Vol.170:アーユルヴェーダ音楽療法入門32 アーユルヴェーダ音楽療法・用語辞典(入門編)

ア行(1)

しばしば「Be(ベー)」と同様に、「否定の意味」で接頭字的に使われる。
例:アダルマ=ダルマ(正しい道理・行為)に対して誤った方法・行為の意
アパッティヤ=パッティヤ(適合)に対して不適合の意
アサッディヤ=サッディア(根治する病)に対して不治の病の意
アヴィディヤ=ヴィディア(叡智・知識)に対して無知の意
アドゥワイタ=ドゥワイタ(二元論)に対して不二一元論
アラウキカ=ラウキク(学問的)に対して非科学的・平凡の意
アスィッダ=スィッダ(真理)に対して虚偽・誤信・未証明の意
アサダーラーナ=サダーラーナ(広範囲)に対して狭範囲の検証の意

アバーヴァ 欠乏
アバーヴァ・パダールタ:欠乏症:アバハーヴァ(欠乏)+パダールタ(来す)

アバンガ・オビー マハラシュトラ(州/県/地方)のバクティー(ヒンドゥー献身運動)讃歌。

アビヤンガ
「アビ(対峙)+アンガ(胴/体)」Ayuruvedaに於ける直接的な施術の意。
近年ではもっぱら「オイル・マッサージ」のこと。

アボーグ
古代科学音楽(Shastriya-Sangit)から派生した、ヒンドゥー教布教芸術に於ける「Perfoming-Art」としての古典音楽「Gandharva-Sangit」で確立した「作曲された主題群」のひとつ。「第四主題」
「プラヴァンダ様式」「チャトゥール・アンガ様式」の一部に起用される。
古代の終わりに「古典音楽」が大改革を強いられた際、中世に生き残った様式「ドゥルパド」に継承された「四主題」の四番目。(プラヴァンダでは第五主題)
主題(スターイー:基音Sa~主音のある中心的音域)
第二主題(アンタラー:属音MaもしくはPa~副主音で展開する)
第三主題(サンチャリー:スターイーの8v展開)に次ぐ、
第四主題(アボーグ:先行三主題の総合または、残された部分の展開)の役割分担がある。

アボーギ Ragaのひとつ。短三度、短七度のカフィー系に分類される古いRaga
五度と七度を割愛する五音音階(アウダヴァ・ジャーティー)基音持続法の属音五度を持ちいることが出来ないので完全四度で代用する。その結果、第四音が基音に聴こえるというパラドクスが生じる。

アビナーヤ 古典舞踊に於けるジェスチャー表現。
広義には、「手首からの先の表現:ムドラー」を含むが、狭義では、主に「顔の表情の表現」を指す。

アヒール・バイラウ Ragaのひとつ。本来短二度のRaga:バイラウで、長二度を用いる。
名前の由来は「アヒール族の民謡から採集したから」と言われるが不詳。

アチャルヤ 専門家、巨匠、サンギータッチャルヤ:音楽家、
ムリダンガッチャルヤ:ムリダング(両面太鼓)の名手。一般・並水準よりは高いがヴィドゥワン程ではない。ブラフマチャリアも同様の熟語だが、正式なヴェーダ科学では殆ど言わない。「神掛かり」的な意味になってしまうが、逆に反一元論になる。かと思えば、或る宗派では「性的エネルギー」などとする。

アダーラ・サラジュ 絶対不変・普遍のサ(Sa/インド階名ドレミのド)

アドブータ Gandharva-Sangit以降の芸術作品に関連させた「九つの感情」のひとつ。「驚き」

アドルスタ 目に見えない自然の法則

アドゥルスタート (予期せぬ)神の啓示

アドウィタ・プラマーナ 不二一元論に基づく体験
対:ドウィタ・プラマーナ:二元論に基づく体験

アドウィタ・ヴァーダ 不二一元論

アデャーヤ 字義は「章」。13世紀のGandharva-Sangitの解説書「サンギート・ラトナーカル」の各章で、転じて「各学」的に用いられる
例:アルス(解釈)・アデャーヤ(章)→音楽学
アスト(楽器)・アデャーヤ(章)→楽器学
ラーガ(解釈)・アデャーヤ(章)→旋法学

アラ 二分の三の意。
アラ・チャウタールは、チャウタール(12拍子)の末尾に二分の三を入れて14拍子にしたもの。

アール・ラヤ 二分の三の意。1.5拍でくくるようなリズム分割。
大阪の昔のヒット曲の「飛んで飛んで飛んで飛んで」がこれ。広義には、「偶数分割リズム(2拍子系4拍子系など)の三つくくり」の意

アグニ 1)火
2)「パンチャ・ブータ(五元素)」に於ける形而上的な「火」食物を燃焼・分解させる力。
3)ブラフマン教の「火の神」ヒンドゥー時代にも生き残る。

アーグニャ 六番目のチャクラ(体の下部から数える)。第三の眼辺りにある。

アグニヴェーシャ プナルヴァス・アートレーヤの六名の弟子のひとり。チャラカの師。 六サンヒター中、最良とされるアグニヴェーシャ・サンヒターを著す。

アーハタ・ナーダ 声帯による肉声や、弦を弾いて鳴らす弦楽器、吹いて鳴らす管楽器などで
「物理的に発音された音」「人間の耳に聴こえる音」。しかし、そもそもは「ナーダ:宇宙の波動」を声帯や楽器が受信して「人間に聴こえる音」となったと説く。
対:「アナハタ・ナーダ」

アーハーラ 字義は燃料、食物。現象的・現実的(形而下)の食物(広義のごはん)の「アンナ」に対して、形而上的意味合い(例えば「滋養」など)を含む。

アハーラ・シャクティー 食物・滋養によって得た力。及びそれらが持つそもそもの力。転じて「食物に対する力・感受性=食べる力」をも言うが、「消化力(ジャーラナ・シャクティ)」と混同される。

アハムカーラー 意識。自我意識。一般的に一般人が認識する「意識/自我/自分/自覚」
「コーシャ(鞘)論」では、最も外側。「気分感情領域」
現代人は、こればかりを「自分」と思い込む悪しき風潮(常識)が蔓延。言わば「国家最高権力者」のようなもので、これの質・内容・精神性、及び「これを制御する論理思考の有無」によっては、国民(臓器や細胞)はとんでもない苦しみを味わう。

アジールナ 消化不良、胃腸疾患、

アーカーシャ   「万物の五元素:パーンチャ・ブータ」のひとつ「空」
古代ペルシアの「四元素」の「気・空」を二分し「ヴァーユ:風」と分別した。「空気・大気」であり「空間」でもある。「ヴァーユ:風」の動的な性質に対し「静的」「無的/虚空」。

アクシャーナーン 感覚。形而上的意味の深い「インドリア」に対し、日常的に私たちが意識している「感覚」。言い換えれば「インドリア」を理解せねば、「生命体としての感覚」を読み・語りすることは出来ない。

アクシャラ 1)単位、普遍的で抽象的。絶対値を語らない時の「粒、コマ、節」
2)リズム型の最小単位。例:2+3アクシャラは、1アクシャラが八分音符ならば2.5拍だが、1アクシャラが四分音符ならば5拍になる。

アークンチャーナ 生命体の「五作用:パンチャ・カルマ/ラウキカ・カルマ」のひとつ「縮小させる/収束・収斂作用」
対:プラサーラナ(拡大させる/拡散)

アライヤ・ビラーワル 「アルハイヤ・ビラーワル」と綴る。Ragaのひとつ。
短七度を用いるので「カマージ系(That)」的だが、音の動きは、完全に「ビラーワル系(長七度)」。Performing-Artでは、タート代表格:Raga-Bilawalより好んで演奏される。

アーラープ Gandharva-Sangit以降の古典音楽に於ける「前奏曲」
古代科学音楽(Shstriya-Sangit)では、歴然とした一楽曲様式。
Ragaの真髄(プラクリティー)を完全に具現するので、「前奏曲」という観念は本来は誤り。むしろこれが「本曲」で、その後の太鼓が加わる部分は言わば「お楽しみ=デザート」と考えるべきでもある。
「自由リズム(リズムサイクルもビートも無い)」で歌われる(演奏される)ドルゥパド様式以降では、ビート感(リズムサイクルは無い)を持つ部分が加わり、中世後半の器楽(ガット様式)では、更に速いテンポで超絶技巧を聴かせる部分も付加された。

アーローチャカ・ピッタ 「トゥリ・ドーシャ」のひとつ「ピッタ」に関連する「5要素:パンチャヴィダ・ピッタ」(Sub-Doshaと言う人も多い)のひとつ。眼、視力に働く

アーマ 未消化物。排泄物。実際は、「未消化物・老廃物・菌や組織の死骸」
などが混沌と混同されている。

アーマッド 1)16世紀~19世紀、今日のUP州に展開した帰化アフガン外人部隊駐屯地ローヒルカンドのアフガン系伝統古典音楽に於ける楽曲構成部部分。字義はペルシア語の「登場・出現・呼び込み」
2)上記1)の地域が後にアワド王朝領となり、そこで発展した古典舞踊カタックの構成部分のひとつ。イスラム宮廷色が濃い。

アーマーシャヤ  胃

アムラ 「ラサ(味)」のひとつ。酸味

アムシャ 副主音。より古代では「主音」。中世では「開始音」。近現代では、副主音はサムヴァーディーの語に置き換えられ、存在感を失う。

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169、アーユルヴェーダ音楽療法入門31(Tri-Doshaと精神構造)

今日の日本に於いて、着実にファンを増やしているアーユルヴェーダですが、無論「薬事法」「医療法」の壁があれば、「サプリメント」や「健康法」の領域で活動するしかないのもやむを得ないことです。
しかし、だからと言って、「Detox(解毒)」ばかりがもてはやされるということは、本来のヴェーダの叡智に於いても偏ったものであることは言う迄もありません。「食物・水・空気・滋養」にしても「情報・言葉・流行・風潮・思想・論理」にしても「ファッション・動画・映画・絵画・ヤントラ・音楽・マントラ」にしても、「心と体に取込むもの」に対する「感受性の偏り」と「消化吸収力の正常化」を考えずに、「Detox(解毒)」が先に立つというのもおかしな話です。
確かに、今の世の中、拒みたくても入ってくる有害なものに溢れています。しかし、上記の「感受性・消化吸収力の問題」を考えないこと自体が、「既に病気」とさえ言いたい位です。何故ならば、そもそも「偏り」が病気の始まりであることは、アーユルヴェーダでも、中医・漢方でも古くから説いていることですし、消化吸収力の衰えは、西洋医学でも「様々な病気の始まり」と説いているからです。その「病気の始まり」を「病気になるとは思いたくない」というならば、それはもっと重症な大問題であると言わざるを得ない、ということです。
特に昨今のアーユルヴェーダ・ブームでは、本来のアーユルヴェーダでは様々な病状の中でも極めて深刻なもののひとつであると説く「アパタルパナ(栄養吸収消化代謝障害)」を、あたかも「痩身法」のように語っている人が少なくないことには驚嘆します。
尤も、体のみならず、心も感性もアパタルパナ状態に近づく一方の現代人にとっては、「有益なもの」も消化吸収出来なければ「有害」となり、その後は、「Detox(解毒)」しか能が無い。のかも知れませんが。
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その一方で、
人間個々個人の「体質・気質」を判断する。中医・漢方の「証」とも共通する概念である「Tri-Dosha」は、「三つの資質とそのバランスを説いた理論」ですが、そもそも「Dosha」の語源が「有害・毒」のようなものですから、「Detox(解毒)観念」が先行するのもやむを得ないのかも知れません。何故、生命体の根本的な性質を「Dosha:毒のような」という語彙で表現したのでしょう。
それは二つの考え方で容易に理解できます。
ひとつは、古代の人間は、今日の人間からは比べようが無いほどに「健康・自然体」だったであろうからです。基本的に「三つのDosha」が、誰もが皆、均等のバランスであったならば、頻繁に「Detox(解毒)」する必要もないでしょうし、世の中に毒々しい「食物・音・オブジェ・言葉」もそうそう無かったのでしょう。
しかし、それならば、「Dosha」ではなく、「Bhuta」や「Guna」などの言葉でも良かったはずです。
もうひとつの理由が、「恵み」は常に「脅威」でもあるという、古代人の常識です。本来は、現代人とて同じく、人間にとって全てのものは、「恵みであり脅威である」ということです。
それは、「神」に始まり、あらゆる自然現象や、大自然の環境全てに当てはまります。
薬は言う迄もなく「毒」でもあり、「医食同源」ならば、あらゆる食物も「恵みであり毒である」という事実です。
「河」や「海」、および「雨風」に対して、この十年。日本人は、その「絶対的な基本」を改めて痛感するばかりの日々が続きますが、これが本来なのだ、とも言える訳です。

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「ピッタ:火」は、「消化力」であると共に、自律神経・交感神経、アドレナリンでもある訳ですから、消化のみならず、モチベイション、エネルギー、注意力、観察力、判断力など、生きて行く上で欠かせない能力にも直結します。
逆に言えば、「社会に守られていることに慣れ・当たり前・当然と感じている現代人」の場合、「注意力、観察力、判断力」が衰え、「ピッタ」は、その他のことに過剰に働くことになりかねません。
つまり「ストレス云々」と被害者意識ばかりで考えては駄目で、自らの「鈍り」が「ピッタの活用に偏りを生じさせている」と気づくべきでしょう。

「ヴァータ:風」は、消化吸収代謝した栄養素を「運搬」することに欠かせない力です。無論、老廃物や毒素の運搬にも欠かせません。病気の一番の問題は、「ストレス」などではなく「滞り」と「バランス異常」ですが、後者は、前者の結果と考えるべきならば、全ては「滞り」が原因と言えます。(感染症さえも、滞りが無ければ、自然に流される=スルー出来る筈です)

例えば、「犯罪者」や「異常者」が町に侵入したとして、「隠れ家」になるような淀んだエリアが町に無く、はつらつとした市民が、常に元気で健康で、笑顔で行き来し、他人同士が自然に笑顔と言葉を交わしている「本来当たり前の状態」であったならば、「犯罪者も異常者も住み難い」というものです。
ところが実際は、人々は誰もが何時も険しい表情で「何か文句あるのか?」と何時でも一瞬のうちに「キレ」そうな様相で町をせわしく闊歩している。すれ違いに肩がぶつかろうものならば、ファッション雑誌の表紙モデルも出来そうなお嬢さんが「舌打ち」をする世の中。赤の他人の様子など無関心は勿論、声掛けなどありえません。
そんな世の中ですから、そのつもりで自転車を漕いでいたら、或る時
見知らぬ筈の小学校低学年の少女に「こんにちは!」と言われ驚きました。
「すみません。何時どちらでお会いしましたか?」と丁寧に訊けばなんと!
「今」と答えられ更に仰天。
彼女は、初めてすれ違う私に挨拶をしてくれたのです。
お言葉お気遣いを頂戴するほど老けた様相に至ったということでしょうが。
そのあまりの純真さに
「この子はクマリか?」と思ってしまいました。

しかし1980年代以前は、それが「普通」だったのです。

「カパ:地」は、乾ききった荒野ではなく、潤沢な豊かな大地であり、自然に草木が茂り、生き物が豊かに宿る野原のようなものです。カパの力によって、細胞と細胞、臓器と臓器、が連結し、滋養・エネルギーを蓄え、代謝し、還元出来ているのです。
ピッタは、炎が立ち昇る中で中華鍋を激しく振る、手際の良い料理人かも知れません。ヴァータは、颯爽でスマート且つ、スピーディーに客席の間を巡る、良く働くウェイターさんかも知れません。しかし、それもこれも、カパが用意したテーブルも皿も、冷蔵庫も無ければ、私たちの食事は、毎日毎食が、「パン喰い競争」「流しそうめん」「立ち喰い廻る寿司屋」のようなものか、「鵜飼の鵜」のようなものになってしまいます。

このような「ありがたい存在たち」を、何故「毒」が語源の「Dosha」と呼ぶのか?
それは、私たちそれぞれが、体の中に、「ピッタ:アグニ火の神」「ヴァータ:ヴァーユ風神」「カパ:プリトゥヴィー地神」を住まわせているようなものだからです。
そして、
本来神々は「荒神」と「和神」の両面を持っているのです。
しかし、この道理も、
例えば古代エジプトでは、新王朝の時代で既に「人間にとって都合の良い神ばかり」の解釈に変えてしまいました。日本の神道の神々の場合、まだ少し「荒神」が残っていますが。
インドの場合は、世界的に稀に見るほど、その「道理」をしっかりと考えているかも知れません。
尤も、シヴァ派の神々はむしろ「荒神」に偏っており、ヴィシュヌ派は「和神」に偏っている感は否めませんが。

このように認識を新たにしていただければ、
三つのDoshaは、いずれも「恵みであり毒である」ということがお分かり頂けると思います。

尤も、今回お話しましたようなことは、ある程度の勉強をされたアーユルヴェーダ専門家の方々は、とうにご存知のことに違いありません。

しかし、その方々も、殆どの関係者・専門家が語っていないのが、「ドーシャの性質・役割の二面性(相反する対極的な性質)」が、何時・どのような時に、何故現れるのか? 反転するのか? ということです。
おそらく、それが分かってらっしゃらないが為に「バランス問題」とおっしゃるのでしょう。

確かにバランス問題も存在します。しかし、「恒常性」は、日々刻々と相反する要素がせめぎあってバランスを保っているのです。その「恒常性力・バランス制御力」が衰えた時に、「補ってやる」ことを無駄とも愚かとも言いませんが、「対処療法」であることは紛れも無いことです。「Detox(解毒)」もまたしかり。東洋医学が東洋医学たる所以「全身医療と予防医療」および「自然治癒力サポート」の概念を捨て「局所対処療法」になってしまってどうするのか?という大問題です。

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(文章:若林 忠宏

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168、アーユルヴェーダ音楽療法入門30(右脳左脳論と精神構造)

当連載のVol.165とVol.166で、古代ヴェーダの叡智とも一致する「本来と現代人の精神構造図」と、「Chakraおよび臓器の関係」を説いて来ました。そして、前回Vol.167と今回は、「脳機能との関係」を説いています。
しかし、ここにも二三の問題点があります。
ひとつは、最近の奇妙な「脳科学ブーム」です。
30年ほど前からじわじわブームになって来ました「脳科学の話題」ですが、当初は「自己改革」的な世間の関心に対して迎合的に語られていました。それが、次第に「現代人の状態を肯定する方向」に変化して来たことです。前時代の「自己改革」は、まだ「高度成長期~バブル期」の「抜きん出た才覚」を奨励する価値観の延長線にあり、今や死語になりつつある「勝ち組・負け組」的な危機感を煽る要素もありました。
ところが、2000年代後半になると、「自分を変えてまで努力をしたくない」「むしろ疲れた。癒してくれ」の傾向がより顕著になり、前時代の価値観は一気に冷めて行き、代わりに「肯定型の論調」が主流になりました。
つまり、「一般のニーズ」に応じて変化する「科学」という姿に、遠慮もてらいも、見境さえなくなって来たということです。極論を言えば「本来、政治・経済から自由でありながら、真実を探求するのが科学」であるならば、近年の「科学と科学者」は、極めて「大衆迎合的」である。ということです。果たして、そのような価値観が発信した情報で、我が身の健康・生命・人生を慮ることが出来るのでしょうか。

もうひとつの問題が、最も最近の例を除き、この30年に雨後の筍のように相次いであわられた「自称脳科学者」という専門家の殆どが、「脳科学」が専門という訳ではなく、何らかの関わりを持っているに過ぎなかったということです。無論、精神科医、臨床心理士などの医学博士でありますから、このようなことを述べれば、激怒され「お前は全く語る資格などないじゃないか」となるに決まっていますが。
また、ごく最近、逆に「脳科学が専門」という若い世代の学者・論者も現れて来ています。
しかし、いずれも「出ては叩かれ否定され」がこの30年の有様です。
つまり「実のところ、殆ど科学的・医学的に検証された定説に至っていない」ことと、
「実際、脳機能については、まだまだ殆ど分かっていない」というのが事実なのです。
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まてしても私事で恐縮ですが、
脳卒中(脳出血)で倒れた母親の救急車に同乗して病院に急行し、翌日主治医先生の説明を受ける際、この眼でMRI画像をしかと見て、先生のご説明を納得しました。
左脳の「言語中枢」が、殆ど出血で真っ黒に写っていました。
当然、「言葉(会話)は諦めて下さい」「当然、片麻痺も覚悟です」「それ以前にこの一週間が峠で、亡くなる危険性もあります」との説明でした。
話せば長い話ですが、結局半年後に、主治医先生が「奇跡だ!」とおっしゃるほどの快復で退院しました。
冗談で私は「神様ありがとうございます」「でも、言葉は少し減らして下さっても良かったのですが」と言ったほどでした。昔から口煩い母が、病気で以前の動きが出来ない、気力が無い、薬を飲まねばならないなどで、当然イライラもあって、むしろ以前より「口煩い」「口数が多くなった」と思うほどだったからです。

病院の母に、イヤフォンで、ピアノ教師だった母が一番好きだった「ドビュッシー」と、私のシタール演奏のカセットを聴かせ続けたり、院内感染で危篤になった以後、二人部屋に差額なしで入れられたのを幸いに、天井と壁に、母の娘時代、結婚当初の写真を大きく引き伸ばして張り続けました。
この30年近く前の出来事こそが、その20年近く前からの私の「インド音楽修行」の中で、少しずつ大きくなって来た「古代インド科学音楽による音楽療法」の道に進ませたのです。そして、「写真を貼ったこと」は、「ヤントラの科学」に気づいた大きなきっかけでもありました。

それから更に30年近く経った今日でも、「一旦破壊された脳機能(その部位のそれ自体)は再生しない」とされ「他の部位が補うことがあるようだが、まだまだ分からないことだらけ」という定説が現状のようです。
その事実は、リハビリの成果が出る人と出ない人が現れることでも確認出来ます。
母の片麻痺は、「言葉が戻った」ことと同様、殆ど発病前と変わらず、肉体的なリハビリは殆ど受けませんでした。半年のうち、五ヶ月は日々朦朧とし、しばしば生死を彷徨い、何度も「危篤」で呼び出されましたが、最後の一月に急速に復活したのです。これ自体も珍しい。一般に、「最初の一週間で決まる」とされます。加えて。興味深いことは、「抗生剤が効かない耐性菌」に対しても、「自然治癒力」が、乗り切ってくれた事実です。
しかし、主治医先生には「音楽療法」のことは申しませんでした。あざけるように「スルー」されるか、大層不機嫌になられるかのどちらかだと思ったからです。
「音楽療法」は、その後2000年代になって、私が音楽療法士を育てる学院で「即興音楽」の講師をした頃でさえ、「音楽療法の国家資格制度」が確立せず、現場では皆さんご苦労をされていました。そして、大幅に社会福祉予算が削られ今日に至ります。
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そして、最も重大な問題が、今回のテーマである「右脳左脳論」です。
これも、結論を言えば「現代科学・医学で証明された定説が無い」ということで、「面白おかしく批判すること」や「批判することで自己実現したがる人々」によって、「何が正論なのだ?」が全く分からない混沌とした現状になっています。

かと思えば、「右脳左脳の機能分化」どころか、それが「右左の鼻腔と関係がある」として、「片鼻ずつの呼吸法」を説くヨガ流派もあります。

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例えば「血液型と性格の傾向論」については、長年もてはやされて来ましたが、一時「否定論」が急浮上しました。ところが、最近になってまた「或る種のタンパク質の偏りがある」ことが発見されるや、また急浮上する、という有様です。

極論を言えば、むしろ「現代科学・医学で証明などしてくれない方がすっきりする」という全く逆の思いにも至りそうなほどの混沌、異論反論、定説の変化です。それよりは、古代インドの五千年三千年の叡智を素直に学んだ方がよっぽど日々の精進に役立ちそうです。尤も、そのインドの知恵も、現地で数百年数十年の間に変質させられた部分も否めませんが。

「右脳左脳論の是非」についてもまた、一旦「否定勢力」が亢進しても、新たな発見によって覆されるなどがしばらく繰り返すのでしょう。
しかし、私に取っては母親との闘病の日々の経験から、二人部屋の他方の方の「片麻痺」の病状の変遷なども目の当たりにして、「左右の脳機能の分化は事実なのだろう」と身をもって実感しました。
逆の発想で言えば、「片麻痺=片方がやられた」ではなく、「分化のお陰で片方は生き残った」とも言える筈です。

「Mac-Bookは全滅したが、i-Bookは半分生き残った」をも思い出します。

しかし、「機能分化」があるとは言え、「高速で左右を情報(指令・報告)が何度も行き来している」こともまた、事実のようです。
そのような「分化構造」は、「恒常性のための相反する機能」とも矛盾しません。
イメージとしては、「餅つきで、突く側とこねる側」「ピッチャーとキャッチャー」のような関係で、
「餅やボールという情報・指令・報告」は、常に行き来しつつも、役割分担がある、ということなのでしょう。
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「右脳左脳の分化論」は、「鬱病」や「アパシー症候群」などの最新情報に於いても語られていますが、「右脳:気分感情に特化:故に『芸術脳』とも言われる」「左脳:論理性に特化」という定説は、そのまま、何度もご紹介している「精神構造円図」の「最も外側:気分感情領域=右脳」「その内側:論理思考領域=左脳」ということです。
しかし、現代の専門家の多く。「分かった気になっている人」の殆どが、「論理」の解釈が分かっていません。それどころか「論理=理論」だとか「論理=冷静」「論理=理屈っぽい」という幼稚な大誤解さえ普通に行われているようで、驚かざるを得ません。

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167、アーユルヴェーダ音楽療法入門29(脳機能と精神構造)

何度もご説明しています「本来の健康体と現代人の多くとでは大きく異なる精神構造図」は、古代ヴェーダの叡智のひとつ「Kosha(鞘)論」とも一致しているもので、現代人は、その最も外側の「鞘」に於ける「外部からの刺激・情報」に反応することで手一杯。それどころか「反応」のみならず「合わせる」ことで、思考(検証~決断)の殆どを、「気分感情領域」で行ってしまい、「論理的思考能力」が急激に退化しつつある。と説いて来ました。

これは、「人間に本来備わった機能を用いない」ということですから、重大な「機能不全」は、「心と体の全てに悪影響をもたらす」ことは必至です。

しかし、「局所対処療法」に偏る「近現代西洋系医療」の専門家のみならず、「中医・漢方薬剤師」の方々から、「ヨガやアーユルヴェーダの専門家」でさえもが、この問題を語ろうとはしません。
それを諌める専門家が、現地インドにも何故居ないのか?
極めて深刻な問題と思いますが。そろそろこの問題意識に対しても「他で殆ど誰も語らないのだから、特殊な考え、誤った考えなのだろう」と考え、葬り去ろうという人も出て来そうな悪い予感さえ致します。
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今回の図は、「人間の脳機能」を分かり易く図式したものです。
英語表記は、国際的に認証された正式名称ですが、その邦訳は、既存のものとは異なり、「より一層・存在意義に根ざした表現」に努めました。

極めて興味深い点は、図の中央下側に伸びる「脊髄」から上方へ。および上部では、より外側に向かって、「生命体の進化」が如実に見られることです。
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尤も、
「人間が最も進化した(優秀な)生き物である」という観念には、いささか抵抗も、疑問もあります。
何故ならば、「心と体」は、必ずしも「脳機能」に全てが委ねられている訳ではない上に、ヴェーダの叡智や、幾つかの東洋医学が説いているように、「解剖学上では解明されていない組織」も在り得るからでもあり。昨今の西洋医学最先端の発見・解釈にある「臓器同士のコミュニケイション・ネットワーク」もあるからです。
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しかし「呼吸器系」が、「体に酸素を送り、二酸化炭素を回収し排出する」。「循環器系」が「酸素と栄養を巡らせ、老廃物を排出する」。「消化器系」が「水・飲み物・食べ物を摂取し、消化・代謝・解毒・蓄積・循環、及び排出させる」。などに関して、疑問・反論を語る人が居ないのと同様に、「脳機能・神経系・ホルモン系」が、それら全ての「全体的な運営をコントロールする」ということは紛れも無い事実なのでしょう。
少なくとも、「記憶された経験や、学習し理解した情報などを運営に反映させる」という点に於いて、「脳機能」を失った場合、かなり厳しい状況に置かれることは紛れも無いことです。

この後更に「脳機能以外の部位の働き」が解明されたとしても。これらの全体像は「中央集権と地方分権の二重構造とそのバランスの問題」に喩えることは出来る筈です。

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ところが、ここに大問題があります。
人間の場合「脳機能の甚大な低下」は、「寝たきり」という状況に至らしめ、「社会人としての存在」が脅かされるばかりでなく、「人間として」「生命体として」の存続も危ぶまれ、「最低限のQOL」さえも望めない・望み難い状況に至ります。

しかし、極めて興味深いことに、図の「黄色で示した脊髄から上方に進化した」ことが明らかな「脳機能」ですが、「最高位に進化した人間」は、上記のように「後戻り出来ない」にも拘わらず、「進化の過程の生き物」は、それなりに生涯を真っ当に全う出来ているということです。

つまり、「人間は大脳新皮質」を破壊されてしまうだけでも、重度の障害を負いますが、「新皮質」が「進化していない/殆ど持っていない生命体」は、「何の苦もなく、生涯を送る」ということです。
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このことを「パソコン」に喩えますと、
例えば我が家の場合、十数万円で入手したばかりの新品のパソコンが、ほんのちょっとの余所見や退席の間に、お馬鹿な雄猫のマーキングによって、重要な部位が穂損してしまい、全く使い物にならなくなったことが三度もあります。
同様に、
近年の家電製品の場合、炊飯器でも洗濯機でも、マイコン部分が破損すると、全く動いてくれません。ましてや、「IOT家電」のように、ネットに繋がることで存在価値があるものは、その部位が破損した場合、それ以前の「家電」の状態にも戻れない(ことが在り得る)という有様です。
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その昔、日本の「脱水機能付洗濯機」を東南アジアに輸出しようとした営業マンの話があります。各国各地で「駄目だ!駄目だ!こんな洗濯機」「洗濯物を絞るローラーとハンドルが無いじゃないか!」と、当初全く相手にもして貰えなかったというのです。
私が子供の頃の洗濯機は、ただひたすらシンク(槽)が回転するばかりのもので、洗い終われば、上部の横に取り付けられたローラーの間に洗濯物を挟み、手でハンドルを回して絞っていました。

同じように、中近東に「炊飯器」を輸出しようとした営業マンの苦労話があります。
「駄目だ!駄目だ!こんな炊飯器」「お焦げが全く出来ないじゃないか!」となった。
中近東(特にイラン)では、お客さんをもてなす豪勢な料理と共に、炊飯器から逆さまにスッポリと出したご飯を大皿に盛り、お焦げで覆われた「巨大なライス・プリン」のようにするのが「豪勢」とされるというのです。お客さん最優先で「お焦げ」の部分をよそり、お客さんも、それで大満足。

これらの価値観や生活習慣の違いは、必ずしも「発展途上」とだけで説明が出来ないもの。
つまり、「進化していない」とは言い切れないものです。

しかし、一度「進化してしまった家電やパソコン」の場合。
例えば、私は数年前まで「頑固なマックユーザー」でしたが、「i-Book」から「Mac-Book」に「進化」した際、上記の「雄猫の粗相の問題」がより深刻になりました。
「i-Book」の場合、部位によっては「交換可能」だったり、「生き残っている部位が多い」のに対し、「Mac-Book」は、「一部が壊れると全てアウト」という構造上(部位同士の連携度。分離独立度の問題)の特性があったのです。

つまり、「進化した人間」で、とりわけ「社会的に真っ当な人間」の場合、、「Mac-Book的」なのです。
要するに「大脳新皮質」だけで問題が収まらず、全体に影響をもたらす。ということです。
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ところが、ここに逆転劇があります。
「壊れたのではなく、使わないだけ」の場合は、「全体への悪影響=全てが駄目」にはならないということです。

お恥ずかしい私事のエピソードですが、
基本「せっかち」な私が、始めて本を出版した40年近く前のこと。手書きに苦労したので、珍しく「時代の先端機器」の「ワープロ」を購入しました。
一週間後に「インストラクターさん」が家まで来てご指導下さることになっていたのですが、その一週間で本三冊分も書き上げてしまったのです。
ところがインストラクターさんに「で?何処に保存したのですか?」と言われて大仰天。
「フロッピーに保存する」ということを知らなかったのです。
原稿を書いてはプリントアウトし、残されたものは、そのプリントしかなかったのです。

言い換えれば、このような機器・システムの場合
「保存機能」を使わずとも、何らかの作業・活用は可能、ということです。
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これは、「論理思考領域」を殆ど使わない人々にとっては朗報かも知れません。
それどころか、この数十年、増長の一途である「漢字を使わない方向」、「文章の簡略化」から「絵文字・略字の台頭」を見れば、百年後には「文字が無くなる」「語彙の殆どが消滅」し、
人間は、寝たきりにならず、元気で健康なままで「獣」に近づき。コミュニケーションも「あー!うー!しゃー!」で済む時代が到来するかも知れません。
その頃には、「AIとロボット」が社会の運営を一手に引き受けてくれていることでしょう。
願わくば
「使わない機能はいずれ壊れる」という機械の常識が、当てはまらないことと、
人間の心身が、「一部が壊れても他が温存される」仕組みであることでしょうか。

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166、アーユルヴェーダ音楽療法入門28(精神構造とChakraと臓器)

前回「Chakraと精神構造の関わり」を少し説きましたが、近年の「Chakraの解釈」には、実に様々なものが表れており、いささか呆れております。何故ならば、まるで「近現代西洋化学局所対処療法」のように、「個別に専化した効果効能」を説いて「売らんかな」だからです。

尤も、「Chakraの解釈」は、中医・漢方に於ける「弁証論治」、気功に於ける「経絡」と並んで、かなり定義も理解も難しいことは事実です。
例えば、それぞれの「Chakra」は、「何故にその位置に在るか?」を考えた時、必然的に近隣の臓器との関係が深いことは、誰しも容易に納得が行きます。
ところが、「Chakra」で「より意味深い」とされている「支配している力」は、必ずしも「近隣臓器」と容易に結びつかないものも少なくありません。例えば、「第4Chakra」は、「感情と知性をコントロール」する一方で、「近隣関連臓器」は、「心臓(循環器)・肺」ですが、「感覚器官」には、「生殖器」も含まれます。

ここで、極めて重要なのは、上記「感情と知性」のうち前者は「気分感情領域」であり、後者は「論理思考領域」であることです。つまり、後者が衰退している現代人の場合、「短絡的に:気分感情=4th-Chakra=循環器および生殖器」というような「暴走的悪循環状況」に至ってしまう、ということです。これは音響に於ける「ハウリング」、カメラに於ける「ハレーション」、薬物に於ける「オーバードーズ」と同様な「制御不能」な状態です。特出して異変・偏重・問題を生じさせる危険性のみならず、「全身のバランス」に於いて重大な禍根になることは言うまでもありません。

また、「1st-Chakra」は、「生命エネルギーの源」ですが、「良好に制御・開放され、心とも良好に関連する情熱」と結びついた時、「生命力と情熱」は、互いに「相乗効果」を生み出します。
しかし、「情熱」が、単なる「高ぶった気分感情」では、むしろ「生命エネルギー」を疲弊させることは紛れも無いことです。これは「免疫機能の暴走・誤走の一種であるアレルギー」と極めて似通ったものです。しかし、現代人の多くは「情熱」と「感情の高ぶり」と「強い欲求の表現」の区別が、殆ど出来ていないと思われます。これも「論理思考領域の弱体化」が招いた深刻な症状のひとつです。

ちなみに、、「1st-Chakra」の「関連近隣臓器」には「腎臓と腸」がありますが、これは単純に「近いから」ではないことも言う迄もありません。中医・漢方に於ける「胆力」に通じるものがあり、西洋医学でも近年になって急速に理解されて来た「腸内環境」の重要さをも示唆していた訳です。
一方、、「1st-Chakra」の「感覚器官」には、「足と鼻」という、意外な部位が説かれています。これもまた「地に足が着いている」「大地に根を張る」という、極めて摂理的なことを示唆しているのです。「鼻」もまた、多くのヨガ流派が「呼吸法」を重要と説くことで分かるように、「嗅覚」のみならず「鼻腔粘膜における免疫機能」及び「右鼻と左鼻の機能分化→脳機能への大きな影響」の重大さをも示唆しています。
1980年代から急増した「常に口を少し開け口呼吸をしている人々」などは論外であることもまた、言う迄もないことです。
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このように、「Chakraの解釈」は、極めて奥深いものがありますが、それらをより正しく説いているものに巡り合えることは中々困難です。
そもそも、上記しましたように、「論理思考による、感情気分領域のコントロール」と「Chakra論」を関連付けて語れる人は、私の知る限りでは現代日本に於けるアーユルヴェーダ関係者の中には、ほぼ皆無。ヨガ関係者の中にも中々見られません。
その原因は、ふたつ考えられます。
ひとつは、専門家・関係者ご自身が「論理思考領域を活性化させていない=論理的思考が苦手」の場合。ひとつは「ご自身がどうあれ、読者やクライアントの大半が『論理思考が出来ない』ならば、その点を説いては損をする、とお考えの場合」。より怖いと感じるのは、昨今主流にさえなりつつある「分かりたいのではなく、分かった気になりたいだけ」という風潮で、そのようなレベルの自称専門家が、そのような読者やクライアントにむしろ評判が良い、という傾向です。
これらは、出版社の姿勢にさえ見られます。
「サプリメント・ブーム」とさえ言われる昨今の「サプリ宣伝文句や方法、営業姿勢」とも共通するものがあります。
いずれにしても、「論理」は、急速に現代社会から駆逐されんとしています。
これが「お米の胚芽」のように、「本当は摂取した方が良いが、無くても栄養価が全く無い訳じゃない」程度のことならばまだしもですが。決してそんな甘いものではないと思われます。

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165、アーユルヴェーダ音楽療法入門27(心の居場所、魂の置き所)

本連載のVol.152(9月26日up)、Vol.153(10月3日up)、Vol.154(10月10日up)でご説明しましたように、古今東西で、「感情(思い)、論理的思考(想い)、心、魂」の在り処は、ほぼ万人が、この順に「奥深い処に在る」としながらも、様々な理由・恣意・作為によって、それを論理的に定義することを避けたり、曖昧にして、誤用を許し合って来た、と説きました。
そして、Vol.155では、紀元前の古代インド・ブラフマン教の叡智によって、それらは「Kosha論」の中で見事に語られている、とご紹介しました。
では、それら「思い、想い、心、魂」は、私たちの内面の「何処」に置かれているのでしょうか?
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これにもその語彙と同様に、古今東西で「曖昧にしながらも大よそ共通している感覚がある」のです。
例えば、英語やラテン語では「心と心臓は同じ文字」であり、即ち「心の在り処=心臓」です。中国漢字とそれを引き受けた日本でも、文字通り「心の臓器=心臓」と書いています。

これは、言う迄もなく、解剖学が発展する遥か以前から、「心の動揺や落ち着き=ドキドキする/リラックスする=心臓が影響を受ける、心拍数が上下する」という明らかな「実体験」から来ているのですが、解剖学から見れば、心臓の内部に、「心」を留める「感情機能」「思考機能」も在りません。

また、近代医学から見れば、「心臓の変化/心拍数の変化/血圧の変化」とともに「自律神経の変化」及び、「ホルモンの変化(分泌、活性)」、そして「脳機能の変化」が同時に起こっていると説きます。これらは私たちには自覚出来ません。さりとて、「自律神経」と関わる「間脳」にも、「ホルモン」に関わる「間脳/中脳」にも、「感情/思考機能」は見当たりません。

その結果、近代西洋医学では、結局「感情/思考機能」は「大脳に在る」とされてしまい、「生き死にに関わる出来事に対する反応:大脳旧皮質」「喜怒哀楽に関わる反応:大脳新皮質」などと説明されてしまいます。それらが、作動し指令することで、上記の「自律神経、心臓と血管、ホルモン」が作動するとされているのです。
かと思えば、近年、西洋医学の中から、「脳を介さない臓器同士の連絡システム」が発見され、次々に解明されていますが、当事者たちが異口同音に、「まだほんの僅かしか解明出来ていない」と述べます。
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問題は、こうした「近代西洋医学の科学性、合理主義の検証理解の価値観」と「東洋医学の理解の価値観」と、「いずれに於いても『未発見』の事柄」と「形而上の世界」と「目に見えない世界」と「神秘、スピリチュアルの世界」の六種類が、混沌と入り混じって理解され、語られていることです。
例えば、
現代医学の最先端の理解である、上記の「(脳を介在しない)臓器間の伝達システム」では、「伝達物質」は、既に発見されている「血管」を通って伝わると言われています。しかし、前述したように「ほとんど分かっていない」と言うのですから、近い将来「神経」や「リンパ管」を用いている「何か」も発見されるかも知れません。
さすれば、結果的に「ヴェーダやタントラの叡智」「アーユルヴェーダ」そして「古代ギリシア医学」や「古代中国医学」「日本の漢方」が説いてきた「経絡(Nadi)」もまた、今日の解剖学では「血管/リンパ管/神経」とされているものを「(既成観念とは)異なる目的・使用法」で用いた場合のことを説いていたのかも知れません。

事実、「リンパ球」の中には、積極的に血管を巡回し外敵を捕獲・攻撃するものも少なくありません。さすれば「血管」は、「血液で栄養・老廃物/酸素・二酸化炭素を運搬する道」とだけに限定出来ない訳です。
つまり、私たちが徒歩で散歩したり、目的地に行こうとして歩く「道路」もまた、地下に「地下鉄」が走り、おびただしい上下水道管、ガス管、電線、情報伝達ケーブルが埋蔵されていることと同じです。
もし戒厳令下にでもなれば、「散歩道やバス道路」は「軍事戦略的幹線道路」でしかありません。
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改めて驚嘆させられるのが、古代インド、ギリシア、中国では、解剖学が発展する遥か数千年前に、それを見抜いていた、ということです。とりわけ古代インドでは、更にそれらと「宇宙の波動」との関連を説いている点で驚異的です。

古代中国医療は、途中から、宇宙は愚か、自然環境との関わりについてさえも、ほとんど述べず、一部で風水に押し付けてしまった程度になってしまっています。為政者の恣意も強く感じます。逆に、インドの場合、ヴェーダの叡智があまりに膨大な為に、為政者たちは、利用も悪用も、極解釈も歪曲もし切れなかったようにさえ思えます。

また、「(眼に見えない/伝説の)サラスワティー河」は、目視出来る「ガンガとヤムナー」の「伏流水」を「知っていた証拠」という説もあります。
さすればこれは最早、「形而上の」とも「想像の」とも、「神秘の」とも言えない。「目視出来ないが紛れもなく存在しているもの」ということになり、「経絡/Nadi」も同様と考えることは、決して否定されない訳です。
言い換えれば「現代科学・医学が、五千年前の叡智に追いついていない」ということです。
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従って、これらを総括した「結論(事実?)」は、
「心は、脳・心臓・神経・ホルモンの総体的なネットワーク(のひとつ)である」とすることが出来る訳です。
しかし、これもまた「現代人の現象論・結果論」向けに強いて述べたものであり、その基本に「外因の反応」が主体になった「受動的な現象の解釈」がある以上、「真実に近いものを理解・解釈した」とは到底言えません。
つまり「癒し系音楽を聴いてリラックスした」「心配事やトラブルでドキドキした」などの(反応)時に「初めて『心のネットワーク』が発現し実在する」筈がない、からです。
前述の喩えに当てはめれば、
私たちが「歩く道」には、様々な「経絡」が張り巡らされていますが、「地下鉄」は、乗客が「ゼロ」でも、定められた運行スケジュールで動き、「乗りたい人間」が何十人何百人居ようと、終電後は動きません。水道管、ガス管、電線、情報ケーブルもまた、要望に反応して作動したり停止したりしている訳ではありません。「心(のネットワーク)」は、「駅前の客待ちのタクシー」ではないのです。
さすれば、数十年後、数百年後には「常在する独立した『心』」も確認されるかも知れません。
ただ、それもまた、図の左上の円図のように、「境目を失った病んだ精神構造」の人間がほとんどの世の中になってしまえば、正しく解明もされず、その必要性もなくなるのかも知れませんが。
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今回の図は、
「人間本来の精神構造図(右上)」と「現代人の病んだ精神構造図(左上)」が、「7Chakra」とどう関わっているかを示したものです。
数多くある重要なポイントのひとつは、「宇宙との交信」は、「論理思考→心→魂」のネットワークを経由して行われる、ということです。そうでなくては、「個人」が「現存・今此処に生きている」必要も意味もなくなってしまうからです。
しかし、「病んだ現代人」の場合「個人の存在」を介さずに「無個性・無感情・無認識・無意識の物体としての人間」として交信出来る可能性もあり、数多のヒーラー、セラピスト、ヨギたちもまた、それを説き「現実逃避願望」に迎合しつつ、煽動的に説いています。
それが結論ならば、ヴェーダの賢人たちは、五千年前に「生きている必要・生まれた必要はない」として、集団自死を「最も賢明」と選択した筈であり、思考回路が爆発しそうになる程駆使して修練・思考を重ねた筈もありません。

次に、今まで殆ど語られていないことが「第一、第二1Chakra」すなわち、「生命力と生殖力」という「人間でなくても持っている(種の保存などの)使命」に関わる下位Chakraは、「論理思考領域」より内面と関わる必要が殆ど無いということです。奇しくも「病んだ精神構造」でも、見事にリンクを果たしています。
しかし、これだけでは
「人間が人間たる理由・価値」も「個人が個性を以って今に生きる意味・理由・価値」も不要になってしまいます。

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164、アーユルヴェーダ音楽療法入門26(心から発する-その3-)

「障害者と健常者とは?」(精神構造から見た考察)
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私事で恐縮ですが、私は、家族・親戚に障害者手帳を持っていた者が、私以外殆どという環境に生まれ育ち、小学校低学年の頃の一二年、母が近所の施設の手伝いをし、我が家借地の百坪の芝生の庭が、施設の校庭代わりだったことがあります。今でも知人には、障害のあるお子さんを懸命に介護しする日々の親御さんが何人か居ますが、私のように、10歳にもならないうちに介護まがいのことをしていた人間には、そうそう出会えません。(もちろん現代では在り得ないでしょうが)。
また同時期、私は「やーい!役者の子! 河原乞食!」とクラスのほぼ全員から石を投げられる虐めを体験しています。
これらのことから、2000年代初頭に「セラピー、カウンセリング、音楽療法」を始める以前から、「社会的排除と社会的包摂(※)」のテーマに関しては、専門家を自負する並の人々に劣らぬ経験をして来たと御理解いただけると思います。
そもそも1970年代、「民族音楽?!土人の音楽のこと?」と言われた時代に民族音楽の研究と紹介をプロとして(プロダクションに所属したため)始めたこと自体。或る種の「差別問題」「音楽の人権問題」に取り組んでいたようなものです。
また、1978~99年の「日本初の民族音楽ライブスポット」では、毎月なんらかしらのチャリティーイベントを行っていましたし、音楽療法を仕事にする前、音楽療法士学園の講師をする前の、高齢者施設、障害者施設での演奏は百回近くに及びます。
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(※)これについて語るならば、また連載の数回を用いるほど語るべきことがありますが、基本的に、当連載の主旨とは異なりますので、ここで少しだけ説明させてください。

「社会的排除(の志向と精神性や機運)」は、文字通り「弱者を排除する」というものですが、基本的にその根底に「社会貢献の義務」があり、これの主義者(とシンパ)には、「弱者は義務を果たせない(お荷物に過ぎない)」という理屈が存在します。
他方の「社会的包摂」は、今日感覚で言う「弱者救済」ですが、実のところ「可愛そう」だとか「自分より苦しい立場の人々を助ける」という説明では誤解も、「排除主義者の批判」も免れません。
これについてのブラフマン教の感覚は、仏教の「喜捨/布施」に現れています。また、イスラム教では「Zakat/Sadaqah」と呼ばれ、いずれも「全うな人間である為の・万人の業」とされます。
つまり、「社会的包摂」には
1.弱者救済の意味・価値
2、自らの業の為 喜捨、布施、Zakat、Sadaqah、
古語の「情けは人の為ならず」は派生とも言える。
が混沌としているのが実情です。
しかも、仏教関係者や、一般の知識人の間でも、喜捨・布施は「一般大衆から出家者へのもの」という観念が主流になっていますが、本来は、「相互(方向)援助・互助」の精神に支えられたものでした。イスラム教の場合は、逆に「弱者へ向けて」に偏っているとも言えます。
つまり、
古今東西で、このテーマを「人間(生命体)のバランス機能の健全の為に不可欠」とは殆ど誰も説いていないのです。無論、「健全な精神構造との関係」を語っているのも、日本では私だけのようです。
しかし、ヴェーダの叡智を良く理解すれば以下のことは当然理解出来るはずです。
3、人間(生命体)の健康(本来の状態)維持に欠かせないバランス行為
4、その集合体は、人間の集合体=社会のバランスを保つ不可欠な行為(及び、価値観・精神性)
の二つを加えた「四つの理由」が揃っていることが健全と言えます。
この論理から見れば「社会的排除」は「利己に偏った病的な精神性/枝葉の今しか感じられない」と言え、「悪玉菌が利己に徹し、ヴィジョンを持たない結果・宿主を滅ぼし自らも死に至る」ことに同義であると、議論を戦わせる必要もなく、一蹴することが出来ます。
同時に、「排除主義者の決まり文句=弱者救済なんか偽善に過ぎない」も、ごく一般の「曖昧・日和見主義者の決まり文句=自分は他者救済の余裕がない(助けて貰いたい位だ!)」も、同じく一蹴されます。
つまり、「社会的排除」は、「社会全体を語っている」ように見せながら、その実は「枝葉・今感覚」であり、決して「全体(森羅万象)」を俯瞰する意識があるとは言えないのです。それに対し「社会的包摂」もまた、上記の「四つの理由」の半分や一つであることが、「呼び掛けに応じる率が高まらない」「同じ人が続かない」などの「アテに出来ない状況」を作っているという欠点もあります。

当連載をさせて頂いております、シーターラーマさんは、ご存知のように、現地インドの弱者救済の一環として「Anna-Dana」にご熱心に関ってらっしゃいます。
ちなみに、既に説かれていると思いますが、「Dana」は仏教用語(梵語)の意訳で「喜捨・布施」ですが、音訳では「檀那/旦那」です。前者は「檀家」に通じ、後者は、文字通り「旦那さん」に通じますが、上記のように、やはり仏教では「在家から出家者へ」の方向性のイメージが強いようです。
………………………………………..
話を今回のテーマ「障害者と健常者とは?」に戻します。
冒頭で述べましたように、「障害者や虐め問題など弱者救済に幼少から関って来た人間の意見」として、以下を御理解いただきたいのですが。

そもそもの人間の「脳機能・精神構造」のことに関しても、前述しましたように、「まだ殆ど分かっていない」と当事者が言うほどですから、その「障害」についても全く初歩的な段階なのです。更に「弱者救済・社会的包摂」と言っても、果たして「現行の常識的社会の社会性が規範で良いのか?」というテーマに関しては、ようやくこの二三年、異論反論が出始めた段階と認識します。

そのような状態の中で、「低機能・高機能」が「一概に線引き出来ない」という批判に加え、様々な問題が複雑に絡み合っていることも踏まえて、「シンドローム(Syndrome)」などに改められ、更には、その時点で「グレーゾーン」についての疑問や曖昧さが問われていたことを受けて、とうとう「Spectrum」などという都合の良い言い逃れに至ったのは、たったの十年二十年のことなのです。

、「シンドローム(Syndrome/症候群)」に関しては、「専門分野に特化して分化した近現代西洋化学対処療法」が行き詰まりながらも、さりとて「東洋医学の全身医療」にすんなり変身も出来ないが為に言い出した「苦し紛れの誤魔化し用語」とさえ言えるかも知れないのです。要するに「症候群」としておけば「何がどう発展・付随しようが、その範疇を広げておけば問題ない」ということで、究極は「全身医療の観念」を認めざるを得ないことの「一時凌ぎ」なのです。
………………………………………..
3)スペクトラムという語彙のいい加減さ。現代人はある程度皆病気
今回特筆すべきは、近年言い換えられた「Spectrum(域、領域、連続体)」という語彙のまやかしについてです。
結論から言えば、この連載でこの一年、何度もお示ししています「精神構造図(本来の健康状態と現代人の病んだ状態)」で説いて来ていますように、そもそも現代社会の常人(健常者)とて、決して「正常・健康」とは言えない。つまり「(誰しもが)Spectrumの住人」に違いないだろう、ということです。
ただ、「心(及び思考)のテーマ/心の問題/心の病気」は、専門家も含め、「永遠の課題」かも知れませんが、「内科・外科」のように、「自他共に認識する症状が分かり難い」という大問題があります。周りが「おかしい」と思っても進言しても、「本人」が「おかしくない」と思っていればそれまでですし、「治療(健康状態へ戻す・修正)」もまた、当人にその目的・意識が無ければそれまでです。
しかも、この数十年「心の問題」は、極端な言い方をすれば「治す気が無いんじゃない?」とさえ言いたいような「現状追認=認め、いたわり許し、癒す」ことが主流になっています。もしくは、真逆の「強引に社会性を持たせる方向性」です。

更に昨今「私は病気=可愛そう=許され守られ労わられるべき存在」という観念で、自ら「発達障害だ」と言い出す人が増えてきました。
「病気だと思いたくない人」「病気だと思いたい・言いたい人」そして、そのどちらをも「いやわり癒すことばかりの専門家」
この極端な偏った状態で、果たして改善されるのでしょうか。
そもそもこの「偏った状態」こそが、元凶なのではないでしょうか。
………………………………………..
4)持続性の紐の上の何処に自分を置くか?という論理思考が不可欠

もっと基本的なことを言えば、
これも既に説きましたが「人間(生命体)は誰しも相反する要素を併せ持つことで恒常性を保っている」のですから、今回のもう一方の図のように、「病気であるか否か」以前に、むしろ「健康(恒常)であるために」、「個性的⇔社会的」「独創的⇔協調性」の「両極端の帯の上」の「何処にいるか?」の違いでしかないのが「そもそもの人間」なのです。

極端な話、
「両極端のグラデーションの帯の上の何処にいるか?」の問題ではなく、
「一時何処に居ようとも、常に自在に位置を変えられるバランス力を持っていること」が
本来の「真っ当=健康」である筈です。

それが「或る程度前者に偏ると『おかしい』『病気?』と言われる」というおかしな話で、もし「価値観」が逆転すれば、現代社会の「真っ当な常人(健常者)」は、
「自分を殺し・向かい合わず・失ってまで他者に合わせ・社会に合わせる=異常性格者」ということになります。
…………………………………………………………………………………………………………………….
この話に関連して、40年前から良く語っていたことですが
アフリカ中部のエスニック調のロックバンドのライブ映像を見て驚嘆したのですが、盛り上がる聴衆の「踊り」「手拍子」が、みなバラバラなのです。
無論、「百人が百様」ということは在り得ませんから、大概数パターンなのですが、少なくとも「誰しも周囲とは異なる動作」なのです。「合わせたくない」「ひと(周囲の他人)と同じだと『自分を失ったようで嫌だ』と考えているに違いない」と、私は感動を抱いて決め付けたのです。
それに対し、日本のコンサートでは、数千人が「同じ手拍子」「立てば立ち」「踊れば踊る」。

「ひと(周囲の他人)と違うと『変と思われるから嫌だ』」と考えているに違いない訳です。
「国民総自意識過剰国」のごとくです。

もしかしたら日本人は、「世界で最も病んだ人種」なのかも知れません。
同じことが「究極のファシズム(正確にはファシズムではなく全体主義ですが)音楽であるオーケストラ」が、有色人種では日本が最も優秀と認められています。しかし、インド亜大陸とアフリカ諸国では聞いたことがありません。

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(文章:若林 忠宏

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163、アーユルヴェーダ音楽療法入門25(心から発する-その2-)

1)論理思考は気分感情の状態を見て開門する。
当連載コラムの前々回(Vol.161)と、前回(Vol.162)で、「心を守る城壁:論理的思考領域」は、外部からの情報(雑音・雑語・刺激)を分別して『開門』し、「(より内面に在る)心(の領域)に必要かつ有効的なものだけを」を届けると共に、「心からの発信」に関しては「(外部の)届け先と梱包(音や言葉の使い分け)」を吟味してから『開門』する、と説きました。
例外的に「相手が誰であれ、選ばずに発信・述べねばならないこと」もある、と述べました。
しかし、むしろこれこそは「論理的思考」が極めて慎重かつ吟味した「理念・信念」に基づくものに他なりません。

続編の今回は、このテーマを「外因反応ではない、内発・自発的な心からの発信」という意味に集中しつつ、「論理的思考力」の衰えが、どのような展開を作り出すか?についてご説明します。
………………………………………..
2)自閉系を含む四つの円図の説明
今回の図もまた、かつてご紹介したものですが、
上段右の円図は、「人間の(健康的な)本来の精神構造図」で、左が「現代人の病んだ精神構造図」です。
左の図では、赤い矢印で示した「外部からの刺激」に対して、反応することに辟易としながらも、休む間もなく。休んだとしても「現実逃避的な『ストレス解消』や『癒され』ばかり」な結果「論理思考領域の城壁」が崩れ、「心の領域」迄もが「気分感情と同様の反応領域」に変質してしまっている状態を示しています。
その結果、このような状態の人間は「本当の自分の意思・感情は何なのだ?」「自らこみ上げて来る想いはあるのか?」と日々悩むことでしょう。そして、遂には、その「悩むこと」からも逃避し、『考えないように』して、さらに「消え掛かった思考回路の余力・片鱗」さえも崩壊させてしまうのです。

無論、「本来の健康な精神構造」でも、「何らかの刺激」によって「内発する」ことはあります。
例えば「お腹が空いた」「眠い」など、個人の内面から発したとしても、それは「心・思考・気分感情」にとっては「与えられた刺激に対する反応」に過ぎません。
この意味では「全く反応ではない発信・発現は存在し得ない」とも言えますが、
「病んだ精神構造」と「本来の(健康な)精神構造」とでは、「反応の意味・種類」と「自主性・自発性・ヴィジョン・筋道・脈絡の有無」が全く異なります。
………………………………………..
一方、図の下段は、「別な意味・次元で問題のある精神構造」です。
下段左図は、かつて「低機能自閉症」と呼ばれた人格の精神構造で、何らかの医学(病理学)的障害によって、「論理的思考領域」の機能不全はもとより、「気分感情領域」に於ける理性、感情制御もままならない場合で、同時に言語の理解も厳しいために「低機能」と呼ばれた障害です。
下段右図は、かつて「高機能自閉症」と呼ばれた人格の精神構造で、低機能に対し「言葉がある程度理解出来る」他、何らかの限られた分野に於いて、むしろ常人を上回る才能を示したりする人格です。エジソン、アインシュタインや芸術家に多く見られます。
「低機能/高機能」が「差別的」という奇妙な解釈が発展し始めた頃、後者は、「アスペルガー症候群」という呼び方に改められましたが、程なく、全てを総括して「自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder:ASD)」や「発達障害(Developmental disability:DD)」などに改められました。
更に「注意欠陥・多動性障害(Attention-deficit hyperactivity disorder:ADHD)」などの呼称も加わり、昨今の「人権問題・差別問題・社会的包摂観念・障害者福祉」の観念の改善・浸透を受けて、一般への紹介や理解もかなり発展しています。
…………………………
自閉系が世界を救う?
……………………………
自閉系についての考察は、次回により詳しく述べますが、ここでは本旨の「音楽や言葉の発信について」おおよその結論を述べます。

結論から言えば、「自閉系には大きな問題が内在されているが、大きな可能性がある」「自閉系は、社会の大半を占める『非自閉系の病んだ(ほとんどの)人間』を救う可能性さえある。ひいては、それは『社会を救う』ことに他ならない」ということです。

まず、四つの図を見ていただければ明白ですが、
上段左の『世の中の圧倒的多数である非自閉系の病んだ(ほとんどの)人間』は、主に「外部からの情報・刺激」に疲弊し切っており、「アパシー症候群」や「うつ病」もその発生率を上げています。私は、(まだ裏づけが不充分ですが)「アレルギー」「癌」「認知症」もこの関連から発症率が高まっているとさえ考えています。
…………………………………………………………………………………………………………………..
「自閉系」も「本来の健康な人間」も、もちろん「何らかの情報・刺激」によって、その「内発感情・思考」を作り出しますが、「現代の多くの病んだ人間」との大きな違いは、「その自主性度合い」です。

その結果、
「自閉系」と「非自閉系」とでは、「発信された『音』や『言葉』には、大きな違いが生じる」ことは間違いがないことです。

その根拠のひとつに「反応思考が主な非自閉系」には、決定的に「時系列の整理が出来ない」「自分の行動の根拠を認識出来ない」「自らの行動・思考に脈絡がない」という大問題があります。幼稚な例えで言えば、「民法のTVをだらだらと眺め、次々に脈絡なく飛び込んで来るCMに対し、『好きだ・面白い・楽しい・興味ない・嫌だ』を認識する生活」に慣れ切ったようなものです。

次々に繰り出される「TV-CM」同士には、当然「脈絡」がありません。
当然、より根源的な「幹」や「太枝」を想わせる、思考させ、気づかせ、学ばせる要素は皆無に等しいといえます。当然、「地に足が着いた」とか「大地に根を張った」などからも遥かに乖離した「感覚世界・印象世界」です。

それどころか「TV-CM(ネットの様々な広告もしかり)」は,個々個人が「アイデンティティーを認識している立ち位置(ひとつの枝葉)からさえも遊離した世界」を、次々に見せられる訳です。

「自分の枝葉にしがみつきながらも」「視覚聴覚は、とんでもなく乖離した様々な枝葉を見せられる日常」なのです。しかもそれらには、一切の「脈絡・根拠」もなければ「関連・リンク」さえもありません。
にも拘わらず、「アンテナを張る」などという全く逆のことを推奨してしまえば、現代人の「脳機能・精神構造」は、痛めつけられおかしくなって行くばかりです。

…………………………………………………………………………………….
そのような日常に疲弊し・慣れさせられた人間が発する「音や言葉」に、深みが在り得るでしょうか?

明白なことです。

「いや俺様は、『発信』に関しては、深みがあるぞ!」とおっしゃる人が居たならば、
そこには、極めて「論理的な根拠」がある筈です。
…………………………………………………………………………………………………………………………

一方、自閉系の人々の中に、常人にはないすばらしい芸術・文化の才能を持っていることは昔から良く知られています。

その他に、近年では積極的に「発達障害者」を雇用し、常人にはない「集中力・発想」を活かす企業が増えていることも頻繁に報道されています。

それは、
「きっかけ」は、「外部からの刺激・情報」があったとしても、「発信する動機」は、内面から湧き上がったものであるからに他なりません。

ただ、問題は、「深みのない音や言葉」を発することに慣れた「非自閉系」の人々に、そもそもの「深み」が感じられない人、本能的に分からない人、求めない人、も急増し始めたことです。

「結果と現象が重視される企業(や職場)」の場合、上記のような試みが評価されつつあるとしても、日常のプライベートな価値観に於いて「良さが分からない」のでは、「自閉系の人々の才能」が、受け入れられ、選ばれ、喜ばれ、求められる可能性は、一気に激減すると考えられる問題があります。

加えて、既に「プロを自認する、非自閉系音楽家・文筆家・評論家」には、恣意的から無意識までグラデーションで差を持ちながら、「自閉系の才能」を、黙殺するのみならず、不当な過小評価・巧みな取り込みによって利己に利用し、ひいては根絶やしにしてしまおうという人間も存在します。その動機・理由は様々です。
………………………………………………………………………………………………………
「好き嫌い」の問題や、「自然食や添加物云々」を抜きにして、
ファミレスなどに行ってみれば、良く分かることでしょう。

「論理思考領域」を鍛え、日々活用し、「気分感情領域の思考」と即座にスウィッチを切り替えられる人は、ファミレスの周囲の会話に全く邪魔させず「自分の世界」を保つことが出来ます。

が、そのような人でも、スウィッチを「気分感情領域」に入れれば、周囲の会話は辟易とするほど不条理に飛び込んで来ます。故に、他方の「論理思考領域」を痛めてしまった人の場合は、さぞ「落ち着かなく不愉快な気分」でありましょう。

そのような場でのテーブルごとの「仲間・グループ」の会話に、「知人、職場の同僚、上司などの悪口」のなんと多いことか。
これなどは、典型的な「込み上げる思い(誰かに言わずに居られない)」に他なりませんが、「発信源」が「気分感情領域」なのです。
「論理的思考領域からの込み上がって来る想い」があるとしたら、時勢や状況・環境に拘わらず、長年抱いて来た「文化・芸術への想い」や「人生論」「人間論」などの類でしょう。
稀に「処世術」のような話を、あたかも「人生論・社会論」のごとく熱弁している人も居ますが、殆どが「個人的経験論」の域を出ないことで「論理的思考領域」からの発信ではないことが分かります。
「経験論」に普遍性(置き換え・応用性)が見出されない限り、そこには論理性は希薄だからです。

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162、アーユルヴェーダ音楽療法入門24(心から湧き上がる想い・言葉や音楽-その1-)

前回説明しましたように、古代インド「ヴェーダ科学・タントラ」でも「Kosha(鞘/人間の階層)論」で説かれている「本来の人間の精神構造」の「第二の階層:心を囲み守っている論理的思考回路」は、その人間の心身が「健全(Defolt)」である限り、それ自体が、極めて論理的な「思考領域」であるばかりでなく、極めて聡明な「フィルター器官」でもあるのです。

その結果、外部からの刺激や情報(音楽や言葉、文字、象形を含む)を適切に選択して遮断することが可能なのです。これによって「心」が守られているのです。

音楽の場合、「雑音を遮断する」ばかりでなく、より正しい音楽(フェイク・ギミック・ハッタリ・表層的な技至上主義・大衆迎合性、などを極力排除した音楽)であると判断した場合、「城壁の城門を開く」がごとく、その音楽を「心に届かせる」働きをすると考えられます。
するとその音楽は、自在に「心と感情が融和した領域」に漂い、その効果は心に深く刻まれると共に、思考も記憶もそれをしっかり留め保管します。
…………………………………………………………………………………………………………………….
洋の東西を問わず、名演奏家と称された人々は、子どもの頃から修行時代を通じて、聴くべき音楽家の演奏に触れて、ただ「ぼーっ」と「楽しい・癒される・面白い・格好良い」と聴くだけでなく「何故だ?トリックがあるとしたら、それは何だ?何処に隠し味があって、何がつなぎで何が本領か?」などを無意識に猛スピードで分析していたに違いありません。

「論理云々」の知識も興味関心もなくても行える、この作業自体が論理的分析なのです。(言わば「探究心の賜物」です)
料理家も同じでしょう。物つくりのプロは大概皆そうなのでしょう。従って「気分感情領域」で漠然と感動するのでもなく。心に届かせるだけでもなく。論理思考領域も大いに活性化して受け止めているのです。
逆に「聴くに値しない音楽」は、気分感情領域で「まぁ、悪くはないんじゃない」程度に適度に付き合って、論理思考領域の手前でブロックしている。おそらく途中から、気分感情領域でも大して聴いちゃいない。
また、「音と音楽が氾濫する現代社会」で「深い感性」を保つためには、むしろ「ブロック」よりも強力な「耳に入れないフィルター機能」が発達しているのかも知れません。
…………………………………………………………………………………………………………………….今回の主旨は、その機能の逆パターンです。つまり「心の叫び」とか「心から願う、愛す」ような衝動。こみ上げる思い。はどのように外に向かって発せられるのか? ということです。
それもまた実に単純で、前回の図でしめした構造の、逆方向に過ぎません。
今回の図のように、「論理思考の城壁」の門番が門を開けて、「こみ上げる心の想い」が感情領域にほとばしるのです。

この時、「論理思考領域の論理的思考」は、「ほとばしる心からの音(や言葉)の行き先・届け先」をしっかりと見極めます。言い換えれば、「その目的地が在ってこそ、開門される」とも言えます。
それらは、図の「愛すべき対象」です。
逆に、図の左上で赤い丸で示したような世俗的な満足などの為には、論理的思考の関与など不必要であり、当然「心からの音(言葉)」である必要もありません。
言い換えれば、「論理的思考を有するプロ・ミュージシャン」は、気分感情領域で思考(工夫)した音(聴衆・大衆に受け入れられる音/売れる音楽)を巧みに発して届けさせることが出来るのでしょう。

勿論、全く別な次元で、「相手を選ばず・方法(手段)を選ばず発するべき時と場合」もありましょう。それは「論理的思考」がその信念(宿命的責務)を強く抱いた時です。
「何処の誰にどう受け止められ、どう理解されようとも、発せねばならない音、言わねばならない言葉」などです。
ある意味「目的も到達点も無い音や言葉」ですから、「虚しさ哀しさ」は付きまとうかも知れません。しかし、逆に言えば、「目的がある発信=受け入れられることが分かっている=打算的」とも言え、この「虚しく哀しい発信」こそは、より純粋ということも出来るかも知れません。

…………………………………………………………………………………………………………………….
私事で恐縮ですが、
私は幾つかの理由があって、我が娘が乳幼児の頃から「赤ちゃん言葉」は、一切使いませんでした。
ところが、保護猫たちにはついつい幼稚な言葉も使ってしまうことがあります。無論「でちゅね~」などはありえませんし、90%以上は、普通の言葉、むしろ他人が見たら驚くような真面目な話、論理的な話をしていますが。「良い子だね~、頑張ったねぇ~」と褒めたり、叱る時も「駄目じゃん」などとオブラートに包むような言い方をしています。

これらはある意味、「気分感情が発する言葉」を「一旦論理思考(ある種の冷静さ)で吟味してから」、相手が受け止め易いように修正して伝える。というプロセスと考えます。

私の場合、(殆どの人がその価値を理解しない)1970年代から民族音楽を研究し紹介して来ました。
その為、多くの人々が「良く知らない、興味が無い」というテーマのものを「聴いてみようか」と思って貰えるように、或る意味「手を換え品を換え」て伝えることが「癖」になっていて、「これが駄目ならこれではどうだ?」と、「表現方法は何でも良い」「常に沢山の表現方法を用意しておくこと」が基本になってしまっていると考えられます。

逆に30歳代、「言葉の表現・選択」に関してかなりストイックになっていた頃、「音楽表現」にも深く関わることですから「ニュアンスの問題」というものを重視していたことがあります。お弟子さんの何気ない言葉にしばしば執拗につっかかったものです。奇しくも(不運にも?)時代は全く逆行しており、「ニュアンスの問題」でスルー、逃げ切ることが主流になり始めた時代です。

この風潮は今日でも全く衰えることがなく、むしろ完全に定着しています。「相手に通じない」という事態に至れば、極めて多くの人が「言葉足らずでした」とおっしゃる。

まさか今日この歳になって、30歳代の時の様に「足らず?なら足らしてみなよ」などとは申しませんが。仮にそうお願いしたところで「補足出来る人・言い直せる人」は極めて少ないと考えられます。
…………………………………………..
今年の夏に出ました新著は、昨年の11月からの作業でしたが、年末年始に一旦「打ち切りか?」というほどの事態に至りました。幸いに編集会社の社長が出来たお方で、問題を見事にクリアーにして下さり担当さんを替えて下さってからは、万事順調に進んで良い本・良いお仕事に至りました。

前任者さんは、ごく普通の何も悪気も無い人でしたが、肝心なところで「曖昧な表現」がどうにも無視出来ないことが重なったのでした。

これらは現代人と現代社会の極めて重大な過失と考えます。

乳幼児やペットなど「愛すべき存在」に対して、「相手が受け止め易いように」と「自らの気分感情も穏やかにする」両方の効果が得られる「感情領域で発した言葉を一旦思考領域で吟味修正して発する癖・習慣」は、多くの方が自然に行う、良い手段と言えます。

ところが、或る意味より慎重に丁寧であるべき「仕事上でのやりとり」で「曖昧言葉・慣用句」でやり過ごそうとするのです。

それらは、「誤魔化し言葉」に他ならないに止まらず、最も否定されるべき点は「実は相手を選んで言葉を選んでいない」という点にあります。

前述の編集会社の後任担当者さんは、当初恐々としながらも、「間違った時は、誤魔化さずに素直に謝罪し訂正すれば良いのだ」と分かってくれた後は、むしろ「仕事・営業モード」よりも自然体で冗談や軽口を言いながら充実したやりとりを重ねてくれました。

つまり、現代社会の「営業用語」は、「相手が誰であれ、どう展開したとしても融通が利くようなズルい曖昧さを持たせている」ということなのです。

そして「問題(誤解、行き違いなど)が生じた場合」。「言葉足らずでした」とか「ニュアンスの問題だ」などの「二三種類の乏しい語彙を、相手に応じて使い分ける逃げ言葉」ではぐらかす訳です。

このような「発言方法」が「癖」になってしまえば、「一旦思考回路で吟味する」などということは全く不要になってしまいます。

現代社会は、ありとあらゆることに於いて、思考回路を駄目にする要素に満ちていると、痛感させられます。

哀しみを超えて、恐怖の念さえ覚えるのが、
音楽に於いてもまた、この調子で「音や旋律、リズムが発せられている」ということです。

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161、アーユルヴェーダ音楽療法入門23(心に届く音)

古今東西で、「思い、想い、心、魂」のあり場所は、「心は気持ち(感情)より深いところにある」など、おおよその定義はあれど、日常的・習慣的にはかなりいい加減に用いられています。その理由や実態について、この連載のVol.152~157で「恣意作為論」「精神論」などを元に解いてきました。

ここで、今一度一般的な語法に見られる「おおよその観念」を、特に「音楽と言葉」に焦点を当てて振り返ってみます。
音楽も言葉も、今の時代でさえ以下のように表現されます。
「心に届く(音楽/言葉)」「心に響く(音楽/言葉)」「心に染みる(音楽/言葉)」「心からの(音楽/言葉):感謝、謝罪、労い、弔い、など」。

また、古い言い回しでも「心の琴線に触れる」などと言います。
ちなみに、同様の古い言葉の「心頭滅却」を近年では、「心と頭(感情志向)を滅却すれば『火もまた涼し』」と解かれますが、正しくは「心と頭の中で、火(暑さ~痛み・苦しみ)を滅却すれば、涼しい心持に至る」であるとも言われます。この言葉の出典に関しても諸説あるようです。が、いずれにしても明治時代以前のようでもあります。
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予断な上に私事で恐縮ですが、
福岡に越してから、母屋は丘の上で日当たりが良い上に古い建物で壁に断熱材が無く、少し離れたシェルターは、四六時中様子を見れないので、保護猫のための冷暖房は節約したくても出来ない辛さがありますが、都下吉祥寺の借家では、三年以上、真夏も真冬もエアコンを使いませんでした。

勿論、真夏の35度前後の日は、流石に意識も朦朧と仕掛けましたが、「自己暗示」で、真冬をイメージしたり、真冬の寒さを思い出して「それと比べれば何と暖かく在り難いことよ」と思い込ませて乗り切りました。「気の持ちよう」で5度は優にコントロール出来ると実体験したものです。

逆に、そのような生活の後に、季節の巡り代わりで早々にエアコンや電熱毛布などを用いると、「寝覚めが物凄く悪い」ということを強烈に体験しました。
心身の内側からの「対応作用」が働かず、外の世界(心身の側近の環境)で問題を解決してしまうことで、人間が本来持っている機能が変調する怖さを思い知ったのです。

これは「化学製剤による対処療法」から、「言葉や音楽のより好み」にも通じる、この連載で最も訴えたいテーマに深く関わることと考えています。

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「心に関する語彙」に話を戻しますと、
近年の若い人々は、古い言い回しを殆ど知らなかったり、自分たちで勝手に語法を解釈していることが少なくありません。
私のカウンセリングで、思うように効果が得られない人の殆どに、この「語法の誤用」が顕著に見られます。それに始めて気づいた二十年ほど前。「その語法はおかしいよ」と言ったら「私にとってこの言葉は、そういう意味なんです」と返されて愕然としました。

しかし、そのような世代でさえも、「心に刺さる(音楽/言葉)」などと言い。「心は気分感情・気持ちより深いところにある」と認識していることは明らかです。

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今回の図では、
「本来の人間の精神構造」と「近現代の人間の変調した精神構造」を比較しながら、「雑音(雑言)」と「楽音(良語・格言)」がどのように「心や論理思考領域に届くか?」を示しています。

変調した人々の場合、「気分感情領域/論理思考領域/心」の境界(Kosha)が、破壊されつつあるため、本来三分されている領域が混沌と交じり合ってしまいかねない傾向にあります。
つまり「心に届く」も「心から発する」もなく、「心と気分感情」を、そもそも分別・自覚出来ないということです。その結果が「悲しいと哀しい」「思うと想う」などの多くの語彙を混同・誤用するに至る訳です。「観念と概念の混同・誤用」も同様と言えます。

その結果、
「雑音(雑言)」は、「境目を失い混沌とした気分感情・思考・心の領域」を自在に巡り回り、いやおうが無しに「負担で苦しいもの」になるのは当然です。

一方、「本来の精神構造」を保っている人の場合は、「雑音(雑言)」は、気分感情を掻き乱したとしても、論理思考領域のフィルターで排除、または解毒されますから、「心を痛める」ことさえないのです。
それどころか、そもそも「論理思考領域」の最も外側で遮断されますから、「論理思考」の邪魔にさえならないのです。

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これを誠に端的に示す事例であり、皆さんが簡単に体験し納得出来る事例が、
「今考え事をしているんだから、静かにして!」という、ありふれたことに見ることが出来ます。
この言葉(意識)によって、
その人は「気分感情領域で思考していることが習慣になってしまっている」ことが明らかになります。

逆に、「論理思考領域で思考することが出来る人」は、「雑音(雑言)」に思考が邪魔されることはないのです。
私のカウンセリングで実践している訓練法は、「論理思考が求められるテーマ」を、あえてTVやラジオを着けっ放しにして行う、というものです。かなり精神構造が壊れた人でも、丹念に頑張ると、かなりの効果が見られます。

予断ですが、私がこの力を鍛えられたのは、保護猫たちの存在のお陰と思われます。
今、この原稿を書いている最中でも、「サカリのメス猫」が、ケージから「出せ出せ」と鳴き続けています。
しかし、それに呼応したように思える他の子の声に、「少しでも異なるニュアンス」を感じた時は、即座に手を止めて様子を見ます。「トイレを綺麗にして欲しい!」「お水が無い!」だったりがあるからです。

つまり、原稿を書くのは、殆ど「論理思考領域」でありながら、常に「気分感情領域」で、猫たちの声を理解しているのです。

この精神構造の原点は、中学二年生の時、「深夜放送を聞きながらの受験勉強」で培ったものかも知れず、それは多くの人に経験があるに違いありません。私の場合、程なく深夜放送からインド音楽に変わり、その結果、「職員室に呼び出されて担任に説教される」に至りました。ひと夏で偏差値を20近く上げてしまい「受験指導する教師が困惑させられて迷惑だ!どうせ気まぐれだろ!?」と言われたのです。

つまり、殆どの人々が。もしかしたら、まだ中学生位ならば、デフォルトが維持されているからでしょう。「深夜放送を気分感情領域で聞き、教科書参考書を論理思考領域で理解し記憶する」ことが出来た筈なのです。言い換えれば、「論理思考領域を分化活性化するために、気分感情思考が出来ない状況に追い込む」ということでしょう。

従って、
「今考えごとをしているのだから!静かにして!」は、言語道断であり、むしろ
「今考えごと(論理思考)をしたいから、その辺りで騒がしくしてくれる?」が本来なのです。

しかし、この一方で、
現代社会からは比べようがないほどの静寂と自然音の世界であったであろう、紀元前のウパニシャドの時代にも「森林書」と言われるように「山篭りで悟る」ということが行われて来ました。

今回述べたことは、「外の世界の音や言葉」をどう受け止めるか?がテーマでしたから、前述のような話になりますが、ウパニシャドの話は、(宇宙とリンクした)魂・心の声(音)を聞く」という内面からのものを受け止め覚醒するということですから、必然的なのでしょう。

言い換えれば、「外からのもの」を上手く受け止められない人間が、果たして「内からのもの」を上手く受け止められるのだろうか? というテーマでもあります。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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