仏陀と蓮の花

泥沼から美しい花を咲かせる蓮。インドの国花として人々に広く愛されるその美しさは、純粋さと神聖さの象徴です。ヒンドゥー教の神々は蓮とともに描かれることが多く、その存在は、カマラー女神として神格化され崇められています。

仏陀も、そんな美しい蓮の花に座す一人です。泥沼の環境で美しい花を咲かせる蓮は、仏教において、叡智の開花や慈悲の象徴として崇められてきました。それはまた、悩み苦しみ、厳しい苦行を続け、悟りを得た仏陀の生きる姿を示していると伝えられます。

蓮の花に座し寂静に満ちる仏陀の姿は、苦の先にある果報が唯一無二の美しさを見せることを物語っています。悩みや苦しみは、人々に多くの気づきをもたらします。美しい花を開く蓮が豊かな養分を含んだ泥水を必要とするように、悟りを開くためには、私たちも泥沼のような苦が必要なのかもしれません。

人生とは「苦」であると、仏陀は説いています。泥沼を経験することがあっても、悟りの糧として受け入れると、その苦しみも、有り難き幸せとなり変わります。人生における苦を通じ、より多くの知恵を得ながら慈悲の心を育むことで、私たちは何よりも美しい花を咲かせることができるに違いありません。

仏陀は、「苦」の人生をいかに生きるかという道筋も示しました。基本となるその道筋は八つ、正しい見解、正しい思考、正しい言葉、正しい行動、正しい仕事、正しい努力、正しい気づき、正しい精神統一(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)の八正道といわれます。生きることは苦しみと向き合うことである、という事実を理解しながら、この八正道を歩むことで、私たちは涅槃の境地に達するのだといわれます。

インドの地で多大なる苦悩を経験し、悟りを開いた仏陀。自分自身の人生において、美しい花を開くことができるよう、苦を受け入れ、正しい道を歩むことを努力したいと感じます。苦がある時、開く花の美しさは、より真実味を帯びるのかもしれません。

(文章:ひるま)