聖典よりルドラークシャについての記述

ルドラークシャ(金剛菩提樹)については、多くの聖典によってその功徳が語られています。今回は、その中のひとつ、「シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム」から、ルドラークシャの数珠についての部分を紹介させて頂きます。
『シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム
第十一巻第五章
p. 1067 ルドラークシャの数珠について
1-14. イーシュヴァラは言った。
「カールッティケーヤよ。ここで、数珠をもちいてジャパム(マントラの復唱)を数える方法について述べよう。よく聞きなさい。ルドラークシャの中面はブラフマー、上部はシヴァ、そして下部はヴィシュヌである。ルドラークシャには二面の力がある。それは、モークシャ(解脱)のみならずボーガ(楽しみ)を与えるということだ。そして、刺々しく、赤く、白い、色の入り交じった五面のルドラークシャの実を、牛の尾のように、蛇が蜷局(とぐろ)を捲くように、二十五個結びなさい。数珠は、牛の尾のように、先端ほど細くなるようにすべきだ。数珠に実を結ぶに当たっては、ルドラークシャの平面(上面)が他の平面(上面)と向き合うように結んでいく。従って、一方の尾部(下部)が、もう一方の尾部(下部)あるいは細い端と向き合うことになる。メール(親玉、グル玉)は、ビーズの上面が上(外)を向くように繋ぎ、そこには飾り房をつけるべきである。このように結ばれた数珠は、マントラの成功をもたらす(マントラ・シッディ)。数珠が結ばれたとき、清涼な香水、パンチャガヴィヤ(牛の糞、牛の尿、カード、ミルク、ギーを混ぜたもの)に浸す。そして、聖水で洗い、濃密なマントラで浄める。シヴァ(六肢)のマントラ「フーム(Hum)」を唱え、数珠を収集する。それから「サディヨージャータ」などのシヴァのマントラを唱え、数珠の上に百八回聖水を振り注ぐ。そして主なるマントラを唱え、神聖な場所に配置し、それらにニャーサ(偉大な神シヴァと宇宙の母バガヴァティーを念想する)を行う。そうして、数珠のサムスカーラ(浄化)を行うことで、願望が成就されたことに気がつくだろう。所望の神々のマントラとともに、数珠を礼拝しなさい。ルドラークシャの数珠を頭、首、耳に身につけ、自制し、数珠をもちいてジャパム(マントラの復唱)を行うべきである。首、頭、胸、あるいは耳、腕に、偉大な帰依心をもって数珠を身につけるべきである。その効能については、何度繰り返す必要があろうか。それは非常な功徳があり、ルドラークシャを常に所有することは称賛に値する。
p. 1068
入浴しているとき、贈り物を作るとき、ジャパムを行うとき、ホーマを捧げるとき、ヴィシュヴェー・デーヴァに犠牲を捧げるとき、デーヴァのプージャーを行うとき、プラーヤスチッタム(苦行)を行うとき、儀式を行うとき、ルドラークシャを所有することは必須である。ルドラークシャを身につけずに、ヴェーダの儀式を行うブラーフミンは、地獄へ堕ちるだろう。注意しなさい。それはシヴァへ侮辱を捧げていることになる。
15-29.
金や宝石と一緒に、真のルドラークシャを、頭、首、または腕にもちいるがよい。その他の部分には決して使用してはならない。ルドラークシャは常に帰依心とともに使用しなさい。決して不純な時に使用してはならない。ルドラークシャの木に触れる草でさえ、永遠に天国へ行くことができる。シュルティ(天啓経典)において、ジャーバーラ・ムニは述べている。
ルドラークシャを身につけている人が罪を犯すならば、彼はその罪から救済されよう。動物でさえ、ルドラークシャを所有するものはシヴァとなる。人間ならば、なおさらのこと!
シュリー・ルドラ(シヴァ神)の帰依者は、頭に少なくとも一つのルドラークシャを着けるべきである。ルドラークシャを身につけるこのような偉大な帰依者は、最高位の名誉を得、あらゆる種類の罪と痛みから解放される。ルドラークシャで飾られた帰依者は、最高の帰依者である。幸福を望む人々は、ルドラークシャを身につけるべきである。耳、頭頂、首、手、胸にルドラークシャを身につける者は、ヴィブーティ(顕現、力)として、ブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュヴァラ(シヴァ)に達する。デーヴァ、そしてゴートラ(家族)、アーディプルサス(親族の長)のすべてのリシたちは、敬意をもってルドラークシャを所有した。彼らの子孫にあたるすべてのムニ(修行者)たち、ダルマに従う者、純粋な魂の持ち主は、ルドラークシャを所有した。多くは、このヴェーダにもよく記された、明かな解脱の享受物を所有したいと思わないかもしれないが、多数の転生を繰り返し、マハーデーヴァの恩寵のために、大部分はルドラークシャを所有したいと欲するようになる。ジャーバーラ・サーキーのムニたちは、ルドラークシャの計り知れない偉大さについて、詳しく述べることで有名である。
ルドラークシャを所有することの効果は、三界によく知れ渡っている。プニャム(偉大な功徳)は、ルドラークシャを一瞥するだけで生じる。それに触れることで、一千万倍の功徳が生じる。それを身に着けることで、十億倍の功徳が生じる。そして、それをもちいて毎日ジャパム(マントラの復唱)を行うことで、十億倍のさらに一千万倍の功徳が生じる。これに関しては、疑問の余地がない。
p. 1069
30-36. 手、胸、首、耳、頭にルドラークシャを身につける者は、ルドラの御姿となる。これについて、疑問の余地はない。ルドラークシャを所有することによって、全生物の中の不死者と化し、デーヴァとアスラたちに、マハーデーヴァのように尊敬され、そして、ルドラのように地上を徘徊するのだ。常習的に邪悪な行いを為し、あらゆる種類の罪を犯す人でさえも、ルドラークシャを所有することによって、すべてから尊敬される。これによって、過去の罪、そしてあらゆる種類の罪から解放される。もしあなたが、ルドラークシャの数珠を犬の首にかけ、その状態で犬が死ぬならば、犬は解脱へと達するのだ。人間については、なおさらのことである。ジャパム(マントラの復唱)やディヤーナム(瞑想)を欠いていても、ルドラークシャを所有することによって、すべての罪から解放され、最高の境地へと達する。マントラ・シャクティで浄化され、祈念の込められたたった一つのルドラークシャの実を所有するだけでも、彼は二十一世代にわたり高揚し、天界に達し、そこで尊敬を受け暮らす。ここで、ルドラークシャの偉大さについて、さらに話をすすめよう。
※ここで、マハールシ・ヴェーダ・ヴィヤーサによる一万八千詩節のマハー・プラーナム・シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム第十一巻第五章、ルドラークシャの数珠についてを終わる。』
ここで紹介されている数珠は、ルドラークシャの頭と頭が向き合うように数珠をつなぐといいと言われています。しかしこれは、ルドラークシャ・カンタ・マーラー(5面、32+1ビーズ)などのネパール産ルドラークシャの数珠は、注意して見ると、実際にそのようにつながれているのが分かります。
また、牛の尻尾のように先端に行くほど細くなる数珠の一例としては、インドラ・マーラーなどがあげられると思います。
聖典の中でも、ルドラークシャの記載はバラエティーに富んでいて、とても興味深いですね。
参照:
http://www.sacred-texts.com/hin/db/bk11ch05.htm

  1. 「ルドラークシャの数珠を犬の首にかけ、その状態で犬が死ぬならば、犬は解脱へと達するのだ」という箇所はルドラークシャの恵みの偉大さを強調するくだりなのでしょうが、身に付ける人のヴァルナの違いや、人種−私たち日本人についてはどうなのでしょうか?これらヒンドゥーの聖典の世界観では、非ヒンドゥー教徒については、最初から除外視されているというようなことはないのでしょうか?ルドラークシャの恵みはそれを正しく理解して身に付ける全ての人に及ぶことを願いたいものです。

  2. 聖典では、むしろ、信仰心をもたないものでも、ルドラークシャを身につける者は罪が浄められるとも述べられています。インドでも、かつては、ルドラークシャはある限定された人々しか身につけることができないと言われた時代があったようですが、現在では、信仰、人種、性別等問わず、誰でも身につけることができると言われています。

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