バガヴァッド・ギーター第5章第12節

インド古典中もっとも有名なバガヴァッド・ギーターの原典講読です。
インドの霊的文化の支柱となる本書を、サンスクリット語の学習をしながらお楽しみください。

युक्तः कर्मफलं त्यक्त्वा
yuktaḥ karmaphalaṁ tyaktvā
ユクタハ カルマパラン ティヤクトヴァー
専心した者は、行為の結果を捨て

yuktas【男性・単数・主格 yukta√yujの過去受動分詞)】[〜は、〜が]くびき(軛)につながれた、(処格)に従事した、〜に専心した;(具格)に忙殺された、〜に専念した;(処格)に熱中した;集中した
karmaphalam【中性・単数・対格 karmaphala】[〜に、〜を]行為の果実、行為の結果
tyaktvā【絶対分詞 √tyaj】[〜して、〜してから]罷る、見捨てる;棄てる;手放す;遺棄する;(場所より)去る;(人を)避ける;放置する、放つ;断念する、離れる、捨てる、護る

शान्तिमाप्नोति नैष्ठिकीम् ।
śāntimāpnoti naiṣṭhikīm |
シャーンティマープノーティ ナイシュティキーム
究極の寂静に達する

śāntim【女性・単数・対格 śānti】[〜に、〜を]心の静穏、心の平和;(火が)消えること;平和、好運、繁栄;寂静、寂滅;涅槃
āpnoti【三人称・単数・パラスマイパダ・現在 √āp】[彼は〜、それは〜]到達する、獲得する、成し遂げる;遭遇する、蒙る、関係する、耐え忍ぶ;起こる
naiṣṭhikīm【女性・単数・対格 naiṣṭhika】最終の、最後の;決定的な、決定した、確立した;無上の、最上の、至高の、完全な;(―゜)に全く精通した;永久の貞潔を誓った(婆羅門)

अयुक्तः कामकारेण
ayuktaḥ kāmakāreṇa
アユクタハ カーマカーレーナ
専心しない者は、欲望のままの行為によって

ayuktas【男性・単数・主格 ayukta】[〜は、〜が]専心しない、心統一しない;不注意な;不適当な;専念しない;集中しない
kāmakāreṇa【男性・単数・具格 kāmakāra】[〜によって、〜をもって]自発的行動;意志の自由;性向に従う行為 【形容詞】(属格)の願望を満たす

फले सक्तो निबध्यते ॥
phale sakto nibadhyate ||
パレー サクトー ニバディヤテー
結果に執着して束縛される

phale【中性・単数・処格 phala】[〜において、〜のなかで]果実;(果実の)核;結果;報い、報酬、利益、果報;報復、罰、損失、不利益;利得、享受;代償
saktas【男性・単数・主格 sakta√sañjの過去受動分詞)】〜にしがみつく・執着する・固執する;〜を所有している;〜に対して執着した・におぼれた・専念する・に夢中である
nibadhyate【三人称・単数・アートマネーパダ・現在 ni√bandh】[彼は〜、それは〜](処格)に縛る、しっかり締める、(処格)に糸を張る;自身に固定する・着る;捕らえる;抑止する、抑制する、禁固する;(処格)に定着する、鋲でとめる

युक्तः कर्मफलं त्यक्त्वा शान्तिमाप्नोति नैष्ठिकीम् ।
अयुक्तः कामकारेण फले सक्तो निबध्यते ॥१२॥

yuktaḥ karmaphalaṁ tyaktvā śāntimāpnoti naiṣṭhikīm |
ayuktaḥ kāmakāreṇa phale sakto nibadhyate ||12||
専心した者は、行為の結果を捨て、究極の寂静に達する。
専心せぬ者は、欲望のままに行為し、結果に執着して束縛される。
  1. 1年ぐらい前から、あんまりに生きることに対しておもしろみを感じれなくなって、することがないのでどうせならいるかいないか分からない神の存在を確かめてから死のうということにしたんです。
    (神なんていないだろうというところからスタートしてるのであまり良い動機ではないんですが・・・笑)
    ギーターとそれと別にヨーガ・スートラ。この二冊に限定して暇な時間は全部これ一句一句忠実にしたがって過ごしたら、いつかは神か何か見つけられるのではないかと思ってます。
    が。
    自分について細かく指導してくれるグルというのは時期が来たら勝手にどこかから派遣されるものなんでしょうか。
    現在、聖典の言葉を読んでどう解釈するのかはただ自分の小さな経験と知識に委ねられてますが、間違えて解釈していた場合とんでもない方向へいかないか不安です。

  2. pb032様
    コメントを頂き、ありがとうございます。
    ここインドでも多くの人々がグル、そして神を求め、経典を読み、修行を続け探求の道にあります。ある師は、死ぬほどに神を求める時、それは現れるだろうとも言いました。神と同じ存在であるグルも同じかもしれません。真に必要なものを心から強く望む時、正しさや求めるものはもたらされるのだろうと、インドは教えてくれるように思います。

  3. SitaRamaさん。回答ありがとうございます。
    死ぬほど神を求めるとき、ですか。
    最近はなんとなく日々を過ごしていて、色んなものが欲しくなって来てしまって結局神のことなんか忘れてしまっている状態です。
    一ヶ月前の情熱はどこへいったのやら・・・。
    昼は物欲にまみれているんですが、夜になると急に神が恋しくなるんですね。
    まだ中途半端ですが、常に専心したものになれるよう祈ってます。

  4. pb032さま
    神と共にあることが当然のインドでは、常にその存在を強く感じさせてくれますが、そうでなければ難しいことかもしれません。
    日々の中で一瞬であっても神を想う瞬間があれば、それは永遠に続いていくものだとここでは感じさせられます。
    神々のご加護とお恵みがありますこと、心よりお祈りしております。

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