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インド音楽

37、ラーガの本質:Prakriti

singing bowl made of seven metals surrounded of colorful autumn

インド古典音楽の根底にある古代科学音楽は「絶対音楽」である、とされながら、「Nava-Rasa(九つの感情)」と関連させたり、時間や季節と関連させるなど、私たちの日常の生活観や情感にイメージを与えるような説明も多くなされます。
しかし、インド科学音楽の「絶対音楽としての効果効能」は、何度も述べているように、私たちの情感や印象に普遍的に効果・影響を与えるというものではなく、心と体の細胞やプラーナ、チャクラなどに効果・影響を与えるものなので、極論すれば、「音楽は楽しむものだ」とか「癒されたい」というような、表層的、末梢的、現象的、局所的に偏ったイメージや要望に対して奏でられるべきものではないのです。  などと言うと、演奏家の巧妙な逃げ、言い訳、責任転嫁のようですが、その代わり、音楽家は、Ragaの本質「Prakriti」を如何に正しく、より多く、より深く具現するか、という厳しいテーマと向かい合うべきなのです。

以前「人間で初めて音楽を奏でた聖者:Naradaへの戒め」の神話的伝承をご紹介しました。若干不謹慎で語弊がありますが、「Raga演奏は、降霊術のようでもある」とも述べました。また、「もの皆神が宿る」のアニミズムにも根ざす、「Ragaの精霊」の存在が信じられ、実際、多くの音楽家が「歌わされた(弾かされた)」という神秘的な体験を多く語っています。

これらは、「科学的合理性や現実論」を重んじる人に説くことも可能です。「Raga音楽を演じること」すなわち「Ragaの具現(精霊の降臨)」は、 或るRagaという人物のドキュメントを紹介するTV番組のようなものです。
番組では、予め作られ、打合せをした台本的なものがありますが、即興演奏の場合、司会者(インタビューアーや対談相手)にとって、その人物を視聴者に紹介する手順や技(Raga演奏法)は、常に基本通りで、事前にその人物を知っていたかもしれないし、以前にもドキュメントやインタビューをしたかもしれない。しかし、台本が無い即興では、思いもしなかった物語(エピソード)が飛び出してくるかもしれないし、想定した訊き方がハズレの場合もあれば、大当たりで話が進む場合もあるかもしれません。
この「聴き手」と、紹介される「人物」の関係が、音楽家とRagaの関係なのです。

古今東西で、音楽および様々な芸術は、「自分の世界」と「受け手の客観」との狭間で苦悶するものであり、そのバランスや、駆け引きは、普遍的な永遠のテーマとも言えます。しかし、インド科学音楽の場合「自分の世界」でもなく「Ragaの世界」「真理、マントラ、科学の世界」なのですから、それにのめり込む姿を「受け手を忘れたプロにあるまじき姿」とは言えないはずです。
理想を言えば、インタビューアーがのめり込んで行くのを観で学ぶ番組のように、科学者が失敗や試行錯誤を繰り返しながら寝食を忘れて研究や実験に埋没する姿を見て楽しむ「メイキング番組」のように、インド音楽を聴いて下さるのが一番「本質」に近いのですが........。

実際、古代の科学音楽の音楽家は、そうだったはずです。本業は僧侶で、喜捨で食べて行けた。しかし、寺院音楽の時代後半でさえ、そればかりではいられなくなり、宮廷音楽においても、真髄の表現ばかりでは許されなくなっていったのです。
同時に、メイキング番組のような理想型は、ある意味「理想的な啓蒙・布教」でもあるわけで、受け手が、自分たちの「楽しみ、癒され」を求めず、自分たちも真髄に迫り、創作、具現に努める意識があれば、理想は「あたりまえ・当然」の姿に変わるはずなのです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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