ガネーシャ神とネズミ

子年となる新たな一年が始まりました。
ネズミといえば、インドではガネーシャ神のヴァーハナ(乗り物)として崇められる存在です。
ガネーシャ神がネズミを乗り物とするようになった理由には、いくつかの神話が伝わります。
その一つに、ガンダルヴァと呼ばれる天上の音楽師、クラウンチャにまつわる神話があります。

ある時、クラウンチャは聖仙であるヴァーマデーヴァの足を誤って踏んでしまうと、呪いをかけられ、ネズミの姿にされてしまいました。
ネズミの姿となったクラウンチャは音楽師としての役割を忘れ、ネズミの旺盛な食欲を象徴するように巨大化し、進む道にあるすべてを破壊し始めます。
すると、ガネーシャ神が手にしていた縄でクラウンチャを縛り、その動きを制御しました。
後に許しを得たクラウンチャは、ガネーシャ神を運ぶ力として、その乗り物になったと伝えられます。

巨大化し進む道にあるすべてを破壊するクラウンチャの姿は、限りなく肥大していく欲望に比例するように大きくなる苦難の中で、右往左往する私たちに重なります。
事実、ネズミの強い繁殖力や旺盛な食欲は、人間の飽くなき欲望に例えられてきました。

世界が眠りにつく夜の暗闇の中で穀物を食い荒らすネズミは、農耕が生活の中心であった古代の人々にとっては、脅威の存在であったともいわれます。
そんなネズミが神の操る乗り物となったように、その存在を制御する天恩は、切に願われるものであったのかもしれません。

ガネーシャ神がクラウンチャを縛った縄は「パーシャ」と呼ばれ、物質世界に溺れることがないよう、私たちを引っ張る縄と信じられてきました。
パーシャは、個人を束縛する不純物としての意味もあり、それは、アーナヴァ(無知)、カルマ(行為)、マーヤー(幻力)の3種類とされます。
ガネーシャ神は手にする縄でこうした不純物を縛り付け、私たちを正しい道に導くと伝えられます。

欲望に突き動かされる私たちは、本質を忘れ、無知の暗闇の中でもがき苦しむことが少なくありません。
ガネーシャ神を礼拝する時、英知の神としてのガネーシャ神のエネルギーが私たちの内に呼び覚まされます。
その英知のエネルギーは、巨大化する欲望を制御し、正しい道を歩むための力になるはずです。

この一年の始まりに、ガネーシャ神を運ぶネズミの存在と向き合いながら、自分自身の歩みを確かめたいと感じます。
皆様にとって、この一年が光に満ちた年となりますように、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)