ヨーガ・スートラ第2章第51節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


बाह्याभ्यन्तरविषयाक्षेपी चतुर्थः॥५१॥
Bāhyābhyantaraviṣayākṣepī caturthaḥ||51||
バーヒャービャンタラヴィシャヤークシェーピー チャトゥルタハ
外的と内的の対象を超越したのが、第四である。

簡単な解説:前節において、調気法とは、外的な出息と、内的な入息と、停止する動きからなり、それは空間と時間と数によって測定され、長く精妙になると説かれました。本節では、外的な出息と、内的な入息と、停止する調気の次にくる第四の調気とは、外的な出息と、内的な入息の対象を超越した止息であると説かれます。

112、16世紀の楽聖Tan Senの流派(1)

当連載Vol.44でご紹介した北インド中世イスラム宮廷音楽の頂点に君臨したMiyan Tan Sen(Muhammad Ata Ali Khan)とその一族は、第二次大戦後の共和制によって宮廷そのものが終焉する迄、北インド・ムガール帝国の宮廷楽師最高峰の流派として在り続けました。

ミヤン(偉大な)・ターン(旋律)・セン(主)は、皇帝より賜ったタイトル(称号のような)ですが、一族は略して「Seni派(Gharana)」と俗称されます。

しかし実際ムガール帝国自体が最後迄常に北インドで最強のイスラム帝国であった訳でもなければ、歴代皇帝が常に音楽の強力なパトロンであった訳でもないのです。
にも関わらず、Seni一族は、今日現在に至る迄インド音楽史に於いて不動の名誉を保っており、各地に散った一族の後継者は、いずれの土地でも宮廷楽師の頂点に君臨しました。また、18世紀から19世紀に掛けて生まれた、今日私たちが聴くことが出来る北インド古典音楽のほぼ全てのスタイルと流派がSeni派との繋がりをステイタスにしており、実際のSeni一族の後継者は、Muhammad Dabir Khan(1905~1972)とその息子(演奏活動をしていたか?現在のところ不詳です)を最後に途絶えながらも、現行の流派は皆「Seni派の亜流」ということも出来ます。

その音楽的な実態は、かなりの基礎知識が無いと理解が難しいと思われますので、今回は、そのような特別な地位にあった一族に生まれた、各時代の音楽家の様子がイメージ出来るような俯瞰的全体像の総論をお話ししたいと思います。

ターン・センが、インド全土をほぼ統一した著名な皇帝:アクバルの宮廷楽師長になったのは、自身が60歳を過ぎ、アクバルが20歳の頃でした。勿論これには諸説あると共に、かなりいい加減な記述が今日でさえも見られます。

それにしてもインドと中国の現地音楽学者と、音楽史や学理を語る時の音楽家・演奏家の知識の幼稚さと、新たな文献を読まず、昔学んだことを信じ込んでいる杜撰さには呆れを通り越して憤りさえ憶えます。と言うのも、かれこれ47年に及ぶ私のインド音楽探求の歴史の中で、それらの情報に何度翻弄されたことか!

と言いつつ、

「情報の価値など殆ど皆無で、大切なものは、その背景の文化の流れと社会性、そして人間模様であり、情報の多さや貴重さではなく、それを読み取る力である」

と痛感の中で教えてくれたのもまたそれらの偽情報ですから、感謝せねばなりません。

ただ、「餅は餅屋」的に、「インドのことはインド人に訊くのが良い」とばかりの日本人研究者に対しては、文献至上主義に対する憤りも手伝って未だに擁護の気持ちが湧いて来ません。「餅は餅屋」と言われれば返したくなります。「調査対象の家の玄関ベルを押す間抜けな興信所調査員も居ないだろう」と。

新たな情報でも出てはいまいか?と検索してみれば、どれもこれも相変わらず。これが文献至上主義の最たる欠点で、新たな文献が発掘されない限り、テーマを掘り下げたり探求しようと言う者が現れないのです。ターン・センの生没年に関しても、相変わらず十年もずれる諸説が散乱していました。デリー宮廷登官に至る逸話もしかり。
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さて、ターン・センは、40歳の年齢差ですから当然アクバルの治世中に没し(1586)、アクバルによって偉大な芸術家として改めて讃えられ、荘厳な廟が起てられました。従って、ターン・センの息子たちによって大きく二つに別れたSeni派は、まずアクバルの宮廷楽師となり、引き続いて第四代皇帝:ジャハンギール(在位:1605~1627)の宮廷楽師となる訳です。

Seni派二大流派とは、後妻の子Bilas Khanの「Rababiya派」と、ターン・セン自身の師のひとりで、Kshangarh-DhrupadのKhandar-Vaniの家元Vina奏者:Raja Samokhan Singhの孫:Yuvraj Saheb Misri Singhに娘:Hussaini Khanを嫁がせた結果の「Vinkar派」のふたつです。

先妻の三人の息子も卓越した音楽家だった筈で、中にはTan-Tarang(多彩に並ぶ変奏)のタイトルを持つ名手も居たのですが、三兄弟とも一代でほぼ途絶えたがために、多くの弟子たちも二大流派の流れに組み込まれてしまったようです。

Misri Singhは、「ムスリマを娶るならば、改宗せよ」のイスラムの掟に従い改宗し、Naubat Khanとなります。一説には、婚礼に伴ってターン・セン側から「数百の作品」がダウリー(持参金)としてNaubat Khanに与えられたと言います。従ってDhrupad-Khandar-Vaniは、ターン・セン創始のGaurhar-Vaniとこの時点で習合したということです。「Gauhar」は、ターン・センがRamtanu Pandey(Tanna Misra)という名のヒンドゥー教徒だった時代「Goudiya-Brahman(Vishnu派)」に属していたことからの流派名です。

アクバル大帝の息子:第四代皇帝:ジャハンギールは、即位当初から、病弱にも拘らず、ムスリム禁忌の酒に溺れるなど、無茶と失敗が多い人で、アフガン貴族の妃:ヌール・ジャハーンを略奪し、その父親を宰相に据えれば実権を奪われ、晩年の王位継承争いでは幽閉もされています。

不思議と、偉大な人間の二代目に、このような悲運な物語が多いのは、世界的な傾向のようです。しかし、皇帝が政治的に無力であって、放蕩三昧に過ごした御陰で、ターン・センの息子Tan-TarangとBilas Khanは、宮廷楽師の頂点で豊かな人生を送ったと言われます。

在位一年の第五代皇帝の後、その兄で、ヌール・ジャハーンの姪婿の第六代皇帝:シャー・ジャハーン(在位:1628~1658)は、彼の有名なタージ・マハルを、ペルシア人宰相の娘であった先立った妃:アルジュマンド・バノ・ベーガムの為に建てた他、巨大なデリー城、未だに亜大陸最大のモスクであるジャーマ・マスジッドを建てるなど、ムガール王朝全盛期の富を使い放題使いました。

シャー・ジャハーン即位までの王権争いの熾烈さは、その昔のヒンドゥー二大叙事詩やオスマン・トルコ宮廷史に勝る複雑な物語で、インドでも何度も映画になっています。朝鮮・李王朝の物語が、何度も日本語吹き替えで放送されているのですから、インド版やトルコ版もひとつくらいは何時か出来ても良いのではないでしょうか。
去年、宝塚までが取り上げた「Om Shanti Om」が話題になりましたが、どうでも良いストーリーではなく、是非歴史物語で御願いしたいところです。尤も、喜怒哀楽度に、何処からともなく、舞踊団が現れる「踊るマハラジャ」系ではストーリーは二の次かも知れませんが、インドにはけっこう優れたストーリーの映画もあります。(ました、か?)

ムガール王朝史に輝く放蕩皇帝で、王権争いでは実の兄を殺すほどの人物シャー・ジャハーンは、パキスタンのラホールにも同国最大のモスク:シャー・ジャハーン・マスジッドを建てた他、UP州にも都市国家的なシャー・ジャハーン・プールも築きました。私が内弟子として属するサロードのシャー・ジャハーン・プール派も、彼の皇帝の御陰で育まれたという訳です。
おそらく読者の皆さんの多くがご存知だと思いますが、シャー・ジャハーンは、タージマハル建築の為に、相当数のタイル職人をペルシアから呼び寄せ、完成後に殆どを処刑したと言われます。「同じものを他の者に建てさせない」為に。

シャー・ジャハーンは、アクバルに劣らず、文芸対しても湯水のように財宝を使った皇帝でしたから、ターン・センの孫、Lal Khan(Vinkar)も、かなり裕福な生涯を送った筈です。流石に三代目辺りに、音楽の世界でも駄目な家元が現れることが多いので、実力のほどは分かりませんが、Lal Khanは、シャー・ジャハーンより「Guna-e-Samander(海の美)のタイトル(Laqab)を賜りました。 音楽に「海」が登場するのは、その昔、Lal Khanの祖父(ターン・セン)が、皇帝の曾祖父(アクバル)に、音楽を海に例えた逸話からのことと思われます。Lal Khan没後は、息・qのNazir(Khushal)Khanに、皇帝承認の下、タイトルは受け継がれました。

Naubat Khanの息子であるLal Khanの母親は、Rababiya創始者Bilas Khanの娘で、この婚姻よって、Rababiya派とVinkar派また、新たに習合したということなり、ターン・センに学んだNaubat Khanの頃から、二大流派の音楽は、基本的に同一ということになり、「専門楽器が異なるだけ」とも言えます。

しかし、シャー・ジャハーン没後の第七代皇帝:アウラングゼーブ(在位:1658~1707)の時代は、インド宮廷古典音楽と、Seni派にとって、第一回目の「暗黒の時代」となりました。
(つづく)

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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魂を浄化する香り

クリスマスのイルミネーションが、あちらこちらで美しく輝いています。冬至が近づき、闇が深まるこの時、イエス・キリストという光の誕生は、時を超えて、私たちの日々にあたたかな灯りを灯します。

そんなイエス・キリストの誕生においては、星に導かれて訪れた東方の三博士が、その誕生を礼拝したと伝えられます。その際に持参した贈り物が、乳香、没薬、黄金と伝えられてきました。乳香(フランキンセンス)と没薬(ミルラ)は、インドでも神々の礼拝において焚かれる重要な樹脂香として用いられるものです。

黄金と並ぶこれらのお香は、現代でも、世界のさまざまな慣習で重要視されています。インドでは、神々への捧げ物としてだけでなく、心身や空間を清めるものとして用いられ、それらを燃焼させることで生まれる香りが、嗅覚を通じて人間のより繊細な部分へと影響を与え、魂を浄化すると信じられるほどです。

嗅覚は、五感の中で唯一、脳に直接的に働きかける感覚といわれ、アロマテラピーなども広く普及しています。乳香や没薬は、古代では鎮静薬や鎮痛薬としても用いられていました。それらを焚くことで生まれる香りは、脳を沈静化するといわれ、実際に、とめどなく溢れる思考が静まるのを感じることがあります。そうして得られる心の平安は、自分自身の心と身体だけでなく、その周囲にも、調和と均衡をもたらします。

お香を焚く行いは、心を浄化し、自分自身の内に神性を生み出す行いに変わりありません。大自然と密接に生きていた古代の人々は、心身に幸福をもたらすそうした作用を自然の中に見出してきました。インドでは、それらが神々として崇められています。大自然の恵みを知ることは、神々の恩恵を賜ることにも他ありません。

健やかで幸せな日々を過ごせるように、こうした古代の叡智を学び、大自然とともに生きることを努めたいと感じます。クリスマスの美しい季節、皆様の心にも清らかであたたかな光が灯りますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

2018年のエーカーダシー

大自然の移り変わりと密接に結びついたインドの暦の中に、エーカーダシーという吉日があります。ヴィシュヌ神に捧げられるエーカーダシーは、断食を通じて感覚器官を統制し、自己を清めるための吉日として知られ、この日は完全な断食、もしくは穀物を除いた果物などの食事が行われます。

月の満ち欠けのそれぞれ11日目にあたるこのエーカーダシーは、年間でおよそ24回訪れます。2018年のエーカーダシーについてご紹介いたします。

1月12日(金) シャッティラー・エーカーダシー
1月28日(日) ジャヤー・エーカーダシー、ビーシュマ・エーカーダシー
2月11日(日) ヴィジャヤー・エーカーダシー
2月26日(月) アーマラキー・エーカーダシー
3月13日(火) パーパモーチャニー・エーカーダシー
3月27日(火) カーマダー・エーカーダシー
4月12日(木) ヴァルティニー・エーカーダシー
4月26日(木) モーヒニー・エーカーダシー
5月11日(金) アパラー・エーカーダシー
5月25日(金) パドミニー・エーカーダシー
6月10日(日) パラマー・エーカーダシー
6月24日(日) ニルジャラ・エーカーダシー
7月9日(月) ヨーギニー・エーカーダシー
7月23日(月) デーヴァシャヤニー・エーカーダシー
8月8日(水) カーミカー・エーカーダシー
8月22日(水) シュラヴァナ・プトラダー・エーカーダシー
9月6日(木) アジャー・エーカーダシー
9月20日(木) パリヴァルティニー・エーカーダシー、パールシュヴァ・エーカーダシー
10月5日(金) インディラー・エーカーダシー
10月20日(土) パーパーンクシャー・エーカーダシー
11月3日(土) ラーマ・エーカーダシー
11月19日(月) プラボーディニー・エーカーダシー
12月3日(月) ウトパンナ・エーカーダシー
12月19日(水) モークシャダー・エーカーダシー、ヴァイクンタ・エーカーダシー

※それぞれのエーカーダシーの名称、日にちは地域や慣習によって異なる場合があります。

参照:http://www.drikpanchang.com/vrats/ekadashidates.html?year=2018

シャニ神の礼拝方法

人々に多くの試練を与える存在として知られるシャニ神(土星)は、真っ黒な姿をしています。一説に、スーリヤ神(太陽神)と結婚をしたサンジュニャーは、スーリヤ神の強すぎる熱に耐えられず、自分自身の影(チャーヤー)を残し、スーリヤ神のもとを離れました。この影であるチャーヤーとの間にできた子どもがシャニ神であるといわれます。また、チャーヤーはシヴァ神への強い信仰から、シャニ神を身ごもっている間にも厳しい苦行を続け、食事を怠ることもありました。この苦行が、シャニ神を真っ黒にしたといわれています。

そんなシャニ神を礼拝する際には、黒い服を着用し、黒いものを捧げることが勧められます。礼拝は土曜日に、神像やヤントラ、絵を用いて行います。

【礼拝の手順】
・身を清めた後、シャニ神の神像やヤントラ、絵の前に座ります。
・サンダルウッド・ペーストを、神像やヤントラ、絵に塗布します。
・お花を捧げます。
・お香を焚き、香りと煙を捧げます。
・蝋燭やオイルランプ等に灯りを灯します。
・供物を捧げます。
・シャニ神のマントラ「オーム シャム シャネーシュチャラーヤ ナマハ」を108回唱えます。
・マントラを唱えた後、心を穏やかにし、しばらくの間、瞑想を行います。

シャニ神を礼拝する際には、以下のような黒いものを供物として捧げることが勧められます。オイルはシャニ神に注ぎます。

・ウラド豆
・黒ゴマ
・マスタードオイル
・セサミオイル

シャニ神は、ハヌマーン神の帰依者にはいかなる悪影響ももたらさないと約束をしたことから、土曜日にハヌマーン神を礼拝することも勧められます。シャニ神とハヌマーン神の関係についての神話をこちらでご紹介しています。

スタッフ日記:第20回アンナダーナ終了しました!

第20回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。今回は病院にて、滞りなく無事に終えることができました。

病院では、5回目の実施となりました。北インドでもすっかり気温が下がり、朝晩は寒いくらいの気候です。今回のアンナダーナはいつも以上に大行列となり、2時間半ほどで、1000食分以上を配り終えることができました。日曜日の実施だったからかもしれませんが、食事を積んだトラックが到着するや否や、大勢の人が列を成し、配膳の人手も足りないほどでしたが、ご厚意で手伝ってくださる方がいたりと、無事に終えることができました。

この辺りでは、毎日複数のアンナダーナが行われているため、病院関係者だけでなく、ホームレスの方々や食事を得られないほど困窮している方々も集まるようです。これからはデリーあたりでも、朝晩は凍えるほどに冷えてきます。食事を満足に取ることができない毎日の中で、温かい食事を得られるということは、きっと大きな喜びになることと思います。

朝の準備。ジャガイモを洗ったりする冷たい水作業が大変な季節になりましたが、準備は滞りなく進みました。

今回は11時過ぎには配り始めることができました。配膳の準備をしている間にも大行列です。

前方のトラックの荷台に食事が積んであり、そのまま荷台で配ります。

スムーズに配ることができるよう、プレートを先に配り、並んでいただきます。

今回はいつもの写真係が配膳を手伝っていたため、別に手伝ってくださった方が写真を撮ってくださいました。

インドでさまざまな教えに触れる中で、その多くは、「あらゆるところに神を見よ。」という事実を伝えています。豊かな人でも、貧しい人でも、その中には神がいます。こうして食事を施す行いは、神へ食事を奉仕することにも変わりないのだと感じます。必要としている方々へ、少しでも喜びが授けられるように、これからもスタッフ一同努力していきたいと思います。

次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第2章第50節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


बाह्याभ्यन्तरस्तम्भवृत्तिर्देशकालसङ्ख्याभिः परिदृष्टो दीर्घसूक्ष्मः॥५०॥
Bāhyābhyantarastambhavṛttirdeśakālasaṅkhyābhiḥ paridṛṣṭo dīrghasūkṣmaḥ||50||
バーヒャービャンタラスタムバヴリッティルデーシャカーラサンキャービヒ パリドリシュトー ディールガスークシュマハ
外的と内的と停止の動きから成り、空間と時間と数によって見られ、長く精妙になる。

簡単な解説:前節において、座法が習得された後、あらい吸息と呼息の動きを断ち切ることが調気であると説かれ、調気法(プラーナヤーマ)について説かれ始めました。本節では、その調気法とは、外的な出息と、内的な入息と、停止する動きからなり、それは空間と時間と数によって測定され、長く精妙になると説かれます。

65歳を人生のピークにするのはいかがでしょうか?

皆さまは、心身の充実度から考えて、人生のピークは何歳くらいだと思われますか?
何に重きを置くかによって変わってくるかもしれませんが、充実度は体力の占める割合が大きく影響するため、おおむね20~40代と考える方が多いのではないでしょうか?
しかし、日本人の寿命はほどなく100歳時代にはいるとも言われています。
そう考えた時に、人生のピークは65歳くらいにもってくるのが、バランスとしては自然なのかもしれません。
これは根拠なく申し上げているわけではなく、今までヨーガなどに熟達した方々を見てきて、60代後半から70代がもっとも活動的だと感じたことに起因します。
もちろん、長寿になるとはいえ、肉体は年とともに衰えていくわけですから、身体を使う達人ならいざ知らず私たち普通の人間が65歳にピークをもってくるのは難しいかもしれません。
しかしマイペースなヨーガの実践を通じ健康を維持し、さらには、ルドラークシャなどの使用により、潜在的な病気などの改善をし、ヤントラの使用や、プージャーを利用し、生命の幸福を脅かす要素を取り除けば、大部分の方は、65歳以降にピークにもっていくことは不可能ではないかもしれません。
日本で一生を終える場合、ヒンドゥー教でいう四住期のような人生を送るのは難しいでしょう。
現在の社会情勢から見るに、70歳以降も労働にいそしまなければならないかもしれません。
しかし、65歳以降にピークをもってくることにより、林棲期や遊行期にあたる時間を、敬虔なインド人ヒンドゥー教徒に負けないくらい有 益に過ごそうではありませんか!

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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[ガネーシャ・ギリ 同行]最強厄除開運・インド縦断 – 女神と聖者とガンジス川から力を貰う旅

ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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111、歴史の理解力を高めることは、心身の健康に最適・最短の手法 (その1)

「人間は手足の生えたナマコ」である。

学生の頃から、友人の中で「歴史が好き」という人は、五人にひとりくらいだったような気がしますが、近年ではその割合はもっと減ったのではないかと危惧します。その一方で、TVではこの十年、歴史物語が多くなりましたから、歴史に対する思いを新たにした人が増えていて、五人に三人位に増えているのかも知れません。尤も、昭和30年代40年代のようには、「未来」を明るくはイメージ出来なくなって来た所為で、「非日常への逃避的感動」も含めての「歴史ロマン」に一時酔うだけでは何も残らない、何も変わらないかも知れませんが。

逆に、今も昔も「歴史は苦手・興味無い」という人が、半数以上いるのだとして。これは、ひとつに学校教育に於いて、歴史を如何につまらなく教えて来たか、というテーマでもあり、一方では「今に生きる」ということの意味を誤解・極解した、以前も述べました「イマジン病」の所為もあると思われます。「イマジン病」とは、「枝葉執着症候群」の典型的なもののひとつで、たいがい「常識・観念・流行依存症」「向い合い・振り返り・自壊困難症」そして「自意識過剰・自尊過剰が根底にある優劣過敏症」を伴い、重度の場合は「目先過集中・先急ぎ・死に急ぎ・やり過ごし病」となり、最悪の場合「本当の自分」は勿論「かりそめの自分」さえも見失い、外因に対する反応だけに流された「生ける屍」状態に陥ります。

しかし、これもまた、心身の基本的なシステムの異常~誤作動~崩壊方向でありますから、逆なタイプの自負心旺盛な人々が言うような「根性(精神性)問題」ではないのです。

ここは極めて重要なポイントです。

体に取込まれる「空気・水・食物」同様に、「言葉・文字・思い・感情」そして、「音楽・美術」つまり、古代ヴェーダの叡智が極めて重視した「マントラ:音・言葉(ことだま)・音楽」「ヤントラ:文字・象形・図形・オブジェ・美術」「タントラ・論理・思考・科学性・普遍性」に象徴されるものを「正しく消化・吸収・代謝出来ない状態」に近づいている場合に起る、或る種の「心と体がS..O.S.を発している」状態であると言えます。

「正しい消化・吸収・代謝」は、「対峙する二つの要素のバランス」と「滞らないこと」が最優先課題であることもまた言う迄もないことですが、体に関しては、「Detox」ばかり励み、心に関しては「拒絶とスルー」ばかりですが、これでは全く意味も効果も為さないばかりか、むしろ「本来のデフォルトの機能を脆弱にし、やがては破壊する」と言っても過言ではありません。しかし、世界的規模で、そのような状態の人間が増え、その結果、「悪因=犯人探しと排除」のヒステリックな状態に急速に進んでいるのは事実です。それは国際情勢の問題ではなく、国の社会情勢でもなく、個々の人間の「心身の偏った状態」に起因していることは言う迄もありません。

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生命体は或る種の「筒」である
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ヴェーダの叡智は、人間を或る種の「筒」と考えます。ご存知の方も多いと思われます「Taittiriya-Upanishad」などが説いた「Kosha(鞘)論」です。これを「鞘」と訳した方が何処の何方なのか? 当たっているようでいて、ピンと来ないものも禁じ得ません。

いずれにしてもその基本に、ヨガでも、アーユルヴェーダでも、そして「Shastriya-Sangit(科学音楽)」でも説いていることですが、「Nada(Purana/気)」が正しく滞らずに流れる、栄養・酵素・リンパ・ホルモン・神経伝達物質などが行き交う無数とも思える「管」のあつまりが「生命体」であり、様々な臓器は言わばChakra同様の「節(ジャンクション・分岐点)」であるという考え方の有無が極めて重要です。でなくては「鞘がある」「ふーん、そうなのか」では、何の役にも立たないからです。

この考え方では、この私も含め人間という生き物は、ところどころがささやかに進化(?)しただけの「ナマコ」に過ぎないとも言える訳です。

言い換えれば、その「ささやかな進化(手足や五感や思考力)」が正しく機能せず、成長・向上と活用がないのであるならば、「ナマコにも劣る」「ナマコの方が遥かに偉い」とも言える訳です。

更に言い換えれば、むしろ「ナマコ」に成れれば、この世知辛い世の中、海の底でじっとしてやり過ごせれて楽なのでしょう。(私のキューバ歌謡の十八番に、ナマコではなく海老ですが、そんな想いを歌ったPachangaがあります)

しかし残念ながら、正しい手段があったとして、それによって、人間としての五感・手足・思考などを正しく削ぎ落として捨てない限りに、「正しい(健康な)ナマコ」にはなれません。(或る意味。勿論良い意味で「悟り」「梵我一如」は、「正しくナマコになること」なのかも知れませんが)

即ち、「ナマコに無い(余分な)機能」を、「正しく停止させる」「正しく捨てる」方法でもない限りには、それは「壊れた機械を更に壊した」に過ぎないということです。

つまり「瞑想」にしても「悟り・梵我一如」にしても、今更どうしようもなく備わっている私たちの「様々な機能=多数の機械」が、新品同様で良く動作し、良く働き、活用されている状態で電源をオフにしたような状態でなくては、「壊れた機械だらけの崩壊寸前の工場」が遂に「息の根を止めた」状態と同じである、ということです。

論法は唐突のようですが、「歴史を面白く理解する力」を育て鍛えるということは、錆び付き焼き付いた機械をメンテナンスするには、実に効果的な手法のひとつなのです。よって、今回の名題「歴史の理解力を高めることは、心身の健康に最適・最速の手法」ということになるのです。

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Kosha論の正しい解釈
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今回の二つの円で表した図の左が、Pancha-Kosha(5層の鞘)を新たなスタイルで説明したもので、右は、かつてこの連載で説きました、5つの意識と存在(形而上的なものも含む)の図です。(宇宙の意識の象徴であるPurshaは図の円には描かれていません。

おそらく多くの方が、以前ご紹介した私の右図の構造を理解して下さったと思います。しかし、その感覚で「Pancha-Kosha」を理解してしまうと、今回の左図のようになってしまう筈なのです。実際、インドでも日本でも、「Annamaya-Kosha」「Pranamaya-Kosha」「Manomaya-Kosha」「Vijnanamaya-Kosha」「Anandamaya-Kosha」の順に「奥へ」「内面へ」と説いています。

勿論これ自体は紛れもない事実であり、或る意味今回の左図は、「心を閉ざす」とか「殻をまとった」などと言われる姿をも表しているとも言えます。

同様に、「常識や価値観や観念」などや、「共感・気分的(非思考的・非論理的)解釈」そして「動物的(とは言っても不自然な)直感頼りの反応と敏感さ」などに依存してこの世の中をどうにか生き延びようとしている状態をも「堅い殻に隠った・守られた」ということが出来ます。つまり「愛想が良いだけ」の人は少なくなくとも、本当の意味で「心がオープン」という人は、そうそう居ない。ということです。

また、この左図のような構造のままで、外側が「防御の堅い殻」では、「必要なもの」も心や魂には届きません。

尤も、現代人の多くが外堀の「気分・感情(本来は悟性と叡智満ちた知性と感性)=Manomaya-Kosha 」内堀の「価値観や観念(本来は思考・論理)=Vijnanamaya-Kosha」が脆弱になっていますから、外的要因の数々は、ほぼダイレクトに心に影響を与え、心は最早ずたずたなのかも知れませんが。       (つづく)

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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太陽と共に生きること

古代より、世界の各地で信仰の中心にあった太陽。そんな太陽を礼拝する大切な時の一つが、マカラ・サンクラーンティです。マカラ・サンクラーンティを過ぎると、太陽は北半球を回り始めるといわれ、少しずつ日脚が伸びていきます。冬から春へ、闇から光へ、その移り変わりの中に、大自然が生み出す神妙な均衡と調和を見るようです。

万物に多くの恵みを与える太陽は、ヒンドゥー教においてスーリヤ神として崇められ、数多くの神話が伝えられます。そんな中で、スーリヤ神はかつて、その熱さに耐えられなかった妻に去られ、炎が削り取られてしまったという神話が伝わります。

スーリヤ神が結婚をしたのは、創造神であるヴィシュヴァカルマンの娘、サンジュニャーでした。しかし、サンジュニャーはスーリヤ神の熱に耐えられず、チャーヤーと呼ばれる影を残して立ち去ってしまいます。すると、ヴィシュヴァカルマンがスーリヤ神の炎を削り取り、熱を下げたのだといわれます。

スーリヤ神とサンジュニャーの神話に見られるように、人々は太古の昔から、大自然の陰と陽が生み出す世界の均衡と調和を美しく崇めてきました。そのエネルギーを人間の内なる世界に見出した古代の賢者たちは、人類の幸福や健康のためにさまざまな術を伝え、現代のヨーガでも、その神秘が多く受け継がれています。

例えば、スーリヤ・ベーダナとチャンドラ・ベーダナと呼ばれる呼吸法があります。スーリヤ・ベーダナでは、右の鼻孔から息を吸い、左の鼻孔から息を吐き出します。一方で、チャンドラ・ベーダナでは左の鼻孔から息を吸い、右の鼻孔から息を吐き出します。スーリヤ・ベーダナは脳を刺激し身体を温める一方で、チャンドラ・ベーダナは脳を沈静し身体を冷やすといわれます。

毎朝、世界に光をもたらす太陽のエネルギーは、私たちの内なる世界でも輝いています。太陽を礼拝する重要なマカラ・サンクラーンティにおいて、そのエネルギーと向き合って見るのも良いかもしれません。大自然が図る均衡と調和の中で、その行いは、私たちに健康と幸福を授けてくれることと思います。

(文章:ひるま)