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雑記帳

インドの聖典を学ぶ

 インドのゆったりとした時間の中で生活していると、本を読む時間が断然増えていることに気がつきます。時間ができたときについつい立ち寄ってしまう本屋さん。気づけば長居をしていて、チャイやお菓子までご馳走になっていることもしばしばあります。私が主に滞在するリシケシには小さな本屋さんがたくさんあり、また大きなアシュラムともなれば、必ずと言っていいほど本屋さんが併設され、驚きの値段で本を買うことができます。インドでは、州や地域によって話されている言語が異なるため、英語を含めそれぞれの言語ごとにきちんと本が用意されています。
 リシケシで目にする本の多くは、スピリチュアル系の本がほとんどです。ヨーガの聖地ともあって、聖典の数も半端ではありません。インドの神様のお話や、難しいヴェーダの解説など、分かりやすく子ども向けにマンガのように作られているものもあり、私には大助かりだったりもします。
 インドでヨーガに触れていると、ヴェーダのマントラやヨーガ・スートラといった聖典の学習が欠かせません。中でも大切なのが、ヨーガの聖典とも言われるバガヴァッド・ギーターです。
 インド人はバガヴァッド・ギーターが大好きです。ビザ取得の際に問題があり、手こずっていた友人は大使に一言、「バガヴァッド・ギーターを学びたいんです」と率直に述べると、たまたま大使がクリシュナ神の信者であったために、友人はすぐに入国許可をもらったというほど。(バガヴァッド・ギーターはクリシュナ神の教えを説いたものです。)私もインドでは肌身離さず持ち歩いています。神の詩とも呼ばれるバガヴァッド・ギーターの暗唱は、サンスクリット語が分からなくとも、本当に歌を聴いているようで心地が良くなります。
 バガヴァッド・ギーターだけではなく、どんな聖典を読んでみても、述べられていることに多くの共通点があることに気が付きます。古くから伝わる清い言葉や叡智に触れることは何よりも大切だと何度も言われました。リシケシでアシュラムを訪ねていると、分厚い聖典を抱えた僧たちの姿をよく目にします。古い時代の教えが、今この時代に生き生きと伝わり、そして必要とされていることには驚きを隠せません。「真実は一つなんだよ」と言われたことが、理解できるような気がします。
(文章:ひるま)

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