クリシュナ神とバター

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クリシュナ神は、バガヴァッド・ギーターで教えを説く偉大な師の姿から、牛飼いの乙女たちと戯れる愛に満ちた姿、そしてフルートを奏で人々へ喜びを広める姿など、さまざまな姿で描かれます。そんな中、バターをあちらこちらから盗んで食べる、いたずら好きな愛らしい子どもの姿で描かれることがあります。バターはクリシュナ神の大好物です。このクリシュナ神とバターにも、霊性を育む深い意味が秘められています。

バターは、牛乳を撹拌し続けた後、分離してできた脂肪分を練り固めたものとして知られています。牛乳の中に存在しているバター、しかし、それを撹拌しない限り、私たちはバターを見ることはできません。それは、私たちが自分自身の内に満ちる本質としての至福を見失っていることに例えられることがあります。

牛乳の中に遍在するバターのように、私たちの内には本質である大きな喜びが満ちています。それが見えない理由の一つは、自分自身が生み出す行為の結果に、さまざまな欲望や期待を抱き、悩み苦しむからだと伝えられてきました。私たちが常日頃囚われている「結果」。バターは本質として捉えられる一方で、この結果としても捉えられることがあります。

牛乳を撹拌し続け、苦労して得たバター(結果)を、クリシュナ神が手にすることには、結果は常に神のもとに捧げられなければならいことを伝えています。世俗の世界のさまざまな出来事に撹拌されながらも、悩みや苦しみを生み出す結果を常にクリシュナ神に捧げることで、私たちの心には平安が生まれ、その内に本質である喜びを見ることができます。

バターを盗み続けるクリシュナ神に、母親(養母)であるヤショーダーは尋ねます。「どうしてバターを盗むのですか。」そしてクリシュナ神はこう答えたといいます。「バターを盗んでいるのではありません。牛飼いの乙女たちの心を盗んでいるのです。」

牛飼いの乙女たちは、クリシュナ神のためにバターを作り続けました。こうして乙女たちの心は、常にクリシュナ神のもとで喜びにあったといわれます。私たちの心をさまざまな術で本質に引き寄せるそんなクリシュナ神の生誕を、今年も盛大に祝福したいと感じています。皆さまにもクリシュナ神の大きな祝福がありますよう、心よりお祈りしております。

(文章:ひるま)

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