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雑記帳

シュラヴァナの月

人生における最終目的。神を理解するために必要なもの。その深い問いの総仕上げともいえるウパニシャッドの中で、「シュラヴァナ」が語られます。最も神聖な月とも言われる現在のシュラーヴァナ月にもその神聖さが引き出されるように、霊的な道を進むためにこの「シュラヴァナ」の行いは欠かすことができません。
ヴェーダンタ哲学をより深く議論するウパニシャッドにおいて、本来の自己に気づくための道には段階があると説かれます。その始まりが「聴聞」を意味する「シュラヴァナ」であり、その道は「熟考」と言う「マナナ」へ、そして「瞑想」という真実へ向かう継続的な行い「ニディディヤーサ」へと続きます。この段階はまさにインドで過ごす日々そのものであり、なぜこれほどまでにインドの生活に引き込まれるのか、ここで改めて感じています。
真意を探るようにグルの言葉を聞き、その言葉を鑑みながら一瞬一瞬を丁寧に過ごす日々の中で得られる経験は気づきに溢れるものであり、グルの言葉を聞くだけで疑いが晴れるのは、まるで起こりうる全てを知り得ているかのように、静謐な深い意味がそこに含まれているからです。
その言葉を通して起こりうる出来事を見つめる時、そしてその過程で深く自分自身を熟考する時、日々の生活が丸ごと深い瞑想へと姿を変えるようでした。それが、生きるという日々の生活から生れる経験的な知識に基づいたものであるが故に、その中で得る気づきは言葉では表現できない程大きなものです。
ただ言えるのは、グルと言う真実の言葉から生まれたその瞑想に見えるものが、真実だけだということかもしれません。自己を探る過程において生じる疑いは、心の作用に惑わされ避けて通れないものでもあっても、真実に心が定まれば、もがくことがあってもその疑いに呑み込まれることはないのだと実感したことを覚えています。その真実こそがグルの言葉です。
私たちの悟りへの道のりは、その言葉を聞くことから始まります。このシュラーヴァナ月に、その神聖さに耳を傾けること、古代の教えが語る真実を見つめ、自らについての学びを深めたいと今改めて感じています。
(文章:ひるま)

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