74、中世宮廷音楽の貴公子:Sarod (1)


中世宮廷音楽の貴公子「サロード(Sarod)」を語る為には、まず当時のインド古典音楽の状況をご説明せねば成りません。

古代インド科学音楽は、中世イスラム宮廷の時代に北インド宮廷古典音楽と、南インド寺院古典音楽とに大まかに別れます。
後者は、僅かに残るヒンドゥー勢力が保護した寺院を渡り歩き、イギリスの植民地政策(分割統治)と、イスラム勢力の強大化を抑える動きに助けられたいきさつがあります。そこにヒンドゥー教復興運動が加わって、かつてより宗教色の濃い音楽が出来上がりました。
結果としてブラフマン教=ヴェーダ科学の音楽の系譜としては、一見より相応しいように思えますが、即興演奏が二次的な価値に下げられたことは大きな痛手でした。

逆に北インド古典音楽の場合、イスラム宮廷の長い時代の中で、ラーガ(旋法)の理論が大分失われ、分からなくなった古代ラーガも数多くありますが、即興演奏は依然中心的でした。その結果、「科学性」は今日迄保たれていると言えます。

このことを分かり易く「生薬」に喩えると(実際のアーユルヴェーダ生薬の話しではなく、音楽を生薬に喩えた話しですので誤解無きようお願い致します)
北インド古典音楽の場合。配合が分からなくなった合剤/方剤(複数の生薬のブレンド)もありますが、他の方剤は古代の配合と処方のままで、しかも用いる生薬は「生の植物」で、患者の病状や質に合わせて微妙な調節が可能である。しかし、数百年イスラム教徒の医師が中心となって伝承されて来た。ということです。
他方の南インド古典音楽の場合、同じように分からなくなった方剤が或る中で、古文書を手がかりに「使う生薬名」から再現した。しかし、その配合比は分からない。また、様々な制約の中で生き延びて来た為に「乾燥生薬を煎じて使う」ことが主流になり、病態や質/証に合わせることは殆どしない。したとしても配合比は厳密には考慮しない。が、ほぼ一貫してヒンドゥー教徒の医師(薬剤師)によって継承されて来た。ということです。
従って、南インド古典音楽の方が「古い、伝統的である、ヒンドゥー教音楽として正統的である」というのは、遠からずとも当たらずで、北インド古典音楽の或る部分はより古く、より科学的でもあります。

これは、古代インド科学音楽にとっては、或る意味不幸なことで、宗教や政治のために引き裂かれてしまったようなところがあります。なので、私はインド音楽歴45年のこの10年は、南インド古典音楽のラーガ(旋法)をも多く取り入れながら北インド古典音楽の即興法で演奏した故ラヴィ・シャンカル氏と同様の手法を取って来ました。それは南のヴィーナよりシタールの方が手慣れていることもありますが、即興にも適しているからでもあります。南のヴィーナは、弦の張り方がシタールやギターと逆で、1弦を弾いている時には低い弦が左手の中に隠れます。また南インドの装飾音は「単音が揺れる」ことが主なので、北インドのような数音に装飾を掛けることに不向きな構造になっています。(とりあえず簡潔に言えばの話しですが)この点も心苦しいところですが、南のヴィーナを改造するのも身勝手で恐れ多い気がします。

しかし、17世紀から18世紀の100年、インドの南北を問わず新しい手法や音楽、楽器が次々に創作されました。驚かされるのが、幾つかはその後滅び、ごく近年、この10年20年で大きく解釈が歪められたところも確かにありますが、まだ記録や資料を辿れる近年迄、かなり正確に継承されて来たことです。つまり「思いつき、奇を衒った、目立ちたいだけ」のものではそうはならなかった筈なので、かなり本質的なものを理解し、変えては成らない部分を守りつつ、斬新さを加えて来たのであろうと思われます。
それらが中世後期の「新楽器とその音楽」である訳です。

旧音楽は、イコール「ドゥルパド声楽様式」ということが出来ます。もちろんその派生やその前駆様式もかつては歌われていました。そして器楽は、声楽の合間に演奏されていたのですが、特別な呼称は存在しません。とは言え「ドゥルパド器楽」というのも語弊がありますので「ドゥルパド系器楽」ということになります。
旧楽器ももちろん1945年のイギリス植民地からの独立迄は(宮廷が存在したので)継承されていました。それは前述の弦楽器:ヴィーナ(ルードラ・ヴィーナ)と両面太鼓:ムリダング。そして、後発ですがドゥルパド系器楽を演奏するターンセン・ラバーブ、スール・シュリンンガール、スール・バハールなどです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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