聖典より:ルドラークシャ・ビーズの栄光について

ルドラークシャ(金剛菩提樹)については、多くの聖典によってその功徳が語られていますが、「シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム」から、ルドラークシャ・ビーズの栄光についての部分を紹介させていただきます。

シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム
第十一巻第三章
ルドラークシャ・ビーズの栄光について
p.1063
……ジャパムを行う為の準備として、次に行うべきことは、灰を眉間につけ、ルドラークシャ・ビーズを身につけることだ。32個のルドラークシャ・ビーズを首に、40個を頭に、6個を各耳に(両耳で12個)、24個を両手に(各手に12個)、32個を両腕に(各腕に16個)、各目に1個を、頭頂に1個を、胸に108個のビーズ(合計251個)を身につける者は、マハー・デーヴァそのものとなる。ルドラークシャは、こうして使われるべきだ。ムニ(人間)よ!あなたはルドラークシャ数個を金や銀の紐で結びつけ、それを一房の髪や耳に着けてもよい。シヴァ神の5文字のマントラやプラナヴァ(オーム)を信心込めて唱えた後、聖紐に、手に、首に、腹にルドラークシャを身につけることができる。ルドラークシャを手にすることは、シヴァ・タットヴァ(シヴァの真理)の知識を覚ることを意味する。ブラフマンよ!頭頂に置かれたルドラークシャ・ビーズは、ターラ・タットヴァ(オーム・カーラ)を意味する。両耳につけられたルドラークシャ・ビーズは、デーヴァとデーヴィーとみなされる。
22-37.
聖紐で繋がれた108個のルドラークシャ・ビーズは、108のヴェーダとみなされる(月の16の相が完成するように、完全な知識を意味する)。腕にあるものは、ディック(4分の1)とみなされる。首にあるものは、サラスヴァティーとアグニ(火の神)とみなされる。ルドラークシャ・ビーズは、あらゆる人種やカースト層によって身につけられるべきである。ブラーフマナ、クシャトリヤ、ヴァイシャは、(意識的に)マントラによって浄められた後身につけるべきだ。スードラは、マントラによる浄化をせずとも(知らずして)身につけることができる。ルドラークシャ・ビーズを所有あるいは身につけることにより、人は完全にルドラの化身となる。これには疑いの余地はない。見ること、聞くこと、考えること、嗅ぐこと、肉などを食べること、支離滅裂な会話、禁忌行為を行うことなどによって生じるすべての罪は、身につけたルドラークシャ・ビーズによって完全に浄められる。いわば、食べたり、飲んだり、嗅いだりするどのような行為であろうと、それはルドラ・デーヴァ自身によって行われるものとされる。偉大なムニよ!
p.1064
ルドラークシャ・ビーズを所有したり身につけることを恥じる者は、最高の生を受けても、このサムサーラ(輪廻)の世界から逃れることはできない。人の所有するルドラークシャ・ビーズを蔑む者は、彼の誕生に欠点を残すことになる。これについて疑いの余地はない。ブラフマーがブラフマーの境地を穢れなく維持し、ムニが真理の心に明るいのは、ルドラークシャ・ビーズを所有することによるものである。従って、ルドラークシャ・ビーズを所有することほど高貴で秀でた行為はない。ルドラークシャ・ビーズを手に持ち、人に衣類や食物を配る者は、すべての罪から自由になり、シヴァ・ローカ(シヴァの世界)へ行くことができる。ブラーフマナが篤い信仰心とともに、ネックレスや金でルドラークシャ・ビーズを所有するならば、ルドラの境地に達する。賢い者よ!信仰心や誠意を持とうと持たなかろうと、マントラを唱えようと唱えなかろうと、誰でも、如何なる時もルドラークシャ・ビーズを所有するものはすべての罪から浄められ、タットヴァジニャーナ(真理の知識)を獲得する。私はルドラークシャ・ビーズの偉大なすべてを述べることはできない。事実、すべての者は、あらゆる手段によって、ルドラークシャ・ビーズを身につけるべきである。
ここで、マハールシ・ヴェーダ・ヴィヤーサによる一万八千詩節のマハー・プラーナム・シュリーマド・デーヴィー・バーガヴァタム第十一巻第三章、ルドラークシャ・ビーズの栄光についてを終わる。

ところで、今日はお釈迦様の誕生日にあたる花祭り(灌仏会)の日です。
インドでは、昨日7日(地域によっては6日)から、ドゥルガー・ラクシュミー・
サラスワティー女神をお祝いするナヴァラートリー祭が行われています。
新年度に入って、何かと忙しい時期でもありますが、心新たによい日々を
お過ごしください。
出典:
http://www.sacred-texts.com/hin/db/bk11ch03.htm