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雑記帳

蓮の華

インドの国花、ラクシュミー女神が座すもの、ヨーガを代表する座法、そしてバガヴァッド・ギーターの中で記される純粋の象徴、それが美しく清らかに咲く「蓮の華」です。
泥の中に根を張り、泥水を吸って生きながら、花は決して汚れることがない。仏教においてもそう語られるように、苦難の先にある果報は、どんなものにも代えがたい美しさを放ちます。その美しさと共に、正しい行いから生み出される清らかさを、蓮の華は誠実に証明しています。
クリシュナ神は説いています。
執着心を捨て 為すべきことを遂行し
その結果をブラフマンに捧げる者は
蓮の葉が水に濡れないように
罪をはじいて 汚れない
(バガヴァッド・ギーター5章10節)
その一節は、行いから生じる結果はただ、心の浄化となるべくことを説いているかのようです。肉体を持ち、心を抱える私たちは、行いを避けることはできません。人がこの社会の中でより良く生き、人生を全うするためのシンプルな方法と言えば、その行いを通じて自らを浄化してゆくことに他ないのだと気づかされます。
ヨーガを通じても感じることがあります。例えば、これほどまでにヨーガの世界、特に肉体を通してはっきりと感じ、そして目に映るアーサナの修練に惹かれるのは、姿勢そのものが、そこに辿りつくことに真価があるように魅力的に見えるからだと感じます。それはあたかも、人が蓮華座で、花の優美さと清らかさ、そして神性を装うかのようです。そこに苦難がある時、美しさはそれ以上に真実味を帯びるのかもしれません。
自らを束縛し苦難を生みだす「執着心」を捨て、あらゆるものを神への捧げものとすることは、輪廻からの解放を得るための道であると言われます。美しく花を咲かせる蓮の花は、ただ自身の姿を通してそれを物語っています。
蓮の華があまりに美しく、そんな花のように、自らの生き方を通し、美しさと清らかさ、そして神性さを証明したいと切に思います。それこそが、生きる真の意味であり、この人生において大成されるべくものなのだと今感じています。
(文章:ひるま)

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