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雑記帳

信愛のヨーガ

解脱へと至る方法として、3つの道があるとヒンドゥ教の教えの中で言われています。それは、ジュニャーナ(知識)の道、カルマ(義務を遂行する行為)の道、そしてバクティ(信愛)の道です。
バガヴァッドギーターがその象徴であると言われるように、中でもバクティはとても重要な位置づけです。母と子に見られるような見返りのない信愛を示したバクティは、その愛を神との関係にまで拡大し、神を信じ、従い、尊ぶことによってその恩寵が救いを与えてくれるというものです。
古いインドの言い伝えの中に、ミーラーバーイーの話があります。クリシュナ神を心から愛し続けたミーラーバーイーは、ある時、毒の入った杯を送られます。その杯を一気に飲み干すも、彼女の身には何も起こりませんでした。その時、クリシュナ神の像は一瞬青ざめたといいます。その毒を、クリシュナ神が身代わりに受けたのです。
信愛は、自己をも超越していきます。言葉も、思考も、何もかもを超えたところにあるその愛は、あらゆるものを包み込み、何にも乱されることがありません。
バクティを実践する人々を見ていると、その定まった揺るがない眼差しに心を打たれます。尊敬や批判、喜びや憎しみ、その相反するものに左右されることなく、また、恐れや不安からも自由です。自分自身に満ち足り、全てのものに平等であり、ありのままを受け入れることで常に平静な心を持つ人々の、神に定められたその心は、いつも、神と離れることはなく一つです。
バガヴァッドギーターの中でも、クリシュナ神は繰り返し言い続けます。「私はあなたを愛しています」と。神の愛はいつもそこにあり、私たちは神と一つであるということ。それを決して忘れてはいけないと、バクタ(献身者)の姿はいつも私をその根本へと引き戻してくれます。
バクティの実践は、愛という想いを高めていく方法の一つだとも言われ、その気持ちが、私たち自身を内なる神聖へと導いてくれるものです。それだけではなく、家族や友人、その大切なものと私たちを繋ぎとめるものとして、愛は存在します。それは、全体と一つになるというヨーガそのものであり、解脱という究極の目的のみならず、日々の生活の中に、大きな意味を与えてくれるに違いありません。
(文章:ひるま)

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