203、アーユルヴェーダ音楽療法入門65 (今、なぜスピリチュアルか?-4-)

「アニミズムに立ち戻って考えてみよう」
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そもそも「スピリチュアル」という言葉の意味は? そう問われても、実のところ曖昧な返答しか出来ない人が多い。つまりは、そもそも論理的な概念は構築されていないのです。
しかし、人間文化史の中では、既に紀元前から存在したことは明らかで、アニミズム信仰が宗教に取って代わられる頃(インドの場合は世界的にみてもこの変遷の構造がかなり違いますが)、「宗教的理念・道徳・死生観と人生観」がメイン・カルチャーの地位を確固たるものにしたのに対抗して、スピリチュアルは、常にサブ・カルチャー的に、しばしばアンチテーゼとして存在し続けました。例えば、キリスト教が旧約聖書の信仰を取り込んで新たに新約聖書を創作して社会と文化の中心の権力を得ようとした時代、旧約聖書を堅持したい人々(ユダヤ教に限らず)や、アカラサマなアンチテーゼの性格が強い悪魔教や、グノーシス派などが台頭したのも、この構図の典型例と言えます。
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その後、中世後期には、キリスト教自体が分裂、多様化したため「メインとサブの二極構造」が分かりにくくなったことで、アンチテーゼ的な存在感を持つ思想・信仰は比較的終息していました。しかし、近代になると再び、「神智学」「人智学」などが、哲学の衰退と入れ替わるようにして民間の信心を集め始めます。
同じ構造は、日本の仏教でも見られましたが。仏教の場合、当初から多様化していたため、やはり「メインとサブの二極構造」が分かりにくい状況でした。
分かり易く言うと、キリスト教社会の場合、キリスト教の善悪観念・理念・道徳観では、どうにも説明し切れない矛盾や不条理を納得せんが為に、全く逆の価値観にその答えを求めたのです。現代人の「無信仰」や、イスラム教(の中の過激で多分に歪んだ)原理主義教団に欧米人の若者が憧れたりするのも、全体を俯瞰すれば、同じ心理の表れと考えることが出来ます。
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日本の場合は、1990年代に、多くの新興宗教が生まれ、若者の入信が盛んになりましたが、幾つかの教団が反社会的な事件を起こしたことで、「何となくの嗜好」程度のレベル、「個人的な興味・好奇心」のレベルであれば「文句は言わせない」ような感じで収まっています。しかし、逆に言うと、その正当性や、真実、誠意というものは問われないまま。その意味では、本当に人間を救うこともなければ、社会も救えない訳です。
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言葉で読み書きする程簡単なことではありませんが、一旦「アニミズム」の視座に立ってみて、考えて欲しいと思います。

簡単に言えば「もの皆神(や精霊や魂)が宿っている」ということと、「一人ひとりの人間の中にも宿っている」ということ。そして「森羅万象=身の回りの全ての事柄・存在・出来事=大自然=地球全体=宇宙、というものの俯瞰。その一部としての人間世界。その僅かな微細な存在としての個々の人間」というサイズ感を抱いて生活し生きる、という感覚です。
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この感覚に立って世の中を見渡しますと、如何に強烈に「人間本位の世界観」が成り立ち、何千年もの間、殆ど疑われることなく、まかり通って来たことに驚愕することでしょう。

例えば、最近になって世界中で慌てて「地球温暖化問題」が問われているように。例えば、同じように「自然保護」「動物愛護・絶滅危惧種の保護」などが語られているように。

人間は、その歴史の殆どの時期、「自然や生き物」のことや「目に見えないもの」「科学がまだ解明していないものごと」について、殆ど考えもしなければ、向かい合いもしなかった、ということです。
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スピリチュアルなことに興味関心がある人のみならず、インド文化やアーユルヴェーダに関心がある人の中にも、人間本位の世界観にさほど疑問を持たない人は少なくありません。「間違っている」とか、「何が正しいか」とかいうテーマで申し上げたいのでは決してありません。重要なテーマは、「スピリチュアルは信仰なのか?」それとも「生き方・価値観なのか?」「単なるファッションなのか?」ということや、「生き方・価値観・信仰」であったとしても、「アニミズムの要素と宗教の要素はどうなっているのか?」というテーマです。
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例えば、キリスト教の場合、「人間以外の生き物」について、さほど関心や慈愛を抱いている様子は見受けられません。私には敬虔なクリスチャンの友人が沢山いますし、そもそも私の母方の家系は、明治維新のころからクリスチャンで、祖母は教会のオルガン(ハーモニウム)弾きでした。なので、「決め付け・印象論」で申しているのではありません。
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私が昆虫飼育にハマっていた頃(元々は小学生時代ですが2000年代初頭に再発しました)。房総半島の先端の村で集団生活をする、アメリカ人宣教師の友人たちの小さな共同社会にホームステイしました。彼らの賛美歌CDに民族楽器の音を提供しつつ、昆虫採集に明け暮れたのです。
面白かったのが、町の道ですれ違うアメリカ人ごとで、挨拶の言葉が違うのです。「おはよう!どうだい!?Beetle(カブトムシ)は採れたかい?」と声を掛けてくれる人もあれば。「おはよう!どうだい!?Insect(昆虫)は採れたかい?」と言った人。「おはよう!どうだい!?Bug(虫けら)は採れたかい?」と言った人。と様々なのです。無論、言った人はいずれも優しく、私に親愛の気持ちを抱きながら、良い意味で言っているのですが、「Beetle、Insect、Bug」と、ご自分が、如何に無意識に(如何に段階的に)昆虫を卑下しているか、について気づいていないのです。
そして、
残念ながら、
「おはよう!どうだい!?お友達は見つかったかい?」と言った人はいませんでした。

つまり、一切の悪気もなく。人それぞれで、人間以外の生き物に対する意識が全く違う。ということはキリスト教の教えでは、「生き物のに対する基本的観念を教えていない」ということに他ならないのです。
これは仏教もほぼしかりです。ところが、アニミズムの場合は、「もの皆神(精霊)が宿る」ですから、かなり身近に感じている。アニミズム性が強かった日本の神道系の信仰も(本来は)しかりです。
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そして、インドのブラフマン教~ヒンドゥー教もまた、基本に強いアニミズム性がありますから、サラスワティー女神が「白鳥に乗り」「孔雀をお供にし」。ガネーシャ神が「ネズミをお供にし」。ドゥルガー女神が「ライオン(虎)に乗り」。シヴァ神が「生きた毒蛇をネックレスにし」。ヴィシュヌ神が「多頭の蛇をお供にし」。ラクシュミ女神が「象をお供にし」。そもそもガネーシャ神は、象頭ですし、ラーマ王子の側近ハヌマーンは猿。ガルーダは鳥。と「生き物だらけ」です。

この感覚は、仏教にも受け継がれ、中国、日本でも様々な動物がお供として描かれますが、大概は一種一頭がせいぜい。その感覚から見るとインドは異様です。
それでもインド~中国~日本と伝わった釈迦涅槃図には、昆虫から蛇、蟹迄が描かれています。
そもそも仏教の重要な教えのひとつ「衆生済度」の「衆生」は、人間以外の生き物を含んでいるのですが、そのニュアンスが「人間を含む全ての生き物」が本来だったのが「人間以外の生き物を含む」に変わった辺りでかなり本質が失われた感が否めません。

一方チベット仏教では、ブラッド・ピット主演の「チベットの七日間」という実話を基にした映画では、映画関係者であるピットが演じた遭難した登山家が、チベットに映画館を造らんとするが、工事が何度も中断する。それは、地面を掘る度に「ミミズ様が出た」と作業が中止になるから。という場面がありました。
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このように、理屈で言えば、本来「インド系スピリチュアル」に造詣、関係が深い人々は、いずれも「自然保護、動物愛護」に理解、関心が強く、その必然性、重要性を深く想っているはずなのです。

また、2011年の東日本大震災以降、様々な懸念・気配が一気に現実化し、年々その規模は広がる一方で、より深刻になっていると誰もが分かり始めて来ています。

しかしながら、相変わらず「枝葉執着」、自分たちの身の回りの安寧を願うばかりで「樹を見て森を見ない」。今こそ、スピリチュアルに理解がある人々が、論理的に地球・世界・社会を俯瞰して、精神的な活動を始めて貰いたいものです。

図:サラスワティー女神
意外に、白鳥(ハンス)を乗りもの(ヴァーハナ)としているポスターは少ないみたいです。すると「お供」が白鳥と孔雀の「どっち?」となってしまい、最近では、一方のみ描かれることが多いようです。

サラスヴァティー・ポスター
https://sitarama.jp/?mode=cate&cbid=58553&csid=18

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(文章:若林 忠宏

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