クベーラ神が灯す光

太陽と月の光がもっとも明るくなる時といわれるアクシャヤ・トリティーヤーは、一年の大吉日とされる時です。
このアクシャヤ・トリティーヤーにおいては、価値あるものを購入しようと、金や銀を求める人々でマーケットはひしめきます。
ラクシュミー女神とともに、財宝の神として崇められるクベーラ神へ、盛大な祈りが捧げられることも少なくありません。

仏教では毘沙門天、多聞天として知られるクベーラ神には、ダナパティ(財宝の主)、イッチャーヴァス(望みの財産を得る者)などの別名があります。
クベーラ神が財宝の神として崇められるようになった理由には、さまざまな神話が伝わります。
シヴァ・プラーナにおいては、クベーラ神の前世はグンニディと呼ばれる、すべての財産を失った貧民であったとされています。

グンニディは非常に貧しく、空腹に飢えるほどでした。
ある夜、シヴァ神の寺院を見つけると、中に入り、捧げられた供物を盗もうとします。
暗闇で何も見えなかったグンニディは、寺院にあったランプに灯りを灯しました。
しかし、強い風が吹き、灯りはすぐに消えてしまいます。

何度も灯りを灯そうとするも、風が強く、灯りはすぐに吹き消されてしまいました。
すると、グンニディは自らの服を脱ぎ、その服に火をつけます。
服についた火は大きな灯りとなって、寺院を明るく照らしました。
その行為にシヴァ神は心を打たれ、来世において財宝の神として崇められる地位をグンニディに与えたといわれます。

私たちは、何も見えない暗闇に、恐怖を感じることが多くあります。
そこでは、不安に苛まれたり、疑いを抱いたり、さまざまな否定的な感情が湧き出てくることが少なくありません。
その感情に突き動かされ、道を踏み外してしまうことも往々にあります。

古来より、世界の各地で光の価値が説かれてきたように、日々の中で消えそうな光を、私たちはどんな時も灯し続ける必要があります。
そこで得られる確かな安心や信頼は、人生を豊かに歩むための強さとなり、その強さを手にした歩みの中では、何よりも大きな財宝が祝福されるに違いありません。

太陽と月の光がもっとも明るくなるといわれるアクシャヤ・トリティーヤーに、光を灯す行為を通じて、その意味をしっかりと見つめ直したいと感じます。
この世界に常に光があるように、心よお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)