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雑記帳

母なる大河

リシケシの街に惹かれる理由の一つに、その中心を黙々と流れるガンジス川の存在があるように思います。
濃い霧を湛えた真冬のエメラルドグリーン色の姿から、雨季には上流からの濁流に溢れ深い茶色の姿へと変化を遂げる中、そこには、訪れる巡礼者の真摯に祈る姿がいつも変わらずにあり続けます。移り変わる物事の中に存在する、忘れがちな変わらない真実をそっと見せつけられるような気がして、日々の生活を過ごしながらその瞬間を目にしていました。
ヒンドゥー教の人々にとって聖なる、そして母なる存在であるガンジス川には、その身を清めるために多くの巡礼者がインド中から訪れます。チャールダムというガンジス川の源流、そして支流への巡礼の基点であるリシケシも、インドの人々にとっては聖なる地の一つであり、人々の流れは絶えることがありません。
じりじりと焼きつけるような真夏の太陽の下、茶色く濁ったその水を口に含み身を清め祈りを捧げる人々がいるその傍らで、小さな子どもたちが裸で楽しそうに遊びまわり、濡れた女性たちの色とりどりのサリーが風になびきます。その、聖と俗がぴったりと寄り添う母なる大河のほとりに、救いを求める人々がじっと腰を据えていました。人間の持つ、誰にも言えない辛さや苦しみを、母なるガンジスは静かに受け入れ流れ続けます
ゆったりと進むその流れに惹かれるように川の側に座ると、良いこともそうでないことも全てのものが包み込まれるように、心の中の重たいものがすっと解けていく不思議な感覚に陥ります。
ある時言われたことがありました。「潰されてしまわないように、心の荷物は頭の上ではなく、足の下に置きなさい。それは踏み台としてあなたを前へと進ませ、強い支えとなるでしょう。」
精神的な文化に溢れていながらも、貧困や差別など見過ごしてはならない問題も多くあるインド。それでも人々は強く逞しく生きています。心を打ち明ける場所を持つことは、その重荷を下ろすための大切な生きる術であり、いつまでも人々の強い支えであるに違いありません。
喜びも悲しみも、すべての思いを包み込んで流れるその母なる姿が、目を瞑れば今でもくっきりと浮かんでくるような気がします。
(文章:ひるま)

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