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インド音楽

59、Chakraと中医・漢方弁証論治そして科学音楽

Meditation time

アーユルヴェーダとヨガの基本とも言える「Chakra(チャクラ)」の概念と、中医・漢方(中国医学及び日本の漢方医学)における「弁証論治」との間には、多くの共通点と、いくつかの相違点があることは、しばしば語られています。

共通点の中で最も重要と思われることは、「Holistic(全身医療)」であることでしょう。Holisticである以上、局所・対処療法とは、根本的に考え方が異なる訳です。例えば、「口内炎」に関して、西洋化学対処療法は、「ステロイド剤(消炎)と抗生剤(殺菌)」で対処します。「結膜炎」もしかり。いずれも「患部」に直接的に処方します。それに対して、アーユルヴェーダや中医・漢方弁証論治では、何らかの問題が内面的に生じて「熱(体温、発熱とは別次元)」が上昇して口内や結膜に現れるという解釈をします。そして、その根本的な問題の解決を重要と考えるわけです。

もちろん、西洋医学のお医者さんでも、近年驚く程意識を変えられた方は少なくないはずですし、口内炎に対するVitamin療法は、昔から市販薬にあります。

しかし、発熱や下痢に対して「何処かに犯人が居るはずだ」と、抗生剤とステロイド剤という感覚の時代は大分長かったですし、今でもそれが基本というお医者さんも少なくないようです。そして、実際、「効いた!」と思わせる一時的な現象も現れますから、それで良いと思う人も少なくないはず。もちろん私もずっとそうでした。そして、また悪くなればお医者に行けば良いと思って疑わなかったのです。

しかしHolisticから見れば、「また悪くなる」のは当然。「根本原因」をほとんど考えていないからです。

一方、アーユルヴェーダと中医・漢方弁証論治との間で、若干とらえ方が異なるように思えるのが、アーユルヴェーダが、「体質」の個体差によって、治療法(対処法と根治法)を考えるのに対し、中医・漢方弁証論治では、あまり「個体差」を考えないようにも(一見)思えるところでしょう。しかし、中医・漢方弁証論治の「証」を、アーユルヴェーダの「体質=状態」と同じ感覚でとらえれば、さほど異なってはいないとも考えられます。

逆に「健康な状態」というものを、「正常な状態」とし、それはある程度普遍的だろうと考えれば、アーユルヴェーダの言う「体質/個体差」は、普遍的な状態から、幾分何かに偏った状態であるという理解も出来るかも知れません。勿論、生まれながらの動かしがたい体質も確かにありますが。

しかし、ここに重要な問題があるように思います。そもそも「健康な状態」というものが、実はあまりはっきりとは概念化されていないということです。仮に古代に概念化されていたとしても、その時代には想像も出来ない程自然が崩壊し、有害物質に浸されている現代人の場合の「健康な状態」というものを理解するには、古代の叡智をある程度翻訳して理解する必要もあるのではないでしょうか?

保護猫活動をしているので、現代人の有様が「野良猫」と重なってしまいます。(猫がお好きじゃない方には恐縮ですが) 猫が山猫から人間に寄り添う為に猫になってからも数千年は、自由に野外を闊歩し、長閑に暮らしていました。勿論天敵は居たに違いありませんが、自然に囲まれ、本能と叡智が知る有害無害の識別で、健康に天寿を全うしてたのです。同じ様に人間も昔からの知恵で、「加熱してから食べる」とか「灰汁を抜いてから」とか「食べ合わせ」などを配慮しながら生きて来ました。

それが現代になると、猫たちの死因の上位は、昔には無かったような(もしくは極めて少なかった)幾つかの不治の病と交通事故と、虐待(毒餌を含む)。生ゴミ漁りではどんな有害物質があるか分からない。人間には問題なくても猫の体を蝕むものは沢山あります。人間だって、昔はそんなもの食べなかった。猫も葱類や百合科など以外は、人間から貰って食べても平気だった。

昔には無かった不自然な食べ物や環境の中で健康を維持しなくてはならず、飼い猫が病気になれば、昔にはなかった薬や治療法を施される。

この何千年掛けて狂わせて来たものを、突然「猫は自然の中で自由が一番だ!」と家の外に放り出すことが猫の健康に果たして良いことなのか?

同じように、人間も、壮大な過ちの歴史を、順繰りに紐解くように改善して行く必要もあるのではないか? という考え方なのです。

本来生き物には「バランス調整=恒常性」が備わっていますから、「自然治癒」が可能なわけです。「なら医者は要らない」という話になってしまいますが、人間は、何千年何百年の間に、自らを虐め抜く様々な愚行を重ねて来たのでしょう。その結果、何が「健康な状態」か分からないほど、「健康な状態」が害されているのかも知れません。なので、神から授かった「恒常性の力」も、ニュートラルを維持するというよりも、日々過激に変遷する偏りに対処するので精一杯になっているのかも知れません。

もうひとつの重要な課題が、何度も述べて来ました、「意識で実感出来ること(実感)」と「意識で実感出来ないこと(非実感)」の二つの「道」が存在するということです。そして、この二つは、かなり深く関わっているのでしょう。その結果「心因性の疾患」もあれば、「プラセボ効果」のようなことも起きてくるわけです。

しかし、本当に心と体に良いこと、悪いことを理解するためには、意識で実感出来ることばかりで判断してはならないのでは?という考え方です。

例えば、今ここに、古代アーユルヴェーダの音楽療法師が、タイムトラベルして来たとして、私たちが「楽しい、心地よい、癒される」と喜んで聴いている音楽の何かをして「とんでもない!心と体に悪いから直ぐにやめろ!」とおっしゃるかも知れません。

人間に限らず生き物には、まだまだ解明されていない秘められた力があるはずです。そして、おそらく「毒に慣れる」という能力も想到なものに違いありません。古代の人が聴いたら絶えられない音や音楽でも、慣れてしまえば平気ということです。

賛否両論あるかも知れませんが、コロンブスたちがカリブ海に乗り込んだ後、西洋人には平気になっていた細菌やウィルスで、先住民族が壊滅状態になったという話もあります。 何百年もすれば、花粉も全く平気という新人類ばかりになるかも知れません。実際その考え方の治療法も始まっています。

いずれにしても、世の中の流れは「局所・対処療法」から「Holistic/全身医療」に向かっているに違いありません。そして、それは必然的に「予防医療」な訳です。

しかし、現代人が持つ「毒に対する順応性」の要素や、その結果鈍ってしまった(処方に反応する)感受性のことも、これからはもっと考えてゆかねばならない時代になるのではないでしょうか。勿論、心や体のより深い領域の基本は変わらないはずです。故に、あくまでも表層的、対処療法的な領域においてのことかも知れませんが。

(文章:若林 忠宏

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