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雑記帳

神と出会うために

深い眠りの中にあるエネルギー・クンダリニーを目覚めさせ、純粋な意識とを結び付けるハタ・ヨーガのような身体に重点をおいたヨーガの修練は、とても厳しいもののように捉えられます。しかし、そのプロセスにおいて、自分の内で神のような崇高な存在と共にある瞬間が与えられることを看過することはできません。
神という漠然とした存在も、インドでは、この世界を生み出し維持している偉大な力として、誰もがその力を強くどんな時も胸に抱き続けています。風が吹き、太陽が照ること、人々が歩み、社会が動き続けること。この世界の出来事一つ一つに、いつの時も、神という偉大な力が働いていると考えます。そしてそれは、私たちの身体の中でも変わることはありません。
例えば、それぞれのチャクラを通じてクンダリニーについて観察する時、この肉体という小さな世界の中で起きている決して偶然ではない出来事を感じます。大地のようにどっしりとした根本があり、流れ行く水のように循環が行われ、エネルギーは火のように起こり、呼吸が風のように体を巡ります。空間がそれらの動きを包み込み、意識という神の力が、その存在を守っています。
誰もが経験しているその奇跡は、神の仕業とも言えるように、偉大な力の下に起きていることをヨーガの修練の中で気づかされます。目には見えない自分の内にある不変で崇高な部分に、肉体を通して意識的に向かっていくことは、漠然とした神聖な存在をより一層強く経験していきます。その中で、信念に基づいた強さは生み出され、恐れや不安などあらゆる負の存在が払拭された何にも束縛されることのない真実の姿を見るように思います。
自分の内に大切で神聖な存在を見つけ、それを感じれば感じるほど清い存在でありたいと願うのは、自分自身が真実であるというその姿を、いつの時も失いたくないという思いがあるような気がします。その時、厳しいと言われる修練の数々は、どんな苦行ともなり得ません。
「求めるものはただ、神だけです。」その言葉が示すように、常に神と共にあるインドの人々、そこから生み出される神聖な世界の中では、体を動かすことも、呼吸をすることも、全ては神のためのものなのです。
(文章:ひるま)

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