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インド音楽

68、視覚・神経・感覚・知性のRaga

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視覚に関わるRaga、及び神経系統や感覚、知覚、五感、さらにはそれらの力の余裕や、バランスの良さによって得られる知性や精神力の向上、成熟に関わるRagaは、精神系やリラクゼーション、及び情感、愛情などに関わるRagaほど多くはありません。

アーユルヴェーダでも、西洋ハーブでも、中医・漢方生薬でも、やはり「視覚・視神経」に関わるものは、消化器や循環器に関わるものと比べて、それほど多くないと思います。

そもそも経口で服用して、「目に効く」というのも不思議な感じがします。西洋化学製剤による局所対処療法の感覚に慣れ親しんだ私たちにとって、「目の異常は、目薬」的なものが染み付いているからでしょう。

経口服用であるにもかかわらず、目の異変に効果・効能があるということは、成分が消化吸収されて血液と共に運ばれる中で、視神経や目の辺りで、独特な効能を示すということなのでしょう。それと同時に、目に異変をもたらす根本的低層的な元凶の抑制や緩和も行っているに違いありません。まさにこれこそ「非局所的・非対処療法的」と言うべきものでしょう。

実際、ブルーベリー系の果実に多く含まれるアントシアニンなどは、西洋科学のエビデンスも得られている様です。しかし、やはりそれ以外の間接的に効果する多くの成分による未解明の要素もまだまだ多いのではないでしょうか。

などなどと、理解したとしても、流石に「音が効く」となると、少し隔たりを感じるに違い在りません。

そもそも、私たちの祖先が、生薬やハーブを発見したきっかけの多くは、野生の生き物たちが、その天性の叡智によって体の異変を治すための植物を知っていたからだと言われます。

健胃・整腸効果が説かれる「熊笹」などは、その典型ですが、「熊は冬眠前に栄養補給で多く摂る説」から、「冬眠後の消化器の復旧の為に摂る説」もあれば、「そもそも葉の縁の変色を言った”隈笹”であり、熊とは無関係説」さえあり、やはりエビデンスが無いことで、批判的な医療関係者さんが多い「生薬」の代表でしょう。しかし、熊が「隈笹」に限らず、冬眠開けに笹を食べる習慣を見た昔の人の伝承は各地にあり、同じ様な話は、インド、シルクロード、アメリカや南米の先住民族に多くあり、西洋ハーブの中でもかなりの割合が、先住民の伝承によるもので、その発端は野生動物の習慣から学んだとされます。

同じ様に、西洋科学論理性のエビデンスを充分に得られていないかも知れない、針・灸・指圧などは、私たちが実感してその効果をしることが出来ます。我が家の保護猫たちも、その状態によっては、指圧やマッサージの方が、顎や頬をさすられるより嬉しそうな時が多くあります。

しかし、それでもやはり「音が効く」ということに関して、野生動物から学んだとは到底言えない訳ですから、心と体の中でも、最も実感が得にくく、その仕組みが理解しずらい「視神経」に対しての「音楽療法」は、最も把握しづらいのも事実かも知れません。逆に言えば、「最もプラセボに影響されにくい」とも言えましょうが。

しかし、「視神経・視覚・眼」は、非常にデリケートなバランスで保たれていることは、誰もが実感していることでしょう。例えば「目の疲れから肩が凝る」を筆頭に、充血したり、眼圧が違和感を超えたり、めまいや焦点が惚けたりの経験は少なくないはずです。が、多くの場合、程なく解決してしまったりするものですから、酷使していてもあまり気を使わないことも多いのではないでしょうか。

また、別な観点で述べますと、実際の目の酷使や疲労に加えて、気分的・心因的な要素も大きいということも考慮すべきでしょう。

かつての私は、目のことに関して、今の数百倍神経質に考えていました。少しの異変でも大きな病院に行って数時間掛けて検査をして「異常が発見出来ない」と言われたこともありました。少しでも度が合わなくなれば作り替える上に、金属アレルギーもあって、直接触れない部分でも痒くなったりで、日に何個かを掛け替えているほどでした。

ところが保護猫の世話の費用で一杯一杯になって以後は、ピントが合わずとも気にしていられなくなり、古いPCが不調な時に成れないWindowsを見て、最初は「駄目だ!絶えられない」と思ったドギツイ光線にも、いつの間にか慣れてしまっています。そんなことよりも病気の猫の容態の方が重要に思ったからでした。

と、楽観的に考えていて、取り返しのつかない重大な異変の場合もあるでしょうけれど。おそらく、視神経や目の違和感や異常の大半は、心因性なのではないか、とも学んだ訳です。

つまり、アーユルヴェーダやヨガの科学が説いているように、視神経は、その近隣の第6のChakra:Ajna/Agnyaと関わり、そnChakraは、そもそもは、外からも中からも視覚的には見えない「第三の目」なのですから、「見えにくい」とか「焦点が合わない」という自覚症状が訴える次元を超越している訳です。

また、それゆえに「視神経意外も含む、神経系」や「五感、知覚」にも大きく関わるとともに、「直感、第六感、勘」や「叡智、知恵、知性」とも大いに関わってくる訳です。

私ごとが続いて恐縮ですが、猫本意の価値観になって以後すっかり忘れてしまった「ものの見え方による苛々」を、今にして思うに、現実的なこと、物理的なことに対する、不満を抱き易く、過敏で神経質な精神性であったと痛感する訳です。

このようなことも含めて考えるに、Raga療法であっても、単なる精神安定の域を超えた何らかの効能があるものであれば、その効果もあり得るだろうと言えるのではないでしょうか。

そもそも「第三の目」の存在こそは、現代人の私たちが忘れている「非現実的、非現象的、非物理的、非物質的」なものを見る力の象徴である訳ですから、それを思い出させ、その眠れる力を呼び起こす作用があることも、その作用が効果することも、大いにあり得ることではないでしょうか。

(文章:若林 忠宏

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