組織と悟り1

悟りという本質をつかむため、教団に所属して修行を積む。これ古今東西で行われてきた伝統的な方法です。仏教において出家する、キリスト教で修道士になる、あるいはインドでアーシュラムに所属してヨーガを修行する、これらは現代では本質的には組織(教団)に所属して修行を積むということになるでしょう。
インドでは無所有・無所属の象徴のような存在のサドゥも、実際はアカーラ(僧団)に所属していたりします。
かつて私はヒマラヤで修行するサドゥからアカーラの会員証を見せてもらったことがあります。電気も水道もなく岩と氷だけの地で、見せてもらった(人工物である)許可証に少し違和感を感じた記憶があります。
組織は、実は本質をつかむため、あるいはそれを伝えるには邪魔になる存在だという考え方があります。私はそれをヨーガの師から学んだのですが、自分の中で大きな信念の一つになっています。
組織が不必要だと言っているわけではありません。たしかに基礎的な行法のやり方や基本的な知識を学ぶのに組織は最適だと思います。例えるなら学校制度がまさにそれにあたると思います。
しかし、本質をつかむというのはその先の作業になります。学校制度に例えるなら基本的な知識を学ぶというのは、小学校から大学院までの過程に例えることができます。
本質をつかむというのは、その知識を元に自ら創意工夫をし、新たな発見をしてノーベル賞を受けるようなものでしょう。
先日、ヨーガの師の講演会の司会を拝命したのですが、講演中師が「古来より本当の意味で悟った人間は組織からはなれる。西洋でいえば異端者、東洋でいえば破戒僧といわれるような人たちです。そういう人たちのほうがきちんとした瞑想をしているのは注目すべきことでしょう。」という話をしていました。
もちろん悟り(サマーディ)には段階があり、あるレベルにおいては組織に留まることもあります。また本当の意味で悟っていても、形上は組織に留まることもあるかもしれません。
しかしいずれにせよ組織とのかかわりは、以前とは変わってくるのは間違いないと思います。
実は真のヨーガ行者が生涯に弟子を2〜3人しかとらないというのも、組織の問題とかかわりがあると私は考えています。伝える立場からしても組織を通してでは、ダイレクトに本質を伝えるのが難しいからです。
次回もう少し掘り下げます。
(文章:ガネーシャ・ギリ)
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「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902
「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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