若林忠宏:論理とスピリチュアル:新連載 Vol.2 クリシュナの言葉に学ぶ・現代人はどう生きるべきか ②


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ご無沙汰しております。
昨年末から年始に掛けての、人生初の重度の気管支炎の後、パンデミックで、演奏活動・教室が大打撃を受け、連載コラムの長いお休みを頂いてしまいました。今も変わらぬ厳しさですが、人生のラスト・スパート、起死回生の意欲で峠を乗り越えんと奮起いたしました。
この間、シーターラーマ社長様には、言葉で書き切れない励ましを頂きました。また、私の連載記事の読者さんからfacebook-friendさんになって下さった方にも大変励まされました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。
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新連載Vol.1に際しまして、読者のみなさまにお許しを請います。旧連載のシリーズの多くが中途であることを一旦お許し頂き、新連載では、今までお話した様々な論理を応用して、パンデミックの時代の人々により具体的に励ましとなるようなテーマを、ご提供させていただきたいという我がままです。
何卒、よろしくお願い致します。
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私たちは、バガヴァド・ギータで文字化されたクリシュナの教えから、人間が、数千年も前から外の敵と内なる敵との対峙を余儀なくされていたことを思い知らされます。バガヴァド・ギータを「古代の戦記」と読むのは容易ですが、だとすると、登場人物と要衝の地名があまりにも複雑ですし、数千年もの間、あまたの聖者が哲学として学んで来た理由も分かりにくくなります。そもそも「人間の生まれてから死ぬまで」に深く関わるヴィシュヌ神の化身の中で最も人間に寄り添ったクリシュナの示唆が、軍人・武士階級の為だけであろうはずもないことです。それこそ、或る意味世捨て人でもある聖人聖者にとって、或る意味、人間と社会の最も醜い欲深い行為の最たるものである「戦争」が、重要な教本になろう筈もありません。つまり、バガヴァド・ギータの全ての文言は、極めて広く、深い世界観・生命観を戦記に擬えて隠したものに他ならないのです。

※ 尚、新連載のバガヴァド・ギータの文言は、数ある紹介の中でも最もご誠実で丁寧で分かり易く説かれたとお奨めする、シーターラーマさんブログから引用させていただきますので、文言それぞれの詳しい解説は、公式サイトのブログで学んで下さい。
(本連載では、一部、著者の要約に代えさせていただいておりますことをご了承ください。)
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バガヴァッド・ギーター第3章第34節(2)
各感覚器官には、対象に対する愛執と憎悪が定められているが、
人間はその両者に支配されてはならない。なぜなら、それらは彼の敵であるから。

本節の論理的に重要な語句、これは今日ネットでも重用される「タグ」に酷似しますが。「人間」「インドリア」「対象」「愛執」「憎悪」「定める」「支配」「敵」という語句の中で、まだ説いていない「定める」「支配」「敵」という言葉を素直に受け止め、その表出の順番を考えると、
「定め」は必ずしも「支配」とは繋がらず、「支配」は「敵」とセットになっていることが分かります。つまり「愛執と憎悪」が定められているが「支配されてはならない」→「支配されると敵になる」→「支配されないならば問題ない」と読めるのです。

すると、本節は、以下のように解釈し易いように訳すことが出来ます。

人間の様々な感覚器官は、外部の対象に対し「好きか嫌いか」のどちらかで対応するように定められている。故に人間は、そのどちらかに偏ってしまいがちであるが、それは過ちである。偏った時、それらは人間を苦しめる「敵」でしかなくなる。

その一方で、本節の八つの「重要語句:タグ」の中で「人間、インドリア、対象、定める、支配、敵」は、検証するまでもない、一般的・汎用的な意味で用いられている語であるか、インドリアのように五感、六感どころか22にも細分化されている(更に検証は不要)語であるか、語意の範疇を在る程度定めないと話にならない語が殆どですが、「愛執と憎悪」は、読む人、解く人によって、恐ろしく意味が変わります。

つまり、本節の主旨はここにあると同時に、極めて危険な落とし穴でもあるのです。その性質は、バガ・ヴァドギータの多くに見られます。それ故に、ヴィヴェカナンダ師は、バガヴァド・ギータの重要性を説くと同時に、論理性の重要さを力説したのですが、その弟子たちには継承されませんでした。

本節では、「愛執と憎悪」それ自体は、「定め=普遍的・不偏的・摂理的な存在」と明言されています。
ところが、個々の語意を見ると、「愛執:Raga」には、「善悪・良質悪質」を問わない漠然とした「愛」という幅がありますが、「憎悪:Dvesha」は、「悪意・嫌悪・憎悪」と幅を持ちながらも、いずれも好ましくない感情です。

バガヴァドギータは、特にこの「あいまいさ」が強烈ですが、そもそもプラーナもヴェーダも、「どうとでも解釈できるあいまいさ」に満ちています。
つまり「ウパ・ニシャド」=「容易に結論に至らしめず、結論の一歩手前で立ち止まって考えさせる」が、全ての経典に通じている巨大テーマなのです。

これはアーユルヴェーダの生薬の効果効能にも通じます。それを西洋式局所対処療法の薬のように期待し用いることと同じ愚かさが、インド経典や聖者の言葉の解釈に見られたとしたら、それは全くの本末転倒なのです。
(つづく)

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何時も最後までご高読下さってありがとうございます。

バガヴァド・ギータの詳しい語彙の解説は、シーターラーマさんのブログで是非、学んで下さい。
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(文章:若林 忠宏

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