ヨーガ カルマス カウシャラム

Female relaxing at sunrise, performing tadasana - mountain pose by the sea at sunrise

 

ヨーガを学び深める中で、「ヨーガ カルマス カウシャラム」という大切な教えをなおざりにすることはできません。「ヨーガ カルマス カウシャラム」は、バガヴァッド・ギーター第2章50節において説かれているクリシュナ神の言葉です。これには、「ヨーガは、行為における巧妙さである」という教えが秘められています。

私たちは日々生きる中で、食べること、眠ること、働くこと、そして休むこと、どんな瞬間においても、行為を欠かすことができません。クリシュナ神は、この行為における巧妙さがヨーガであると、この詩句を通じ述べています。そしてこの巧妙さとは、「絶対の存在と繋がり行為をする」ことをあらわしていると言われます。

「こうなるはず」「こうあるべき」、私たちは日々の中で、行為に対するさまざまな執着や欲望を抱きます。慌ただしく変化する思考や感情の下、その執着や欲望にまみれながら行為をする時、心は常に不安定で行いはうまく為されず、その結果に更に思い悩むことも少なくありません。その悩みはより一層の混乱を生み出します。

しかし、常に変化する行為ではなく、絶対の存在に常に心を定める時、そこには平安の境地が生まれます。その平安の境地で為す行いは、驚くほどにすんなりと為されることを実感することが多くありました。行為の善し悪しに執着せず、ただ正しく行えば、その結果は必然的に良いものになるということを度々教えられるようにも思います。

絶対の存在に繋がるには、あらゆるものは常に変化しているということを、理解することも必要であると言われます。その理解は、変化をしない絶対の存在と繋がる心を授けてくれるものに他ありません。その心で行為をすることは、私たちをあらゆる束縛から解放し、永遠の幸せを授けてくれるのだと感じます。

ヨーガは、行為の正しいやり方です。特別に時間を設けて実践するだけではなく、食べること、眠ること、働くこと、そして休むこと、その日常生活の一瞬一瞬に、ヨーガを実践する機会が溢れています。生きる日々の一瞬一瞬が平安の境地を獲得する修練の場であり、そこで学びを深めることで、私たちは絶対の幸せに結びつくに違いありません。あらゆる行いをヨーガとする、その修練に励みたいと感じています。

(文章:ひるま)