25、弁才天とVina

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インド・ヒンドゥー教の「元祖弁才天」である「Saraswati(サラスワティー)女神」は、四本の手の二本で、弦楽器「Vina(ヴィーナ)」を奏でる姿で描かれていますが、面白いことに、この女神は、ヒマラヤを越えてチベット、中国、日本へと伝わり、チベットからは、一時期同盟国で、チベット仏教を取り入れたモンゴルにも伝わり、それぞれの国の伝統的な民族弦楽器を構える姿で描かれています。

ひとつの不思議な共通点が、インド以外の「弁才天」は擬人性が増し、いずれも腕は二本であることです。チベット仏教の場合、教義的にはタントラ仏教の要素が濃いのですから、四本腕の「Saraswati」よりも、八本腕の「Matangi」が伝わったのではないか、とさえ思えますし、有名な「曼荼羅画」では多手の神々が描かれています。にもかかわらず「弁才天」に相当すると思われる神々はいずれも人間と同じ姿なのです。

今日見ることが出来るSaraswatiが持つ弦楽器は、「近代南インド型Vina」がほとんどどで、Saraswatiのタントラにおける姿であるという解釈もあるMatangi女神は、「近代南インド型Vina」の他、「北インド型Vina(Vin)」を持って描かれることもありますが、Saraswatiが「北インド型Vina」を持って描かれた姿を、私は未だ見たことがありません。

実は、そもそもVinaという楽器は、前述では便宜上「北インド型」としました楽器が本来なのです。「北インド型Vina」は、同じ大きさの大きな干瓢の実の共鳴体に、竹竿を渡し、糸巻を差し弦を張ったシンプルな構造です。
これは、竹筒の弦楽器を、女神がその豊かなふたつの乳房に充てて響かせたという神話に基づくとも言われます。

「近代南インド型」の大きな深いスプーン(柄杓)の様な形状は、実はイスラム勢力がもたらした西・中央アジアの弦楽器が原点なのです。
その楽器は、「Tambur(タンブール)」と呼ばれ、西・中央アジアでは主要旋律弦楽器でしたが、イスラム王朝インドでは、もっぱら花柳界および宮廷宴楽の歌姫が自ら音取り(基音持続)の伴奏に爪弾きました。このスタイルは、10世紀に始まり13世紀から18世紀の間には全インドに広まったようです。
しかも、イスラム王朝と闘っては和平するを繰り返しヒンドゥー藩王国を維持した西北インドのラージプート地方。および、ほぼ全土をイスラム勢力に支配されながらもヒンドゥー文化が細々と生き残っていた南インドといったヒンドゥー文化圏でも「Tambura」は、重要な伴奏弦楽器となっていたのです。

南インドの近代Vinaは18世紀頃に今日の形になったと思われますが、当時の南インドは、イギリスの植民・分割統治の弊害もあって長く戦乱が続き、その伝統や系譜はかなり混乱してしまったため、正確なことは分かりにくくなっています。しかし、今日のSaraswatiが構えているような、一見ギターや三味線と同様な構え方をするようになったのは20世紀中頃からのことで、20世紀初頭の写真からは、北インドのVinaよりも立て、ほぼ垂直に構えて弾いていたことが見て取れます。

18世紀頃の図版でも発見されない限り、言い切ることは出来ませんが、Saraswatiが構えた弦楽器「Vina」は、古くは南北共に同じ形をしていた。それは、今日「北インド型Vina(Vina/Rudara-Vina)」と呼ばれるものと同形であった。従って、本来は「北インド型」という言い方をする必要はなく、「近代南インド型(Saraswati-Vina/Karnatick-Vina)」が隆盛によって対象的に言われるようになったに過ぎない。と考えられるのです。

(文章:若林 忠宏

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