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雑記帳

真実を見る力

無明・我想・貪愛・憎悪・生命欲。ヨーガの聖典・パタンジャリのヨーガスートラには、この5つが私たちの心を苦しめる要因、クレーシャであるとして述べられています。
「私は」とか、「私が」という自分に対しての強い固執から生まれるエゴ、我想。良い思い出を求めてさ迷い出る心から生まれる物事への執着、貪愛。過去に経験した悪い思い出を嫌悪し、恐れる心から生じるのは反感や憎悪。そして、生命欲。途切れることのない意識の存在を見失い、肉体という物質の終わりを恐れ、嘆きます。
これらの苦悩は全て、真実を見失った状態である無明、無知が生み出していると、ヨーガスートラでは述べられています。移り変わるこの世界の中の真実をしっかりと見つめていれば、我想も、貪愛も、 憎悪も、生命欲も、生まれることはないといいます。それに必要なのが、ヴィヴェーカという識別する力です。
これはよく、蛇を使った例え話で説明されます。暗闇の中を歩いていて、突然目の前に蛇が姿を現せば、きっと誰もが驚くに違いありません。それがただのロープに過ぎなかったとしても、暗闇の中でロープを蛇だと思い込んだ心は、焦り、我を忘れて逃げようと大きく動揺します。
心が闇の中にあるために、蛇をロープだと見ることができないのです。それは、心が曇り浄化されていないために、正しい知識を得ることができないことを意味しています。心に光を得れば、そこにあるのが蛇ではなく単なるロープに過ぎないと、理解することができます。この光、それこそが識別する能力「ヴィヴェーカ」であり、その光は、心が浄化され曇りがなくなったときに見えるものだとされています。そして、心の浄化に必要なのが、瞑想です。
物事を正しく理解すること、その障害となっている偏見や欲望の根本である誤った理解や知恵を取り除くこと。瞑想はそのための大きな手立てです。全ての行いを瞑想とするここでのヨーガの生活は、正しい知識を得るための学びの毎日のようなものです。
暑さ、そして嵐、移り変わるその日々の一瞬の中にある、いつも変わらない私たちの心。何にも揺さぶられることのない真の強さは、自分自身を見つめることで得られるものだと、毎日の生活を通して実感しています。
(文章:ひるま)

コメント

    • 真実は
    • 2011.05.16 10:45pm

    おそらく逆でしょう。
    ロープには蛇がいる。
    これが見える人は光明を得た人と言えると私は思います。

    • 真実は
    • 2011.05.16 10:59pm

    付け足します。
    瞑想は心の浄化には繋がるでしょうが、仏陀がそうであったように、真実が見えるようになるとは思えません。
    今までの世の中の厳しい現実を見てこそこころに光が灯されると感じます。

    • ひるま
    • 2011.05.21 9:57pm

    真実は 様
    ブログをお読み頂き、またコメントを頂きありがとうございます。
    私も、インドの文化を学ぶ中でまだまだ疑問に思うことがたくさんあります。今は私も、厳しい現実を生きている私たちの心を休ませてくれる術の一つとして、瞑想を実践しています。その中で真実が見えるのか、まだまだ学びの毎日です。
    この度はコメントを頂き、本当にありがとうございました。ここでの生活を通して、また考えていきたいと思っております。

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