36、九つの感情:Rasa

この連載の始めの方で、インド科学音楽・古典音楽は、「絶対音楽」の立場であり、その中でも最もその性格が顕著であり、厳格な音楽として、世界に類を見ない、というように述べました。にもかかわらず、唱歌「赤とんぼ」や「海」を例題にしたり、神々のRagaやTalaの説明の中では、あたかも「標題音楽」であるかのようなニュアンスも感じられたかもしれません。  

しかし、以前にも述べましたように、「赤とんぼ」「海」の作者は、確かに標題とその具現を意識していますが、私がインド科学音楽の手法で解析し説明したそれには、標題性が無いのです。  
しかし、原曲の科学を解析し、再現するならば、正しければ正しいほど、その旋律は「赤とんぼ」の動きを見せるでしょうし、聴く人も「ああ、正に赤とんぼの飛ぶ姿を見ているようだ」と思うでしょう。
ですが、もし「タイトル」を知らなかったら?

実際、私は演奏会で、「赤とんぼ」「海」「炭坑節」を、曲名も意図も言わず、Ragaとして弾き始め、優に30分は、百人、二百人の聴衆の方々が、原曲に気付かなかった実例を何度も行っています。
最後の最後に、「余興性」で、「実は、原曲は○○でした」が分かる様に弾くのですが。それ迄、殆ど全てのお客さんが気付きませんでした。 北九州・若松の演奏会での「Raga:五平太囃子」では、最後に原曲をそのまま弾いて居るのに、数分誰も気付かず。あちこちで、一人二人「まさかな?」と気付き始め「やっぱりそうだ!」と笑い声と喝采が興るまでにかなり引き続けたこともあります。
それまでのインド音楽としての演奏も、原曲をそのまま示した最後の方の演奏も、聞いている人のイメージや頭、心の中には、遠賀川を石炭を積んで行く木造小舟の風景は思い描かれていないのです。故に、紛れも無い「絶対音楽」なのです。

もちろん、お客さんの中には、山が見えた人も、正に大当たりで川下りの風景が見えた人もいるかもしれませんが、Ragaは、それらを否定もしなければ、限定も強いることもしません。何故か?
そもそもが、私たちの情感に訴える為の音楽ではなく、心の奥や魂、細胞ひとつひとつ、チャクラやナーディに作用するように奏でられる音楽なのです。
細胞からチャクラに至る数万の命を、ひとつの小学校だとイメージしてみて下さい。私たちの意識(や情感、印象、イメージなど)は、たった一人の校長先生のようなものです。
私たちの体や神経、心、プラーナたちは、近くて遠い「北○○」という国の「マスゲーム」の子供たちのように、ほぼ全て同じ感情と表情で、完璧なシンクロ動作を繰り広げるようなものではないのです。
なので、如何に校長先生が芸術鑑賞会の始まりに自分の意見を押しつけた解説をしようと、始まってしまえば、全校生徒たちは、まさに千差万別に感じているに違いありません。

実はそれぞれのRagaは、「Nava-Rasa(ナヴァ・ラサ)」という、九種の情感と関連着けられる理論があります。
ご存知これは、ヨーガやアーユル・ヴェーダが説く「九つの感情」とRagaを関連させた概念で、「Bakti(献身)」を入れるならば十種になるものです。が、これの解釈の誤りのために、日本の研究者はもちろん、インド現地の研究者さえもがインド科学音楽~古典音楽を、まるで「標題音楽」的に解釈してしまっているのです。
正しくは、上記しましたように、タイトルが「Raudra(恐れ)」であろうと、校長先生が「怖いですよ~」と前振ろうと、私たちの臓器や細胞、チャクラの中には、「けらけら」笑っている子も居るかもしれません。
しかし、如何に西洋医科学におけるエビデンスが得られてないとしても、私たちの心と体、神経、チャクラ、ナーディに何らかの、大まかな総合的作用を与えることは大いに有り得ることです。
例えば、Raga:Bihagのテーマは「夢」ですから、Nava-Rasaでいうならば、「Shanti(シャンティー/平和)」でしょう。しかし、「テーマ」と言っても、標題でもイメージでもないのです。音そのもののと、動きそのものが、「夢」そのものなのです。強いて分かり易く言うならば、「副交感神経の働きを優勢にする」可能性は大いにありそうなRagaです。プラセボ効果も手伝えば、「不眠症に効く」可能性も大いに有り得ます。ただ、「眠り」ではなく「夢」であるところがミソなのですが。  

(文章:若林 忠宏

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