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雑記帳

喜びと共に

クリシュナ神を想う時、そこには常に神の詩・バガヴァッド・ギーターがあるように思います。戦いという究極の場で苦しむアルジュナに、優しく、そして勇ましく説くギーターの言葉は、まさにクリシュナ神の全てを表しているようです。
バガヴァッド・ギーターの18章に記された言葉は、迷いや疑い、苦しみの中でもがくアルジュナを、真実と言う一つのものへ真っ直ぐに導いていきます。そしてそれは、今のこの社会を生きる私たちの胸にもしっかりと響くものであり、決して変わることがない、絶対的な叡智が綴られていることに気づかされます。
思えば、人は常に戦いの場にいるようなものなのかもしれません。アルジュナが戦場で大きく揺れ動くように、心が生み出す善と悪、幸と不幸、損と得、愛と憎しみの狭間で、私たちは戦い続けています。人生という場で喜び、そして苦しむ私たちの姿と、アルジュナは静かに重なります。
そんなアルジュナを教え導くクリシュナ神は、ギーターの中では偉大な師でありながら、ブリンダーヴァンの森で過ごす幼少時はいたずら好きな愛らしい一人の子どもでした。フルートを吹き、数え切れないほどの牛飼いの娘たちに愛され、そして多くの人々を愛しました。
様々な姿や役割を持つそんなクリシュナ神も私たちと重なります。しかし、クリシュナ神が誰もに愛されるのは、どんな姿にあっても、どんな場にあっても、その瞬間に喜びそのものであったからに違いありません。
悲しむ理由は何もないと、そうアルジュナに語るクリシュナ神は、存在の喜びを自身の生を通して凛と示しています。「私を愛し、そして信じる者を、心から愛する」とクリシュナ神が述べるように、疑いを捨てその言葉に従うならば、真の喜びが見えてくるのだと思います。
心が揺れ動く時、クリシュナ神の言葉にゆっくりと浸る時間を過ごします。心の動きが止まるとまでは言わずも、真実にそっと安住する時の心地よさはあらゆるものから自分自身を解放してくれるように感じます。
今年もクリシュナ神を想う聖なる日を迎えようとしています。ただそのことだけが嬉しく、クリシュナ神の愛を胸に喜びに浸りたいと感じています。
(文章:ひるま)

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