200、アーユルヴェーダ音楽療法入門62 (今、なぜスピリチュアルか?-3-)

先のVol.199、アーユルヴェーダ音楽療法入門58 (今、なぜスピリチュアルか?-2-)で「生き物は、殺される時に、何らかの特別な物質を放つ」と説きました。それらは、様々な地域で守られていた禁忌・慣習に見られるように、古代人はその豊かな叡智で、深い理解を持って居たのです。
しかし、これらの物質の一部が、「或る種のオーラ・念」として、宙を飛び伝播することは、東洋思想・東洋医学の専門家の間でも、まだまだ理解されていません。

古人の感覚に於いて「それらの物質」は、まるで放射能のように「飛び交う・内部被爆は強烈・摂り込んだものは蓄積され脳だが高まる」と解釈されました。しかし、南太平洋の例は勿論。ヒンドゥー、イスラムの教義でさえ、西洋文明は、それらを「未開・無知・野蛮」と卑下しましたが、あと100年も待たずに西洋文明もそれらを認めざるを得なくなることでしょう。
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やっと最近になって、ネットの記述でも「過剰な権利主張」が言われるようになりましたが、まだまだ少数と言わざるを得ません。

今から40年前(1970年代)、東京のような人が溢れる街で、他人とすれ違いさまに肩がぶつかったりすれば、「互いに『すみません』と謝った」ものです。

ところが、1990年代になると(私は吉祥寺で店をやっていましたので、或る意味このテーマの最先端の地で体験したと言えます)「ぶつかっても謝りもしない」で「何だ!という顔で睨み付ける」人間が急増しました。
そして、
2000年代後半(2000~2009年頃)になると、何と、若い可愛らしい様相の女の子さえもが、すれ違った後に「チッ!」と舌打ちをするようになったのです。

この変化・変遷と、前述の「過剰な権利主義」は、「温厚で上品で誇り高いトノサマバッタ」が、「凶暴で自己中でヒステリックに黒色化する」プロセスと一致します。私も体験しましたが、トノサマバッタのこの「突然変異」は、意外に簡単に実証出来るのです。それは、「狭い飼育箱に幼虫が過密に入れ、周りを黒い紙で覆う」で出来るのです。

つまり、「生存競争本能の亢進(勝ち負け・比較意識・損得意識・優越劣等感・被害者意識)」が、「黒色化」のスウィッチを押すのです。
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昨今、懸念していることの一つが、「被害者意識と被害認識を区別出来ない人が急増していること」です。
物事の「因果応報」を考えれば「原因探求」と「被害認識」は、必要なものです。
つまり「ああ、あの人のあの言動の所為なのだな」ということを論理的に理解するということです。しかし、昨今の多くの人々は「あいつ(アンタ)の所為だ」で終わってしまいます。そして、この「違い」が理解出来ないのです。
「あいつの所為だ」は、紛れもなく「感情思考回路」が導き出した答えですが、「被害認識」は、「論理思考回路」が正常に充分働かないと達成出来ません。そして、その「分析・検証・類推」をする時。同時進行で、「しかし、そもそもこのような出来事が降り掛かった訳・因果(神の啓示・神の思し召し)は何であろうか?」という思考もスタートします。「あいつの所為」で終わらずに、「自分の因果」を受領するのです。
しかし、
昨今の人間の多く(殆ど)は、これをしなくなりました。
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更に、ここ数年の、極めて不気味な傾向が、「異常な糖度志向・甘み至上主義」です。
「最近の果実どころか野菜の『糖度自慢ブーム・糖度至上主義の台頭』の問題」です。
TVの現地リポート(NHKでさえもが)で、農園や果樹園、漁港や魚養殖場といた、およそ殆どの食べ物。しかも、加工前の食べ物を扱うところで「あっ!凄く甘いですね~美味しいですね!」と言います。全く「甘いこと」が「美味しいの必須条件」のようにです。

多くの植物が糖度を高めるのは、「パニック的な異常に強大な危機感」であり、「糖度向上の栽培術」の多くは、植物に過剰なストレスを与え糖度を高めます。つまり「植物」が、危機感を感じ、焦燥し、苦しんだ姿なのです。
しかし、この問題を正しく説く人は殆ど居ません。(と言うか、現状、語る人間を私しか知りません。他にご存知の方は是非、お教え下さい)
さらに、
人間の「糖尿病」とこのテーマの関係性もまた、全く語られていません。当然「認知症」との関係性も全く語られていません。当然のごとく「旧約聖書の禁断の果実」とこのテーマを関連させて説く者は皆無です。

更に恐ろしいことは、「糖分」、次いで「脂肪」を最優先して好む指向性・嗜好性が、何を意味するか? 同じ嗜好性が強い生き物は何か?というテーマです。
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今回の図は、前の199、アーユルヴェーダ音楽療法入門58 (今、なぜスピリチュアルか?-2-)でご説明しました、「現代人のホルモンの理解の過ち」に関連したものです。
本来、生命体の各要素・物質は、「相反する二種が用意されている」と共に、それぞれの要素が「過剰過少によって」及び「精神性・思考性の制御によって」異なる働き(効果・効能)を持つ、という二重構造(性質)があるのです。
例えば「水は、火を消す」という働きがありますが、場合によっては、水(H2O)の中の酸素が火の勢いを増徴させたり、水素が爆発を引き起こしたりもします。
図にある「四つのホルモン」のそれぞれの上半球では、「個々の役割」が「相反する結果・効果を作り出す」ことを示しています。より正しく言えば、これらは「ひとつの効能」であり、例えば「便秘薬」が過剰になったりタイミングを誤ると「下痢」を引き起こすことと同じです。
逆に、
上段二種が「副交感神経系」であり、下段二種が「交感神経系」であると示したように。上段二種が下段二種と拮抗・相反するもの、として作用させたり、理解するのも「大きな誤り」ということが出来ます。そもそも「生命体の臓器・物質には無駄なものなど何も無い」のですから。(私の子供の頃の医学では「盲腸・扁桃腺」などはバンスカ切除していました。私はどちらも未だありますが)
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四つの円図のそれぞれ下半球に記述しましたのは、これらの「性質(Prakriti)」を、論理・思考力(本当の意味での意思・精神性)で、コントロール出来た場合の、「理想的(本来はこれが当たり前なのですが)」な場合を意味しています。
しかし現代人の多くは、これが殆ど出来ていません。
例えば(下世話な例で恐縮ですが)
「ギャンブル依存」「アルコール依存」「薬物依存」の人々を卑下し「自分は違うぞ!」と思っている人の多くが、「Sex依存」「S.N.S.依存」「ファッション依存」「宗教依存」だったりするように。
実のところ
「自らの奥底に在る『相反する要素』と、正しくしっかり向き合えていない」のが現状であり、ほぼ全てのトラブルの元凶なのです。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

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「インドに関係ないじゃないか!?」と思われるかも知れませんが、無論、当書では書き切れませんでしたが、「日本の楽器→ルーツ(ペルシアとインド)」の物語の背景には、「Naga-Sadhu(裸形上人)」や「Saraswati(妙音天)派修行僧」などの活躍が大であるという解釈が存在します。機会を得る度に、その核心に迫って行きますので、どうぞ応援下さいませ。

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若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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更に、貴方の論理力を簡単にチェックする「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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(文章:若林 忠宏

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199、アーユルヴェーダ音楽療法入門58 (今、なぜスピリチュアルか?-2-)

今回のお話は、いささかグロテスクに感じる方も居るかも知れません。しかし、「人間とは?生命とは?脳機能とは?自我とは?神や見えない力とは?」にとって、避けては通れない永遠のテーマでもあります。
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今回はまず、
『人間は進化したのか? 文明は進化・向上したのか?』
ということを、「食」のことを契機に考えてみましょう。
その理由は、
「今、何故スピリチュアルか?」を考える時。必然的に、人間社会が過去数百年に渡って追い求めた「物質的繁栄」と「スピリチュアル」とのギャップ。現代社会と紀元前数千年のヴェーダの叡智との時間のギャップについての考え・理解を、整理整頓する必要があるからです。
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後に、「菜食主義」で知られるヒンドゥー教ですが、初期の或る派では、「肉食」どころか「人肉食」が秘儀であったとも言われます。この極端に真逆の教義は何故に在り得たのでしょうか?

一方、
南太平洋の或る民族(部族)では、20世紀に禁止されるまで「人肉食」が行われていました。

その部族が食する「人肉」は、敵対する部族を戦いで仕留めたものですが、戦勝に導いた勇者(最大の功労者)は、敵の勇者の「脳みそ」を刺身で喰う資格が得られるとされていました。私(若林)が昔、吉祥寺で「民族音楽と民族料理の店」をやっていた時、その時に用いる特別なフォークを危うく(南太平洋専門民芸品輸入会社から)仕入れて、お客さんに使わせるところだったことがあります。独特な形の見事な木彫品でした。
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西洋科学・医学の或る理論では、「肉食・雑食の生き物は自分のDNAに近い肉を本能的に好む」とされ、人間の場合、それは「豚肉」であると言われます。「牛肉の方が好きだ!美味しい!」と感じる人が多いのは、もしかしたら「高価=美味しい筈だ」という「自己暗示・プラセボ」の要素も大なのかも知れません。
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トノサマバッタは、基本的に高貴な稲の喰い方をします(イナゴとは桁違いに)が、或る理由で「黒色化し、翅が伸び凶暴で飛翔力を増した突然変異」は、一国の田畑を喰い尽くし、次々に飛翔し他の国を滅ぼす。そして、最後は「共食い」で絶滅する、と言われます。本来「菜食」なのにです。三国志に、これを操る職業「飛蝗師」が描かれているといいます。
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イスラム教では、「屠殺」の瞬間に特別の祈りを捧げた肉しか食してはならない掟があり、それを「ハラーム・ミート」と言い、まだ殆ど知られていなかった1980年代の段階で、私の店のマトンは、これに徹していました。当時は芝浦に一件しか問屋が無く、毎月買出しに行っていました。
イスラム教では、「豚肉」は、厳しく禁止されています。「昔のペスト大流行の名残」と説く学者は多いですが、理由はそれだけではないのです。
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「ヒンドゥー教の菜食主義」「イスラム教のハラーム・ミート」、そして、真逆の「南太平洋の脳みその刺身」に共通するものは?

それは、
「殺された時に出るホルモン」です。
現代科学医学は、まだそれらの「ホルモンや伝達物質」の、ほんの一部しか解明していないと言われます。
しかし、古人は、それを「悟性の叡智(経験則だけでは説明し切れない筈だ)」で知っていたのです。
つまり、
初期ヒンドゥー教の或る派、南太平洋の部族の勇者が、倒した敵の勇者の脳みそを喰うのは、その物質を取り込み、「特殊な精神状態を体験する」や「より屈強な勇者となる」為であり。後のヒンドゥー教主流派や、イスラム教の「豚食厳禁」「その他も祈祷をすべし」は、その「特別な物質を取り込まないように厳しく諌めた」ということなのです。
しかし、このことを明確に説く人は、世界に殆どいないようです。
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「禁煙した途端に、『喫煙しない人』ではなく、嫌煙家になる」「ダイエットに成功した途端、太っている人を卑下する」という人が凄く多いのは、最終的な根本原質迄辿れば、「人間の自然な本能の為せるもの」と言えます。何故ならば、ほぼ全ての生命体は「相反する要素の拮抗・バランスで生きている」からであり、「シーソーゲーム」のように、一方から他方に移行すれば、「180度逆の性質」が表出するからです。しかし、これは「バランス(が取れている)」ではないことは明白です。論理に於いては、「同源同質のものが逆点表出した」とさえ言えるのです。「好きだったものが嫌いになる」「嫌いだったものが好きになる」と似ています。
この論理で言えば「嫌煙家」は、未だ煙草に取り付かれているとも言え、その所為で「僅かな煙や臭いに過敏」となるのであり、「ダイエット成功者」もまた、「太っていること・ダイエット」に取り付かれ、縛られたままである、と言える訳です。「煙や臭いがしても、太っている人を見ても、気にしない・気づきもしない」が、禁煙・ダイエットの唯一の成功例かも知れません。(「全然気にしない」などと口で言っている内は、未だ途上でしょうが)
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同じように、
昨今の「ホルモン(プチ)ブーム」も、かなり病んだ傾向が見られます。「相反する要素・逆の作用」の論理を全く理解しようとせず。図のような極端な「単一的効果」で解釈しようとしているからです。このことからも現代人が如何に論理力を失っているか、が分かります。しかし、これらには大きな落とし穴があり、各円図の下半球に書いたような「リスク」が大きく付きまとうのです。
これについては、先の202、アーユルヴェーダ音楽療法入門64 (今、なぜスピリチュアルか?-3-)でもご説明いたします。

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(文章:若林 忠宏

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198、アーユルヴェーダ音楽療法入門60 (ヤントラ・マンダラと脳機能7:Yantra/Mandalaと脳機能Kosha論-3-)

表題のテーマの前回(Vol.195)では、最中心円(魂と書かれたピンクの円)の如来とその上下左右の菩薩を「魂と心の領域」と説きました。実際その内容は、見事にkosha論と一致するのです。

今回は、その周り。Kosha論では、「VijnanaMaya-Kosha」とされる「論理的思考領域」です。
日本の密教曼荼羅では、上下左右に四如来(紫色で示した)が、それぞれ上下左右に四菩薩を従えて配置され、その間(四隅)に供養妃菩薩が置かれ、更に全体を取り巻く四隅に「地天、火天、水天、風天」が置かれます。

この配置が、如何に「論理思考領域」であるか、を見て見ましょう。
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まず四如来は、それぞれ「安」「徳」「時」「成」を象徴しているとしました。
仏教説法では、それぞれ「下:煩悩・妄執に屈しない悟り」「左:智慧の宝」「上:永遠の寿命」「右:業と行の成就→涅槃」などと説かれ、よほどの信仰心が無ければ、やはり「へー」で終わってしまいます。
しかし、下の如来の別な性質は「堅固で不動」です。つまり「堅い意思・決意」があってこそ「煩悩・妄執に屈しない」という因果を説かない限り、大衆には距離感がある訳です。このセットを庶民向けに文字で表すことを考えてみて下さい。それは「安定」に他ならず、一文字ならば「安」に至る訳です。
実生活でも、「安定・安心・安寧」を脅かし乱すものは、「雑音・誹謗中傷・批判非難・誘惑・騙し・煽動」などですが、サバンナの大型草食獣が、背中にハエが止まった程度では微動だにしないか、たまに尾ではたく程度の反応であるがごとくに「動じない」ということは、真の意味での「自信」があるからに他成りません。
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そして、見事にその如来が従えている菩薩が象徴するのが「安」の如来を取り囲む「善・浄・慈・済」です。
「迷わず善悪を分別出来る」「迷いの汚れを浄化する」と解釈すれば、私たち自身が実践すべき「論理思考」のあり方を示してくれています。「済」は仏教では「救い」の意味がありますが、「置き換え」でもあります。仏教説法では、「正しい場所へ置き換える」としますが、「依存的・ご利益宗教」に陥りがちです。(言うまでもなく、仏教説法を批判しているのでは毛頭無く、受け取る側の私たちの思考力を問ういているのですが)「置き換えの正しさ」を論理的に理解するには、「AをBに」のみならず「AをCに」のような逆の性質に「置き換える」という検証が瞬時に思考出来る力が必要です。これは、日常生活に於ける「置き換え力」であると共に「比喩力」であり、或る意味「切り替え力」であり。「置き換え力」が豊かな人間は「非末梢的」であり、「全体俯瞰力」が豊かです。それに対し「依存気質が強い」「枝葉感覚・価値観に依存している」「物事に捕らわれ、その反応の内発感情に支配され易い」という傾向が強い現代人は、「安と済の力が極めて脆弱になっている」ということが分かります。
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何故ならば。
幼少期から「選択・二者択一」を強いられ、その訓練を積まされてしまった現代人は「Aを最も正しい、BCDFのどれに置くべきか?」しか考えない「感情領域思考」に極めて偏っています。
そして、「気分感情領域」で「外因に反応しただけの答え」で、どれかを選んでしまう。
例えば、海難事故や交通事故で、対向車(船)が、急に右折して来て衝突する!という場面で、「相手(その瞬間は、敵であり害である)を避ける→逃げる→左にハンドル(舵)を切る」という「反応思考」で行動してしまいます。無論、相手・自分のそれぞれのスピードや距離感覚によっても異なりますが、それでも多くのパターンに於いて「左に曲がろうとする」は、極めて愚かな判断であるとすることに異論は無い筈です。そして、そもそも「避ける=逃げる=相手に背を向ける=相手に向かっては行かない」という性質があることは紛れも無い事実です。

何故「愚か」と言うか? それは「左に逃げる」は、「相手を回避する=逃げる」の中で、最も「相手との関わりの時間を長くする」からに他なりません。「相手背を向けて逃げる」と同じく、振り切る力が無い限り、何時迄も「危険と恐怖」を味わうことになり、結果も最悪に至ります。
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私にこの事を教えてくれたのは、猫エイズで奇跡的に六年延命した野良幼猫で保護した子でした。逃げ場の無い庭で遭遇した時、彼はコンクリ塀を登ろうとしましたが、滑って駄目。すると何と彼は私に向かって突進して来て、ひるんだ私の足元をすり抜けて行きました。
彼もまた、私の師匠のひとりとなり、他にも六年、多くのことを学びました。この時の教えは
「逃げるなら前に逃げろ!」でした。
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船でも車でも、「相手との時間を極限まで短縮する」ことは「被害を最小限にする」ということです。
最も成果が少ないのは、右にハンドルを切ったことで、むしろ正面衝突することですが、その直前や直後であれば、相手の車は、自分の車の後部に当たります。無論、後部座席に我が子を乗せていれば出来ませんが、直前直後でなければ、リスクはかなり軽減出来ます。
逆に「相手と関わる時間」を不必要に長くしてしまえば、あらゆる最悪の事態の可能性を高めてしまいます。

この例も、現代人の極めて多くが陥る「感情思考=置き換えが出来ない」日常的な習慣・癖が元凶にあるのです。

すがって・依存してご利益を期待するばかりでなく。「置き換えの意味」を常日頃から考えていれば、とっさの時に「二つの答え」を編み出すことが出来ます。しかし、その訓練が足りないと、奇妙でたくみなほどに「同じ答えを異なる言い方で想起してしまう」という「どつぼ」にはまります。まず想起したものの「真逆」を瞬時に考える癖をつけるべきでしょう。

お勧めは「事故で電車が遅れる→遅刻する→苛々する・焦る」というような場面で、「対応策」を「直感と真逆のセット」で考えてみるのが良いでしょう。そして「どうにもならない」となったら、その時間「論理思考:置き換え」の練習にでもあてれば、「精神状態・思考性」は、自ずと「安定・安寧」に至ります。

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(文章:若林 忠宏

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197、アーユルヴェーダ音楽療法入門59 (用語辞典:シ)

シ:
本来正しくは「Si/スィ」であるものの幾つかで、日本に於いてある程度長く用いられて来た為、ここ「シ(正確にはShi)」に分類した語彙もありますことをお許し下さい。

シャブダ:
アーユルヴェーダ治療法のひとつ「問診」。

シャギール/シャギルド:
イスラム教徒のインド古典音楽界に於ける「弟子」のこと。

シャー:
ペルシア語で「王」のこと。
中世インド・イスラム帝国では、本家に唯一の「シャー」が存在したが。後に、本家から許され「地方総督」が領土を持ち、更に「藩王国」の地位を得、更には「シャー」を名乗り乱立した。

シャーナーイ:
ペルシア系の元祖オーボエ「スルナイ」のインドでの呼称。西アジアでは「スルナイ(楽葦)」「ズルナイ(力強い葦)」などとされたが、インドでは「王の葦=笛」となった。循環呼吸法を用いて音を絶やさない。
本来は、イスラム宮廷野外楽や軍楽の楽器であったが、ヴァラナシやムンバイのヒンドゥー領主や豪族も好んで用い、宗教を超えた存在になった。

シャンカ:
法螺貝のこと。かなり古くから、ブラフマン教、仏教、ヒンドゥー教と広く法器として用いられた他、軍楽でも合図に用いられた。(日本の戦国時代と同じように)

シャンティー:
「平和」「平穏」「静寂」のこと。中世ヒンドゥー至上主義者の古典音楽理論の「旋法ラーガに定義された9の感情」のひとつでもある。反対語は「アシャンティー」。

シャイヴァ:
ヒンドゥー教・シヴァ派のこと。ベンガル地方では「シャイヴォ(ショイヴォ)」と訛る。
ヒンドゥー教がブラフマン教を駆逐した後、そのお墨付きを多数文字化した際、多数書かれた「プラーナ文献」では、「シヴァ・プラーナ」「リンガ・プラーナ」「スカンダ(軍神)・プラーナ」「ヴァーユ(本来はブラフマン教の風神)・プラーナ」「アグニ(本来はブラフマン教の火神)・プラーナ」を総称して「シャイヴァ・プラーナ」などと呼ぶ。

シャストリア・サンギート:
文字通り「科学音楽」のこと。
ヒンドゥー布教運動が活発化し、主に演劇を通じて布教することが盛んになった頃に、科学音楽は、大きく変貌し「Performing-Arts」の性格を有した。その頃に、「純然たる音楽(本来の科学や医療目的としての)」を区別して「シャストリア・サンギート」と称し、「布教・芸能的音楽」を「ガンダールヴァ・サンギート」と称し、区別した。近現代のインドに於いて「シャストリア・サンギート」は、殆ど存在せず、語っている場合も、「ガンダールヴァ・サンギート」が、更に「イスラム宮廷古典音楽」の長い時代を経た「古典音楽」に過ぎない。

シッディー(スィッディー):
古くは、瞑想や修行に於ける神秘体験のことを言ったが。後世、特殊なタントリズムや、過激なハタ・ヨーガの(主に欧米に於いて)発展の中で、「奇跡・超常現象的な力、卓越した能力」や、「瞑想の高次の段階で得られるとされる超越体験」など、超能力やオカルティックなイメージに偏った。中世から近世に掛けて、イスラム文化地域でも神秘主義が連立し、同じような神秘体験を多く語ったが、「事実・真実」もあれば「思い込み・自己暗示」「眉唾」などとも境目の無い世界でもある。

シクシャ:
ヴェーダ文献の後(多くはヒンドゥー教台頭の後)に書かれた「韻律学」の指南書。インド古典音楽では、「音律学~音楽・楽理書」の意味で用いられる。

シッシェ:
ヒンドゥー教徒の学問や音楽に於ける「弟子」のこと。
「グル・シッシェ・パランパラ=師弟制度の伝統」に則っている。

シタール:
北インド古典音楽の弦楽器。正確には「スィタール」であり、ペルシア語の「セタール」が訛った。
アヌーシュカ・シャンカル(現在の女流トップクラスSitarist)とノラ・ジョーンズ(女優・歌手)の父であり、ビートルズのジョージハリソンの師であった故ラヴィ・シャンカルによって世界に知られるようになった。その歴史は、説く者がその都合によって大いに誇張され様々な解釈がなされる。原型および同名のインドに於ける弦楽器の歴史は、確かに10世紀頃であり「13世紀の大臣・音楽家アミール・フスロウが古典楽器に昇格させた」は、嘘とは言えない。しかし、前述のビートルズ云々から今日日本でも良く知られた弦楽器を同定するならば。全長120cm程で、サワリ音を持ち(Jawari)、同一フレット上で弦を横に引っ張る技法を多用し(Mind)、共鳴弦を多数持つ(Tarab)「シタール」の発現は、早くても19世紀後半であり、決して古い楽器ではない。

シャタ・タントリ・ヴィーナ:
古代のハープ。正確には、その中の最大の楽器で「百弦」のものを言うが、同系のハープ(舟型胴に皮を張り、湾曲した棹から斜めに弦を張る)の総称的にもなった。東南アジアにも広く伝わり、カンボジアのアンコールの遺跡に多く描かれる他、所謂「ビルマの竪琴」は、今日も用いられている。

シュリー:
1:「ラクシュミ女神」の俗称的な別名。
2:現存する最も古い旋法(ラーガ)のひとつ。1:のラクシュミ女神とは直接関係しない。

シュルティー:
古代インド音楽の音律に於ける「最小単位」の音程のこと。「讃歌:シュローカ」同様に「動詞:シュール(聴く)」を語源としている。基本的に、ヴァーダ科学から様々な古代科学に於いて「単位」の意味で用いられる。日本語の観念では「粒」というニュアンスが最も近い。
古代音楽では、オクターブを「22のシュルティー」に分割し、その配分は、最終的に三種(三番目が現われたころには二番目が滅んでいたという解釈もある)あり、それぞれから七音(所謂ドレミ)を割り出す方法が各数種ある、というのが「古代(の一時期)の旋法学」であった。中世に「ラーガ旋法学」が定着し他を淘汰した後も、「基本音」の観念で用いられる語となった。例えば(ペルシア系の)オーボエ「Shahnai」の合奏では、単音だけを吹く、お弟子が担当するオーボエがあり(指穴が無い専用管楽器の場合もあれば、普通のシャーナイで、基音だけ吹く場合もある)「シュルティー・ウパンギ」と呼ばれた。また1980年代に突如現われた「電子基音楽器」は、「シュルティーBox」と命名された。

シュローカ
ヴェーダ散文、マントラを、五~七音音階で歌う「讃歌」。「シュルティー」同様に「動詞:シュール(聴く)」から発している。
10世紀以降、「ヴァーダ復興主義者」たちが捏造した音楽原理・歴史論「全ての歌はヴェーダから発している」は、かなり無理な主張。だがしかし、実際、1音~3音のヴェーダ詠唱~マントラを吟じていた僧侶が、次第に一部を五~七音音階で歌うようになったり、既に自然発生していた「五~七音音階で歌う讃歌」をも歌うようになった時代的推移(やはり10世紀前後と思われる)から、「1音~3音のヴェーダ詠唱~マントラ→五~七音音階で歌うシュローカ」という観念が定着したと思われる。同系の讃歌「ストータラ」のような厳格な韻律法則はない。同系讃歌の総称の意味合いで用いている専門家も少なくない。

シュローカム
「ヴァーダ讃歌・マントラ」の一種。讃歌。「シュローカ」を南インドの言語習慣(語尾にmを付ける)でこう呼ばれる。

シュレーシャカ・カパ:
トリ・ドーシャのひとつ「カパ」のサブ・ドーシャ(ダートゥ)のひとつ。関節の安定、結合に力を与える。

シャーニ:
土星。インド占星術ジョーティーシュとの関係で説かれるアーユルヴェーダ音楽療法の伝統では、極めて落ち着いた、平穏を与える「基音の代理音」と関係が深い。しかし、この力が亢進し強くなり過ぎる場合は、基音の存在を奪い、バランスを180度反転させてしまう可能性もある。

シンハ(スィンハ):
獅子、獅子座。
太陽信仰が優勢になって以降の獅子座は、太陽との関係性、生命の根源や魂との関係性が多く説かれた。
アーユルヴェーダ音楽療法の伝統でも、基本音との関係が説かれ、星座の中でも中心的な存在とされた。

シュッダ:
古代インド音楽~中世(現在も同様)インド古典音楽に置ける「ナチュラル音程」のこと。「半音上げる=シャープ#音」「半音下げるフラット♭音」に対して呼ばれる。
字義は「真」であるが、音楽に於いては、「元々の」程度の意味であり、日本の魚の名前「マダイの真」「マアジの真」程度の意味である。しかし、ヨガ学では、本来の「真の」の意味の重みで用いられる。

シュクラ:
金星。アーユルヴェーダ音楽療法の伝統では、金星と関連の深い旋法(ラーガ)や楽音は、全体のバランスが保たれている時には、極めて潤滑かつ甘美で優しい経過音であるが、一旦、バランスが崩れた時や、金星関連の音が異常に強調された時は、極めて危険、良くても極めて不安定な状態となり、生命体の心身に重大な悪影響を与える。逆に、この危険性を熟知している古代専門家は、中医・漢方薬の幾つかにもあるように、或る種の「劇薬」として、それを活用した。

シュクラ・ヤジュル(ヴェーダ):
ヴェーダ文献のヤジュル・ヴェーダの中で、現存する最も有名な「黒・白」二種類の一方の「白ヤジュル・ヴェーダ」のこと。一般に、サンヒター(本編)とブラーフマナ(注釈)が分離しているため、歴年の研究者は「混在している黒ヤジュル・ヴェーダの方が古い」と言われるが、疑問も拭えない。
ヤジュル・ヴェーダ総体は、祭祀祭礼の道具、供物などについて(一部に神々への讃歌もあると言う)散文で書かれた上に、それを詠唱すると説かれる。このことを理解するには、古代インドから綿々と継承される基本的な習慣を理解すると良い。それは、「文字化しようとしまいと、普遍的に記憶すべき事柄を、詠歌に込め、その歌を歌いながら行為することを修行とする。例えば、古く日本の台所で言われた「はじめちょろちょろ中ぱっぱ 赤子泣いても蓋取るな」を2~3音の詠歌にして、ご飯炊きの最中詠唱し続けるような感じ。古典音楽の旋法ラーガについてかつては、その主音・副主音・時間帯などの記憶すべき事柄を、そのラーガで作曲したエチュードが教えられた。
しかし、一説には数百とも言われる「異なる解釈の異なる伝承」があるヤジュル・ヴェーダの中の「白ヤジュル」も「黒ヤジュル」もほんの一部であると言われ、他のヴェーダ文献同様に、後世に加筆されたり落とされたものも少なくないと考えられる(定説ではBC.1c成立となっている)。従って、前述した「記憶法と作法」に見られる「論理性」と「或る特定の思考回路の活性」の実践法としての価値を見出すべきである。
また、「文字化出来るし、文字化したが、それに加えて詠唱を行った」ということは、文字化の思考回路、文字を読む思考回路、歌にして詠唱する思考回路などの異なりをヴェーダは熟知し説いていたことになる。しかし、これらを説く研究者はほぼ皆無。

シヴァ神:
ブラフマン~(仏教/ジャイナ教)~ヒンドゥー教を探求する上で、最も重要かつ、最もややっこしい神のひとつ。ヒンドゥー教では「三大神:ブラフマン/シヴァ/ヴィシュヌ」に数えられるが、シヴァ派やシヴァ派系の宗派では「絶対神」としての「イーシュヴァラ」と同一視される。ブラフマン教には存在しなかった筈であり、従って仏教にも取り込まれなかった筈であるが、後世ヒンドゥー至上主義者は様々な関連を説いた。これらの混沌とした事柄を置いて、特筆すべき点が、ヒンドゥーご利益宗教が台頭した後も「荒神」的な性格を維持し、その妃であるパールヴァティー女神の化身、ドゥルガー女神やカーリ女神などにも見られる「畏怖」を象徴する性格を持つ。より「荒神」的なキャラクターとしては、化身(別名という解釈もある)「バイラヴ神」「ルードラ神」が知られるが、「別な地域神が同一視された」とも「別な地域神と習合した」とも言われる。基本的に「創造の神~創造と(その必然としての)破壊の神」の性質が多く語られるが、「(相反する性質が共存する)二元性」の象徴と解釈すれば、「宇宙の摂理」「生命体の基本原理」、更には「陰陽説」とも合致する。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
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(文章:若林 忠宏

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196、アーユルヴェーダ音楽療法入門58 (今、なぜスピリチュアルか?-1-)

私(若林)は、1990年代初頭から「1980年代に、日本の文化は大きく変革した」と説いてきました。その後、1990年代の後半になって、日本のゲームとアニメが世界的に人気を得た頃、その傾向は世界に伝播したとも説いて来ました。最近では「1980年代は日本の文化革命だった」と言っています。

その主旨は、
1945年の世界大戦終結以前と戦後、そして新しい世界の構築と混乱。物質文明の迷走。などからお話せねばなりません。
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戦後~1960年代は、日本のみならず、世界中で、アンシャン・レジーム(旧体制とその価値観。及びキリスト教至上主義が先進国のステイタスだった時代)と、それから派生した「植民地主義・派生主義・身分格差階級」そして、「隣国との戦争・侵略・支配」を体験した人々が、戦乱や敗戦によって、一気に「物質的繁栄」と「精神的拠り所」を失いながらも、「古い精神性・価値観」を捨て切れずに「復興」に努めた時代でした。

一般に「復興」は、敗戦国日本・ドイツ・イタリアについて語られますが。戦禍によって壊滅状態になったヨーロッパのほとんど。アジア・太平洋もまた、「復興と新体制の建設」を余儀なくされたことは言う迄もありません。アフリカ・中南米の多くは、戦禍を免れたとは言え。戦後10年の間に、次々に植民地から独立し、新たな価値観・社会を構築せねばならなかったことは変わりません。

まず、最も重要で明らかなことは、
世界中で、この時期に「精神性の変革」について、全く取り組まなかった。ということです。
同じ敗戦国のドイツは、新憲法(正確には、未だ準備法:仮)に、「ナチスを妄信し戦争に突進した責任は国民全員にある。その罪は『(本当の)自由(を得る自己との戦い)からの逃走』である」と明記していました。しかし、その後も、幾度か時の首相がこのことを強く語ったことから分かるように。庶民の多くは、この問題を忘れ・考えないようにして、「目先の生活・自分の欲・物質的繁栄と富・安寧安心」をむさぼったのです。憲法に書かれながらも、です。
ドイツでそんな状態ですから、憲法ではもっぱら「自由・権利」が語られている日本で、戦争の過ちを自壊・自戒する人が殆どいないのも無理はありません。

ちなみにインドは、
世界で最も「変わらなかった国」かも知れません。
パキスタンと袂を分かってイギリスから独立し、王政が廃止されたとは言え。私の知る限りでは、首都や大都会でさえ、中世から続く日々の生業が継続され。都会から一時間も車で郊外に行けば、今だに牛が井戸水を汲み上げたりしていました。
強いて言えば、
パキスタンとの分離独立以後、ヒンドゥー至上主義が台頭し、インドに残ることを決意したイスラム教徒が迫害されたということはありましたが、現在のモディー政権下ほどではなかったと認識します。
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1960年代の後半から1970年代の前半は、
前述した「戦中世代」が、社会の主導を握る一方。その次世代。戦争末期・戦直後の世代が大学生・若手労働者の年齢に至って、アンシャン・レジュームを引きずる世代と社会に反旗を翻しました。

最も象徴的な出来事が起こったのが、奇しくもアメリカと日本でした。戦後日本は、世界で最もアメリカに追従し、アメリカナイズ度が最も高かったからでもあります。

アメリカでは、アンシャンレジームの後遺症とも言うべき「ヴェトナム戦争」に若者が借り出され。それに反発した「ヒッピー・ムーブメント/フラワー・チルドレン」などのサブカルな動きが大同化し、同時にアメリカで「第二期スピリチュアル大ブーム」が興ります。
ネット情報が氾濫する現代からは考えられないことですが、それが日本に伝わるには二三年のズレがありました。

以前も少し書きましたが、高校一年生でシタールと民族音楽のプロ(ホリプロ系のプロダクションに所属)になった私は、あちこちのスピリチュアルな集まりで演奏し腕を磨きました。が、「精神世界に興味関心を抱く人々」は、まだまだ少数派でした。
多くの若者は、
1960年代末に、「学生運動」に様々な距離感で関わり。「社会の不条理」に対して大いに反発したのです。しかし、1968年~1970年。学生運動は、幾つかの痛ましい事件と共に一気に収束します。

学生運動に挫折した若者。早々に見切って掌を返すように価値観・人生観を変えた若者。そして、社会の中枢に君臨した戦中世代(元軍国児童)は、高度成長のクライマックスを満喫するのです。象徴的な出来事が「大阪万博」でしょうか。

ところが、
1980年代に入ると。人々の精神性は、奥深いところで、大きく変革し始めるのです。
これが「日本の文化大革命」と、「今日のスピリチュアル・ブームの原点」の要因なのです。
(つづく)

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(文章:若林 忠宏

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195、アーユルヴェーダ音楽療法入門55 (ヤントラ・マンダラと脳機能5:Yantra/MandalaとKosha論-2-)

私の「子供向け・楽器作り教室」の或る時のことです。ペット・ボトルにビーズを入れてマラカスを作ることを教えていました。その際、様々な色のビーズを「各自で好きなブレンドで、自由に!」と言いつつ「その代わり一色はスプーン一杯迄」と言明しました。すると、或る親子が、私が傍に居るのに気づかず「お母さん!一杯迄だよ!駄目だよ!」と母親を諭しているのに、母親が「構わないわヨ!誰も見てやしないから!」と返答していました。その子の哀しそうな顔(悲しいではなく)は、今も脳裏に焼きついています。
「DNAを通して子(胎児)に与える親の経験」「胎教」「Karma」「生後の環境・親の影響」が如何に多かろうと、「魂の傍らに居る心の発想」は、極めて純粋(宇宙原理に近いという意味で)なのだ。と痛感しました。

人間のエゴの犠牲になって「癒されたいとセットになった溺愛」によって、飼い猫の精神状態は大きく阻害され得るものです。また。人間社会の悪しき念が渦巻く裏町の野良社会では、動物本能が剥き出しになる場合もしばしば報告されています。
しかし、
基本的に、猫は、(猫の)乳幼児や、病気や老いで弱った成猫を見事に労わり守ります。棚の上から床に飛び降りたとしても、毛布の中の猫の上には落ちませんし、「ご飯!ご飯!」とケージの中を歩き回る母猫は、まるで「足裏に目が在るの?」と驚くほどに赤ん坊を踏みつけたりしません。その代わり棚の上から飛び降りる猫は、寝ている私の腹部目掛けて飛び降りることはしょっちゅうで、「何時か『睡眠時無呼吸症候群』で死ぬかも知れない」と思わされます。
そんな猫でも、
「体の奥底に病変がある場合」その精神性も悪い方向に変化します。「病は気から」の逆の「気は病から」が極めて顕著に見られます。言う迄もなく人間も同様なのでしょう。
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おそらく「心」は、極めて「非社会的」であり、しばしば結果論「反社会的」なのでしょう。当然ですが、「社会の常識・規範」は、時代や思想・宗教・イデオロギーで変化しますが、「魂」にはそれらはリセットされ、「心」もまた、リセットされ生まれてくるのでしょう。(性善説に似ていますが、全く違います)
その代わり、「Karma」や「胎教」「DNAに影響した親の精神性」は、既に胎児~乳児の頃に「気分感情領域」に刷り込まれてしまうのです。

以前も解説しましたが、
そもそも「動物の脳の進化論」から言えば、「A:まず生きる(生活反応)」「B:次に観察・判断・行動する(身を守るため)」「C:そして考える(より良い条件=すなわち比較と想像)」「D:より深く考える(創造・工夫・解釈・理解・学び)」と進化し、その先に「E:夢や希望、慈愛や正義」というものが生まれます。
AとBは、ご存知のように「延髄・小脳」両生類・爬虫類レベルと一般に解釈されている領域。Cは、「大脳」が発達した哺乳類で、Dは、類人猿とホモサピエンス。Eは、人間、と言われています。

乳幼児の脳機能は、言う迄もなく、この段階順に発育する訳ですが、それは主に「気分感情とそのエリアの思考領域」と、その内側で「心と魂を守る:論理思考領域」についてであり、当然前者が先に発達・成長します。(現代人はそもそもそこで発育が止まることが多い)
しかし、(現代科学・医学では説かれていませんが)「心」は、既に殆ど発育していると考えられます。
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丁度今、或る予期せぬ事態の結果、生まれてしまった子猫が、開眼して未だ数日なのに、私の呼び掛けでケージの前の方まで張って来て、小さな声で返事をしました。以前、乳児の時に感染症で逝ってしまった(保護した猫が身重だった)子の生まれ変わりかも知れません。

或る意味、猫は、(20年で百頭前後世話して来ましたが)人間社会に生きながらも、人間が身につける「社会性=比較意識、自意識や、それから派生する自己顕示欲、承認願望」などは、不要なので(犬はかなり違いますが)。上記の「C」の半分くらいで「思考領域」の発達が止まり(完成し)ますが、「心」は、むしろ、成長と共に(健康ならば)より豊かになり、もしかしたら「魂と心の合意→思考」さえ、するのかも知れません。正に「悟性と叡智の思考」であり、人間には到底真似が出来ない類のものです。

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逆に、言うと人間もかなり純粋であるか、論理思考力が充分である場合、「心」も成長を続けて、「思考する」ようになるのかも知れませんが、実際現実的ではないので、論外とします。
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要は、日本の曼荼羅の「最も中心の如来」の周りに、「心、智、誠、養」の菩薩が従っている、ということです。仏教説法的に言えば「心=菩薩心」「智=智彗=宝」「誠=法」「養=業」となってしまい、前述したように「一般大衆にとっては『へ~』の粋」を出ません。

しかし、「智慧」は、「真実を理解する力」に他ならず。それは「叡智と悟性」の総合作業に他なりません。そして、「法」には、少なくとも「法波羅蜜菩薩の力と任務」には、私たちが社会的(人間の身勝手)に鈍らせ曇らせ歪曲させた智慧の浄化がセットになっています。「業」は、そのままでは、今世の人生には役立ちません。何故ならば、今世に関わる業は前世に作られ、今世の行は、来世の業となるからです。しかし、「来世に於ける救済」に偏った宗派(主流か?)では無い場合(ジャイナ教の一派や、ヴィヴェカナンダ師など)、「来世の為の行は、現世の業を改善する」とも説きますから、総合すれば「育て・養い」と解釈出来るのです。でなくては、「努力の甲斐が無い」とも言えます。
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そして、この「心、智、誠(浄化・改善・復旧)、養(実践・育み)」がセットになって「魂」を取り囲んでいる。これが、「Kosha論の心の領域」であると曼荼羅は説いているのです。

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(文章:若林 忠宏

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194、アーユルヴェーダ音楽療法入門56 (用語辞典:サ2)

サントゥール:
カシミール地方のツィター属の打弦楽器。「Sant」は印欧語族の「100(%のcentと同義)」で「Tur」へ、ペルシア語の「弦」。実際イランのサントゥールは、各音(チェスの駒のような各音ずつの駒に弦を乗せる)は「四復弦(同質・同音の弦をせばめて四本張る)」で25音在り、文字通り「100弦琴」となる。
イスラム教がペルシアを併合する前、カシミールは隣国で独立王国であったこともある。その後、ペルシアで興った神秘主義がカシミールにも伝わり、かなり信仰が厚かった。サントゥールは、その音楽「Sufiana-Q(K)alam」で重要な楽器。第二次世界大戦以降、北インド古典音楽の楽壇に登場して「ラーガ音楽」を演奏するようになったが、本来の演奏様式は全く異なる。

サンチャヤ:
心身の何処かの部分に於ける、何かの「蓄積」の総称。良い意味では「栄養・エネルギー・知識の蓄積」があるが、「代謝・循環」を由とする観念が中心なので、多くの場合「滞り」を意味し。「障害・問題・事件・病変・病原」と解釈される。

サンニャース:
出家修行者のこと。サドゥーと混同されるが、その差異については「サドゥー」の項で詳しく述べた。
ブラフマン教後期に、「反苦行」を掲げて仏教が隆盛したことは良く知られるが、同時期にブラフマン教から現われた新たな「修行スタイル」を実践したものが源流。その時代「聖人:リシ」は、あまりにハイレベルであり、遅れて隆盛した「聖者:ムニ」の多くが「苦行」に偏った。「サンニャース」は、その間を取ったような性質があった。
しかし8c.に、初代シャンカラが、独自(実は、シャンカラ没前後から弟子が分裂対立して後世かなり歪曲して伝えられている面も否めない)な「アドヴァイタ(不二一元論/梵我一如)」思想(理論)を展開し、ヒンドゥー教が黄金時代を終え、権威が失墜し、寺院も腐敗しつつあった時代に知識層に大いに歓迎された。この弊害によって、シャンカラ以前の聖者・聖人の教義・説法は殆ど不詳になってしまったり葬られてしまった。しかも、シャンカラの晩年、シャンカラ自身が理想を思い描いて構築した「東西南北・四寺組織」が、結局は、シャンカラの四人の高弟同士の熾烈な対立に至り、教義・理屈の争いから政治紛争に至るまで複雑化した。またシャンカラが構築した「10の階級」も、「形骸化・権威化」という方向に偏った。同時にシヴァ派との密着や反発も繰り返され、総合してブラフマン教・ヴェーダの叡智は、大きく湾曲して後世に伝えられることとなった。事実、その源流から考察すれば明らかに矛盾する教義の派も少なくない。
無論、単なる批評批判ではなく、その時代、「生き残ること」「対立に負けないこと」などが熾烈であったことを知るべきであろう。奇しくも、西洋哲学が崩壊の一途を辿り始めた18c.後半~19c.のドイツ哲学の様相が、初代シャンカラ以降のインド思想・哲学の姿に極似している。
「サンニャース」は、日本では「サンニャシン」などと読まれることが多い。
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私(若林)事で恐縮ですが、1987年にメジャー・デビューした「ネオ・サイケ・ロックバンド」にシタールとタブラで参加していました。壊れたシタールをソリッド&エレクトリック(当時インドには未だ無かった)に改造してイントロ・間奏でガンガンに弾いています。タブラは全面に鳴っています。


このバンド。デビュー直前迄バンド名が「サニアス」だったのですが、初めて聞いてその場で違和感を伝えました。その後「馴染みがない名称」ということで、結局「七福神」になったというエピソードがあります。高度成長期からバブル絶頂期。1980年代お笑いタレントなども勝手にアジア・アフリカの実在の国名地名などを芸名にしていた(やったもん勝ちの)時代です。それでも当バンドは音楽的にもメッセージ的にも真面目に高みを目指していたところがありました。是非、聴いてみて下さい。

サプタ:
「七」の意味。古典音楽では「サプタ・スワル=ドレミファソラジドの七音」
「サプタク」古典音楽に於ける「オクターヴ(ドから上のド迄)」の意味。(※)
ヴェーダ科学(物質論)では「サプタ・ダートゥ=七要素」などで用いられる。
そもそも西洋の「オクターヴ」は、「ドからドまでの八度(Oct=8)」の意味だが、インド音楽では「サプタク」=「ドからシの七度(Sapt/Sept=7)」の意味なので「サプタク=インド音楽に於けるオクターヴのこと」と言うのは、本来奇妙な表現でもある。

サラジュ:
科学音楽~古典音楽のドレミの「ド」のこと。「基音」であり、「基音持続法(英語でDrone)」が欠かせないインド音楽に於ける「重要伴奏音」でもある。「サラジュのラ」は、「(日本人向けに言うと)ラとダの間の発音」で、ローマナイズでは「Dの下に点」で現すため。「サダジュ」と表記したり、聞こえる日本人も少なくない。

サーランギー:
北インドの民謡~古典音楽の弓奏楽器。「Sau」は、「百」、「Rang(Ranj)」は「彩り」で、「百の音色を出す楽器」の意味。18世紀に、花柳界歌謡だった「Kayal」が宮廷古典音楽の楽壇に登った際に、その伴奏楽器として昇格し、その際に「大型で共鳴弦が増した」。これを現地では「Classic-Sarangi」と呼ぶ。
民謡では、特にラージャスターン地方の世襲大道芸人一族の音楽で重要な楽器で、八種ほどあり、専ら三種を合奏で用いる。

サラスワティー:
インド文化に興味を持ち始めたばかりの人でも知っている「日本の弁才天のルーツ」。ブラフマン教の主要神であっただけでなく、東進したアーリヤンの故郷ペルシアでも、重要な女神であった。一説には、同格の女神との政争に敗れたのが東進の理由とも言われる。神話では、ガンジス河とヤムナー河の間を流れる「伝説の河(の女神)」とされる一方、事実として「伏流水」とも言われ、中国、日本でも「河・川・池・湖・(海)」の畔に祭られる。本来の神格を継承する一派は、弾圧によって地下に潜り、密教化し、様々な異名を持つに至った。日本に於ける別名の「妙音天」は、一般に「絶妙に美しい音楽を奏でる女神」のように説かれるが、「密教系の弁天を意味した」という説もある。この場合、インドやチベットの密教に於ける姿と同様に、むしろ厳しい荒神として捉えられる。
乗り物(ヴァーハナ)は、白鳥のハンスで、その他に孔雀の従者を伴うことは良く知られているが、「川辺の巨岩に座る」ことが極めて重要なことは、あまり語られていない。
筆者は、東日本大震災の後、五年待ってから、長年弁才天を継承して来られた、沿岸の古刹に状況を問い合わせをさせて頂いたが、復旧の見通しも予定も立っていないところが少なくないことに驚くと共に、憂慮した。復興は、人間生活の基本的なものでさえ、まだまだ道半ばなのであろうが、それとは別な次元のような気もする。

サーリンダー:
インド~亜大陸の民謡の弓奏楽器。前述の「サーラーンギー」が民謡用・古典用共に、「胴体と棹が一体化した長方形で、弓道の括れは軽くへこむ程度」であるのに対し「サーリンダー」は、胴体上部が翼を広げた鳥のような形になっていて、下部にだけ山羊皮を張り、翼の内側は大きな響き穴になっている。棹は翼の大きさに対し細く、明らかに「胴と棹」が分離している。ネパールの世襲大道芸人一族ガイネの楽器「サーランギー」は、むしろこの「サーリンダー」の系譜に在る。「サ-ランギー」と「サーリンダー」の胴にシタールの棹を取り付けた新楽器が19c.に創作され、今日も用いられているが、「ディルルバ(主に西~西北インド)」は「サーランギー+シタール」で、「エスラージ(主に東インド)」は、「サーリンダー+シタール」である。「サーリンダー」は、パキスタン領とイラン領に分かれるバルチスターン地方が発祥と思われるが、そこでは「スローゼ」と呼ばれる。

サロード:
18世紀に宮廷古典音楽の楽壇に登った新楽器。アフガニスタンからの帰化傭兵部族が与えられた、首都デリーの西、旧都ラクナウなどの地域ローヒンルカンドでアフガン弦楽器「Rubab」を改造して創作。(奇しくも筆者のシタールとサロードの兄弟師匠の先祖。筆者の師匠迄12代、面々と音楽家が継承されていた)
花柳界・修行僧・大道芸人の楽器であったシタールが宮廷音楽に登るのよりも百年早い。ルバーブは板張り指板でガット(羊腸)弦だが、それを金属指板の金属弦に替え、刻み重視のルバーブ奏法から余韻とその装飾重視のインド音楽に奏法も転換した。その際、デリー宮廷の主流派(16cの楽聖ターンセンの一族)の門下となったことが発展と隆盛を裏付けた。主弦4本に、伴奏弦2本、リズム弦2本、10本前後の共鳴弦がこの伝統スタイルの楽器で、アフガン・ルバーブの「主3、伴奏3、リズム1、共鳴10前後」より音域も広げた。従って、伝統スタイル(Trad-Sarod)は楽器の先端に六つの糸巻が確認出来る。
これに対し、Beatlesの師匠として世界的に有名になったシタール奏者ラヴィ・シャンカル氏の師匠:Ud.Allauddin Khan氏が創案した伴奏弦を4本とし全体的に大型にした「Modern-Sarod」が生まれた。流派がベンガル発祥のために「シャロッド」と発音する演奏者が多い。楽器の先端には糸巻が八本確認出来る。

サルダール:
「貴族」の意味。転じて、シク教徒の目上や名演奏家、師匠に対して敬称として用いる。シク教徒でない場合の音楽の師匠や年配者には「ウスタード(イスラム教)」「パンディット(ヒンドゥー教)」と言えば良いが、それらと一線を画するシク教の場合、言葉が無かったのを、何時の日か誰かが言い始めたのだろう。
街中でもシク教徒と見れば「サルダールジー(お貴族さま)」と呼称すると通りが良い。
サルダール・バイタク:シタールなどの弦楽器を構える際の足の組み方の一種。

サルガム:
インド音楽の階名「ドレミファソラシド」の総称。「S(サラジュ)、R(レシャヴ)、G(ガンダーラ)、M(マディヤム)、P(パンチャム)、D(ダイバタ)、N(ニシャドゥ)、S」を略し「サルガム」と呼ぶ。
古典声楽では、これで歌う部分もあり、それをも「サルガム」と呼ぶ。
ちなみに西洋では同義のものを「ソルファ/ソルフェージュ」と呼ぶが、これも「ソラファ」をもじったもの。

サートグン・ラヤ
「七の律動」に関する「リズム分割」の総称。基本は、「一拍を七等分する=七連符」だが、大概、関連の「サイズ違い」を並べるか、「七で割ったものを四で括る」などで演奏される。(単純に「七連符」が連続して演奏されるような様子はまず見られない)
前者は「2拍七連、1.5拍七連、1拍七連」などで、後者を表すと「1234567/1234567/1234567/1234567」→「1234123/4123412/3412341/2341234」となり
「元=7X4拍=28音」「変=7分の4音X7回=28音」で一致(同じ刻みの同じ拍数)する。「ドレミファソラシド」を四回歌う人の隣で「同じリズムでドレミファを七回歌うと揃う」というもの。

サート・サンガット
北インド古典音楽に於ける主奏者と太鼓の掛け合いの最も複雑なもの。サンガットは、伴奏。
20世紀初頭に隆盛した「掛け合い」は、「数拍の即興的旋律を聴き、それをリズム翻訳して太鼓で応答する=Sawal(問い掛け)-Jawab(返答)」が一般的だが、より高度なものは「(例えば)旋律の8拍フレイズの4拍目まで聴いて太鼓が答える=答えながら後半の4拍を聴き記憶する」で、もし旋律が、太鼓の後半4拍に次の問い掛けを弾けば、「Sawal-Jawab」は、「4拍ずれながら同時演奏」となる。これを「ララント・サンガット」と呼ぶ。「サート・サンガット」は、これを同時に演奏する。つまり、「旋律のフレイズを同時リズム通訳する」形である。
しかし、2000年代から、現地演奏家は、本来「全て即興であるから意味があったもの」を事前にリハーサルや練習をしてステージで大衆迎合するようになった。故に現代の「ララント」も「サート」も嘘臭くイヤラシさが際立つ。

サティヤ・ローカ:
「世界論」に於ける、最高位・普遍神の世界。

サットゥヴァ:
「純正」「神性」の意味。かなり多くの意味で様々なテーマで用いられている。
「属性論(トゥリ・グナ)」では、「ラジャス(動性)、タマス(鈍性/静性)」、と共に語られ「純性」とされる。この場合「動きもしないが止まりもしない=動くが止まる=自在=在るようで無い=無いようで在る」のような解釈である。アーユルヴェーダの「トゥリ・ドーシャ(ダートゥ)論」では、「ラジャスの亢進は、ピッタ(火・熱・消化)とヴァータ(風・運搬・伝達)を過剰にし危険」「タマスの亢進は、(決して動かない訳ではない)カパ(定着・接合・融合)を停滞させて危険」「サットゥヴァ(純性)の活性は、トゥリ・ドーシャのバランスを整える」と説き、その状態の診察を「サットゥヴァ・サーラ」と言う。重要なポイントは、古代のアーユルヴェーダでは、この診察には、「精神性・思考力」の診断(サットゥヴァ・パリークシャ)も必ず伴っていたが、近現代ではそらが形骸化している点である。例えば、「問診」は、現代医学に於いても東洋医学に於いても重要であったが、「自意識・被害者意識・比較意識(優越・劣等感)」などについて問診する現代の医者はまず居ない。ただただ「患者の自己申告=体調や症状の実感」を訊くのみである。これを「サットゥヴァ」と言うことは到底不可能。実践的、具体的には、「サットゥヴァ」は、「生命力、人間力、恒常性力、精神力、思考力、バランス調整力、安定性・不偏性力」の総合「Sattuva力」と解釈すべきであろう。
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また、西洋化学療法に於ける「高血圧治療薬」は、「タマス的」であり「低血圧治療薬」は「ラジャス的」であるが、「生薬(及びHerb)」の幾つかは「高血圧は下げ、低血圧は上げ」と「サットゥヴァ的」である。「タマス:電子」「ラジャス:陽子」「サットゥヴァ:中性子」や、「タマス:無知」「ラジャス:行為」「サットゥヴァ:知識」などと説く派もあるが、基本から外れている感も否めない。

サッチタナンダ
ヨギ、サンニャース、サドゥー、在家信者に共通の理念。三つの言葉を結合された。
それらは、「サット(サットゥヴァ:絶対実在)+チット(純粋意識)+アーナンダ(至福)」の三つと言われる。ブラフマン教以後に加筆されたヒンドゥー時代のウパニシャドに現われるとされるが、現代では様々に都合良く解釈されている。本来のサットゥヴァは、前述(サットゥヴァの項参照)したように、「普遍・不偏・不偏」のきわめて論理的で、バランス恒常能力に長けた要素(力)を言うものであり、チットも同様の論理性にバランス制御されると共に、その根本原理(宇宙原理)が転写(相似)したものであり、アーナンダは、それによって得られる「不偏・不変の安寧」であった。しかし、現代隆盛しているご利益宗教的な説法では、信者の自浄力・恒常的普遍的思考力の問題を無視して、ひたすら祈願すれば得られると説く。
現代的に言えば「サット(サットゥヴァ:不偏性)+チット(論理性)+アーナンダ(恒常性・安定性)」と説いた方がより健全と思われる。

サティヤ・ユガ
ヒンドゥー時代論に於ける、「最初の時代」BC.389万千102年からの172万8千年間。
これを「神々の時代」とする感覚は、世界神話に普遍的にある。その普遍性に於いては、「神々の時代」「神々と純粋な人間の時代」「神々から離れつつある人間が、比較的聡明な時代」「神々に逆らい混迷する人間の時代(悪魔に人間がそそのかされる時代)→世界の崩壊」につながる。「創造=破壊」のヒンドゥー観念に於いては、「世界の崩壊」の後、再び「神々の時代」に至って循環する。
この「普遍的な時代論」は、まさしく個々の人間の人生を転写(相似)している。
「神々の時代」は、「生命の神秘=神々の所業」と言っても誰も反論しないだろう、個々の人間が母胎に存在する前から存在し産まれ出る迄の時期に相当する。
「神々と純粋な人間の時代」は、乳児から幼児。反抗期迄の無垢でいたいけな人間と親の時代に相当する。
「神々から離れつつある人間が、比較的聡明な時代」この時代は、果たして現代人・幼児は、もはや様々な社会的恣意・作為を行使するから、「聡明」の意味合いはだいぶ異なっている。
「神々に逆らい混迷する人間の時代(悪魔に人間がそそのかされる時代)→世界の崩壊」これは正に、反抗期のまま、親や先祖や故郷などよりも自分の目先の問題に執着している多くの現代人の姿に他ならない。

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(文章:若林 忠宏

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193、アーユルヴェーダ音楽療法入門55 (ヤントラ・マンダラと脳機能5:Yantra/MandalaとKosha論)

前回(Vol.193)で、ご説明した「曼荼羅の神々の配置の意味」は、なんと!と言っても、当然、必然ではありますが、Kosha論と完全に一致するのです。
逆にもし、かなり隔たりがあるように思えた場合、それは「ご利益宗教・大衆向けに歪曲した(ごく一面を過剰に強調した)」結果であることは間違いありません。
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近年、と言ってもヴィヴェカナンダ没後20世紀初頭、或る一方方向に偏ったヴェーダーンタ学派などの「不二一元論(梵我一如)」ではなく、ヴェーダの叡智が説く伝統的解釈に於ける「不二一元論(梵我一如)」の意味は「Pursha(宇宙原理)は、個々の人間の魂(Prakriti)に相似・転写している」ということです。
例えば、
ジョティーシュに於いて、惑星の動きが、個々の人間の運気を大きく左右するのも、この概念が存在するから説明出来るものに他なりません。
とは言っても、
「宇宙の変化→個々の人間の内面に現われる」の逆。すなわち、人間が地球の有様や宇宙の様子を変えることは、超越した聖者が数万人集まっても無理なのでしょう。
ところが、逆に、
「人間の邪悪(悪気が無いものから、悪気を何らかの観念や世相・常識・通念で正当化したものも含む)の念の集合体(自然に寄り集まり縒られてしまう)」は、地球に異変、宇宙にさえも弊害を与えることも事実のようで、故に、私が理解されにくくても、シーターラーマさんのご支援を受けて、こうして説いている(説かねばならない)のですが。
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「輪廻転生」を信じる考え方に於いて「魂」は、前世から引き継がれたものである以上、それは或る意味「神々からの預かり物」として、私たちの内面に保管されている訳ですから、それが中心や奥底以外にある筈はないのです。
その「魂」には、現代医学・科学やようやく(この一二年?)辿り着いた「親の経験が胎児のDNA(Swich)に反映する」ようなことも含め。積み重ねられた多くの前世の記憶やKarmaが凝縮されている訳ですが。同時に、その「魂(Prakriti)」こそは、「宇宙との連絡窓口」に他ならない訳です。

「Kosha論」でも説かれているように、「心」は、逆に「個々の人間のオリジナル」でありますが、「魂」を守る力はありません。むしろ、現代人の多くの場合、「破壊され機能不全に陥った論理思考領域」を通り過ぎた「外因反応の気分感情思考」と「魂」の板ばさみになっていることが多く見受けられます。

例えば。良くある話しですが、
幼い少年少女が学校の帰り道に「捨て子猫」を拾って来た。「助けたい」という無垢な感情は、気分感情と矛盾しないにしても、かなり奥底の「心」が発想したと考えられ、その背後には、「魂」のサジェスチョンも考えられます。逆に、少年少女と言えども「え~!私は嫌だ!汚いし噛むかも知れない」と即座に考えられる子も居ます。(或る意味子供の心理と子供の小社会は『大人社会』の縮図・相似・転写でもあります)。現代社会では、これを「個々の子供の多様な個性・多様な考え方・価値観を認めるべきだ」という方向に猛進していますが。「汚い・噛まれる」は、「親が駄目と言うに決まっている」と同様に、幼いながらも身につけた「経験則」や「親の影響」があることは紛れもありません。
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つまり、
「本来の心」は、デフォルトに於いては恐らく個人差は無く、一様に「子猫=可愛そう・助けなきゃ」と感じ・考えるのでしょう。それを覆い隠し、異なる考えに至らしめるものは、既に「後天的に教育された気分・感情思考」であり、それは既に幼児の頃に見につけてしまっているのです。
近年の西洋医学が発表した「DNAスウィッチは胎児の頃に既に切り替えられて居る」に沿うならば、「後天的な思考回路」は、既に胎児の頃に基礎が得られているということになります。
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そして、
「Kosha論」が説く「論理思考領域」もまた、「個人差」は、さほどないものです。
当然ですが、そもそも「論理性」とは、「樹木の太い枝や幹」のようなものを視座に、「おびただしい個人差の枝葉世界を俯瞰する」ことと言えますから、「普遍的であり、不偏的。そして不変的」に他なりません。「個人差が無い」と言うより「誰にも共通している」ということです。
言い換えれば、
近現代は、あまりに「枝葉感覚=個人・個性」と思い、信じ切ってしまっている訳です。
ある意味で、
「誤った(歪曲した)全体主義(20世紀前半)やグローヴァリズム(20世紀末~21世紀初頭)」の弊害で、世界中の人間が、「本来の太枝や幹の視座を持ち得なかった」とも言えます。
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これは、「人間と神の歴史=人間の信仰心と宗教の歴史」を見れば明白です。
近現代では、「原始宗教」のように説かれ、多分に「未開・無知」的に卑下されていますが、
ブラフマン教・ヴェーダの叡智の多くにその基本が見られる「アニミズム」の時代では、
「もの皆神(及び精霊・聖霊)が宿る」「全ての人間の中に神とのリンクがある」
つまり、「元祖:不二一元論・梵我一如」だった訳ですが、
その時代
「お前の感じている神とは何だ?」と問う者も居なければ、確かめる必要もなかった。
ところが、
宗教の時代になると、全く逆転し、
「お前たちの信じる神は無能だ!嘘だ!」「正しいのは、我々が信じている神だ!」
などとなり、
信仰・信心は、「アニミズム」が淘汰され「宗教」の時代に至ります。

つまり「アニミズム」の時代には、
人間の心・論理思考の中にあり、魂というリンク機能で相似性=一体化=リンクしていた「神」は、
「個人差の無い幹」のような視座・価値観・思考性だった訳ですが。
「枝葉の時代(既に紀元前)」になると、
例えば、
「敵対する部族の神」は、必然的に「悪神」となり、「総体的な悪」の観念も生じます。
逆に言えば、
「アニミズムの時代=幹に視座がある時代」には、
「絶対悪」というものも、しっかり悟って居た。ということです。

これらのことは、
全て「曼荼羅」にも、明確に現われ、描かれ、説かれています。

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chametabla@yahoo.co.jp 若林

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(文章:若林 忠宏

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192、アーユルヴェーダ音楽療法入門54 (ヤントラ・マンダラと脳機能4)

今回の図は、先にご紹介した左上の「日本の密教曼荼羅」の部分を取り出したものです。
左下には、二列の回廊(院)の内側にある、中心的な円形の院を取り出しました。
最も中心には、絶対神的な存在がありますが、この連載では、敢えて「Ishvar(普遍的な絶対神)」もしくは「宇宙の真理」としておきましょう。
その上下左右に紫色の円で示した「四如来」が配置されています。それぞれが、やはり上下左右に従神を従えています。同じように、最も中心の如来も上下左右に波羅蜜菩薩を従えていますが、先に述べたように、チベット曼荼羅には無いことがあります。
中心の上下左右の「四如来」の間には、黄色い丸で描かれた「四供養妃」が置かれています。チベット曼荼羅では、後世、チベット独自の女神に置き換えられ、更に発展したようです。
これらの左下の図の「如来と菩薩」の院の外周を囲む四角い城壁は、内側の回廊の内壁と接します。その内側の四角には、書かれている通りの「地神、火神、水神、風神」が守護神として置かれています。
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その外側には、二重の回廊(院)が置かれています。内側には八尊、外側には、二重尊が置かれていますが、実は、内側の回廊には、八尊の他に、宗派によっては「十六尊」もしくは「千仏」が置かれていますが、今回は割愛させて頂きました。チベット曼荼羅では、この内側回廊に八尊が見られず、「千仏」が回廊状に置かれているものを多く見ます。チベット曼荼羅では、外側回廊の中心の各一尊が、内側に移動し門(Dwara)に置かれます。
………………………………………………………………………………………………………….
「密教」という言葉を見れば、誰しもが「秘密の宗教」と考えると思いますが、それは二つの意味合いで正解ですが、その二つは全く異なる次元と考えられます。ひとつは、史実として、弾圧を逃れるために地下に潜った経緯があったからでありますが、他方は、奥義が秘密であったからです。私自身は、「今日もその多くは秘密の奥義とされる」という解釈に賛同しています。

しかし、その一方で、ご存知のように、空海自身や門弟(空海が分身の術を使ったのかも知れませんが)は、創始直後から百年の間に、日本全国津々浦々物凄い布教活動をしています。そこでは、多分に「ご利益宗教」的な説法を行っており、今日の「密教曼荼羅の解説」は、「この全く異なる二つの次元」がかなりごちゃ混ぜになっていると思わざるを得ません。
「ご利益宗教」という表現に、違和感・反発心を抱く人が居ると思いますが。やはり多分に「大衆迎合的」であり、その深い意味を説かず。極論的に言えば、「説いてもどうせ分からんだろう」と考えていたとさえ思えるほどに「分かり易く」のみならず「大衆が喜びそうな」教えを説いて来たことは、事実であり反論は無い筈です。
ところが、南西アジア~アフリカの「イスラム系神秘主義」の多くの宗派のように、「大衆化=俗化」を嫌い、出家信者のみで構成され、厳しい奥義を厳格に学ぶ宗教も少なくありません。日本の密教もまた、例外ではなく、前述した「大衆向けの教え」と「出家者向けの教義」には、大きな隔たりがあるということです。問題は、ネット情報では、これが中途半端に混同されている、ということです。

尤も、洋の東西を問わず、時代の変遷(大衆心理の変化)に伴って、一部奥義を公開したり、翻訳して新たに出したりのことは、多くの宗教がしていますから、ネット情報の中には、背後にその意図があるものもあるのかも知れませんが。
………………………………………………………………………………………………………….

例えば、
前述した、中心の上下左右の「(紫色の)四如来」の間の、黄色い丸で描かれた「四供養妃」は、それぞれ「(時計回りに)隣の如来を供養する為に置かれた」と説かれます。
これを「ご利益宗教的」に解釈すると、例えば、右下で「技」と書いた供養妃は、隣の「安」と書いた如来を供養するために置かれたと大衆には説かれた訳です。
これでは「へ~そうなんだ」以上の理解も学びも気づきも得られません。
しかし、そもそも「如来」が、菩薩の供養を必要とするのでしょうか?
逆に考え、それぞれの如来が、自らの上下左右の従菩薩の他に、特別な使命を与えて「供養妃」を出生させたならば、理解・学び・気づきは深まります。また「供養」を、「誰かが誰かを癒す」という短絡安直敵に理解してしまっては元も子もありません。ヴェーダの叡智では、それは「自浄能力・自己治癒能力」だった筈です。
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例えば、四如来の上に置かれ「時」と書いた如来は「阿弥陀如来」で、それを供養するために右に置かれた「歌菩薩」は、「歌で阿弥陀如来を供養する」と説かれるのです。やはりこれでは何も始まりません。そもそも「阿弥陀如来」は、一般大衆には、「寿命を司る」などと説かれ、「祈願して長生きしなさい」では、全く「ご利益宗教」の粋を出ません。

私が「時」と書いたのは、「命=時」であると共に、「時」は、絶対値のようであって、その密度や意味・価値によって、大きく変化し得るものだからです。またヴェーダの叡智は、アインシュタインの数千年も前に「時間」を物質的に捉えてました。つまり、「時の意味や価値」は、「軽い時もあれば重い時もある=質量がある」ということです。
そして、
それを「Yantra/Mandraは、個々の人間の精神領域(脳機能)と深く強い相似性(転写)がある」というヴェーダの叡智に沿って述べるならば。「人間には『時の質量』を感じる能力が(本来)ある」ということです。
更に、「日本の密教曼荼羅(原典ではチベット曼荼羅とほぼ共通します)」に於ける「阿弥陀如来」は、「その能力を活性化させる力を与えてくれる存在(DNAのSwichかも知れません)」であり、それは同時に、如来の上下左右に置かれた「法/剣/言/悟」の菩薩によって細分化されると共に、右の菩薩の「歌」によっても更に活性化される、と解釈出来るのです。
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法菩薩の「法」も一般向けには「(守るべき)Dharma」で終わってしまいますが。より深い説明では「清浄・覚醒」を強く伴うと説かれます。つまり、私たちが日常の世知辛さに対応・反応して鈍らせ・曇らせた感覚(論理思考)が、この菩薩を想い・念じることで「覚醒・活性」され、「物事の真の正誤を判断し」始めて「Dharma」の実践に至る訳です。つまり、現代人のように「法で裁かれるからしないでおこう」という「抑止力」の「法」ではなく、それとリンクした「内面的なものさし」としての「Dharma」を覚醒(思い出す・取り返す)する、という意義です。

「剣」は、そのような「正しさ」の実践の為の「勇気・決断」であり、「言(詞・言語・聖音・言霊)」は、言うまでもなく「Mantra(や真言)」の助けであり、「言語化・文章化と読解力の活性化」であり、「悟」は、「論理思考の活性化・叡智と悟性の復活」に他ならないのです。そうした上で初めて、「供養菩薩の歌」、例えば「マントラ」や「キールターン」が命を得、意味を持つ訳です。言い換えれば、この摂理と道理が理解出来ない「論理思考領域が疲弊し、気分感情・感覚でしか理解出来ない現代人」が、歌を歌ったところで「自分を癒す行為」「(同好を集めた集団的な)自己満足」以外の何ものにも至り得ないということなのです。

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(文章:若林 忠宏

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191、アーユルヴェーダ音楽療法入門53 (用語辞典:ケ・コ・サ1)

カ行・コ
コーマル:
楽音の♭のこと。字義は「弱々しい/デリケート」

コーシャ:
人間(生命体)の心身を構成する段階・階層的な分類部分。字義は「鞘」
本来は、「体の階層」と「精神の階層」に大別できるが、近現代では混同している。また、「精神の階層」は「不二一元論(梵我一如)」を語るにも、「チャクラ論」「ドーシャ論」を語るにも極めて重要な概念であるにも拘わらず、知識に成り得ていない情報が行きかうばかりで、掘り下げる専門家が極端に少ない。

サ行・サ
「サン」は、日本語52音では「サ行の最後のン」と考えますが、インド語では、「サの上に点(Bindu)」だけで「サン(サム)」と読めてしまう(書けてしまう)ので、ヒンディー辞書では「サ」の次に登場します。本稿では、部分(主にBinduの語=S+.)を「サの前半=サ行サの前半」、部分(主にBindu以外の、例えば「S+N/S+Mの語」)を「後半」を基本に、やや脈絡無く分けざるを得ませんでしたことをお詫びと共に、お許しを請います。

サーダカ・ピッタ:
「Tri-Dosha(Dhatu)」のピッタの派生のひとつ。心臓と脳に働きかけ、気力を生み出すとされる。
現代科学・医学に照らせば、「活動エネルギー」「交感神経」「アドレナリン」などにあたる。
ちなみに「アドレナリン」は、「興奮・モチベイション・怒り」などの側面ばかりが語られるが「注意力・認識力・判断力」と、それが基礎にある「行動力」に欠かせないホルモンであり、バランスの問題である。

サーダナ:
「普遍的神としての宇宙」に対する「献身的修行」のこと。ヒンドゥー教徒の音楽家にとって、「音楽の修行・修練」のこと。後述する「サドゥー(出家・修行者)」にとっては「霊性修行」の意。

サンディー・プラカーシュ:
ものごとの「境界」。及び「線引きが出来ない境界の曖昧領域」。古典音楽に於ける旋法(Raga)の時間(象徴する時間帯、演奏すべき時間帯)の、日の出と日没(陰陽が混在する時間帯)。

サードラ:
1)古典音楽のリズム理論に於ける「10拍子の総称」。
2)現存(実践される)する最古の古典声楽様式「Dhrupad」の派生一様式。10拍子で歌われる。

サドゥー:
修行僧、出家修行者。サンニャースとほぼ同義だが、ブラフマン教~仏教・ジャイナ教~ヒンドゥー教の歴史的変遷の中で、その意味合いは大きく変化し、近現代、サドゥー、サンニャースにヨギをも加えて、その境目、分別をつけることは難しい。それでも「殆どのサドゥー(及びサンニャース)はヨギと言えるが、全てのヨギがサドゥー(及びサンニャース)ではない。殆どのサドゥーはサンニャースと言えるが、全てのサンニャースがサドゥーではない」ということは言える。
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後述するサンニャースとは、「俗世・物質的富・所有・契約の完全放棄」という意味では、全く同義であるが、サドゥーが、その主旨を「サーダナ(霊性修行)」としているのに対し、多くのサンニャースが「アドヴァイタ(不二一元論/梵我一如)に於ける悟り。及び修行階級の向上」を主旨としている(ことに偏る)点で異なる。現代では、ヨギも含め、きわめて多様化しているので、一概には言えないが、サンニャース諸派の中には「輪廻転生を否定する」や、極端なものには「苦行、瞑想も不要」という教義も在り得、事実存在するが、サドゥー諸派では「輪廻転生、苦行的修行」はその多くにとって基本的である。
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その発生の時代。即ちブラフマン教が廃れ仏教が隆盛し、また廃れつつある中で、ヒンドゥー勢力が隆盛し始めたAD1c.~6c.頃。思想・哲学のフィールドから生まれたサンニャースの系譜と、神秘主義・実践主義のフィールドから生まれたサドゥーの系譜には、明確な差異があった。つまり、前者が言わば「理論的/机上で成立する」のに対し、後者は、現世・現代社会に於いて非俗的に存在するという違いである。
また、ヒンドゥー教の隆盛期(4c.~7c.)には、知識層・バラモン階級と寺院・修道院を中心とした権威・権力が絶大であって、それに反発して民衆レベルで神秘主義傾向を強く持ってサドゥーが発展したという性格もある。この点に於いては、サンニャースのほぼ全てがバラモン階級から生じているであろうことに対し、サドゥーは必ずしもそうではないと言える。出家してしまえば、社会的階級から乖離出来るということだ。
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古代~中世に於けるサドゥーの基本は、「真理・真実の追究、穏健、独身、非暴力、非欲、非盗」などが基本にあったが、日本の熊野などにも多く渡来した「ナガ・サドゥー(裸形上人)」の一派やサドゥー化したシヴァ派の教条主義派、教条主義に偏って歪んだタントラ密教から生じたサドゥー様の一派などの中には、格闘技を行とする派も少なくない上に、しばしば武装集団化したものもあった。
一般にとって「サドゥー」は修行僧や裸形上人の総称のようになっていることも事実であろう。
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個人的なエピソード:或るバラモンの師匠が「もし道の向こうから、腰巻だけで上半身裸で髪・髭伸び放題の男が四人並んで歩いて来たとして。(インド文化に憧れているなどと言う)お前は、果たしてどいつが「聖者・修行僧」で、どいつが「自分だけ自分を聖者と思い込んでいる狂人」で、どいつが「単に貧しい物乞い」で、どいつが「修行僧(サドゥー)に身を隠している逃亡者か分かるんだろうな?」と訊いて来た。私(若林)は、「流石師匠たちは分別出来るのか!」と感動しながら「とんでもありません。全く分かりません!」と答えた。すると、師匠は「俺らにも分からん!」と返答した。

サカー:
ヴェーダ詠唱を教える学校。修行場、修行者の意味もあり、「聖なる」の意味合いで、人名にも用いられる。

サーラ:
物質や精神、元素(Guna)などが不安定で動き回る状態のこと。

サム/サーマ:
極めて多くの語彙を持つ単語。「Sam」「San」の区別がつかない場合が多い。(文字的には『Sの上に点』などのことが多い為)
(1):「真の」「唯一の」「一致」の意味合いで、接頭語的に用いられる。
サム:科学音楽~古典音楽のリスム・サイクル(Tala)の第一拍目。形而下の単純な現象としては、「リズムサイクルの節目(第一拍目=サイクルの終わりであり始まりである)に太鼓のビートや旋律の終止形が一致する場所」。やや、形而上的な意味合いでは、「(人間の演奏の有無に拘わらず、宇宙の波動として無限に繰り返される)リズムサイクルと人間の音楽演奏が一致する拍という意味の第一拍目」。
サムヒター:ヴェーダ経典の本編・本集。
サム・キヤー:精神原理。コーシャ論の最中心部と同義。
サーマ・ヴェーダ:ヴェーダ経典の詠歌典、音楽典。
サーマン:サーマ・ヴェーダ詠唱専門家。
サーマ・ガーン:サーマ・ヴェーダの詠唱。
サマージ:理解・認識・知識(情報の享受のレベルではない)の意。発展して、それを伝授する学校。組織。更に転じて、「研究会・研鑽会」的な意味合いの「協会」。ブラフマ・サマージなど。
ヒンディー語の日常会話でも「サマージ・ガエ(分かりました)」などと用いられている。
サムプラダーヤ:修道院。ヴェーダ時代から存在するが、古代末期(8c.頃)に発展した思想・哲学を研鑽する施設(組織)。ヴェーダの解釈によって様々な派が在り、しばしば互いに対立した。

サム/サーマ(2):「受ける」「承る」「順ずる」「実践する」の意味合いで、接頭語に用いられる。
サム・ヴァーディー:古典音楽の副主音。ヴァーディー(主音)と四度五度関係であることが多い。それは、七音を上下の二つのテトラコルドに分割した際、サム・ヴァーディーが主音ノテトラコルドの他方の中心音となるからである。
サム・ガット:ガット(器楽)を伴奏すること。すなわち、太鼓の演奏法。一般用語では一語とされ「伴」の意味。偶然の一致か、一般用語が音楽用語から来ているのか?は分からない。転じて「サンガティー:組織」という語もある。
サム・キールターン:1)キールターンを詠唱(合唱)すること。2)宗教歌の総称。
サンガム:協会、合流点。
サンギート:音楽。歌(ギート)が基本であることからの語と考えられる。
サンチャリー:古典音楽の展開部。一般では「派生的・展開」の意味。
サンスクリット:一般に古代インド言語のことだが、字義は「文化」。
サンプールナ:全体、全て、総体の意味。転じて「完全な、全て揃った」古典音楽では「サンプールナ・ジャーティー=全在型=七音全て用いる音階型」や「サンプールナ・ヴァディヤム=完全なる楽器=リズムも旋律も演奏出来る楽器(ヴィーナのこと)」

サンスカーラー:1)ヒンドゥー教徒と諸儀礼の総称。2)ア-ユルヴェーダの浄化法の総称。

サマーディー:至福、悟り、恍惚の段階。仏教の「三昧」。
サマーディー・インドリヤ:「感覚論」に於ける「専念」「超越的集中」

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(文章:若林 忠宏

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