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雑記帳

自由を求めて

62年前の1月26日、インドにて共和国憲法が発行され、初めてインドは主権国家となります。自由を手にするために払われた多大な犠牲と、人々が歩み続けた苦難の道を想うこの日、更なる国の進歩を願い、この大国が一丸となって祈りに包まれていました。
自由を手にするために当時流された血と涙は、私たちが身を置くこの社会からはきっと想像もつかないほどのものであったに違いありません。そして今、このインドの社会に身を置きながら、「人生そのものが自由を得るためのステップである」という教えを改めて思い起こし、日々の行い一つ一つが気づきと共にあるよう、その瞬間に十分に留まることを努めています。
精神世界の中で意味される自由とは、肉体や物という束縛から解放された、究極の状態「意識」であることにあります。例えば、自分自身の存在に満足すること、その「ただ在る」ということこそが、終わりのない至福であり、限りのない自由です。それは実に単純でありながら、最も難しいことでもあるが故に、人々はその探求の道をそれぞれの人生の中で歩み続けています。
スワミジが述べるように、今と言う瞬間に留まる事は、歩みを止め、ただじっとしていることを意味するわけではありません。社会に身を置きながら生活をする私たちにとって、それは、人生の中で苦しみや喜びを経験しながら、その瞬間の中で変わらない至福が自分の内を満たしていることに気づくことであり、それこそがどんなものにも代えられない自由であると、ここでの生活がいつも教えてくれるような気がします。
私たちはいつの時も、自由を勝ち取るために奮闘しながら、苦しみ、悲しみ、喜び、幸せという沸き起こる感覚に溺れ、無意識のうちに自分自身を限定し、束縛する行いを繰り返しています。新たな束縛を生み出さないためにも、一瞬一瞬が気づきに満ちたものとなるよう自分の内に既に存在する自由を見つめる時間が、ここでは何よりも貴重なものです。どんなものにも束縛されない自由は、今、そしてここにあるということ、インドの人々の自由を喜ぶ姿を見て、この時に改めてそれを確認しています。
(文章:ひるま)

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