苦難の中に見えるもの

仏陀は、偉大なヨーガ行者の一人でもあります。苦行を積み、厳しい修行を続けた後、ありのままに観るというごくシンプルな術を用い人々に悟りを説きながらも、インドの地で多大なる苦悩を経験した一人の人間であったと伝えられます。
悟りという境地へ向かうために様々に存在する術において、仏陀は呼吸や感覚をありのままに観る術を説き、ヨーガではそれを統制する術を伝えています。密接に繋がる体と心は、互いの状況を事細やかに映し出します。術は異なっても、呼吸や感覚と向き合うことによって見えるものは、自らの心そのものであり、そこで得る大きな気づきは確実に人々を悟りへと導いていきます。
インドという地にあると、その気づきが一層際立って現れるように思います。あらゆる物事が目まぐるしく移り変わり、そして両極端に浮き出る世界だからかもしれません。その世界において精神性を深める教えを実践する時、物事の変化がまるで導師のように、様々な気づきを与え、大切なものへと導いてくれることをいつでも思い返します。
始まりであり、終わりであるその変化は、生であり死でもあります。厳しい環境を通じ、生と死をより強く感じるからこそ、ただ生きることの至福に気づく瞬間があるのだと実感します。そしてそれが、人間として生きることの恩恵に違いありません。苦難を通じ悟った仏陀のように、苛酷さや苦悩が、人々に多くの気づきをもたらしてくれることは一つの事実です。
変化をありのままに観ることも、統制を行いその中心を探ることも、大きな気づきをもたらすことに変わりありません。その行いを毎日の中で実践し、日々をより良く生きることが、人々の努めであり至福なのだと感じます。
インドの大地が生み出す様々な叡智は、術が異なっても、行き着く先は同じです。様々に異なる人々の心の内も、同じようにその術を通じ、平安という至福に至ることを願いながら、日々の行いを大切に実践していきたいと感じています。
(文章:ひるま)