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ガネーシャ・ギリ

2重に月が傷ついている出生図と聖者

インド占星術では、聖者と呼ばれる人の中に出生図に2重に傷ついた月が、わりとよく見られるといいます。
もちろん聖者の中には他の星の配置の方も数多くおられるのですが、その中で「傷つく」という一見マイナスな要素が、聖者という素晴らし存在に関係する場合があるのというのは、非常に興味深いです。
月は心を表しますが、それが大変傷ついていることになります。そんな心の持ち主になぜ聖者が多いのか、出生図に2重に傷ついた月の持ち主である私ガネーシャ・ギリが解読してみたいと思います(もちろん私は聖者ではありません)。
一般的には2重に傷つくというのは、否定の否定、つまり肯定ととらえられているのですが、やはり深く傷ついていることに変わりはないと、個人的には思います。
それほど傷ついていると、日常生活に心安らぐ時間はほとんどありません。子供のころからそういう生活を送ります。
たとえば、春の気候のいい日、あるいは気持のよい秋のある日、大抵の方は(特に問題を抱えていなければ)心身共にリラックスすることが多いと思います。
しかし、月が深く傷ついているとそういう日でも、心からリラックスして過ごすことができないのです。
生きるのを非常につらく感じるわけです。
(もちろん月が一重に傷ついていたり、他の星の要素で生きるのを辛く感じる方もおられます。それらの場合月が2重に傷つく場合とは少しつらさの量や傾向が違うのだと思います。)
ところが何かの機会に瞑想などを体験すると、非常に安らぎを感じるわけです。すると瞑想にのめり込むようになります。
また他方、真のグル(師)に出会った時も、非常な安らぎを感じます。
それら以外に、心が安らぐ場がないわけですから、サーダナ(霊的修練)にのめり込むことになるのだと思います。
とても卑近な表現をすれば、疲れ果てて帰った時、酒を飲もうではなく瞑想しようになるのです。
そしてサーダナをすることにより、運命は改善し月の傷つきも取れていきます。
そして徐々に至福を味わえるようになるのです。
結果、月日がたち、その方は聖者と呼ばれるようになるのだろうと思います。
以上のようなことを考えると、当然のことながら2重に傷ついた月の持ち主が必ず聖者になれるわけでもなく、逆に、月がどういう状態にあってもサーダナを続ければ、聖者のようになれる可能性があるということです。
当たり前すぎるほど当たり前ですが、神にまみえる、行をするという行為が最も大切なのです。
マイペースで、わずかでも毎日マントラ唱える、瞑想をするなどの行為を行えば、わずかづつですが聖なる存在に近づけるだと思います。
(文章:ガネーシャ・ギリ)
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「ガネーシャ・ギリによる特別ゼミ インド占星術基礎と運命改善技法」
http://www.uranai-school.jp/h_kaikou/toku_vedic_girii.html
「ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定」
http://sitarama.jp/?pid=27375902
「ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス」
http://sitarama.jp/?pid=30583238
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