58、第7Chakra:SahasraraとRaga

頭頂部にあるとされる「第7のChakra:Sahasrara」は、言うまでもなく、脳と関わるとともに、「霊性、直感、宇宙意識」と関わり、「宇宙との一体感、および超能力」を司るとされます。

他の六つのChakraでは、それぞれ「関わりのある臓器」と、「司る意識や精神性」を別けて説明されています。

ところが、前回「第6のChakra:Ajna/Agnya」のことでも述べましたように、古代インドの科学では、「自覚出来ない感覚」は、臓器や自律神経等と同格の存在と考えているようであり、すくなくとも自覚出来る感覚とは、はっきり区別しているようなのです。

この第7Chakra:Sahasraraでは、臓器である「脳」とともに「霊性、直感、宇宙意識」が、「関わりのあるもの」に分類して説かれています。

一方「司る」では、私たちが「自覚出来る意識」が分類されているのですが、この第7Chakra:Sahasraraでそれは、「宇宙との一体感、超能力」となっていて、なんだか抽象的な感じがするかも知れません。

しかし、もし「宇宙との一体感」を感じ取ったとしたら、錯覚や思い込みも含め、それは「自覚出来る/意識」の領域であるのに対し、「霊性、直感、宇宙意識」は、特別な訓練を積まない限り、日常自覚出来ないものであり、錯覚はあるかも知れませんが、思い込むことはそうそう出来ないに違いありません。

この微妙な領域に関しては、古今東西で、「悟り」とか、「予知夢」「デジャヴュ」「霊感」のような表現がなされています。錯覚や思い込みなどと言うと「偽」と思われるかも知れませんが、それらさえ、微妙な領域の狭間に存在するかも知れないのです。

少なくとも、私たちの常識や、医学が解明した脳や意識の世界は、実際の脳の存在のほんの数パーセントに過ぎないとは多くの学者が認めているところです。

私事で恐縮ですが、母が卒中で倒れた時、MRI画像で説明を受けましたが、確かに素人目にも納得がゆく程「ここが言語中枢」という辺りが完全に真っ黒でした。

ところが生死の境を何度か体験し半年後に奇跡の退院を果たした頃、「神様!多少は減らして下さっても良かったのですが」と冗談を言う程に言葉が回復したのです。ちなみに主治医の先生は「新薬が効いた」とおっしゃっていましたが、私は私で、イヤフォンで、「ドビュッシー」と「インド音楽」を聴かせ続けていました。

ここで、「第6のChakra:Ajna/Agnya」で述べた、「自覚出来ない感覚もまた臓器のような存在である」と逆の意味を考えてみます。

西洋医学・解剖医学的な現実論で言えば、臓器は確かに実在するとされ、「霊性、直感、宇宙意識」は、目に見え、手で触れられる実在ではありません。しかし、そもそも東洋医学では、目に見え、手で触れられる臓器はもちろん、細胞でさえも「意識を持った存在」であり、最近ようやく理解する人が増えて来た腸内細菌とともに、私たちの体骸を共有して生きる数万の同居者なのです。

つまり、解剖学的に言う臓器でさえも姿形に匹敵する価値の「意識」があり、セットで存在意義があるわけで、とりわけ「脳」の場合は、その意識が私たちの「自覚・意識」とは別次元に「霊性、直感、宇宙意識」を持ち、他の臓器や細胞と比べ、明らかに自発的にその判断を変化させているという意味合いで理解することが出来るのではないでしょうか。

実際細胞の次元でさえも、状況に応じて自発的・意識的な行動を取ります。外敵に占領され、このまま生きることが「共同体=体全体」の利にならないと判断すると自決(Apoptosis)します。しかし、実直で仕事熱心な細胞や善玉菌たちは、ある意味逆らえないプログラムに従っているのだとしたら、「脳」は、プログラムされていない思考を、しかも、私たちが自覚していない領域で、膨大に行っているわけです。なお、「超能力」も、自覚の領域として挙げられていますが、これこそ、自覚出来なかった知覚や能力が自覚出来たが故に、その驚きを言葉に表した用語と言えましょう。

つまり、私たち人間は、「意識・自覚出来る分野」と、「意識・自覚出来ない分野」から成り立っており、実は、体も心も、圧倒的に多くを後者との関わり、絆で成り立ち生きているということなのです。しかも、その「自覚出来ない意識」の領域では、臓器や細胞さえもある種の意識を持って行動し生きているのかも知れないのです。さすれば、私たちが日常で自覚している意識なぞは、肩書き名目だけで仕事が出来ないばかりか、部下が何を考え何をしているのかさえ知らない駄目社長のようなものかも知れないのです。

このような私たちの常識を遥かに超えた存在の可能性があるかも知れない第7のChakra:Sahasraraと関わるRagaもまた、私たちの自覚出来る感性で、心地良いとjか癒されるなどというような音楽ではないかも知れません。

治療も病院も嫌いな母は、看護婦さんが居ないと知ると酸素チューブを直ぐに外してました。私のイヤフォンも同様でした。或る時、日課になっていた見舞いに行くと、お医者さんと間違えたのか慌ててイヤフォンを鼻に差して何喰わぬ顔をしていました。流石に「やはり駄目か」と嘆きましたが、「自覚出来る意識」というものは、たかだかそんなものなのだ、とも学びました。そんな時でさえ、もう一方の意識は、確かに生きよう(元に戻そう)としていたのです。

(文章:若林 忠宏

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