若林忠宏:論理とスピリチュアル:新連載 Vol.1 クリシュナの言葉に学ぶ・現代人はどう生きるべきか ①

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ご無沙汰しております。
昨年末から年始に掛けての、人生初の重度の気管支炎の後、パンデミックで、演奏活動・教室が大打撃を受け、連載コラムの長いお休みを頂いてしまいました。今も変わらぬ厳しさですが、人生のラスト・スパート、起死回生の意欲で峠を乗り越えんと奮起いたしました。
この間、シーターラーマ社長様には、言葉で書き切れない励ましを頂きました。また、私の連載記事の読者さんからfacebook-friendさんになって下さった方にも大変励まされました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
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新連載に際しまして、読者のみなさまにお許しを請います。旧連載のシリーズの多くが中途であることを一旦お許し頂き、新連載では、今までお話した様々な論理を応用して、パンデミックの時代の人々により具体的に励ましとなるようなテーマを、ご提供させていただきたいという我がままです。
何卒、よろしくお願い致します。
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私たちは、バガヴァド・ギータで文字化されたクリシュナの教えから、人間が、数千年も前から外の敵と内なる敵との対峙を余儀なくされていたことを思い知らされます。バガヴァド・ギータを「古代の戦記」と読むのは容易ですが、だとすると、登場人物と要衝の地名があまりにも複雑ですし、数千年もの間、あまたの聖者が哲学として学んで来た理由も分かりにくくなります。そもそも「人間の生まれてから死ぬまで」に深く関わるヴィシュヌ神の化身の中で、最も人間に寄り添ったクリシュナの示唆が、軍人・武士階級の為だけであろうはずもないことです。そもそも、或る意味世捨て人でもある聖人聖者にとって、或る意味、人間と社会の最も醜い欲深い行為の最たるものである「戦争」が、重要な教本になろう筈もありません。つまり、バガヴァド・ギータの全ての文言は、極めて広く、深い世界観・生命観を戦記に擬えて隠したものに他ならないのです。

※ 尚、新連載のバガヴァド・ギータの文言は、数ある紹介の中でも最もご誠実で丁寧で分かり易く説かれたとお奨めする、シーターラーマさんブログから引用させていただきますので、文言それぞれの詳しい解説は、公式サイトのブログで学んで下さい。
(本連載では、一部、著者の要約に代えさせていただいておりますことをご了承ください。)
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バガヴァッド・ギーター第3章第34節(1)
各感覚器官には、対象に対する愛執と憎悪が定められているが、
人間はその両者に支配されてはならない。なぜなら、それらは彼の敵であるから。

この一節の中で、最も示唆に富むものは、「彼」という語です。
文脈を単純に読めば、「彼」は、文中に在る「人間」に他なりません。
本稿でも、素直にそう仮定して話を先に進めますが、一旦、確認をしましょう。

この一節が語られる為には、それ以前に「あらゆる人間それぞれには、様々なインドリアがあり、それらは内面と外面の膨大な対象からの刺激を受けている」ということが、語り手と聞き手の間で共有されている筈です。 つまりは、この一節は、極めて平凡(平均的な)人間の、ごく日常的な「反応」に対して述べているということです。従って、「凡我一如・不二一元論」も、「チャクラ論」も「クンダリーニ論」も、ここでは「論外」となります。
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しかしながら、平凡な人間にとっての「愛着」および「憎悪」の観念は、極めてあいまいで、人それぞれです。それを最も一般的な解釈で、本節を読んでしまって、下記のように、あえて最も俗な表現で記しますと。

「人間は、あらゆる物事に対して、好きか嫌いかで反応するが、それら双方こそが、人間を苦しめる大敵なのである」

という話になってしまいます。
実際、ヴェーダに対して大いに反発的に発展したとしても、逆に、ヴェーダを踏襲してしまった面も否めない仏教では、上記のような解釈は、多くの宗派に見られます。
そして、少なからず「だから、無反応・無我」の「悟り」に至るべきなのである、と説く宗派も少なくありません。

だからと言って、もし、これが「バガヴァッド・ギーター第3章第34節」の本旨であるならば、「人間は反応すべきでない」ということを最初に述べれば済んでしまうことです。つまり「無に成り全ての戦いを無に至らしめよ」という主旨ということです。しかし、そうすると「インドリアは不要であり、そもそもそれがあるからいけないのだ」ともなってしまいますし、「人間は、生きているから駄目なのだ」であり、「人間は、存在自体がアウトなのだ」という極論に至ってしまいます。

それでは「人間の内発・外因の敵との果て無き戦い」を説いたとするバガヴァド・ギータの教え自体さえもが存在を失い。膨大な人名、地名を覚える事を強要する(でないと話が見えなくなる)戦記スタイルも、人間を混乱させるもの以外の何物でもなくなってしまいます。それが数千年の間、聖者の必須経典のひとつであったというのもおかしくなります。(つづく)

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何時も最後までご高読下さってありがとうございます。

バガヴァド・ギータの詳しい語彙の解説は、シーターラーマさんのブログで是非、学んで下さい。
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(文章:若林 忠宏

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