91、インド科学音楽の将来: 樹を見て森を観ない「変質しつつある東洋医学(3)」

「近視眼的」になるには、理由がある
「私は猫を先生ほど愛せない」「猫絡みのこラムは……嫌いな人も少なくないし」「沢山の音楽と楽器を演ってるなんて、全部適当か広く浅くだろう」というお言葉は、恐らく「全て『枝葉=個人=個性=感性偏重(至上)主義」に偏った(殆ど?)タイプの感覚(思考性/価値観)の人の「誤解」であろうと思われます。それに対し、「剣道の名手の『遠山の目付』の技」「検査技師の『何気なく愚感する』必要性」「昔の火の見櫓の番人」は、「樹に捕われず森を観る」タイプであると言え、「宇宙~地球~様々な生き物~人間~個人~個性・感性」という「繋が・閨vを、「言葉だけでなく体感・実体験・実践している」と言うことが出来る筈と思います。

その一方で、前回敢えて「不愉快にお感じになるだろう」と前置きして「近視眼的」と申しましたが、そういった(上記の前者の)タイプの人をフォロー(弁護)する言葉やすべきこと、理解すべきこともまた沢山あります。端的に言ってしまうと、「とても真面目な人々」なのは間違いないことです。

またしても私事で恐縮ですが、私は小学校の六年間の殆ど「教師も呆れ匙を投げる」どうしようもない子で、今日の認識では、明らかに「学習障害児でPTSD」でした。何しろ殆ど授業を聞いておらず、黒板も教師も見ちゃいない。窓の外を「ぼーっ」と眺めて居る。「あっ!野良犬が侵入した!」「あっ!あの子早退か?どうしたんだろう」などと。
なので、或る教師は「あいつは座敷童と思え」と級友たちに言っていたほどです。

「無関心」なだけならば、成績が悪くなるだけで「自業自得」で、先生にしてみれば、「ほら見たことか!」となるのですが、興味のある科目は、三段階(でした)の「Aだったりするから厄介で、しかも、しばしば事業中に突然「先生!そのお言葉は、先ほどのお話に矛盾します!」などとくって掛かったりするものですから、始末に追えない。放って置くだけでは済まされない。教師にしても何らかの体裁を保つ反論をせねば恰好が着かない。
「大概真面目に聞いてないなら、全く聞くな!授業の邪魔をするな!」とは言い返せない。
なので、以後何らかの口実を見つければ、「廊下に立っていろ!」と早々に閉め出す教師も少なく在りませんでした。

そんな「駄目少年」から比べれば、他の生徒はどれほど「素直」で「真面目」であったか?
まずこの基本がひとつ或る訳です。

インドに於いてのインド音楽のレッスンでさえも、そのような「真面目さやひたむきさ」から、むしろ「師匠が黒と言えば白も黒だ!」に近い師匠は少なくありません。幸いにして、インドに限らず、世界中の数十人の師匠たちの半数は、私もしばしば唖然とするほど、私以上に突拍子もない人物が多く、洋の東西を問わず、その国の音楽家の中でも「異端」でしたが。

次に、若干面倒な話しになりますが、「樹に捕われず森を見る」という感覚は、西洋に於いては19世紀後半に、ドイツ哲学が次々に失態を見せ、生き残りに邁進し、その質ばかりか、基本理念を見失った後、英国哲学の「権力者子飼い」の専門家が台頭し、急速に「現実論」が主流になったと言う事情があります。

「哲学」と聞くと「訳が分からない」と思う方が多いように、或る意味「非現実的で難解で面倒臭い」からこそ「哲学」なのですが、それが「現実的」になってしまう、ということは、「本末転倒」「魂を抜かれた」ようなものです。
奇しくもその英国の植民地であったインドでは、英国留学も果たしたエリート層の中から「樹に捕われず森を見よ!」「それはヴェーダの叡智への回帰・再評価である」という運動が興りました。おそらく、インドの哲学家・思想家・宗教家(本来インドでは同源同義)にとってみれば、同時代の英国哲学は「幼稚」に思え、その「嘘」も簡単に見破れたのでしょう。

しかし、第二次世界大戦とその直後の分離独立などのゴタゴタの中で、前述しましたように「極端な保護主義・民族主義・ヒンドゥー至上主義者」によって、彼らに都合良い「一元論」にねじ曲げられたまま、本来の真意は、廃れてしまいました。

そして世の中は、20世紀に入ると、英国哲学の「現実主義」から遥かに飛躍した米国哲学の「合理主義・結果論」が主流になってしまうのです。

即ち「受容性と柔軟性が豊富な真面目で謙虚な態度」に、「結果主義、合理主義、現実主義」が加われば、「森をぼーっと俯瞰する」というようなことは殆ど忘れ去られてしまい、ましてや「それが大切なのだ」などとは誰も説かない時代になってしまうのです。

そして、世界中が苦難と悲しみの辛酸を味わった「第二次世界大戦」と「戦後復興」が、この基礎に決定的な「歪んだ結論」をあたえます。
それは「共感・連帯感の間違った解釈=誤った共感・連帯感」の流布です。

第二次世界大戦の敗戦国「日本、ドイツ、イタリア」は、何れも「全体主義(ファシズム)」(本来ファシズムは結束主義ですが、ここでは慣例に従います)と「軍国・拡張主義」が一体化したとして世界から非難され、「日本、ドイツ、イタリア」のいずれの国民を「そう思う」となってしまいました。

つまり、国民の殆どにとって「樹に捕われずに、森を見る」というのは、「戦前の全体主義」そのものであり、それは、「個人主義の否定」であり「個人の人格や命さえも投げ出して『お国の為』に捧げる」というような意味合いである、と、理解しようがしまいが、言葉に置き換えようが置き換えまいが、ほぼ殆どの人々が「そう感じてしまった」のです。

全くの大誤解です。

今回の図で示したように、本来の「森」は、それ以前に「一本の樹」が、一本の幹から無数のように出た枝葉に分かれようとも、「幹と根っこ」で「大地」に繋がっており、全ての樹が同じ森の大地で繋がっているのが、本来の「宇宙~地球~生命体~細胞」の繋がりと同義なのです。言わば「縦の関係性(枝葉~幹~大地)の自覚」が根幹ということです。

しかし「全体主義、ファシズム、個人主義の否定」は、写真の右上のような「樹木を縄で束ねた」ようなものであり、「縦関係」をほとんど無視しているのです。事実、戦中の日本は、「日本固有の伝統」を重んじているように見えながらも、軍国に都合の良いものばかりで、それ以外の伝統文化は排斥されました。ドイツ、イタリアはもっと酷かったですし、その後のソ連の社会主義や今日の北朝鮮に於ける「伝統文化」の弾圧と崩壊は、悲惨です。カンボジアの社会主義政権は殆どの伝統を葬り去りました。

また、今日の欧米の「保護主義・民族主義・自国優先主義」と、欧州の「EU崩壊の危機」もまた、「束ねただけのこと」に対する「反発・反動」と見れば、或る意味当然のことです。

「地に根を張らず、幹から切り離され、束ねただけの枝葉」は、写真の「薪(たきぎ/まき)」のようなものです。「大誤解」というより、むしろ「大地~根っこ~幹~太枝~枝葉」という概念にとって、「全く逆の感覚」であると言わざるを得ません。
しかし「枝葉(個人・個性・価値観)」に執着(依存も少なくない)する傾向が強い現代人は、「縦の繋がりの意味」が理解出来なくなっているので、「薪のように括られること」との大違いが分からなくなっているのです。

「括られること」を由とする人々は「モラル(道徳)」「思いやり」「客観性」を説きますが、「個人主義」に依存している人々は、既に辟易としているようでもあります。反論・反発を覚悟で言ってしまえば、「幹から見て感じること」が出来るならば、「モラル、思いやり、客観性」などはいずれも「言う迄もないこと」な筈なのです。

例えば、「天道虫」のように、幹から「上へ上へ」と昇って行く時、或る二手に別れた枝葉などは、いずれも同じ価値である筈で、「たまたま右を選んだ」ならば、「左を選んだかも知れない」訳であり、右の枝葉から見た左の枝葉は「実在しなかった自分のもうひとつの歴史」「双子の兄弟」のようなものです。その理解の方向性の中では、「モラル、思いやり、客観性」などは、要求されずとも、自然に「共感・共存感・連帯感」が生まれるに違いないのです。

「東洋医学」に与える危機的な弊害
この、殆ど問題にもされず,殆ど説く人の居ない、しかし重大且つ明らかな傾向とその問題は,「東洋医学の基本精神」を歪めかねない重大な危機的状況に至っています。

もし、より正しく「常に大地~幹から考える」のであれば、「枝葉の違い」は、何時でも常に入れ替わり得ることです。

例えばアーユルヴェーダに於いて、「貴方の体質はPittaですから」のような診断を得たとして、もしかしたら、何かのきっかけで、別なDoshaに転じるかも知れないのです。

そもそも、前述しましたように「Tri-Doshaの解釈」が多くの場合、「遠からずとも当たらず」的に微妙にズレています。勿論、基本的なことをしっかりおさえている専門家は、「Vata、Pitta、Kapha」のいずれも、「生命維持」に必要な「要素であり、働きである」とし、「しかし、もしそれらがバランスを崩した場合、それらは様々な不調・偏重・病気の元凶となり得る」と正しく説いています。

しかし、決して少なくない割合で、上記の話しの後半だけが強調されています。これは、元々の「Dosha」の字義に、良からぬものが多いからもあります。つまり、古代インドのアーユルヴェーダの叡智に於いては「過ぎたるは及ばざるが如し」以上の「警戒感」を持って「過ぎたるは、極めて危険な有害因子の如し」と言っている訳です。しかし、これも「幹~太枝~枝葉」から考えてみれば、そのニュアンスはかなり変わる筈です。

アーユルヴェーダが説いた「本来の正しいバランス状態」は、「Tri-Dosha」がほぼ均等にある「純粋な性質=純性(Sattva)」でありますが、例えば「幹はSattva」であったとして、その先の「太枝」の或る一本が、何らかの障壁によって歪められて「バランス不調(異変=Vikrit)」が起きたとして、それは「過渡期の状態=プロセス」です。従って、「元凶(犯人探し)」をするならば「太枝」にある訳で、「幹(基/原因)」は、元凶ではありません。

そして、その先の小枝は、太枝のアンバランスを受けて、「順列組み合わせ的」に「Pitta亢進」「Vata亢進」「Kapha亢進」の三種の症状が出得る訳です。そして、その先の「枝葉」に至ると、「小枝」の「三っつの偏重」に、「PittaとVataが亢進」「PittaとKaphaが亢進」「VataとKaphaが亢進」が加わった「六種」や、亢進の二種に差があるものを加えた「九種」もおのずと生じて来る訳です。
私の作図のふたつめの「棒グラフ的な図」と「円グラフ的な図」は、それぞれ「複合Dosha体質の9パターン」と「中医・漢方弁証論治の八綱弁証図」です。

しかしここに幾つかの大きな問題(落とし穴)があります。、まず、このような「順列組み合わせ的に考え得るパターンを統べて挙げる」という感覚は,古代インド・ヴェーダ科学の最も基本的な「論理的考証」のひとつの形に過ぎない。つまり、ヴェーダの論理にとっては基本中の当たり前のことである、ということです。当然のように「古代科学音楽」の旋法:ラーガの音の組み合わせも、この感覚が基本になっています。

次の問題は、そのような「基本的な構造」を、「現実論、結果論」に当てはめてしまうということ自体の「枝葉偏重論の誤り」に対する疑問を説く人が殆ど皆無である、ということです。そして、前述したように、そもそも「枝葉の状態は結果」である場合が殆どであるにも関わらず、より根源に近い「中枝」について考えないということは、より深刻な問題である筈です。

この問題は、「中医・漢方弁証論治」の現状にも見られます。「中医・漢方弁証論治」の場合は、「現代アーユルヴェーダ」のような「固定的な体質」という解釈に偏ることはしていません。あくまでも「結果論」は、何らかの病気・不調の結果であると考えるからです。これが「中医・漢方弁証論治」に於ける「証(状態)」です。

そして、その「より内面的な原因」を様々な看たてによって検証を進め「表=表面的に現れた急性症状」「裏=潜在する慢性病因」「実(亢進状態)/虚(衰退状態)」「熱(実の結果論)/寒(虚の結果論)」の組み合わせを「順列組み合わせ」的に分類します。しかし,近年「実=体力がある人の症状/虚=体力が無い人の症状」のような「現象・結果論偏重」のような「遠からずとも当たらず」の解説が、殆ど懐疑されずに、ネット上(漢方薬局を含む)に横行しています。

例えば「アレルギー疾患」と「自己免疫疾患」は、「免疫機構の誤作動である」という次元では、極めて近い関係にありますが、西洋医学では、前者を「体力があって免疫力が強過ぎる」と誤解し、後者が、しばしばかなり衰弱していることもあって「体力がない人の免疫機構の自虐的誤作動」のように解釈されることが多く見られます。さしずめ「現代アーユルヴェーダ」ならば,前者は「Pitta亢進」とされ、後者は、「Kapha亢進」とされるのでしょうが、これらもまた「遠からずと当たらず」です。

勿論、全身的な体力が衰弱すれば「免疫機構」全体が衰退し、「アレルギー」も「自己(攻撃)免疫」も衰退しますから、「体力」と無関係ではありません。しかし、瀕死の重傷を負った獣が追いつめられた時に見せる「過剰防衛」とも思える勢いや威嚇の様を「体力が有る」と判断するような感覚は、如何なものでしょうか? 同じ状況の獣がひっそりと岩の隙間に身を潜めることもあり得、その違いは、後天的な経験や知恵の違いが作用する部分も多い筈です。言い換えれば、後者の「潜んで居た獣」が発見され「追いつめ」られれば、前者になりえる訳ですから・A「証の虚実もPitta・Kaphaも」簡単に逆転しかねないのです。

より具体的な、西洋医学で立証された理論も踏まえて言うならば。「免疫機構」は、自律神経の二系統によって、言わば「正規軍と武装警察」のような役割分担をしています。最終段階的に体力が弱まれば、どちらの武装集団(免疫系統)でも兵糧が尽きたような状態になります。しかし、そもそも「軍」と「公安」は命令系統が異なりますから、現場の「武装集団」をなだめたり、武装解除を強制したりすることは、「火急的な一過性のもの」に過ぎず、命令を下している大元を変えない限り、第二第三の武装集団が送り出されることは必至なのです。これが「局所・対処療法」と「全身・根治療法」の考え方の根本的な違いです。

つまりこのテーマは、東洋医学を代表する「アーユルヴェーダ」と「中医・漢方弁証論治」のいずれもが、西洋現代医学のような「現実論・結果論」に偏って、「局所対処療法」的な考え方をし始めて居るということの現れなのです。これは極めてゆゆしき事態と言わざるを得ません。何故ならば、「東洋医学」がその最も基本的な在り方と価値を自らで失い掛けているということだからです。

東洋医学の最も基本的で、最も重要な論理は「全身医療、予防医療、自然治癒力サポート、根治療法」であることは言う迄もありません。

しかし「枝葉という結果論に局所的に対処することに偏る」というのでは、「全身医療」でもなく、「根治療法」でもないのです。

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90、インドのポピュラー音楽の現代と未来

今から30年40年前、日本の数少ない民族音楽学者の高名な先生や、インド哲学、インド文化、語学の教授先生たちの何人かが、「異口同音」に次のように述べていました。

「インドには所謂Love-Songというものが存在しない」「これはLove-Songか?と思って聴いていても、良く良く歌の中身を学べば、恋人に歌っているようでいて、全ては神に対してであった」と。

確かに第二次世界大戦後のパキスタンとの分離独立前と同時に生じた「宮廷音楽の終焉」「イスラム藩王国、ヒンドゥー藩王国の終焉」までは、この話しもまんざら嘘ではありませんでした。しかし戦後ともなると、いささかこの話しは「思い込み」と言わざるを得ない訳です。

戦前迄の音楽の在り方の基本には、「宮廷楽師=古典音楽」「花柳界楽士=世俗歌謡」がありましたが、後者では10世紀から「Love-Song」が歌われていたのです。

後者の音現場は、イスラム藩王国のカスバでしたが、「歌姫」は、殆どヒンドゥー娘でした。なので、学者先生がおっしゃるように、「恋人に準えた神々」だったかも知れませんが、全てがそうとも言えない訳です。

また、同時代、階級が無い筈のイスラム教でも、イスラム娘の芸者さん舞妓さんは存在しました。彼女たちの歌の場合は、「神々へ」ということはほぼ皆無だった筈です。

しかしその一方で、1980年代に来日コンサートをも実現したベンガル地方の「音楽教」とも言える、神秘主義系の「Baul」の有名演奏家の歌にも「恋人に準えた神への歌」もあります。「Baul」の歌のジャンルでは「Prem(愛)-Tattuva」とさえ言われますが、この「愛」は、全て「神」に対してのものです。(Baulは言わば一神教です)
勿論この「恋人に対してのように神々に歌う」は、中世の「献身歌:Bhajan」と同時進行した、「神々への恋歌」の流れもありますが、根強く継承されていることも事実です。

中世の花柳界に既に存在した「宗教を離れた恋歌」は、戦後の共和制になる以前にも「Madhuru-Sangeet」として或る種の確立を見せていました。
そして戦後、日本同様に庶民の希少な娯楽であった映画の主題歌で、「恋歌」は一気に膨大なスケールに至るのです。しかもご存知のようにインドは世界有数の「映画生産国」ですから、或る意味「ポピュラー・ミュージック」の生産もまた、世界有数ということが出来るのです。

当連載前々回で述べましたように私は、そもそもポピュラー・ミュージックであろうと、洋楽であろうと、インドの伝統音楽に絡みこそはすれども、「その本質を浸食することはないだろう」という楽観を抱いています。

しかし、問題は、その伝統音楽と向い合う人間の「精神性/心」であることは否めません。喩えるならば、「仏像」自体は、古いものでは、飛鳥・奈良の時代から「何も変わらず、私達人間と向い合っている」としても、それと向い合う私達の意識は大きく変わっているであろう、と同じ話しです。

逆に、ポピュラー・ミュージックは、何時の時代でも向い合う人間を肯定し続けて来ました。しかし、何故か流行が過ぎると古臭く感じ、かと思うと、十年二十年経つと得も言われぬ懐かしさを感じる。しかしその時、「懐かしさ」と或る種の「淋しさ」は感じるけれど、それらは「今の自分」を必ずしも肯定してくれない、そんな感慨を禁じ得ない人は決して少なくないのではないでしょうか。

言わばポピュラー・ミュージックは、「留まること」も「逆戻りすること」もない、長距離列車を向かえる各駅の歓迎楽団の音楽のような感じです。その時々、感激・感動し、良き想い出となったとしても、人はまた列車の発車と共に乗り込んで「先へ先へ」と進んで行く。通過駅のことは、「旅の記念アルバム」としてだけ振り返るのみ。
その一方で、「長距離列車」から、或る種の勇気を奮って下車し、「Uターン/Iターン」で過疎の村で農業を「一から始める」という人々の話しも聞きます。

唐突な横道の話しですが……。近年、歴史或る寺社の施設を「落書き」や「油?」で損傷を与えたり、猫に対しての虐待、お年寄りや障害者、幼い子どもに対する虐待や痛ましい事件が多く報道されます。

勿論、マスコミの報道は必ずしも冷静且つ中立とは言えず、ことさらに誇張して「作られた時勢のイメージ」を増長する傾向は昔からあり、近年その「大衆迎合性・煽動性」は、タブロイド雑誌のごとくでもありますから、「そのような事件が増えている」と言う印象操作は正しくないかも知れません。

しかし、それが何時始ったにせよ、「狂った人間の蛮行」と単純に処理してしまう前に、「はたっ!」と気付けば、何れも、長年「守るべき」とされていたものや「弱者」への残虐な行為であるということです。「言う迄もない」と言われそうですが。
そして、これは決して、事件の犯人を弁護するものでは毛頭ありませんが、「どうでも良いもの」に対してではなく「守るべきもの」や汚してはならないもの」に対しての行為には、何らかの「叫びのような訴え」の深層心理があるのではないか?というテーマです。要するに「幼児的な逆説心理」ということです。

幼い子どもの親ならば、誰しも、子どもが喜ぶ「玩具」や「お菓子」を買ってやりたいものです。喜ばせたい、喜ぶ顔が見たいと言う純粋な思いで。しかし、しばしば「仕事が忙しくて構ってやれない」などの「負い目」があると、「玩具」や「お菓子」で「穴埋めしよう」「許して貰おう」としてしまいがち。そして何時の間にか、それでも子どもが不満そうだったり、淋しそうだったりすると、自責の念に耐えかねて、それをプレッシャーと感じ「玩具」や「お菓子」を「買ってあげたじゃないか!」となってしまい、「純粋な思い」から随分と隔たってしまうものです。

子どもは、それを敏感に感じ「言葉の論理」では整理出来ずとも、感覚的にそれを察知しますから「玩具」や「お菓子」に対する有り難みが急速に薄れ、しばしば「憎たらしい」「腹立たしい」ような気分さも内在することが考えられます。
そして親がくたくたになって深夜近くに帰宅すると、「玩具」は壊して散らばって、「お菓子」も少し食べては止めて部屋中にバラ撒いていたりします。中には、「玩具」や「お菓子」を巧みに利用して、近所の友達や年下の子を子分にしたりする賢い子も居ます。

いずれにしても問題は、「玩具」や「お菓子」に対する「有り難み、感謝、素直な喜び」が失せることです。

ポピュラー・ミュージックは、何百年も前から古今東西で、その時代を反映し、その時代に懸命に生きる人間の心情を代弁したり、励まし、癒して来ました。ところが、1970年代の後半位から世界的に、それ迄とは桁違いな「商品化」が急速に進みました。勿論、その反動の音楽も常に生まれましたが、それらもやがて商業主義に飲み込まれて行きました。そして、「粗製濫造」とは言わないにしても、1980年代1990年代には,ポピュラー・ミュージックの歴史の中で、昔の人間にとって眼がくらむほど、信じられない程膨大に大量生産されました。

こじつけ的に思われるかも知れませんが、その様は、「人間が自分たち人間やそれ以外の生き物や自然、守るべき人間の伝統などに対する、無意識に近い何らかの負い目が在り,自らで自らに大量に「玩具」や「お菓子」を買い与え、結局はその価値を下げた姿である」という論法が成り立つのではないでしょうか。

ところが、ことインドのポピュラー・ミュージックともなると、必ずしも「生まれては消えて無くなる消費物」とも言えないのです。いや、正確には、やはり商業音楽ですから、時間が経てば「賞味期限」が来ますし、数年後に「懐かしい」と思われるのは大量生産されたものの極1%にも満たないかも知れません。

ですが、インドの場合、そもそものポピュラー・ミュージックが、タイやフィリピン、シンガポール、香港などと比べると、「インド的」というか、世界のポピュラーミュージックの最先端と、必ずしも張り合ったり真似たり、パクったりをしていない気がするのです。妙な「自信」と「誇り(自尊心ではなく)」が感じられると思うのは、インド音楽歴47年ということだけでなく、今も一介のインド・ファンである私の「贔屓目」でしょうか。

例えば、当連載の前々回び「ヒンドゥー寺院」をご紹介しましたビルラ財閥傘下の国産車「アンバサダー」の公式サイトをご覧下さい。驚かされます。
何しろ「最新型」なのに、数十年前と対して変わっていなくて、そもそも、もの凄く「レトロ」なデザインなのです。頑丈な作りは窓枠なども太く、決して視界は良くない。しかし,相変わらずのインドの交通事情では「気取っていたらアウト」です。それを逆手に取って、優しい丸みを帯びたカーブに仕上げるので、嫌が応にもレトロなのです。

しかし、決して「野暮ったい、古くさい、ダサい」とは感じない何かがあるのではないでしょうか?

同じことがインドの最新のポピュラー・ミュージックにも大いに感じられるのです。例えばコンピューターの打ち込み音源を用いてさえも、その基本に数百数千年続く伝統民謡のビートを見出すことが出来ます。

流石、古今東西ありとあらゆる要素を取込んで、ひたすらその質(質量)を高めて来たようなインドならではの「カオス」のようでいて、滅茶苦茶ではない、多種多様が混在共存している姿が、ポピュラー・ミュージックに如実に現れていると思えてなりません。

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(文章:若林 忠宏

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89、インド科学音楽の将来: 樹を見て森を観ない「変質しつつある東洋医学(2)」

アラブ留学経験がおありの十年前の生徒さんが当時、と或ることで悲しみに在った時に、SNSで「我が家の猫にもそういうことがある」などで励まし感謝のお言葉を頂いたことがありました。それをこの度「個人の違いを理解して欲しい。認めない訳でも誤解している訳でもなく、共感出来ないことがある(例えば猫に対する想い)ということ」というテーマに於いて「実はあの当時、感謝の念の他に『私は猫じゃない!』という想いもあった。それも『猫に対する想い』が違うからだ」とおっしゃいました。「ごもっともの常識的正論」です。

また、私がここ七年以上、西洋化学製剤療法では改善しない様々な猫の病気を中医・漢方弁証論治と西洋ハーブ、そしてアーユルヴェーダの叡智と生薬で治して居ることについての「コラム原稿」を様々なインド文化関連、アーユルヴェーダ関連のサイト管理者さんに採用のお願いをしましたが、ことごとく却下されました。「猫が嫌いな読者も少なくない」「猫に偏っている」ということでした。

確かに、元生徒さんがおっしゃった「私の枝葉は『猫が好きじゃない』人間の枝葉」であり、「先生(筆者の私)の枝葉は『愛猫家』の枝葉」という解釈に間違いはありません。同様に「アーユルヴェーダの枝葉」「ヒンドゥーの枝葉」などなどが無数にある訳です。

また、或る時、私の音楽を高く評価し「大先輩」とおっしゃった若者が、西アフリカ太鼓「ジェンベ(彼らはジャンベと言いますが)」にハマった後、現地修行も頑張ったのですが、或る時「先輩(私のこと)がしばしば本に書き、語る『ジェンベのルーツはアラブ・ペルシアの……..』の言葉に正直「カチン!」と来ている」とおっしゃいました。「ジェンベはジェンベ!」「理屈や歴史はそうかも知れないけれど」と。

「猫への想いの話し」「猫アーユルヴェーダ治療のコラムの不採用」「ジェンベのルーツの話し」「国際交流基金講座でのご感想」などなどの全てに共通していることが、「枝葉=個性=個人の感性=それを守り発表・主張する自由」が至上的・偏重しているというテーマであることと、「中枝・太枝では一緒。ましてや幹はひとつ」という「連帯・・共感論」は、前者「個人主義とその自由と権利」を「脅かすものである」かのような誤解~違和感・反発感を抱かれ易い、というテーマがあることです。

一足飛びに後者の仮説を受け入れ認めることは、中々出来にくいかも知れませんが、少なくとも「中枝は一緒、幹はひとつ」ということが「言葉では分かる」「頭では分かる」だがしかし「心や気分・感情は動かない」。つまり「観念にもなっていない」ということは言える筈で、ご理解頂けると思います。あたかも「絵に描いた餅」「仏作って魂入れず」のようなものです。

「森を観る」ということ
奇しくもこのテーマが、2017年4月26日放送のNHK「ガッテン」の主題として登場しました。それは、「いねむり運転ではないのに起る事故の原因」に、連続的で単調な動きや景色が続くと「網膜の周辺視が休止し、異変に気付かない」。それどころか、「中心視」は、「スピードが遅く感じる(見える)」からだ。というものでした。

逆に紹介されたのが「周辺視の使い方が卓越している例」でした。「周辺視」は、「動体視力に長けますから、「スピードや違和感」を鋭く察知するのです。

具体的な例として紹介された剣道歴50年の七段名士の場合、「(アイカメラで測定しても)中心視が動かないのに相手の動きを全体的に把握して察知出来る故に、無敵の強さを誇る」というもので、卓越した精密機械の部品をチェックする「検査技師」も同様であると紹介されました。本人弁として、後者は「一生懸命見るのではなく、何気なく見る中で違和感を感じる」と言い、前者は「遠山の目付」という伝統的な言葉を上げていました。

これは正に昔の「火の見櫓の番人の観方」に他なりません。言い換えれば「樹を見て森を観ない」習慣が強い人々は、或る種「近視眼的」と言わざるをえないのです。
ご不愉快に感じられる方も居るだろうと覚悟の上で極論的に呼称して、以下「樹を見て森を観ないタイプ」は、「近視眼的である」とさせて頂きます。そして逆の「連帯・共感力が高いタイプ」は、「俯瞰力・全体把握力・洞察力が高い」という意味で「視野が広い」とさせて頂きます。

ここに二つの問題が浮上します。そのひとつは「近視眼的」なタイプは、「視野が広いタイプ」の感覚や意見を中々聞き入れないというやっかいな問題です。「ガッテン」の番組でも、「安全運転歴に自信がある」という(前日充分に睡眠を取った)人が数名登場し、「シュミレーター・カー」を運転して事故を起こしました。逆に、「広い視野」を基本にしている人は、「違和感・異変」に気付けば、その「一点」にズーム・インして凝視することは日常的に行っていますから、「近視眼の問題性・危険性」は熟知しているのです。

例えは「視覚」という「或るひとつの感覚機能(Gnyana-Indriya)」の話しでしたが、それにこのような「特性(或る意味落とし穴)」がある以上、「近視眼的なタイプ」の人々は、必然的にその「認知機能」も同様であり、さすればその「思考も同様である」ということになる筈です。
そうなりますと,或る意味「当然」のように、「森を観る」という概念は、観念にもならない「言葉上のもの」「有名無実なもの」に陥ってしまうのでしょう。

図について
私が作図致しました今回の図は、「Ayurveda」と「インド科学音楽療法」そして「中医・漢方弁証論治」を大雑把にまとめたものです。いずれもかなり複雑な理論体系を持ち、更にかなり高度な「論理的理解」を求めるものですが、逆に「森全体を観る」感覚で俯瞰することによって、「本質的特徴」も見えて来る筈です。

例えば、最近でこそ、「ヨガに興味ある人がアーユルヴェーダにも関心を抱く」とか、「アーユルヴェーダがきっかけでヨガやインド占星術(Jotysha)にも興味を持った」などが増えて来ましたが、古代に於いていずれも「同時進行(同源同価値)」していたものが、日本では長年「分化」した感があります。少なくとも「体に入る食物など」には関心が高まっても、「心に入る言葉や音楽」に関してはまだまだ関心も理解も低いと言わざるを得ません。そのことからも、「総合的な科学」の本来の姿とはいささか隔たっていることは事実でしょう。
図の中程に示しました、「インド科学音楽」は、今回迄の数十回の連載でお分かり頂けたと思いますが「鑑賞音楽」ではない、と言い切れる程に「治療と精神修行」の為の音楽である訳です。当然、「季節や時間、環境、自然」の影響も大きく受けている筈ですが、「規定」は伝承されてはいても、その論理的概念は,殆ど廃れてしまっています。結果、「音楽」としてのみ、「聴いて受け止める」ということに偏ってはいます。

一方、「中医・漢方弁証論治」の場合は、「アーユルヴェーダ・ヨガ・瞑想・占星術」以上に分化が進んでいます。例えば「自然環境との関わり」に関しては、「中医・漢方弁証論治」とは、ある程度距離があるか、人によってはかなりかけ離れた感が否めないほど「風水」や「気功」に委ねてしまい「中医・漢方弁証論治」で関係させて語られることは殆どありません。

このことから分かるように、「中医・漢方弁証論治」の場合、少なくとも近代以降、「外部との関わり」は、もっぱら負の要素、つまり「外部から侵入する病気・病淫・病邪」に偏っており、逆の「有効なもの,治療に役立つもの」については殆ど語られません。

これは、「近現代のアーユルヴェーダ」も同様で、薬効に関しては「陰陽20種のGuna(薬味)」が語られているのに、「風景や森林浴、動物との触れ合い、新鮮な草木の香り、心地よい風」などは、20種の内のもっぱらたったひとつ「癒し」ばかりが取沙汰されています。

「医食同源」の意識によってようやく、「良薬口に苦し」も我慢・納得して摂っても、「言葉、音楽、風景、生き物」に関しては「甘いものばかりを求める」という偏りに、問題が無い筈はありませんが、それを説く人は殆ど居ません。

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88、ヒンドゥー献身歌 Bhajanの現代と未来

写真は、インドの首都デリーの「ビルラ寺院」に於けるヒンドゥー讃歌「Bhajan」の演奏風景です。「ビルラ」は、「タタ、リライアンス」と並ぶ「インド三巨大財閥」のひとつで、タタ財閥は、7世紀にアラブ・イスラームがペルシアを併合した際、西インドに逃れて来たゾロアスター教徒(パルスィー)が起源ですが、ビルラは、中世にインドのほぼ全域がイスラム帝国に支配された際も、ヒンドゥー藩王国として存在し続けた西インド(今日のラージャスターン地方)の、文武両道に長けたマールワール族の財団です。

マハトマ・ガンディーを支援したことでも知られますが、私にとって馴染み深いのは、このヒンドゥー寺院の他に、インドで最も世話になり、最も不安を味合わされた国産車「アンバサダー」の製造メーカー「ヒンドスタン・モータース」の創始者であることです。

写真のこの時私は,今でも我ながら吹き出してしまう失態を演じました。

まず、写真からだけでも様々なことが確認出来ます。
第一に、主唱者は、近代的な鍵盤楽器「ハルモニヤム」を弾き語りしています。しかし、この習慣は、かれこれ80年90年経ていますから、最早「モダン」とは言えないかも知れません。
第二に、主唱者は、聴衆の方に向かって歌っています。実は、主唱者の背後に「神棚」があるのですが、主唱者は「神棚」に背を向けている訳です。
第三に、手前左に座っているのが、伴奏太鼓タブラの演奏者ですが、彼は主唱者より「一段低い位置」を強いられただけでなく、主唱者に対しても、「神棚」に対しても聴衆に対しても真横を向いて座って演奏しています。これはインド以外の国の人間にとっては極めて奇異な様子に違いありません。

太鼓奏者が、このような身分階級のしきたりを厳しく受けるのは、「獣皮に触る」からですが、私のタブラの師匠の中には、バラモンなのにタブラ奏者という人も居ます。勿論それは例外中の例外ですが、完全に許されないことでもないのです。しかし、普通は、長い歴史の習慣上、写真のような形を取るのが一般的なのです。

「後になっては笑える」私の恥ずかしい失態とは、
一曲聴き終わったところで、「いいぞ!」の掛け声と共に、拍手をしてしまったことです。
聴衆は、全員私を驚いた表情で見て、そして、「くすくす」と笑っていました。
「ああ、日本人か!」「知らないんだから仕方が無いね」だったのでしょう。

その直後、誰に教わるともなく、私は事態を理解しました。
「Bhajan」は、神々への讃歌の一形態ですから、「神々に向かって歌う」のであり、「聴衆」は、実は「聴衆」ということでもなく、主唱者の歌を聴くといく形で「業」を行っている「祈祷者」なのです。

そして、もし「拍手をする者が居るとしたら」「それは神々に他ならない」ということなのです。

これは世界各国の「国家斉唱」と似ています。全員がしっかり声を出して歌わずとも、その場で、直立し、真摯に経験な心持ちでたたずむだけで、充分参加していることになります。
なので、「Bhajan」の演奏も、アメリカのゴスペルのように一緒に歌わずとも、「祈祷に参加している」ということになるのです。

尤も、インドの地方の祭り歌では、ゴスペル同様にリーダーと村人の「Call & Responce」の掛け合いが繰り広げられる場合もあります。また、「Bhajan」同様の「神々への讃歌」の一形態である「Kirtan」は、主唱者の他に、伴唱者が数名ステージに上がって掛け合いや合唱をします。が、やはり聴衆は歌いません。

これは、日本の仏教儀礼と似ています。供養等で僧侶に来て貰ってお経を唱えて貰う時、いい加減なお坊さんよりも親族身内の素人(しかsぢ熱心な信者)の方が「読経」が上手くても、そこでしゃしゃり出ることはないでしょう。

なので「Bhajan」では、聴衆は歌わないし、掛け声も掛けないし、拍手もしないのです。

では主唱者は、何故「神棚」に背を向けるのか? 「神々」に対して歌うのならば、聴衆に背を向けて「神棚」に向かって鵜経つべきでしょう。

これがインド文化の面白いところで、「相反する異なる理由(道理)」が存在すると、矛盾おかまい無しに習合させてしまうのです。
主唱者が「神棚」偽を向けて聴衆に向かって歌うのは、「Bhajan」の別な性格「口説/説教節」の所為です。

つまり、「Bhajan」は、まだ入信していない庶民や、入信したての信者。長年の信者でも日々の社会的なしがらみに心を疲れさせ、初心に返りたいなどの時にうってつけの、「分かり易く信仰のあるべき姿や、神々の恩恵について説く」歌なのです。

なので、恐らく「Bhajan」の前には、「神棚」に向かっての「祈祷歌」や「讃歌」も歌われたのでしょう。その後、場を清め、神々の許しを得て、聴衆(祈祷参加者)の方を向いて「Bhajan」や「Kirtan」が歌われる訳です。

広義の意味では「Bhajanの一種」とも言えなくもないユニークなジャンルが、ベンガル地方独特の「音楽宗教」とも言える「Baul」の歌と演奏です。

「Baul」のルーツは、西インド~パキスタンの中世イスラム系神秘主義の一派で、系列の派では、「Qawwali」などの「大合唱団」が知られるように、数或る神秘主義(Sufiと総称される)の中でも音曲をむしろ重用する宗派です。
それが、ベンガル地方に伝わった際に、「Kirtan」や「Bhjan」などの影響も受けて、むしろ「歌と演奏」が「主たる業」となったのです。

教義は極めてユニークで、「一神教で、偶像崇拝は認めないが、輪廻転生を信じる」もので、「財産の所有」を厳しく禁じ、所謂「社会的行為」を否定します。しかし、野に下って庶民にまみれることを重要と考えますから「在野の出家者」のような不思議な存在です。

更に、「財産所有の禁止」の他に、それと同源同系の「契約の禁止」がありますから、「結婚」を認めません。しかし「神が男女を作りたもうたならば、男女で暮らし、子を儲けるべきである」となって、家族は存在します。しかし、基本的に「家を持つ」ことは「契約」が絡みますし「財産」ですから、ホームレスであるべきとなります。

そして、最も重要な「業」であると共に、最も「不可解な」点が、その歌こそは「Baulの教えを広める為の宣教歌」なのですが、殆どの場合、その歌詞は普通に聞こえてしまい、その真の意味は庶民には理解されていないのです。

私が20歳代から歌って来た曲は、古典音楽のラーガ(旋法)を用いていたので、「良い教材だ」という意味でレパートリーに加えたものでしたが、後に「Baulの教祖Lalon Shah Faqir」の作品でした。そう教われば、確かに3~4番目の歌詞に「Faqir Lalon」と歌い込まれています。この雅号を歌詞に埋め込むのも、「Bhajan」と同じ「しきたり」ですが、非宗教的なアラブ式叙情詩「Ghazal」も同じなので、時代の慣習と思われます。

ところが、最初のベンガル人出稼ぎ労働者の「歌詞の師匠」に歌詞を聞き取ってもらい、私の発音をチェックして貰ってライブで五六年歌った頃、ライブにベンガル人留学生が来て「凄い曲を知っているんだね!驚いた!」「しかし、勿論歌の意味は知っているんだろう?」と語って来ましたので、最初の師匠に教わった通りに言えば、大層呆れられてしまいました。

私は、単語の訳のままだと思っていたのです。要約すると、「鳥籠の中の小鳥はどのように出入りするのだろう?と思っていたら或る日小鳥は逃げてしまい二度と返って来なかった、と修行僧ラロンは何ながら歌うのであった」
確かに意味が分かる様で分からないとは思っていました。

留学生は、呆れながらも「駕篭=人間の体」「小鳥=魂/命」「逃げた=魂が肉体を離れた」であり、「鳥籠やその中の巣作りに励むj人間は多いが、誰しもいずれは死んでしまうのだ」「重要なのは、魂の品格ではなかろうか」というテーマだというのです。しかし初めの師匠はそんなコメントはくれませんでした。即ち、「布教活動の歌」で在ると言っても、効いている人の殆どがその「裏の意味/真の意味」を理解していない可能性が高いのです。

別な歌では「何処に行ったのチャイタニア!私は貴方無しでは生きていられない」というありきたりの恋歌としか聴かれないだろうというものもあります。「Chaitaniya」は、ベンガルでは珍しい名前ではありませんが、中世に「Kirtan」を創始した聖者の名でもあり、「純粋意識」のことでもあります。そこで分かるように、「「Baul」は、「Sufi」と「Hindu」の共通項の上に成り立っているとも言えますし、「Sufiの教えをHInduで翻訳した」とも言えます。

しかし、やはり庶民の殆どはその「真意」を理解していないのです。「不思議」と言えば「不思議」、「奥義」と言えば「奥義」ですが、少なくとも「合理的、結果論、現実論」とは全く逆の価値観です。

「Bhajan」は、「Baul」ほどではありませんが、神々の名をそのまま歌わない「諱」が特徴ですから、それに関しては事前に知識が不可欠です。また、その「諱」に使われる「別名」にはエピソードが必ずついていますから、それも知らないと全体的には通じていないということになります。

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87、インド科学音楽の将来: 樹を見て森を観ない「変質しつつある東洋医学」(1)

「着かず離れず」によって生きている
「太陽」が「恒星」と呼ばれる所以は、圧倒的な質量によって、惑星を引付けており、その結果、「惑星」からみれば「動いていない」ように見える。少なくとも、「惑星」のように「恒星」の回りを「着かず離れず」周回しているようには見えないからに他なりません。つまり「太陽系」という次元・領域に於いては、「太陽」の存在は絶対的に格が違うのです。

その「太陽の子たち」とも言える「惑星」は、「離れたいけれど離れられない」「寄り添いたいけれど寄りそえない」という「拮抗する力」によって「生き永らえている」と言っても間違いない筈です。何故ならば、太陽への求心力よりも遠心力が増せば、「惑星」は軌道を逸脱し飛び出してしまい、止めども無く宇宙を彷徨うことになるからです。「全ての生命体」は離脱の数秒後には全死滅してしまうでしょう。逆に「遠心力が求心力に負けて太陽に引付けられる」とやはり数分後(?)には、惑星上の全ての存在が焼けてしまい、やがて太陽に激突して吸収され・トしまうでしょう。

即ち、「地球」を含む全ての「惑星」は、「求心力と遠心力=収束(収斂)と拡散(離散)」の力の「拮抗(対峙)のバランス」の上に成立っているのです。あらゆる生命体の体の中身が「相反し対峙する要素の拮抗のバランスによって保たれている」という「最大原則」もまた、そもそもこの「地球という惑星の存在維持の摂理」と無関係ではない筈です。

同様に、私達人間が「集団(群れ)」に依存して生きながらも、「独立心やエゴ」というものを自覚し、許されなければ生きて行けないという「矛盾」もまた、「相反する二元の原理」の賜物とこじつけることも可能かも知れません。少なくともその姿を単純(素直)に見れば、「太陽と地球の関係」と同じです。「親や兄弟、家族と自己・自我」の関係もまた同様と言えるでしょう。

従って、現代人の多く(半数?)が、「自由気まま」「束縛からの自由、閉塞感からの解放」ばかりを願うという傾向は「遠心力(発散・離散)」の方向に偏っており、「恒常性バランス」の面では「病的」であるということが出来るのです。

逆に、残りの半数(?)は「正しいのか?」と言うと、その殆どには、様々な依存が見られます。「親の子依存(過保護・過干渉)、子の親依存や共依存」「ペット依存」「仕事(ワーカー)、薬物、アルコール、ギャンブル、SEX、物欲、支配欲、権利欲、名誉、自尊心、アイデンティティー、宗教、思想、観念、常識」などの他、重度軽度を問わず様々な「依存」は、ある意味「無意識に求心力を求めた結果」とも言え、「そうやって自分を留め置きてやっと、自分の存在を確かめ安心する」という、或る種の「本能的な欲求」とも言える訳です。

しかし、ここには私達の「心と体を蝕む、幾つかの大きな問題」が横たわっています。上記の話しを単純に鵜呑みにすれば「なるほど本能か!ならば私のこのもどかしい想いも自然体ということだな」と安心してしまうかも知れませんが、そこには幾つかの落とし穴や考え落ちが存在します。

「精神的には、既に宇宙の彼方で死滅している」もしくは、逆に「何かにしがみついて辛うじて生きている」のどちらにしても「不自然で病的な、しかし圧倒的多数の現代人」の「姿」であるとして、それを作り出した「要因」の最たるもののひとつは、「宇宙→地球→個々(自己)→数十兆の細胞や細菌」という「連鎖的、リンク的な共通構造の概念」が生み出す筈の「より正しい連帯・共存観」というものが「頭(知識や理解)では分かっては居ても、実感(や感情や心)では分かっていない」ということに尽きます。

「樹を見て森を観ず」は「良くない」と言うけれど
古代インドの叡智が仏教として東斬し、中国で漢字を得て日本に伝わったもののひとつ「森羅万象」という言葉は、奇しくも「森」という言葉を用いており、それは「実際の森のようでもある」と共に「そもそも『森』とは、様々な種類が共存する世界を意味する言葉なのだ」とも言えますので、「宇宙の森、地球の森、生命体の体という森」という理解が出来る筈です。

また、この「森」は、「一本の樹木の枝葉」に見ることも出来、その方が、古代インド「Vedaの科学」の「二元が一元に至る」ことに近い比喩とも言えます。何故ならば「樹木」の多く(殆ど?全て?)は、「二手の枝葉」に別れて成長すると共に、拡散・拡大して行きますが、大元の「幹」は「一元的」です。

19世紀の末のインドの聖人ラーマ・クリシュナ氏の高弟のひとり、ヴィヴェカナンダ氏が、師の教えを充実させた「ヴェーダの普遍的な論理性への回帰(再評価)」は、その後インドの或る種の「右翼的・保守・保護主義者」「ヒンドゥー至上主義者」たちによって、かなり歪められた「一元論」として、「思考停止した神秘性」と「逃避願望によって裏付けられた解脱と梵我一如思想」に変形されてしまった感が拭えませんが、ヴィヴェカナンダ氏の思想の根幹にあったものは「論理は宗教とは対立しない。むしろ宗教を正しく理解するために不可欠である」というものでした。

ヴィヴェカナンダ氏は、当時乱立した様々なヒンドゥー思想や,復興ヴェーダ学派、ヨガ学派の対立と争いを終わらせるべく、その全てを深く学び理解し尊重しつつ、「インド・ヒンドゥー・ヴェーダ文化とそのそ伝統と叡智」を総体化させることに努めました。

それは正に「ヴェーダ」という一本の「幹」から別れ出た「様々な枝葉」の全てを愛でる意識であり、「薪のように、単純に枝葉を束ねる」といった「全体主義やグローバリズム」とは全く次元が異なります。そして、そこには「相反するものの対峙によって全ての生命が維持される」という「恒常性の基本」に則った「自然の摂理」を重んじる「二元論」が確かに存在した上での「大元はひとつの幹」としての「一元論」を説いたものでした。

つまり「誰よりも幹こそは、枝葉の存在を認め愛で」「誰よりも枝葉こそは、その一本の幹を認め愛でる」という有り様です。彼のこの真意が正確に伝わり広まっておれば、長年の「二元論と一元論の対立」は言う迄もなく、「様々な学派の対立」も、ヒンドゥーの領域を越えた「民族、宗教対立」もまた、安直で短絡的な方向には進まなかった筈です。しかし実際のインドでは、アメリカの「トランプ政権」の十年も前に、ヒンドゥー至上主義・右翼・保護主義が台頭しています。

「言葉の上」だけの「森羅万象」
「宗教・思想・哲学」のみならず、「政治・社会」から「庶民生活」に至る、これらの全ての問題の元凶はいずれも、現代人の「森(一本の樹)」を「頭(知識)で分かっていても、感情・心では実感していない」ことに尽きます。

私事で恐縮ですが、例えば先日のことです。十数年前にお教えした生徒さんと久しぶりにメッセージのやりとりをしたのですが、近況報告と共に最近取り組んでおられるとても良いお仕事の話しを伺い、この十年の成長振りをお褒めしたのです。ところが、ひとつ大きな問題が変化していないことを見逃すことが出来ませんでした。それは「個人・個々の感性・価値観の違い」についてでした。

まず、極めて多くの人(受講生のみならず友人知人も含め)が、私という一人の人間が言うことは「一人の者の意見=個人の意見」としか考えない傾向が強いということです。そのような傾向の中で「森羅万象」を説いても、「樹を見てばかりで森を観ないのでは、分からない」と説いても「個人の意見」で終わりにされてしまうのです。

そして、もうひとつの問題。これこそは今の世の中、インド、日本を問わず世界的な大小の問題の根源かも知れないと思うのですが。「横の関係性」ばかりを考え(大事に考えたり、気にしたり、気に病んだり)替わりに「縦の関係性」は、ほとんど考えないし、感じることが出来ていないという問題です。

勿論、ここ(インド科学音楽=Vedaの叡智)で言う「縦の関係性」は、近現代社会の「縦の関係」とは全く無関係のものです。

この「縦」とは、「樹木の根っこ→一本の幹→太枝→中枝→枝葉」のことであり、上記しましたように、これは「宇宙→地球→生命体→生命体の体内」とも通じる(転化出来る)ものです。

その十年前の生徒さんは「例えば、私は先生のようには猫を愛せない」と言う例えをおっしゃいましたが、仮に「私は犬派だ!」だとか「人間とペットは違う!」という「個人の異なり」もまた「枝葉の違い」に過ぎないのですが、一段大元に戻って「命という太枝」に立ち返れば、その違いは無い筈なのです。

そもそも、同じ人間がインド音楽、トルコ音楽、アラブ音楽どころか東欧,アフリカ、キューバ、メキシコ音楽も演ること自体「違いが分かっていなくて出来るのか?」と言える筈ではないでしょうか。 敢えて「偉そうで感じ悪い言い方」をするならば、「その意味では非常識な程に非凡で希少な『この私が、まるで個性(個々の違い)を理解しようとしない』と誤解したり思い込むことなどあり得ないのではないか?」と申し上げたいとさえ思った次第です。

尤も、民族音楽ファンやマニアや、第三世界文化に関心の高い人々の多くもまた、私に対するこの誤解を強く抱いているようで、国際交流基金のイベントでアラブ音楽のレクチャー&コンサートをした時、終演後,多くのお客さんがステージに来てくれて嬉しい感想を下さいました。その中で、或る方がとても正直に「一人で数百の楽器や音楽を演るなんて、広く浅くどころか、皆若林流(つまり全てインチキ)なんじゃないか?と思ってましたが違いました。全くのアラブ音楽で感心しました。」と言って下さったのです。

この話しは、自尊心からの自己賛美では毛頭なく、如何に現代の人々が「横の関係性に偏ってこだわり,縦の感覚が分からなくなっているか!」というテーマに他なりません。失礼ながら「ひとつにこだわらないこと」の意味や価値が分かりにくいとお感じになったとしたら、その傾向(危険性)が少なくないかも知れません。

奇しくも、十年ぶりの生徒さんは、アラブ留学体験者さんで、十年前、私のアラブ音楽は「本物だ。アラブの土と風を思い出す」というようなことを言ってくれた人です。つまり「○○の専門」は「枝葉にこだわる」ばかりで、実はその「○○」自体も良く分かっていない場合が少なくない、ということです。

実際、昔の日本の三味線各流派の師匠たちは、見込みのある弟子には、一時期意図的に外に出して、他流(他の枝葉)も学ばせたものです。それも良い考えですが、一人の人間が、「他の枝葉も」とやるのは大変な労力と時間が必要です。私の場合は中学生からでしたから47年掛かっています。しかし,意識を「縦=一本の幹→大地→世界→地球→意識」という風に持って行くことが出来れば、全ての「枝葉」を実体験せずとも「一を聞いて十を知る」的な「共感感覚」というものが育ってくるものです。

図について
私が作図致しました今回の図は、中央の三分割された円が、アーユルヴェーダ・ファンに有名な「Tri-Dosha」という「三っつの体質」で、外側が、「万物の五元素(Bhuta、及び生命体の基本構造:Dhatu)」です。ご覧のように、「Kapha」は、「Prithvi(Bhumi/土、大地)」と「Jala(Apa/水、川・海)」との「1.5要素」、「Pitta」は、「Agni(Terjas/火)」と「Jala」の「1.5要素」で、「Vata」は、「Vayu(風)」と「Akash(空/空間)」の「2要素」を有するなどで対応しています。

即ち、「Tri-Dosha」は、生命体の存在と維持に不可欠な要素なのですが、近年の日本のアーユルヴェーダでは、「Pitta(Vata、Kapha)の亢進が○○の不調の元凶」と、極端な場合「まるで元凶(仇)のような扱い」で説き、「貴方は、そうなり易い体質」と決めつける傾向にあります。が、これは「遠からずとも当たらず」。もしくは或る意味「大きな危険を含む誤解を招く表現・解釈」と言えます。勿論「Dosha」という語の字義の所為もありますが、解釈は異なってしかるべきです。 言い換えれば、これもまた「樹を見て森を観ない傾向」によるところが大であると言わざるを得ません。 (Doshaについて詳しくは、後日この連載で述べます)

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86、インドの民衆音楽の現代と未来

インドの民衆音楽、民俗音楽、所謂「民謡」の類いは、私達日本人には計り知れないバリエーションがあります。まず、インド紙幣には17もの文字で金額が書かれており、同じ文字を用いても、例えばヒンディー文字圏でも、方言のレベルを越えているのでは?と思わされる程の異なりを感じます。

イギリス人宣教師が書いた、世界で初レベルのインド音楽研究誌には、「驚いたことに、インドでは100マイルも行くと言語も音楽(この場合は民謡に限定されていると思われる)も全く変わってしまうのだ」とあります。日本に置き換えると、東京から静岡に至った段階で、言語も音楽も変わってしまう、ということです。

勿論、「科学音楽」の後継である「古典音楽」は、民族の壁を越えており、その様は、ヨーロッパ中でイタリア人バッハの曲、ポーランド人ショパンの曲が演奏されることと同様です。北インド古典音楽は、ネパール、パキスタン、バングラデシの他、スリランカでも演奏されています。

また、日本でも「民謡」や「郷土料理」は、それこそ100マイル、県単位、地方単位で変わりますから当然かも知れませんが、「言語も民族も変わる」となると流石に実感が湧かないのではないでしょうか。これは多民族国家では、当たり前のことのようです。

1970年代の末、私が初めて在日インド人会のパーティーに呼ばれて演奏した際、驚く程褒めて頂いた後の歓談で、今からすれば恥ずかしい不勉強振りを呈したことがあります。愚かにも「皆さんヒンズー教徒なんですか?」と訊いたのです。
優しいインド人は、「何だい? ヒンズーって?」と言いつつ「もしヒンドゥーのことならば、答えはYESだ」「だが、もしヒンディーのことならば、答えはNOだ」
「この夫婦なんか、かみさんがヒンディーで語りかけると、旦那はウルドゥーで答えているさ」と丁寧に教えてくれました。

ご夫婦の旦那さんは、デリー生まれ育ちなので、ヒンドゥー教徒ですがウルドゥー語に染まっていたのでした。なので、地域民謡があまりなく、慣れ親しんだ非古典音楽は、ヒンドゥー讃歌「Bhajan」の他は、「Qawwali」や「Ghazal」と、何れもイスラム文化圏の音楽でした。

同様なことはパキスタンでも同じでした。在日パキスタン人が300人程集まった「建国記念日」のイベントで演奏を頼まれた際、冒頭の数曲は、最前列から殆どの聴衆が、「やんや」の喝采を送ってくれました。ところが、その後、南東部「Sindh」の民謡を演ったとたん、さっき迄「笑顔と喝采」だった大多数が、「笑顔」だけになって、手拍子も掛け声も無し。ところが、気付けば、最後尾の4~5人程が、席を立って会場の真後ろで無我夢中で踊っているのです。聴衆の2%ほどがSindh族だったことが歴然と分かりました。Balouchの曲は、中程右側のたった二人。そして後半、Punjab曲のメドレーともなると、会場は怒濤のごとく盛り上がりました。

冒頭の曲は、ウルドゥー語でしたが,その数倍の興奮度でした。

日本でも、地方の祭りや民謡となると、ネットの時代であろうとも、古式のままに演奏されます。最も流行に流され易い日本人ですから、「神輿の掛け声」は、一時全国で「せいや!」になったこともありましたが。

ところが、伝統に対して厳しい私の邦楽の師匠のひとりは、「1970年代に日本の民謡は死んだ」とさえおっしゃいます。その根拠が、「尺八の穴の位置が、全国でほぼ統一されてしまったからだ」とのことです。尺八で民謡を伴奏するようになったのは、明治初期に「普化宗」が廃止になり、尺八が民間に自由に用いられるようになってからですが、全国各地で、固有の「音感」に合わせて、穴の位置が異なっていたのです。
ところが1970年代にNHKの民謡番組が大流行し、各地から足代程度でアマチュア名人を呼び寄せていた頃に、番組専属の尺八奏者が、「俺が全部伴奏してやる」と言い出したとかで、局も、「歌い手ひとり呼べば良くなる」と簡単にそれを認めた結果、音程が揃ってしまったということらしいのです。歌い手さんも、アマチュアですから、「何だか音程がやりにくい」と思いつつも、相手はプロ演奏者。文句も言わずに謳っている内に、数百年続いた音程を忘れてしまった、ということなのです。

このレベルで見れば、確かに日本の民謡も大きく変化しているかも知れません。が、津軽三味線のコンテスト優勝者が、ジャズやロックとコラボしようとも、コンテストでは古曲で勝負していますから、優勝後の音楽活動はともあれ、伝統伝承曲の本懐自体には、そうそう「洋楽」が入り込む余地はないのだろうと楽観しています。

勿論、これには西洋音楽の「和声」が東洋音楽には不必要であることも大きなバリアーになっているに違いありません。例えば、国の三分の一から半分は「インド古典音楽圏」と言うことが出来るアフガニスタンでは、1990年代に入ってようやく「ギターにコード進行が登場」しましたが、1980年代にアフガン人の兄貴分から頂いた貴重な国営放送のVTRを観て仰天しましたのは、「ドラム・ベース・ギター」のロックバンド編成なのに、コード進行をしないのです。コード進行の為にこそあるベーズは、ずっと同じ音を刻んでいました。しかも、「リバーブ/ディ・激C・マシーン」といった音をズラして反復させる残響音効果が「よくあれでリズムが取れるものだ」という程、異常なまでに大きく掛けられていて、「これぞモダン・サウンドだ!」とばかりに演奏していました。しかし、ギターが演っていたことは、伝統民族弦楽器のそれに他なりませんでした。同じことは、タイ東北地方「イサーン」の伝統民謡「モーラム(掛け合い演歌)」や「プータイ舞踊」でも観られます、

同じ頃私は、意図的にアフガン伝統音楽や新民謡に「コード付け」を試みたことがありますが、ジャズの代理コードを駆使しても極めて難しいものでした。結果にはかなり満足していますが、決して「新しい音楽」にはなりませんでした。むしろ伝統曲の真髄が引き立ったかも知れません。もしこれが多くの人々に認められるならば、「コード進行(和声学)の無い東洋伝統音楽」の本筋は、コード進行を付けても、洋楽器を加えても「壊れない」ということです。恐らくこれは、日本の伝統邦楽の江戸時代の名曲でも同じであろうと思われます。

そして、とうとうアフガニスタンでも一般的になりつつある「コード進行のあるモダン・ポップス」の場合は、初めから「洋楽」として作られています。

このことを、野菜や鶏卵に喩えるならば、幾らポリ容器に入れようが、容器の中で育てて「真直ぐな胡瓜」を作ろうが、胡瓜、鶏卵自体は昔と変わらないということです。勿論、「化学肥料」や「抗生剤、化学栄養剤」を添加しているかも知れませんが、「生卵」を割ったら、既に醤油味やカレー味が添加されていた、というところには至っていません。。

写真は、比較的近年のインド北部のヒマチャル・プラデーシの祭りの楽団です。二人が叩く、比較的「浅胴」の両面太鼓は、中世初期に西アジアから伝わったものであろうと考えられますが、「S字」に湾曲した大型のトランペット「ナラシンガ」は、数千年前から存在する「蛇」を模した古楽器です。

その他、You-Tubeなどで多くの実例を観ても、伝統民族太鼓の「ヘッド(鼓面)」がプラスティックやファイバーに変わろうとも。演奏法に「ウケが良い」古典太鼓「タブラー」の奏法を取り入れようとも、基本的な大部分は、数千年継承されて来た伝統と替わりが認められませんでした。

「より難しい伝統技法」は大分廃れたかも知れないことを考えると、いささか楽観かも知れませんが、「インド(亜大陸)の民衆音楽」の伝統は、まだまだそう易々とは滅びないような気がします。逆に恐れるのが、昨今世界的に台頭している「民族主義・保護主義・排他主義」の思想やムード、そして政治に、それらが利用されることです。

中国人チェリストのヨーヨー・マ氏が、イスラム教の一派の財閥のスポンサーを得て1990年代末に行った「旧ソ連とイランなどの民族音楽紹介プロジェクト」の音楽監督に音楽之友社の依頼でインタビューをしたことがありますが、監督曰く、「民主化となった今後がむしろソ連時代より伝統に危機的なダメージを与えるだろう」と言っていました。事実、それから十年も経たない内に、例えばアゼルバイジャン伝統民族音楽の場合、「12曲の内、ウケる半数しか演らない」「その一曲の5楽章の内、ウケる部分しか演らない」ということが平然と行われるようにな・閧ワした。

音楽関係者も世界のリスナーも、その「部分」の「伝統技法とその超絶のテクニック蚤毎さ」に充分過ぎる程満足していますから、「間引きされた伝統」についての危惧・懸念・危機感を抱きようがないのです。
そこに、何らかの思想・政治・宗教活動の恣意による利用が加われば、「小手先とムード」ばかりが「伝統的」であっても、その「精神性」は、大巾に退化している筈です。さすれば、その「音」も、初めは感動しても、やがて、その「奥深さや厚み」に欠けることが分かるかも知れません。しかし、現代は、あらゆる事柄に、そのような「深みや精神性」を求めず「分かり易く、現状や自分を肯定してくれるものばかり」を求める方向性に大きく偏っているとも思われますから「分かる人」も激減して行くのかも知れません。

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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85、宇宙→地球→生命体 (森羅万象との繋がり)

そもそも宇宙は「果てしなく無限」でありますから、宇宙には一体どれほどの天体があり、未だ解明されていない物質が、果たしてどのように存在し飛び交っているのでしょうか?  私達が属する「銀河系」だけでも、約二千億もの「恒星」が存在すると言われますから気が遠くなる世界です。

そして、「無数に在るだろう○○系」のひとつに過ぎない「銀河系」の中の、そのまた約二千億のひとつに過ぎない「太陽系」の十数個(今現在も確定していない)の惑星・準惑星のひとつに過ぎない「地球」には、動物だけで約137万種。確認されただけも870万種の生物が共存していると言われます。

一方、私達人間及び様々な生命体の体内には、無数とも思える細胞と、善し悪し日和見、様々な細菌が共棲・共存しています。人間の場合、細胞の数は、37兆と言われ、腸内細菌だけでも40兆とも言われます。

もし私達人間ひとりひとりが、この「宇宙→地球→生命体→細胞や細菌」という感覚を実感出来たならば。もし私達人間ひとりひとりが、自分を「870万種の生物のひとつ」であり、「早いものでは数ヶ月で死んで入れ替わる37兆の細胞や40兆の細菌のひとつ」であることを「擬似的」であっても「共感」することが出来たならば。

「870万種の生物のひとつ」にしては、「随分身勝手で自分本位で我が儘だ」と考えられ、「37兆の細胞のひとつ」にしては、「随分と恵まれており、面白い学びや楽しい文化が溢れていて幸せな人生だ」と考え、「なのに、今迄は『虐められて悲しい』だとか、『虐めて気分爽快』だとか、『誰々が好きだ嫌いだ』『食べ物の好き嫌い』など『どうでも良いこと』で頭や気持ちが一杯になっていたものだ」などなどと思えるのではないでしょうか?

もし私達人間ひとりひとりが、このようなこと(感覚やテーマ)を本気で、真剣に本当に感じて考えられるのであるならば。世の中はあっと言う間に大きく変わる筈です。

果たして、これは「理想論」「机上の理論」「夢想論」でしょうか?

ここで一旦、「先の問い掛けの答え」は置いておき、逆に「もし私達人間ひとりひとりが、この「宇宙規模・地球の生物・生命体の細胞単位の連帯感と共存感」を「抱けない・抱かない・抱きたくない」場合とは? 果たしてどのようなものか?を考えてみる必要があります。

このどちらかの作業。つまり「連帯・共存感を抱く」「抱かない」を真剣にスィミュレートするかしないか? そして、この「連帯・共感力(仮称)」があるか無いか? で、インド科学音楽は勿論、アーユルヴェーダ、ヨガ、瞑想の理解と実践の全てが大きく変わって来ることは紛れもないことなのです。それどころか、一人一人の人間の「人間力・生命力・思考力・発想力」の全てが変化し、当然のごとく、臓器や細胞の活性も大きく変わって来るに違いないのです。

まず、「逆の検証」をしてみて下さい。例えば「銀河系」の中の「一惑星」の生物としての我々人間は、SFの「エイリアン(やインベーダー)」のように、「グロテスクで残酷で身勝手」で、「他の惑星を占領し、そこの生物を殲滅せんとしている」のでしょうか? 幸いにして、その答えは「No!」です。しかし「グロテスク」であるかどうか? は、「地球の生物の審美眼」では計れません。それどころか、同じ地球の生き物でも、海老、蟹や蛸、イカから見れば「人間は、手足が四本でグロテスク」かも知れません。

では、同じ「地球上の生物」としてはどうでしょうか? 都市部の同じエリアのたかだか50年前の航空写真と今日を見比べれば、その「自然の森や野原」の面積はとんでもない程に縮小しています。

しかし、ここに大きな「落とし穴」的な「免罪符」があります。それは「悪気は無い」というやつです。「別に憎くて樹木や草木や川の生き物を殺したり、行き場を奪った訳ではない」「私達人間が生きる上で仕方が無かったのだ」という台詞です。

しかし、その「新旧二枚の航空写真」を私達一人一人の「脳(や腎臓、肝臓)のMRI画像だと,真剣に本気で本当にスィミュレーション出来たならば。足下がぐら付き、冷や汗が出、目眩がするほどに驚愕し,恐れ、絶望的に感じるに違いありません。

そして、「このような状態にした原因(犯人)は何なんなのだ!」というテーマに至ったとして。「犯人は○○という細菌、ウィルス、悪性細胞、悪玉菌、有害物質である」と言う答えが返って来たとして、私達人間のひとりひとりは、一体何をどう感じるでしょうか?

そして、その「○○」が「人間という種族である」と判明した時にもまた。「生きるために仕方がなかった」と思えるのかどうか? そう思えるのであれば「細菌、ウィルス、癌細胞、悪玉菌、有害物質、害虫、害鳥、害獣」にも同じことが思えるのか?

もし「思えた」場合、その人の「人間力・生命力・思考力・発想力」の全ては、「かなりに健全で豊かである」と言うことが出来る筈です。そして、もし「思えない」場合、は、「細菌、ウィルス、癌細胞、悪玉菌、有害物質、害虫、害鳥、害獣」に「より近い」と言わざるを得ない筈です。

しかし、この課題は、そんな単純な話しではありません。

ここには、「ふたつの大きなテーマ」が存在します。ひとつは、この「人間力と連帯・共感力(地球・宇宙を感じる力)が豊かであること」と、「豊かでなく、有害生物にほぼ近いこと」の違いは「人間社会」とその「規範(モラル、マナー、思いやり、慈しみ)」の物差しでは「問われない」ということです。

それどころか、むしろ「自然保護や動物保護・愛護」に真剣な人々を、「偽善者」「理想論者」と揶揄する感覚の人々の方がやや多数であることも恐らく事実です。また、そういった「正しい行為」をしている筈の人々の中にもまた、「正しい行為=自分は正しい人間」という「思考回路」に「依存(執着、ハマっている)」している場合も決して少なくないこともまた事実かも知れません。

そして、もうひとつは、「現代社会の規範や感覚」を必ずしも投影してはいない筈の、古代インドの叡智である「アーユルヴェーダ、ヨガ、瞑想、科学音楽」に対し、深い憧憬の念を抱き,強い関心、探究心を抱くことにもまた。この「連帯・共感力⇔自分本位な有害生物性」のテーマや「力」が殆ど「問われない」ということです。

つまり、「自然保護を真剣に考えようが考えまいが」「動物愛護で行動しようがしまいが」「インド科学音楽を真剣に学ぼうが学ぶまいが」「ヴェーダの叡智を知りたいと思おうが思うまいが」いずれの場合も、「現代社会人の感覚」というスタンスから考え語られているということであり、そこでは「普遍的なより純粋な意識(や価値観)」は「問われない」ということなのです。

この原稿を書いている今日。アメリカの「トランプ大統領」のみならず、「フランス大統領選挙」でさえも、「移民排斥、自国と自国民族第一」という「極端な保守主義」の風潮が吹き荒れています。ただ、間違ってもここで私はそれらを批判する意図も、「間違っている」という意味合いも一切持っていません。

何故ならば。この「宇宙~地球~生命体~細胞」で言う「連帯・共感力」とは、単なる「人間という同種族間のもの」ではないからであり、その基本は「常に置き換えて考えることが出来る連帯・共感力」であるべきだからです。

その意味に於いては「外国人労働者」が「我が国の伝統的な文化・風俗・風習や感性を重んじず(郷に入っても郷に従わない),自分たちの感覚と流儀を押し通そうとし、それどころか我々の職場や環境(住居や公共の場)を奪わんとしている」と考え、更には「外来の細菌、ウィルス、悪玉菌、有害物質」を体内からデトックスすることと同じだ」と考えることを単純に「おかしい」「間違っている」とは、言えない筈だからです。

「では、どっちも正しいのか?」「お前はどっちの味方なのだ?」と言われてしまいますが。「宇宙→地球→生命体→細胞や細菌」を感じられる(感じようとする)「連帯・共感力」に於いては「答えは明確」なのです。

結論を一言で言えば「どっちが正しく、どっちが間違いであろうと、人間というたったひとつのちっぽけな種族の中でのいざこざであり、それは、或るたった一種の
悪玉菌の仲間割れのようなものである」ということであり、事の善悪・正誤は「宿主の健康を脅かすか?否か?」に尽きる訳です。

しかし、それでは「問題の解決は宇宙の彼方」に放り出されたようなものです。

ひとつに「他国の領土に侵入し、そこにあった歴史ある文化・伝統・風俗・感性」を学ばず「ただただお金が欲しい、働きたい」であり、それどころか、自分たちの自国の「文化・風俗・価値観」のテリトリーを確保し、結束し、広げんとするならば、明らかに「或る種の癌細胞」の様であると言わざるを得ません。しかし、問題は「全ての外国人がそうではない」ということです。

「悲しみや辛さ」といった、極めて「主観的」なテーマを他者と比較する程愚かしいことはありませんが、敢えて言うならば、「郷に従わない傍若無人な侵入者的な外国人の存在」を「最も憂い、哀しんでいる」のは、何年も何十年も、何代かに渡って、日本とその一地域に溶け込み、地に足を着けて根を生やさんとして来た「むしろ同国人」たちであることは言える筈です。

過去30年近く、アジア・アフリカ・中南米の在日人協会や大使館数十で、その国の民族音楽を演奏し、その国の人々に大きな讃辞と励ましを頂いて来た私の経験では、1990年代迄は、「郷に従わない○○国人」はほんの一部でした。私のインド人の兄貴分のひとりは、日本語も達者で、「心はインド人だが、胃袋は日本人だ」とさえ言っていました。

事実、近年、そのような「郷に従う」外国人は比率的には劣勢かも知れません。しかし、それらをも含め「出て行け」と言う単純な発想では、「精神性としては同格だ」と言わざるを得ません。

そして、次なる重大なテーマは、「何故彼らは、外国で傍若無人を働くのか?」ということを考え、それに対する最善策を私達一人一人が真剣に取り組むべきであろう、ということです。

確かに、所謂「第三世界」の中の、都会から隔絶された地域では、インフラは元より、病院も学校も乏しく、教科書・ノートも薬も買えないという「確かな貧困」がとてつもなく多く存在します。しかし、その一方で、同じ国の人々が、その国の大都会で、地方の貧しい人々の数十倍も稼いで、数十倍も生活維持費を支払って居ます。要するに「経済のカラクリ(まやかし)」であり、「矛盾」です。

これを作り出し,手本を見せて来たのは、戦後驚異的な「物質的繁栄の復興」を見せた日本を筆頭にした所謂先進国なのですが、私達は彼ら「途上国」と呼ばれる国々の「都会の人間」にも、「地方の人間」に対しても「では、何が正しい道であったのか?」を示すことが出来ていません。それは「自然を守り、物を大切に使って長持ちさせ、伝統・文化・感性を守り、自尊ではない『誇り』を抱き、それを『幸せ』であり『義務・責務』であると感じる」という、本来当たり前の姿(手本)です。

「インド科学音楽に関係ないじゃないか!」とお思いの方も居るのでしょうか? だとしたら、それは全くの誤解・不理解です。実に深く関係しているのです。そもそも言い換えれば、その「関係性を見出せること」と「連帯・共感力」は明らかに比例するのです。

図について、
右下のChakra図に在ります,七つのChakraそのそれぞれを象徴するデザインは、各Chakraのものですが、その中の文字は、「Chakraの象徴韻」ではなく、科学(古典)音楽の「七つの楽音」です。

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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84、声楽家の陰:Sarangi (2)

サーランギーが、独奏するようになったのは、殆ど戦後も1960年代になってからのことと言われます。ただ、戦前に唯一の例外があり、それは、結局は分離独立でパキスタンに移った巨匠:ブンドゥー・カーンでした。彼は、良くも悪くも「狂人的」と言われるような人で、悪意も他意も無いのですが、演奏の度に「ラーガの精霊」が降りて来てしまい、精霊との向い合いに集中してしまえば、主人である「声楽家」を立てる「黒子、職人」であることさえ忘れてしまい、毎度「声楽家」を遥かに凌いで「ラーガ」を表現(正確には降臨的な具現)してしまい、(余程の名人以外)誰にも使ってもらえなくなったのです。
それでもインド知識人、音楽ファンの強い要望があって、ソロの演奏会が持たれるようになった訳です。もちろん、前述のサダーラングとの共演を王に命じられたサーランギー奏者もブンドゥー・カーンと同様の人だったのかも知れません。

「御殿を建てるチャンスを失った」私の師匠も、ブンドゥー・カーンもイスラム教徒ですが、「ラーガの精霊」と出逢ってしまった音楽家は、精霊を傷つけることは出来ないのでしょう。少なくとも精霊のことを半分も理解出来ていない声楽家や器楽奏者、そして聴衆の前で、適当な振る舞いを精霊に要求するという、言わば「見せ物」とようなことは出来なかった。
ラーガの世界(これこそがインド科学音楽ですが)は、ヒンドゥー教徒音楽家だけが理解出来るものでもないのでしょう。

その一方で、サーランギー奏者には、「黒子、職人」としての強い求めもあり、同時にそれは奏者にとっての誇りでもあり、重責でもあったのです。

日本の三味線屋さんの昔の話しで、「演奏が終わり緞帳が居り切った瞬間に破けた場合、とてつもない金額のご祝儀が出た」と言われます。
それは「より強く張れば音は良いが、本番中に破けたらおじゃん」しかし、それを心配して「緩めに張れば」それもまた音が冴えない。そのギリギリを狙うと三味線屋は、「命が削られた思いがする」と言います。それを語った私の三味線屋の師匠は、「名人の皮」を張る時には、「一月前から酒を断ち、身体を整えて臨んだ」と言いました。
つまり、自らを「黒子、職人」と誇りを持つと同時に、お客の「名人」とそうでもない演奏者との分別がかなり厳しいのです。或る意味でこの分別は差別であり階級であり、身分・格なのです。それが「公平だ平等だ」で、ごっちゃになってしまうことで失われる精神性や技もあろうという話しです。

ちなみに、その三味線屋の師匠は、庭先に来る野良猫に餌をやっていました。愛猫家ではなかったのでしょうが、慈しむ心はある。しかしそれも今の感覚からすれば、「そりゃおかしいだろう!偽善か!」と言われそうです。
「猫を慈しむ人間が何故猫皮を張れるんだ!」そう問われ見事に返答出来る人は居ないかも知れません。私の立場で見れば、「だからこそ、やや緩く張る時でさえ、否、むしろ音は立派で且つ破けにくく張る為に、技を磨き、酒断ちこそはせずとも、命を削っている」と確かに見えます。猫の命を貰い音に替える為に、自分の命も削る。

猫の命と計りに掛けて「どうなんだ?」と問われてしまえばそれまでですが、少なくとも、師匠は、一枚一枚丹念に吟味し、喧嘩傷を修復していました。その時にはその猫の生涯を想い浮かべていたような気がします。
その感覚は料理人にも言えるのではないでしょうか? そして私たちも、その料理を食べる度に「(命を)頂きます」「有難い(得難い)」と言って来ました。

これらこそが、日本の伝統やインドの伝統に残る「アニミズム(自然崇拝)」の名残ではないでしょうか。

流石に、「ラーガの精霊」を「見せ物」「なぶりもの」にするような声楽家や聴衆の前では演奏せずとも、ある程度のことであるならば、例え声楽家の技量が足りないとしても、聴衆の理解度が低めであるとしても、そこはサーランギー奏者が「俺がフォローする」という気概があったように思います。

そんなサーランギー奏者の「誇り」と「気概」に対して、それを「粋」と感じた昔のインドの音楽家や聴衆は素敵な言葉(称号)を作りました。
それは「チャヤ・キ・ガーン(Chhaya-ki-Gan)」。文字通り「歌の影」です。歌い手が即興で歌わんとしているフレイズを半拍、一拍遅れて追従し、決してリードすることなく、しかし、見事にフォローし、誰にも気づかれずに実は導いて行くのです。

また、これはブラフマン教初期には太陽と対等の扱いだった「太陰(月)」の世界でもあります。中国の「陰陽五行」の観念より2000年以上古いと思われる「光と影」の世界の観念でもあるのです。歌舞伎・文楽の黒子もまた、「見たまま黒い布を被っている」ではなく、「黒、闇、裏側」といった対局の世界を意味しています。「目に見える=形而下に対する形而上」という意味でもあります。もちろん「物質世界に対する精神世界」でもある訳です。

確かに現代社会でも正すべき差別、不条理はまだまだありますが、それとは別に、全ての「日陰のもの」を「日向」に持ち出すことが果たして「正義、公平、平等」なのか?というテーマもあるのではないでしょうか。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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83、声楽家の陰:Sarangi (1)

北インドの弓奏楽器「サーランギー」が以前この連載に登場したのは、Vol.46の新音楽(声楽様式:カヤール)創造の発端を開いたターンセン一族のドゥルパディヤーのひとり、称号:サダーラングの話に於いてでした。
当時のデリー王:ムハンマド・カーンの粋狂で、「当代随一」と話題になっていたサーランギー奏者とサダーラングのヴィーナとの腕比べを固辞し、宮廷を追放になったことが全ての始まりでした。
この時の出来事の意味とサダーラングの心情は、今の世の中でどのように説明したら伝わるのでしょうか? というのも、洋の東西を問わず、人間社会はこの100年で、様々な階級、身分、差別、不条理を告発し戦って、かなり改善されてきました。しかし、Vo;81で登場した話し「サックス=ラッパ?」に見られるように、社会制度は変化しても庶民の理解はどれほどなのだろう?とか、改善される事柄がある一方で、曖昧になった「分別」もあれば、「格式、品格」という観念が捨てられてしまった部分も多いと思われるからです。

何事も「自由が一番=やりたいようにやれる筈だ」という感覚では、この「楽器紹介編」のシタールでお話した欧米ヒッピーが路上でシタール、タブラを玩具にすることも「何の問題もない」ということになる筈です。
逆に「いや、大問題だ!」としても、その「観念」を十人が十人共有出来るか?というと、それは「観念」のそもそもの限界で、まず無理な話しです。

その一方で、身分や階級的に卑下されて来た人間達の全てが今日のような「ボダーレス」を望んでいたのかどうか?という逆のテーマもあろうかと思います。例えば、歌舞伎や文楽の「黒子」や、日本にはまだまだ少なくない「職人」さんは、果たしてタレントのように「目立ちたい」「名と顔を売ってより多く稼ぎたい」だけが目標でしょうか? もちろん、生活向上は望んでいるでしょうし、家族や子や孫の安泰も大きなテーマでしょうが。

私の師匠は国立音楽院の主任教授の地位にありながら、逆に国家公務員の為に、レコードも海外公演も、徒弟制度以外に生徒を増やすことも禁じられ、州から格安の家賃で得られた家に親戚含めて十数人で暮らしていました。しかも、運悪く隣家が水牛小屋だったので、町中から師匠の家迄の道路は糞で敷き詰められ雨の日は悲惨でした。

そんな師匠がたった一回だけ、私に愚痴をこぼしたのが、「お金があれば屋上に音楽室を作りたい」だけでしたが、結局何も手助け出来ていませんが、私は「あれもこれもどうにかならないものか?」と思うことばかりでした。

そんな師匠が若い頃、一時大金を手にする機会を得ました。ネパール国境に近いと或る町の大富豪の娘の家庭教師の職を得たのでした。ところが、学び始めて二三年で父親の大富豪は「我が娘は天才であろう?」とお客を集めて演奏会を開いてしまったのです。そして、大富豪が演奏後、師匠に向かって感想を訊いた時です。師匠はお客の面前で「はて、私はこのような音楽を聴くのは初めてなので、評価のしようがありません」と言ってしまったのです。

私の感覚で申して恐縮ですが、シタール、サロード、サントゥール、サーランギーなどなどを長年弾いて来て、その難度のみならず、実際の演奏スタイルと奏者のラーガの理解のことを考えると、もしかしたらサーランギーは最も高度なインド楽器かも知れません。
が、その評価は、やっと20年程前に高まりましたが、その頃には演奏者は激減していました。

何度か述べていますが、そもそもサーランギーは、「修行僧の楽器」及び「地方の民謡楽器」もしくは「花柳界の歌姫の伴奏楽器」でした。
今日では大分減りましたが、それでもラージャスターンでは未だに数種の民謡サーランギーが世襲の音楽一族によって守られています。

その最も古いと思われるシンプルな楽器「チカラ」は、三本の主弦に4〜5本の共鳴弦しかありません。ラージャスターン及び近隣地方で発展した楽器は、主弦が三本の羊腸で、共鳴弦が20本近くあります。それらが「花柳界」で徐々に発展し、最終的に「クラッシック・サーランギー(古典音楽用の意味)」と呼ばれる今日の形になり、主弦三本(希に金属基音弦を四本目に張る)の他、クロマティック(全ての半音に調律)共鳴弦が15本前後。基音共鳴弦が楽器上部左右のサワリ駒の上に計10本程度、その他「ラーガに合わせ曲毎に調律する共鳴弦」が15本前後で、合計40本前後もの共鳴弦が付けられました。
しかし、サーランギーがその形と地位に至る迄は数百年の或る意味で虐げられた時代と歴史があるのです。が、果たしてその全てが不条理であったか?というとそうでもないようにも思えます。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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82、花柳界出身の太鼓:Tabla

シタールの伴奏によって、シタールと共に世界を旅したことで世界的に有名になり、その後、シタールが入ると「如何にもインドの世界」になってしまうのに対し、タブラは世界の様々な音楽にも自然に溶け込み、色を変えないことからシタールよりも普遍的且つユニークな楽器(太鼓)としてより好まれた経緯があります。
シタールの項で述べました「ラーガ・ロック」は恐らくほとんど演奏しなかったエリック・クラプトンも、名曲「ライラ」のアルバムでタブラを起用しています。
この「タブラ」は、前回ご紹介した「ムリダングを左右で二分した、高低二個一組の片面太鼓」ということが出来、正式には「タブラ(右高音太鼓)・バヤン(左低音太鼓)」であると知っている人は、タブラをご存知の方の中でも七割位でしょうか? 「バヤンが単に『左』の意味で、タブラは元々アラビヤ語で『太鼓』である」となってくると五割程度かも知れません。
更に、実は「タブラ・バヤン」に至る迄に、過渡期の同様の太鼓が数種あることは「タブラを持って居る」人や「そこそこ演奏するぞ」という人の中でも殆どご存じないかも知れません。

そもそも何故「ムリダングを二分する必要があったのか?」
ひとつには,西域からインドに来た(つまり移動して)イスラム教徒にとって、移動出来る太鼓は、馬の鞍の両側に取り付けた「二個一組」の太鼓であったからに他なりません。
他方「ムリダングを二分しないと、叩けない」ということは、ある程度はあります。手の甲が上を向くか横を向くかでは重力を利用出来る出来ないの大きな違いがあります。ですが、決定的な問題ではない筈です。

実は、より決定的な理由は「音量と余韻」にありました。前回お話しましたように、ムリダングは、世界有数の音量と余韻を誇る太鼓で、正にヒンドゥー寺院の厳かな儀礼音楽や、宮廷音楽の最高峰ドゥルパドには適しているのですが、花柳界の歌姫の叙情詩には全く不向きです。
もちろん「楽器の格」がありましたから、ムリダングを宮廷や寺院から持ち出して花柳界で用いることなど許されませんでしたが。誰もそれを望みもしなかったということです。

なので、当初花柳界では「馬の鞍の両側」に吊るされた太鼓「ナッカーラ(Naqqara)」を指と掌で叩いて歌姫を伴奏していたのです。本来はスティックで叩きますが、しっとりとした叙情詩では音が大き過ぎです。
この太鼓も大小で音の高低を付けましたが、音色変化は4種類程度でしょう。
そもそも花柳界の歌姫は、宮廷楽師に弟子入りしていました。これは日本の芸者さんも同様で、長唄や浄瑠璃の師匠に昼間稽古を付けてもらうのです。
歌姫の家系は、女子に生まれれば、歌姫と舞姫になり、男子に生まれればタブラ奏者とサーランギー奏者になりますから、恐らく男子もラーガ音楽やターラ技法を学びに行っていた筈です。そこで、ムリダングの「スャヒ」を知り、恐る恐る遠慮がち「どうにかナッカーラにも応用出来ないか?」とチャレンジしたのでしょう。

ところが、その当時も今でもムリダングの左側低音太鼓にはスャヒを貼らず、演奏の度に米粉を捏ねて貼ります。演奏中に渇くと剥がれてしまいますから器の水を用意し常に湿らせます。右のスャヒは汗でも痛むので、むしろ頻繁に手を拭きながらです。「音の高低」のみならず「乾きと湿り」も同時に存在するのです。実に「二元論を象徴している楽器」と言えましょう。
なので、初期の花柳界ナッカーラにはスャヒは全くなく、演奏時に左低音太鼓に米粉(ラヴァ)を塗って演奏していた訳です。
このペア太鼓の名はやはり「ナッカーラ」でしかなく、左右は「サギールとカビール(アラビヤ語の小と大)」かヒンディー語(ウルドゥー語)で「ダヤンとバヤン(右と左)」程度だったと思われます。

次に開発された花柳界太鼓が、左低音太鼓のみ木製にして、ムリダングのラヴァの他に「縁皮」をも取り入れて、音の変化を際立てたものです。それは「ダーマ」と呼ばれます。何故そのような太鼓が必要であったのか? それは、ラヴァを塗った左は手のかかとを鼓面に付け、スライド音を出すからです。もちろん、かかとがラヴァに乗り上げてしまうとぬかるみに足を突っ込んだようになってしまいますから「寸止め」ですが。
なので、断面が三角なナッカーラより円筒形の方が安定するからがその理由です。そして、右側は変わらず小さなナッカーラ。しかし、そもそも「ナッカーラ」はアラビヤ語で複数形ですが、その頃にはアラビヤ語会話者は少なくなっていたのでしょう、それでも「ペア太鼓の一方」を旧名で呼ぶことはしなかったようです。なので、「高音(頂き)」の意味(前回のムリダングのイスラム教徒の呼称と同じ)の「アワジ」を用い「アワジ&ダーマ」だったのです。もちろん単に、アラビヤ語の「太鼓」の意味の「タブラ」の語を用い「タブラ&ダーマ」であったかも知れませんが、後述の同名太鼓と同名異形ですから割愛します。
そして、次に「アワジ」もムリダングを真似た木製片面太鼓に替え今度はスャヒを塗って、今日の右側高音太鼓「タブラ」が出来上がります。そのセットが「タブラ&ダーマ」です。

ところが、楽派によっては「ダーマ」を用いず、ナッカーラの左太鼓をずっと用いていた奏者も居ました。彼らはナッカーラのインド名「ドゥッギ」と称します。その彼らも右高音太鼓にスャヒが着いた「タブラ」は大歓迎。そこで「タブラ&ドゥッギ」が誕生します。倒れにくいように「お椀型」に改良されています。
そのドゥッギのラヴァをスヤヒに替えたのが今日の「バヤン」です。なので、今日の「タブラ・バヤン」を未だに「タブラ・ドゥッギ(ドゥッガ)」と呼ぶ人も少なくありません。 当初左低音の「ドゥッギ」にはラヴァが塗られていたのでしょうが、近年ではもっぱらスャヒが貼られています。一方の「ダーマ」は、未だに鼓面には何もなく、演奏時にラヴァを貼るようになっています。
また、1990年代に日本でも人気となったスーフィー・チシュティー教団の献身歌(神秘詩)カッワーリの歌い手:ヌスラット・ファテ・アリ・カーンの楽団では「タブラ・バヤン」「両面民謡太鼓:ドーラク」の他に、「アワジ・ドゥッギ」をしばしば使っていました。この場合のドゥッギは今日のバヤンと同じ「スャヒ付き」で右側「アワジ」はナッカーラのままです。

「タブラ」もまた、流石にシタールの相棒であるだけあって、シタール同様に波瀾万丈の歴史を経て古典音楽太鼓に至ったのです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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