ゴーヴァルダナ・プージャー2017

the lifting of govardhan

およそ5日間にわたって祝福される盛大なディーワーリー祭は、広大なインドの地で、さまざまな祝福が執り行われます。中でもとりわけ有名なのが、ディーワーリー祭の4日目に祝福される、ゴーヴァルダナ・プージャーです。2017年は10月20日に祝福されます。家庭では、神聖な牛の糞でゴーヴァルダナ山に見たてた山やクリシュナ神の像を作り、花や色粉で彩った後にプージャーを行い、祈りを捧げます。

ゴーヴァルダナ・プージャーには、バーガヴァタ・プラーナに記されたクリシュナ神とインドラ神にまつわる神話があります。大昔、人々は熱心にインドラ神を礼拝し、豪華な食事を捧げていました。雷雨の神であるインドラ神への礼拝は、雨を降らせ大地を肥沃にし、人々に豊かな食物を授けると信じられていたからです。

そんな人々にクリシュナ神は、「インドラ神を礼拝するのではなく、身近にある、食物をもたらす大地や、雲を生み出すゴーヴァルダナ山そのものを礼拝する方が良い。」と伝えます。そしてクリシュナ神の導きの下、人々はインドラ神の代わりに、大地やゴーヴァルダナ山を礼拝し始めました。

インドラ神はひどく怒り、7日間に渡って大雨を降らせ、大洪水を引き起こします。するとクリシュナ神は、小指でゴーヴァルダナ山を持ち上げ傘とし、人々や大地を大雨から守ったと伝えられます。その日が、ディーワーリー祭の4日目にあたると信じられています。

大地や山といった、大自然のありのままの姿を礼拝することは、ヒンドゥー教の礎として大切に伝えられてきた行いであり、今でも人々の中心にあるものです。ゴーヴァルダナ・プージャーは、「食事の山」を意味する「アンナクータ」とも呼ばれ、一部の地域や慣習では、何十種類もの豪華な食事が準備され、大自然の恵みを礼拝するといわれます。

クリシュナ神という万物の源を支えに行うこうした礼拝は、大自然を守り、調和の内に平和な社会を生み出す基本に他ありません。それはまた、大きな世界との共存を教えてくれるものであり、自分自身の周囲に幸せをもたらすものでもあります。この時改めて、自分自身の周囲を見つめ、私たちが得るこうした恵みに感謝をする時間を過ごすのもよいかもしれません。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Govardhan_Puja

第12回グループ・ホーマ無事終了のお知らせ

第12回グループ・ホーマにお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

第12回グループ・ホーマは、10月17日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

106、インド音楽に於ける保守主義と改革主義

人間にとって普遍・永遠のテーマ
奇しくも、この原稿を書いている今日。世界では、「保守的で排他的な民族主義」が台頭し、日本では2017年10月の衆議院選挙を控え、「第三(四)の保守勢力とリベラル」が三つ巴の様相を呈しています。

ここで、多くの人々が微妙に誤解したニュアンスの印象を抱いてしまっているのが、「保守=右翼」とか「リベラル=革新」ですが、これらは本来の意味合いでは全くありません。そもそも「右翼」とは、20世紀初頭の「社会主義=左翼」の台頭によって「反左翼」的に輪郭が見えて来たものであって、或る意味アンチテーゼの具現であり、その中身は、団体・組織ごとで様々ですから、概念も定義も存在しません。

そして「リベラル」は、正しくは「自由主義」。確かに欧米で、かれこれ百年前後、公民権や男女平等、人種差別の旧態に対して叛旗を掲げて来ました。その結果、「革新勢力」と似たような行動を取ったことも事実です。確かにそれは、「反権威主義・反君主政治」という意味合いでの「革新」であるため、広義に於いては「社会主義」「社会民主主義」ということは出来ますが、所謂実在した「社会主義=共産主義」もしくは「社会主義→共産主義」という図式のそれではありません。尤も「革新」もまた「=(共産主義系の)社会主義」という解釈も論理的にはおかしいのですが。よろず次元の異なる用語が同一平面上に置かれて論じられたり、飛び交ったりで分かりにくい上に、けっこうその混乱を当て込んだ輩も居たりしますから困りものです。

同様に、戦後長らくインドが「社会主義的」であるとか、「社会主義国」であるとさえ言う人が少なく在りませんでしたが、同じように大きな誤解です。確かに一時期中国や旧ソ連と友好的だったこともありますが、それは、「産油国・欧米・パキスタン」との対峙関係。あくまでも政治と世界情勢からの結果であり、インドの戦後政治は、ここ数年までは、ほぼ一環して、「社会民主主義」ではあっても、所謂上記のニュアンスの「社会主義」ではありませんでした。むしろ、インドこそは、極めて「リベラル」な政治を続けて来た、かなり希少な国なのです。これは、根底に「ヴェーダの叡智」と「ヒンドゥー教の柔軟さ、懐の深さ」があることは言うまでもありません。

しかし、この「豊かさ」が、逆に、海外からの誤解を招くばかりでなく。インドの民衆自体も様々な偏った意識の組織・団体の亢進を許して来てしまったという歴史も生みました。これは、紀元前からのことでもあります。
紀元前、「仏教の台頭を許し」「ヒンドゥー各派の対立を許し」。中世~近世には「国内の分離を許し、イギリスの植民政策に利便を与え」。現代では、「国内と隣国とのヒンドゥー対イスラムの対立を許し」。そして、今日「偏ったヒンドゥー至上主義の台頭を許し」と、或る意味「本末転倒」なことの連なりの歴史をも築き続けてきてしまった、とも言えます。

これは、敢えて幼稚な比喩をすれば、「自己管理をして自分で考えて食べなさい」とお菓子を一週間分与えたら「一日で食べてしまった」ようなもの。つまり、「人間は、本質的に欲望を自己管理出来ない」が故「本当の自由を持ち得ない」「結果として、自由からは不自由しか作り出せない」という哀しい性のテーマでもあり。尚一層、人類史の当初からの永遠の課題とも言えます。

大量のお菓子を一日で食べ、胃腸に大ダメージを与えると共に、その月の残りの29日は、不満、不愉快、不条理、被害者意識を感じて過ごす。果ては、まだ食べ残しを持って居る兄弟から奪おうとする。
実際、人間は、「地下資源」「食材=自然の生き物」「自然環境」を正にこの狂った子どものように、むさぼり続けて来ました。

或る意味西洋諸国が、古代ローマから第二次大戦後の植民支配の終了まで、国の内外で蛮行を続けて来れたのも、その基本に「人間の欲深さと愚かさ」を前提にした「愚民政策(愚民対策)」があったからだ、と言うことが出来ます。勿論事実でもありますから、その「上から目線」的な考え方に反感をもつことは、「叱られ駄目だ!と言われてふてくされ、むくれる子ども」レベルの幼稚の極みです。

つまり「君主(恐慌)政治」の「愚民対策」自体ではなく、君主政治につきものの、権力主義、利権主義、汚職・腐敗、実際の不平等・不条理、人権無視などの「副産物」が問われるべきであるということです。言い換えれば、それが「ついてまわる」以上、民衆を愚民として卑下し、利己に走った為政者もまた、愚かの極みであるということであり。「同じレベル」であるならば、身分階級・貧富の差があるのは、「勝ち負け理論」であり、「不条理」であると言わざるを得ない、というのが論理の展開です。

一方インドは、少なくともこの数年前までは、むしろ「人間の叡智」に常に期待して来た(決して愚民政策ではなかった)。世界的にも希に見る「社会主義(理念的な意味での)」「社会民主主義」であった。しかも紀元前数千年前から。ということが出来るのです。
もちろん、それぞれの時代、細かなそれぞれの現場には、勘違いした人物も居たでしょうが。

或る意味、それは「自由主義=リベラル」でもありました。

と言うと、
「カーストがあるじゃないか!」「ダウリーやサティーはどうなんだ!」とか、「ロヒンギャの問題の原点はどうなんだ?」などなどの反論・反感を買うかもしれません。しかしそもそも、是非(善悪)の判断基準を共有出来るか否か? つまり、「近代合理主義・結果論」と「被害者意識」が融合した感覚に対して、論理的な本質論を説くことが可能なのか?という壁、問題という大きなテーマに話しが逸れてしまいますので、ここでは割愛させて頂きます。

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インド古典音楽に於ける保守主義と改革主義
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この今回の本題を考える時、長々と前述しましたことが理解されての上であるか否か?では、話しが大きく異なって来ます。

「保守主義」や「伝統尊重」の考え方から、「現状に対する不満、閉塞感」を取り除くことは極めて困難です。むしろ、それらには「(根拠の無い)被害者意識」が多く入り込んでいるからでもあります。近年とくにそれは顕著です。その結果、音楽文化論に、現在の現実社会に於ける論者の「生き辛さ」閉塞感、不平不満が加わってしまえば、「現実論者/追認主義者」たちに「懐古主義・復古主義」と揶揄されても仕方が在りません。

他方、「改革主義」はより一層、「現状や旧態に対する不平・不満・閉塞感」と、より強い「(根拠の無い)被害者意識」がこびりついている場合が多く見られます。

しかし、以前にも述べましたように「改革・改良・改善」は、生命体、とりわけ人間の本能の中でも重要な要素だからです。これを取り除いてしまうと、人間はおそらく簡単に死んでしまうでしょう。

以前も説きましたように、この「本能的衝動」もまた、「恒常性」の上に成立つ「相反する二つの要素」のバランスが保たれているべきなのです。
それは「寛容、受容、適応、順応」の本応的能力と、「改革、改善、創造、創作」の本能的能力です。

これらは、右脳左脳のバランス、自律神経のバランス、オキシトシンなどとアドレナリンなどの対峙する数多のホルモンのバランスが自然に取れている健康な人間の上では、「現状に慣れる、認める、許す、容認する、」と、「現状に飽き足らない、向上、成長、発展、学習、修行」という良い精神性に発揮されます。

しかし、体と思考と精神のバランスが狂っていると、一方だけが亢進し、前者では、「思考しない、諦める、行動しない」とアパシー、鬱に近づく方向性か、「依存体質」に至り、後者では「反発、苛々、閉塞感、被害者意識、ストレス発散、癒されたい、楽しみたい」という方向ばかりに突き進みます。

インド古典音楽を学ぶ者の場合、「伝統の心、重み、深さ」というものと、「伝統を現代人の感性に訴え生きた音楽として瑞々しい活力を持たせる」ということが求められ、そのバランスが保たれている上でなければ、「ラーガの科学」「ヴェーダの叡智」を学ぶ段階には辿り着けません。

しかし、後者を「今の時代にウケる」という表層的・短絡的・安直で幼稚な感覚と解釈で行うことばかりが先行してしまうと、前者感覚の人間が謙遜と実直さと敬意を持って取り組もうとした「伝統の心、重み、深さ」というものは、いとも簡単に崩壊してしまいます。

つい数年前までは、このようなことを言うと。「そんな簡単に壊されてしまうような伝統などは、元から大したことがない証拠だ」とか、「今に生きる私たちが楽しめない伝統等、既に死んでいるに違いない」などという反論が来たものです。

しかし流石に昨今。例えば、自然豊かで水質が良く魚も微生物も生きている川が、簡単にヘドロが溜まり悪臭を放つドブ川に変わった様を、散々見て来た筈です。
汚水を流さないことで辛うじて見た目の良さを作り上げ、かなり酷い水質でも生きられる「鯉」などを放流して「魚が住めるようになった!」というやり口は、自然公園や、○○緑地も同じです。自然の「原っぱ」には、数百種の植物が自生し、数百種の昆虫が住み、多くの鳥や小動物が住んでいます。ところが、管理された公園には、十種前後の植物しか生えず、昆虫も生態系にさほど寄与せず、「宿主(この場合、公園や地域の自然)の行く末など気にせず利己の為にたくましく生きれる種」ばかりが増えてしまいます。

つまり、「作られた嘘の自然」もまた、「表層的・短絡的・安直で幼稚な感覚と解釈」によるものに他ならないばかりか、それらを平然と作り出した社会に於ける文化芸術もまた、ほんの数パーセントの「たくましいもの」しか生き続けられず、後は淘汰されてしまう「勝ち負け」の世界なのです。

この問題は、「改革だ、復古だ」などという次元で論じては間に合わないことは明らかです。

「ヴェーダ科学音楽」及び「アーユルヴェーダ療法音楽」を学ぶ以前の「インド古典音楽」を理解するための前段階としてさえも、このようなテーマと真摯に向い合い、より深く理解し、多くを自壊することは、明らかに必須です。あらゆる事柄に通じる、基本的な摂理というものを理解せずには、専門的に得たものが表層的・形骸的な「情報」でしかないこともまた、言うまでもありません。

これらのテーマもまた、私たち現代人が、「自覚出来る表層意識(Ahamkara)」ばかりに偏ることからの弊害に他なりません。

今回の写真は、私の写真(手前味噌)で恐縮です。
「伝統派と革新派」というテーマで、他の演奏者の例を挙げて揶揄することは、
本連載にはそぐわないと思いました。宜しくお願いいたします。

恩師であり、父以上の存在だったUstad Ilyas Khansahebとの写真、
残念ながら他者が撮ってくれたので、ピントが悪いです。
師は、インド最古のシタールの流派に学びましたが、家柄はサロード最古(創始)の家柄でした。つまり、「最も保守な師匠に学んだ」ということです。
残念ながら、外国人は、人前では弾かないカナダ人の女性がかなり以前に居た程度で、インド人の弟子も音楽院の生徒が居た程度。卒業後も修行した人は居ないようで、サロード、シタール最古の流派は、サロードに現家元 Ustad Irfan Khan師(私の師匠の息子・甥)が居るだけで、私を入れて世界で二人という状況です。

六本木の有名なビートルズ・ファンが集うクラブで、ジョージ・ハリスン追悼ライブにゲスト出演した際の写真。完全コピーのハウス・バンドのジョージ役の人がシタールを弾かなかったので、その曲だけ参加しました。ジョージ自身が弾いたに違いない「Love you too」のテーマの冒頭を完全コピーで弾いた瞬間、会場全体から「おー!」の歓声が沸きました。同曲がここまでウケたのは、この時限り。流石熱狂的なファンは凄いです。

1990年代に、そのビートルズやストーンズのみならず、トラフィック、ジェスロタル、オレゴンなどのシタールを用いた曲の完コピ・バンド。
生徒さんから貰った「胴体が粉々になったシタール」にソリッドの胴を取り付けピックアップを取り付けた自作「エレキシタール」をストラップで吊って立って弾きました。
1990年代初頭、間違いなくインドにはまだありませんでしたが、その後2015年頃から(?)(何処かで私の写真を見た?)同じソリッド・フラットボディーのエレキシタールがインドでも作られるようになりました。
つまり、当時の私がしていたことは、「新しもの好き」のインドよりも先に行っていた、ということです。

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

10月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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ナラカ・チャトゥルダシー2017

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およそ5日間に渡って続くディーワーリーの祝祭は、広大なインドの地域によってさまざまな祝祭が執り行われます。第1日目には、富の祝祭として知られるダンテーラスが広く祝福されますが、第2日目には、ナラカ・チャトゥルダシーと呼ばれる祝祭が執り行われます。

2017年は10月18日となるナラカ・チャトゥルダシーは、大破壊をもたらした悪鬼ナラカースラ(地獄のアスラの意味)をカーリー女神が倒した日として、カーリー女神のプージャーが盛大に行われる時です。地域によっては、クリシュナの妻のひとりであるサティヤバーマーがナラカースラを倒したとして祝福されます。また、ハヌマーン神の生誕祭が祝福される地域もあります。

ディーワーリー祭は、正義が悪に打ち勝った象徴です。この日はチョーティー・ディーワーリーとも呼ばれ、人々は小さな光を灯し始め、本格的なディーワーリーの準備を始めます。皆さまもどうぞよいディーワーリー祭をお迎えください。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Naraka_Chaturdashi

ヨーガ・スートラ第2章第39節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


अपरिग्रहस्थैर्ये जन्मकथन्तासम्बोधः॥३९॥
Aparigrahasthairye janmakathantāsambodhaḥ||39||
アパリグラハスタイリイェー ジャンマカタンターサムボーダハ
非所有が不動となると、生涯のあらゆる知識を得る。

簡単な解説:前節において、純潔が堅固に確立すれば、精力が蓄積され、心身ともに大きな力を持つようになると説かれました。本節では、非所有が不動となると、常に外に向いていた心が内に向き、過去・現在・未来に至る自分自身の生涯を知ることができると説かれます。

智の泉・ヴェーダ

インダス文明に遡る古い歴史を持つインドは、さまざまな民族、言語、宗教が入り混じり、多様性に富む大国です。この国の文化を知るには、神々に捧げられた美しい讃歌で構成される聖典「ヴェーダ」を知ることが欠かせません。自然現象を神々として信仰するアーリヤ人がインドに入り、ガンジス川流域に広がったのがヴェーダ時代。紀元前1500年ごろから紀元前500年ごろまで続いたこの時代に生まれたのが、「ヴェーダ」です。

ヴェーダは、知識を意味します。アーリア人が神々に捧げた讃歌や儀礼などが含まれたヴェーダには、私たちの魂を至高神と結びつける神聖な波動が含まれます。文字として正確に表現できないこれらの教えは、グルと弟子の関係の中で、太古から口伝によって受け継がれてきました。このヴェーダには、4大ヴェーダといわれる、リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダがあります。

最も古いと伝えられるのが、リグ・ヴェーダです。リグ・ヴェーダは神々への讃歌の集成であり、神々を讃えることでその恩恵と加護を祈ります。霊的進化を遂げる個人の魂にとって重要となる秩序と真理が秘められています。
サーマ・ヴェーダは、リグ・ヴェーダと同じように讃歌によって構成されています。それらの讃歌を一定の旋律で歌うサーマ・ヴェーダは歌詠の集成であり、音楽による霊的進化が明らかにされています。
ヤジュル・ヴェーダは、リグ・ヴェーダの讃歌に加え、祭祀の実施時に唱えられる祭詞より構成されます。祭詞の集成であるヤジュル・ヴェーダは、祭祀の実施による霊的進化の恩恵を祈ります。
アタルヴァ・ヴェーダは、呪術に関わる古文書として構成されます。神々への讃歌などを集成した他の3つのヴェーダとは異なるも、健康的な人生のための祈りなどを含み、最終的には霊的進化についての真理が説かれます。

至高神の息吹から生まれた波動であるヴェーダは、私たちに至高神と結びつけるための神聖な知識を与えます。霊的叡智の宝庫であるインドを代表する聖典であり、至高神と繋がることを目的とするヴェーダの本質を知ることで、私たちは真の霊性を育み、至高神を知ることができるでしょう。

(SitaRama)

14の宝石と14のシッディ

新月の暗い夜に光を灯し祝福されるディーワーリー祭は、悪に対する善の勝利を祝福する祝祭です。およそ5日間に渡るその祝福では、医神であるダンヴァンタリ神や、豊穣の女神であるラクシュミー女神の降誕を喜ぶ祝福も執り行われます。ダンヴァンタリ神とラクシュミー女神は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌を通じて生まれた、14の宝石に数えられます。

神々と悪魔が協力して行った乳海撹拌は、私たちが歩む霊性修行の道のりそのものです。そして、善と悪が渦巻く内なる世界を撹拌することで得られる14の宝石は、14のシッディとして例えられることがあります。この14の宝石は、主に以下のように伝えられます(聖典によって異なる場合があります)。

・ラクシュミー:豊穣の女神
・アプサラス:天女とも称される水の精
・ヴァールニー:酒の女神
・カーマデーヌ:あらゆる願望を満たす牝牛
・アイラーヴァタ:神々の王インドラ神が乗る白い象
・ウッチャイヒシュラヴァス:7つの頭を持った最高の馬
・パーリジャータ:決して枯れない樹
・カルパヴリクシャ:あらゆる願を叶える樹
・チャンドラ:シヴァ神の頭を飾る月
・カウストゥバ:もっとも貴重な宝石
・シャンカ:勝利の象徴であるホラ貝
・シャランガ:もっとも強い武器である弓
・ダンヴァンタリ:不死の霊薬を持つ医神
・アムリタ:不死の霊薬

これら14の宝石を生み出した乳海撹拌の真の目的は、不死の霊薬であるアムリタを得ることでした。神々と悪魔は、その目的のために懸命に働き、授かったこれらの宝石を分かち合うと、最後にアムリタを手にします。

神々と悪魔のように、私たちは正しい目的を持って、この霊性修行の賜物であるシッディを賢明に用いる方法を学ばなければなりません。自分自身の欲望を満たすためにこれらのシッディを用いる時、それは霊性修行を妨げるものと成り得ます。

神々と悪魔は、自分自身の内なる善と悪の象徴です。正しい目的の下で内なる世界を撹拌し、授けられるこれらのシッディは、善と悪を分別するための学びを私たちに与えてくれるに違いありません。悪に対する善の勝利を象徴するディーワーリー祭を祝福し、世界の多くが平和であることを心から願いたいと感じています。

(文章:ひるま)

 

お届け日時指定便送料改定のお知らせ

今月からの宅配業者の運賃値上げの影響により、誠に勝手ではございますが、
10月20日(金)より、お届け日時指定便の送料を以下のように改定させていただきますので、
何卒ご了承のほどお願い申し上げます。

改定前
ご注文金額3,000円以上で送料無料
改訂後
ご注文金額5,000円以上で送料無料

改定前
送料一律490円
改訂後
送料一律540円

なお、DM便、通常便の送料体系は今までと同じく、それぞれ1,500円、3,000円以上のご購入で
送料無料となっておりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

これからも皆様によりよいサービスをご提供できるよう、スタッフ一同尽力して参りますので、
ご不便をおかけして誠に申し訳ございませんが、何卒ご了承のほどお願い申し上げます。

富の祝祭−ダンテーラス2017

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2017年は10月17日に、ディーワーリー祭の始まりとして祝福される「ダンテーラス(ダントラヨーダシー)」を迎えます。「ダン」は富を、「テーラス」は13日目を意味し、満月から数えて13日目に行われる富の祝祭です。新しいものや、金や銀といった価値あるものを購入したり、また新しい事業を始めるにも吉兆な日として知られ、マーケットは大賑わいとなり、富と幸運の女神であるラクシュミー女神もまた盛大に礼拝されます。「富」を祝福するこのダンテーラスには、富だけではないとても深い意味が秘められています。

そこにはこんな言い伝えがあります。ある若王は、結婚から4日目に蛇にかまれて死ぬという運命をホロスコープに持っていました。若王が結婚した後、妻となった女性は、その4日目にありとあらゆる宝石や装飾品で家を飾り付け、美しい歌を歌い始めます。蛇となって現れた死の神ヤマは、輝く装飾に目がくらみ若王の下に近づけず、また若妻の歌う美しい歌に酔いしれました。結局死の神ヤマは、若王に死を与えることなく、その場を去って行ったと伝えられます。

この日がダンテーラスにあたり、若王の妻が行ったように家々を煌びやかに飾りつけることで、悪いものが追い払われると信じられています。実際に多くの家庭では、この日からディーワーリー祭に向けさまざまな飾りつけを行い、光を灯し始めます。

またこの言い伝えは、ホロスコープに書かれた運命すらも、私たちは正しい行いによって変えることができるということを物語っています。若妻の夫を思う心が生み出した美しい行いは、夫の運命を、また若妻自身の運命を変えました。このように、一瞬一瞬の出会いや行いを、大きな気づきと共に正しい思いで全うすることで、その先には明るい未来が待ち受けていることを私たちに伝えています。

一部の慣習では、アーユルヴェーダの神であるダンヴァンタリ神もまた、このダンテーラスの日に誕生したとして盛大な祝福が行われます。この日から、ディーワーリー祭が始まります。このダンテーラスに始まる美しい祝祭を、光と共に迎えられますよう、この日家々を美しく飾ってみるもの良いかもしれません。

(文章:ひるま)

参照:”Dhanteras”, https://en.wikipedia.org/wiki/Dhanteras

105、Raga-Chikitsa (アーユルヴェーダ音楽療法)

ラーガをどう説明したら良いか?

「ラーガって何ですか?」とか、「ラーガを『一言』で説明するならば?」と問われる時、私はかれこれ40年近く、四苦八苦しながらより分かり易い説明に苦心して来ました。

しかし、最も重要なことが「説明の分かり易さ」ではなく、「問うた人の思考性の問題」であると分かってからは、その説明の仕方も随分変わって来ました。

初期の頃の説明は、既に存在した文献や、学者先生や音楽評論家氏の言葉に倣ったものでした。1970年代のことです。

その中の極めて大雑把で、或る意味いい加減な説明が「ラーガとはインド古典音楽で用いる音階(Scale)の総称である」です。しかしこれは、「同じ音階を用いて複数のラーガが在る」ということで、いとも簡単に崩れさってしまうのです。
なので、やむなく「旋法」という「せめて音階よりも意味が深そうな」用語を用いる訳ですが、音楽のジャンルや音楽家によっては、音階との区別が曖昧ですから、「旋法」もラーガを充分に示しているとは言い難いのも事実です。

例えば、日本の唱歌で最も良く用いられる「四七抜調(ファとシを省く)」と同じ音階のラーガには、「Raga:Bhupali」と「Raga:Deshkar」がありますが、これらは全く異なる音の動きをします。

また、いささか上級編ですが、叙情的な歌で好まれる「Raga:Bhairavi」は、「レとミとラとシがフラット(半音低い)」音階を用います。「レ」がナチュラルですと、西洋の短調と同じになりますが、これはインドでは「Raga:Asawari」が代表格とされています。勿論、この音階を用いても十種前後異なるラーガがあります。

ところが「Raga:Komal(フラット)-Reshav(インド楽音名のレ)-ki-Asawari」というものがあるのです。「レが半音下がったAsawari」という名前ですから、音階としては「Raga:Bhaitavi」と同じになってしまいます。勿論、音の動きは全く異なります。

私は逆に、「ラーガの視座」から日本の「四七抜調の唱歌」を検証した「Raga:赤とんぼ」と「Raga:海」を説明したものをYouTubeに上げています。唱歌の「赤とんぼ」と「海」は、音の動きが全く異なるから「別なRaga」となる訳です。

これらのことは、「Raga-Lakshan(ラーガの身上書)」によって、基本的なことが分かります。そこでは「属するグループ、基本音列、主音、副主音、重要な音の動き、音域、演奏すべき時間帯(や季節)、関連する感情」などが最低明記されています。

実際、この知識レベルで、あとは好き勝手な即興に興じている演奏家は、日本のみならずインドでも多くなって来ました。尤も、その程度の深みしかない「簡易なラーガ」もけっこう多く存在し、そのようなラーガに限って「一般聴衆のウケが良い」ということもあります。

これらをアーユルヴェーダや中国古代医療・漢方の「生薬や方剤」に喩えると、「ほぼ同じ生薬のブレンドだが、その配分比が異なる」と言うことが出来ます。

「生薬方剤」には、「主薬、主薬を助け(効果を高め)る副薬、主薬の反作用を中和する為の助薬、主薬の反作用をフォローする為の助薬」が、数百年数千年の経験で配合されています。しかし、「方剤」と言えば、古代のものばかりと思いがちですが、アーユルヴェーダでも中国古代医療・漢方でも、意外に近代に「飲み易くする為に改良(改悪?)」したものも少なくありません。

有名な「葛根湯」などは「甘くて飲み易い」と人気が高く、実際喉が一瞬楽になったりしますから、ブラセボの助けもあって効いた気がして来ます。しかし、甘味の正体の「甘草」は、本当は注意深く遣うべき生薬です。ところが、もっと怖い(量によっては毒薬ろしても有名)生薬を用いる方剤でさえ今日ドラッグストアーで簡単に売られ、常駐している薬剤師さんも、実に「対処療法的」に「○○だったら、これが効きますよ」と「売らんかな」です。「一般聴衆のウケが良いラーガ」は、さしずめ「葛根湯」のような感じです。幸いに「ラーガ」の場合は、分かっていない人が弾いても「危険」ということはないようです。そもそも「音自体の力」が薄ければ、「薬効が飛んでしまった」ようなものだからなのでしょう。

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アーユルヴェーダ音楽療法では、

上記しました「Raga-Lakshan(ラーガの身上書)」は、「インド古典音楽」即ち、「観賞用芸術音楽」に於ける演奏者が、最低限熟知しておくべき話しですが、これを「音楽療法」に用いるとなると尚一層、数十倍も深く理解していなければならないことは言う迄もありません。

私は、町の獣医さんが「予後不良」とおっしゃった猫たちを助け、お医者さんが「奇跡だね」とおっしゃった数例や、画期的に延命を記した例が多くありますが。(勿論力及ばずの哀しい結果もあります)、その自宅での治療・看病では、「西洋ハーブ・アーユルヴェーダ生薬・中医・漢方生薬と方剤」を適材適所に使い分けています。

前二者は、「単味(単体)」を入手し、同時に飲ませたりずらしたりしていますが、漢方方剤は、「良く出来た方剤」でも、適材適所、タイミング良く、短期間(数日)のみ使用し、慎重に用いるべき方剤は、症状に合わせた「配合比」を漢方屋さんに特注します。ここ数年は、単味(単体)で入手し、自分でブレンドすることが主体になって来ましたが、滅多に使わない生薬は、鮮度を考えると「加減特注」が有難いのです。

「Raga-Chikitsa(ラーガ療法)」でも同じように、否、より自由自在にその「配合比」を変えて対処します。つまり、この段階の「ラーガ(旋法)」は、「同じラーガでも異なる性質を持たせる」という領域なのです。

何故に「より自由自在に」と言えるか? それは、基本が即興演奏だからです。しかし、言い換えれば、「アーユルヴェーダ音楽療法」を施術する者の知識・経験・分析力・把握力によっては「効くものも効かない」ということがあるからです。

かく言う私も、東洋生薬による治療を試み始めた初期の頃は、効果を見極める選択眼も、そもそもその生薬の成分や、それらの働きについて良く理解出来おらず、「○○にはこれが効く!」という話しを真に受けて「あれもこれも」という出鱈目な感じでした。「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」とでも思ったかのような。

結果として、運良く「同じ成分」が多くの生薬に共通し重複した場合は、充分な量が得られたものもありますが、多くは「最低限必要な量」が得られず、様々な生薬を飲まされる苦痛に反比例して「効果が薄い」という有り様だったのです。

ひとつ言い訳をすれば、人間に対してでさえも、漢方薬剤師さんやハーバリストさんによって処方量が異なることも少なくなく、ましてや猫の場合の前例が殆ど無いので、「どれが正しいの?!」と困惑し、控えめ(少なめ)になっていたこともあります。

そもそも方剤によって、その生薬の品質が異なれば、同じ量でも効果は驚く程変わります。その点では、「特定の成分を抽出した化学製剤」の場合、「量と効果は、与える対象の体重で比較的正確に認識出来る」という安定感(故に信頼感を抱くのでしょう)があります。

人間は、自分自身の考えや行いを美化したがる悪い癖があります。その当時の私は「仮に、各生薬の効果効能が弱くとも、沢山集まればなんとかなる筈だ」と正当化していました。その当時のイメージは、(病気によって)天井が徐々に落ちて来る状態を「棒で支える」というもの。その棒が仮にか弱い細いものでも、「沢山あれば大丈夫だろう」という感じでした。

しかし、事実は「棒の太さの問題」ではなかったのです。

その後により深く理解した後のイメージは、「短い橋ならば、幾ら丈夫でも川に掛けることさえ出来ない」というものです。勿論、「多ければ良い」という考えは、「少なくて効かない」よりも重大な危険を招きます。
そもそも「薬は全て毒」と言っても過言ではないからです。

「Raga-Chikitsa(ラーガ療法)」でも全く同様で、「どの音遣い」をどのように配列させ、強調させるか? によって、やはり効果は覿面に異なります。

今回の二枚(3Shot)の写真は、

中医・漢方の生薬をすりつぶす「薬研(やげん)」と、インドの生薬から家庭料理のスパイスまで幅広く活躍する石のすりこぎ&すり鉢。

「薬研」は、茎・根・穂などを切断しながら細かくすることに長けており、乾燥した生薬に特化している感じです。インドの場合は、「生の植物」を摩り下ろすことに長けています。

保護猫の看病・治療のための西洋ハーブの棚。2割ほどがブレンドなので、生薬120種は優に超えています。が、実際頻繁に活躍するのは四割以下です。それを分かるためには、市販されている殆どを入手し試行せねばなりませんでした。

何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

10月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。
九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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