アバヤ・フリダヤ・ムドラー

先行きが不透明な状況に、何かと不安を感じることが多い日々が続いています。
心にはさまざまな疑いや迷いが生まれ、重苦しい気持ちがなかなか晴れないことも少なくありません。
ヨーガには、そんな心を打破するためのムドラーの実践があります。

そのムドラーは、アバヤ・フリダヤ・ムドラーと呼ばれます。
アバヤには「恐れを知らない」、フリダヤには「心」という意味があります。
「恐れを知らない心」を意味するこのムドラーは、困難において恐れを払拭し、強く歩むための力を呼び覚ますとされるムドラーです。

このムドラーの実践では、まず、胸の中心で左右の手首を交差させます。
そして、左右の手の甲を合わせ、左右の小指、中指、人差し指を交差させて伸ばします。
右手の薬指と親指、左手の薬指と親指は、それぞれ先端を合わせて輪を作ります。
この手の形がアバヤ・フリダヤ・ムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指にはそれぞれ5元素の象徴があります。
このムドラーで薬指と親指が触れる時、地の要素が活性化すると伝えられてきました。
地の要素は、大地のようなどっしりと落ち着いた安定を生み出すとされる要素です。

そして、このムドラーを胸のあたりで組むことで、そこから生まれる安定は、心の座ともいわれるアナーハタ・チャクラのバランスを整えるとされます。
その心から生まれるバランスの取れたエネルギーの流れは、絡み合う他の指のように、身体をくまなく巡っていきます。
その過程で根深い不安が払拭されるとともに、閉塞感が解放され、日々を強く歩む力を得ることが可能になると伝えられます。

思うように動くことができない現在の状況においては、積み重なるストレスを感じることが少なくありません。
しかし、私たちはこうして与えられた状況に学び、外界の変化に揺さぶられることのない心を育む機会として、それらを生かすことができます。
何より、古代から時を超えて受け継がれる叡智は、どんな時でもその教えを示してくれています。
それらとともに歩む時、私たちは必ず光のある方に導かれるに違いありません。

(文章:ひるま)

ムクラ・ムドラー

古代より、悟りに至る深い瞑想を行うためには、安定した快適な姿勢が必要とされてきました。
そのために身体を鍛錬する行いはヨーガとして受け継がれ、現代では心身の健康のために広く実践されています。
しかし、忙しない日々においては、心身の健康を疎かにしてしまうことも少なくありません。
そこでは、身体的な苦痛だけでなく、精神的なストレスにも悩まされることが多くあります。

身体に生じる痛みは、日常生活にとりわけ大きな困難をもたらします。
この痛みは、一説に、アーマ(未消化物の毒素)が身体の弱った部分に蓄積することで生じると伝えられてきました。
こうした痛みは受け入れ難いものではあっても、身体に宿るエネルギーからのメッセージとして大切な意味を持つものです。

これらの痛みと向き合うヨーガの実践に、ムクラ・ムドラーと呼ばれるムドラーがあります。
ムクラには、つぼみという意味があります。
5本の指の先端を合わせるこのムドラーは、まるで花を開こうとしている蓮のつぼみのようです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指にはそれぞれ5元素の象徴があります。
このムドラーで5本の指の先端を合わせる時、身体内の5元素が穏やかに調和するとされてきました。

そんなムクラ・ムドラーの指先を、身体の痛みを感じる部分にあてていきます。
この時、ムドラーを通じて生まれる調和したエネルギーが、身体の弱った部分を癒していくと信じられてきました。
または、瞑想中にこのムドラーを実践することで、身体に調和したエネルギーを巡らすことができると伝えられます。

開こうとしている花のつぼみには、強い生命力を見ることができます。
自らの身体を通じてこうした象徴を形作るムドラーの実践は、意識に強く働きかけるものであり、心身に健やかな影響を自ら生み出すことが可能になります。
難しい動作を必要としないムドラーは、日々において、誰でも容易に実践できるものです。
こうして身体を労りながら、健やかな精神を育む時、満開に咲く蓮の花のように、究極の目覚めに近づくことができるに違いありません。

(文章:ひるま)

プシュパプタ・ムドラー

悶々と息がつまるような制約の多い日々が続いています。
先行き不透明な状況に不安や恐怖を感じるとともに、気持ちが塞ぎがちになることも少なくありません。
そこでは、注がれている恩寵にすら気づけないことが多くあります。
そんな時に勧められるムドラーの実践があります。
そのムドラーは、プシュパプタ・ムドラーと呼ばれます。

プシュパプタ・ムドラーは、神々に一握りの花を捧げることを意味するムドラーです。
神々への奉納の舞として受け継がれてきた、インドの古典舞踊においてもその実践が広く見られます。
実際に神々の礼拝を行う際も、この手の形で供物を捧げることが多くあります。

プシュパプタ・ムドラーは、ゆったりと座った状態で行います。
まず、左右の手の平を上向きにして、少し窪みを作ります。
そして、左右の小指側の縁を合わせて、胸のあたりでこの手の形を組みます。
または、窪みを作った左右の手を、それぞれ左右の膝の上に置くこともできます。
こうして一握りの花を捧げるような形を組むのがプシュパプタ・ムドラーです。

私たちは、不安や恐怖を感じる時、無意識に手を強く握ることがあります。
そういった状態が続くと、固い拳のように、心がきつく閉ざされてしまうように感じることも少なくありません。
そんな時、このムドラーを通じて意識的に手を開き、そして差し出すことで、自分自身を開放する力を生み出すことができます。

このムドラーを通じて差し出すものは、自分自身です。
神々に自分自身を捧げるような気持ちで手を開く時、それが絶対の存在であるからこそ、不安や恐怖を感じることなく、自分自身を開放することができます。
そうして開かれた広い心は、注がれる恩寵を存分に受け入れることができるようになります。

制約の多い日々の中でも、こういった容易にできるムドラーの実践を取り入れることで、ネガティブな感情を和らげ、ポジティブな姿勢を自ら生み出すことが可能です。
注がれる恩寵に気づき、感謝とともに受け取ることができるように、こうした叡智を取り入れながら、豊かに過ごすことを心がけたいと感じます。

(文章:ひるま)

ディヤーナ・ムドラー

泥沼のように混迷する社会に、心の落ち着かない時が続いています。
思い悩むことも少なくない今、5月の満月には、インドの地で深い苦悩を経験し、悟りを得た仏陀の降誕祭を迎えます。
静謐を湛える仏陀の表情には、苦難の先にある美しい平和を学ぶ瞬間が多くあります。

仏陀が見せるさまざまな姿のひとつに、ディヤーナ・ムドラーを示す姿があります。
ディヤーナ・ムドラーは、瞑想のムドラーと呼ばれる高尚なムドラーです。

このムドラーを実践するには、まず落ち着いた姿勢で座ります。
そして、手の平を上向きに、左手の上に右手を重ね、左右の親指の先端を合わせます。
合わせた左右の親指は上に伸ばし、そこに3角形のような空間を作ります。
この手の形を、足の上でゆったりと組むのがディヤーナ・ムドラーです。

右手と左手は、相反するものの象徴です。
それは、清浄と不浄、陽と陰、男性と女性、または自分と他者、さらには梵と我とも伝えられてきました。
ディヤーナ・ムドラーでは、悟りを象徴する右手が、幻影を象徴する左手の上にあります。
悟りが幻影を抑える形を示すこのムドラーは、何よりもまず、心身に調和をもたらすムドラーとして実践されてきました。

ディヤーナ・ムドラーにおいて合わせた左右の親指は、身体の左右を巡るエネルギーの通り道、イダーとピンガラの2つを結びつけます。
そこで呼吸の調整を行えば、左右の鼻孔を通じた呼気の流れが左脳と右脳に均衡を生み出します。
それぞれ異なる働きをする左右の脳の均衡が図られる時、私たちの心身は調和すると信じられてきました。
そうして生まれる調和の中で、悟りのエネルギーを高めるとき、真実を覆い隠す幻影は静まり、心に動揺のない瞑想状態が訪れます。

そして一説に、このムドラーで作られた3角形の空間は、仏教における3宝を象徴するといわれることがあります。
仏・法・僧の3宝は、私たちを幸せに導く働きをするものです。
このムドラーの中に、深い苦悩を経て悟りを得た仏陀の教えが秘められています。

私たちも、苦難が究極の悟りを得る機会となるように、この与えられた時に学びを深める必要があります。
古代から受け継がれるこうした叡智と向き合いながら、ひとりひとりの心が平和を得る時、社会には美しい蓮の花のような真の平和が広がるに違いありません。

(文章:ひるま)

※ディヤーナ・ムドラーは法界定印ともいわれ、宗派によって左右の手の置き方が異なる場合があります。
また、足の組み方によって、左右の手の置き方を変える場合もあります。

ヴァジュラプラダマ・ムドラー

桜の便りが届き始め、日差しにはぬくもりを感じる心地の良い季節になりました。
春を迎え、これから新生活が始まろうとしている方も多くいらっしゃることと思います。
穏やかな陽気となる一方で、新しい生活においては、心が休まらず、気を揉むことも少なくありません。
先行きが見えない現在は、特に大きな不安を感じることが多くあります。

こうした日々の中で感じる不安を払拭する、あるムドラーの実践があります。
そのムドラーは、ヴァジュラプラダマ・ムドラーと呼ばれ、確固たる自信を育むムドラーとして実践されてきました。

このムドラーでは、まず胸の前で手を広げ、左右の手の指を交差させます。
親指は上に伸ばし、指を交差させた手の平を胸の方に向けておきます。
この手の形を胸の前で維持しながら、ゆっくりと呼吸をし、瞑想を行うのがヴァジュラプラダマ・ムドラーです。

私たちが不安を感じるさまざまな要因の中のひとつに、自信の欠如が挙げられます。
自分を信じる心を失うということは、心が自分自身の本質から離れていくことでもあります。
自分自身の本質は、神であり、この世界のすべてです。
そこから心が離れると、疑いや迷いが沸き起こり、大きな不安に支配されることも少なくありません。
このムドラーの実践は、心を自分自身の本質と結び付けるための大切な取り組みとなります。

このムドラーを組む胸のあたりは、アナーハタ・チャクラがある場所です。
アナーハタ・チャクラは、「心の座」ともいわれるように、愛情や感情が満ちる場所です。
そこで網を張り巡らすように左右の手を組む時、結合の情を育むことができます。
そこで得る繋がりは、私たちを本質に強く結びつけ、確固たる自信を育む力になります。

このムドラーの名前にあるヴァジュラには、雷という意味があります。
霊性修行において、その強力なエネルギーは、疑いや迷いを破壊する象徴として捉えられてきました。
また、ヴァジュラにはダイヤモンドという意味もあるように、決して壊れることのないその輝きは、自分自身の本質に例えられることがあります。

このムドラーを通じて、自分自身の本質に繋がるとき、疑いや迷いに打ち勝ち、決して壊れることのないその輝きを発することが可能になるはずです。
目まぐるしく変化する外界の中でも、心穏やかに過ごすことができるよう、こうした叡智を取り入れ、本質に安住することを努めたいと感じます。

(文章:ひるま)

プーシャン・ムドラー

万物に命を吹き込む太陽は、古来よりインドにおいて、さまざまに異なる名前で崇められてきました。
そのひとつに、プーシャンという名前があります。
プーシャンは、「栄養を与える者」を意味し、一切を育む太陽の力を象徴します。

そんなプーシャンは、人間や家畜を守る力としても崇められてきました。
その力は、帰依者を豊かな牧草地に導くように、人生の変遷の時には良き案内者になると伝えられます。
人生の変わり目は、新しい何かを不安に思ったり、何かを失うことを恐れたり、時に迷いを感じることも少なくありません。
そんな時に役立つのが、プーシャンの名前を持つムドラーの実践です。

プーシャン・ムドラーは、身体において吸収と排泄の動きを促し、消化力を活性化するムドラーとして知られます。
それは、受け入れること、手放すことの象徴でもあります。
その消化力は、人生のさまざまな面において経験する不安や苦悩を解決することに役立つと伝えられてきました。

このプーシャン・ムドラーでは、右手と左手で異なるムドラーを実践します。
左手では吸収や受容を象徴するムドラーを、右手では排泄や解放を象徴するムドラーを実践するのがプーシャン・ムドラーです。

左手では、手の平を上に向けたまま、親指と中指と薬指の先端を合わせ、人差し指と小指は伸ばしておきます。
このムドラーは、外から内へ流れるエネルギーを促し、吸収や受容の動きを活性化するといわれます。

右手では、手の平を上に向けたまま、親指と人差し指と中指の先端を合わせ、薬指と小指は伸ばしておきます。
このムドラーは、内から外へ流れるエネルギーを促し、排泄や解放の動きを活性化するといわれます。
(※右手では、親指と薬指と小指の先端を合わせ、人差し指と中指を伸ばしておく場合もあります。)

かつてない変化を求められている現在は、身体的にも精神的にも不調を感じやすく、不安や苦悩に直面することが少なくありません。
それは、物事をあるがままに受け入れる代わりに、抵抗し執着をすることにひとつの要因があるともいわれます。
不安や苦悩といった負の感情を消化することは難しく、気づかないうちに自分自身の内に溜め込んでしまっていることも多くあります。

変化を要する時代において、受容と解放を促すこのプーシャン・ムドラーの実践は、人生と前向きに向き合うための大きな助けになるでしょう。
そうした日々の学びを糧に、私たちは大きく成長していくことができるはずです。

(文章:ひるま)

バイラヴァ・ムドラー

静かな夜が長くなり、瞑想の深まりを感じる季節となりました。
古代より、悟りを得る手段として大切に受け継がれてきた瞑想は、現代では、心身の健康のために実践されることも多くあります。
さまざまな方法で取り組まれるその瞑想において、広く勧められるムドラーがあります。

左右の手を重ねるこのムドラーは、バイラヴァ・ムドラーと呼ばれます。
瞑想において、調和の取れたエネルギーを生み出すムドラーとして実践されてきました。
このムドラーは、右手を上にして重ねる時、バイラヴァ・ムドラーと呼ばれ、左手を上にして重ねる時、バイラヴィー・ムドラーと呼ばれます。

バイラヴァは、シヴァ神が化身した恐ろしい姿として知られます。
そして、バイラヴィーはバイラヴァ神の妃にあたります。
シヴァ神がバイラヴァ神として姿をあらわしたのは、一説に、欲望にまみれ驕り高ぶった態度を見せたブラフマー神を罰するためであったと伝えられます。
ヴィシュヌ神とブラフマー神の間で、誰が一番崇高な存在であるかと対立が生じた時のことでした。

バイラヴァ・ムドラーで重ねる右手と左手は、相反するものの象徴です。
それは、清浄と不浄、陰と陽、男性と女性、または自分と他者、さらには梵と我とも考えられます。
その相反するものが対立する時、私たちはさまざまな困難に直面します。
とりわけ、そこに生じる欲望は強敵で、私たちを大きく混乱させることも少なくありません。
バイラヴァ神の礼拝は、こうした対立や欲望を鎮め、人生に生じる問題や苦難を取り除くと信じられてきました。

実際、瞑想の中で相反するものの象徴である左右の手を重ねる時、ぶつかり合うものがない、穏やかな心地良さに包まれることがあります。
このムドラーを通じて全身で感じるその調和は、至福のエネルギーとなって心身を巡るものでした。

意識に強く働きかけるムドラーの実践は、自分自身の内なる世界だけでなく、その周囲に至るまで、より良いエネルギーを生み出すと伝えられます。
こうしたムドラーの実践を通じて、自分自身の持つエネルギーを上手に活用することを学びたいと感じます。
その学びの中では、より穏やかで豊かな道を歩み続けることができるはずです。

(文章:ひるま)

ガルダ・ムドラー

季節が巡り、乾いた冷たい風が吹く寒い冬が近づいてくる頃となりました。
身体が縮こまるこれからの季節は、心身の不調を感じることが多くなる季節でもあります。
そんな冬の季節を健やかに過ごすために、ヨーガの実践法を活用することができます。
そのひとつが、ガルダ・ムドラーです。

ガルダはヴィシュヌ神の乗り物であり、炎のように熱く光り輝く鳥として知られます。
大きな羽を広げて空を舞い、ヴィシュヌ神を自由に運ぶ姿が象徴的な聖鳥です。
ガルダ・ムドラーは、そんなガルダのように、鳥が大きく羽を広げるような形を組むムドラーです。

まず、左手の手首の上に右手の手首を重ね、左右の親指をしっかり交差させます(右手の手首の上に左手の手首を重ねる場合もあります)。
残りの4本の指は大きく広げたまま手の平を上に向け、組んだ手をお腹の前で維持しながら、10回ほど深呼吸をします。
または、胸の前に手の平を広げるように組みながら、同じように10回ほど深呼吸を行うのがガルダ・ムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指にはそれぞれ5元素の象徴があります。
ガルダ・ムドラーでは、火を象徴する左右の親指を交差させることで、身体の内で火のエネルギーが調和しながら高まると信じられます。
そして、大きな羽で自由に空を飛ぶ鳥のように、高まった火のエネルギーが全身に運ばれると信じられてきました。

このガルダ・ムドラーは、ヴァータに均衡をもたらすと伝えられるムドラーです。
私たちの身体を司るエネルギーの性質の中で、ヴァータは風の要素にあたります。
ヴァータには、乾性や冷性といった性質があり、乾いた冷たい風が吹く冬の季節に活発になるといわれてきました。

ヴァータが適切に活性化すると、豊かな創造力、発想力、好奇心が生まれると信じられます。
しかし、ヴァータが乱れると、不安を感じたり、落ち着かなくなったり、寝つきが悪くなったりと、心身にさまざまな不調が生じると伝えられてきました。
このガルダ・ムドラーの実践により、温かなエネルギーが身体を巡ることで、ヴァータに均衡が生じるとされています。

ムドラーは、自分自身の内なる世界からその周囲まで、取り巻くエネルギーを改善し向上させる術として実践されます。
こうしたムドラーを取り入れることで、自分自身の持つエネルギーと向き合い、自然に調和しながら健やかに過ごす方法を学ぶことができるはずです。

(文章:ひるま)

ムシュティ・ムドラー

怒りを覚えた時、悔しい思いをした時、または恐怖を感じた時など、無意識に強く拳を握ることがあります。
そんな拳は、古くからひとつのムドラーとして実践されてきました。
取り巻くエネルギーを改善し、向上させる術であるムドラーとして拳を見る時、その深い意味を学ぶことができます。

拳のムドラーは、ムシュティ・ムドラーと呼ばれます。
ムシュティ・ムドラーは、人差し指、中指、薬指、小指を手の平に丸め込み、その4本の指を親指で押さえつけるように、拳を形作るムドラーです。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指にはそれぞれ5元素の象徴があります。
このムドラーでは、火を象徴する親指で、残りの4つの要素を象徴する4本の指を押さえつけます。
この時、身体内で4つの要素が制御されるとともに、火の要素が高まり、代謝が活性化すると伝えられてきました。

ムシュティ・ムドラーを通じて活性化する代謝は、高まる消化の力を意味します。
それは、負の感情を消化する力として捉えられてきたものでもあります。

私たちは、日々の中で直面するさまざまな物事に、憤ったり、悔しがったり、恐れたりすること多くあります。
それは、物事をあるがままに受け入れる代わりに、抵抗し、執着をするからだと伝えられてきました。
特に、こうした負の感情を消化することは難しく、気づかないうちに自分自身の内に溜め込んでいることも少なくありません。

ムシュティ・ムドラーは、そうして鬱積した負の感情を消化する力を与えてくれるムドラーです。
その消化の力は、あらゆるものを受け入れる受容の力であり、自分自身を解放する力でもあります。
ぐっと力を入れ閉じ込めるような身振りでありながら、拳にどこか落ち着きを感じることができるのは、ムドラーとしての力が生まれているのだと実感します。

気持ちに反応して無意識に握る拳には、心身に調和を図る意味があるのかもしれません。
閉じ込められた感情が解放されると、心には広い空間が生まれてきます。
その時、どのような状況においても、前向きなエネルギーで自分自身を満たすことができるはずです。
こうした叡智を意識的に取り入れながら、心穏やかに生きることを学び続けたいと感じます。

(文章:ひるま)

チンマヤ・ムドラー

私たちの意識は、5つの感覚を通して、美しく現れる外界に向かって散在することが多くあります。
目まぐるしく変化を続ける外界の流れには、時に疲弊することも少なくありません。
インドには、そうして外に流れる意識を自分自身の内に取り戻すムドラーの実践が伝わります。
それは、意識のムドラーとも呼ばれるチンマヤ・ムドラーです。

チンマヤには、「純粋な考えからなる」という意味があります。
このムドラーは、自分自身の本質である純粋な意識につながるための架け橋となるムドラーとされてきました。
その実践を通じては、浅くなりがちな呼吸への気づきが深まることから、心身の健康を保つためのムドラーとしても広く実践されます。

チンマヤ・ムドラーでは、親指と人差し指の先端を合わせ、残りの3本の指を手の平の内側に丸め込みます。
親指は大宇宙である梵、人差し指は小宇宙である我をあらわします。
これを結びつけるチンマヤ・ムドラーは、梵我一如を象徴するムドラーです。

このチンマヤ・ムドラーに似たムドラーに、瞑想において広く実践されるチン・ムドラーがあります。
チン・ムドラーは、親指と人差し指の先端を合わせ、残りの3本の指は真っ直ぐに伸ばすムドラーです。
3本の指は、現象世界を生み出すサットヴァ、ラジャス、タマスなどに例えられ、その3つを引き離すチン・ムドラーには、外界から離れる意味があるとされます。

これとは反対に、3本の指を手の平の内側に丸め込むチンマヤ・ムドラーは、大宇宙に繋がりながら、小宇宙である自分自身の身体の内に、意識を取り戻す力がより強いように感じます。
そこに得る安住は、落ち着きだけでなく、心身に生き生きとした力をもたらしてくれるものでした。
その心地よい調和の中では、より安定した外界との繋がりを築くことが可能になります。

魅力的で刺激的な喜びを求めて動き回る感覚によって、私たちは自分自身の本質である純粋な意識から遠ざかりがちです。
そんな私たちに、古代より受け継がれるこうした霊的叡智は、純粋な意識に安住するための教えを示し続けています。
時に息苦しく感じる日々において、その豊かな教えを取り入れながら、深く呼吸をし、不変の喜びの中で生きることを努めたいと感じます。

(文章:ひるま)