ラクシュミー女神を呼び覚ます

composition with hindu gods, India, Asia

私たちが手にするお金、宝石、家、子孫、食事、そうした豊かさは、すべてラクシュミー女神のあらわれです。それだけでなく、勇気や強さ、幸せや喜びなども、ラクシュミー女神のあらわれであり、自分自身の周りを見つめてみると、ラクシュミー女神が満ち溢れていることに気がつきます。

美と豊穣の女神であるラクシュミー女神を礼拝する数多くの吉日の中で、とりわけ盛大に祝福されるのが、これから迎えるディーワーリー祭です。光の祭典として知られるディーワーリー祭は、ラクシュミー・プージャーとして祝福される慣習もあるほど、ラクシュミー女神に深く関わりのある祝祭です。一説に、ラクシュミー女神は乳海撹拌を通じ、このディーワーリーの日に姿をあらわしたと信じられています。

乳海撹拌において生み出された14の宝の一つであるラクシュミー女神は、あまりの美しさに多くの神々や聖仙に求婚されるも、横になり眠っていたヴィシュヌ神を求めました。働き者で努力を怠らない者を好むラクシュミー女神は、ヴィシュヌ神は世界を守り、そして維持する神であることから、大変な努力と働きを行う者と考えたからだといわれます。

働きがあるところには、豊かさが生じます。住む家があること、食べる物があること。そして、その豊かさに気づくことは、自分自身の内にラクシュミー女神を呼び覚ますことに他ありません。その気づきは、更なる豊かさを招きます。

もっと多くを望んだり、少ないことを嘆き悲しむ私たちは、強欲になったり怠け者になったり、既にある豊かさを見失い、自分自身とその周囲に満ちる溢れるラクシュミー女神の存在に気づくことができません。真っ暗な新月の夜、灯された光によって祝福されるディーワーリー祭は、私たちの無知という暗闇に、気づきという光をもたらすことを象徴する祝祭です。それは、ラクシュミー女神を呼び覚ます吉兆な時にも他ありません。

ディーワーリー祭の日、清潔で光の灯るところを見つけてはやってくるといわれるラクシュミー女神を迎え入れるために、祝祭の前には多くの人々が身の回りを整え、光を灯し始めます。そうして自分自身の心と行いを見つめ直すことは、何よりも大きな豊かさをもたらしてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)