130、インド音楽の楽しみ方(3)北インド古典音楽の叙事的な展開

図は、前回ご説明したAlapのイメージです。横の直線が、基音Sadaj(サ/ドレミのド)で、ラーガの山並み(Swalup)にとっての地平線のような性格です。まず、それぞれのラーガ(旋法)は、「Sa/サをどう取るか?」によって始ります。
次にじっくりと時間を掛けて中音域前半(Purab-Ang)に在ることが多い「主音(Vadi)」を提示します。続いてSa(基音)と対峙する関係にあるPa(属音)とその周辺の音関係を提示し、一旦音域は下がります。そして、再び展開は上昇し、高音域に一気に向かいます。この時「Sam-Vad(副主音)」も関連付けられます。

再び一旦下がってSaに戻った後は、更に一気に最高域に至って、じっくりと下降しSaに戻って完結します。

これらの山並みは、殆どのラーガに共通ですが、展開する音域はラーガによって異なります。また、細かな山並みは勿論ラーガによって異なります。

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これらは、最短で15分、最長で90分程度で演唱/演奏しますが、それぞれの展開「Varna」を、良く言ってじっくりと、悪く言えば回りくどく展開することで時間は如何様にも伸び縮みするのです。しかし、図のような形(Swarup)はそうそう変わりません。長い場合は、「こまかな山並み」が増えるだけで、大きな山並みまで変わってしまうのは、「迷いの多い下手くそなアーラープ」もしくは、「分かっていないアーラープ」ということになります。けっこうプロでも少なくありません。

このような図の「細かな山並み」は、そのラーガを理解していなければ、書けませんし読めません。逆に言えば、理解している者にとっては楽譜のようでもあり、楽譜以上に全体像と為すべき流れを理解出来る、正に「ヤントラ」なのです。
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次の図は、各様式に於けるアーラープの構成です。
ドゥルパドでは、自由リズム(ビート感が無い)においてラーガの山並み(前図のアーラープの山並みとは別義)を提示した後、中途のテンポの2拍子で「ノントン」と呼ばれる第二部・展開部に進みます。「ノントン」は、意味の無いシラブル「ノン、トン、レー、リー、ノー、ノーム」などを発声することからの呼称です。ここで複雑なリズム展開や、細かな音の展開を見せ、ラーガの奥行きを聴かせます。

カヤールでは、初期のスタイルは、ドゥルパドとの差別化を計ることで特徴を強調しましたが、カヤールが定着して50年100年の後には、改めてドゥルパドの技法や構成を取材し、ドゥルパドに近い形に変化しました。その結果、「アー」で歌われる第一部の後は、ドゥルパドの「ノントン」に似たシラブルによる複雑な技法を聴かせる部分に進みます。流派によって異なりますが、ドゥルパドの「ノー、レー、リー」などの他、13世紀に興ったといわれる神秘主義歌唱法「カッワーリ」のシラブルなども転用しています。

器楽「ガット」では、自由リズムの第一部の後、中庸の2拍子の「ジョール」が第二部に置かれ、その後弦楽器はリズム弦を多用して速い4拍子の第三部「ジョール」を展開します。声楽には「ジョール」はありませんが、第二部がグラデーションで速くなることは少なくありません。このガットの三部作は、ドゥルパド器楽からの転用です。ドゥルパド歌手がヴィーナで演奏したものですが、同じ音楽家がドゥルパドを歌う時には「ジョール、ジャーラー」の区別は曖昧になります。

声楽の伴奏楽器だった弓奏楽器サーランギーの独奏や、近代になって古典音楽楽器となった竹の横笛バンスリなどのロングトーンの楽器の場合、ガットとカヤールの双方および混合のスタイルを演奏するため、しばしば「ジャーラー」のようなことを、(リズム弦が無いにも拘らず)Saの音を細かく旋律に織り交ぜて聴かせたりします。

南インド古典音楽では、「アー」で歌う第一部の後の第二部では、本曲で聴かせる歌詞の主題の言葉を用いた即興「Niraval」が歌われます。これは北インドの叙情歌の真骨頂でもあり、北インドのカヤールでも重要な技法であることから、南北インドが分裂する前の様式と説く研究者が少なくありませんが、これは中世に北インドの模倣をしたものと考えられます。同様に前述のスーフィー神秘主義歌唱「カッワーリ」から派生した「スキャット唱法:Tarana」も南インドでも流行し、今日も「Thillana」の名で重用されています。
南インド古典音楽の第二部では、この他、「Tanam/Thanam」と呼ばれるリズム・ヴァリエーションに重きを置いた様式が展開することも少なくありません。これは北インド古典音楽の器楽アーラープの第二部「ジョール」と極似しますが、リズム展開に固執する点が特徴で、南インドでは声楽でもこれを行います。南インドの第三部は近代殆ど割愛されています。しかし、三部構成であったことから、ドゥルパド器楽と同じ基礎(古代音楽/科学音楽)に根差していることが確認出来ます。
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これらについて極めて重要なテーマがふたつあります。ひとつは、アーラープの構成が二部、三部となった場合、各部それぞれで「ヤントラ」と称した図の山並みを表現するのです。つまり第一部では「自由リズムでヤントラのスワループを具現」、第二部では「中庸の2拍子でヤントラのスワループを具現」、第三部では「速い4拍子でヤントラのスワループを具現」ということです。
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更に、ドゥルパド、カヤール、ガットの本曲の前半でもこの「ヤントラのスワループの具現」を展開するのです。チョーター・カヤール、レザ・カーニー・ガットでは、早々に切り上げて、短い技巧的な即興の展開に移行しますが、バラ・カヤール、マスィート・カーニー・ガットではそれが本懐なので、ゆっくり充分に時間を掛けて、優に一時間以上演奏します。
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この部分は、「Vistar(説明/物語)」と呼ばれます。正に神格化されたラーガそのものの「神格」を物語るのです。

以前にも述べましたが、これはTV番組の「ゲスト・コーナー」のようなものです。

有名なところでは、長寿番組「徹子の部屋」や、一頃人気だった「さんまのまんま」がありますが、黒柳さんや明石屋さんまさんは、ラーガ演奏者としては自分を出し過ぎ、語り過ぎ、ご自身の感覚、価値観や持論に我田引水し過ぎで、はっきり言って失格です。

とは言え、一昔前のNHKアナウンサーのような司会者では、ゲストの人格もストーリーも無味乾燥に感じられるのもまた事実です。アーユルヴェーダ療法音楽としては、むしろそれが正しいのですが、宮廷芸術音楽~今日の古典音楽としては、無味乾燥という訳にはいきません。

(音楽療法に於ける場合は、表層的な感情・感覚・興味関心にとって「無味乾燥」であっても、「体の細胞・臓器・チャクラ・ナーディー・心・魂にとっては、むしろ「濃味湿潤」なのです。むしろ表層的にはピンと来ない類いに本物があり得ます)

その結果、現地インドでも1990年代から、黒柳さん、明石屋さんのような演奏家が大衆迎合して地位を築きました。しかし、それは、全てのラーガの「ラーガのヤントラ」が、黒柳風、明石屋風にデフォルメされたり割愛、消去されているもので、用いる音階が似ていると似たように聴こえるというほど幼稚な過ちさえ散見します。

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129、インド音楽の楽しみ方(2)北インド古典音楽の前奏(前唱)曲

スピリチュアル・インド雑貨のお店シターラーマさんのご支援で、古代インド科学音楽とその音楽療法、およびアーユルヴェーダ音楽療法についてご紹介している連載コラムです。Vol.128からしばらく、Vol.126でご説明しました、古代科学音楽を覆い尽くすように発展・流行したガンダールヴァ音楽の末裔である、今日聴くことが出来るインド古典音楽について述べたいと思います。
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北インド古典音楽と南インド古典音楽双方で、現行する様式の中で最も古く、本来最も重要な様式であったのが「Alap(アーラープ)」です。

ところが、中世後半以降、南北を問わず、「前唱・前奏曲」となってしまいました。

しかし今日でも、選ばれた或るラーガをアーラープだけの演奏で終わらせ、次の曲は異なるラーガであることは可能です。インド古典音楽は、「一曲一旋法」です。
「次(本曲)が続かない前唱・前奏曲」は、あり得ないおかしな話しです。即ちこれは、「アーラープ」が独立した様式であることを示しています。

また、本曲がバラ・カヤール(遅いテンポの重厚な声楽)、チョーター・カヤール(早いテンポの軽快な声楽)、マスィート・カーニ・ガット(遅いテンポの重厚な器楽)、レザ・カーニ・ガット(速いテンポの軽快な器楽)の何であれ、「アーラープ」の内容は変わりません。

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そして、本来は、アーラープこそが「ラーガ音楽」の真骨頂であり、太鼓奏者には失礼ながら(私も太鼓奏者でもありますが)、太鼓(ドゥルパドではパカワージ/ムリダング、南インドではムリダンガム、北インド中世以降の様式ではタブラ・バヤン)を伴う「本曲」は、実は「デザート」のようなもので、アーラープの水準と充実からすれば「同じ話し(ラーガ物語)を太鼓を入れて分かり易く、楽しみ易く」した感じと言うことも出来ます。

更に「アーラープ」は、三部に別れますが、第二部には「二拍子」、第三部には「速い四拍子」の「Laya(ラヤ)/拍節感(ビート感)」がありますが、リズムサイクルとは考えられていないので、ターラではないのです。

そのため、太鼓奏者は、主旋律演奏家(および声楽家)と共にステージに上がりながら、「アーラープ」の最中は隣に座って待っていなければなりません(何時間であろうとも)。当然のことながら、本曲で七拍子であろうと十二拍子であろうと、「アーラープ」のビート感の二拍子、四拍子は変わりません。

このことからも「アーラープは、ラーガ音楽の真骨頂・真髄である」ことが明白ですが、極論すれば、「ラーガ音楽の真骨頂」からすれば、ターラさえも「お楽しみ(簡単で分かり易いデザート感覚)」でしかない、ということです。

写真は、1991年のWOMAD横浜で、招聘された北インド古典音楽弦楽器サロード奏者のタブラ伴奏を務めた私が。アーラープの最中なので、何もせずただ隣に居る様子です。
実は、第一部の後の休憩の楽屋で、彼はものすごく落ち込んでいました。「今の演奏、そんなに悪かったか?」と。彼は日本が初めてで、リアクションの無い聴衆も初体験だったのです。なので、写真の第二部は、私が横から「いいね!」「凄いね!」の掛け声(ヒンディーで)を必死で掛けることになりました。
案の定、主催者には、「あいつのリアクションが邪魔だった」の苦情が二三寄せられたそうです。
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「アーラープ」は、歴とした、むしろ最も崇高な音楽様式であるにも拘わらず、中世以降、カヤールやガットといった「新音楽」が流行し、「アーラープ」は次第に前唱・前奏曲の存在感に追いやられて行きました。

そもそも本曲のスタイルが何であれ、「アーラープ」の構造は同じ、ということは、ドゥルパドとも南インドとも同じということです。

逆に言えば、カヤールやガット、南インドの様々な様式は、「アーラープ」の後に来るものですから、「アーラープ至上主義」とは相反する対峙関係にあるとも言えます。

そのため、カヤールやガットなどを擬人化すれば、横で座って待って居る太鼓奏者と同じ心情「おいおい早く切り上げてくれないかなぁ」ということなのです。

そして、カヤール、ガット、太鼓奏者は、出番となれば堰を切ったように派手に見せようとする。本来これは破廉恥なことですが、時代とともにアカラ様になって行きました。

「アーラープ至上主義」から見たそれは、「破廉恥」であるとともに「大衆煽動」です。そして、「アーラープの深み」を理解出来ない(不勉強であるばかりか、心や魂で聴くことが出来ず、表層的な感情でしか聴くことが出来ないタイプ)聴衆は、本曲ばかりを楽しみ、喝采し、「アーラープ」を「正直退屈」と感じていれば、そのタイプの比率が時代と共に増え、音楽家の方も、「アーラープ」を短めにして、本曲を長くする、という「大衆迎合」に進んでしまうのです。

グラフのような図は、
次回以降、より詳しくご説明しますが、
アーラープの全容をイメージ化したものです。
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私は、50年近くインド音楽をステージで演奏して来ましたので、タブラ奏者であったことも数百回あり、インドの第一線の演奏家の伴奏で伴奏弦楽器タンプーラを担当したりも少なくありませんので、インド音楽独特の「α波を引き出す力」は痛感しておりますし、「あわや失態手前」の思い出も多々あります。

タンプーラは、三本の指で順に弦を弾きますが、だんだんと「今どの指で弾いているのだ?」が分からなくなって来ます。一瞬寝落ちて「あっ!今音止まらなかったか?」とひやっとすることも。後で録画を見てみると気付かないほどの一瞬なのですが、その時は数分寝たか?と思いました。これらの体験も後のアーユルヴェーダ音楽療法を本格的に学ぶきっかけだったかも知れません。

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逆に、哀しい経験もあります。20年近く前のことです。当時、吉祥寺にあった私の店で、年に数回「オールナイト・インド音楽ライブ」をやっていました。十年近く通っていたお弟子数名が入れ替わりでタブラを担当したのですが、ある一人が私のアーラープの最中に寝てしまったのでしょう。本曲に入ってもタブラを叩かないのです。誰かがつついて起こしたのか? しかし、既に主題は十数回演奏され、彼は「もう駄目だ」と勝手に決めたようで、叩こうとしません。なので、私はタブラ無しで即興も含む本曲を短めの30分ほど弾いてステージを降りました。
その後、「恥をかかされた」と同門の弟子に言い残し彼はそれっきり二度と来なくなりました。「俺は寝ていなかった!分かりにくい主題がおかしいから入らなかったのだ」などと言ったとも聞きましたが。十年の付き合いもそんなことで無しになってしまうのが哀しいと思いました。

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インド現地では、そのような話しは聞いたことがありませんが。逆に両雄合い譲らない話しは多々聞きました。
ある古典音楽マニアのベンガル人の友人が、コルカタ(当時はカルカッタ)のコンサート会場で隠し録りをしたライブ録音をくれたのですが。なかなか面白いものでした。

ラヴィ・シャンカル氏の高弟のシタール奏者と、タブラ奏者の名前は失念しましたが、(カセットのラベルにはあると思う)後で聞けば両雄は様々な理由で以前から犬猿の仲だったらしく、シタール奏者は、タブラ奏者を横に置き、一時間以上もアーラープをやってのけたのです。しかも、本曲でやるべき「大衆煽動・大衆迎合のギミック」までアーラープでやってしまう。つまり本曲もタブラも要らない状態にしてまでです。

そうしてやっと本曲の主題に入ったら、なんとタブラ奏者が仕返しを始めたのです。

本曲中はシタール奏者が目配せをしない限り、ソロは回って来ません。別なペアの話しですが。日本公演の途中でモメ、その後のコンサートと日本のレコード会社での録音で、シタール奏者が何度目配せをしても、決して一切ソロを取らなかった例もあります。(今でもレコードで聴けます)

本曲の冒頭、タブラが初めて参加する際には、誰もがある程度の長さ、本曲中のソロよりもやや長いソロを取ってから伴奏を始めるのが19世紀からの習わしです。
カルカッタのコンサートでタブラ奏者は、そこで「終わると見せかけて終わらない」を繰り返し、何と十数分もソロを取ったのです。友人も会場で「とんでもない事態だ」と何時もとは異なる次元で固唾を飲んで見入り聴き入っていたと言います。

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128、インド音楽の楽しみ方(1)インド古典音楽の全容

スピリチュアル・インド雑貨のお店(web-Shop)シーターラーマさんのご支援で、古代インド科学音楽とその音楽療法、およびアーユルヴェーダ音楽療法についてご紹介している連載コラムです。
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Vol.128の今回からしばらく、Vol.126でご説明しました、古代科学音楽を覆い尽くすように発展・流行したガンダールヴァ音楽の末裔である、今日聴くことが出来るインド古典音楽について述べたいと思います。

それによって、より多くの方が、今迄以上にインド古典音楽に対する興味関心と理解が高まって下されば、その奥の世界に対する向学心も宿って下さるのではないかと願っているところです。
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まず、インド古典音楽は、北インド古典音楽と南インド古典音楽に大別出来ます。南インド古典音楽は、19世紀以降、作品の再現に重きを置くようになりました。その理由はこの連載で既に述べております。その為、インド古典音楽に於ける三大重要要素である「ラーガ(旋法)/ターラ(拍節法)/即興演奏法」は、「作品の再現と、歌詞」の次に位置づけられております。よって、三大要素をより詳しく述べ、ご理解頂くには北インド古典音楽を軸にお話した方が良いということになります。
また、今回シリーズでご紹介します北インド古典音楽の構造や展開の方法は、南インド古典音楽と別れて発展する以前に確立したものが少なくないので、南北を問わず、古代インド古典音楽からの継承の部分も含め、北インド古典音楽を例に挙げた方が、最も基本的な部分ご説明出来ると考えられます。

その上で、どこが北インド古典音楽の独特なもので、何が南インド古典音楽と別れる以前の基本に根差しているかは、その都度明記して行きたいと思います。
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まず、北インド古典音楽は、「声楽」と「器楽」に分類されます。そして、双方とも、ターラ(拍節法)を伴わないラーガ紹介のような前唱・前奏曲と、ターラを伴う本曲の二部構成になっています。これは南インド古典音楽も同様です。

そして北インド古典音楽では、成立時代が異なる幾つかの様式があります。現行の最古の様式は「Dhrupad(ドゥルパド様式)」と呼ばれ、声楽を基本にし、声楽家が歌の合間に(喉休めの意味もあるのか?)器楽を演奏しました。

他の国々の感覚では「楽器の弾き語りをすれば良いじゃないか」と思うでしょうが、ここがインド古典音楽のある種の真骨頂です。それは「声楽も人間の声を用いた器楽である」そして「人間の声は最も崇高な楽器である」という概念があるからです。この基本概念については、連載の冒頭で述べておりますが、「真言オームを発する」のも「マントラを唱える」のも「人間の喉・声」ですから、その辺りの意味合いもあろうかと思われます。

「歌詞が有る(声楽)のと無い(器楽)のでは大きな違いじゃないか!」とお考えになるかも知れませんが、ひとつには「声楽に於いても歌詞の重要性は二の次(これが近代南インド古典音楽が特異な発展(逆行)をした、という根拠です)」であること。逆に、「器楽に於いても、歌詞に替わる、まるで言葉のような説得力が求められる」というダブルな意味合いがあります。

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以前にも述べましたが、古代インド古典音楽では、声楽であろうと器楽であろうと、最優先される最重要課題は、「ラーガの具現」です。それはラーガの精霊を降臨させるという意味でもあります。従って演奏者は、青森・恐山のイタコのような霊媒師のような存在でもあるのです。インドで「ラーガ音楽家」と言う概念はそういった意味合いです。「あいつは手先が器用なシタール奏者だが、ラーガ音楽家とは言えないね」などという文句もあります。
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奇しくも、同じ意味合いがおそらく日本人にとってはインド音楽と真逆のイメージのキューバ音楽にもあります。「Musico」は、スペイン語の辞書を引けば単に「音楽家」ですが、キューバでは滅多にそう呼んで貰えません。

また以前もお話しましたが、長崎佐世保ハウステンボスでのサルサ・イベントにゲスト演奏者(勿論キューバ音楽演奏)で呼んで頂いた際、キューバ人の審査員が来ていました。真剣に見入って審査などしていなくて、クーバリブレなどを飲みながら隣の女の子を口説いておりました。ところが審査発表となった時に、会場の誰もが納得する金賞チームの他に、彼が発表した「審査委員特別賞」には満場がざわつきました。彼はマイクを片手にこう言いました。「みなさんが驚かれるのは分かります。確かに彼らのパフォーマンスにはまだまだ足りないものがあります。しかし、彼らのダンスは、上から見た時に一番美しかったのです」と。

なんと、キューバ人は、「自分が楽しむ・他人に褒められる見事な踊り」ではなく、第一に「天上の神様に見てもらう」感覚なのだそうです。

彼は単なる酒好き女の子好きではなかったのでした。
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パフォーミング・アーツには、非凡な才能と並んで非凡な自意識が求められますが、「他人にどう見られるか?思われるか?」以上に「神々に見て貰っている」という感覚が、全く古代インドと同じなのです。

これはあながち偶然でもなく。インド・ブラフマン教~ヒンドゥー教と並んでアニミズムの要素が濃厚な西アフリカ・ナイジェリアが故郷の黒人が多くのキューバ人の先祖です。
他方、宗教上、表面では「歌舞音曲好ましからず」の不文律を守っているようで、中世、特に北アフリカ~イスラム王朝スペインでは、かなり神秘主義音楽だったアラブ古典音楽の感覚が、アラブ人を追い出した後のスペイン人にも根強く残っていた可能性があります。

そのようなスペインと西アフリカの融合がキューバであるとすれば、古代インド古典音楽と深いところで似て来るのも当然かも知れません。

インド古典音楽の場合、「神々に聴かせる」以上に、そもそもラーガ(旋法)自体が、「精霊」であり、ある種の神格化された存在であり、「ラーガ(神)を招く」という大それたことをしようというのですから、聴衆のウケや、言語として通じる歌詞を介在した理解や楽しみ、などが二の次になるのも当然なのでしょう。
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「Dhrupad(ドゥルパド様式)」の後に成立したのが、声楽様式では「Khayal(字義は:想像性)」で、器楽では「Gat(字義は:定められた)」です。

最早カヤール声楽家は、合間にシタールなどを弾かず、シタール奏者もステージで歌ったりはしませんでした(戦後はぼちぼちこの禁を破る人も現れましたが)。

これには、「Dhrupad」の時代から引き継がれた「格」の意識があって、声楽は圧倒的に器楽より格が高いのです。よって、カヤール歌手が、格下のシタールなどをステージで弾けばすべての格が下がりますし、シタール奏者がシタール演奏会でカヤールを歌えば、声楽家が黙っていなかったのです。

よって、カヤールとガットは、全く異なる家系・流派で継承されました。これは日本の歌舞伎伴奏音楽である長唄で「唄方」と「三味線方」が家・流派が異なるのと同じです。

より詳しく実状を言えば。元々シタールは花柳界と修行僧の楽器だったのですが、かつて特集してご紹介した16世紀の宮廷楽師長ターン・センの一族の中からシタールを弾く者が現れ、もちろん当時は「一族の恥だ!」的な疎外を受けましたが、二代目三代目の頃になると、それまでのシタールとは異なる高い水準の演奏に昇華し、次第に認められて行ったのです。しかし、既にシタールを手にした段階で、シタールを弾くステージではDhrupadを歌うことは禁じられ、混同することは決してありませんでした。
これも日本の伝統音楽の事情と良く似ています。例えば琵琶は、宮廷雅楽の楽器(雅楽琵琶/楽琵琶)でしたが、別系統の盲僧琵琶もありました。雅楽琵琶で、貴族たちが「今様(当時のポップス)」なども弾くようになって来た頃、藤原の某や源の某といった貴族(豪族)階級の者が琵琶法師に学んで新たなスタイルを創始したのですが、やはり当初は「一族の恥」とされたものです。それらが、有名な平家琵琶の水準を上げ、後々には筑前琵琶や薩摩琵琶の源流ともなるのです。

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カヤールとガットは、音楽構造上は大変良く似ています。それは、基本に「Dhrupad」があるからに他なりません。しかしガットの場合、18世紀後半や19世紀に創始されたスタイルが大変流行し、その他を淘汰してしまった結果、今日聴ける北インド古典器楽は、「Dhrupad」の組み立て方とは大分異なっています。

ひとつめの図は、ドゥルパドの声楽・器楽を基盤にした、カヤール声楽とガット器楽の位置づけを現しています。

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ふたつめの「インド古典音楽の樹」の図について解説致します。

基本(土壌)にヴェーダがあることはもちろんですが、すでに説きました12~22の微分音(Shurti)を得、7つの楽音(Swar)を得る「科学」は、タントラの叡智に多くを委ねています。

太枝に分離する際のガンダールヴァ音楽やデースィ音楽の解釈や範疇は、その時代毎に、音楽界で権力を握っていた勢力が、自身に都合の良い解釈をしています。
また、枝葉に在るバジャンやキールターンなどの宗教音楽はそもそも全く異なる系譜であり、単純にデースィ音楽の範疇とは言えません。しかし、いずれもラーガ(旋法)とターラ(拍節法)を用い基づいている以上、科学音楽の幹から滋養を得てない筈はないという解釈が成り立ちます。

また、北インド古典音楽には、西アジア古典音楽や神秘主義音楽も多く加わるとともに、各地の民謡にも多く取材しています。図には現しませんでしたが、それらは「接ぎ木」のようであり、「鳥(外来の)が飛来した」であり、「蛇や登って来た」ような感じです。

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127,クリシュナ神のラーガ(2) Raga:Hindol

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男子としての成長と共に変遷するクリシュナ信仰
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既に述べましたが、ブラフマン・ヒンドゥー僧侶にとってのクリシュナは、もっぱら『バガワト・ギータ』に於ける、叡智に満ちた崇高な師匠であり導師であったのですが、Vol.123~125でご紹介したBhajanの項で述べましたように、中世の数百年に隆盛した「民衆献身運動:Bhakti」を通じて、一気にインドの民衆にとって、最も親しみ深い神の一柱になりました。

民衆の日常生活に於けるクリシュナは、以下のような物語の時代毎で信仰が若干異なるようです。

プロローグ:
1、悪王(カンサ)に日々苦しめられるが、一向に助けてくれないブラフマンの古い神々に辟易としている民衆がヴィシュヌに訴える場面。

2、カンサの身内:デーヴァキーと夫:ヴァスデーヴァの間の「人間の子」としてヴィシュヌが降臨することとなり、カンサは、生まれて来る子を次々に殺した。(カンサと夫婦は身内ではない話しや、「その村の新生児全て」という話しも。)

3、夫婦は、七番目の子「バララーマ」と、八番目の子「クリシュナ」を牛飼い:ナンダと妻:アショーダに生まれた子とすり替える。嵐の深夜、揺り籠を頭上に掲げて荒れ狂うヤムナー河を渡るヴァスデーヴァの絵が描かれています。勿論そこには竜王が見守っています。

Krishna-Bhajanで頻繁に登場する「Nandakishor(ナンダの息子)」は、このプロローグに因み、「神格化」とまでは行かないかも知れませんが、ナンダや養母:ヤショーダのポスターも売られています。

幼児時代
幼児のクリシュナがヤショーダに抱かれている姿や、ギーを盗み食いする様子、その所為で石柱に括り付けられた姿などがポスターに描かれています。「Makkanchor」は、盗み食いの所為で付けられた徒名です。「ギーの盗み食い」ではなく、「ミルクの壷を割った」とも語られ、また石柱ではなく、「大きな石臼」の話しもあります。石臼では、それを引きずって大木を倒したりの話しも。何しろ「重さ(力)が宇宙と等しい」ので、超怪力な訳です。
マッカンチョールは、青年期から母親時代のインド女性に人気で、母性本能がくすぐられるようです。前述のヤショーダ人気とは、微妙な心理差異があるようです。

古典声楽の或る曲には、この時代を想起させる「こら!早く起きなさい!何時迄寝ているんですか!」という有名なものがあります。

少年時代
牧童:Gopalとなって、乳搾りの娘:Gopiたちと遊んで暮らす日々が描かれています。特に、ホリー春祭りや、このコラムの今回のテーマである、「ブランコ遊び」では、数多くの物語やポスターのみならず、芸術絵画も描かれています。

青年時代
カンサ王に存在がバレてからの物語や、ブラフマン教の神「インドラ」に苦しめられる村人を「山を持ち上げ傘にして助ける:Giridhara-Nagar」なども、音楽の素材やBhajanに於ける伏せ名に多く登場します。

マハーバーラタで、主人公:アルジュナの親友となって登場し、『バガワト・ギータ』を語るのも、この青年期。

時期を同じくして、長閑にヴリンダーヴァンの森で、羊飼いとして過ごす物語も多く描かれています。尤も、殆ど仕事をしている様子はなく、もっぱら横笛「Bansi/Murali」を吹いてばかり。その笛の音は、何故か若い娘たちだけをじっとさせない魔力があるそうな。

少年時代からの延長の「Gopi-Krishna」の物語ですが、それと交差して、乳搾りの娘の成長した一人、人妻のRadhaとの物語「Radha-Krishna」も、とりわけVrindavanが近いアワド王朝で隆盛したラクナウ宮廷のカタック舞踊と、その伴奏音楽であり、花柳界の叙情詩である、「Lucknow-Thumri」や「Varanasi-Thumri」の素材に多く取り入れられています。

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クリシュナが愛したブランコ:Hindol
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Raga:Hindolは、神々の名前を持っている訳ではないので、このようなクリシュナ物語に全く関係の無いイスラム教徒の音楽家は、そう考えることも、そうと聞いても「へー」とも思わないかも知れませんが、「ヒンドール」は「ブランコ」であり、「ブランコ」と言えば「クリシュナ」な訳です。

図で表したように、Raga:Hindolは、「ドミファ#ラシ」の五音音階を用いるラーガですが、上行音列で、「シ」が「Vakra音」なので、「ラシド」とは行けず、「シ」にぶちあたったら、一歩引いて、「ラ」から、飛び越えて「ファラシ….ラドーー」と進行します。従って、「音階型:Jati」は、一般で言われるものを図に記した「Audava-Audava」ではなく、厳密には、「Vakra・Audava~Audava」ということになります。

ですが、前回の「ヒンドゥーの神々のラーガ:ラクシュミのRaga:Shri」で述べた「順Vakra」とは、また微妙に異なります。その説明が一層難解なのが、この「Raga:Hindolの上行音列に於ける『シ』の扱い」です。強いて言えばShriに登場した「半Vakra」ではなく、「準Vakra」で、「Pakad(個性が際立つ特殊フレイズ)」と「半Vakra」の中間的な存在と言えます。

このラーガが、「弾くと聴くとでは大きく異なる点」は、「ソ」を用いないことから生じる「伴奏基音の処理」の問題です。

インド音楽に欠かせない「基音持続」の為に、通常「ソとド(SaとPa)」を鳴らしますが、「ソが割愛」なのですから、他を考えねばなりません。数或るラーガの中で、そのような例は、二三割あり、その場合、同じく倍音系の「完全四度:ファ(Ma)」を鳴らします。しかし、このラーガや、「Marwa-That」の多くのように、「ファ#」の場合、実に奇妙な響きとなります。

「ファ#」とした以上、最早倍音ではないのですから、ファ#を鳴らす音楽的な意味は無いのですが、伴奏楽器も旋律楽器も、通常「四度~五度」の為の弦が張ってありますから、ミュートする訳にも行かないので、「聴いた感じの効果」を兼ねて「ファ#」に調弦する訳です。

しかし、すると、例えば「Raga:Marwa」の「ド、フラットのレ、ミ、ファ#、ラ、シ、ド」から「レを割愛した」ラーガと、このヒンドールは、「音階上」では同じになってしまうのです。

ヒンドールが割愛した「レ」は、カリヤーン・タートに属するが故の「レ・ナチュラル」なのです。幸にして、マルワー・タートの同じ音の五音音階は、北インドでは殆ど演奏されません。南インドでも希で、演奏される場合も、近代の南インドの場合、即興よりも作曲の再現が主ですから、そうそう問題にはならないようです。問題になる例は、この連載のVol.113「クリシュナのラーガ(1)」で、Raga:BhupaliとRaga:Deshkarについて述べました。

シタールはフレット上で弦を大きく引っ張り、三度四度は当たり前に音程を変えます。スライド奏法が主の弦楽器サロードはスライドで、このラーガの「音幅=音程が広い」
「ドとミ、ファとラ」で大きく揺れる装飾をふんだんに用い、その名「ブランコ」の面目を見事に表現することが出来ます。
特に、私が属するインド最古のシタール流派の場合、花柳界叙情詩起原の民謡調のコブシ「Murki」は殆ど用いず、Dhrupad-Angの大きく重たい装飾を重用しますので、師匠は敬虔なムスリムでしたが、このラーガはお得意でした。

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126,VedaからRagaへの道のり(3)Raga誕生前夜

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科学音楽の存在を記した明確な文献が無い理由
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 ここまでVol.119、Vol.120とVol.122で、古代インド・科学音楽の古代に於ける立場と、それを取り巻く或る意味「非科学音楽」の台頭、そして古代インド古典音楽に於ける最も重要な理論である筈の「旋法理論」の混乱、について述べて来ました。おそらく世界でもこれについて明確に語った例は無いと思われます。
 
 まず、その推移の中で最も重要なポイントは、実は「科学音楽(Shastriya-Sangit)」を担った人々は「専門の文献を残していない」という重大な問題にあります。

今迄、話題に登場したのは、
「A:Veda詠唱からSama-Vedaに至るVeda音楽を担うVeda祭官たち」
「A’:後世に『Vedaが古典音楽の原点であり、旋法もVedaから生まれた』と説いた者たち」
「B:ブラフマン教後期からヒンドゥー教の台頭後に至って継続されていた布教の為の神話音楽舞踊劇の担い手たち」
「B’その布教音楽舞踊劇の演奏者から生じた『古典音楽』の源流であるGandhara-Sangit」
「B”そのGandhara-SangitがVeda-Sangitに根ざしていると正当性を説いた者たち」
「C:後に、Gandhara-Sangitよりも更にPerformance-Artに傾斜したDesi-Sangitの音楽家」
そして、
これらの時代にずっと存在していたであろう「D:花柳界音楽家」と「D’:寺院巫女楽音楽家」と「D”:宮廷・寺院宴楽音楽家」の、四系統、総勢九種もの音楽関係者が存在しました。いずれも伝統古典音楽に関しての話しであり、勿論この他に各地の民謡や世俗音楽があります。

この中で、「A組」は、言う迄もなく「Veda経典関連」を多く持っています。しかし、インド文化ファンの多くが、「いずれも古代=由緒或る伝統的な文献」であるかのように、あまり気にしていないようなのですが、関連文献は、Veda本編よりもかなり後に創作されたものが少なくない、ということです。しからば、上記の「混乱」の最中に、恣意を込めて創作したものもあり得るということになります。

「B組」については、紀元前2世紀から紀元2世紀(最大幅ではBC6世紀~AD6世紀とも)までの、とんでもない幅がある有名な文献(現存する最古のインド音楽関連文献とも)『Natiya-Shastra』、これの「解釈書」とも「先行書」とも言われる、AD1世紀~4世紀と成立年代にやはりかなりの幅のある『Dattilam(Dattila)』、AD5世紀の『Brhadesi(Matanga)』、AD6世紀の『Naradiya–Shiksha』そして、音楽専門書としては最大かつ現時点で最古と言われる「Sangit-Ratnakar(Sharanga-Deva)』などがあります。

「Sangit-Ratnakar』に至っては、イスラム宮廷音楽が興隆した13世紀になってのものです。

しかしながら、「科学音楽(Shastriya-Sangit)」の音楽家と、「D組」の「花柳界音楽家」「寺院巫女楽音楽家」「宮廷・寺院宴楽音楽家」たちは、文献を持っていないのです。

「なら、何も分からないってことじゃないか!」とお考えになる人は、この連載コラムを長くご愛読下さっている方々の中には居ないと思いますが、世の中の研究者のほとんどは「文献至上主義」のあまりに、そのようなことを考え、しばしば平然とおっしゃるのです。

2017年の年末、厳しい保護猫看病の最中に書き上げましたが、まだ確実に出版されるかどうかの背戸際なのですが、日本の伝統邦楽の楽器について執筆しました本の中にも書きましたが、そもそも三味線も琵琶も、お筝、尺八も、皆残されている文献などの記述が、極めて怪しい、眉唾ものなのです。

実は、この「本当の音楽を追求している人々」と、花柳界や放浪芸人、宮廷や寺院の下級楽師など「声も筆も持たない人々」こそは、洋の東西を問わず「本当の音楽シーンを創り出している人々」なのです。

 逆に、文献を残し得た人々の多くは、宮廷や寺院子飼いの職業音楽家であるとともに、記述者もまた、子飼いの研究者なのです。勿論、中には極めて優秀な論理性と真実に対する探究心を持っていた人も居ますが極めて希です。

出版の運びとなりましたら、またご案内致しますが、前述の私の新著にも紹介しましたが「三味線沖縄~堺伝来説」には、「よくもまぁ」と言いたい滑稽な話しが多いのです。
しかし、何度も述べていますが。そのような「眉唾文献」「ねつ造文献」こそは、逆に真実を垣間見せてくれるのです。その様は、まるで「悪戯した子どもの隠し事や嘘」のような、しばしば可愛らしいとさえ思える幼稚な「作り話」が生みがちな「見落とし、考え落ち」に起因するものです。

 例えば「三味線沖縄伝来説」の場合、「或る琵琶法師が沖縄の蛇皮線を入手したが、二弦だったので弾き辛く、三本に替えてみたのが始まり」というのがありますが、琵琶法師にとっては二弦や四弦などの偶数の方が圧倒的に弾き易い筈なのです。

つまり「そのまま弾けた」のをわざわざ「三弦にした」というのは、既に、巷に三味線が存在していたことをあたかも近畿の琵琶法師が創作したとしたい理由があったことを教えてくれます。つまり、「二弦の蛇皮線など無かっただろう」で終わりにしては分からないこと。しかし、しっかりその文献の文言が証言していること「三味線は既存だった」「しかしそれを否定し独自に自分たちが創作したと言いたかった理由」を見事に教えてくれるのです。

また、西アジア、シルクロードや中国、日本では、宮廷文筆家が歴史書を表す場合、たいがい「百年前のこと」を如何にも見て来たように語ることが、奇妙に共通しています。百年と言えば、生き証人がほぼ居なくなったタイミングです。そして、筆を持たない人々が伝承して来た「真実」を如何にねじ曲げるか、に必死になるがあまり、後世、その文献を読む者が「誰も疑問に思わないだろうこと」を、妙に細かく記述していたりすれば、たいがい、その裏に答えがあるものです。まるで「押し入れに誰かか何かを隠した人」が何故が不自然に押し入れの前から動こうとしない、かのような、実に素直が様子なのです。

問題は、その中のいずれに「科学音楽(Shastriya-Sangit)」の音楽家が属していたのか?ということです。

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125,シーター&ラーマを歌った名曲:Ragpati Ragav (3)

Raghupati Rāghav Rājā-Rām, Patit Pāvan Sītā-Rām

Sītā-Rām, Jai Sītā-Rām, Bhaj Pyāre tu Sītā-Rām

Ishwar Allah tero naam Sab ko Sanmati de Bhagavān

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名曲Raghpatiの歌詞について
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Raghupati の「Raghu」は、インド古典音楽用語にも用いられる「迅速」が字義ですが、ここでは、「Ramaの祖父の名」及び「Raghu王家」であり、「Ramaのスマートさ」の意味合いなのでしょう。「Pat」や「Patita」の字義のひとつには、「所属」がありますが、「主」「継承者」と普通に理解しても良いのですが、ここは、もっと掘り下げると面白くなってきます。

神々への讃歌では、「置き換え」と「所属」の相反する二元論の感覚の理解が不可欠です。

ヒンドゥー讃歌、及びその根源であるヴェーダやウパニシャドに多く見られる、「○○は○○であり、○○であり、○○であり….」と延々と続き、しばしば、逆転や矛盾さえ包括し、理解せんとする者を「煙に巻くことが意図か?」と思うほどの途方も無い論法です。しかしこれこそが、ブラフマン・ヒンドゥー論理学の根幹であり、物事に存在する「全ての枝葉」を「全て=で結び」それによって、「枝葉感覚・執着感」をリセット(Nirakara)する目的(Prayojana)があるのです。ちなみに「枝葉を=で結ぶこと」は、「グローバリズム」とは似つつも全く逆の・_理です。従って「繋がり」と理解するのも過ちです。

洋の東西を問わず「諱」という現代人には分かりにくい習慣が宗教・民族を越えて存在します。しかし、たいがい「本名」の他に「タイトル」がある程度で、それはギリシア神話や北欧神話の神々にもあります。しかし、それを数十、百は愚か、数百~千までやってしまうのは、世界広しと言えどもインドだけのことでしょう。

従って、「Raghupati(ラグー王家の後継者)」も「Rāghav(理知的な者)」「Rājā-Rām」「Pāvan(浄水)」も皆、「Vishnu Sahasranama(ヴィシュヌの千の名)」だとしてしまうことは簡単です。「色々言い換えるのが好きなのだろう」と。
しかし、他のBhajanでも同じですが、「何処でどの名を用いるか?」を掘り下げると、限りなく深い世界があるのです。

「Pāvan」を上記では「浄水」としましたが、クリシュナに言わせると、「風でもある」「いや、むしろ風だ」というような、またしても禅問答(原点ですから当然?)のような感覚なのです。「水を浄化させるものは、風である」という考えから、「水と風が一体化(一元化)」したものであり、「Pancha–Dhatu(五大元素)」の「Apa」と「Vayu」の合体であり、これらは単独でも「Agni」を抑える効力を持っているものです。当然、ここには、ブラフマン教の神々、をヴィシュヌが抑える意味合いも含まれます。

「Bhaj Pyāre」は、「愛を分つ(分けてくれる)」と素直に理解することも大切です。その上で掘り下げると「Bhaj」には「分け与える」という極めて「父性・母性」の根源である意味合いの他に、そもそも「Bhakti(献身)」の語源が「Bhaj(分ける)+Kti(愛)
」である、という説もあります。そして「Bhakti運動」の主要な業は、「Bhajan」や「Kirtan」の詠唱や合唱(掛け合い)ですが、その「Bhajan」の語源も「Bhaj」です。
この「Bhaj」こそは、「枝葉の価値感(執着)」を戒め、「客観性や道徳、公共心」などといったものではなく、広い視野で「枝葉全体・樹木全体(森羅万象)」に五感を広げよ、という感覚を示唆しています。なので「神様が愛を分けて下さる」という利己的な感覚では、到底「Satya」どころか「Samaj(理解)」にさえ至らないことは言う迄もありません。

「Ishwar Allah tero naam」は、前述しましたが、ちなみに「Nam」が「Name」に似ていて同義なのは、「印欧語属の共通性」です。(言う迄もない?)
「 Sanmati de Bhagavān」も、「タイトル的な別名」でありつつ「高潔な心の豊かな神」と素直に理解することも大切です。勿論、字義や語源を辿れば、キリなく深まります。

ここで、極めて重要なテーマが、前述しました「果てしなく展開する=で結ばれた語彙」に加えて、サンスクリットが、日本の熟語に非常に近い感覚を持って居るということです。

単に、二語熟語の一方が他方を形容したり、装飾したりではなく、本来「異なる意味合いの言葉の融合・混合の語彙」が、古代インドから中国で漢訳(意訳)されて日本に伝わった。つまり日本人も平安時代にヴェーダの叡智を学んで居た、ということです。例えば「健康、神経、経脈、元気」などの体の言葉の他にも、「恋愛」「悲哀」「愛情」「転回」などもそれに当たります。
しかし現代人の多くが「悲哀」の「悲」ばかりで、「哀」の意味が分からない。「喜怒哀楽」の「喜」と「楽」さえも同化している。その日常感覚のままで、ヴェーダやヒンドゥーを理解しようというのは、かなり無茶な話し(本末転倒)でもあります。

この歌では、前述した「Bhaj(分ける)+Kti(愛)」がそれですが、文字通りに日本語にすると「割愛」です。今日では「割愛」と言っても「省く」意味合いでしか理解しない人が殆どではないでしょうか。

上記の「健康、神経、経脈、元気」の内、「神経」は「神の意志が通る道」という二字でひとつの意味、「元気」は「元(本来の)気」と前者が後者を装飾している別な構造の熟語ですが、「健康」「経脈」は、「複合語」です。「健康」「元気」は、幕末~維新期に日本人が考え出したもので、同様な当時の「新語」の中には、むしろ中国に逆輸出したものもあるようで、当時の日本人の向学心と叡智の冴え方には驚かされます。

ヴェーダの叡智を生んだインドでも、サンスクリットからヒンディーなどに変化するに至って、この「複合語と、それに見られる論理性(普遍性/置き換え概念)」は薄れて行く傾向にありました。また、おそらく近現代のインド人の多くも、日本人同様に、「ひとつの意味」として「意思伝達の道具」と考えていることでしょう。

「言葉」には、「その音が持つ力(言魂)」の他に、ヤントラ的な要素も含め、その「構造」に秘められた論理的な深い意味もある、ということを、より古いサンスクリットが教えてくれているのです。.
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名曲Raghpatiの音楽について
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面白いことに、インド版の「Q&Aサイト(教えてGooやYahoo質問箱のような)」で、「Raghpatiで使われているRagaって何ですか?」というのが、ちらほらありました。皆、興味を持つことは同じなのだな!と感心するとともに、インドでも答えは語られていないのか、と少し驚いた次第です。

しかし、何時の頃か、素人が浅学を述べることに全くの躊躇も衒いもなく、「~と思います」の類いを平然の書くようになりました。ハンドルネームだから「責任が無い」ことを良いことに。そうすると、プロの情報さえも、同質の感覚で扱われてしまう。「そうではない」なら、何の問題もないのですが、浅い情報を得て、浅い知識で満足している価値観では、プロの価値が理解されるとは思えませんし、実際そう思わざることが年々増える一方です。
尤も最近はプロらしいプロも少なくなり、世間の風潮に迎合して「へ~知りませんでした!」と喜ばれるような情報提供にやっきになっている人が大半を占めるようになってしまっています。
ヴェーダの教えによれば、極論すれば「情報」などは、「知識」では全くなく、ましてや「認識:Pramana」からはほど遠いものなのです。このコラムで述べていることも含めて、世間に流通している情報は、「氷山の一角」であり、見えない部分、そして奥行きにプロは膨大な時間を掛けて「収集」のみならず、「整理整頓」「分類」「検証」を行っていることは勿論。ヴェーダで最も重要とされた「類推(Anumana)」にどれだけの力があるか?が最も問われているのです。つまり「見えないものの姿を分かろうとする」「声無き声」「筆を持たない人々のこと」を分かろうとする「力」です。

しかし、その現地インドでさえも、その点を最も厳しく説いた学派「Nyaya学派」は最も早く、最も大きく衰退していますから、世界的規模で、非論理の方向に進んでいることもまた、間違いのないことなのでしょう。

インド版Q&Aサイトで、「RaghpatiのRagaは、Jayjaywantiだ」が幾つかあって愕然としました。質問者も「そうなんですね!ありがとう」で終わっている。尤も、分かっている人は、わざわざしゃしゃり出ないのかも知れませんが、近年「風評」や「フェイクニュース」が問題視されているならば、「非営利」は勿論、「非政治、宗教、思想」の組織による、「情報のWHO」のようなものが出来るべきでは?とも思います。
尤も、「食」に置き換えれば、受け手側が、「体に悪いなんて気にしない」「美味しければ良い」の状態では、組織が出来ても意味がないかも知れませんが。

Raga:Jayjaywantiは、確かに「雰囲気」は似ています。特に「RaghavのvからRajaに掛けて」の「DnRS(ラシ♭レド)」の動きや、その直後の長三度「G(ミ)」と短三度」の「g(ミ♭)」の使い分けの「RamからPatitaのPaに掛けて」の旋律「RGmPーg(レミファソーミ♭)」もJaijaiwantiお得意のフレイズです。

しかし、終止が「S」で終わることが全く異なり、「NSDnR(シドラシ♭レー)」と「R(レ)」で終止することがJayjaywantiの真骨頂ですから。
また、展開部の「Bhaj Pyare Tu」の「Tu」で登場する「短六度」は全くJayjaywantiではあり得ません。ラーガ本来の音から逸脱する場合、そのラーガを「軽いMix-Raga(Misra)」とする観念もありますが、聴いた感じ「明るくて軽い」Jayjaywantiですが、その音の動きの複雑さから分かるように、かなり重厚で難解で重要なラーガですから、「Misra-Jayjaywanti」もあり得ません。
尤も、ラーガの起原としては、むしろBhajanから生まれた可能性も無くはありません。ただ、それが古典音楽のラーガに昇華した段階で、厳しい理論が付加された訳ですから、やはり混同する訳には行かないのです。

とは言え、既にご紹介したように、古典声楽の雄:D.V.Paluskarも「Raghpati」を「Bhajanとして」どころか「Kirtan風」に歌って録音しています。しかし、ヒンドゥー教徒の歌い手として、古典声楽とは意識を切り替えてのことであることは言う迄もありません。

同じ、D,V.Paluskarが同じTulsi Dasの名曲「Thumak Chalat Ramachandra」はより素晴らしいと思います。

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Vol.124,シーター&ラーマを歌った名曲:Ragpati Ragav (2)

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Raghpati-Bhajanが生まれた土壌
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Raghupati Rāghav Rājā-Rām, Patit Pāvan Sītā-Rām

Sītā-Rām, Jai Sītā-Rām, Bhaj Pyāre tu Sītā-Rām

Ishwar Allah tero naam Sab ko Sanmati de Bhagavān

前回に引き続いた「世界で一番知られたインドの歌:Raghpati Raghav Raja-Ram」のご紹介の今回は、その文化的背景について述べたいと思います。

まず、シーター・ラーマさんのファンの方には、ご存知の方も多いと思いますが、この歌のスタイル「讃歌:Bhajan」の原点は、6世紀に南インドに興った、シヴァ派とヴィシュヌ派のヒンドゥーの庶民運動(勿論その中心には僧侶が居ましたが、従来の権威的寺院のそれとは異なり、民衆の間に入って『ひとりひとりの信仰』をテーマに説いた人々と考えられます。)だと言われます。これらは、「Bhakti(献身運動)」というよりは、前矩型かも知れません。

7~10世紀には、「掛け合い形式の讃歌:Kirtan」の全土的な流行を育みます。そしてBhajanは、15世紀に大流行します。

10世紀以降は、イスラム勢力の侵入による戦禍の日々の中、相変わらずの権威主義的な寺院に反発して、新たな庶民信仰運動:Bhaktiが興ります。

11世紀の聖人:Rama-Nuja(1017?~1137?)は南インドから東インドを行脚し地道な啓蒙を行いました。12世紀の北部では北東部ベンガル地方を中心とした詩人:Jaya–Deva(1170~1245)が現れましたが、生前の知名度は低かったとも言われます。

「Radha-Krishna物語」とも言える代表作『Gita–Govinda』は、没後数百年に渡って多くの文人・思想家に強い影響を与えると同時に、それ迄は、深く重い哲学的・禅問答的な教えの師のような存在であったKrishnaが、一気に庶民にとって極めて親しみ深い神となったのです。

Jaya-Devaと同様なことが南インドでも興りました。その思想を汲む後世の一門の活躍と知名度と比較すれば、やはり孤高な存在であった哲学者:Madhva-Acharya(1238~1317)は、敬虔なヴィシュヌ派の宗教家でもありながら、ヴェーダに叡智を求め、Vedantaの先駆け的な存在でもありました。

15世紀の南インドでは、今日もタミールの古典舞踊「バラタナティヤム」の演目に書かせない、叙情詩「Padam」によって庶民の意識を変革し高揚させたAnna-Machariya(1408~1503)が現れます。「Padam」はタミールの言語習慣で「m」で締めますが、北インド古典声楽の古曲「Dhrupad」の前駆「Dhruva-Pada」に通じる「Pada」であることは言う迄もありません。彼の作品は、エロティックとさえも言える官能的な神との一体感を説いて庶民を驚かせましたが、勿論前述のベンガルのJaya-Devaに通じるものがあります。

15世紀末から16世紀に掛けての南インドでは、上記の哲学・思想家:Madhvaが建てたアシュラムの門下から放浪吟遊詩人として諸国を行脚する「Haridas」と呼ばれたヴィシュヌ派のBhakti詩人たちの或る種の「説教節」が台頭しました。十数人の著名な放浪僧が居ますが、中でもPurandra-Dasa(1489~1564)、Vadirajatirtha(1480~1600)、Kaanaka-Dasa(1508~1606)は大変有名です。

Purandra-Dasaは、近現代の南インド古典音楽にもその強い影響を残す、ヴィシュヌ讃歌「Devar-Nama」を数多く創作しました。
彼らHaridasたちは、紐で肩から吊るした木彫りの小型ヴィ―ナである「Tamburi」を右手で掻き鳴らし、左手でKaltalという木枠に小さな(西洋タンバリンに付いている程度の)シンバルを組み込んだ二個セットの打楽器を打ち鳴らして吟じました。この習慣は、全インドに伝わり、中西部では大型の「Tandoora」をビート感を付けて掻き鳴らし、北部では瓢箪胴の「Ektar、Dotar、Ram-Saghar」などとKaltalの組み合わせでBhajanを歌いました。

Haridasと同様の「放浪大道説教節」は北部では「Sant」と呼ばれ、その中には、後の北部のBhajanの先駆となるとともに、ヒンドゥーとイスラームの習合の要素では、北西部のシク教教祖ナーナク、北東部の音楽宗教「Baul」の祖であるLalon–Shah-Fakirにも影響を与えた(前者については多くの研究者の定説になっています)Kabirが現れます。彼はガンジスの聖地ヴァラナシで活動しました。

一方、Jaya-Devaの流れとも言える15世紀のベンガル詩人:Chaitanya-Mahaprabhu(1486~1533)は、掛け合い大合唱でクリシュナ讃歌を唱え踊り、或る種のトランス体験を通してBhaktiを啓蒙する「San-Kirtan」を創始しました。これが後の「Kirtan」であることも言う迄もありません。

そして、6世紀の南インドに興ったBhaktiの原点、庶民的なヒンドゥー献身運動「Alwar(ヴィシュヌ派)」「Nayanar(シヴァ派)」の啓蒙運動からは、実に九百年経って、前述のChaitanyaやKabirの歌を基に、しかし当時の西アジア経由の叙情詩の二行連句形式にも則って歌われたBhajanが大流行する訳です。

その中に『Raghpati』の冒頭の歌詞の作者Tulsi-Das(1511-1623)が居ます。同じ16世紀の彼よりやや前の時代には、元王妃であるMira-Bai、百年前の日本の琵琶法師を彷彿とさせる盲目の詩人Sur-Dasなどが現れ、クリシュナ讃歌:BhajanやDholaの数多くの作品を残します。

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BhajanとKirtanの違い
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BhajanとKirtanの違いを簡単に言うならば、当コラムVol.88でもお話したように、Bhajanは、独唱者が神棚に背を向けて聴衆に対して説教節的に歌い、聴衆は、独唱者と神棚を共に見つめながら「その場に居る(参加する)ことが業」というものですが、Kirtanは、主唱者の他に掛け合い合唱隊があり、聴衆は合唱隊と共に歌うことが許されている、というか奨励されているのです。

これを如実に表した好例があります。古典声楽Khayalの最も重い流派Gwalior派の「宮廷音楽終演後の最初の世代」の名手であるD.V.Paluskar(1921~)が歌った「Raghpati」です。著作権関連が分からないので、ここにURLを貼ることは出来ませんが、You Tubeにあるようです。

彼の父「宮廷楽師最後の世代」であったV.D.Paluskarも同派と戦後(共和国以降)のインド古典声楽を代表する名歌手です。たいがい上記のように名前を略すので、逆にややこしいですが、父がVishnu-Digambarで、息子がDattatray-Vishnuです。

D.V.Paluskarの「Raghpati」に「流石!」と感心させられたのは、例の「IshwarもAllahも」の歌詞は勿論、その他の歌詞も含め、展開部は一切歌わずに、Tulsi-Das作の確証がある主題の二行だけを歌って当時のSP盤を満たしていたことです。

録音には、女性の合唱隊も加えているので、結果として「Tulsi-Bhajanの名曲」は、完全に「Kirtan」となっています。

Bhajanの最初の二行の主題は、D.V.Paluskarが歌ったように、主唱者は、様々な旋律に即興的に置き換えて歌い(Neraval)、合唱隊は、常に同じ旋律で応えます。

Bhajanで合唱掛け合いをすることは、完全に御法度ではないのでしょうが、所謂Bhjanと銘打った場合には見たことがありません。しかしMira-Baiの伝記の中では、夫王がイスラム軍との闘いで殉職した後、城内の庭に修行僧たちを招き入れ、日々クリシュナ讃歌を歌って過ごしたことで、夫一族から「お家の恥」と毒を盛られた話しが有名です。
ということは、数人で合唱もあったのだろう、となります。

イスラム文化圏にも共通しますが、当時の二行連句の歌は、音楽としてだけでなく、即興詩としても会が催され、車座になっては順に即興を披露するというものがありました。詩の会の場合はテーマを決め、讃歌の場合は、同じ「ラーガ(旋法)」同じ「ターラ(拍子)」を続けながら回して行きます。従って、「庭に呼び込まれた修行僧たち」は、Kirtanの合唱団ではなく、交互に主唱する仲間だったのでしょう。 しかし、展開部から主題に戻ったとき、囃しと共に合唱もしたかも知れません。旋律楽器が無ければ、掛け合い(合唱)が、主唱者にとって唯一の「喉休め」のタイミングでもあります。

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Vol.123,シーター&ラーマを歌った名曲:Ragpati Ragav (1)

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世界で一番知られているインドの歌
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Raghupati Rāghav Rājā-Rām, Patit Pāvan Sītā-Rām

Sītā-Rām, Jai Sītā-Rām, Bhaj Pyāre tu Sītā-Rām

Ishwar Allah tero naam Sab ko Sanmati de Bhagavān

この連載コラムで、長年お世話になっている、シーターラーマさんのファンの方々。インド文化、スピリチュアルに関心の高い方々には、今更語る迄も無いかも知れませんが、インド現地でも知らない人は居ないだろうという有名なBhajan(献身歌)の名曲です。

既に述べましたように、インドの歌には「タイトル」が無く、「歌い出し」がタイトルになります。なので、この曲の場合、似た言葉の別曲が無い様子なので、「Raghupati Rāghav Rājārām」で通じ、言わばこれがタイトルということになります。

この曲が何故に有名なのか? それはインド・ヒンドゥー教徒にとって、ミーラー・バーイ、スール・ダースと並んで「三大バジャン詩人」に挙げられる、トゥルスィー・ダースの曲(詩)であるからです。(※)カビールは1世紀前の人物です。

そして、彼のマハトマ・ガンディーが、アシュラム建設の苦難の日々に口ずさんでいたことで、その後もガンディー・アシュラムで歌われ続けた「ガンディーの愛唱歌」として一層有名になった訳です。

故に、外国人も多く訪れる様々な宗派のアシュラムでも歌われて、欧米人にも良く知られました。

そして、極めつけが、アメリカの反戦歌手(ヴェトナム戦争当時)の最古参:ピート・シーガーが、世界の幾つかの国々の歌を紹介した中に含まれており、彼自身も様々なコンサートや集会で歌ったことで一層有名になり、1960年代、日本の「歌声喫茶」でも「他にインドのことは殆ど知らない」という人々にさえも良く知られた歌だったのです。

この歌の説明の前に、二点。この「世界に伝えるその国の代表曲」というテーマと、ピート・シーガーについて少しお話させて下さい。

(※)「アメリカのフォークシンガーなんてインドに関係ないじゃないか!」とおっしゃるかも知れませんが、深いところで関係大ありです。

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その国で一番有名な曲は?
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まず、その国の人が外国に行って、その国の「一番有名な歌」を紹介する時、おそらく世界で一番困るのが、日本人とインド人ではないでしょうか?

実際私も、インドで「聴かせて!」と言われて、数十年ぶりに「さくら・さくら」を歌ったり、シタールで弾いてみせねばなりませんでした。名曲だと思いますが、数十年ぶりであることに戸惑いと後ろめたさがあります。日々の愛唱歌ではないからです。さりとて、「さくら」程の長きに渡って知られた曲も少ないでしょう。かつて、アジア民族音楽で、日本の唱歌百曲近くを録音したことがありますが(結局未だお蔵入り)名曲は多かれど、日常的でないことが残念でなりませんでした。

逆に、「さくら」は、インドのラーガに類似するものがあるので、「さくら」を主題にしてインド音楽として、聞いて貰うことが多くありました。同じく「炭坑節」は、Vol.110でご紹介した「Raga:Druga」にかなり合致します。

恐らく、インド人はもっと困ることでしょう。何しろ多民族国家ですから、ベンガル人ならばノーベル文学賞をアジアで最初に受賞したタゴールの歌や、盟友でムスリムのナズルールの歌を聴かせたいと思うことでしょうが、亜大陸の対照的に西の外れにあるパンジャブの人々は、田園民謡マイヤーの名曲を歌い、中北部の人ならホリー祭りの歌やカジャリー民謡を歌ってくれるかも知れません。が、そもそもそれらの曲を、同じインド人が、他の民族・地方だと、対して喜ばないし「へー!」という顔をして聴いているのですから、日本の場合、「河内音頭」を歌われても、地元じゃない人にはピンと来ないし「日本の代表曲」と言われても困ると同じことです。

勿論西洋でも同じ状況の国はあります。スペインやポルトガルなどもまた、一曲で全国民を納得させる曲は無いでしょう。ファドの名曲(そもそも素人が歌えない)は、内陸の人には違和感があり、フラメンコは、南部以外ではアウト。カザルスのチェロで有名な「鳥の歌」は、何時でも独立したいと思っているような異文化の地方の民謡。
その点で、英仏米は、けっこう有名曲があります。ドイツもしかり。ギリシアは、私がNHK名曲アルバムで弦楽器ブズーキを弾いた「日曜は駄目よ」は、世界中で知られており、ギリシア人も納得します。フランスなどは、国歌自体が格好良いですしポップです。国歌と言えば、インド国歌は、インド音楽でもないし、洋楽としても分かりにくい。
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ピート・シーガーとRaghpati
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ピート・シーガーは、多くの理解では、共産党員だったことと反戦主義者だったことで、アメリカの「赤狩り」の犠牲にもなった、そのイメージが強いですが、私は彼は社会主義者ではないと思っています。実際、入党していた時期もあるようですが、恐らくかなり幻滅して異なる意識を持っていたと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、ヒッピー(フラワー)ムーブメントの時代、詩人ギンズバーグと並んで若者に大きな影響を与えた人で、音楽では、アロー・ガスリー、ジョーン・バエズやボブディランなどの後輩にも多くの影響を与えています。

私にとっては、今以て「アメリカのポップス界で、最も(世界の)音楽を勉強し、最もアメリカの音楽・歌を勉強した、最もWASP的なミュージシャンであり、その意味では「ヒッピーのお頭」でも「単なる反戦歌手」でも、ましてや「社会主義者」でも全くない、民俗音楽学者としては、かなりの凄い人物です。

彼が開発した「フォークソング用のロングネック・バンジョ-」のギブソン社製を苦労して手に入れて、インドの師匠や森繁久彌さんから頂いた楽器達と並ぶ家宝のひとつにしていましたが、前二者は手放せないので、泣く泣く一昨年手放して保護猫の治療費に充てました。
実際彼自身も弾きにくかったようで、結局「カポタスト」を使っている写真が少なくありません。彼は南アやカリブの音楽も紹介し、カリブの「スティール・パン(スティール・ドラム)の作り方の本なども出していましたが、アジアからは恐らくこの「Raghpati」が唯一かも知れません。

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名曲Raghpatiとマハトマ・ガンディーについて
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このBhajanが、Tulsi-Dasの詩だと述べましたが、厳密には、一行目「Raghupati Rāghav Rājā-Rām, Patit Pāvan Sītā-Rām」の「主題」と、二行目「Sītā-Rām, Jai Sītā-Rām, Bhaj Pyāre tu Sītā-Rām」の「副主題(展開部)」だけと言われます。

Bhajanは、同時代のアラブ歌曲「Ghazal」同様に、「最も重要な主旨」を「主題」にして、真っ先に歌い。その後に「展開部(サビ)」で補足説明を行うという様式です。宗教を越えて同じ様式であるのは、西域の放浪大道芸人が持ち込んだスタイルだからと考えられます。

私はかなり以前からこれを「ペッパー警部型」と呼び、歌の冒頭が情景を歌い、サビで最も伝えたい情感を歌う形式を「北の宿から型」と呼んで説明していました。が、近年、分かり易いと思ったその二曲を「知らない」という生徒さんが増えて困惑しています。では何が好例か?というと、前述した「国を代表する歌」以上に、近年では五歳も歳が違えば「知っている曲」がかなりズレるので、困ったものです。

従って、ふたつめの「副主題」である
「Ishwar Allah tero naam Sab ko Sanmati de Bhagavān」
は、ガンディーが口ずさんだか、没後アシュラムで追加されたかで、Tuls-Dasの詩ではないのです。

展開方式は、
「主題」X2 または「主唱者~コーラスの掛け合い」(これをまた繰り返すことも)
「副主題1」X2 または「主唱者~コーラスの掛け合い」
「主題」X1 (主唱者の独唱のみで)
「間奏(楽器演奏)Lagi」

「副主題2」X2または「主唱者~コーラスの掛け合い」(これを更に繰り返す)
「主題」X2 または「主唱者~コーラスの掛け合い」
「間奏(楽器演奏)Lagi」…………..。

となります。
お分かりのように、「副主題1」は、その後の「副主題」とは、微妙に地位が異なり、「展開=状況(心情)説明」の中でも最も主題にそった重要なもので、曲の最後にも出て来ることが多くあります。それに対し、「副主題2~4」は、一度しか歌われません。その替わり掛け合いを二回繰り返すことは多く行われます。

また、「副主題1」迄を何度も繰り返して歌うスタイルも多くあります。ピート・シーガーはそれでした。

それにしても、有名な「副主題2」の「イーシュヴラもアッラーも貴方(ラーマ)なのですね」という歌詞には驚かされます。
多くの文献が、「ガンディー作」としています。

しかし、仮にガンディー作だったとしても、その真意は、ヴィシュヌ派ヒンドゥー教徒にさえも理解されていないことでしょう。

得英国留学の後、南アで弁護士をしてから帰国したガンディーは、西洋式合理主義・現実主義を学び、インドの旧習に見られる途方も無い感覚の世界。とりわけ「カルマ感覚」が優先し、それを言い訳(?)に現状追認主義が横行する様子には、最も憤りを感じていた筈です。

確かにキリスト教に強く影響を受けた時代もあるようですが、それらを含めて単純・安直・短絡的に、ガンディーをキリスト教徒的であるとか、非ヒンドゥー教徒的であるとかの評価は正しくないと思います。

くだんの歌詞もまた、彼が言わんとしているのは、宗派や宗教の異なりによる「枝葉同士の争い」を愚かで無念である、最も重要な主旨で、あらゆる宗派を学んで同じことを主張した、彼のVivekanandaと実に深く共通します。

また、ガンディーを無神論者と評するのも、幼稚で短絡的です。確かに、渡英前にヒンドゥー社会に幻滅した部分もあり。南アでは、キリスト教社会に嫌悪を抱き、帰国した後はまたヒンドゥー社会の、為政者たちに対してのみならず、現状に甘んじ、目先や自分の枝葉に執着・依存するばかりで立ち上がらない、貧しい農民にも憤りを感じていたかも知れません。
しかし、そんな彼だからこそ、実は極めて信仰心は強かったに違いないのです。ただ、いささか不器用で、独りよがりなところもありますから、恐らく当時の彼の苦難の戦いの中では、ラーマーヤナのラーマ王子の心情に強く共感を抱いたのでしょう。

また、くだんの歌詞の本意は、ヴィシュヌであろうと、シヴァであろうと、アッラーでさえも、「同じ神の別名」であるとか、場合によってはそれらの神々の奥に、「唯一神」が存在する、などの「拝一神教」的な感覚は強く持っていたことは、様々な言葉から伺えます(本旨をちゃんと説いては居ない点が禍根となっているのですが)
同様に彼の言葉の多くには、むしろバガワト・ギータのクリシュナの言葉に影響を受けたり引用していると思わされるものが少なくありません。

とりわけ、クリシュナの発想の転換力に、深い論理性を見たのでしょう。ヴェーダの叡智のひとつでもある「Viruddha(逆説)」の極みです。私の座右の銘であるガンディーの名言「貴方がその闘いを続けなければならないのは……….」も正にそれです。

その意味では、ガンディーは、かなりNyaya学派に共感していたか、近い体験哲学を持っていたかも知れません。Nyaya学派もまた「無神論」と誤解される場合も少なくなく、実際担い手の中で、それを主張した人さえ少なくありませんが、何か違うと思わざるを得ません。

しかし、生前でさえ物議を醸し、没後はガンディー派の人間の中でさえ少なくなかった不理解者たちが、自らの目先の枝葉の利(自己肯定や自己実現)の為に、この歌を利用しました。当然シヴァ派は憤慨しますし、イスラム教徒は激怒を通り越したでしょう。逆に、ヴィシュヌ派やハリ・バンシャ派が喜ぶ、という感覚も、むしろガンディーからは遠いものです。ガンディー同様に、命掛けで「Satya」を探求し実行したヴィヴェカナンダもまた、生前・没後、同様の扱いを受けています。

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(文章:若林 忠宏

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122,VedaからRagaへの道のり(2)ShurtiとGrama

このテーマの前回Vol.120で「Veda詠唱が単音から次第に七音に至って楽音が確立した(音楽Veda起原論)は、どう考えても無理がある」と説きました。そもそも最古のVeda経典とされる「Rig-Veda」に「女性用の弦楽器」が二三記されているらしく、弦楽器を弾いたならば、オクターヴや倍音の概念は得ていた筈です。
従って、私がずっと説いています「Shastriya-Sangit(科学音楽)」が既に存在し、その他にも、「民謡(Dehati-Sangit/Lok-Git)」もあったことでしょうし、花柳界音楽もあれば、寺院、宮廷宴楽もあったことは疑いのないことなのです。

また、そもそも「音楽Veda起原論」は、Sama-Vedaの確立より遥かに後世になって、何らかの恣意によってねつ造された(でっちあげられた)感の強いもので、その中のひとつに「音楽史に何人か登場するBharathaのひとり」が著わした文献に、やたらと細かく、Veda音楽の理論性の高さを誇示しているものがあり、その所為で、信憑性が高まりインド内外の専門家・研究者が鵜呑みにしている感もあります。

勿論、時代は、イスラム教徒の侵入や占領、戦いがくり返された頃、巷では「古典音楽(Gandharva-Sangit)」の理論継承や立場さえも揺るがすほどに、庶民的なヒンドゥー・ムーブメントと献身歌が隆盛していましたから、VedaとVeda音楽を改めてより正確に記しておく意味は相当に高かったと考えられます。
しかし、祭儀の手法や、Sama-Gan自体の所作や理論は良いのですが、その原典を「Shastriya-Sangit」に求めたことは書かれていないことが唯一の問題であるとともに大問題である、ということなのです。

(※)「Shastriya-Sangit」の語彙は何度か現れているようですが、抽象的で、まるで形容詞のように用いるばかりで、自らの音楽もそれに属しているかのような表現もあったりで、「Shastriya-Sangit」の存在を明確にはしていません。

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オクターブの分割論
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世界各地の太古(BC1500年以上前)、何らかの笛や太鼓の類いで音楽が演奏されていたことが、遺跡発掘物などから分かる時代のことです。洋の東西で、いずれも素焼の笛や、石笛、オカリナの類いが発掘されていますが、厳密には「オクターブの分割=音律論」に気付く為には、やはり弦楽器の存在が大きく、言ってしまえば、それが基本と考えられます。

古代中国では、弦楽器ではなく管楽器を用い、基本の管の長さを三分し、取ったり足したりしてドレミの十二音を得たという「三分損益法」が有名ですが、これもやはり私は眉唾ものに感じます。もし、既に弦楽器が存在していれば、管をいじくるより遥かに簡単に(ピタゴラスがやって見せたように)説明出来ますし、たったの一本の弦でも出来るからです。

尤も、弦の場合、その張力で音が変わってしまいますが、管だと「実音が常に現存する」というメリットは考えられます。その上に「弦楽器の世話になりたくない」という事情があれば、「管を切ったり足したり」という面倒なことをせねばならなかった、ということは考えられます。

いずれにしても、おそらく古代インドの場合は、弦を用いて検証したのでしょう。オクターブを22に分割したのです。

しかしこれには、それからかなり後にピタゴラスが「絶対無理!」と匙を投げたように、大きな問題があるのです。例えば、或る長さの弦の「開放弦(弦全体)の音」を「ド」とした場合、半分の長さで「オクターブ」が得られ、「3:1」の部分では、五度の倍音が得られます。その倍音からまた倍音を取って行くと、例えば「ソからは、レ」「レからはラ」と次々にドレミの七音が埋まって行くのですが、そうやって得た「高いド」と、最初に「半分の長さで得たド」がズレるのです。
そこで、ピタゴラスは、「やむなく按分」し、それが所謂「平均率」の原点ですが、インドの場合「22分割」、ペルシアの場合「24分割」で、その誤差を縮めました。トルコで「63分割」になったのは相当後の話しです。

厳密には、西洋の場合、ドレミの各音から始る音階群に、後に和声が加わったので、「平均率」は不可欠だったのですが、単旋律音楽のインドや西アジアの場合は、微分音がむしろ「味」となった訳です。従って、「旋律的な音律の価値観」に応じて「22分割」「24分割」が求められた、という考え方も出来ます。

そして、インドでは次に「Grama音階」というものが現れます。「22の微分音(Shruti)から七楽音を得る分割方法」です。

これが、後のインド音楽では考えられない全く逆の、むしろ西洋(要するに古代では古代ギリシアですが)やペルシア、アラブに近い感覚だったのです。

インド音楽では、ドレミに相当する「サレガマパダニ」の基音「サ(Sadaj)」には、絶対音が無く、楽器の大きさや人間の声の音域で変わります。例えば、有名な弦楽器:シタールのSaは、C#~Dですが、サロードはB♭かやや低めです。男性はGとかAですが、女性ではEという人も少なくありません。
そして、同じ楽器や同じ声楽家は、ほぼ生涯、「同じ実音のSa」で数百の旋法ラーガを演じるのです。イギリス植民地時代にインド音楽をほぼ初めて西洋に伝えた宣教師の著書に「基音(Key)が生涯同じだなんて、信じ難い!」と書いています。

一方の西洋では、古代ギリシアで、例えばドから「ハ長調」が得られたとして、同じ音をレを基音にすると「二短調」が得られ、ミを基音にした「ミファソラシドレミ」は、「移動ド」で考えると「ドレ♭ミ♭ファソラ♭シ♭ド(インドで最も有名なラーガ:Bhairaviの音階と同じ)」となるものが得られます。こうしてドレミの各音から七種の音階を得、後に各半音から計十二の音階を得たのです。

ヘレニズムの御陰で古代ギリシアとは文化的に親密な兄弟関係にあったペルシアも、基本は同じ考え方でしたが、後にササン朝末期に、とある音楽家が王に「音階理論」を編纂して献上した際に、天文学(占星術)に因んで再編してしまった結果、昔の様相は分からなくなってしまいました。ただ、今日でさえ、その旋法(Maqam)の名には、「Yegah(第一)Dugah(第二)、Segah(第二)、Chahrgah(第二)、Panjigah(第二)、など、規則性の名残も見られます。

そして、古代インドの場合「Sa-Grama」「Ga-Grama」「Ma-Grama」が記述に残っていますが、後に、ほとんど「Sa-Grama」だけになってしまいました。文献記述には残っていないようですが、当初は、サレガ….の七種あったかも知れません。
しかも、この「Sa-Grama」「Ga-Grama」「Ma-Grama」の三種は、何故か「同じ基本音階の開始音(基音)を順に変えたのではなく、「同じくSaから始る異なる分割」なのです。つまり、これも当初は、「同じ基本音階の各音」からであったものを、今日のように「Saを共通の基音とする」に改めた結果だけが文献に残っていると考えるのが自然です。

これらは全て、Vol.109で、「中世歌曲Dhrupad」の話しで述べました「拡散(発展・多様化)と(収斂・収束・選択)は交互にくり返される」という原理に矛盾しません。

文化を「生命体が生きる上で求めた精神的行為の一種」とするならば、この「生命体の大原則」に照らして、「誠に健康な自然な姿」ということが出来ます。

ところが、実際の音楽史や音楽理論では、「両極端を過激に行ったり来たりする」「自然な姿」を記録せず、中途半端に一方の片鱗だけが残ったりする結果、意味不明なことが多くなるというのも、洋の東西で人間がしでかす、奇妙な「落ち」と言えます。

従って、自然に考えれば、
1、22のShrutiから順列組み合わせで50種前後の七音音階:Gramaを考案
2、60種が数十の実用・慣用Gramaに収束した。
3、更に収束し、数十が4種に激減した。

という時代もきっとあっただろう、ということです。
ちなみに、このような「推論」は、Veda科学(Tantra)では、極めて重要な思考「Anumāna」とされています。

上記の具体例を表したのが、「12音から七音音階を得る」を色分けした今回の図です。
「SaとPaは不変音」なので、単純に順列組早稲計算では出ませんが、結果32種考えられます。これを22Shrutiで行えば、単純に倍にはなりませんが、50種前後にはなるだろう、ということです。
実際に13世紀、イスラム勢力に全インドが支配されていた、言わば「中世」と呼べる時代に書かれた文献でも、「Grama旋法」は、基本30種+副旋法8種が語られています。残念ながら、名前ばかりで、音構成は分かりません。しかも、その文献では、「Grama旋法」の他に、異なる性質の4種の旋法群が存在し、総数は264だったと記されています。明らかな「発展・拡大」のピーク状態を示しています。

ところが、文献で確認出来る「発展」もありました。
それは、「ほぼ3種になったGramaの各音から新たな旋法:Murchchanaを考案した」というものです。
これもまたややっこしいのですが、その時代になると、「12Shruti」から「12楽音」を考案し、それから「七音音階」を作るようになっているのです。勿論、後世逆算して当てはめのかも知れません。

つまり、前述の「考え得る変遷史」と繋ぐと、

4、4種のGramaがほぼ1種「Sa–Grama」に激減・収束したが、
その頃に、22Shrutiは、Sa-Gramaに準じた12音に整理された。

ということなのです。
そして、
5、その「12律」から、再び、各半音から考案した、(論理的には)再び32種の
「Jati旋法」が構築されたのです。

そうすると、「祭礼音楽」などで、歌曲・楽曲とともに、生き残った「Grama旋法」も在ったであろうところに、新たな概念「Jati旋法型(後世の音階型とは別物)」が考案され、それから更に「Jati旋法」が考案されて加わり、更に「副旋法:Alankar」まで加わるのです。

しかも、ややっこしいのは、「Jati旋法」も当初は、「Grama」を元に創案されたようなのですが、次第に「複数のGramaの複合」なども現れ、末期では図にあるように、開始音・基音のSadajは、1Shurti毎にズレで始りながら、その後の音程(音間隔)が一律ではないのが主要Jatiに存在するのです。

図で示した文献に残っている「Jati旋法」は、おそらく百種を越える「机上の理論の旋法」の中で生き残ったものに過ぎず、その結果が、法則が無いかのように思わせているのだろうと考えられますが、少なくとも「Grama概念」が次第に無視されていったことは明らかです。

従ってその頃には、「Grama旋法」は殆ど消失していたでしょうが、それでも混乱はあったでしょう。歌曲・楽曲の旋法名を「Grama旋法」から「Jati旋法」に置き換えたり、改名したりもしたのでしょう。

加えて、ヒンドゥー王朝があちこちで分裂すれば、宮廷や寺院によって古典音楽の流派が異なり、同じ時代に統一した理論を共有することは、まず不可能になった筈です。従って、宮廷や寺院の中には、一貫して「Grama旋法」を中世まで起用していたところもあった筈です。

ブラフマン教が仏教、ジャイナ教などの隆盛によって衰退し、漁父の利的にヒンドゥー教が台頭した頃、「Shastriya-Sangit」は、一部の密教などと共に地下に逃れ、巷の宮廷や寺院では、最早「旋法概念」は、カオス状態になってしまいました。

巷の宮廷や寺院では、当時現行だった歌曲・楽曲ばかりを継承するのが、やっととなり、それぞれの曲に定められていた「旋法」が僅かに継承されたに過ぎなくなったのです。

つまり、
6、Grama旋法にJati旋法が加わり、混乱したが、結局、曲の継承で精一杯となり、曲と共に残された旋法があったが、全体像としての「旋法体系」は、一旦滅んだと言える。訳です。

従って、一時期264数えられたGrama系旋法は、「同じ論理上に構築されたもの」ではない可能性がありますし、具体的には、Jati旋法と全く同じ音階もあったことでしょう。しかし、異なるジャンルで用いられれば「別旋法」とされた可能性も或る訳です。

更に、この混乱の時代(紀元前から紀元後の百年~二百年位でしょうか)に、Jati旋法とは別(であろうとされる)に、図の上に示した「Muruchchana旋法」という概念も構築されているのです。ややっこしいことに、「Muruchchana旋法」は、Jati旋法の手法(22音から12半音を得た後に七音音階を得る)に逆行して「Gramaから七音音階を得る」という手法です。

「逆行」としましたが、「先行」かも知れません。何しろ、語っている文献の「成立年代」が不詳で、「BC2世紀からAD2世紀」のように、恐ろしい幅があることと、別説を説いた文献が、イスラム宮廷音楽が確立した13世紀に、過去数百年のことを語っていたりするから正確な順序は不明なのです。

そもそも前述しましたように、ヒンドゥー王朝宮廷音楽毎、寺院毎でも異なった理論を持っていたかも知れませんし、それぞれの中で、「Shastriya-Sangitの残党」と、「Gandharva-Sangit」、そして、この「Pre-Raga音楽の時代」の末期には、「Gandharva-Sangit」さえも古臭いとして、より一層Perfoming-Artsに偏った音楽として、次第に全体像が形作られた「Desi-Sangit」もまた、異なる音楽理論を用いていたかも知れないのです。
そして、同じ頃に、南インド古典音楽もまた、幾つかの楽派に別れながら、それぞれ独自の理論体系を育んでいました。そして、この時代の後半に重なりながら、西アジア古典音楽の要素も含んだ北インド・イスラム王朝宮廷音楽も台頭して来ますので、今日の常識からは考えられないほど、インド古典音楽は多様かつ渾沌としていたのです。

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(文章:若林 忠宏

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121,ラクシュミ女神のラーガ (1) Raga:Shri

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たくましい女神:ラクシュミ
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インドの飲食店や様々な雑貨屋から煙草屋に至る迄、およそ商店には必ずと言って良いほどそのポスターが飾られている「商売繁盛の女神」でもあるラクシュミ女神。

日本では「弁才天」が「弁財天」となってしまったので、かぶってしまった感があります。また、ラクシュミの日本での姿「吉祥天」は、四天王の一柱「毘沙門天」の妃とされます。しかし、「毘沙門天=クベーラ」は、ヴェーダ・ブラフマン教の中でも比較的後期の経典とされるアタルヴァ・ヴェーダで言及されているとしても、ブラフマン教の神であることには違いはありません。

シヴァと友好関係を結びカイラースにてヤクシャ(夜叉)、ガンダルヴァ(乾闥婆)、ラークシャサ(羅刹天)などの「下級神」と共に暮らすとされます。
仏教でもそれらは下級神ですし、そもそも四天王もしかり。本来は滅ぼされるところ、仏の慈悲を乞い、仏典の守護を誓って武神として存続したとされます。

これらのことから、吉祥天(ラクシュミ)も、かなり古いヴェーダの女神であったであろうことは容易に推測出来ます。サラスワティーも同様ですが、女神は比較的厚遇されているのか、ヴィシュヌの妃という高い地位を得て存続し、むしろ数多の神々の中でも最も庶民に愛される存在になっています。 ちなみに吉祥天の母は、「鬼子母神」とされ、「鬼子母神」は、Yakshini、すなわち「夜叉」の女性形ですから、やはり本来は下級神です。

ラクシュミの別名も多数ある中で、インド古典音楽のラーガ(旋法)の名前に起用されている「Shri」は、ラクシュミの多様な側面を総括したような、女神としてはかなり重たく深い存在感があると思われます。そして、ラーガ:シュリーもまた同様で、かなり修行を積まないと表現し切れない重く重要なラーガのひとつです。

一方意外で面白いと思ってしまったのが、何処の地方の呼び名なのか、「Chanchal」という別名です。「チャンチャル」は、「すばしっこい」「あちこち飛び回る」などのイメージがある言葉で、これをインド古典音楽の太鼓:タブラの腕前に用いる時には、とても良い「褒め言葉」になり、本名かどうか?Chanchal Khanという演奏者もいました。

ところが、チャンチャルには、別な悪い意味もあり、女性に用いる時は公然とは決して言えない陰口・悪口で、はっきり言って「尻軽女」でしかないのです。
まさか、ヴェーダ・ブラフマン時代から、苦労して今日の高い地位に登り詰めたラクシュミのたくましさを褒めつつ、前述しましたような時代時代のトップクラスの神の妃となった遍歴から来ているとしたら凄い話しです。何方かご存知でしたら教えて下さい。

しかし、そのようなことも含めて、パールヴァティー・ドゥルガーなどの圧倒的な神力を誇る女神と比較して、魔神・鬼神を滅ぼすような力は発揮せずとも、ラクシュミも、かなりたくましい女神ではないでしょうか。

別な視点から言いますと、「幸運や金運をもたらす」ということを、ご利益宗教的感覚ではなく、もっと深い意味合いで分かろうとした時、そこには、「運気の乱れ・滞りを正す力」があることに辿り着きます。つまり、「ナーダの流れを潤沢にする」「ナーディーの詰りをクリーンにする」ことも含め、「運気」のみならず、「経絡」そして「思考」に於いても、「体・気・思考」の三位に対してバランス良く「滞りを解除し、乱れを取り除く」ということに他ならないのです。

実際、アーユル・ヴェーダ音楽療法でも「Raga:Shri」の重要な効能にそれが挙げられています。

逆に言えば、自身の「体・気・思考」特に、「思考」についてが無頓着であったり削除されがちですが、自身で出来る努力を惜しみ、ご利益を乞うようでは、果たして如何なものか?と思わざるを得ません。

尤も、このテーマ「自力本願と他力本願(※)」は、インドでも昔から議論されているところです。いずれ近々、しっかりお話し出来たらと思います。(※)本来の仏教用語の意味であり、慣用句の意味ではありません。

「滞り」の最も質の悪い「原因」が、「執着」と「依存」です。だからと言って、近年流行の「断捨離」や「Detox」をすれば良いということではなく、「心と思考」に潜み、こびりついている「執着と依存」をクリーンにせねば何の意味も持たない、ということです。

ところが哀しいことに、むしろ心と思考にその問題を抱えている人に限って、より一層「人間関係」や「身の回り(目の前の物)」を「すっきりさせないと過負荷を強く感じる」ものですから、結果として、内面的な問題をむしろ温存する為かのように、外因を解決させようとしてしまいがちです。勿論、無意識に。

しかしこれは、極めて危険な発想であり行為であることは紛れもないことです。

勿論、様々な物事が「カオス状態」になっていることを由と言っているのではありません。大切なことは「整理整頓」であり、良いものをより深く吸収し、より正しく消化することと、害のあるものを、より初期にその侵入を防ぐこと。そのために、デフォルトの機能を正常に戻すことが大切であり、それが「生命力」であり「体力」であるという考え方です。

その基本をないがしろにして、局所対処的に、表面や気になることだけを解決しても、一時凌ぎとしては有効でも、長く続ければ弊害の方が大きい、ということなのです。

つまり、ラーガ:シュリーの名演奏に運良く巡り合わせたとしても。自らで「滞りと乱れの原因」を温存しているようでは、その「清らかで果てしなく解き放たれた自由な流れ」を感じ取ることは出来ないだろうとも言えます。
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Raga:Shriの素晴らしい構造
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Raga:Shriは、数在るラーガ(一説には34,776種とも)の中でも、格別な地位を持って居る、現存するラーガでは最も古い部類に属するものです。しばしばShri-Ragaとも呼ばれ、その場合は、Raga:Shri-Ragaとは言いませんが、そのようなラーガは、唯一かも知れません。

Raga:Shriがラクシュミに因んだものであることは間違いないのですが、中世前期にヒンドゥー教徒音楽家の間で流行した「Raga-Ragini」という分類法では、なんとShri-Ragaは、「夫ラーガ」なのです。

同分類法では、ラーガ観念が確立する以前からの古いShrti旋法、Grama旋法、Murchchana旋法などの生き残りのラーガを「六大Raga」とした結果、古いShri-Ragaは、それに含まれてしまったのです。

「夫ラーガ」は、それぞれ「六つの妻:Ragini」を持ち、36種が整理されました。その後も増え続け、「息子」のみならず、「息子の嫁」まで至ったのですが、「古い主要ラーガ=六大夫ラーガ」以外は、何故に「Ragini」なのか、息子なのか?嫁なのか?の音楽的・構造的な概念は確立していません。従って、Shri-Ragaが「男性旋法である」という根拠は、論理的にも理論的にも存在しないのです。

図に示しましたように、Raga:Shriは、レとラがフラットし、ファがシャープの「Purvi」という代表音列の引き出しに整理され、主音はフラットの「レ」、副主音は「ソ」です。
上行音列は、ミとシを割愛した五音音階で「ドレファソシ」となり、下行音列は、七音使いますが、かなり複雑に「ジグザグ(Vakra)」進行することが定められています。

例えば、オクターヴ上の「ド(Sa)」は、上行音列で辿り着いたと思ったその音が「Vakra」なので「ドシラソ~」と降りては来れないのです。なので、一歩引いて「上のレ」に行き、「ド」を飛び越えて「レシラ~」とせねばなりません。

下行音列に於ける「ソ」は、このラーガ独特の「半Vakra」のようなもので、その解釈・説明はいささか難解です。

純然たる「Vakra」ですと、「その音にぶち当たったら、一歩引いて(助走を付けるようにして)その音を飛び越して行く」のですが、

このラーガでは、一旦「シラソファ」と普通にソを経由してしまいます。ところが、まるで思い出したように、「ソラ」と戻り二度目には「ソ」を飛び越えて「ラファミレ」と進むのです。

「半Vakra」と述べましたのは、この「半Vakraの壁」が、通常の「Vakraの壁」のように、「助走を付ければ飛び越えられる高さだか、普通に歩くならば、頑強な上にまたぐのは無理」とは異なり、まるで、「ゴムロープ製」かのように、「シラソファ」とファ迄は行けてしまうのです。が、そこでゴムロープの力で「ミ迄は行けない」のです。なので、戻って、ちゃんと「飛び越えて」「ミレド」に行くしかない、というものです。

私たち演奏者は、「シラソー」と弾いた段階で、「しりとり」的に、次のフレイズ「ファソラファミレー」が反射的に出てしまうと言いますか、「そう弾きたくなる」という感じです。

その他にも、「Pakad(特徴的なフレイズ)」では、「ドレファソ」の他に、「シレファソ」と、「ミ」の他に「ド」も飛び越え(割愛)たりします。
また、高音域の「レドレー」のような、「Vakraのド」を越えて「シ」には進んでいないのですが、「Vakraのド」を強調するようなフレイズが幾つかあります。

また、上記の「半Vakra」の超法規的フレイズですが、「ソからの下降」の前に「ソファソラ」のフレイズを弾くと、「半Vakra」も解除され、「ソファミレ」と進むことが可能なのです。また「ファラファミレ」のように、まるで「ソ」を嫌ったかのようなフレイズも頻出します。

「ド」と「ソ」の割愛をよりキツくすると。基音伴奏楽器や、シタールなどに付属の伴奏弦の音が聴こえていても、一瞬「シが基音」のように聴こえる効果が得られます。
すると、「レ・フラット、ファ・シャープ」のおどろおどろしい雰囲気が消え、「短二度、短六度、短七度」の所謂「短調」に聴こえたりするのです。が、そこに「意図的に隠し(Tiro-Bhav)ていた基音(ドやソ)」が突如現れると、「錯覚から現実に戻された」大きなインパクトが与えられるのです。

このように、「Raga:Shri」は、流石の神のラーガ、ラクシュミのラーガだけあって、「単純でシンプルな面」と「複雑で頑固な面」、「畏怖の念を抱かせる面」と「平穏で安心で優しい面」を併せ持ち、それが神出鬼没的に現れるということで、聴くにしても奥が深く、弾くにしても難解で重たい、というラーガ(旋法)であることが分かると思います。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
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(文章:若林 忠宏

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