71、古代の弦楽器

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この連載の冒頭にお話し致しましたが、インド古代音楽にとって楽器は、「宇宙の波動」を受信する言わばレシーバーやラジオのようなもので、修行を重ねた結果、雑音(他の電波の混入)が少ない正しい音を楽器から発することが出来る。それは「正しく受信するからだ」と説きます。人間の声による、マントラなどの詠唱から古典声楽に至るものも全て同じ観念で考えられ、あたかも人間の身体も楽器の一種と考えるのです。

この7月にトンボ帰りで上京し、都立の小中高の音楽の先生に世界の打楽器について講義とデモ演奏をしてきました。長年「社会人講座」の講師をさせて頂いている東京音大付属民族音楽研究所の共催でした。その時、音楽の先生たちに質問した同じ問い掛けをこの連載の読者さんにもしてみたいと思います。正解は(憶えていたら)次回に書きたいと思います。

問題は「世界で最初に出来た太鼓の胴体は何?」です。ヒントは、「世界中何処でも同じ考えで作られました」「でも、世界に一個しかありません」です。

昔、地方のレクチャーコンサートで同じ問いをして、正解を言わずに帰って来てしまい、翌日お客さん数名から主催者に「気になって夕べは寝られなかった」の苦情が寄せられたことがあります。この連載で少しご紹介しました「ガネーシャ神が世界で最初の太鼓奏者で、その太鼓は土(素焼)製のムリダング/Mridang)」はインドだけのことですから今回は割愛して下さい。

この問いの答えでも分かるように、古代の人々はインドのみならず、かなりアニミズム(自然崇拝)的な感性を持っていたのです。(これも大きなヒントになってしまいましたが) ところが後世、例えば西洋では「Musical-Instruments=音楽の道具」のように言われ、確かにその後から今日に至る様子をインド古代音楽の感覚で見ますと「自己表現の道具」もしくは「名作を再現する道具」のようになっている感じもします。

一方、中国の人々の感覚「楽しみの器」は、まだ「心」が感じられますね。でも、インド古代音楽は全く次元が異なる。「宇宙の波動の受信機」ですから、人間より尊い。人間の道具などでは断じてないのです。もちろん「楽しみの為だけ」でも全くないのです。

また、正しい修行によって鍛えられた人間の声(喉}もまた「楽器」ですから、それも神々から賜ったもの。その歌い手の私有物ではないという感覚です。もちろんそこには師匠への恩義や流派への忠義も加わりますから、日本の歌舞伎役者さんや、正統派古典落語の「芸」に関する感覚が近いかも知れません。

物理学・現象論に執着する人々は「非科学的だ」とおっしゃるかも知れませんが、確かに物理的には喉や楽器の振動が音になるのだとしても、楽器から発振されると同時に、常に数万数億飛び交う宇宙の波動と融和するのかも知れず、百年後には科学的にそう解明されるかも知れません。また、私は恐らく個人では世界で最も多くの種類と数の楽器を鳴らして来たと思いますが(約九百種3千個)その経験から言うと、湿度温度気圧や会場の反響以外の要因でその日その日で楽器の「気分」も大きく変わるのです。その要因の中にはお客さんからの念、気、オーラなどの波動の影響がとても大きいと痛感しています。

インドの古代語で楽器は「ヴァードゥヤ(Vaadya)」と言い、字義には「交流、交信、会話」などがあり、正しく「宇宙との交信器」なのです。しかし、10世紀から19世紀に至る長い間、インドの大半の地域で古典音楽は、イスラム宮廷音楽の立場を取り、イスラム教では宗教と音楽を完全に切り離し、不文律では「歌舞音曲好ましからず」という感覚も根強くありました。

そのため、「宇宙」や「魂」をテーマにしたものは表立っては語り辛くなりましたが、既に逸話をご紹介しましたようにデリー宮廷楽士の長(当然イスラム教徒)の楽聖ターンセンでさえ、精神的な師匠にヒンドゥー聖人を求めていましたので、その精神性は内面的に継承されていたと言えます。もちろん、そういった音楽家の多くがイスラム系神秘主義「スーフィー」の信者でもあったことも大いに関係があります。

古代インドの楽器の中で、最も重用されたのが弦楽器でした。それは既に述べて来ましたように僧侶階級の菜食主義と関わり、獣皮や「根、幹、枝、葉が明確に分離していない植物」の素材が敬遠されたこととも関係します。なので、弦楽器の弦も、羊腸や絹ではなく金属弦が基本です。

「楽器」という名称と概念も西洋や中国とインドは異なると上記しましたが、「弦」もまたしかりです。古代メソポタミア、エジプト,ペルシアの文化を継承する古代ギリシアでは、「Chord」と呼ばれましたが、意味は単に「紐」です。ギターの和音やそれを抑える形を「コード」と言いますがこれが語源です。四音の組(ドレミファやソラシド)を意味する「テトラコルド」はピタゴラスたちが「箱に四本の長さの異なる弦を張って説明したから」とも言われます。これに対して古代インドで「弦」は「タントリ(Tantri)」です。中世以降はペルシア語の「タール(Tar)」が主流になって「タントリ」の語は廃れました。なので、有名な「シタール」も「Si(3)Tar」ですし、実は「ギター」も「Gui+Tar」で元はペルシア語です。やはり「紐」とか「弓矢の弓のつる」の意味合いです。インドの音楽学者には「Tarの語源はTantri」と信じ切っている人も少なく在りませんが間違いです。しばしばヒンドゥー感覚に偏重するあまり(恣意もありましょうが)ちょっと意固地な学者や演奏家も少なくありません。恣意を込めずとも自ずと醸し出される凄さを紹介する方がインド科学音楽に対して誠実であると思うのですが……….。

「タントリ」は、正しく「Tantra」と語源を共にするものと考えられ、よろずに関して古代インドでは「楽器」は「物質的な感覚」ではないそれ以上の思いを込めていたことが感じられます。ところが、「弦楽器」について「Tantri-Vaadya」と書いた文献は見当たらないのです。現存する完全なる音楽専門書としては最古と言われる「ナティヤ・シャストラ」でもその「楽器の章」では「Tar-Vadyam」と書かれているようで、既にペルシア語が主流になっていたことが分かります。

しかし、「Tantri-Vaadya」の代わりの「弦楽器の代名詞「ヴィーナ(Vina/Veena)」はかなり古いだけでなく、今日でさえ様々な楽器にその名称が残されています。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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