学んで来たものが
唯一のカルチャー」であり、対峙するヴィシュヌ派やサラスワティー派は、別なことを言う訳です。
即ち、紀元前の段階で、すでに「純然たるメインとサブの関係性は、とうに失われていた」ということが、或る意味「結論」ということが出来るのです。

この認識の上で「現実論」で「古代~中世のインド音楽の文化論」を述べるならば、結果的に「権力」を得たものが「メイン」となり、そうでないものが「サブ」となったと言わざるを得ないこともまた事実です。

しかし、私たちはここで、「正しい対峙が歪曲した対立に変化した状況」に於いてでさえ、「より理想的な対峙性質」を持つ姿(人間の叡智)を見ることが出来ます。それは、「世界の他には無い」と迄は良い切れませんが、世界的には極めて希だが、インドには存在する、不思議な「力」とさえ言いたいものです。

その最たるものが、16世紀の楽聖ターン・センのヒンドゥーの師匠であった、スワミ・ハリダースの存在、ある意味ではそrを上回る、弟子のターン・センの存在です。

ハリダースもまた、若かりし頃は、「宮廷(イスラム・ヒンドゥーを問わず)楽師として、名声と富を得る」ためと「インド科学音楽の習得」を平行させ、或る部分渾沌とさせながら修行に明け暮れて居たと言われます。

しかし晩年は、かつて追い求めて居た「現象的・物質的な満足と結果」を全て捨てて、ヴリンダーヴァンの森で隠匿生活を送る出家者「スワミ」に転じます。

そこに至る迄に、「家庭を顧みずに音楽に没頭した結果、娘の人間教育に失敗し、悲しく苦しい離反を受けた」とか、その反動で、「孤児を保護し音楽教育を施した」などなどの、極めて「人間臭い」エピソードが多く語られています。
もし、その部分を特筆するならば、ハリダースが守った音楽文化もまた、「その原動力にはアンチテーゼが不可欠だった」ことになります。

しかし、結果論で言えば、彼(師スワミ・ハリダース)の存在を弟子ターン・センは、自らの20数代末裔に至る迄払拭出来なかったのです。結果、ターン・セン一族を筆頭(総本家)とするイスラム宮廷古典音楽は、ハリダースが守った「インド科学音楽」と、西アジア(イスラム文化圏)で生まれた「神秘主義音楽」を、宮廷楽師の古典音楽の中に、数百年継承させ続けたのです。

つまり、奇しくもターン・センは、「一音楽家としての自らの音楽」と「イスラム宮廷芸術・古典音楽」の中に、「相反する対峙する要素を同居させた」という、極めて「自然の摂理に則った」ことを成し遂げたということなのです。

「メインか?サブか?」という論点に於いては、「メインとサブの同居」ということになります。しかし、「自然の摂理=本来のヴェーダの教え」の意味と、「原点と結果(因果)」の双方から見ても、本来「これ」が、「在るべき姿」であるということが出来ます。

しかし、当時も現代も、ヒンドゥー原理主義(歪んだ)に偏重する者は、「ターン・センは、ハリダースには敵わなかったのだから、ハリダースが上だ!」的な感覚で古典音楽のヒンドゥー性を強調し、逆側は、ターン・センの音楽のイスラム系神秘主義性を強調し、いずれも「恒常性=自然の摂理」と「音楽」を結びつけて考える発想は無いようなのです。

そして、この「短絡的で幼稚な理解」は、世界的規模であらゆるジャンルに広まった「同質の精神性」と全く同質であり、その結果、「何がメインで何がサブか分からない」という「文化のカオス」を作り出しているのです。

否、最早これは「文化論」に収まらず、「人生論」「人間論」にまで通じるとんでもない異常事態なのかも知れません。

写真は、現在も巨匠として活躍する演奏家の若い頃のLPレコードですが、取り組んだラーガは、写真のロケーション通りにその名も「Darbari=宮廷(Darubar)のラーガ」。16世紀にターン・センが創作しアクバル大帝に献上したと言われ、「王の為のラーガでラーガの中の王」のサブタイトルがあります。

何時も最後まで、ご高読をありがとうございます。

近いご案内で恐縮ですが、来る9月9日と10日、福岡市の自宅スタジオで、「Hindu-Chant無料体験」「Ayurveda音楽療法半額体験」を行います。是非、近郊のお友達にお知らせください。詳しくは、若林の音楽教室のページ「Zindagi-e-Mosiqui」で、

https://www.facebook.com/Zindagi-e-Mosiqui-1239545602790300/

……………………………………………………………………………………

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

100、インド音楽に於けるメイン・カルチャーとは (その1)

サブカルチャーのアンチテーゼによって浮かび上がるのがメインカルチャーか?
本来の「文化論」。すなわち「メインとサブのカルチャー論」は、文化、芸術のみならず、私たちの生活感、ひいては人生観、生き様といったテーマに始まり、社会とその仕組みに至るまで、それこそ、何百年何千年もの長きに渡って広く深く関わって来ました。

しかしながら、少なくとも日本では、1990年代からの、所謂「サブカル・ブーム」によって、それら「本来の文化論」は、大分歪められて理解されるようになってしまったと考えます。

勿論、世界的規模で「サブカルチャー」という観念が顕著に現れ社会現象になったのは、1960年代、70年代、80年代であり、それらには「それぞれのサブカル意識」が存在しました。しかし、日本に於いては、所謂「サブカル」などと言うようになって、あたかも「自分たち向けの心地良い文化感」であると感じて疑わなくなったのは、やはり1990年代に入ってからに他なりません。

そもそも1945年の第二次世界大戦の終結以降、世界的規模で、「旧態」に対するアンチテーゼ的な「流行や風潮」が生じました。同時に、社会制度、福祉、人権問題に於ける「変革・改革・改善」の必然的な要求が、社会全体に「風潮」として波及し、「アンチテーゼ」と「改革」の区別線引きがなされないまま、「大きなサブカル意識(ムード)」のようなものが固まってしまった感もあるのです。

確かに、「人権、社会制度、福祉」の改善・改革の、或る意味「闘い」に於いては、旧態及び、そこから生じた「既得権益を守らんとする考え方」との熾烈なぶつかり合いが避けられません。

「文化・芸術」に於いても同様に、「旧態」に対する「反発・アンチテーゼ」というもは、文化全体に強い影響を与え、その新陳代謝に大きく貢献し、数十年単位では、伝統に対してさえも、大いに変革を与え、結果論として、それが「伝統」にさえなり得ます。

つまり、結果論と現実論の上では「サブカルチャー」は、現代の理解のまま、「反発・アンチテーゼ」があたかもその本質であるかのようですし、その意味に於いての価値は確かに存在すると考えることが出来ます。

しかし、「サブカルチャー」というものは、そもそもそのような「アンチテーゼ」である必要や必然があったのでしょうか? そもそも「反発・アンチテーゼ」でなくてはならなかったのでしょうか? これについて明確な説明をしている例を、私は未だ発見出来ていません。

「規則があれば、逆らいぶっ壊す」「既成の観念があれば逆らいぶっ壊す」という図式では、「親の言うことを聞かない」「約束やモラルを守らない」という、単純な「自己中・我が儘・身勝手」の領域と線引きが出来ませんし、総体的に総じて延べれば、「いずれも幼稚なふてくされ、逆らい、へそ曲がりに過ぎない」とも言えます。もしそうだとしたら、そのようなものを果たして「文化」と呼んで認めてしまって良いのでしょうか?

そして、今回の表題のテーマに於いて、最も重要な問題が、頼みの「メイン・カルチャー」というものが、上記しましたような、もしかしたら「極めて幼稚な精神構造が生み出した」かも知れない「サブ・カルチャー」の存在によって「相対的に認識される(やり玉に上げられたかのごとく)もの」のようである、という情けない状況であると考えます。

ところが事実、私達の身の回りにも、「アンンチテーゼではないサブカルチャー」というものが確かに存在します。そのひとつが「都市(都会)と郊外(所謂田舎)の対極的な性質」に見られます。

例えば、「都会」では、「流行」が最も人々の関心と、言動に大きく作用するとします。言わば「流行の変遷に乗り遅れないようにすること=変化し続けること」が「都会カルチャーの本質」にあるという見方です。それに対して「田舎カルチャーの本質」は、「変わらないこと」であり「変わるとしても極めてゆっくりと」であると言えます。

両者は全く逆ですが、「対峙し競い合い、アンチテーゼの関係である」訳では全くありません。同様に「物や言葉や、心の価値」「時間の流れる早さ」なども「都会と田舎」では、全く逆とさえ思える程の違いがありますが、対立構造から生まれた訳ではありません。

このことを「基本」に考えて検証すると、
じつは「都会=メインカルチャー」である根拠は全くないのです。ましてや「ハイ・カルチャー」であるとも全く証明出来ません。むしろ、「逆」かも知れないことに気付かされます。

勿論、「田舎の閉塞感」に被害者意識を抱き、「都会で自由奔放に生きること」を夢見て田舎を飛び出すような「アンチテーゼ」の精神性に於いては、自ずと「自分の感覚を認めて貰いたい」意識が、強烈に存在しますから、自分が「墜落している/退化している/向上の逆である」とは思いませんし、思いたくないですし、言われたくもない。

その結果、「都会がより良く、田舎は駄目だ」的な幼稚な比較意識が、或る種の「正当化(言い訳)」的に生じ、自ずと「都会の風潮=メイン(ハイ)カルチャー」「田舎の価値観=サブ(ロー)カルチャー」的な自負が固まってしまうことはあり得ます。

しかし、皮肉にもこの精神性は、むしろ「田舎をメイン(ハイ)カルチャー」であり「都会のそれを平凡で俗(大衆的)で、移り気な(軽薄)で、決して長く生き残って行かない(伝統にならない)価値の低い(カルチャーとも呼べないような?)」ものであると、証明しているかも知れません。

しかし、いずれにしても、「メイン・カルチャーとサブ・カルチャーの関係」が個々の人間の気分感情の次元に於いて論じられるはずもないのですから、この「都会がより良く、田舎は駄目だ的な幼稚な比較意識」が「カルチャー論」であろう筈もないのです。

では、何故に「都会と田舎では、全く逆の文化性が存在するのか?」

それは実に単純なことです。

例えば、前回のコラムで「ラウンド・アバウト式」についてお話しました「交差点」ですが、「車が様々な方向から集結する」その姿こそ「都会」を意味しています。

「様々な方向」は、「様々な価値観」であり、それが、融合することなく「混在」すれば、或る種の「カオス」になるのも当然。そして、そこでは「ぐずぐずするな!」とけたたましくクラクションが鳴り響き、当然「時間が早く流れる」訳です。

それに対して「田舎」は、やがては「交差点」に通じるかも知れませんが、「田畑の中を通る、果てしない一本道」のようなものです。「急かす人」も居ないところに、回りの景色の移り変わりが少なく単調なために、当然「時間はゆっくり流れる」感覚に至ります。むしろ人間は、そのような「自然的な単調さ」に心や目を奪われ、何らかのささいな変化を見ようとすれば、「真っ正面だけみて猛進」ではない、「ゆとりあるドライブ」を楽しむかも知れません。

余談ですが、しばらく前のNHK特集で、そんな「互いに見晴らしの良い田舎道の交差点」で、むしろ「あり得ない衝突事故が多い」ことを説いていました。
田舎の長閑な風景が、相対的に認知させる「距離感・スピード感」が狂るわせてしまうところに、相手の車の存在を相対的に感じさせる対象物が、あまりにも回りに存在しないかららしいのです。

言い換えれば、「都会には都会の魔性があり、それに慣らされ鈍らされる感性」もあれば、「田舎には田舎の」「それ」があるのだろう、とも言える訳です。

しかし、ここではっきりと言えることは、「時間がゆっくり流れ、物事がゆっくり変化する」風土(環境と条件)の中で、育まれたものの方が、「逆の風土」で生まれては消えて行くものと比べて、「圧倒的に高密度・高純度・高確率で、後世(次代)に継承される」ということです。

その結果、この「風土」を象徴的に表す「田舎」が、より「伝統的である」ことと、「都会」が、より「流行(文字通り流れて行ってしまい残らない)」こともまた、必然である訳なのです。さすれば「どっちが良い、どっちが駄目」のような低次元の「好みの問題」ではなく、「田舎の風土と文化性」の方が「メイン・カルチャー」であることは、紛れもない事実であるとも言える訳です。

そもそも「流行」さえも「文化」である、と思う考えるようになったのは、記録がより定かになった、「紀元以降の人間の歴史」の中で、つい一昨日位最近のことです。それほどに「メイン・カルチャー(ここでは田舎都会は論じず、何処であれ)」が衰退し、「文化」そのものが「落ちるところまで落ちた」結果、「流行や風俗」さえも「文化」とせねばならなくなったに過ぎません。

これらのことを基本的かつ論理的に充分に理解していないと、今を生きる私達は、「文化とは何か?」「そのメインとサブとは何か?」というものをより正しく理解・認識することは出来ません。

何故ならば、この「基本概念」の上に、それを時には踏みにじるような「作為的・恣意的な力」が与えられ、「文化」は愚か、その「土壌」の価値観さえも歪めて私達に強い印象を与えるからです。

それは、古今東西の「為政者」の巧みな政策であり、「ごく一部の権益者」が作り出す「まやかしの社会構造」であり、それが生み出した「錯覚の価値観」が、今日の「メインだサブだ」などの「文化論」の基本に、殆ど誰も疑いもせずに収まってしまっているという大問題です。

そもそも「都会と田舎」は、「交差点と一本道」のような、「価値の上下もない」ありのままの必然的な姿でした。

しかし、前述したように、「都会という十字路の性質」の所為で、「都会」では、もっぱら「情報交換」と「消費」が最優先され、二次的に「換金→商業活動」が派生し発展します。その結果、「生産」や、本来の在るべき姿の「創造・創作」は、反比例して割愛されます。

それどころか近代以降は、「商業活動=経済」の潤滑と発展が、全てに先走って求められ。「売る為に作る」「次を買わせる為に壊れるように作ったり」「新しいデザインの商品を流布し未だ使える商品を古臭いと思わせたり」という、明らかに「本末転倒」「本来の目的を見失った」姿さえもが当たり前に思われるようになってしまいました。

一方の「田舎」は、もっぱら「生産」と「創作」そして「継承と維持」という極めて「生命的な行為」が主体となっており、本来「自給自足」も成り立っていました。

ところが、そもそも「都会」には、「生産能力」というものが大巾に割愛されているのですから、「都会」に構える為政者は、当然のように「田舎」を隷下に置きたいと思う訳で、そこに「搾取」や「アンフェア」が生じ、ひいては、他国・他民族にそのターゲットを転化させて「植民化」や「隷属」といった不条理が平然と行われ、それらが、皮肉にも後の「サブカルチャーの主格」である「差別・人権問題の改革・革新」や「既成の価値観や社会制度に対するアンチテーゼ」という姿の源泉を生み出すのです。

つまり、本来は「十字路と一本道」のような、非作為的な結果論の違いでしかなかった「都会と田舎」が、為政者の恣意・作為から生じ、都会の人間たちがそれに何の疑問も反論も示さず容認することで成り立ってしまった「歪んだ階級差」が形作られてしまったのです。

結果、「田舎」は、「都会の食料庫・材料庫」的な立場で隷属させられ、「人生観から生活感」を含むあらゆる価値観が、「都会感覚」に或る意味「毒される」結果となってしまったのです。

また、一方で、かつての炭坑で栄えた街や、ニシン漁などで栄えた街のように、「生産(と言ってもどちらも狩猟・採集的ですが)」が先行し「都会」が後から形成された場合もあります。しかし、これは例外的ですし、そもそも「バブル的」とも言えるもので、実際「石炭の時代の終焉」や「ニシンの不漁」によって、あっと言う間に廃れてしまいました。

このように、「文化論」は、「本来の自然発生的な姿」と「為政者」及び「都会の人間」の恣意・作為によってねじ曲げられた側面とを、しっかり分別して見て考える必要があるということです。後者には、「階級意識、差別意識」が生じ易いという本質も忘れてはなりません。

巷で殆ど語られていないことを、敢えて強調するならば、「アンチテーゼ」や「差別・階級」から生まれたり、更にそれらを増長させるような「サブ・カルチャー」は、「本来の姿ではない」ことも熟考して頂きたいと思います。

そもそも「田舎の一本道文化」は、「都会」に対抗心を抱いて作られたものではないことは言う迄もなく。「都会」とは全く異なる人生観・生活感によって、自然発生し、何百年も何の不便も無く継承され続けて来たものです。

また一方の「都会の十字路文化」の特性もまた、自然発生的に生まれたものであって、そこで必要不可欠な分の「換金や商業」そして「流行や風俗」が生じ、人間の喜怒哀楽を反映して励まされたり癒される職業があってもしかるべきです。しかし、何時の間にか、それが「全て」であり「生きる目標」であるかのようになってしまうのは、やはり本末転倒と言わざるを得ません。

勿論、「全てがそうだ」とは言いませんが、「売る為に売れるものを作る」「ウケるためにウケる芸術を創作する」という発想が当たり前であり、当然、自然と感じて疑わないような風潮もまた、「本末転倒」の極みでもあると言えるのです。

ずいぶん古い写真で恐縮ですが、
原っぱの向こうに、小さな集落がある写真は、インド国鉄の車窓から見た、名も知らぬ農村の風景です。写真の時点で、そしておそらく今日も、きっと数百年姿も暮らし振りもほとんど変わっていないのだろうと思います。

白い牛が台車を引く雑踏の路の写真は、アワド王朝の都だったラクナウの裏路地。片側二車線の大通りから一本入っただけで、台車の車輪が中古のタイヤであること以外、やはり数百年前とほとんど変わっていないのではないでしょうか。

最後までご高読下さりありがとうございます。

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

99、生命体の構造と七つの音の役割 (その1)

七つの音の不思議
世界には、様々なジャンルに於いて、様々な不思議なこと。現代科学でも説明も解明もされていないことが数多く在ります。

中学二年生の頃から世界中の民族音楽を学んで来ました私にとって、何故、洋の東西を問わずにオクターヴには「七つの音」があると考えたか? は、長年の謎でした。

しかしそれは、「古代インド科学音楽の存在」と「その論理性」、及び保護猫たちの為がそもそもの発端だった「全身医療・予防医療・自然治癒サポート」を学ぶことによって、実に明快に理解することが出来たのです。

「七つの音」とは、西洋ラテン諸国の「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」であり、ドイツ語の「ツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー」であり、英語の「C、D、E、F、G、A、B、」日本語の「ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、イ、ロ、」であり、インドの場合は「サ(Sadaj)、レ(Reshabh)、ガ(Gandhara)、マ(Madhyam)、パ(Pancham)、ダ(Dhaivat)、ニ(Nishad)、」です。

ちなみに西洋とそれを邦訳した日本で、「普通始りはABC….(イロハ…)だろ?」がズレているのは、古くは、今日の「ハ長調」ではなく、「A(ラ、ハ)から始るイ短調」が「基本音階」であったことの名残で、言い換えれば「未だに基本音階の開始音はAであり、ハ長調(C-Major)は、(第三音=Cから始めた)派生型」という概念が存在するということになります。
ですが、インドの場合「Sadaj」は、極めて重要な「原点」であり、紛れも無い「不変的な基本音」です。

勿論、西洋には「12の半音」があり、ペルシアでは「24の微分音」があり、これを引き継いだトルコは後世「1音を九分する」理論を構築しました。古代インドでは「22の微分音」がありましたが、中世前に「24音、もしくは12音」にほぼ統一されてしまいましたが、私の師匠の代迄は、「このラーガ(旋法)に於いては第三音は微妙に低い」などの具体例として生き続いていました。
東南アジアの有名な民族音楽「ガムラン」もまた、古代インド音楽の影響を受けつつ、五音音階や九音音階を構築しました。

しかし、いずれも「7音以上の微分音を7音に大別し、それから選択や割愛して7音以下の数の音階(六音音階や五音音階)を作る。という考え方が共通しているのです。

勿論、物事には例外が付きもので、ガムランの「九音音階」もある意味この考え方から逸脱しているかも知れません。また、タイ古典音楽は、古代インド仏教音楽を踏襲しながらも、後世(と言っても古代)に「オクターヴを平均に七分した」ので、そこには、「7音以上の微分音の観念」は存在しないとも言えます。

何故、世界中でシンクロニシティー的に「微分音を7音でまとめた」のでしょう。これは、古代の人間が、如何に「自然の摂理」を人間の諸生活形態に取り入れようとしたか?を物語っています。

「7」は、言う迄もなく「週の日数/七曜」であり、「七曜」は、言う迄もなく「主要七惑星(太陽は恒星ですが)」であるからです。これとは別に、「虹の七色」も、人間が「7」を選択する理由のひとつの現れとも考えられます。
そして、「古代インド科学音楽」でも、その他のアーユルヴェーダやヨガ同様に「チャクラ」の数も、基本的に「7」を基準にしています。

しかし、実際の「虹の色」は、その境目はグラデーション的に「あらゆる色がある」訳で、音もまた、「西洋の12、ペルシアの24、インドの22、トルコの54」と言わず、実際は無限にある訳です。即ち、それら「微分音」も、「無限」の中から「選ばれた代表」に過ぎないのです。そして、その代表をまた「7」に束ねたということです。

従って「古代インド科学音楽〜インド古典音楽の七音」と、「チャクラの数」が一致するのは、或る意味「感動的」でもありますが、「当然」でもあるということです。

そして「チャクラ」もまた、無限とも思える様々な「ナーディ、経絡」や「血管、神経、リンパ管、その他の様々な関係性」の中の、「選ばれた、主要なジャンクション」と言うことも出来る筈です。つまり、細かな横道、十字路は沢山在るけれど、大きな交差点が「七つ」ということです。

Chakraの意味するもの
実際、より深く検証した「チャクラと楽音の関わり」では、幾つかの「チャクラ」には、「中心のチャクラ」の他に、「左右のサブ・チャクラ」が説かれています。

一見話しが逸れるようですが、

1980年の初渡印で、驚いたことのひとつに、ほぼ全ての交差点が「ラウンド・アバウト(環状交差点)」だったことです。日本でも多くないですが見ることが出来ると思います。ここ福岡でも他所者の私でさえ、ひとつ知っています。

交差点の中心には、大概椰子の木のようなものが植えられており、その回りを2〜4車線の環状の道があって、(右回りに入る地域の場合)直進したい車は(蛇行した直進の感じで)半周回り、右折は四分の三、左折は外側の車線に居れば四分の一周ですが、内側に居れば「一周と四分の一」回らねばなりません。

ですが、理論上は、「どの車も止まる(待つ)必要が無い」「衝突事故が起らない」という賢い仕組みです。

しかし、実際のインドのラッシュアワーでは、3〜4車線に5列以上もの車、バイク、バイク力車が溢れ。不都合な車線に居た車が強引に斜めに行こうとしますし、ぶつかりそうになるとバイクの運転手は他人の車を足で押しやりますから、「スリル満点」と言いますか、危険極まりないのが現実です。

事実、世界的には交通量の増加と共に廃れる傾向にあるようです。日本は何故昔から殆ど無かったのか? インド人などに言わせると「日本人の生真面目さと辛抱強さの賜物」だそうですが。

しかし、これを「科学音楽の音の流れとチャクラ周辺の様々な機能への様々なものの流れ」に当てはめて考えると、恐らくチャクラのジャンクションは、十字交差のようなものではなく、「準ラウンド・アバウト」的なものであろうと考えることが出来るのです。

つまり、「右のサブ・チャクラ」に関わって流れて行くべきものと、「左のサブ・チャクラ」に関わって流れて行くべきものは、チャクラの中で渦巻くように交差するのではなく、その前後に自然な路線を選んでいるのだろう、ということです。従って、「サブ・チャクラ」を認めない考え方であっても、「チャクラの右寄り、左寄り」的な解釈の余地はあろうと思われます。

要するに、「チャクラ」と言えば、下(尾てい骨付近)から上(頭頂部のそのまた上)に「抜ける、通る」ことばかりをイメージしがちですが、各チャクラと周辺の臓器や、関わり合いながら平行する様々なナーディとの関わりを深く理解すれば、必ずしも「下から上へ一直線」的な、世間で一般的に考えられているイメージ通りではないと考えるべきでしょう。

少なくとも、古代インド科学音楽のより深く正しい解釈に於いては、「音の影響」は、チャクラ・センターに直接的に関わった後に、縦横無尽に様々な臓器やナーディに至って作用すると考えられています。

最後までご高読下さりありがとうございます。

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

98、音楽とパトロン

「パトロン」などと言うと、「援交(援助交際)」という語句が流布される遥か以前から、異性交遊関連の語句のイメージで捕らえる人が少なくありませんでした。それは世界的規模で、第二次世界大戦以前と以後で大きくその意味合いが変化したからに他なりません。 つまり、より正確な意味合いでの「パトロン」は、戦前の「アンシャン・レジューム(旧体制)」の崩壊と共に消失した、言わば「滅んだ概念」ということなのです。

私がすべき仕事ではないのに、黙って見ていても誰もしないので、やむなく説かねばならないことが少なくありませんが。ここで、「パトロン」「スポンサー」「援交(援助交際)」の語句の意味合いを再確認せねばなりません。

簡潔に言えば、「パトロン」は「見返り」の要素が「在っても50%である」と言うことが出来、「スポンサー」は、ほぼ100%でありますが対象者を選びます。「援交」に至っては、その「見返り(目的)」が不埒・不道徳であるばかりでなく、対象者を選ばない(ほぼ誰でも良い)ということが本質、と定義することが可能です。

なので、この三種が、「似たり寄ったり」に解釈されたり、「誤用」されることなど、本来あってはならないことなのです。

尤も、バブル経済期に、世界中から「儲け過ぎだ」と批判された日本経済界と大企業が、こぞって「企業メセナ」を実施しましたが、穿った見方で悪く云えば「売名行為的な宣伝行為」とも言えなくもないかも知れません。何故ならば、その後不景気になれば、簡単に中断してしまうからです。

一方、江戸時代、明治時代迄の「パトロン」は、急に羽振りが悪くなろうとも、密かに慎ましい食事に切り替えて迄も、支援者を支援し続けたという話しは幾つもあります。

勿論、総体的に言えば、「パトロン」も「企業メセナ」も、「見返り」は充分にある訳です。それは「アカラサマな売名行為・宣伝行為」や「余った資金の好評価を得る使い道」から、「人知れず密かに支援する」迄様々であり、言わばグラデーションであり、それらの「何処からがイヤラシい売名・偽善行為」であり、「何処迄が、純粋な社会貢献・文化芸術支援」であるか?は、誰も線引きは出来ない筈です。

「人知れず密かに支援する」といった、明らかに「売名行為ではないだろう」というものでも、その人自身がそれで精神的な満足が得られ、それが或る種の自己実現である以上、「見返り/メリット」が無いとは言えません。

ヴェーダ時代に「古代インド科学音楽」を探究したバラモン僧たちもまた。研究に専念出来るだけの「お布施」を得ていたのでしょう。中世イスラム宮廷音楽、及びヒンドゥー藩王国宮廷音楽もまた、王(シャーやマハラジャ)、太守(ナワーブ)、及び、その下の貴族の「お抱え楽士」となることで、「芸を究める」「伝統を守る」ことに専念出来たのです。

これは、西洋クラッシックのバッハ、モーツァルトからベートーヴェンなどと全く変わりませんし、アラブ、トルコ、北アフリカも同様であり、マレーシア、インドネシア、タイ、ウイグル、ウズベク、そして、アフリカ各地も同様です。

即ち前述で、「パトロン」「スポンサー」「援交」に於ける「見返りの有無と対象者の限定の違い」というのは、厳密に言えば「遠からずとも当たらず」とも言えます。

ところが、「パトロンに於ける自己満足的な見返り」と、「スポンサーや援交の見返り」に、はっきりとした大きな「線引き」を着けることも一方で可能かも知れません。

それは「大衆迎合性の有無」です。

「スポンサー」は、支援対象の社会的な活躍や売れること。つまり「多くの人々に歓迎されること」がなくては、出資の意味を失います。明らかに最も「大衆迎合性が強い」関わり方であると言えます。「援交」に直接的な「大衆迎合性」を見ることは出来ませんが、それが性欲を満たすだけであり、対象者の人格や信念・理念を選ばないのであるならば、極めて俗的であるという意味では「大衆性以下」である訳ですから、言わば「論外」とも言えます。

ところが、「(戦前の本来の意味の)パトロン」の場合は、出資者が「売れるか売れないかは分からない(どうでも良い)」「だが、俺はこの仕事(創作者の創作や研究者の探究)には価値(その国の文化などに於ける価値や人間的・人類滴な価値など)があり、それを支援することには深い意味があると信じるのだ」というような信念があった訳です。結果論として、極めて「非大衆的」であり、極めて「非商業的」だった訳です。

結果として、晩年や死後に、その創作が社会~世界から高く評価された創作者(研究者)はおびただしく存在します。勿論、もしかしたら人間社会、及び自然界や地球にとってより価値の高いものが、遂に「パトロン」を得られないまま、道半ばで潰えたものも無数にあることでしょう。

現実、今日私達が聴くことが出来る「インド古典音楽」もまた、「非商業的なパトロンの支援」と、その後の「メインストリームに於ける成功」によって「生き残ったものだけである」ということも出来る訳です。

最後までご高読下さりありがとうございます。

You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥