スピリチュアルインド雑貨SitaRama

雑記帳

神様との繋がり

ニーラカンタというシヴァ神のお寺があるリシケシには、今週たくさんのインドの人々が訪れていました。2月28日がシヴァ神の日である月曜日だったのに加え、3月2日がマハーシヴァラトリ、シヴァ神に祈りを捧げる最も神聖な夜だったためです。
外国人が多く訪れるヨーガの聖地リシケシは、ガンジス川上流への入り口でもあり、インドの人々にとっても大切な聖地。そんなリシケシに訪れる巡礼者の多くは、街から山への長い道のりを裸足で、そして荷物一つを頭に乗せ、ただひたすらに歩いて目指します。暗くなればその場に寝床を作り、おこした火で簡単な食事を作って、皆で寄り添いながら眠りにつきます。そして明るくなれば、また歩き始めます。暑かろうが寒かろうが関係ありません。老人も、若人も、誰もが神に近づくためにその歩みを続けます。
去年はちょうど、リシケシに程近い聖地ハリドワールで、クンブメーラという12年に一度のとても大きなヒンドゥー教徒のお祭りが行われていました。ハリドワールからリシケシまで、インド中から集まった人々で大通りが埋まり、じっとしていると大地が揺れているのではないかと錯覚を起こすほど。季節は進み、裸足では火傷をするのではないかと思うくらいの地面が焼けるような灼熱の太陽も、巡礼者はものともしません。ほぼ何も持たない巡礼者たちのために、リシケシの人々は給水車を出し、絶えない巡礼者の列へ黙々と水を配っていました。街が一体となって神のもとへと向かっている、そんな感覚になったのを覚えています。
巡礼者の神という一つの対象に定まった強い眼差しを見ていると、彼らと神の間には何の隔たりもないことが分かります。そこには、不安や恐れといったものも見えません。自分と何か別のものに距離を感じ、離れていると思うときに生じる不安や恐怖は、何にも心を奪われることがなく、信じるものとの間に隔たりがなくなった時、消えてなくなっていくのだと、巡礼者の姿が物語っていました。全体と一つになるというヨーガの教えです。
しかし、そのヨーガの教えは、一生懸命に祈りを捧げても、祈りの結果だけを求める人々は、全てである神、真実に辿り着くことはできないといいます。行いと結果の全てを神に捧げ、どうなろうと、何が起ころうと惑わされず、世界に乱されることがない者は、世界を乱すこともない。自分は世界と一つだからです。
そんなヨーガの教えを理解し、実践すべく、インドの人々と学ぶ毎日を過ごしています。
(文章:ひるま)

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


RANKING

DAILY
WEEKLY
MONTHLY
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  1. 1
  2. 2
  3. 3

CATEGORY

RECOMMEND

RELATED

PAGE TOP