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インド音楽

24、弁財天か弁才天か

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インドの芸術と学問の女神「Saraswati(サラスワティー)女神」は、日本に伝わり「べんざいてん/弁天/弁天様」として知られるようになりましたが、近年ではもっぱら「弁財天」と表記されます。ところが、本来の仏典では「弁才天」つまり財産・富・繁栄の女神ではなく、芸術と学問・言語の女神だったのです。

ご存知の方も多いと思いますが、「財産・富・繁栄の女神」は、インドでは「Lakshmi(ラクシュミ)女神」で、日本では「吉祥天」として知られ、商店が、今日でも土地の「商売繁盛の神さま」の札を貼るように、インドの飲食店・商店の多くに「Lakshmi」の絵が掲げられています。同様に、ヒンドゥー教徒の音楽家であればもちろん、舞踊家、様々な芸術家の家には額縁に入れられた「Saraswati」を見ることになります。

Saraswatiは、その四本の手の一本に数珠を持ち、一本に経典を持ち、残る二本で弦楽器を奏でることでも知られます。その弦楽器は、現代ではもっぱら南インドの「近代Vina/Karnatick-Vina」が描かれています。楽器については次回詳しくご説明致しますが、大樹を刳り貫いた深いスプーンの様な形の棹と胴の楽器は、実はインド原産ではないのです。

インドにおけるヒンドゥー教の女神の中には、Saraswatiの他にも弦楽器を抱える女神がいます。「スピリチュアルインド雑貨 SitaRama」のブログでも紹介された、「十の智の女神(Das-Mahavidya)」の中の「Matangi(マータンギー)女神」は八本の腕の二本でVinaを奏でます。
Matangi女神は、タントラにおけるSaraswatiであるという説もありますが、腕の数が倍ですし、Natangiの名の他にもShri RajashyamalaやLalitha Parameswari といった名前があります。何度も申し上げているように、地域限定の神がヒンドゥーに組み込まれた要素もあると思われ、全てをSaraswati女神の異なる名前や姿であると解釈することも出来るとともに、全て異なる神々であると解釈することも可能なはずです。
SitaRamaのブログに紹介されているMatangi女神は、「南インド近代Vina」ではなく、より古い「北インドVina/Vin/Rudra-Vina」を構える姿で描かれており、Shri RajashyamalaやLalitha Parameswari として描かれる際も、「北インド型」が描かれている場合が少なくないようです。逆にSaraswatiとして描かれている場合は、殆どが「近代南インド型Vina」であるのもなにやら意味深い感じがします。
何故ならば、Saraswati信仰がとりわけ南インドで盛んである、というわけではないはずだからです。さらに言えば、近代南インド型Vinaが描かれている形になった頃には、北インドの新しい弦楽器シタールも、ほぼ今日の形に発展していましたから、北インドで印刷されるSaraswati絵画では、Sitarを構えていてもおかしくないのです。もちろんこれは、Sitarがイスラム教徒音楽家的であろうから有り得ないのでしょうが。と、思いきや、最近の北インドで描かれたポスターではシタールも目だってきた感じもします。ようやく、インドの人もこの問題に取り組み始めたのでしょうか?

「弁才天」が「弁財天」に替えられた話をインドの師匠のひとりに言いましたら、「日本人は才能より金が欲しいのか!」と冷笑していましたが、かく言うインドでも、持たせる楽器に何やら恣意がありそうなのです。
日本でもインドでもSaraswatiは、常に叡智と母性に満ちた優しい微笑みを浮かべながら、人間の甘えと奢りをすべて容認してくれているようでもあり、申し訳ない気がしてきます。

(文章:若林 忠宏

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