橋のアーサナ

ラーマ神の行状記が綴られた壮大な叙事詩であるラーマーヤナには、霊性を育むための教えが随所に溢れています。
そのラーマーヤナにおいて、魔王のラーヴァナにランカ島へと誘拐されてしまったのがシーター女神です。
夫であるラーマ神は、ハヌマーン神とともに橋を建設し、ランカ島に渡ってシーター女神を救い出します。

ラーマ・セートゥ(ラーマの橋)と呼ばれるこの橋について、ヨーガのアーサナを通じて学んだことがありました。
この橋は、ハヌマーン神に率いられた猿軍らが石を積み上げ築こうとした橋です。
しかし、石はその重みで次から次へと海に沈んでいきます。
項垂れるハヌマーン神は、愛するラーマ神の御名を石に記しました。
すると、石は海に浮かび、橋となったといわれます。

ヨーガには、セートゥ・バンダ・アーサナ(セツバンダアーサナ)と呼ばれる橋のポーズがあります。
仰向けで行うこのポーズでは、膝を曲げ、お尻を引き締めながら腰を浮かせます。
両腕は背中の下に伸ばし、大きく胸を開きながら、アーチを作ります。
それは、まるで橋のようです。

一説に、魔王ラーヴァナは欲望を示し、その欲望に誘拐されたシーター女神は心であるといわれます。
心を救い出すためには、ハヌマーン神という肉体の助けが必要でした。
ラーマ神(主)に忠誠を誓うハヌマーン神(肉体)は、シーター女神(心)を救い出し、
再び二人を結びつけると、ラーヴァナ(欲望)は倒されたといわれます。

欲望によって心が奪われる時、私たちは主と分離し、さまざまな困難に巻き込まれています。
こうした肉体を用いたヨーガの実践は、それらを結び付けるための橋を建設する大切な取り組みとなります。

大きく胸を開くセートゥ・バンダ・アーサナを通じては、胸のあたりにあるとされるアナーハタ・チャクラが活性化するといわれます。
アナーハタ・チャクラは、「心の座」ともいわれるように、愛情や感情が満ちる場所です。
ハヌマーン神は、自らの胸を引き裂いて、その内にいるラーマ神とシーター女神を見せたことがありました。

ラーマ神への深い愛から、海に沈んでいく石を浮かせ、困難を払拭したハヌマーン神。
私たちが人生という荒波の中で困難にぶつかる時、主への愛を育むことで、その困難から浮き上がることが可能となるはずです。
このポーズの実践は、自分自身の心を主と繋ぐための橋を架ける助けとなるに違いありません。

(文章:ひるま)

※セートゥ・バンダ・アーサナは、手と足の位置にさまざまなバリエーションがあります。

バッタのアーサナ

秋が深まり、夜には美しい虫の音が響き渡るようになりました。
健康を目的に世界中で愛されるようになったヨーガは、こうした自然の変化に調和する動きが多く見られます。
ヨーガの聖典の一つであるゲーランダ・サンヒターでは、次のように説かれています。

「アーサナの総計は生物の数にひとしいが、シヴァ大神は太古に八千四百万のアーサナを説かれた。」
(ゲーランダ・サンヒター第二章一節)

この八千四百万のアーサナの中でも、八十四のアーサナが優れているとされ、その中でも、人間社会においては三十二のアーサナが素晴らしいと説かれます。
その三十二のアーサナの中に、シャラバーサナというアーサナがあります。

シャラバーサナは、バッタのポーズを意味します。
うつ伏せになって身体の下に腕を伸ばし、両手を床に向けるか、両手を組みます。
そして、顎を床につけ、お尻を引き締めながら両脚を持ち上げます。
まるでバッタが跳ね上がるような形をとるこのポーズが、シャラバーサナです。

このポーズは、体幹を強化し、内臓機能を向上させるなど、さまざまな効果が伝えられます。
また、バッタの強く跳ね上がる力は、飛躍の象徴としても捉えられます。
それは、恐怖を克服した前向きな変化の方向に動く力であり、このポーズはそのエネルギーの象徴でもあります。

このポーズを通じてお尻を引き締める時、まずは第一チャクラであるムーラーダーラ・チャクラが活性化すると伝えられます。
脊椎の基底に位置し土の要素を持つムーラーダーラ・チャクラが滞ると、地に足がつかないような不安を感じると伝えられてきました。
私たちは飛び立つ前に、まずはしっかりと地面に足つけ、確かな安定を得なければなりません。

そして、腹部にかかる力によって、第三チャクラであるマニプーラ・チャクラが活性化すると伝えられます。
臍のあたりに位置し火の要素を持つマニプーラ・チャクラは、消化を司ります。
「宝石の都市」とも呼ばれるこのチャクラは、太陽が万物にエネルギーを注ぐように輝き、私たちに自信や行動力を与えてくれると信じられます。

このポーズは、どっしりとした安定を生みだしながら、内なるエネルギーの宝庫を活性化させる優れたポーズです。
その実践を通じては、バッタが跳ね上がるように、社会の中で大きく飛躍する力を得ることができるに違いありません。

(文章:ひるま)

トリヴィクラマのアーサナ

この世界に危機が生じた時、さまざまな化身となって姿をあらわすと信じられるヴィシュヌ神。
そんなヴィシュヌ神の化身に、ヴァーマナと呼ばれる矮人の姿があります。
ヴァーマナは、神々と敵対するアスラのマハーバリ王を倒したとされる神格です。

マハーバリ王は非常に献身的で、国民から愛される偉大な王でしたが、地と空と天の3界を支配し、神々は力を失っていました。
すると、ヴィシュヌ神は矮人であるヴァーマナに化身し、マハーバリ王から3歩分の土地をもらう約束をします。
その時、矮人であったヴァーマナは巨人となり、2歩で世界を跨ぎました。
マハーバリ王は、最後に残った領地である自らの頭を潔く差し出し、ヴァーマナがマハーバリ王の頭を踏みしめると、世界は神々のもとに戻ったと伝えられます。

ヨーガには、このヴァーマナに捧げられるポーズがあります。
そのポーズはトリヴィクラマーサナと呼ばれ、立位で大きく足を開脚した姿が、まるで世界を跨ぐヴァーマナのように映ります。
トリヴィクラマはヴァーマナの別名であり、その名前には、3界を3歩で跨ぐ者という意味があります。

開脚のポーズは、脊椎の基底に位置し土の要素を持つムーラーダーラ・チャクラを活性化させると伝えられてきました。
ムーラーダーラ・チャクラが滞ると、地に足がつかないような大きな不安を感じると伝えられます。
開脚をしながら片足で立つこのポーズでは、柔軟性を育むとともに、バランスの取り方を学ばなければなりません。

そのバランスを取るポーズの実践を通じては、眉間のあたりにあるとされるアージュニャー・チャクラが活性化されると伝えられます。
第3の眼ともいわれるこのチャクラが活性化する時、私たちは絶対の存在を知ることができると信じられます。

ヴァーマナが要求し、マハーバリ王が差し出した3歩分の土地は、現在と過去と未来、サットヴァとラジャスとタマスとなどといわれます。
こうした時間や性質に揺さぶられる私たちは、日々苦悩することが少なくありません。
このポーズの実践を通じて絶対の存在を知り、確かな安定を得る時、私たちはその3歩分の土地を柔軟に神々に差し出すことができるはずです。
そして、神々の統治のもとで、真の幸福に包まれるに違いありません。

マハーバリ王は年に一度だけ、愛する国民の下へ戻ると信じられます。
その日は、インド南部のケーララ州においてオーナム祭として祝福され、2019年は9月10日から13日に迎えます。
この時、世界が平和に包まれることを心から願っています。

(文章:ひるま)

雄鶏のアーサナ

私たちを取り巻く自然界には、本質を学ぶ多くの機会が溢れています。
インドでは、そうした自然界のあらわれの多くが神格化され、古来より崇められてきました。
そして、世界的に広まったヨーガにも、そんな自然界に見られる動きを真似るポーズが多く伝わります。
その一つに、雄鶏のポーズがあります。

毎朝、輝く太陽を呼び覚ますかのように鳴き始める雄鶏。
夜間や暗所では著しく視力が低下する鶏は、夜の間は不安に包まれ、じっと身を隠すように過ごすといわれます。
そして、太陽が昇る夜明け頃になると、その存在を示すように雄鶏が鳴き始めると伝えられてきました。
一方で、鶏には体内時計が備わっており、光を感じなくとも、時間になれば鳴き始めると伝えられます。

ヨーガで実践される雄鶏のポーズは、クックターサナと呼ばれ、それはまるで二本足で立つ雄鶏のようです。
このポーズでは、まず蓮華座を組み、左右の足のふくらはぎと太ももの間に、それぞれ左右の腕を入れます。
組んだ足を崩さないように肘まで腕を通した後、両手を床につけ、腕の力を使いながら身体を持ち上げます。

このポーズには、膝や股関節の柔軟性を高めたり、腕・肩・手首を強化したり、バランス感覚や集中力を向上させる効果があるとされます。
何よりも、このポーズは脊椎の基底に位置するムーラーダーラ・チャクラを活性化すると伝えられてきました。
ムーラーダーラ・チャクラは、土の要素を持ち、生命エネルギーの拠点となる重要なチャクラです。

ムーラーダーラ・チャクラが滞ると生命エネルギーは妨げられ、人生においては地に足がつかないような大きな不安を感じると伝えられます。
私たちは、日々の中でさまざまな不安を感じることが少なくありません。
その不安の中では、夜の鶏のように、じっと動けないことも往々にあります。

しかし、暗闇を切り開くかのように鳴く雄鶏の姿を真似るこのポーズは、私たちのムーラーダーラ・チャクラを活性化し、生命エネルギーを呼び覚ましていきます。
そうしてエネルギーが生き生きと動き始める時、内なる世界には明るい光とともに安定が生まれ、不安といった暗闇は払拭されていきます。

こうした自然界が見せる動きに調和をするヨーガのポーズは、自分自身の心身と向き合いながら、本質に気づくための大切な機会を与えてくれます。
その貴重な世界へと私たちを誘うヨーガを取り入れながら、心身ともに健やかな日々を過ごしたいと感じます。

(文章:ひるま)

カウンディニャのアーサナ

自らの身体を神殿とし、そこに宿る魂を礼拝するヨーガのアーサナ。
現代では心身に健康をもたらす術として愛されるそのヨーガのアーサナは、古代では神々と一体となる術として用いられてきました。
そんなヨーガのアーサナの中に、賢者であるカウンディニャに捧げるポーズがあります。

ヴェーダを会得した偉大な賢者として崇められるカウンディニャは、ガネーシャ神を心から崇拝していたことで知られます。
そんなカウンディニャに捧げるポーズは、両腕で全身を支えながらバランスを取る、難しいポーズの一つに数えられます。
その実践の過程では、全身を通じて、献身のあり方を学ぶ大きな意義があります。

賢者のカウンディニャには、ある神話が伝わります。
カウンディニャが礼拝時に、ガネーシャ神が好むドゥールヴァーの草を捧げていた時のことでした。
妻は、「そのような草にどのような価値があるのか」と疑問を投げかけます。
カウンディニャは、「このドゥールヴァーに等しい量の金を探しなさい」と、妻に述べました。

妻は神々のもとへ行き、等しい量の金を確かめようとするも、どんなに金を天秤にかけても、ドゥルーヴァーの方が重くなります。
最後には、あらゆる神々が天秤に乗るも、ドゥルーヴァーの方が重いままでした。
そこで妻は、献身とともに捧げられたものの価値に気づきます。
それは、どんなものよりも価値があるものとなって、私たちを導くものでした。

カウンディニャに捧げるポーズは、全身を通じて、その献身の価値を教えてくれるものです。
このポーズでは、何よりも、バランスの取り方を学ぶ必要があります。
自ら生み出した拠り所のない不安定さの中でバランスを取ることは、天秤を釣り合わせるように容易ではありません。
その不確実な安定の中では、カウンディニャの妻のように、疑いや迷いを抱き、混乱することも多くあります。

しかし、バランスを取るポーズの実践を通じては、眉間のあたりにあるとされるアージュニャー・チャクラが活性化されるといわれます。
第三の眼ともいわれるこのチャクラが活性化される時、私たちは感覚や思考に揺さぶられることのない、崇高な存在を知ることが可能となります。

このポーズを自分自身の奥深くで輝くその崇高な存在に捧げる時、その献身は、疑いや迷いのない心を生み出すはずです。
それは、何よりも価値あるものとなって、時に不安定になる人生という歩みに、大きな気づきをもたらしてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)

カラスのアーサナ

インドの一部地域では、今年は9月25日から10月9日まで、先祖供養の期間が続いています。
さまざまな儀式が執り行われるこの先祖供養の期間においては、カラスに食事を与える人々の姿を目にすることが多くあります。
インドでは、カラスに食事を与えると、先祖が喜ぶと伝えられているからです。

カラスと先祖供養の関係については、さまざまな神話が伝わります。
天と地の間を飛ぶ鳥は、神のメッセンジャーであると捉えられ、特に真っ黒なカラスは、死の神ヤマの使いであるなどと伝えられてきました。
ヨーガには、そんなカラスにちなんだポーズがあります。

カーカーサナと呼ばれ実践されるカラスのポーズは、全体重を腕に乗せてバランスを取る、まるでカラスが飛ぶような姿を見せるポーズです。
バランス感覚だけでなく、筋力や体幹を必要とするこのポーズにおいては、呼吸が少しでも乱れれば、地面に顔から落ちることも少なくありません。

恐怖心を抱くと挑戦することが難しくなるこのポーズでは、深く呼吸をし、自分自身を信じることが不可欠です。
それは、自分自身に課した限界を取り払い、大きな自由へと飛び立たせてくれるものでもあります。

そんなカラスのポーズの実践においては、バランスを取ることで、眉間のあたりにあるとされるアージュニャー・チャクラが活性化されるといわれます。
また、膝を曲げて前屈をすることで、仙骨のあたりにあるとされるスヴァーディシュターナ・チャクラが活性化されるともいわれます。

スヴァーディシュターナ・チャクラは、自らが宿る場所という意味を持ち、自分自身の全てが眠っていると伝えられます。
このチャクラと向き合うことは、過去の行いによって形づくられた自分自身と向き合うことにも他ありません。
そんな中でバランスを取るには、何よりも深い集中力を要します。
それは、過去にも未来にも行くことができない、現在という瞬間に留まる術を教えてくれるものです。
カラスのポーズは、過去でもなく、未来でもなく、現在という瞬間に存在する自分自身に気づく究極の修練でもあります。

先祖供養においてカラスが重要視されるのも、時間と向き合い、その束縛の中から自分自身を解放することを意味しているのかもしれません。
この時が、皆様にとっても実りある時となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

蛍のアーサナ

豪雨に猛暑、自然の厳しい姿を見る夏を迎えています。
そんな夏にも、思いを馳せる美しい姿が多くあります。
夕闇を舞う幻想的な蛍の光など、夏の風物詩の一つかもしれません。
きれいな水と豊かな環境の中でしか生きられないといわれる蛍。
その儚い命の光が生み出す美しさに、引き寄せられたことを思い出します。

ヨーガのポーズには、ティッティバーサナというポーズがあります。
水辺の鳥や小さな虫を意味するティッティバは、ヨーガのポーズにおいて蛍を象徴し、幅広く実践されるポーズです。
開脚をしながら両腕で身体を持ち上げるティッティバーサナには、まるで蛍が飛ぶような美しさを見ることができます。

全身の筋力やバランス力に加え、柔軟性を要するこのポーズは、難易度の高いポーズに数えられ、その美しさに至る道は、決して容易いものではありません。
しかし、その修練の過程で少しの進歩が見える時、深い喜びを感じる瞬間があります。
一喜一憂のその修練は、山があり谷がある、人生そのもののように映ります。

喜びや憂いの狭間で揺れ動く私たちの人生。
霊的な世界において、それは真実という光を見失った、無知の暗闇として捉えられてきました。
そんな私たちは、こうしたヨーガの修練を通じ、自分自身と向き合う時間を持つことが大切です。

ティッティバーサナの修練を繰り返す中では、容易に身体が持ち上がり、堅固なバランスの中でポーズを保持できる瞬間があります。
繰り返す修練は、心身を深く浄化し、確かな安定を与えてくれるということを実感するばかりでした。
それは、内なる世界を覆う暗闇を払い、元来の光を輝かせてくれるからに違いありません。

蛍が自分自身で光を生み出すように、私たち自身が内なる光を輝かせることができれば、世界はより美しくなるはずです。
蛍のポーズは、その道を示してくれる修練の一つです。
揺れ動く人生の中でも、世界に光を生み出す美しさの一助となれるよう、大自然の姿を見習いながら日々を過ごしたいと感じます。

(文章:ひるま)

バラドヴァージャのアーサナ

2014年より、6月21日はヨーガの普及を目的とした、国際ヨーガの日として祝福されるようになりました。
6月21日は、一年の内で昼間の長さが最も長い夏至にあたります。
インドの暦では、夏至の後の最初の満月において、師を讃えるグル・プールニマーが祝福されるなど、夏至は重要な意味を持ちます。

一説に、ヨーガの伝承は、その起源とされる偉大なグル、シヴァ神によって夏至に始まったと伝えられることがあります。
シヴァ神はこの日、サプタリシ(七聖仙)にヨーガを説き始めたのだと伝えられます。

そのサプタリシの一人に、バラドヴァージャと呼ばれる聖仙がいます。
バラドヴァージャはヴェーダの学びに没頭し、それを達成するために、三度生まれ変わったと伝えられる存在です。
苦労の末にヴェーダの全てを学び、三度目の死が訪れたとき、シヴァ神に解脱を求めるも、シヴァ神はそれを許しませんでした。
バラドヴァージャは、ヴェーダの教えを他と共有することをしていなかったからです。

すると、バラドヴァージャは四度目の生において、ヴェーダを教え、人々を啓発することに喜びを見つけます。
ヴェーダの普及に没頭したバラドヴァージャは、その後、究極の叡智のもとで解脱に至ったと伝えられます。

ヨーガにおいては、そんなバラドヴァージャに捧げられるポーズがあります。
バラドヴァージャのように片足を蓮華座で組み、身体をねじるポーズです。

中心から身体を絞り切るようにねじるこのポーズでは、膝や股関節、腰、背骨の柔軟性を必要とします。
そして、身体を深くねじるために、左右の両端に逆向きの力が働くよう、強く回し曲げなければなりません。
これらの過程において、身体の歪みや消化機能が改善され、心身に浄化が促されると伝えられます。

泥水を吸って生きながら美しい花を咲かせる蓮華は、純粋の象徴として崇められてきました。
このポーズは、社会の荒波の中で生きる私たちが、ヨーガを通じ自分自身を浄化しながら、美しい花を咲かせる過程を物語っているようです。
その先には、苦労を経て究極の境地に至ったバラドヴァージャのように、何よりも美しい果報が待ち受けているはずです。

現在、ヨーガは国際的に認められ、その教えに触れることが容易となりました。
そこには、こうした先人たちの尽きない探求があります。
ヨーガを通じ、それぞれに与えられた道のりを歩むことで、やがて美しい解脱に至ることができるに違いありません。

(文章:ひるま)

弓矢を引くアーサナ

自分自身の身体という小さな世界の中で、霊的な探求の道を歩ませてくれるヨーガ。
そんなヨーガのポーズに、アーカルナダヌラーサナというポーズがあります。
「アーカルナ」は「耳へ引く」を、「ダヌラ」は「弓」を意味します。
「弓矢を引くポーズ」とされるこのポーズを通じては、神という標的を射抜く方法を見ることができます。

インド神話において、弓というと、ラーマ神の弓矢を引く姿を思い起こします。
そこには、シーター女神と結ばれるための神話が伝わります。

シーター女神の父であるジャナカ王は、シヴァ神より神聖な弓を授けられました。
弓はとても重く、この弓に弦を張ることに成功した者が、シーター女神の夫となることができるとされていました。
しかし、弓に弦を張るどころか、その弓を持ち上げることができる者すらあらわれません。

するとある時、ラーマ神があらわれます。
ラーマ神は、その弓を持ち上げ弓を張るだけでなく、2つに折ってしまうほどの力を持っていました。
そしてラーマ神は、シーター女神と結ばれたといわれます。

マーンドゥーキヤ・ウパニシャッドには、以下の一節があります(2.2.4)。

プラナヴァ(オーム)は弓である
アートマ(自己)は矢である
ブラフマー(神)は標的である
瞑想(弓)によって自己(矢)を制御することで
神(標的)を射ぬくことができる

神と一体になるための術として、プラナヴァというマントラの弓を用いて、自己という矢を制御し、神という標的を射ぬくということが説かれます。

弓矢を引くポーズは、同じように捉えることができます。
このポーズでは、足を伸ばして座り、右手で右足の親指を、左手で左足の親指を掴みます。
そして、片膝を曲げ、掴んだ親指を耳の近くにまで引いていきます。
このポーズの過程では、股関節やハムストリングの高い柔軟性、腕の筋力、そして均衡をとる力など、頭から爪先までの全身の動きの中で、深い集中力が必要とされます。

こうした身体を用いた瞑想(弓)の中で、完全に自己(矢)を制御できた時、このポーズで安らぎ(標的)を感じることができます。
そこでは、身体と心が一つに結ばれた、完全な境地を経験することができるはずです。
それは、神という標的を射ることにも他ありません。

ヨーガのポーズには、その一つ一つに深い意味が秘められています。
実践を通じてその意味を読み解くことで、真実の理解に近づくことができるに違いありません。

(文章:ひるま)

ラクダのアーサナ

心身の鍛錬法として、世界中に広まったヨーガ。
古代より、霊的な探求者たちによって実践されてきたヨーガは、現代を生きる私たちにも、その道筋を見せてくれます。
そんなヨーガの中で、自己探求の道を開くウシュトラーサナというポーズがあります。

「ウシュトラ」は、「ラクダ」を意味します。
ラクダのコブのように胸を突き出すこのポーズは、深く後屈をする難易度の高いポーズとして知られます。
このウシュトラーサナの実践は、自分自身と向き合うための長い旅路のように映ります。

日常生活の中で背中を反らせることが少ない私たちは、こうした慣れない動きに、まずは困難を感じます。
大きく後屈し、腰にかかる負担の中で、身体をどこまで伸ばしていいのか、恐れや不安が伴うこともあります。
そこではまず、自分自身の身体と心に対する理解を深めなければなりません。

ウシュトラーサナの実践では、胸が大きく開きます。
胸を開く動作は、愛情や感情、慈愛や受容を司るアナーハタ・チャクラに働きかけると伝えられてきました。
このポーズを通じて心を開く時、自分自身と向き合うための広い空間が生み出されます。

その空間の中で繰り返す後屈の鍛錬は、何よりも、自分自身の身体と心に対する信頼感を築くものでした。
実践を重ね、見えない恐れや不安が取り除かれていくと、伸び伸びと後ろに反ることが可能となります。
そうして背骨が柔軟になる時、エネルギーはより自由に流れ、人生を豊かに生きるための持久力や柔軟性が授けられます。

人生において厳しい状況に直面している時、または感情が塞ぎがちな時、このポーズの実践は特に難しく感じることがあります。
それはまるで、砂漠を行くラクダの旅ように例えられるかもしれません。
見えない目的地は、時に苦しい状況を生み出します。
しかし、その歩み自体に、私たちを成長させる大きな恵みがあるはずです。

自分自身の身体という小さな世界の中で、霊的な探求の道を歩ませてくれるヨーガのポーズを通じて、自己探求の旅に出かけて見るのも良いかもしれません。

(文章:ひるま)