欲望と離欲

Dattatraya

一年の内でも特に神聖とされるシュラヴァナ月が始まりました。シュラヴァナ月は、シヴァ神に捧げられる吉兆な月として崇められ、霊性を育むための修練をするとりわけ神聖な時であると信じられています。人々は菜食となり、瞑想を行い、自分自身の浄化と共に神聖な行いを努めます。

こうした霊性を育む修練の中で、真摯に向かい合わねばならないものに、「欲望」があります。欲望を手放すことは、霊性修行における基本的な行いの一つとして数々の聖典でも述べられてきました。先日ご紹介したダッタートレーヤと24のグルの話においても、それぞれのグルがダッタートレーヤに「欲望」と「離欲」について深い気づきを与えています。

例えば、24のグルの中で、蛾、象、鹿、魚は、ダッタートレーヤに欲望が生み出す苦難について気づきを与えました。光を求めて飛び回る蛾は、自ら火に飛び込み燃え尽きます。愛欲に強い象は、作り上げられた偽の雌の象に魅了され足罠にはまりました。優雅な音に惹かれる鹿は、狩人の鳴らす音によって引き寄せられ捉えられます。食欲にまみれる魚は、自らかぎ針を咥え釣り上げられました。

一方で、蜂、にしきへび、鳥は、離欲についてダッタートレーヤに気づきを与えます。大きな花があっても、そのエッセンスである蜜のみを摂る蜂に、謙虚さと本質を得ることの意味を学びます。食を求めて動き回わらず、目の前に現れたものだけを食すニシキヘビに、知足の意味を学びます。咥えた餌を他の強い鳥に奪われそうになり、いさぎよくその餌を落とした鳥に、無執着の意味を学びます。

感覚に惑わされる時、その先には常に苦しみが待ち受けていることを、ダッタートレーヤは学びました。そして欲望を捨てる時、そこには常に穏やかな平安があることに気づきました。

シュラヴァナは、「聴聞」を意味し、霊性を育むとりわけ吉兆な時であると言われます。自分自身を育む世界が見せる教えに、注意深く耳を傾けながら、欲望を手放す行いを実践してみるのも良いかもれません。そこには大きな平安が待ち受けているはずです。

これからインドは、数多くの祝祭が続く時となります。その最初となるこの時が、皆さまにとっても神聖な時となりますようお祈りしております。

(文章:ひるま)

参照:“SRIMAD BHAGAVATAM Canto 11 Chapter 7: Lord Krishna Instructs Uddhava”,
http://bhagavata.org/downloads/bhagavatam-canto11.html#7