ナラクーバラとマニグリーヴァ

神々しい遊戯を通じて私たちを魅了してやまないクリシュナ神。
特に、幼少の頃のクリシュナ神にまつわる神話には、私たちの霊性を育むさまざまな深い教えを学ぶことができます。
ナラクーバラとマニグリーヴァの神話もそのひとつです。

ナラクーバラとマニグリーヴァは、財宝の神として崇められるクベーラ神の子どもでした。
財産に恵まれ、贅沢に溺れる生活を送っていたある日、酩酊していた二人は、聖仙であるナーラダに無礼を働いてしまいます。
ナーラダ仙は反省を促すべく、二人に呪いをかけ、その姿を木にしてしまいました。
身動きが取れなくなった二人は、自分たちの行いを恥じ、深く嘆きます。
しかし、100年後にクリシュナ神に謁見し呪いが解かれるという恩寵を与えられた二人は、それからクリシュナ神を想い続けました。

一方、クリシュナ神は幼少の頃、さまざまないたずらをし、育ての母であるヤショーダーを困らせることがありました。
ヤショーダーはそんなクリシュナ神の安全を守るため、身体をロープで臼に結びつけます。
しかし、クリシュナ神は臼を引きずって歩いてしまうほどでした。

そんなクリシュナ神が二本の木の間を通った時、臼が木の間に引っ掛かります。
木はクリシュナ神の怪力に耐えきれず、二本とも根こそぎ倒れてしまいました。
これにより呪いが解けると、100年の間に偉大な人格となったナラクーバラとマニグリーヴァが、倒れた木から輝く光とともに現れたと伝えられます。

肉体を持って生まれた私たちは、日々を生きる中で、刺激的な喜びを求める欲望に突き動かされることが少なくありません。
そうして道を踏み外し、苦難に直面することも往々にあります。
それはまるでナラクーバラとマニグリーヴァのようです。
ナーラダ仙は、ナラクーバラとマニグリーヴァを木の姿にするも、不変の喜びであるクリシュナ神に心が向かうように彼らに恩寵を与えました。

遍在するクリシュナ神の恩寵は、私たちの周囲に満ちています。
たとえ苦難に直面したとしても、それを学びの糧として、クリシュナ神を想い続ける時、私たちは神性を昂揚させ不変の喜びに至ることができるはずです。
そんな恩寵に恵まれた人生を豊かに生きることができるように、クリシュナ神を想うことを忘れずにいたいと感じます。

(文章:ひるま)