182、アーユルヴェーダ音楽療法入門44(用語辞典:カ-2-)

カルマ:
ブラフマン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教に於ける「業」とその概念。
カルマ/業には、「A:現世に現れている前世の行為とその因果」「B:現世に(まだ)現れていない前世の行為の蓄積とその因果(そのうち徐々に現れる)」「C:死後と来世の為の現世の行為」の三大分類が説かれている。上記いずれの宗教でも、「C」が蓄積されて「B」になり、生まれるとともに、日々「A」として現れ、現世の姿に強力な影響を与える。その為に信仰・信心(及び修行、または祈祷)を持ち、しかるべき「C」を研鑽すると説く。しかし、いずれも「業(ごう/Karma)」と呼ばれることで、様々な混乱も生じる。

また、宗派や、団体によって「A」を「変えられない」「変えられないが、対処法がある」「一部変えられる」と説明が異なり、後者に偏って「期待感」を煽り、教団やグループに勧誘する「ご利益宗教」も少なくない。

その一方で、比較的多くの宗派~グループが「Bはまだ変えられる可能性がある」と説く。「解脱・梵我一如」に偏る宗派では、「C」に極端に偏り、「現実社会・個々の人間性」を(否定しないが)割愛する方向にあるが、自意識過剰(の過負荷の自作自演で閉塞感を抱く)・比較意識過剰・被害者意識によって厭世観を募らせた人々には歓迎される傾向が強い。

「業」の観念は、後期ブラフマン教で「輪廻転生思想」が定着(確立したことを証明する記述が見当たらない)した後に、大きく変化した。それまでは、死後は現世に於ける「業」によって「霊魂が宇宙に帰る」か「地獄界」に至る、言わば「天国と地獄論」であったと考えられている。後者に関しては明確な記述は未発見とも言われる。(多くの研究者や後世の文献が輪廻転生思想以降を説くことや仏教との混同で解説を混乱させていることも原因)。

「輪廻転生思想」の確立以降は、死後の霊魂は、「宇宙に帰る」と「輪廻転生し再び生まれる」の二つの方向が裁定された。この時点でも「地獄行き」は不明確で、ある意味「解脱」を由とすれば「輪廻転生」は不幸な道(悲しい審判)とも言える。しかし、ブラフマン教に於ける観念は、その後の仏教とジャイナ教に分かれてかなりの要素が継承されたとも考えられる。(ヒンドゥー教については後述するが、かなり混乱していてややっこしい)つまり、好意的に解釈すれば、ブラフマン教の観念を仏教とジャイナ教が分担して継承したということで、ヒンドゥー諸派の解釈も、仏教、ジャイナ教のいずれかの側面に倣っている。

仏教では、「地獄に落ちる」という観念を強力に説いた。厳密には、輪廻転生の先が「六道」に別れ、更に「三善道」と「三悪道」に分かれる、人間に生まれ変わるのは三善道の上から二番目で、三番目に「修羅道」がある。余談だが、ブラフマン教後期に分裂した「阿修羅神群」が、仏教ではここまで下位(善道の内だが人間以下扱いだ)に落とされたことを知る。

一方、ジャイナ教では、仏教で言うところの「人間道」に輪廻転生した場合の膨大な因果を細かく説いた。つまり、仏教が「来世」に着眼しているのに対し、ジャイナ教は「現世」に着眼しているとも言える。

上記AとBの「積み上げられた前世の行為」の結果は、「有益と有害の2種のカルマ」に分類され、それぞれが4種のサブ・カルマ(8本質(Prakriti)カルマ)に分類されるが、8種はものによって2~93のカルマに分類され、総数148カルマに至る。これらは、来世の「身体的本質」「精神的本質」「寿命」「知覚」「知識」「行い」「幸不幸」にどのように応報するかを細かく説き、全てに名称がある。

仏教はそこまで分類・細分化・概念化をしていない。基本は、「C:来世・六道審判の為の現世の行い」に着目して、善悪各十道、計20種である。基本的に「現世はさておき(最早諦めなさい的?)来世のことを考えましょう」的とも言える。この因果応報思想の為、この段階では「業」は、結果に至る「道」と解釈される。

数が少ない代わり、仏教では、この20種を異なる次元の6解釈で分類し名称を持たせた。この縦横の関係をごっちゃにして解説する例も少なくなく、混乱と難解さを招いている。ブラフマン教は、おそらくこのジャイナ教の「細分化・概念化」と、仏教の「整理と複数の見方」の双方を持っていたと考えられ、これは科学音楽の分類と見事に一致する。

ヒンドゥー教諸派は、大雑把に言えば「仏教とジャイナ教の中間のやや仏教より?」の解釈が多い印象がある。仏教よりは細分化されるが、ジャイナ教と比べれば遥かに少ない種類が、上記の「A」「B」「C」のそれぞれに3種ほど説かれ、その3種は、「純粋カルマ」「攻撃的なカルマ」「悪のカルマ」に分けられる。この二番目が仏教・ジャイナ教とは大きく異なるヒンドゥー(言うまでもなくブラフマン教から継承したものだが)ならではの感覚である。

二番目の「攻撃的(Rajasika)なカルマ(Sakam-Karma)」は、現代人のほとんどの人間のほとんどの行為であろう。「好意の行為:良かれと思って行う」「悪気の無い(絶対そうは思わない~気づかない)悪行」「皆がやっているからやるという行為」などは全て「Rajasika」であり、或る意味「愛する」も「攻撃」の類と解釈する。「助ける」「世話する」に関しては、「利己の有無」を論理的に厳しく検証すれば「純粋(Sattva)カルマ(Nishkam-Karma)」に昇華し得る。

いずれにしても、「現世の行い」の是非・善悪を説いたテーマであるが、例えば輪廻転生を否定するアブラハム三教では「天国行か?地獄行か?」で、「善行を由とする理念(ほどなく道徳も加えられた)」を説いた(導いた)が、仏教は、輪廻転生の先に六道(六段階)を説き、言わば「現世のカルマ」によって、死後の六道を選択させる手法を取った。ジャイナ教は、現世のスタートの時点で前世の因果を148種も説いた。無論、ジャイナ教も現世の精神性と行為によって「宿命的業」を克服出来ると説く。これと比較すると近代ヒンドゥー教諸派では、ジャイナ教が引いたブラフマン教の「宿命的業」を強調したきらいがあり、ある種の「念仏宗教/ご利益宗教」に偏った例が多く見られる。現に、ヴィシュヌ・プラーナなどでは、善悪は、30の善神と15の悪神に象徴されるが、このヒンドゥー独特の「比喩」が理解されない場合、個々の人間の「業」と切り離され「善神に依存する」という傾向に陥りやすい。これらの原因のひとつにはニャーヤー学派などの論理が理解されなくなったこともあるに違いない。

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(文章:若林 忠宏

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181、アーユルヴェーダ音楽療法入門43(Kapha気質と精神構造-1-)

私の持論では、全ての人間は「デフォルトではほぼ同じ」と考えます。その根拠は、全ての生命体が「相反する性質」を内在している「恒常性の原理」にあります。その原理が無ければ、生命体は生きられない。さすれば「全ての生命体が同じ機能を持っている」ことに他ならないのです。

しかし、実際は、「個々でかなり差異がある」。これは、「本質(性質)的には同じだが、性格的には偏っている」ということです。この「偏り」は、生まれる以前に既に「遺伝的特出」と「胎教」の影響・効果が存在し、「Karma論」で言うならば、生まれるや否や「前世のKarma」が徐々に表質し、そこに「幼児幼少期の環境や周囲からの外因」が加わります。

これは、PCやスマフォが、新品の状態では「全て同じ」なものが、購入直後に「ひとそれぞれ」になることと同じです。従って、「Tri-Dosha/Tri-Bhuta気質」は、まず、遺伝的な要素が大きく、次いで胎児期間の栄養と胎教がかなり左右して、既に「生まれながら」の「Tri-Dosha/Tri-Bhuta(偏重)体質」として現れてしまい、その上に気質が乗るようなことになります。

しかし、「Karma論」と同様に、これらの「原質・本質的制約」は、「対応策」「補填策」と「改善策」が在り得るのです。
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「Kapha」の体質は、言う迄もなく、その「基本的役割と力」=「まとめる・固める・繋ぐ・接合させる・融合させる・安定させる・継続持続させる」に根ざしています。生命活動に於いては「Kaphaの力」が無ければ、栄養は蓄積されず、代謝さえ中途な内に流れてしまいます。昨今の新しい医学情報でも、「筋肉・骨に蓄えられる栄養・エネルギー」が着目されていますが、全て「Kaphaのおかげ」と言えます。
 しかし、「Kapha」に決定的に欠落しているものは、当然のことながら「Pittaに委ねられた:初動力・起動力・行動力」であり、「Vataに委ねられた:運動力・連携力・運搬力・移動力」などです。
また「Kapha」の本質的な(上記の)力・才能・役割が発揮される為には、「時間・落ち着き」が必要であり、「Kaphaの得意分野」のひとつである「持続性」も、「時間の余裕」が無ければ、発揮されないどころか、始まりもしませんし、途中で打ち切られてしまえば無能と同じ結果になってしまいます。
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「Kapha」の心身の病変の基本もまた、この「体質」にあります。決定的で根本的な傾向は「停滞」です。その「本質的な利点・才能」が「裏目に出る」訳です。それは「血液・リンパ・ナーダの流れ問題」と「消化問題」ですから、言い換えれば「生命体のありとあらゆる病変が起こり得る」ということです。
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その一方で、冒頭で説いたように、「デフォルト不偏論」で言うならば、「本来の機能に戻せる可能性」もまた、限りなくある筈です。「遺伝」「生まれる前(胎教)からの生育環境」に「前世のKarma」が乗っかるんじゃ「やってられない!」「生まれてこなけりゃ良かった」などと考える人も居るかも知れませんが、それは全くおかしな話です。

かねてから「人間はPCと極似している」と言ってきましたが、「前世のKarmaと遺伝」は、PCならばマックとウィンドウズのようなもの。スマフォならば(と言っても私はガラケーですから聞いた話ですが)「iOSとAndroid」のようなものです。確かに、私も長年使い慣れたマックが保護猫の粗相などであっと言う間に壊れて、経済的困窮の為に、人からいただいたウィンドウズを使い始めた当初は、「こんなに使い辛いならば無いのと同じだ」と思いました。きっと手持ちのガラケーが全滅し嫌々スマフォに替えたら同じ苦しみを味わうことでしょう。しかし、殆どの現代人は、老若男女、「公衆電話で十分だ」などとは思わない筈です。(そもそも公衆電話が殆ど無いし)

そして「胎教時代からの養育環境・親の存在・家庭の状況」は、「ソフト・アプリケーション」に過ぎません。スマフォやPCに対し、不満要望があろうとも、「嫌だ・苛々する・苦しい」からと言って「断固使わない」という人が殆どいないのですから、「遺伝・Karma・環境・条件」を苦にして、人生や生きることに疑問を抱くというのは、基本的におかしな話です。
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前述したように「Kapha気質」の最大の問題(無論、最大の特性=長所でもありますが)は「何事も時間が掛かる」ということに尽きます。そして、悲しいかな、現代社会は、根本的にそれを「許さない傾向」にあるのです。これは世の中がおかしいのであって、狂った社会の犠牲になっているのは「Pitta気質」「Vata気質」もまた同じです。
しかし、「Pitta気質」と「Vata気質」の場合、「始められるが方向がズレたり、中途で中断させられたり」という打撃・被害をこうむりますが、「Kapha気質」の場合、「始まりさえしない」ということが多く在り得ます。ということは「或る意味、ダメージが最も少ない」ということなのです。
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しかし「気質」としては、極めて深刻な欠点と言わざるを得ません。自らで「始めることがおっくう」としてしまうからです。それでは「生きながらにして死んでいるも同然」と思い知るべきです。

そして、「その楽」を選択してしまえば、「その時限りに楽」でも、「後々先の道が閉ざされる」ということは間違いありません。

「考えに時間が掛かる」「発言に時間が掛かる」「行動開始迄に時間が掛かる」「理解に時間が掛かる」=「だから面倒くさい」=「だから何も始めない」というのは、現代社会では、「受動の態度」でやり過ごせますが、「生命体の体や精神」に於いては、「停滞・淀み・アンバランス」を作り出す最悪の判断に他なりません。

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(文章:若林 忠宏

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180、アーユルヴェーダ音楽療法入門42(用語辞典:エオ/カ行・カ-1-)

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ア行・エ
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エーカ・アートマ・バーヴァム:
「霊的一元論」。あらゆる宗教の奥義が同源に至るという思想。

エカンダ・ヴィーナ
南インドの弦楽器「Vina(Saraswati-Vina/Karnatic-Vina)」でJack-Woodの巨木から切り出し、胴と棹が一体(一刀彫)した楽器。南インドのアーユル・ヴェーダでは、ヴィーナの各部は、人体の各部と相似性(シンクロ)があると説く。

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ア行・オ
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オージャス:
活気・活性力・活力素。物質・身体原材料のダートゥを作るために、食品成分のダートゥを消化・吸収・代謝させる力。アグニ・ピッタの力との共同。または、アグニ・ピッタによって燃焼された後に働く力。また、免疫力のことも言う。現代西洋医学・科学が説く「自律神経・神経伝達物質・酵素・代謝回路・リンパ」や、ここ数年の医学で急速に新発見が増えている「細胞間の連絡経路」などを、紀元前「オージャス」として認知していたことに驚かされる。

オーム:
ブラフマン教時代からの「聖音」。ヒンドゥー教では「A-U-Mの三音」と説かれ、三大神にちなむとされる。ヴェーダ詠唱(Mantra)の基音でもあり、「単音唱法」、「二音唱法」、「三音唱法」を通じて、「基音」である。つまり、ヒンドゥー教徒音楽家にとっては、「Sa=ドレミのド」は「Oum」なのである。
科学音楽(Shastriya-Sangit)の見地から言えば、「A-I-U-E-O-M(N)」の各音は、体の共鳴する部位が全く異なる。当然「Chakra」との関係性も変わってくる。特別な目的で「I-E」をも用いるが、基本が「A-U-M」であることは、極めて理に叶っている。言い換えれば、科学音楽のみならず、古典声楽からバジャン、キールターンに至るまで、「発音と共鳴する部位」が体感出来るほどの「古代科学音楽式ボイス・トレーニング」をせずに歌ったところで、表層的と言うより偽者に過ぎないと言える。(今日インド人声楽家でもマイク頼りの有様だが。これは「声量」の問題ではない)

オーシュディー:
ヴェーダ生物学(植物学)に於ける「花果を着ける一年草(~潅木)」のこと。「花果を着ける樹木」「花果を着ける潅木」「花果を着ける一年草(~潅木)」「根菜」「花果を着けない多年草」の順にSattvaを説く。
菜食主義のバラモン僧侶で「根菜以下」を食さない人は少なくない。
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カ行・カ (-1-)
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カビール
Kabir(1440-1518)。ミーラー・バーイー(15c.)、スール・ダース(16c.)、トゥルスィー・ダース(17c.)と共に「バジャン(バクティー:献身)讃歌」四大詩人に数えられる。四大詩人の中では異色で、ヒンドゥー神秘主義・献身思想のみならず、イスラム系神秘主義も取り込んだ。いずれの詩人も、歌詞は記されて残るが、楽曲は口頭伝承のため、厳密には変形も疑われる。そのような中でもカビールの楽曲は、古典音楽的な曲が少なくない。更にカビールは、献身歌の創作のみならず、思想・哲学の面でも強大な影響力を与え、一説にはシク教・教祖ナーナクにも影響を与えたと言われる。カビールの埋葬に関して、ヒンドゥー教徒の弟子とイスラム教徒の弟子が火葬・土葬で争い遺体を奪い合ったと言われるが、同じ話をグル・ナーナクに関して語るシク教徒は少なくない。前述の「エーカ・アートマ・バーヴァム」を探求した希少な存在(ヴィヴェカナンダも多分にそうだが)と言える。

カーラ(Kala):
時間。ヴェーダ科学に於ける「6宇宙物質(Dravya)」のひとつ。「生命(魂/霊魂)、物質、空間、運動原則、非運動原則」とともに説かれる。「生命は宇宙から来る」と説いていたこともさることながら、アインシュタインの数千年前に「時間」を物質として捉えていたことには驚嘆する。また「動くこと」と「動かないこと」が同価値で説かれ、「動かないことの動き」という感覚が、如何にもヴェーダらしい。「無(空)が在る」「ゼロが在る」とも通じる。

カーラ(Kala):
黒。サンスクリットからヒンディーまで広く一般的な「黒」を意味する語。従って、クリシュナの徒名のひとつである「Shyam」は、厳密には黒ではない。後述のカーリ女神は、確かにもっぱら黒く表現されるがクリシュナは、青く表現される。とは言っても「Shyam」は「青」ではなく、辞書的には、やはり「黒」とされる。(カーリ女神も青で描かれることも少なくない)深い訳がありそうだ。

カーリー(Kali):
10女神(Mahavidya)の一柱。字義的には「Kala(時間)の女性名詞形」と言われるが、何故か「黒(や青)」で描かれることがほとんど。ブラフマン教の神か、ベンガル土着の女神の「時の神=人生・寿命を司る→或る意味死神的」が、プラーナや「デーヴィー・マーハートミャ(女神聖典)」に於ける「ドゥルガー女神が怒り狂って黒色化してカーリーに変じた」という神話の頃に混同したのではないかと思われる。

一方、インド~東南アジア~中国(アフリカも)の田園地帯の脅威は、サイクロンなどによる水害や旱魃の他に、害虫による被害が甚大だった。その犯人はイナゴ系よりもむしろ「黒色化したトノサマバッタ」であった。(私事で恐縮だが)2000年頃、小学生時代から数十年ぶりに昆虫飼育を再開し、甲虫類百数種の他、直翅目数十種を累代飼育していましたが、イナゴは、稲の根(丁度彼の目線・口元の高さ)近くに喰らいついて、少し食べれば稲葉が倒れ食べにくくなると他の稲に向かう。その結果、ほとんどが食べ残しで甚大な被害を与える。ところが、トノサマバッタ(本来の緑色)は、「奇術剣飲み」のように真上を向いて、前足を起用に使って一枚の葉を食べきるので、必要最小限しか被害を与えない。しかし、その殿様が、或る条件に於いて幼虫から成育すると「黒色化」し、更に翅が1.5倍伸び、飛翔力が数倍になり、凶暴化する「突然変異の異常発生」に至り、一国を滅ぼしてしまう(イナゴの十倍の破壊力)。三国志の中に、これを飼育し「突然変異」させ、雇い主の政敵の作物を壊滅させる「虫屋(飛蝗師)」の話が出てくる。以上、余談のようですが、広大なデルタ地帯のベンガルの田園のアニミズムに於いて、全く無縁の話ではないように思えてならない。

カリ・ユガ(Kali-Yuga):
ヒンドゥー・プラーナが説く「時代観念:ユガ」に於ける「繰り返される四時代の第四の時代」。
四時代は、総年数:432万年間で繰り返されるが、「カリ・ユガ」は最も短い43万2千年年間。
「カリ・ユガ」は、BC.3102年に始まったが、「カリ・ユガ」を一年に喩えた時、現在(2019年)は、たったの4日目に過ぎない。要するに「ピンと来ない感覚」でもある。(私は40年前このことをひとりのバラモンから聞いた時、三日ほど思考が停止してしまった。)その一方で、プラーナの時代に「カリ・ユガ」について記した内容、「人間の精神・思考・心の退廃」「社会の崩壊」などが見事に適合していると説く人も多い。「カリ・ユガ」の「カリ」は、悪魔:カリ(Kali)に由来すると言われるが、女神「カーリー(Kali)」は長母音なので、全く別。

カルパナ:
インド古典音楽に於ける「即興演奏」のこと。科学音楽の時代には、これが音楽の本懐だった。「布教劇場音楽(布教芝居の伴奏音楽)」の頃から「作曲された楽曲」が発展したが、早々に「純粋な科学音楽」とは、別な方向に至った。19世紀の南インドでは、イギリス植民政策の後ろ盾で、「作曲されたヒンドゥー讃歌:Kriti」が台頭し、「即興演奏」が激減した。ところが、最近、世界的な「排他的な民族主義とセットになった不気味な復古主義・偽伝統回帰」の風潮に乗ったかのような「即興演奏」が盛んになって来ているが、「旋法(Raga)を道具にしたような自己表現」の様相ばかりで、古録音と比べても雲泥の違いがある。

カリヤーン:
科学音楽~古典音楽の旋法(ラーガ)のひとつ。増四度が特徴。

カーマ:
「愛の神」。後述する「カーマ・スートラ」の極解によって「愛欲・性行為の神」の誤ったイメージが世界的に広まった。

カーマ・スートラ:
4~5c.にヴァーツヤーヤナによって著された「愛の経典」。一般に「愛欲・性行為の経典」のように解されるが、或る意味「家庭医学・夫婦指南書」といった健全な書であると見ることも出来る。確かに古代~中世の一時期、タントリズムの一派に、極端な「欲望肯定主義」も生まれたが、それがタントラの全てはないように、本書も一方面からだけで評価・解釈されることには疑問を禁じえない。むしろ、西洋出版物や、中世オリエント~シルクロードの「宮廷文献」にはない「一般読者向け」の書が何故インドに多かったのか?などの出版文化論に於いて検証されるべきとも考える。

カラ(Kara):
才能、芸術

カラワティー:
インド旋法(Raga)のひとつ。字義は「芸達者な女性」。もしくは「芸術の女神=Saraswati」、サラスワティーは、別に「Raga:Saraswati」がある。Raga:Kalawatiは、昔は「女性だけが歌う(弾く)」とされた。その当時は、師匠が男性の場合、出向して女性歌手に学ぶか、師匠が個人的に部屋で独りで歌うのを、隣の部屋で盗み聞き(無論、了解の上でだが)して学ばねばならなかった。同様に、「教え教わりすると、師弟の一方が早死にするRaga」もその方法で伝授された。

カルナ:
原因。ニャーヤ学派の論理学から見れば、極めて表層的で安直な、言わば「犯人探し」レベルの「原因」がほとんど。従って、「様々な原因の総称」的に理解すべき。
ちなみにニヤーヤ学派に於ける原因は「3Ashiddha/8Hetu/3Vritti/3Vayi」の計17もの「原因」の概念が在る。或る意味「非現実的」でもあるが、以下、筆者(私:若林)の「論理学セラピー(脳機能をデフォルトに戻し様々な異変・不調を治す)」入門編に登場するひとつの課題を紹介すると、ある程度はご理解頂けるのではないか、と期待する。

「新婚旅行のハワイのホテルの部屋に到着するとベッドの上に拳銃が在った」「玩具だろうと思って新郎が新婦に向けて構えてふざけていたら暴発して殺してしまった」「果たして犯人は?」「銃か?銃に実弾が入っていたことか?安全装置が解除されていたことか?銃器規制法の不備か?銃を置いた者か?それとも新郎か?」

(社会に守られていると錯覚=思いたい)現代社会のほとんどの人間が、「新郎には殺意が無い=犯人じゃない=善良な何も悪いことなどして来なかった普通の人間」と考え、新郎以外に「犯人探し/カルナ探し」を行う。しかしニヤーヤ論理に於ける「17の原因」からすれば、上記の6種の全てが紛れも無い原因(犯人)。それ以外にも「11種の原因(犯人)」が存在する。しかし、現実、昨今のテロ事件でも銃乱射事件でも、真っ先に問われるのが「銃規制問題」。上記の喩えで言うならば。「新郎新婦の危機管理意識」なども、最も身近な課題である筈。(個々が日々、トラブルを未然に防ぐ遂行可能な努力法としても)。

デトックス一辺倒の昨今のアーユル・ヴェーダを危惧する理由もこのテーマと同じ。ちなみに(私事で恐縮ですが)15年前、ステロイドをお医者を騙して倍貰って倍飲んでも効かなかった「重症の猫毛アレルギー(朝起きると掻き毟って血だらけ)」だったのに、或る日を境に、15年で3錠も飲んでいない(この10年は皆無)。他の治療法も一切無し。などと言いながら、早々に私も癌で死ぬかも知れませんが。アレルギーや自己免疫疾患、癌、アパシー、鬱病、そして様々なストレス性生活疾患は、「○+○+Karna=発症」という算数レベルの単純な問題に過ぎない。にも拘らず、猫毛だ花粉だ、添加物だ、受動喫煙だ。逆に癒しだ、ストレス解消だ、デトックスだ、と。Karnaのことしか考えない風潮。しかもそれは、必ず何処かで商売が成り立ち、結構な儲けになっている。私がステロイドを飲まずに済んでいる為に掛かった費用はゼロ。気づかせて下さったのは、実はお医者さんだから、皮肉な話です。
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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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179、アーユルヴェーダ音楽療法入門41(脳機能正常化のプロセス)

インド太鼓Tablaの勧め(その1)

現代人は、その偏った思考回路によって、脳機能も偏ってアンバランス。それが様々な悪因になっている。
「Tri-Doshaの何かに偏った体質⇔同じ偏りの気質⇔それに支配された精神構造⇔その上に成り立つ思考性・思考回路⇔その為だけにしか使われない脳機能」は、ぐるぐると回り、悪循環を作り出し、問題を刻々と深刻化させています。
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一説には、生き物の便のほとんどが「善玉菌の死骸」と言われます。そして、個体の消化吸収力によっては「消化し切れなかった食物」が「老廃物」として加わります。それは「高度成長期末期~バブル期以前」の過剰包装のようなもので、購買意欲も盛んだったあの頃の、各家庭の「ゴミ」の量ときたら半端じゃなかったのです。「消化吸収力」が低下し、善玉菌が次々に死んでしまえば、便は増える一方。しかも便秘でしたら、腎臓・肝臓は、刻々と劣化し老廃度を高める便から毒素を何度も吸収し処分せねばならない。
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そのような状態に陥ったらば、「デトックス」も、緊急避難処置として不可欠でしょう。しかし、基本は、「体の構造状態」にある訳です。そして、同じことが「思考回路の構造状態」にある筈で、前者が「問題がある=体の調子が悪い」という人で、後者が良好という人はあまり居ない。昔から「病は気から」の「気」には、実に深い多様な意味がある訳です。
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「緊急避難措置」が悪いわけでは決してありません。私も保護猫の病状に応じて、緊急避難措置で「抗生剤」から「ステロイド」迄、短期・適量・ベストなタイミングで起用します。その代わり、その後一二ヶ月、生薬で化学物質のダメージなどをフォローせねばなりません。
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そもそも「アーユルヴェーダ」は、「全身医療・自然治癒力サポート・予防医療」の「東洋医学」の知恵ですから、「緊急避難措置」だけでは本末転倒です。
「ヤントラ」も「マントラ」も、勿論「アーユルヴェーダ音楽療法」も「ヨガ」もしかりです。

「過剰包装でゴミだらけ」「思考回路~脳機能の偏重で自律神経・ホルモン・腸内細菌叢に不調をきたす」は、ある意味「自業自得・自作自演」なのです。
その対処対応の為だけに、ヴェーダの叡智を使ってしまっては実に勿体無い。
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表題の「脳機能正常化のプロセス~インド太鼓タブラの勧め」は、実際にタブラを学んで叩いて練習し上手になることですから、「僕も!私も!」というわけには行かないことは重々承知ですが、タブラは、世界でも稀に見る独特な奏法(左右の手指の使い方)の楽器(太鼓)です。そして、それは「偏った脳機能」を見事に改善してくれるのです。
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今回の図版の表をご覧ください。

「左手」と書かれた側には、「Khula」と「Band」のところに、それぞれ「Ge」と「Ka」と書いてあります。「Band」は、ヒンディー語で「閉じる(※)」で、太鼓の音分類では「ミュート音」を意味しています。が、西洋楽器感覚の「消音」ではなく「響かない音」という感覚です。「パン!」と手拍子を打つ感じ。手拍子はそれ自体では響きませんが、それなりに大きな音が出ます。

「Khula」とは、ヒンディー語で「空(から)」の意味で、太鼓では「響く」という意味です。
「Ge」や「Ka」は、インド人の耳にはそう聞こえる「擬音語」です。「Ge」は、恐らく殆どの日本人には、「ドン」と聞こえるでしょう。「Ka」は「パン」と聞こえるでしょう。

※「閉じる」の意味の「Band」は、「印欧語族」の共通点がギリシア・ラテン語にあり、LPレコードや陸上競技のトラックをBand(帯)という。戦前・戦直後生まれの人が、「ズボンのベルトをBand(締め紐)」と言う。そして「ロック・バンド」の「Band(結束)」もみな同源同語です。なので、近年多く流通している「結束バンド」という商品は「サハラ砂漠・スィンド(インダス)河・チゲ鍋・殿様キングス」です。

「右手」と書かれた縦列は、大小二つ一組の太鼓「タブラー」(正確にはタブラー・バヤン)の右側・木製胴・高音太鼓(タブラー、またはダーヤン)を右手で叩く基本音の五種をしめしてあります。
「Half-B(Band)」「Half-Kh(Khula)」「Full-B(Band)」は、それぞれ「半分閉じ音」「半分開き音」「完全な閉じ音」を意味しています。「半分閉じ音」「半分開き音」の違いは、ニュアンス(気分的)な表現で、正確な概念ではありませんが、前者は「閉じ音に近い」後者は「開き音に近い」とさせて下さい。

(Vol.183につづく)

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(文章:若林 忠宏

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178、アーユルヴェーダ音楽療法入門40(用語辞典:ウ-2-)

ウダーハラーナとウパニャーヤ:
ヴェーダ検証論に於ける「中因と再確認」。「物事の因果」「病気の原因と表出」「生命体の恒常性」などは、全て「宇宙原理」に矛盾しない(相似性/シンクロ/リンク)。それを確認し、人間社会と個々の人間の「身体と精神・思考・心」の状態の「宇宙摂理との整合性・バランス」を確認(し不整合を正し本来のあるべき健康な状態に是正する)ヴェーダ検証論では、次の手順で検証を行う。

まず「A:現象の認証(Pratijnya)」を行う。次に「B:原因(Hetu)の仮定」を行う。これはアーユル・ヴェーダの「ウパシャヤ(検証治療)」を導く。次に、仮定された「原因」と「相性の良い・必然性がある・一貫性がある「C:表出(具現/結果/中因:ウダーハラーナ)」を確認する。その際、「B:と関係性が得られないC’の結果」も同時に検証する(現代人にはこれが完全に欠落している)。これが「ウパニャーヤ」である。それによって、初めて「D:結論(Nigamana)」が導かれる。したがって、「ウパニャーヤ」によって、当初仮定・想定された「C」とは、異なる性質の「C’」「C’’」などが得られた場合、「A」に立ち戻って、新たに「B’」を想定せねば、「正しいD」には至れないのである。

例えば「発熱・下痢・嘔吐・頭痛」などの「A」を確認した後「炎症:B」が疑われ、それが確認されたからと言って、「C」は「外因(細菌、ウィルス、外からの衝撃)」ばかりではなく「アレルギー、自己免疫機能不調」も在り得る。また「第五段階:アレルギーや自己免疫機能不調」は、「第四段階:基礎体力低下」が発した「SOS」であるとしたら、そこには「第三段階:恒常性機能・自然治癒力の根本的な不調」があり、その要因には「第二段階:精神性(被害者意識や自意識過剰)」があり、それを導き増徴させた元凶には「第一段階:思考力・脳機能のアンバランスな稼動」を考えねばならない。数百年、「局所対処療法(上記第五段階の対応ばかりだった)」に偏っていた西洋医学も、近年では、上記:第三段階迄は遡って検証する方向性にあるが、第二・第一段階までは考えようとしない。
これは「火の無いところに煙は立たない」のような短絡的で安直な思い込み・決め付けの精神性と価値観・真偽判断を「正当」と思い込んでいる観念依存が元凶である。

ウカル:
古典声楽のスキャット唱法で、「ウ」の発音だけで即興を繰り広げる技法。

ウパマーナ:
ヴェーダ認識論に於ける「類推・比較論」。ニヤーヤ学派では、「アヌマーナ:推論」と対峙すると説かれる。ウパマーナの検証・認識には、必ず「比較対象」が必要。つまり、物事の是非、真贋、審議、高位か下位か?有益か無益か?などには「物差し」と比較・類推が伴い、ここに「観念論」が膨大に介入する危険がある。

「樹木論」で説けば、「枝葉領域」に於ける「二者択一」という近現代の人間社会を支配している偏った思想・価値観・観念に一致し事実具現されている。この結果「十を聞いて、都合の良い、ピンと来た、耳に優しい一二を拾う」という感覚・価値観・審美眼が定着し、これに依存する人間が急増した。

これに対し「根っこ・幹・太枝」に重きを置きつつ枝葉の多様性と価値を認める「論理的な価値観」は、「一を聞いて十を知る」という宇宙観が在る。これが「アヌマーナ」の世界であり、ウパマーナが「これとこれのどちらを選ぶか?」という「二者択一論」であり、本質的に「社会的排除」を導くのに対し、「アヌマーナ」は、「これとこれがあるならば、他にもあれがあるに違いない」という「推論」の世界であり、その価値観と視野は「森羅万象」を俯瞰(感じる)し、「社会的包摂」につながる。

ニャーヤ学派では、「アヌマーナ」の基本構築の後に「アヌマーナ」の現実論・合理性の価値が説かれるが、現代社会は、「アヌマーナ」を欠いた「ウパマーナの感情論」に偏っている。その結果、「アヌマーナ」では、脳機能が全体的にバランスを保って機能・活性化するのに対し、「ウパマーナ」では、偏って部分だけが活性化し、「身体と精神のアンバランス」にも繋がり、様々な不調(病気)の元凶になっている。

ウパ・ヴェーダ:
ブラフマン教の聖典であり、科学の源泉であり、叡智(タントラ)の埋蔵庫である「ヴェーダ」に則して後世に補われた「副読本」「解説書」。「派生」の性質の強いものもあれば、後世恣意的に加筆されたものも少なくなく、真贋見極めの論理力が強く求められる。

ウパ・プラーナ:
ヴェーダがブラフマン教の叡智から生じたのに対し、プラーナは、ヒンドゥー教義の正当性を説く意図が濃厚である。その副読本・解説書であるプラーナの中には、是正・改善の意図が見られるものも少なくないが、逆の恣意的な書き換え・加筆も少なくない。また、ブラフマン教とヴェーダには、教条主義的傾向が少なくないが、プラーナとウパ・プラーナには、大衆迎合性が少なくない。

ウパニシャド:
ヴェーダを更に深く検証した「奥義書」とされる。
「ウパニシャド」と「ウパ・ヴェーダ」の本来の根本的な違いは、後者が、読み手本位で書かれているのに対し、前者は、読み手の理解をむしろ破壊するような性質がある。日本で戦前から言われている「奥義書=禅問答のようである」という解釈は、その性質から生じている。

この性質は「ウパニシャド」の字義に明確に現れている。一般に「ウパ(近くに)ニシャド(座る)」と解され、弟子が師匠と向かい合う禅問答の姿を意味していると説かれる(故に)が、これは表層的な解釈である。(むろんこれもあるが、これだけではない)

「Nishad」は、インド(科学音楽~)古典音楽の「ドレミ」の「シ」の名称でもある。字義には「座る」の他に「止まる・留まる」の意味もある。科学音楽の後にガンダールヴァ音楽(布教のための聴衆向けのパフォーマンス)が隆盛した時代(紀元前後)に、「ヴェーダ回帰主義者」が、「ドレミ(Srgam)は、ヴェーダ詠唱法(単音から二音、そして三音に発展した)にある」と説いた。一般にそれこそが「ドレミ」の発明であり、声のKeyが異なる僧侶が高い声で「ソラシ」で詠唱し、中間音「ファ:Madhiyam=印欧語族のmedium」を入れて「ドレミ」が完成したと説く。しかし事実の「三音詠唱」は、「シドレ」であった。
「ヴェーダ回帰主義者の旋法ヴェーダ起源説」は、このことで脆くも崩れ去る。

試しに「ドレミファソラシー」と「シ」で息の続く限り「シ」を伸ばし、息が切れた後、十数秒間を空けて「ド」を歌ってみて欲しい。同様に「ミレドシー」と「ドより低いシ」に至り、伸ばし、間を空けてから「ド」に至ってみて欲しい。「ヴェーダ唱法のアヌダッタ」と「シ=Nishad=留まる」という意味の奥深さが理解されることであろう。

「師の教えを請う」という「受動的発想・価値観・精神性」は、言わば「安直に楽に答に辿りつきたい」という姑息な精神性でもある。確かに(一般に説かれているように)、「ウパ(近くに)ニシャド(座る)」は、「(答を求めて)ウパ(師の近くに)ニシャド(寄り添い座り、答を得る)」という行為である。しかし、ウパニシャドは、それを否定・拒絶した。師は「答をくれない」のである。
敢えて幼稚な比喩をするが、「ウパニシャッド(という言葉)のより深い解釈」は、「Nishad=立ち止まって考えることに+Upa=副え」ということであり、弟子(読み手)に対し、前述した「ウパニャーヤ:再確認/再考」を指導・要求しているのである。

殆どの現代人は、現代(と言っても、長くは数百年前から、近くは1980年代からのことだが)社会風潮の「情報至上主義」を追認している。それは、かつて中国共産党指導者のひとりが「鼠を良く獲る猫が良い猫だ」と言った感覚・精神性・価値観と同じである。「これを知っておけば大丈夫=分かったことに出来る=分かった気になれる」という「情報」が、「良い情報・正しい情報」であるとしか考えず、他を求めず、むしろ他は否定される。

言い換えれば「考えさせる=思考領域を活性させる=Upa-Nishad」に主眼を置いた「情報・教育」は殆ど存在しない。当然のごとく、「現代的価値のある情報(安直に正解を得たと思わせるだけの)」は、思考力を低下させ、心身全体の本来の姿を破壊させ、様々な心身の不調を招くだけでなく、そのような人間の集合体である社会をも脆弱化→形骸化→崩壊させる。

「ウパニシャド」は、「奥義書」と訳されるとともに「ヴェーダーンタ=究極のヴェーダ」とも言われるが、上記の意味を論理的にご理解下さったならば、「ヴェーダの先(奥)=後に読む」ではなく、むしろ「入門書」であるべきことがご理解いただけるであろう。また、バガヴァド・ギータに於けるクリシュナの語り(説法)も、かなりウパニシャドである。いずれにしてもこれらは、現代人・現代社会に最も欠落している感覚を教えてくれる。今、最も学ぶべきもののひとつではないだろうか。

ウルドゥヴァ・ローカ:
基本三世界(ローカ)の「天界」「地上界」「地獄界」の「地上界(人間・生物界)」のこと。

ウスタード:
イスラム教徒の師匠に対する敬称。アラビヤ語の「先生」だが、インド・パキスタンで最も用いられ、アフガニスタンで7割~8割。アラビヤ、トルコでは滅多に着けられない。つまりそれらの国々ではかなり著名でないと着かないが、インドでは、ムスリム音楽家ほぼ全員に着ける。ちなみにヒンドゥー教徒の場合はパンディットだが、音楽家でなくても医者、教師、弁護士にも着けられ得る。音楽家の場合、ウスタード同様、ほぼ全員につけられる。更にちなみに、スワミーとバグワンは、出家僧侶で、ヨガ・瞑想がある段階以上に到達し、更に悟りの境地に至った聖者を意味し、スワミーは南インドで多く用いられ、バグワンは北インドで多く用いられる。しかし、昇級・昇段資格や試験が在る訳でもなく、自称し、他称する弟子が多ければ成り立ってしまう。これらの敬称は、家庭内、修行所内(弟子同士)では、以下の名前を言わずに敬称だけで会話される(家族的な結束心の顕示)が、外に出てもそれを貫くのは60年代後半の欧米ヒッピーとその後の日本人だけ。「スワミー、バグワンと言えば世界に○○のことだ」の(弟子自身の)自尊をひけらかしているに過ぎないと、現地インド人はそれを観て内心嘲笑している(当然、師の品格も下がる)。外ではむしろフルネームが敬意の現れで、部外者にも好感を持たれる。

ウッタル:
サンスクリット由来の日常的なヒンデゥー語で「北」の意味だが、ヴェーダ関連(科学音楽→古典音楽を含む)の様々な用語に現れる。例えば、インド占星術(ジョティーシュ)の中の古い解析法で用いられる「ナクシャトラ(27-29宿)」は、12星座に適応する際に、必然的に時間・天空座標・12宮とズレるためにまたぐことになる。その中の三種の星宿に「ウッタル○○」と「プールバ○○」の名がある。この三種は同じ名称にウッタルとプールバの冠詞(形容詞)が着くということだが、「北」「東」を意味していない。
それは、「ウッタル(北)」と「プールバ(東)」が、「上」と「下」という観念に通じているからである。

例えば、インド旋法:Ragaは、「ドレミ(ファ)」と「(ファ)ソラシド」の上下の部分(テトラコルド/ペンタコルド:Anga:部分)に分割され、それぞれの性質の合体で旋法全体の性質を説く。その際「ドレミファ(下のテトラコルド)」を「プーラブ・アンガ」、「ソラシド(上のテトラコルド)」を「ウッタル・アンガ」と呼び、「ニーチェー(下の)・アンガ」「ウパル(上の)・アンガ」とは言わない。

これは「ヴァーストゥ(インド方位/風水)」にも共通する観念であり(ヴェーダ及びタントラの叡智は、実に総合的だ)、二つの性質の異なる運気の流れ「北→南」「西→東」の観念が反映され、物理的・現象的な「上下」ではない、形而上の「上下」が、ジョティーシュにも科学音楽にも現れているのである。

故に、ジョティーシュの性格判断でもアーユルヴェーダ音楽療法でも、ブーラブ・ウッタルは、「東・北」ではなく、「形而上の上下」で語っている。「プーラブ(受け皿・受け手系)=享受性・寛容性が豊かだが、貪欲、丸呑み込み、整理整頓が苦手、溜め込む」「ウッタル(発信側・発散側)=豊か・心が広い・博愛的だが、詰めが甘い・細部や結果に無頓着」などの傾向があると説かれたり、「プーラブ(旋法の基音に副う)=落ち着いているが発展性が無い、追認主義に陥りやすい」「ウッタル(旋法の属音に副う)=快活で外交的だが、落ち着きが無い」などの傾向があると説かれる。当然「プーラブ」は、「カパ気質」に偏りがちであり、「ウッタル」は、「ピッタ気質」か「カパ気質」の両極端に至り易い。それは「流れの滞り」が元凶であり、「Vata力」が欠如している場合である。

ウターオー:
叙情歌・キルターン・バジャン・一部の民謡などで、太鼓が歌い手に歌い出しを教える太鼓フレイズを入れること。古典声楽には無い。

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177、アーユルヴェーダ音楽療法入門39(Tri-Doshaと精神構造)

「Tri-Dosha/三つのドーシャ」は、「万物の五大元素」と関連させる必要から、それぞれ二つの元素との関連が説かれます。「Vata」は、ブラフマン教の「風神」と同じ語ですから、基本は「風のエネルギー(及び効果・効能・作用)」を意味しています。「Pitta」は、「アグニ:火」と「ジャーラー:水」という一見相反する元素にちなみます。「Kapha」は、「ジャーラー」と「プリトゥヴィー:地」と、ピッタほどではないとしても、必ずしも共存し得るのか?と思わせる二つの元素に関わります。それに対し「ヴァータ」は、「ワーユ:天空/風」と「アーカーシャ:空」ですから、全く矛盾せず、相性も良いように思われます。実際、そのように説いているアーユル・ヴェーダ関係者も散見します。
しかしこれも、そもそも「ヴェーダの叡智」と「形而上の世界」のこと。現代社会の常識的感覚で「合点が行った」は、むしろハズレかも知れません。
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「三つのドーシャ」の役割は、私がしばしば紹介する「樹木図」のように、「幹」の部分から「枝葉」向かえば向かうほど、その意味・役割・関係性は、多様化して行きます。昨今、流行が一段と隆盛しているアーユル・ヴェーダですが、語る人々は、様々な要素をひたすら並べる一方で、一向に「樹木」の姿が見えてきません。なので、一旦、しっかりと、「三つのドーシャ」の基本を「幹から順に」理解する必要があると思われます。
まず、「ヴァータの幹」は、多く「ヴァータ=運搬」と説かれますが、「流れ」に尽きます。「ピッタの幹」は、「ピッタ=熱」と多くの専門家が説きますが、「熱」以前に「動き」です。原子が動いて始めて熱が出ることと同じです。そして、「カパの幹」は、「定着・留める」に尽きます。

ところが、これらの根本的な力は、生命体の生命維持の基本中の基本である「恒常性」に於いては、常に「相反する作用」でなくてはならないのです。このあたりが昨今のアーユルヴェーダ関係者の多くが決定的に誤解している点です。
つまり「過剰なピッタにはヴァータやカパ」「動いてくれないカパにはヴァータ」などのような説明だけでは「遠からずとも当たらず」なのです。人様の健康と人生に関わりますから、この「微妙なズレ」は、かなり大問題です。あまりに安直で短絡的なのです。

そもそも、生命と、それを創り出した宇宙の真理、そしてヴェーダの叡智は、そんな単純なものではないのです。
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確かに、構造的仕組みは、「過剰なピッタにはヴァータやカパ」「動いてくれないカパにはヴァータやピッタ」などなどですが、「三っつのドーシャ」それぞれの、根本的な「ひとつの幹」の基本の上に成り立つ「太い二本の枝」の「どれを立ち向かわせるのか?」まで考えなくてはなりません。でなくては、効果をコントロール出来ないからです。

例えば、「ヴァータの幹」は、「流れ」でした。
しかし、「ヴァータの太枝」は、実は、「冷やすこと」と「動かすこと」です。これに対し「ピッタの幹」は「動き」ですが、「ピッタの太枝」に至るとそれは、「熱・燃焼」と、実は「留まる」なのです。タイミングと量を間違えれば「ピッタ過剰の熱の動きの幹」に対し、「ヴァータの太枝の動かす力」をぶつけてしまったらどうなるでしょうか?

「ピッタの幹の動き」は、原子のように、ミクロの範囲を激しく動くもので、それは、電子レンジのようなものですが、「ヴァータの太枝の動かす力」は、体の隅々にエネルギー・滋養・栄養を運ぶほどの力があります。いわば「ピッタ」が「極超短波」であるのに対し「ヴァータ」は「極超長波」のようなものですから、この二者を合わせてしまったら? 打ち消しあってくれれば良いですが、逆なら大変なことになります。
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このようなことは、中医・漢方では、数百年前から言われています。故に「この生薬は○○に効く」と単純に言えず、今日の「漢方薬剤師のほとんどが理解しない(出来ない※):弁証論治」が存在するのですが、アーユル・ヴェーダでは、何時の時代か(大体分かっていますが)この論理が著しく欠落してしまっているのです。
(※)本来真逆の東洋医学・生薬を、まるで「西洋化学療法の局所対処療法」の薬のように、売る漢方薬剤師、ネットのサプリ販売者の何と多いことか。十年後には大問題になるように思えてなりません。
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加えて今回、数回に渡ってお話したいテーマは、「第一段階:Tri-Doshaの気質」についてと、それらと「第二段階:精神構造」と「第三段階:脳機能」の関係です。第三段階に至れば、それは即「身体」に大きく影響することは誰でも理解出来ると思いますが、第三段階が、第二段階、第一段階と積み上げられ移行していることを考える人が何故か極めて少ない(ほとんど居ない)のです。

つまり「気質が精神構造(指向性)を作り、それが脳機能に大きな制限を与えている(偏らせている)」ということです。そして、これは、「脳機能の偏った動きが、精神構造を逆に制限し支配し、それが気質を固定化させている」という「悪循環」を作り出し、状態はどんどん悪くなって行きます。
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故に、前述した「三つのドーシャの幹・太枝・枝葉」の役割・効果効能・力の理解とともに、それらをより正しくコントロールさせるためには、まず「気質~精神~脳機能」を正常化させる必要が極めて重要なのです。この為に唯一の、そして最も効果的な手段が「思考力の強化」です。何故ならば、「論理領域の思考」は、ほとんどの人がほぼ全く使っていないからです。つまり前述の「悪循環」の影響をほとんど受けていないということです。
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昭和の中頃まで、日本の小学校で歌われていた「バケツの穴」という、元はアメリカ民謡がありますが、「ナイフが切れない→研ぎなさい!→砥石に水が欲しい→バケツで汲みなさい!→バケツに穴が開いている→藁で塞ぎなさい!→藁は何で切ろうか?→ナイフで切りなさい!→ナイフが切れないんだけど→研ぎなさい!」という歌ですが、正に現代人の多くが、この「感情領域の思考による循環型思考」にハマっています。しかし、「(使わずにいた)論理思考」は、「ああ!なんだ!納屋にもうひとつ新品のバケツと新品のナイフが在ったじゃないか!」の世界なのです。

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(文章:若林 忠宏

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176、アーユルヴェーダ音楽療法入門38(用語辞典:ア行・ウ-その1-)

用語辞典:ウについて
日本語の「ウ行」は、インド語の「U」の他、「V=ヴァ」も含まれるという解釈もあろうかと思います。またインド人の発音も地域によって「Ⅴ/W」が「ヴァ、ワ、ウァ」のいずれかに偏る場合も少なくありません。私もしばしば街中で大声で「おーい!ヴァカバヤシ~!」などと呼ばれました。その人の言語習慣では「W」は、もっぱら「V」なのです。更に、ベンガル地方ではAとOの間の発音で、「おーい!ヴォカバヤシ~!」と呼ばれましたが、ベンガル語で「ヴォカ」は「馬鹿」のことですから、時々見知らぬ人がその声を聞いて私を見てニヤニヤしたりしていました。
幾つかの理由で、本稿では、勝手ながら、幾つかの「V」の単語を「ア行のウ」に含ませながら、多くは「ワ行」に廻わさせていただきました。宜しくご了承ください。
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ヴァーユ:
(1)ブラフマン教の「天空神」。転じて「風の神」。一般に「ワーユ」と発音されるが、「ヴァーユ/ウァーユ」の発音も多く聞く。インドラ天空神との棲み分けは、ブラフマン教中後期から困難になっている。更に「最古の経典」とされる「リグ・ヴェーダ」に「ヴァータ風神」も記されているというが、筆者は疑問を抱いている。(ヴェーダでさえも後世の加筆が在り得るという衝撃の事実の一例か)。いずれもブラフマン教高位の神々だが、仏教では中下位に収められた。大雑把に解釈すれば「インドラ神:天空」「ヴァータ神:空間」「ワーユ神:風」のような傾向は在る。インドラ神が司どる天空も、大気圏~地球周囲を越えない。超えて宇宙に至るとそこはブラフマン神の領域となる。ヴァータ神が司る領域は、厳密には空間や無に近いが、ワーユ神が司る「風」には動き・動く力・動かす力がある。この分別の観念は仏教では説明し切れていない(※)。
※筆者の寡聞による場合、失礼をお詫びし、詳しいお話を学ばさせていただければ幸いです。(2)万物の五大元素のひとつ、「風」。五大元素では、「空間」は、「アーカーシュ」と呼ばれるが、風は、風神と同じ語。ところが、ご存知の方も多いと思われる、アーユルヴェーダの「地、火、風」を象徴とする「トゥリ:ドーシャ(トゥリ・ダートゥ)」では「ヴァータ」の語が採用されている。ここでは「ヴァータ」は、「風と空間」の双方の象徴を担っている。
ヴェーダの故郷、ペルシアでは「万物は四元素」と説かれ、「地、水、火、空」だが、インドに至った一派のブラフマン教では、「空」を「無・動かない空間」「有・力・風」の二つの観念に分けたことで「万物元素」が「五」に至った。故に、ヴェーダに於いて最も重要な観念であると考えられ、近隣の古代ペルシア文明、古代中国文明の観念には無い、古代インド文明独特の個性な重要要素と言える。

ウダーナ・ヴァータ:
アーユルヴェーダの生命体活性力の三大要素、「地、火、風」を象徴とする「トゥリ:ドーシャ(トゥリ・ダートゥ)」のひとつ「ヴァータ(風)」を五種に細分化したもののひとつ。「呼吸器・喉・声帯」に作用する「風」及び、「空気を動かす力」。比較的分かり易い象徴のように思えるが、他に「忍耐力・向上心・勤勉・持久力・快活さ・理知性・記憶力・表現力」とも関わる。こうなると、論理思考力が貧困だと理解し切れない。つまり、厳密には、細分化されたウパ・ダートゥであるこの「ウダーナ・ヴァータ」も、更に「現象的作用」と「精神的作用」、すなわち「目視出来る体・臓器」と「目視出来ない・精神・心・思考」のふたつの「現場」に二分されて作用していると説かれている。しかし、二分それぞれの呼称用語は失われている。

ウダッタ:
ヴェーダ詠唱法・音取り用語のひとつ。「高められた音」。実際は、基礎音の半音上が主。三音唱法はもちろん、二音唱法では割愛し、基音の下の音(アヌダッタ)を取る流派が多い。三音唱法でもアヌダッタより頻度が少ない流派が多い。つまり「ウダッタ」より「アヌダッタ」が優先されているということは、「ヌダッタ」が「ウダッタ」が歌われるようになった後、Retronymで改称されたか、ふたつとも改称された可能性もある。もしくは、現代生き残った流派が、紀元前の詠唱法とかなり異なっているか?であろう。

ウパ:
「副/サブ」の意味で多くの語彙の接頭辞に用いられる。
ウパ・ヴェーダ:ヴェーダの副読本。(後世の恣意的な加筆に注意すべきものが少なくない)
ウパ・ダートゥ;アーユルヴェーダの「要素:ダートゥ」の「派生要素」。生命体から「排出される・分泌される・生える」ものが主。
ウパ・デーシャ:ヴェーダーンタ学派が言う「聖なる教え」。

以下のように「派生/二次的」のニュアンスの語彙も多い。
ウパ・マーナ:比較・類推からの認識(詳しくは「ア行・ウ-その2-」参照)
ウパ・ニャーヤ:ニャーヤ学派の認識論・認識法の「起承転結」の「転」と「結」を繋ぐ概念「再確認」。

また、ヴェーダの「奥義書:ウパニシャッド」は、頻繁に「ウパ(近くに)ニシャッド(座る)」と説かれ、この場合の「ウパ」には、「側・寄り添う→対峙・組の一方(サブ・カルチャーのサブ)」の意味合いがこめられている。(詳しくは「ア行・ウ-その2-」参照)
ウパ・パダ:インド占星術に於ける12の座の重要な座のひとつ。ここでのパダは、「座、Status、Stage」。「パダ」は、古典音楽の声楽様式「Dhrupad(Dhruva-Pada)」などでも「楽章/楽節」の意で用いられる多様な語だが、「在るべき処」の意味で共通している。

ウパデーシャ・サーハスリー : インドの聖人シャンカラ(700‐750)の著書。『真実の自己の探求』

ウパ・サ(ム)パダ:
ヴェーダ、アーユルヴェーダ、仏教(主に小乗仏教)に於ける「善行・禁欲・煩悩、欲望を絶つ意識」
小乗仏教に於いては出家の誓いのような意味があり、入門儀式の基本。

ウパ・シャーヤ:
アーユルヴェーダに於ける「試験治療」。病態を認識するための試験的な治療。

ウペク・インドリヤ:
ヴェーダが説いた五つの気分・感情知覚のひとつ「無関心」。ペアで論じられる「肉体的苦痛/肉体的快楽」「精神的苦痛/精神的快楽」の四つに、単独で加えられる重要な概念。

古今東西一般に、感情は、「好き:嫌い」「楽しい:悲しい」という対極構造で理解されるが、ヴェーダでは「恋愛感情・愛情・好意・嫌悪・憎悪・恨み」は同源同質、同じグループにあり、対極とされるグループでは、「敬意・尊重・分別・差別・隔離・卑下・蔑視・軽蔑」が同源同質と説く。後者のグループ以上に、最も「冷酷・冷淡」な気分感情が「無関心」とされる。これには「不理解・誤解」も含まれ、現代人の傾向に多く見られる「分かった気になる」もまた同質と言えよう。

料理に喩えれば「味が浸みない素材」であり、塗料に喩えれば「鉄やプラスティックには水性塗料が乗らない・定着しない」に等しく。「不理解・誤解・決め付け・分かった気になる=無関心の領域」は、情報至上主義に偏る現代の大きな課題であるが、ほとんど説かれず警告も皆無である。

逆に言えば「探究心」は、「知りたい→分かりたい」の先にあり、ヴェーダ的には「理想の愛情」と言える。何故ならば「知りたい→知った、と満足して終わる」「分かりたい→分かった気になる=自己中な解釈・思い込み・決め付け」のように変質し得るが、「果て無き探究心」は、自己中の入り込む領域が次第に無くなって行く。現代では「知りたい」と同義に理解される「好奇心」「興味関心」は、本来論外だが、「自己愛の一表出」として説明される。「無関心」は「精神・意識領域」に限定されるように誤解されるが、「気づかない・すれ違う・かみ合わない・向かい合わない」という「動作・現象」の形態でもあり、「感受性の欠如」の意味で身体面にも関わってくる、より高次のテーマである。

ウッサーハ:
ハタヨーガ・プラディーピカーが説く「六つの必須精神性」のひとつ。「熱意」。
「勇気、忍耐、識別、決断、出家」と共に説かれ、その筆頭に上げられる。アーユルヴェーダでは、「チャラカプラヤットナ」と同義とされる。

ウーシナ:
アーユルヴェーダの症状名のひとつ。「熱性」。主に過剰な場合に言われるが、過小も危険。

ウーシマ:
アーユルヴェーダに於ける「体温」。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

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(文章:若林 忠宏

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175、アーユルヴェーダ音楽療法入門36(Pittaと精神構造-その1-)

「Khapa・Pitta・Vata」の「三っつの生命要素:Tri-Dosha」が、何故か、マイナスイメージを多く強調されていることの原因については、今までにも何度かご説明して来ました。
しかし、前回(Vol.173)でご説明しました「Kapha」や、この後ご説明します「Vata」と比べると、「Pitha」の持つ力は、確かに弊害に繋がり易く、その様子もより分かり易いかも知れません。
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しかし、そこには現代人の深刻な「偏り」が根本的な問題として横たわります。それ故に「生命力と活性化に欠かせない力」である「Pitta」を十分にコントロール出来ない、という事態を招くのです。
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ところが、この問題は、実は紀元前数千年前に始まっています。それは、宗教の歴史が見せる「人間と神」の関係性に明らかに現れています。
このことをお話しするだけで、書籍一冊になってしまいますが、かなり無茶に端的に言えば、それは「和神と荒神のテーマ」に象徴的に現れています。
本来、洋の東西を問わず、神には、「和・優しさ・恵み」と「荒・厳しさ・攻撃・破壊・奪い」の両面がありました。
無心論者的な人々は、「河は恵みの水を与えてくれるが、しばしば氾濫し全てを無にしてしまう」「太陽は、草木・作物を育て人間を暖めてくれるが、しばしば度が過ぎ旱魃で生き物の命を奪う」。などなどの「自然の摂理とその両極性」を古代人が「神」としたのだろう、的な理解をします。
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しかし、無心論者の意見が正しいならば、人間は、神に祈り始めてから数万年であろう歴史の中で「祈ったところでどうせ無駄。自然の摂理には逆らえない」ととっくの数万年前に悟ったはずです。
無論、そう反論したところで、「ただただ、人間は、それが分かっていても祈らざるを得ないのだ」「そして、何かの偶然で、あたかも『聞き入れられた?』かのようなことがあると、再び数千年祈ることを続けてしまうのさ」と返されるかも知れません。
ところが、
科学やテクノロジーが如何に進歩しようとも、人間は、「自分の脳機能・思考回路・心の有様」についてさえも、全く良く分かっていない。(このことこそは、シーターラーマさんのご好意?先見の妙?で続けさせて頂いている、このコラムの最重要テーマですが)
近代医学でも、脳機能・脳科学についてや、臓器間・細胞間伝達機能、腸内環境については、この数年で急速に進歩し、日々「定説」が塗り替えられている有様です。
さすれば、
あと100年もすれば(今の様子で人類と地球が100年保つ?とも思いますが…………..)、「個々の人間の病気」は愚か、それが「集団化する時の何らかの力や波動」ひいては「思考・精神性と念の関係」「それらの集合体と自然・気象・地球・宇宙との関係性」も次々に説かれる時代に至るかも知れません。
そうなれば、
「人間が何故、神に祈り続けたのか?」のみならず。「そもそも神とは何だったのか?」も。物凄い勢いで(科学的に)説かれることでしょう。
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しかし、
前述したように、紀元前数千年前に、人間は、「神の存在」を、自分たちに都合の良いものに変革し始めました。或る意味、極めて不思議なもので、その弊害は、数千年経った現代になって、いよいよ「後戻り出来ない(不可逆的な深刻な事態)」に至りましたが、そうなる迄、数千年もの間、人間は、「地球上のあらゆる生き物の覇者」として、その利己の限りを尽くし続けることが出来たのです。
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洋の東西の「寓話」「昔話」「童話」で、「恐ろしい存在」を「酩酊させて無力にする」話があります。魔物や怪物から、大悪党、狂人に至るまで、ひいては、ひとつの家族の中の「頑固で厳しい親父」に至るまで、酒や眠り薬などで、酩酊させたうちに、まんまと計画を遂行するという話です。
東アジアや南アジアでは、龍、大蛇。西アジア~西洋では、龍・ドラゴンという強大な存在が描かれる一方、鬼を「言葉巧みに騙す:長靴を履いた猫」から、「鬼に呑まれて内側から攻撃する:一寸法師」に至る寓話も、その基本には、「荒神を和神に変革させる願望(欲望?)」がある訳です。

ここで、重要なポイントは、「強敵=目の前の脅威=目の上のたんこぶ」を「弱体化させる」という願望・願い・欲望を、人間は、数千年~(恐らく数万年)もの間「(心正しい善良な)弱者が(間違った考えの)強者を挫く」という「美しい物語」に摩り替えて、問題の本質を誤魔化して来たことです。
何も、ここで、「善悪観念」について述べるつもりは毛頭ありません。大事な話は、「相手が弱体化する」という方向性には「自らも弱体化する」という、極めて大きなリスクが、「落とし穴」としてあることを、人間は数千年もの間、考えないようにして来た、というテーマです。

「長靴を履いた猫」で言うならば、鬼を騙して鼠に変身させ「喰ってしまってめでたしめでたし」ですが、「一寸法師理論」で言うならば、「喰われた鼠が猫の中で暴れ、形成が逆転する」筈なのですが、人間は、これらを全て都合良いように解釈し続けて来た、ということです。
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これらの「或る種の真理=人間が美化しただけで事実は必ずしもその通りではない」ということは、既に現実のものとなっています。
例えば、1928年に(科学製剤としては)世界で始めて抗生剤が発明され、1944年には、スプレプトマイシンが発明されました。私の母は、後者が普及しきらないギリギリの時代に、当時主流の治療法で、片肺を潰して人生の大半を障害者として過ごしました。しかし、それから半世紀も経たないうちに「耐性菌」が現れ、「院内感染(※)」によって、細菌の逆転が顕著になりました。抗ウィルス製剤に関しては、新薬が出ては弊害が報告され、この数ヶ月の間には、耐性ウィルス迄報告され始めました。また、人間本来の免疫機能が暴走するアレルギーの問題も年々深刻になる一方。そして、自らの細胞が癌化する。老化に伴う「コピー精度の劣化」では、最早説明できなくなっている。にも拘わらず、大勢は、相変わらず「発癌性物質」や「ストレスの問題」という犯人探しばかり。

(※)以前もお話しましたが、私の母は、皮肉にもその「院内感染」で死線を彷徨いました。結果「奇跡の快復~退院」を果たしましたが、「何が効奏したのか?」は、未だお医者さんも分かっていない。私は懸命の「音楽療法」と「ヤントラ療法」を試みましたが、もちろん医学的にも科学的にも証明は出来ません。

(Pittaと精神構造ーその2-につづく)

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Hindu Chant講座Vol.2

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Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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Vol.174、アーユルヴェーダ音楽療法入門36(用語辞典:イ)

ア:補填
アーサナ
ヨガに於ける「ポーズ(座法・体位)」の総称。あくまでも一般的な現代ヨガに於いてのもの。
そもそも、インド六大哲学のひとつとしての「ヨガ」と、今日の「ボディー・ヨガ」との関係性を説くこと自体が容易ではない。当然、哲学ヨガの一派「ハタ・ヨーガ」と現代ボディーヨガとの関係性もしかり。また、哲学ヨガの完成(ヨーガ・スートラ経典に見るならば)は、4~5世紀とみるのが妥当で、ハタ・ヨーガに至っては16世紀であり、「古代ヴェーダの叡智」とするにはあまりにも新し過ぎる。
今日のヨガ・アーサナの基本となったものは、「ハタヨーガ経典:ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」にあり、多くは19世紀後半に新たに付け加えられた。
また、ヨガ、瞑想に於いて重要視される、仏教で「印相/手印」と呼ばれる、手首から先の指の形は、主に「ムドラー」と呼ばれ、これは仏教成立以前の伝統を引いているものが多く、「古代ヴェーダの叡智」の要素が多く得られる。従って、現在様々な宗派が説いていることを全て鵜呑みに肯定することは出来ないが、ヨガ哲学、ハタヨガ、アーサナ、ムドラーは、その原点に於いてヴェーダ科学と深く関わっており、現代ヨガや瞑想とも深く関わっていることは紛れもない。しかし、その分別と認識は、極めて難解であることは言うまでもない。
また、この一方で、アーサナと音楽は極めて深い関係にあり。それは手首の先のほんの数本の指の形(ムドラー)でさえもである。それらは、音楽療法の効果効能を大きく変化させる。無論過剰になる場合もあるが、無効・無力化させる場合もある。当然、音楽によってアーサナ、ムドラーの効果も大きく左右されるが、近年の欧米経由のボディーヨガのBGMには、その考慮が全くと言って良いほど見られない。

アーサヴァリ
インド古典音楽の旋法:ラーガのひとつで、近現代分類法「タート」のひとつにもなっている。かなり古いラーガであるが、古代科学音楽に於いて既に成立していたかは確証が得られない。西洋の短調に近いと言える。しかし「タート」は、そもそも既に存在したあまたのラーガを「やむなく整理する為に近代に創案した10の引き出し」のようなもので。アーサワリはたまたま10のひとつの「引き出し名」に挙げられたに過ぎない。従って「アーサワリの引き出し」の中には、ラーガ:アーサワリの音律とは異なるラーガも少なくなく、それらは西洋短調と似て大きく異なるものである。


インド
名称「インド」は、国名(英名:India)の日本語表記(日本語読み)。英語(汎世界的な学術用語)でも、例えば「インドヨーロッパ語族/印欧語族」などで「Indo-European-Languages」などと用いる。
そもそもは、インド以西の文明が、インドを発見した際にその地「インダス河流域」の呼称を土地の民に訊き「インダス」の返答を得「インド」と聞いたことが始まりとされる。しかし、厳密にはそれは「Sindh」であり、しかも、土地の民「Sindh族」は、土地や民族の自称ではなく、インダス河のことを訊かれたと思い「Sindh=河」と答えたに過ぎないとも言われる。「サハラ砂漠」の名を訊いた外来者に、土地の民が「サハラ=砂漠」と答えたことと同じ。「インダス河=河河」「サハラ砂漠=砂漠砂漠」で、「ちげ鍋」「殿様キングス(日本の昔のコーラス・グループ)」並みの笑い話とも言われる。
…………………………
他方、「インド/Sindh」が何時、何故「Hind」に転じたのか?は、いまだに不詳とされる。ちなみに当時(唐代頃?)の中国は、「身毒」の字を当てた。(音訳当て字とは言え、不敬な文字だ)
…………………………
「Hind」から「Hindi語」「Hindhu教」の語が生じるが、無気音、帯気音の分別の根拠も不詳。その結果、「Hindhu」から、土地(国サイズの地域名)名「Hindustan」が生まれるが、語源的には「ヒンドゥー教徒の土地」という意味になり、既にイスラム教徒に支配されていた時代にも関わらず、「異教徒の地」の意味合い(カーフィルスターン)が否めない。
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最もややっこしいのが、印パ分離独立の際に、インド領からパキスタンに移住した人々の中の大多数であった、パンジャブ族以外の「北インドの人々」には民族名がなかったことだ。やむなく「Hindustani」とされたが、イスラームの信仰・信条を抱いて長い苦しい旅を耐えて来た人々に対し、語源的に「ヒンドゥー教徒の地の(イスラム信者)の人々」という不充分さ・不適正さを含んでいる。
また、18世紀のイギリス植民地時代にイギリス人総督が名づけた「Hindustani語」という分別もまた、ややっこしさを増長させた。言語学的に厳密には分別し切れない「(デリー周辺の)ヒンディー語」と「ウルドゥー語」を総称したものであるからだ。しかも、実際「インド残留のデリー周辺域生まれのイスラム教徒」と「パキスタン移住のデリー周辺域出身のイスラム教徒」とでは、接続詞や語彙が異なる場合もあると同時に、今日でさえ、デリー周辺域のヒンドゥー教徒で、夫婦で語彙が異なる場合さえある。筆者の友人夫婦は、夫がデリー出身で妻がより郊外出身だった。共にヒンドゥー教徒だが、「人生」という言葉を夫は「Zindagi(ペルシア語起源のウルドゥー語)」と語り、妻は「Zivan(サンスクリット起源のヒンディー語)」と語った。厳密には「Zindagi」は輪廻転生しない人生だが、彼はヒンドゥー故に輪廻転生を信じていた。
ちなみに、インド共和国が定めた「正式自称国名:バーラタ」は、マハー・バーラタに引くものであり、イスラム教徒などの非ヒンドゥー小数派には厳しい呼称である。

インドラ
ブラフマン教の神。デーヴァ神族の「雷神(雷霆神)」。ブラフマン教でも最も古く基本的なデーヴァである、天空神:ディヤウスと大地母神:プリトゥヴィーの息子の一柱。現存する最古のヴェーダ聖典:リグ・ヴェーダでは、ペルシア時代の神々と共に名を連ねている。後のプラーナ文献の時代に、太陽女神:アディティーの子神群「アディティヤ神族」に加えられる。この場合父神は、聖者:カシュヤパ。更に後の「ラーマーヤナ」では、天空神として描かれるが、クリシュナの眷属ハヌマンが互角に戦うように描かれる。更に後には、クリシュナ物語の中で、「ブラフマン教の神々の代表=旧体質の象徴」のように描かれ、ことごとこく卑下される。この間の仏教時代には、「天部」すなわち、如来、菩薩、(明王)の下位に追いやられる。他の天と共に「仏典の守護神」の地位を得るが、それでは、ブラフマン教後期のデーヴァ神族の敵「アシュラ神族」が仏教に隷属させられた立場とさほど変わらない。
リグ・ヴェーダにも後世加筆された部分が否めない上に、ウパニシャド、アパ・ヴェーダ、プラーナともなるとどれほど書き換えられたかは全く不確かであるが、大まかに見ても、このインドラの立場の変化は、ブラフマン教~仏教~ヒンドゥー教という流れ。もっと言えば、ブラフマン教→仏教との軋轢→漁夫の利のヒンドゥーという流れそれ自体を象徴している存在でもある。
また、「アニミズム」を世界的に俯瞰した時、「天空神と地母神の合体→子神産み神話」を「宗教(ポスト・アニミズム)の創世記」とするならば、ヒンドゥー勢力の漁夫の利的な台頭は、むしろブラフマン教によって圧迫された(より古い)インド各地のアニミズムの反撃とも考えることも出来る。(この意味では、クリシュナが青顔で描かれる=Shyam:肌が黒い=ドラヴィダ系のより古いアニミズム系の神のインドラ=ブラフマン教に対する反撃→勝利である、と説いた諸説と一致する。)
更に、ペルシアに於けるミトラ信仰、および弁天信仰などの太陰信仰が、ブラフマン教後期に太陽信仰に屈し、密教化して行った様子をも象徴しているとも言える。文字通り「象徴」故に、その実態は多くを語らないが、インドラが何時の時代の局面に於いても象徴として残されていたという事実こそは大きな鍵とも考えられる。

インドリヤ
一単語としては「感覚器官」。しかし、実際のヴェーダ起源の科学の様々な分野で様々に登場する語。良く語られる「6感覚器官(六感とほぼ同じ)」の他に、総数は最低でも27種ある。それら全体を俯瞰するならば、それは「能力」と解釈する方がより正しくなる。従って、上記の「六感」を筆頭に「6知覚能力」「3身体能力」「5感情能力」「5行為能力」「5精神力」「3悟性力」の27種と理解すべきである。(宗派によっては更に加えている)
ちなみに、現代人の多くは、この27力のうち、よくて18種しか機能させようとしていない。従って「思考回路・思考力の問題」は、「Kosha論」のみならず「Indriya論」に於いても警鐘が鳴らされていると知るべきであろう。

インナーライト
語意的には「内なる光」という意味。「アンタルヴァーニ」と同義と言える。しかし、思考領域が脆弱である場合と正常(Defalut的な、「本来の」の意味で)である場合とでは、「光」の現れ方、見え方は当然大きく変わってくる。インド系スピリチュアルが西洋に迄伝わり、それが日本にも波及した19世紀末から、様々な聖人が説き、あるいは人心を欺いて来た、ある種の「永遠のテーマ」とも言える。
ちなみに、この語意が世界のスピリチュアルに関心のある人々以外にも広く知られるようになったのは、1968年にBeatleのGeorge Harrisonの「The Inner Light」によってであった。シングル(ドーナッツ)盤のヒット曲「レディー・マドンナ」のB面として聴かれた。この曲は、ジョージのビートルズ・メンバーとしてのインド音楽風作品の四曲目だが、それらのインド音楽視座からの分類を語る人はほとんど居ない。
1、Norwagian Wood (1965/Album:Rubber Soul)
2、Love you to (1966/Album:Rivorver)
3、Within you whitout you (1967/Album:Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)
4、The Inner Light (1968/Single)
「ノルウェー」は、ジョージがロンドンの楽器屋でシタールを購入し、調弦もろくにわからないまま弾いた。すでにブリティッシュ・トラッド・フォークの連中は、インド人を起用したりイギリス人でインドで学んだ者も居て、ライブでシタールを起用していた。ドノヴァンも既に弾いていたし、ジミ・ペイジも「俺の方が先に弾いていた」と主張しているが、リリースはジョージが先になって、世界的認知度もダントツだった。作詞作曲はジョン&ポールゆえに、インド精神世界との関連性は全くない。
「ラヴ・ユー・トゥー」では、在英インド人タブラ奏者(私:本辞典筆者は、文通していたことがある)を起用し、シタールはジョージが弾いた。「Raga旋法」には至っていないが、当時英米ロックギタリストの間で急流行した「Raga-Rock(エレキ・ギター奏法)」の中では「スケールの堅持」をしている点で評価出来る。ラヴィ・シャンカルに師事する以前に、ロンドン在住のインド人シタール演奏家(パンジャブ族シク教徒)に少し学んでの録音だった。ジョージは、仲間たちの間で密かに話題になっているシタールに好奇心を抱き、ロンドンの楽器屋で購入し、我流で弾いたのだった。それでも同時代のJazzギタリスト:ガボールサボよりは調弦がまともだった。ちなみにこのシタールは、2017年9月に米国のオークションで700万円で落札されて話題になったが、レコーディング風景で見るシタールとは全く別物にも見える。(ネックの縁取りの幅が違う)

「ウィズイン」は、ラヴィ・シャンカルの弟子となった以後で、音楽監督をシャンカル氏が勤めているので、「折衷の不思議な音楽」となっている。平歌のジョージの歌は、ラーガを守りつつ、ターラは守れて居ない。結果、伴奏のタブラ奏者は二三度リズムサイクルを壊して合わせている。間奏はシャンカル氏の独壇場で、リズムサイクルは10拍子。後に全て大御所となった(実の息子は潜んでしまったが)演奏者がずらりと揃っていた。「ラヴユー」に於ける「ユー」は、ほとんど一般恋歌の相方だが、「ウィズイン」に於ける「ユー」は、「神」である。この時点で、その神が「クリシュナ」であったかどうか?は不詳。
そして「インナー」では、ジョージは「インド民衆音楽(民謡)」に到達した。日本のマニアやファンは、古典音楽をより格上と勘違いするが、古典は理論体系のおかげで民族を超える。しかし、民謡は「200マイル移動すると変わる」と言われる多民族国家のインドでは、同じインド人が理解も習得も出来ない土着の音楽性が要である。ジョージが民謡に到達したということは、かなり深い意味で評価されるべきだ。
同曲では、UP州地方(ヴァラナシなどを含む)のホリー祭りや、MS州(ムンバイ、プーネなどを含む)の沿岸民謡などのリズムや旋律をミックスしている。シャンカル氏の直接的な監修もあっただろうが、前作よりは一歩引き、おそらくジョージ自身が「民衆音楽を紹介したい」と言って、アーティストを紹介されたのではないかと考えられる。近年公開された別テイク(歌無し)では、ジョージ自身がフルートのフレイズを口唱歌で伝えている様子が聴ける。ちなみにビートルズ楽曲情報データバンクのメンバーは全てでたらめ。タブラはビートを叩かず「旋律楽器」として用いられ、オーボエ風の音は、「Shahnay」ではなく、弓奏楽器に蓄音機の集音装置を取付けた「Tar(弦)-Shahnay」というハイブリッドな楽器。撥弦の音は、大正時代に日本から伝わった「大正琴=Benjo」である。
ジョージがシャンカル氏の門弟となる直前、ビートルズのメンバー全員が渡印し、リシケシでマハリシの教えを得たが、様々な憶測が語られるいざこざがあって、徐々に帰国。ジョージは、後にクリシュナ意識協会と出会いスポンサーとなって、ソロアルバムでもインド・スピリチュアル色を濃厚にする。
ちなみに、この頃のシャンカル氏を「ジョージを利用して」と揶揄する人は世界の評論家に少なくなかったが、ジョージの「インド風音楽」に対しても、「スピリチュアルな信仰」に関しても、むしろ「もっと導いてやれば良かっただろうに」と思えるほど放任しているのが事実である。

イティハーサ
ヒンドゥー二大叙事詩「マハーバーラタ(BC4c)」と「ラーマーヤーナー(BC3c)」の総称。字義的には「歴史書」の意味だが、神話的要素と、史実が混在している。成立年代も実のところ不詳で、それぞれ数百年の幅がある。従って、これらを「歴史書」とすることの価値のみならず、そもそもそのようなくくりは後世であることは紛れもない。しかし、軍楽に登場する様々な古代楽器の呼称は、音楽史・楽器学史に於いては極めて貴重な情報である。

イーシュヴァラ
インド六大哲学・学派のひとつ「ヨーガ学派」に於ける「自在神」。仏教では、「大自在天」と意訳され「天部」に属する。後に、仏教の一派でシヴァ神と同一視されるが、本来は全く別系統の神。
「偉大な(マハー)」の語を冠して「マハー・イーシュヴァル→マヘーシュヴァル」とも呼ばれる。
そもそもは、ブラフマン教主流派とも対立する「唯一神信仰」に於ける「神の意味」または「神の総称」であり、「総称」の場合も、「神々=唯一神の異なる相」という観念に基づいている(もしくは近い)。
イーシュヴァルは、ある派では、ブラフマン神と同一であり、同様な派系では「宇宙」と同義でもある。また、インドで密教化し、一部チベットに逃れ、更に中国で原型が築かれた密教(全ての系譜が同一という意味ではない)に於ける「大日如来」の存在とも一致する部分が多い。
これらの混沌は、いずれの宗派でも、「独自の最高神」を主張し、それこそが「宇宙原理」と説く結果、他派のそれを隷属したり同一視したりすることが繰り返された結果とも言える。その意味に於いては、アブラハム系宗教に「多神教」とされて来た、ブラフマン教、仏教、ヒンドゥー教の多くの要素は、「むしろ唯一神・単一神信仰に近い」とも言える。その代わり宗派が極めて多く多様で、それぞれの対立した教義を総合すると多神教のように見える、と言うことも出来る。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

今回は、アーユルヴェーダ関連の「イ(I)の語彙」があまりに少ないため、アーユルヴェーダのテーマから逸脱した部分も多いことをお許しいただきたいと思います。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。

https://youtu.be/wWmYiPbgCzg

4月~6月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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173、アーユルヴェーダ音楽療法入門35(Kaphaと精神構造)

「Khapa・Pitta・Vata」の「三っつの生命要素:Tri-Dosha」は、何故か、その語源に既に毒や弊害などの語彙と関連するものがあります。Tri-Doshaは、万物の五元素と深くかかわりながら、生命維持に欠かせない働きを担うにも拘わらず、三っつのバランスの崩壊によって「不健康(不自然・本来と異なる状態)=万病の根本原因」という解釈があるとともに、「局所・表層的な病状・症状(及び精神・心の不健康性=偏った性格や思考)」の原因は、Tri-Doshaの何かが特出・亢進した結果と解釈されます。だからといって、負の性格だけがその名称の語源になるということ自体が、ある意味「偏った・アンバランス」であると言わざるを得ません。

これは、或る意味「ヴァーダ医療科学」のひとつの偏りの結果である訳です。古代中国医療が、古代後期から中世に掛けて「万病はいずれも外部の邪気の侵入の所為である」という解釈に偏ったことと同様に、「ヴェーダ医療科学」もまた、古代から中世(ブラフマン・ヴェーダ科学がヒンドゥーに受け継がれたと共に、或る部分変形させられた時代)に、「万病はデフォルト機能のバランス崩壊の所為である」に偏ったからと考えられます。しかし「Dosha」という語彙が古代に存在する限り、この偏りは古代に既にあったことになります。もしかしたら古代には異なる名称だったのかも知れません。一般にヴェーダ文献は、紀元前数千年前と誇張されますが、副読本の多くはかなり後世に書かれたものですし、加筆や書き換えの有無は、計り知りようがないのです。

いずれにしても、揺らぎない事実。及びより真のヴァーダ科学としては「善にも悪にもなる」という性質であることは明らかです。よって、近年の「悪玉扱い」に偏るデトックス・ブームや、体質論に於ける言わば性悪説的な考え方は「デフォルト(善悪がほぼ均等に揃っていて当たり前)」の感覚を鈍らせるという弊害があります。しかし、これを説く人は日本でも亜大陸でもアーユルヴェーダ関係者の中にはほとんど居ません。
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上記しました問題も大きな問題ですが。それ以上に大きな問題であり、にも拘わらず、より深刻に「説く人が居ない」のが、全ての「体の機能=生理機能=生命活動」は、「心と思考の有様に深く強くリンクしている(筈だ)」というテーマです。

単純に言えば、
「気質(思考力・思考性)のTri-Dosha」をおざなり(無視・論外)にして、「体質のTri-Dosha」を語ったり、食物や生薬(医食同源ならば同じことですが)に神経質になったり、デトックスにやっきになって、「どうするつもり?」ということです。

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このことは、西洋医学でも説いている筈です。
この数年で、「ギャンブル依存症」が大きく問題になっていますが、そこで専門家が説く「ホルモン・バランスの異常」もまた偏った解釈と、思考力・思考性を論外にした大きな問題点と弊害があります。

「自律神経」のテーマもまた同様です。
「アパスィーや鬱」を説く専門家は、ホルモン・自律神経のバランス異常を説きますが、「依存症」と同様に、その解釈も論理も大きな偏りがあります。

その結果、いずれも「ストレスが犯人(悪者)」として「ストレス解消」「癒し」などの幼稚で短絡的な結論に至って省みないのです。

例えば、乳児を育てる母親では「愛情ホルモン」が語られ、逆に「ギャンブル依存症」で語られる「戦闘ホルモン」などは、母親には不要のような説明がなされます。しかし、アドレナリン等は、「危機察知能力(危機管理能力)」には不可欠なホルモンですから、元来「母親が我が子を守る」という本能的仕組みの中には、「愛情ホルモン」と同等・同量に欠くことが出来ないものである筈です。

しかし現代人は、それらの「バランス」と「使い分け」が出来なくなっている。我が子の様相に心底腹を立てて虐待と躾の区別が付かないことが原因の事件も後を絶ちません。

逆に、アドレナリン等が不足し、愛情ホルモンばかりでしたら、「観察力・注意力・洞察力」が鈍る。モチベイションも下がることでしょう。「イライラ」しない代わりに「やる気が起こらない」「だるい」などの方向に進み、「我が子がイメージ通りの結果を見せない」と一層落胆し、悪循環が始まり、結局はネグレクトな虐待に至りかねません。ここ数ヶ月の事例の多くに、母親がこのパターンで、父親が前述のパターンが見られます。双方がギャンブル(パチンコ)依存だった例もあります。

「そうはならない」という圧倒的多数の人々もまた。何らかに依存している場合は少なくない。基本的に人間は「依存願望」が強烈な生き物です。加えて、古今東西でこのテーマを説く人が少なく、当然教育にも反映されていません。結局は「理性」や「道徳観」のようなもので抑え、堪えているばかりですから、誰もが何時、その「精神力の堤防」を決壊させかねない状況です。

…………………………………………………………………………………………………………………….以前にもご紹介した「Tri-Doshaと精神構造図」を、今回は「Pitta」に特筆してご紹介しました。

図の左半球は、「右脳=感情領域」。右半球は「左脳=論理領域」です。無論「右脳左脳論」には、異論・反論も多く出されています。(しかしそれらの反論者は、「脳卒中の片麻痺」の事実を論外にして語ろうとはしません。)

図の上半球は、それらの「脳機能」が正常に働いている時の「Pitta由来/Pitta関連」の仕組み・働きを示しており、下半球は、それらが「不充分→不調→異常」に働いた場合を区分しています。

西洋医学では、これらはホルモン分泌や自律神経のバランスで説明されています。

つまり、例えば「アドレナリン」が、正常なコントロール下では、「危機察知能力=観察力・洞察力・注意力」と「戦闘意欲」や「興奮(好的・善的にはモチベイションや活力)」をうまく使い分けているべきですが、現代人の多くが、単純に「高まる・亢進する」と、単純に「興奮する、ノリノリ!」であったり「イラつき」「毒々しい・刺々しい」ばかりとなり、「不眠症」や、「虐待」「ネットでの毒吐き」など、およそロクなことがありません。逆に「衰退」していれば、当然「無気力・無感動・無神経・不注意」となる訳です。

従って、
「全ては思考力・論理力によって、デフォルト機能を正常に働かせコントロールする力が不可欠」である筈なのです。が、これは西洋医学でもほとんど語られていませんし、残念ながら東洋医学でも「全身医療」の信望者も語ろうとしません。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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福岡市南区の対面Lessonと、全国のSkypeによるLessonの無料体験
毎月、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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論理力育成Mail-Lesson
心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。

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お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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