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雑記帳

自己の学習

この神聖な空気に包まれる生活の中では、書物を読むこともヨーガの行いの一つです。ニヤマに記される自己の学習や教育を意味する「スワディヤーヤ」がそれにあたり、自分自身の精神向上のために、聖典を読むことやマントラを唱えることが日々の生活で欠かすことができません。
それは、ここでの自身の生活を見ても明確なものです。例えば、日常の中でふと手に取るバガヴァッド・ギーターにはいつの時もその瞬間に必要な答えを与えられるように、聖典から得る確かな言葉を通して自分自身の求める見えない何かが見えてくることがあります。
今、あるスワミジの話を思い出しています。「『直観』を意味する『intuition』という単語は、『tuition=教え』が『in=内』の状態にあります。直観を得るのは、自分自身の内に元来備わる絶対的な智慧に気づく時に他ありません。」と。
ふとした時にピンとくる感覚は、真実のみに向き合いそして近づいている時に得られるものだと、この時理解したことを覚えています。余計なものを可能な限り捨て、本当に必要なものと共にあるここでの生活がこれほどまでに多くの気づきに満ちているのは、何でもない、ただ在るがままの自分自身であるからなのだとここにいて確かに感じます。直観とも言える気づきに出会うのは、どんなものにも限定されない本来の姿に落ち着き、そして心が静かに定まる時の他ありません。
聖典を読むことやマントラを唱えること、そこにあるのはただ自分自身を研ぎ澄まし、磨いていくものです。私たちのあるがままの姿、生きることや愛すること、感謝をすること、ただそれだけのことが見えない今、古くから伝わる神聖な書物や真言を学ぶことは、その聖典や真言が真実として永遠であるように、自分自身の真実に出会う行いなのかもしれません。
残りがわずかになったこの度の滞在の中で、聖典に触れ心を神に定める、その精神向上のためのヨーガに時間が流れて行くことに喜びを感じ、心から感謝をしながら今過ごしています。
(文章:ひるま)

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