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インド音楽

古代インドの科学音楽は、宇宙の音楽である。

Power over nature

古代インドで生まれた「Shastriya-Sangit(科学音楽)」は、一言で「宇宙の音楽」ということが出来ます。もちろん、中世に、科学音楽がイスラム宮廷芸術古典音楽となって以降、イスラム教徒の宮廷楽師たちは、それを「宇宙の音楽」などとは考えもしなかったに違いありません。現に、私のイスラム教徒の音楽の師匠に幾つかそのような質問をぶつけてみましたが「へー!そうなの?」という反応ばかりでした。「そんな!馬鹿な!」と反応しないところが、日本の「神仏混淆」にも似た融和的な要素が多いインドならではのことでしょう。これがアラブ諸国だったら、完璧に否定されるかもしれません。
逆に言うと、イスラム勢力の支配を受けるまでの「科学音楽」は、極めてヒンドゥー教的なものであったということなのです。古代の僧侶たちが探究の果てに突き詰めた考え方では、音楽は次のように説明されます。

まず、音楽の音は「宇宙の波動」なのです。宇宙では常に様々な波動が生じ地球に伝わっているのですが、それを人間の耳に聞こえさせるためには「優秀な受信器」が必要であるとされます。その「優秀な受信器」が、科学音楽を熟知した高僧なのです。その「波動」は、「Nada(ナーダ)」と呼ばれ、人間の耳に聞こえる前は「Anahat-Nada(アナハト・ナーダ)」と呼ばれ、「優秀な受信器」が、その声や楽器を正しく奏でることで、人間の耳に聞こえるようになったものは「Ahat-Nada(アーハト・ナーダ)」と呼ばれます。「Anahat」は、主要チャクラの名にもなっていますね。
音には、その他に雑音がありますが、これらは、「正しく受信出来ていない音」という感覚で捕らえています。ヒンドゥー叙事詩の「ラーマーヤーナ」などには、宇宙船も登場すると言われますが、紀元前2千年も前に近代のラジオと同じ感覚を持っていたことには驚かされます。ラジオの周波数が合わない時に、様々な雑音が出ますが、「Ahat-Nada(アーハト・ナーダ)」以外の音は、何らかの誤作動によって生まれた「雑音」に過ぎないのです。

その一方で、自然の音。例えば、木々が軋む音や、川面や波の音、雨音、そして動物の鳴き声は、総称する特別な用語は無いようですが、「Ahat-Nada(アーハト・ナーダ)」と同様に純粋で崇高なものと考えられていました。

こうして認識された「Ahat-Nada(アーハト・ナーダ)」は、まず、「ひとつの音」から、次第に発展し、最終的にドレミファの7音に至ります。
その「ひとつの音」が、ヨガや瞑想でお馴染みの「OM(オーム)」の音です。

このひとつの音「OM」には、絶対的な音程はないのですが、この一音を用いて幾つかの経典「Veda(ヴェーダ)」が詠唱されるようになりました。そして、その後、もしかしたら数百年は優に経ってからかもしれませんが、「二音」、ある流派ではさらに「三音」用いる詠唱法が発展します。この段階で、大雑把にドレミで言えば「ド、レ、ミ」が存在したということになります。
また一方で、「OM」の音は、物理的に存在する倍音、ドレミで言うところの「ファとソ」の存在を導き出していました。ドからソは、「完全五度」と言いますが、ファから上のドも、音程はやはり完全五度ですが、ソから上のドは完全四度となってしまいます。なので、この四度とも五度とも言える関係性からドの基本音(基音)に対し、ファとソは、「属音」と言われます。
これは西洋古典音楽の基礎である古代ギリシア音楽理論でも同じです。と言うことは、古代ギリシアと姉妹関係にあった古代ペルシアも、その弟子的な音楽であるアラブ音楽、トルコ音楽でも同様です。

このようにして、ヴェーダが三音を用いる様になった段階で、ファからの三音、ソからの三音という異なる高さで詠唱をすれば、既にド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、の7音が得られていたというわけです。

(文章:若林 忠宏)

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