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ムドラー

仏陀とアバヤ・ムドラー

Statue of Buddha in a temple in China

今年も仏陀の降誕祭として祝福される満月が近づいています。インドでは、ヴィシュヌ神の9番目の化身とされる仏陀。そんな仏陀が見せるさまざまな御姿には、その一つ一つに、深い意味があると伝えられます。特に、その手が示すムドラー(印相)は、私たちに大きな気づきを与えてくれるものです。

仏陀が結ぶさまざまなムドラーの中に、「施無畏印」といわれる「アバヤ・ムドラー」があります。アバヤ・ムドラーは仏陀だけでなく、ヒンドゥー教の多くの神々が結ぶムドラーでもあり、「恐れのない」ムドラーを意味しているといわれます。このアバヤ・ムドラーと仏陀の間には、ある言い伝えがあります。

多くの帰依者を従えるようになった仏陀は、ある時、嫉妬深い従兄に殺害を企てられます。従兄は暴れ狂う一匹の象を、仏陀の歩く道に放しました。目の前にこの象がやって来た時、仏陀がアバヤ・ムドラーを示すと、象は途端に穏やかになり、仏陀を襲うことはしなかったといわれます。

アバヤ・ムドラーは、肩のあたりに手を上げ、指をそろえた手の平を前に向けるムドラーです。それは、手に武器が握られていないことを象徴するとも伝えられます。相手に恐怖心を与えないこのムドラーは、守りや平安を授けるムドラーとして、インドの神々の間で結ばれることも多くあります。崇高な存在と向き合うことは、何よりも、私たちの内に渦巻く無数の恐怖を、払拭してくれるものに他ありません。

ムドラーは、主に手で示すジェスチャーによって、ある意味を象徴的に表現するものと伝えられます。ハタ・ヨーガにおいては身体で示すムドラーも実践されるように、ムドラーは自分自身の内なる世界からその周囲まで、取り巻くエネルギーを改善し向上させる術でもあります。

私たちは日常生活の中で、自分自身の思考や内なるエネルギーの在り方を、手や身体の動きで示しています。日々の一瞬一瞬において、自分自身の姿勢、そして身振りや手振りに意識的になることで、より豊かな日々を自ら築き上げることができるに違いありません。

ブッダ・プールニマーを迎える今、改めて、仏陀の姿勢を通じその教えに触れています。多くの苦難を経験しながらも、深い瞑想によって悟りを得た仏陀のように、まずは自分自身の行いに、常に意識的でいられるよう努めたいと感じています。

(文章:ひるま)

参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Abhayamudra

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